西方の人(正續完全版) 芥川龍之介
[やぶちゃん注:「西方の人」は昭和2(1927)年8月発行の雑誌『改造』に、「續西方の人」は同年9月発行の同誌に、それぞれ掲載された。底本は岩波版旧全集を用いたが、前者は総ルビであるため、読みの振れるもののみのパラルビとし、傍点「丶」は下線に代えた。各作品の間に「*」を、一部に簡単な注を附した。その際、昭和57(1982)年清水弘文堂刊の吉田孝次郎・中野恵海共著『芥川龍之介「西方の人」全注解』及び筑摩書房全集類聚版注等を一部参照にした。
本作の題名の読み方であるが、多くの索引等において「せいほうのひと」という読みが採用されいていることへの強い抗議の意を示したい。本文中には正・續の中、たった一度だけ「19 ジヤアナリスト」に「西方の古典」が現れ、底本(本「西方の人」の底本は初出『改造』を切り抜いたものに芥川龍之介自身が訂正書き入れしたもの)では当該字には「さいほう」のルビがある。一般的な「西方」を冠する熟語の読みは辞書見出しにおいて圧倒的に「さいほう」であること、芥川がここで、「西方の人」と言う時、それは芥川が帰属する「東」(東洋文化圏。これは最後の「37 東方の人」で「東方の人」を具体的に老子、孔子、仏陀と挙げていることからも明白である)から見ての「西」の「人」=「イエス・キリスト」を指しているが、キリスト教伝来以来、キリスト個人を「西方の人」と差別化して称する習慣はなかったと考えられる点(吉田孝次郎・中野恵海共著『芥川龍之介「西方の人」全注解』2p.「1 この人を見よ」注①西方の人)からも、これを特に「せいほう」と差別化して読む論拠とならないと思われる。また唯一「せいほう」という読みで人口に膾炙し、連想されるところのキリスト教関連語としては、ローマン・カトリック教会を指す「西方(せいほう)教会」が挙げられるが、この「西方」の翻訳語の用字は、東方正教会との対立概念によるものであり、ここでの広義の「東西」とは内実を異とした名字法で、「せいほう」の読みを肯定するにたる積極的根拠とはなり得ない。前出の『芥川龍之介「西方の人」全注解』の注では、微妙に読みの決定を留保しながら、最後に、『芥川がイエスをさして「西方の人」と呼んだ気持には、ある種のハイカラな表現意識のほかに、イエスに対する親しげな、そして神格化されたイエスを人間扱いする風な語気が感じられる。』と記している(しかし、この叙述自体には巧妙な逃げを感じる。前半と後半で証左の対立概念らしきものを論じながら、そこにそれぞれの「読み」の決定性の論拠としての意思表示を示していない点に於いてである)。以上を私なりに綜合して考える時、私は、本作品を「さいほうのひと」と読むべきであると明確に感じるものである。]
西方の人 芥川龍之介
1 この人を見よ
わたしは彼是十年ばかり前に藝術的にクリスト教を――殊にカトリツク教を愛してゐた。長崎の「日本の聖母の寺」は未だに私の記憶に殘つてゐる。かう云ふわたしは北原白秋氏や木下杢太郎氏の播いた種をせつせと拾つてゐた鴉に過ぎない。それから又何年か前にはクリスト教の爲に殉じたクリスト教徒たちに或興味を感じてゐた。殉教者の心理はわたしにはあらゆる狂信者の心理のやうに病的な興味を與へたのである。わたしはやつとこの頃になつて四人の傳記作者のわたしたちに傳へたクリストと云ふ人を愛し出した。クリストは今日のわたしには行路の人のやうに見ることは出來ない。それは或は紅毛人たちは勿論、今日の青年たちには笑はれるであらう。しかし十九世紀の末に生まれたわたしは彼等のもう見るのに飽きた、――寧ろ倒すことをためらはない十字架に目を注ぎ出したのである。日本に生まれた「わたしのクリスト」は必しもガリラヤの湖を眺めてゐない。赤あかと實のつた柿の木の下に長崎の入江も見えてゐるのである。從つてわたしは歴史的事實や地理的事實を顧みないであらう。(それは少くともジヤアナリステイツクには困難を避ける爲ではない。若し眞面目に構へようとすれば、五六册のクリスト傳は容易にこの役をはたしてくれるのである。)それからクリストの一言(げん)一行(かう)を忠實に擧げてゐる餘裕もない。わたしは唯わたしの感じた通りに「わたしのクリスト」を記すのである。嚴(いかめ)しい日本のクリスト教徒も賣文の徒の書いたクリストだけは恐らくは大目に見てくれるであらう。
2 マ リ ア
マリアは唯の女人だつた。が、或夜(よ)聖靈に感じて忽ちクリストを生み落した。我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであらう。同時に又あらゆる男子の中(うち)にも――。いや、我々は爐に燃える火や畠の野菜や素燒きの瓶(かめ)や巖疊(がんでふ)に出來た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであらう。マリアは「永遠に女性なるもの」ではない。唯「永遠に守らんとするもの」である。クリストの母、マリアの一生もやはり「涙の谷」の中(なか)に通(かよ)つてゐた。が、マリアは忍耐を重ねてこの一生を歩いて行つた。世間智と愚と美德とは彼女の一生の中(うち)に一つに住んでゐる。ニイチエの叛逆はクリストに對するよりもマリアに對する叛逆だつた。
