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鬼火へ

萩原朔太郎君   芥川龍之介

[やぶちゃん注:大正一六(一九二七)年一月発行の『近代風景』第二巻第一号に掲載された。『近代風景』は大正一五・昭和元(一九二六)年に創刊した詩誌。【2006年9月24日公開:2013年6月2日訂正】]

萩原朔太郎君

 萩原朔太郎君の「純情詩集」のことは「驢馬」の何月號かに中野重治君も論じてゐる。僕はその論文を愉快に讀んだ。すると何週間かたつた後、堀辰雄君が話の次手に「萩原さんの詩には何か調べと云つたものがありますね。それも西洋音樂から來た調べと云つたものですが」と言つた。僕はその言葉にも同感した。中野君の論文は社會主義者の視點から萩原君の詩を論じたものである。僕はあの論文の上に屋上屋を架さずとも好い。又堀君の所謂「調べ」を云々せずとも好いのである。しかしそれ等の因緣から萩原君の詩のことを考へ出した。
 「月に吠える」、「靑猫」等の萩原君は病的に鋭い感覺を自由に表現した詩人である。これは誰も認めてゐるであらう。しかしそれ等の作品にも詩人の耳を感ずることは堀君の言葉の通りである。日本の詩人の多い中にも韻律を説かない詩人はない。けれども彼等の作品の上に眞に韻律を提へた詩人は十指を屈するのに足りないであらう。萩原君はギタアを愛してゐる。が、それ等の作品に「言葉の音樂」のあることは萩原君自身も認めてゐるかどうか、その邊の消息ははつきりしない。萩原君は嘗佐藤春夫君の詩に「十年前の詩」と云苦言を呈した。(佐藤君はその言葉に「十年以前のものではない、千八百九十年代のものである」と答へてゐる。千八百九十年代は僕の信ずる所によれば、最も藝術的な時代だつた。僕も亦千八百九十年代の藝術的雰圍氣の中に人となつた。かう云ふ少時の影響は容易に脱却出來るものではない。僕は近頃年をとるにつれ、しみじみこの事實を感じてゐる。)しかし「十年前の詩」であることは「詩である」ことほど重大ではない。「詩である」ことの條件の一つは韻律を具へてゐることである。僕は萩原君の苦言を讀み、萩原君は君自身の耳をはつきり意識してゐないのではないか?――少くとも左程重大に思つてゐないのではないかと思つた。若しなぜと問はれるならば、「琴唄」、「秋刀魚の歌」等の詩人はやはり萩原君と同じやうに紀の國の渚の貝殼に似た耳を具へてゐる詩人だからである。
 萩原君は君自身の耳をはつきり意識してゐないかどうか、――それは枝葉の問題かも知れない。しかし同時に又萩原君の情熱のどこへ向つてゐるかと云ふことに多少の暗示を與へる筈である。萩原君の情熱の耳よりも目に向つてゐることは勿論特に言はずとも好い。それよりも更に重大なのは萩原君には論文集「新らしき欲情」のあることである。僕の信ずる所によれば、「新らしき欲情」は「純情詩集」の情熱を思想に錬金したものであらう。
 萩原君は詩人たると共にこの情熱を錬金することに熱中せずにはゐられぬ思想家である。萩原君が室生犀星君と最も懸絶してゐる所はこの點にあると言つても好い。室生君は天上の神々の與へた詩人の智慧に安住してゐる。が、宿命は不幸にも萩原君には理智を與へた。僕は敢て「不幸にも」と言ひたい。理智はいつもダイナマイトである。時にはその所有者自身をも粉碎せずには置かぬダイナマイトである。しかも萩原君はその理智の上に少からずニイチエの影響を受けた。萩原君が室生君ほど淸福を樂しまないのは偶然ではない。これは萩原君の「純情詩集」を室生君の「抒情小曲集」と比較すれば、誰にもはつきりとわかることである。「純情詩集」は一面には必しも純情詩集ではない。たとひ抒情詩的表現を經てゐるにもせよ、理智はその至る所に鋭い鋒芒を露してゐる。僕は「純情詩集」を讀んだ時、前橋の風物を歌ひ上げた詩に沈痛と評したい印象を受けた。同時に又「月に吠える」、「靑猫」等よりも萩原君の眞面目はここにあるかも知れないと云ふ印象を受けた。では萩原君の眞面目は何かと言へば、それは人天に叛逆する、一徹な詩的アナアキストである。  萩原君は詩的アナアキストである。このアナアキツクな魂は萩原君の藝術に見えるばかりではない。萩原君の藝術觀にも見えるやうである。佐藤春夫君は十年前から日本文藝の傳統におのづからヽヽヽヽヽ根を下してゐた。室生犀星君も「忘春詩集」以後、やはり傳統に根を下してゐる。が、ひとり萩原君は全然傳統に目を觸れない。稀に傳統を顧みた(?)と思へば、それは「蝶」は言葉通りに Tefu と發音しろと言ふだけである。いや、日本文藝の傳統ばかりではない。萩原君は古今東西を絶した藝術上の傳統さへ顧みない勇氣を具へてゐる。「月に吠える」、「靑猫」等の一代の人目を聳動した、病的に鋭い感覺もその表現を導き出したものは或はこの藝術上のアナアキズムに饗發してゐるのであらう。
 萩原君は詩人としても、或は又思想家としても、完成するかどうかは疑問である。少くとも「月に吠える」、「靑猫」、「純情詩集」等は「完成」の極印を打たれる作品を存外多く含んでゐない。これは萩原君の悲劇であり、同時に又萩原君の榮光である。萩原君は今日の詩人たちよりも恐らくは明日の詩人たちに大きい影響を與へるであらう。その又影響は今日の詩人たちが既に萩原君から受けてゐるものとは遙かに趣を異にするであらう。僕はいつか萩原君が故山村暮鳥君の「聖三稜玻璃」を讚めてゐるのを讀んだ。が、僕に言はせれば、萩原朔太郎君自身こそ正に「聖三稜玻璃」である。或は天上の神々が「詩」を造らうとした試驗管である。
 僕は「純情詩集」の現れた時、何か批評を草することを萩原君に約束した。が、とうとう今日までその約束を果さなかつた。今この文章を草するのは前約に背かない爲である。必しも「近代風景」に原稿を求められた爲ばかりではない。 (一五、一一、二七)