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[やぶちゃん注:これは芥川の遺書ではなく、「遺書」という作品の未定稿である。底本には岩波版旧全集を用いた。傍点「丶」は下線に換えた。本未定稿についての旧全集の後記記載はない。本文中の〔 〕及び文末の(未完)、(大正五年頃)は先行する全集の編者による補正・注記と思われる。ちなみに大正五(1916)年十二月に、芥川は海軍機関学校の英語の教授嘱託に就任している。新全集によると、この旧全集版は句読点を補ってある(新全集版では原稿を底本としており、句読点が一切ない)。最後に、簡単な注記を施した。]

 

遺書   芥川龍之介

 

 己がこの遺書を書く理由は、非常に複雜してゐる。己自身でも何故己が之を書くかはつきりとはわからない。何故と云へばこの遺書を書くと云ふ事は、事實に於て、己の生涯の目的を――少くとも己が近頃になつて企畫した生涯の目的を破壞する事になるからである。しかし己はこの遺書を書かずにはおく訣にはゆかない。己の中にある或物が己にそれを要求する。いや、己の中にある或物は己にそれを否定するが、その或物に對する己の不安が強ひて之を書かせるのである。兔に角、己はこの遺書を書く事にした。書き了る事が出來るかどうか、書き了つてもそれを己があとまで保存する勇氣があるかどうかそれは完くわからない。もし書き了る事が出來て、更にそれを保存する事が出來たとしたら、君は之を讀む第一の人間になる筈だ。その時、君は事によると、一切を己の精神状態の異常[やぶちゃん注:新全集ではこの「異常」が〔二字欠〕としており、後記に「異常」と記され、消されている旨の注記がある。]な事に歸着させようとするかも知れない。己は其解釋も一應は尤な事を認める。しかしそれをこの遺書の上まで擴充しようとするなら、それは斷じて間違ひである。己は君がこの遺書を、正氣な己の書いた物として、即、こゝに書いてある凡ての事實に正當な信用を置いて、讀んでくれる事を希望する。さもなければ、己がこの遺書を書くことは全然、無意味になつてしまふ。一生の大部分を無意味に浪費した事を悔いてゐる己にとつて、遺書を書く事さへ無意味になると云ふ事は餘りに殘酷な皮肉である。己は君が己の希望に〔添〕ふ事を信じて、これから本文へ入らうと思ふ。

 己がこの病気になつたのは、去年の六月であつた。その時、君は己にこの病気が何でもないやうな事を云つた。しかし己は欺れなかつた。己は死ぬ、遲くとも來年の十月迄には死ぬ――かう己は確信した。何故と云へば己は、己のこの眼で、この病氣にかゝつた己の兄や己の從姊が、一年足らずで死んだのを現に見た事があるからである。己は醫者としての君の嘘に感謝しない訣ではない。しかしその嘘は、己を己の兄や己の從姉のやうに不用意に死なせる倶がある嘘であつた。その點で己はこの嘘を忌むと同時に、又この嘘をついた君を惡む事になつた。成程、己は、己の死を豫知してゐる點で、兄や從姊より不幸かも知れない。しかし來る可き死に對して、己のしようと思ふ事を出來る丈滿足にし得る點では、彼等より遙に幸福である。今でも己はかう信じてゐる。それなら己は、己の死を前にして何をしようとしたか――己が君に今、書き遺さうと思ふのはこの事である。

 當時、己の頭腦(あたま)を支配してゐた考は、己の死後に關する不安である。死後と云つても、死後の己の生命がどうなるかと云ふやうな問題ではない。己がスウェデンボルグやマアテルリンクに最遠い人間である事は、君もよく知つてゐるだらう。かう云ふ人間だつたからこそ、君とも親交が結べ、一しよにラウべの顯微鏡を覗いた事さへあつたのである。己の感じた不安と云ふのは、全然己の死後、己を知つてゐた周圍が如何に己を批評するかと云ふ問題にかゝつてゐた。勿論、その毀誉襃貶が死後の己に意識されるとは思つてゐない。しかし己にはそれが何よりも氣にかゝつた。之は明に矛盾である。が己の理性は之を矛盾と認めても、己の情意の要求は殆、不可抗な力で己の全意識をこの矛盾に吸收させた。人間の虚榮心(ヴアニテイ)がその人間の生存してゐる期間よりより以上に擴大されると云ふ事は、遲蒔ながら己にとつてこの時始めて發見した事實である。そこで己は日夜に焦慮して、どうしたら死後の己の評價を高くする事が出來るかを考究し始めた。

 己は職業から云へば、學者である。昔から言語學の講座を單任して、今日までどうにか研究と講義とをつゞけて來た。しかし己は己の學問に關しては殆、何等の興味も持つてゐない。元來己は文學上の創作に一身を委ねる心算でゐた。もし境遇と教育とが許したら、己は今までに幾篇かの創作を殘してゐた事だらう。所が事情は己を強ひて、「文學」と云ふ學問の研究に從事させた。文學上の作品を對象とする以上、その研究は必然に鑑賞と云ふ事を伴隨するから、純粹な科學としての「文學」と云ふ學問を成立させる事は、云ふ迄もなく不可能である。だから己は言語學の研究に歩を轉じた。この場合は對象が「藝術」でなく、單なる文字の集合となる代りに、それ丈容易に一科學の成立に必要な條件の下に立つ事が出來ると思つたからである。しかし、己がかう云ふ研究をしたのは、單に職業上の便宜からばかりで、己自身の興味からした事ではない。己にとつて、己の生命に關係のない知識の堆積は、全然無用の長物である。己は生涯の中で、最、單なる學者を輕蔑した。彼等は冬籠りをしてゐる熊が木の實を貯へて生活する如く、知識の貯蓄によつて、衣食する人間にすぎない。

(未完)

(大正五年頃)

 

○やぶちゃん語注

・スウェデンボルグ:Emanuel Swedrnborg スウェーデンボリ。スウェーデンの科学者にして神秘主義者。初期には鉱山局の技師として、自然科学に親しんだが、後にその限界に思い至り、神霊界の研究へと向かう。日本への紹介は鈴木大拙による。夏目漱石の「こゝろ」下二十七章にも、Kの日常の議論の一つとして表れている。

・マアテルリンク:Maurice maeterlink メーテルリンク。「青い鳥」で知られるベルギーの詩人、劇作家。彼の象徴主義の作風は、汎神論的な神秘主義に裏打ちされている。

・ラウベ:ドイツ語の“Laube”で、本来は小屋の意味。ここでは、英語のラボ、研究室・実験室の意味で用いているようである。

・虚榮心(ヴアニテイ)=vanity