3 聖 靈
我々は風や旗の中(うち)にも多少の聖靈を感じるであらう。聖靈は必ずしも「聖なるもの」ではない。唯「永遠に超えんとするもの」である。ゲエテはいつも聖靈に Daemonの名を與へてゐた。のみならずいつもこの聖靈に捉はれないやうに警戒してゐた。が、聖靈の子供たちは――あらゆるクリストたちは聖靈の爲にいつか捉はれる危險を持つてゐる。聖靈は惡魔や天使ではない。勿論、神とも異るものである。我我は時々善惡の彼岸に聖靈の歩いてゐるのを見るであらう。善惡の彼岸に、――しかしロムブロゾオは幸か不幸か精神病者の腦髓の上に聖靈の歩いてゐるのを發見してゐた。
4 ヨ セ フ
クリストの父、大工のヨセフは實はマリア自身だつた。彼のマリアほど尊(たふと)まれないのはかう云ふ事實にもとづいてゐる。ヨセフはどう贔屓目に見ても、畢竟餘計ものの第一人だつた。
5 エリザベツ
マリアはエリザベツの友だちだつた。バプテズマのヨハネを生んだものはこのザカリアの夫(おつと)、エリザベツである。麥の中に芥子の花の咲いたのは畢(つひ)に偶然と云ふ外はない。我々の一生を支配する力はやはりそこにも動いてゐるのである。
[やぶちゃん注:「ザカリアの夫」の「夫」は「妻」の芥川の誤記。]
6 羊飼ひたち
マリアの聖靈に感じて孕んだことは羊飼ひたちを騷がせるほど、醜聞だつたことは確かである。クリストの母、美しいマリアはこの時から人間苦の途(みち)に上り出した。
7 博士たち
東の國の博士たちはクリストの星の現はれたのを見、黄金や乳香や沒藥(もつやく)を寶の盒(はこ)に入れて捧げて行つた。が、彼等は博士たちの中でも僅かに二人か三人だつた。他の博士たちはクリストの星の現はれたことに氣づかなかつた。のみならず氣づいた博士たちの一人(ひとり)は高い臺の上に佇みながら、(彼は誰よりも年よりだつた。)きららかにかかつた星を見上げ、はるかにクリストを憐んでゐた。
「又か!」
8 へ ロ デ
ヘロデは或大きい機械だつた。かう云ふ機械は暴力により、多少の手數(てすう)を省く爲にいつも我々には必要である。彼はクリストを恐れる爲にベツレヘムの幼な兒を皆殺しにした。勿論クリスト以外のクリストも彼等の中にはまじつてゐたであらう。ヘロデの兩手は彼等の血の爲にまつ赤になつてゐたかも知れない。我々は恐らくこの兩手の前に不快を感じずにはゐられないであらう。しかしそれは何世紀か前のギロテインに對する不快である。我々はヘロデを憎むことは勿論、輕蔑することも出來るものではない。いや、寧ろ彼の爲に憐みを感じるばかりである。ヘロデはいつも玉座の上に憂欝な顏をまともにしたまま、橄欖(かんらん)や無花果(いちじゆく)の中にあるベツレヘムの國を見おろしてゐる。一行の詩さへ殘したこともなしに。……
9 ボヘミア的精神
幼いクリストはエヂプトへ行つたり、更に又「ガリラヤのうちに避け、ナザレと云へる邑(むら)」に止(とど)まつたりしてゐる。我々はかう云ふ幼な兒を佐世保(させほ)や横須賀に轉任する海軍將校の家庭にも見出すであらう。クリストのボヘミア的精神は彼自身の性格の前にかう云ふ境遇にも潜んでゐたかも知れない。
10 父
クリストはナザレに住んだ後(のち)、ヨセフの子供でないことを知つたであらう。或は聖靈の子供であることを、――しかしそれは前者よりも決して重大な事件ではない。「人の子」クリストはこの時から正に二度目の誕生をした。「女中の子」ストリントベリイはまづ彼の家族に反叛(はんぱん)した。それは彼の不幸であり、同時に又彼の幸福だつた。クリストも恐らくは同じことだつたであらう。彼はかう云ふ孤獨の中に仕合せにも彼の前に生まれたクリスト――バプテズマのヨハネに遭遇した。我々は我々自身の中にもヨハネに會ふ前のクリストの心の陰影を感じてゐる。ヨハネは野蜜(のみつ)や蝗(いなご)を食ひ、荒野(あれの)の中に住まつてゐた。が、彼の住まつてゐた荒野は必しも日の光のないものではなかつた。少くともクリスト自身の中にあつた、薄暗い荒野に比べて見れば……。
11 ヨ ハ ネ
バプテズマのヨハネはロマン主義を理解出來ないクリストだつた。彼の威嚴は荒金のやうにそこにかがやかに殘つてゐる。彼のクリストに及ばなかつたのも恐らくはその事實に存するであらう。クリストに洗禮を授けたヨハネは檞(かし)の木のやうに逞しかつた。しかし獄中にはひつたヨハネはもう枝や葉に漲つてゐる檞の木の力を失つてゐた。彼の最後の慟哭はクリストの最後の慟哭のやうにいつも我々を動かすのである。――
「クリストはお前だつたか、わたしだつたか?」
ヨハネの最後の慟哭は――いや、必しも慟哭ばかりではない。太い檞の木は枯かかつたものの、未だに外見だけは枝を張つてゐる。若しこの氣力さへなかつたとしたならば、二十何歳かのクリストは決して冷かにかう言はなかつたであらう。
「わたしの現にしてゐることをヨハネに話して聞かせるが善(よ)い。」
12 惡 魔
クリストは四十日の斷食をした後(のち)、目のあたりに惡魔と問答した。我々も惡魔と問答をする爲には何等かの斷食を必要としてゐる。我々の或ものはこの問答の中に惡魔の誘惑に負けるであらう。又或ものは誘惑に負けずに我々自身を守るであらう。しかし我々は一生を通じて惡魔と問答をしないこともあるのである。クリストは第一にパンを斥けた。が、「パンのみでは生きられない」と云ふ註釋を施すのを忘れなかつた。それから彼自身の力を恃(たの)めと云ふ惡魔の理想主義者的忠告を斥けた。しかし又「主たる汝の神を試みてはならぬ」と云ふ辯證法を用意してゐた。最後に「世界の國々とその榮華と」を斥けた。それはパンを斥けたのと或は同じことのやうに見えるであらう。しかしパンを斥けたのは現實的欲望を斥けたのに過ぎない。クリストはこの第三の答の中に我々自身の中に絶えることのない、あらゆる地上の夢を斥けたのである。この論理以上の論理的決鬪はクリストの勝利に違ひなかつた。ヤコブの天使と組み合つたのも恐らくはかう云ふ決鬪だつたであらう。惡魔は畢(つひ)にクリストの前に頭を垂れるより外はなかつた。けれども彼のマリアと云ふ女人の子供であることは忘れなかつた。この惡魔との問答はいつか重大な意味を與へられてゐる。が、クリストの一生では必しも大事件と云ふことは出來ない。彼は彼の一生の中に何度も「サタンよ、退(の)け」と言つた。現に彼の傳記作者の一人(ひとり)、――ルカはこの事件を記した後(のち)、「惡魔この試み皆畢(をは)りて暫く彼を離れたり」とつけ加へてゐる。
13 最初の弟子たち
クリストは僅かに十二歳の時に彼の天才を示してゐる。が、洗禮を受けた後(のち)も誰(たれ)も弟子になるものはなかつた。村から村を歩いてゐた彼は定めし寂しさを感じたであらう。けれどもとうとう四人の弟子たちは――しかも四人の漁師たちは彼の左右に從ふことになつた。彼等に對するクリストの愛は彼の一生を貫いてゐる。彼は彼等に圍まれながら、見る見る鋭い舌に富んだ古代のジヤアナリストになつて行つた。
14 聖靈の子供
クリストは古代のジヤアナリストになつた。同時に又古代のボヘミアンになつた。彼の天才は飛躍をつづけ、彼の生活は一時代の社會的約束を踏みにじつた。彼を理解しない弟子たちの中に時々ヒステリイを起しながら。――しかしそれは彼自身には大體歡喜に滿ち渡つてゐた。クリストは彼の詩の中にどの位情熱を感じてゐたであらう。「山上の教へ」は二十何歳かの彼の感激に滿ちた産物である。彼はどう云ふ前人も彼に若かないのを感じてゐた。この海のやうに高まつた彼の天才的ジヤアナリズムは勿論敵を招いたであらう。が、彼等はクリストを恐れない訣には行かなかつた。それは實に彼等には――クリストよりも人生を知り、從つて又人生に對する恐怖を抱いてゐる彼等にはこの天才の量見の呑みこめない爲に外ならなかつた。
15 女 人
大勢の女人たちはクリストを愛した。就中マグダラのマリアなどは、一度彼に會つた爲に七つの惡鬼に攻められるのを忘れ、彼女の職業を超越した詩的戀愛さへ感じ出した。クリストの命の終つた後(のち)、彼女のまつ先に彼を見たのはかう云ふ戀愛の力である。クリストも亦大勢の女人たちを、――就中マグダラのマリアを愛した。彼等の詩的戀愛は未だに燕子花(かきつばた)のやうに匂(にほ)やかである。クリストは度たび彼女を見ることに彼の寂しさを慰めたであらう。後代は、――或は後代の男子たちは彼等の詩的戀愛に冷淡だつた。(尤も藝術的主題以外には)しかし後代の女人たちはいつもこのマリアを嫉妬してゐた。
「なぜクリスト樣は誰(だれ)よりも先にお母さんのマリア樣に再生をお示しにならなかつたのかしら?」
それは彼女等の洩らして來た、最も僞善的な歎息だつた。
17 奇 蹟
クリストは時々奇蹟を行つた。が、それは彼自身には一つの比喩を作るよりも容易だつた。彼はその爲にも奇蹟に對する嫌惡の情を抱いてゐた。その爲にも――キリストの使命を感じてゐたのは彼の道を教へることだつた。彼の奇蹟を行ふことは後代にルツソオの吼り立つた通り、彼の道を教へるのには不便を與へるのに違ひなかつた。しかし彼の「小羊たち」はいつも奇蹟を望んでゐた。クリストも亦三度に一度はこの願に從はずにはゐられなかつた。彼の人間的な、餘りに人間的な性格はかう云ふ一面にも露はれてゐる。が、クリストは奇蹟を行ふ度に必ず責任を囘避してゐた。
「お前の信仰はお前を瘉した。」
しかしそれは同時に又科學的眞理にも違ひなかつた。クリストは又或時はやむを得ず奇蹟を行つた爲に、――或長病(ながやまひ)に苦しんだ女の彼の衣にさはつた爲に彼の力の脱けるのを感じた。彼の奇蹟を行ふことにいつも多少ためらつたのはかう云ふ實感にも明らかである。クリストは、後代のクリスト教徒は勿論、彼の十二人の弟子たちよりもはるかに鋭い理智主義者だつた。
17 背 德 者
クリストの母、美しいマリアはクリストには必しも母ではなかつた。彼の最も愛したものは彼の道に從ふものだつた。クリストは又情熱に燃え立つたまま、大勢の人々の集つた前に大膽にもかう云ふ彼の氣もちを言ひ放すことさへ憚らなかつた。マリアは定めし戸の外に彼の言葉を聞きながら、悄然と立つてゐたことであらう。我々は我々自身の中にマリアの苦しみを感じてゐる。たとひ我々自身の中にクリストの情熱を感じてゐるとしても、――しかしクリスト自身も亦時々はマリアを憐んだであらう。かがやかしい天國の門を見ずにありのままのイエルサレムを眺めた時には。……
18 クリスト教
クリスト教はクリスト自身も實行することの出來なかつた、逆説の多い詩的宗教である。彼は彼の天才の爲に人生さへ笑つて投げ棄ててしまつた。ワイルドの彼にロマン主義者の第一人を發見したのは當り前である。彼の教へた所によれば、「ソロモンの榮華の極みの時にだにその裝ひ」は風に吹かれる一本の百合の花に若かなかつた。彼の道は唯詩的に、――あすの日を思ひ煩はずに生活しろと云ふことに存してゐる。何の爲に?――それは勿論ユダヤ人たちの天國へはひる爲に違ひなかつた。しかしあらゆる天國も流轉せずにはゐることは出來ない。石鹸の匂のする薔薇の花に滿ちたクリスト教の天國はいつか空中に消えてしまつた。が、我々はその代りに幾つかの天國を造り出してゐる。クリストは我々に天國に對する惝怳(しやうきやう)を呼び起した第一人だつた。更に又彼の逆説は後代に無數の神學者や神祕主義者を生じてゐる。彼等の議論はクリストを茫然とさせずには措かなかつたであらう。しかし彼等の或者はクリストよりも更にクリスト教的である。クリストは兎に角我々に現世の向うにあるものを指し示した。我々はいつもクリストの中(うち)に我々の求めてゐるものを、――我々を無限の道へ驅(か)りやる喇叭(らつぱ)の聲を感じるであらう。同時に又いつもクリストの中に我々を虐んでやまないものを、――近代のやつと表現した世界苦を感じずにはゐられないであらう。
[やぶちゃん注:「惝怳」は正しくは「しやうくわう」と読む。意味はがっかりするさま、驚きぼんやりするさま、であるがそれでは意味が通じない。ぼんやりと判然としない憧憬、というような意味で芥川は用いているようである。]
19 ジヤアナリスト
我々は唯我々自身に近いものの外は見ることは出來ない。少くとも我々に迫つて來るものは我々自身に近いものだけである。クリストはあらゆるジヤアナリストのやうにこの事實を直覺してゐた。花嫁、葡萄園(ぶだうばたけ)、驢馬、工人――彼の教へは目のあたりにあるものを一度も利用せずにすましたことはない。「善(よ)いサマリア人(じん)」や「放蕩息子の歸宅」はかう云ふ彼の詩の傑作である。抽象的な言葉ばかり使つてゐる後代のクリスト教的ジヤアナリスト――牧師たちは一度もこのクリストのジヤアナリズムの効果を考へなかつたのであらう。彼は彼等に比べれば勿論、後代のクリストたちに比べても、決して遜色のあるジヤアナリストではない。彼のジヤアナリズムはその爲に西方(さいほう)の古典と肩を並べてゐる。彼は實に古い炎に新しい薪を加へるジヤアナリストだつた。
20 エ ホ バ
クリストの度たび説いたのは勿論天上の神である。「我々を造つたものは神ではない、神こそ我々の造つたものである。」――かう云ふ唯物主義者グウルモンの言葉は我々の心を喜ばせるであらう。それは我々の腰に垂れた鎖を截りはなす言葉である。が、同時に又我々の腰に新らしい鎖を加へる言葉である。のみならずこの新らしい鎖も古い鎖よりも強いかも知れない。神は大きい雲の中から細かい神經系統の中に下り出した。しかもあらゆる名のもとにやはりそこに位(くらゐ)してゐる。クリストは勿論目のあたりに度たびこの神を見たであらう。(神に會はなかつたクリストの惡魔に會つたことは考へられない。)彼の神も亦あらゆる神のやうに社會的色彩の強いものである。しかし兎に角我我と共に生まれた「主(しゆ)なる神」だつたのに違ひない。クリストはこの神の爲に――詩的正義の爲に戰ひつづけた。あらゆる彼の逆説はそこに源を發してゐる。後代の神學はそれ等の逆説を最も詩の外に解釋しようとした。それから、――誰(たれ)も讀んだことのない、退屈な無數の本を殘した。ヴオルテエルは今日では滑稽なほど「神學」の神を殺す爲に彼の劍(つるぎ)を揮つてゐる。しかし「主なる神」は死ななかつた。同時に又クリストも死ななかつた。神はコンクリイトの壁に苔の生える限り、いつも我々の上に臨んでゐるであらう。ダンテはフランチエスカを地獄に墮した。が、いつかこの女人を炎の中から救つてゐた。一度でも悔い改めたものは――美しい一瞬間を持つたものはいつも「限りなき命」に入つてゐる。感傷主義の神と呼ばれ易いのも恐らくはかう云ふ事實の爲であらう。
21 故 郷
「豫言者は故郷に入れられず。」――それは或はクリストには第一の十字架だつたかも知れない。彼は畢には全ユダヤを故郷としなければならなかつた。汽車や自動車や汽船や飛行機は今日ではあらゆるクリストに世界中を故郷にしてゐる。勿論又あらゆるクリストは故郷に入れられなかつたのに違ひない。現にポオを入れたものはアメリカではないフランスだつた。
22 詩 人
クリストは一本の百合の花を「ソロモンの榮華の極みの時」よりも更に美しいと感じてゐる。(尤も彼の弟子たちの中にも彼ほど百合の花の美しさに恍惚としたものはなかつたであらう。)しかし弟子たちと話し合ふ時には會話上の禮節を破つても、野蠻なことを言ふのを憚らなかつた。――「凡そ外(そと)より人に入るものの人を汚し能はざる事を知らざる乎。そは心に入らず、腹に入りて厠(かはや)に遺(おと)す。すなはち食ふ所のもの潔(きよま)れり。」……
[やぶちゃん注:この「厠に遺(おと)す」と言う読みについては、昭和57(1982)年清水弘文堂刊の吉田孝次郎・中野恵海共著『芥川龍之介「西方の人」全注解』において、芥川は聖書引用の元とした大正3(1914)年版「元譯聖書」を誤読しているとする。以下に該当注を引用する。
『馬可(マコ)伝七章一八・一九に「凡そ外より人に入るものの人を汚し能はざる事を知らざる乎(か)そは心に入らず、腹に入(いり)りて厠(かはや)に遺(おつ)すなはち食ふ所のもの潔(きよま)れり。」とある。「厠に遺(おと)す」と読んだのは芥川の誤読であって原文は、「厠〔やぶちゃん字注:引用元ではこの字には下の方にかすれたような一字分の汚れがあるだけで全く判読できないが、「かはや」というルビを振るつもりであったのであろう。〕に遺(おつ)、すなはち」とある。』
しかしこれは、芥川龍之介の言明に致命的な疵を与える誤読とは思われない。]
23 ラ ザ ロ
クリストはラザロの死を聞いた時、今までにない涙を流した。今までにない――或は今まで見せずにゐた涙を。ラザロの死から生き返つたのはかう云ふ彼の感傷主義の爲である。母のマリアを顧なかつた彼はなぜラザロの姉妹たち、――マルタやマリアの前に涙を流したのであらう? この矛盾を理解するものはクリストの、――或はあらゆるクリストの天才的利己主義を理解するものである。
24 カナの饗宴
クリストは女人を愛したものの、女人と交はることを顧みなかつた。それはモハメツトの四人の女人たちと交ることを許したのと同じことである。彼等はいづれも一時代を、――或は社會を越えられなかつた。しかしそこには何ものよりも自由を愛する彼の心も動いてゐたことは確かである。後代の超人は犬たちの中に假面をかぶることを必要とした。しかしクリストは假面をかぶることも不自由のうちに數へてゐた。所謂「爐邊の幸福」の譃は勿論彼には明らかだつたであらう。アメリカのクリスト、――ホヰツトマンはやはりこの自由を選んだ一人(ひとり)である。我々は彼の詩の中に度たびクリストを感ずるであらう。クリストは未だに大笑ひをしたまま、踊り子や花束や樂器に滿ちたカナの饗宴を見おろしてゐる。しかし勿論その代りにそこには彼の贖はなければならぬ多少の寂しさはあつたことであらう。
25 天に近い山の上の問答
クリストは高い山の上に彼の前に生まれたクリストたち――モオゼやエリヤと話をした。それは惡魔と戰つたのよりも更に意味の深い出來事であらう。彼はその何日か前に彼の弟子たちにイエルサレムへ行き、十字架にかかることを豫言してゐた。彼のモオゼやエリヤと會つたのは彼の或精神的危機に佇んでゐた證據である。彼の顏は「日の如く輝き其衣(ころも)は白く光」つたのも必しも二人のクリストたちの彼の前に下つた爲ばかりではない。彼は彼の一生の中でも最もこの時は嚴肅だつた。彼の傳記作者は彼等の間の問答を記録に殘してゐない。しかし彼の投げつけた問は「我等は如何に生くべき乎」である。クリストの一生は短かつたであらう。が、彼はこの時に、――やつと三十歳に及んだ時に彼の一生の總決算をしなければならない苦しみを嘗めてゐた。モオゼはナポレオンも言つたやうに戰略に長じた將軍である。エリヤも亦クリストよりも政治的天才に富んでゐたであらう。のみならず今日(こんにち)は昨日(さくじつ)ではない。今日ではもう紅海の波も壁のやうに立たなければ、炎の車も天上から來ないのである。クリストは彼等と問答しながら、愈彼の見苦しい死の近づいたのを感じずにはゐられなかつた。天に近い山の上には氷のやうに澄んだ日の光の中に岩むらの聳えてゐるだけである。しかし深い谷の底には柘榴や無花果も匂つてゐたであらう。そこには又家々の煙もかすかに立ち昇つてゐたかも知れない。クリストも亦恐らくはかう云ふ下界の人生に懷しさを感じずにはゐなかつたであらう。しかし彼の道は嫌でも應でも人氣のない天に向つてゐる。彼の誕生を告げた星は――或は彼を生んだ聖靈は彼に平和を與へようとしない。「山を下る時イエス彼等(ペテロ、ヤコブ、その兄弟のヨハネ)に命じて人の子の死より甦るまでは汝等の見し事を人に告ぐべからずと言へり。」――天に近い山の上にクリストの彼に先立つた「大いなる死者たち」と話をしたのは實に彼の日記にだけそつと殘したいと思ふことだつた。
26 幼な兒の如く
クリストの教へた逆説の一つは「我まことに汝等に告げん。若し改まりて幼な兒の如くならずば天國に入ることを得じ」である。この言葉は少しも感傷主義的ではない。クリストはこの言葉の中に彼自身の誰よりも幼な兒に近いことを現してゐる。同時に又聖靈の子供だつた彼自身の立ち場を明らかにしてゐる。ゲエテは彼の「タツソオ」の中にやはり聖靈の子供だつた彼自身の苦しみを歌ひ上げた。「幼な兒の如くあること」は幼稚園時代にかへることである。クリストの言葉に從へば、誰かの保護を受けなければ、人生に堪へないものの外は黄金の門に入ることは出來ない。そこには又世間智に對する彼の輕蔑も忍びこんでゐる。彼の弟子たちは正直に(幼な兒を前にしたクリストの圖の我々に不快を與へるのは後代の僞善的感傷主義の爲である。)彼の前に立つた幼な兒に驚かない訣には行かなかつたであらう。
27 イエルサレムへ
クリストは一代の豫言者になつた。同時に又彼自身の中の豫言者は、――或は彼を生んだ聖靈はおのづから彼を飜弄し出した。我々は蠟燭の火に燒かれる蛾の中にも彼を感じるであらう。蛾は唯蛾の一匹に生まれた爲に蠟燭の火に燒かれるのである。クリストも亦蛾と變ることはない。シヨウは十字架に懸けられる爲にイエルサレムへ行つたクリストに雷(らい)に似た冷笑を與へてゐる。しかしクリストはイエルサレムへ驢馬を驅(か)つてはひる前に彼の十字架を背負つてゐた。それは彼にはどうすることも出來ない運命に近いものだつたであらう。彼はそこでも天才だつたと共にやはり畢に「人の子」だつた。のみならずこの事實は數世紀を重ねた「メシア」と云ふ言葉のクリストを支配してゐたことを教へてゐる。樹の枝を敷いた道の上に「ホザナよ、ホザナよ」の聲に打たれながら、驢馬を走らせて行つたクリストは彼自身だつたと共にあらゆるイスラエルの豫言者たちだつた。彼の後(のち)に生まれたクリストの一人(ひとり)は遠いロオマの道の上に再生したクリストに「どこへ行く?」と詰られたことを傳へてゐる。クリストも亦イエルサレムへ行かなかつたとすれば、やはり誰か豫言者たちの一人に「どこへ行く?」と詰られたことであらう。
28 イエルサレム
クリストはイエルサレムへはひつた後(のち)、彼の最後の戰ひをした。それは水々しさを缺いてゐたものの、何か烈しさに滿ちたものである。彼は道ばたの無花果を呪つた。しかもそれは無花果の彼の豫期を裏切つて一つも實をつけてゐない爲だつた。あらゆるものを慈んだ彼もここでは半ばヒステリツクに彼の破壞力を揮つてゐる。
「カイゼルのものはカイゼルに返せ。」
それはもう情熱に燃えた青年クリストの言葉ではない。彼に復讐し出した人生に對する(彼は勿論人生よりも天國を重んじた詩人だつた。)老成人クリストの言葉である。そこにんでゐるものは必しも彼の世間智ばかりではない。彼はモオゼの昔以來、少しも變らない人間愚に愛想を盡かしてゐたことであらう。が、彼の苛立たしさは彼にエホバの「殿(みや)に入りてその中にをる賣買する者を殿より逐出(おひだ)し、兌銀者(りようがへするもの)の案(だい)、鴿(はと)を賣者(うるもの)の椅子(こしかけ)」を倒させてゐる。
「この殿も今に壞れてしまふぞ。」
或女人はかう云ふ彼の爲に彼の額へ香油を注いだりした。クリストは彼の弟子たちにこの女人を咎めないことを命じた。それから――十字架と向かひ合つたクリストの氣もちは彼を理解しない彼等に對する、優しい言葉の中に忍びこんでゐる。彼は香油を匂はせたまま、(それは土埃りにまみれ勝ちな彼には珍らしい出來事の一つに違ひなかつた。)靜かに彼等に話しかけた。
「この女人はわたしを葬る爲にわたしに香油を注いだのだ。わたしはいつもお前たちと一しよにゐることの出來るものではない。」
ゲツセマネの橄欖(かんらん)はゴルゴタの十字架よりも悲壯である。クリストは死力を揮ひながら、そこに彼自身とも、――彼自身の中の聖靈とも戰はうとした。ゴルゴタの十字架は彼の上に次第に影を落さうとしてゐる。彼はこの事實を知り悉してゐた。が、彼の弟子たちは、――ペテロさへ彼の心もちを理解することは出來なかつた。クリストの祈りは今日でも我々に迫る力を持つてゐる。――
「わが父よ、若し出來るものならば、この杯(さかづき)をわたしからお離し下さい。けれども仕かたはないと仰有るならば、どうか御心(みこころ)のままになすつて下さい。」
あらゆるクリストは人氣のない夜中に必ずかう祈つてゐる。同時に又あらゆるクリストの弟子たちは「いたく憂(うれへ)て死ぬばかり」な彼の心もちを理解せずに橄欖の下(もと)に眠つてゐる。…………
[やぶちゃん注:昭和57(1982)年清水弘文堂刊の吉田孝次郎・中野恵海共著『芥川龍之介「西方の人」全注解』によれば、「この殿も今に壞れてしまふぞ。」という言葉は『聖書には見当たらない』と注している。]
29 ユ ダ
後代はいつかユダの上にも惡の圓光を輝かせてゐる。しかしユダは必しも十二人の弟子たちの中でも特に惡かつた訣ではない。ペテロさへ庭鳥(にはとり)の聲を擧げる前に三度クリストを知らないと言つてゐる。ユダのクリストを賣つたのはやはり今日の政治家たちの彼等の首領を賣るのと同じことだつたであらう。パピニも亦ユダのクリストを賣つたのを大きい謎に數へてゐる。が、クリストは明らかに誰にでも賣られる危機に立つてゐた。祭司の長(をさ)たちはユダの外にも何人かのユダを數へてゐた筈である。唯ユダはこの道具になるいろいろの條件を具へてゐた。勿論それ等の條件の外に偶然も加はつてゐたことであらう。後代はクリストを「神の子」にした。それは又同時にユダ自身の中に惡魔を發見することになつたのである。しかしユダはクリストを賣つた後(のち)、白楊(はくやう)の木に縊死してしまつた。彼のクリストの弟子だつたことは、――神の聲を聞いたものだつたことは或はそこにも見られるかも知れない。ユダは誰(たれ)よりも彼自身を憎んだ。十字架に懸つたクリストも勿論彼を苦しませたであらう。しかし彼を利用した祭司の長たちの冷笑もやはり彼を憤らせたであらう。「お前のしたいことをはたすが善(よ)い。」
かう云ふユダに對するクリストの言葉は輕蔑と憐憫とに溢れてゐる。「人の子」クリストは彼自身の中にも或はユダを感じてゐたかも知れない。しかしユダは不幸にもクリストのアイロニイを理解しなかつた。
[やぶちゃん注:昭和57(1982)年清水弘文堂刊の吉田孝次郎・中野恵海共著『芥川龍之介「西方の人」全注解』によれば、「お前のしたいことをはたすが善い。」は『「マタイ伝」二十六章、二〇-二五の中には単に「……人の子を売(わた)す者は禍(わぢはひ[やぶちゃん字注:ママ。])なる哉(かな)その人生まれざりしならば反(かへつ)て幸(さいはひ)なりしならん彼を売(わた)すユダ答(こたへ)て曰(いひ)けるはラビ(わが主)[やぶちゃん注:(わが主)は本文でルビではない。]我(われ)なるや之(これ)に曰(いひ)けるは爾(なんぢ)の言(いへ)が如し」とあってこの語はない。「ヨハネ伝」第十三章、二七に「彼が一撮(ひとつまみ)の物を受(うけ)し其(その)時サタン彼に入り是(ここ)に於てイエス彼に曰(いひ)けるは爾(なんぢ)が為(なさ)んとする事は速(すみや)か為せ」とある。』とする。]
30 ピ ラ ト
ピラトはクリストの一生には唯偶然に現れたものである。彼は畢に代名詞に過ぎない。後代も亦この官吏に傳説的色彩を與へてゐる。しかしアナトオル・フランスだけはかう云ふ色彩に欺かれなかつた。
31 クリストよりもバラバを
クリストよりもバラバを――それは今日でも同じことである。バラバは叛逆を企てたであらう。同時に又人々を殺したであらう。しかし彼等はおのづから彼の所業を理解してゐる。ニイチエは後代のバラバたちを街頭の犬に比(たと)へたりした。彼等は勿論バラバの所業に憎しみや怒りを感じてゐたであらう。が、クリストの所業には、――恐らくは何も感じなかつたであらう。若し何か感じてゐたとすれば、それは彼等の社會的に感じなければならぬと思つたものである。彼等の精神的奴隷たちは、――肉體だけ逞しい兵卒たちはクリストに荊(いばら)の冠(かんむり)をかむらせ、紫の袍(はう)をまとはせた上、「ユダヤの王安かれ」と叫んだりした。クリストの悲劇はかう言ふ喜劇のただ中にあるだけに見じめである。クリストは正に精神的にユダヤの王だつたのに違ひない。が、天才を信じない犬たちは――いや、天才を發見することは手易いと信じてゐる犬たちはユダヤの王の名のもとに眞のユダヤの王を嘲つてゐる。「方伯(つかさ)のいと奇(あや)しとするまでにイエス一言(ひとこと)も答へせざりき。」――クリストは傳記作者の記した通り、彼等の訊問や嘲笑には何の答へもしなかつたであらう。のみならず何の答へをすることも出來なかつたことは確かである。しかしバラバは頭(あたま)を擧げて何ごとも明らかに答へたであらう。バラバは唯彼の敵に叛逆してゐる。が、クリストは彼自身に、――彼自身の中のマリアに叛逆してゐる。それはバラバの叛逆よりも更に根本的な叛逆だつた。同時に又「人間的な、餘りに人間的な」叛逆だつた。
32 ゴルゴタ
十字架の上のクリストは畢に「人の子」に外ならなかつた。
「わが神、わが神、どうしてわたしをお捨てなさる?」
勿論英雄崇拜者たちは彼の言葉を冷笑するであらう。況や聖靈の子供たちでないものは唯彼の言葉の中に「自業自得」を見出すだけである。「エリ、エリ、ラマサバクタニ」は事實上クリストの悲鳴に過ぎない。しかしクリストはこの悲鳴の爲に一層我々に近づいたのである。のみならず彼の一生の悲劇を一層現實的に教へてくれたのである。
33 ピ エ タ
クリストの母、年をとつたマリアはクリストの死骸の前に歎いてゐる。――かう云ふ圖の Piéta
と呼ばれるのは必しも感傷主義的と言ふことは出來ない。唯ピエタを描かうとする畫家たちはマリア一人(ひとり)だけを描かなければならぬ。
34 クリストの友だち
クリストは十二人の弟子たちを持つてゐた。が、一人(ひとり)も友だちは持たずにゐた。若し一人でも持つてゐたとすれば、それはアリマタヤのヨセフである。「日暮るる時尊(たふた)き議員なるアリマタヤのヨセフと云へる者來れり。この人は神の國を望めるものなり。彼はばからずピラトに往きてイエスの屍(かばね)を乞ひたり。」――マタイよりも古いと傳へられるマコは彼のクリストの傳記の中にかう云ふ意味の深い一節を殘した。この一節はクリストの弟子たちを「これに從ひつかへしものどもなり」と云ふ言葉と全然趣を異にしてゐる。ヨセフは恐らくはクリストよりも更に世間智に富んだクリストだつたであらう。彼は「はばからずピラトに往きイエスの屍を乞」つたことはクリストに對する彼の同情のどの位深かつたかを示してゐる。教養を積んだ議員のヨセフはこの時には率直そのものだつた。後代はピラトやユダよりもはるかに彼には冷淡である。しかし彼は十二人の弟子たちよりも或は彼を知つてゐたであらう。ヨハネの首を皿にのせたものは殘酷にも美しいサロメである。が、クリストは命を終つた後(のち)、彼を葬る人々のうちにアリマタヤのヨセフを數へてゐた。彼はそこにヨハネよりもまだしも幸福を見出してゐる。ヨセフも亦議員にならなかつたとしたらば、――それはあらゆる「若し………ならば」のやうに畢竟問はないでも善(よ)いことかも知れない。けれども彼は無花果の下や象嵌(ぞうがん)をした杯(さかづき)の前に時々彼の友だちのクリストを思ひ出してゐたことであらう。
35 復 活
ルナンはクリストの復活を見たのをマグダレナのマリアの想像力の爲にした。想像力の爲に、――しかし彼女の想像力に飛躍を與へたものはクリストである。彼女の子供を失つた母は度たび彼の復活を――彼の何かに生まれ變つたのを見てゐる。彼は或は大名になつたり、或は池の上の鴨になつたり、或は又蓮華(れんげ)になつたりした。けれどもクリストはマリアの外にも死後の彼自身を示してゐる。この事實はクリストを愛した人々のどの位多かつたかを現すものであらう。彼は三日の後(のち)に復活した。が、肉體を失つた彼の世界中を動かすには更に長い年月を必要とした。その爲に最も力のあつたのはクリストの天才を全身に感じたジヤアナリストのパウロである。クリストを十字架にかけた彼等は何世紀かの流れ去るのにつれ、シエクスピイアの復活を認めるやうにクリストの復活を認め出した。が、死後のクリストも流轉(るてん)を閲(けみ)したことは確かである。あらゆるものを支配する流行はやはりクリストも支配して行つた。クララの愛したクリストはパスカルの尊(たふと)んだクリストではない。が、クリストの復活した後(のち)、犬たちの彼を偶像とすることは、――その又クリストの名のもとに横暴を振ふことは變らなかつた。クリストの後(のち)に生れたクリストたちの彼の敵になつたのはこの爲である。しかし彼等も同じやうにダマスカスへ向ふ途の上に必ず彼等の敵の中に聖靈を見ずにはゐられなかつた。
「サウロよ、サウロよ、何の爲にわたしを苦しめるのか? 棘のある鞭を蹴ることは決して手易いものではない。」
我々は唯茫々とした人生の中に佇んでゐる。我々に平和を與へるものは眠りの外にある訣はない。あらゆる自然主義者は外科醫のやうに殘酷にこの事實を解剖してゐる。しかし聖靈の子供たちはいつもかう云ふ人生の上に何か美しいものを殘して行つた。何か「永遠に超えようとするもの」を。
36 クリストの一生
勿論クリストの一生はあらゆる天才の一生のやうに情熱に燃えた一生である。彼は母のマリアよりも父の聖靈の支配を受けてゐた。彼の十字架の上の悲劇は實にそこに存してゐる。彼の後(のち)に生まれたクリストたちの一人(ひとり)、――ゲエテは「徐(おもむ)ろに老いるよりもさつさと地獄へ行きたい」と願つたりした。が、徐ろに老いて行つた上、ストリントベリイの言つたやうに晩年には神祕主義者になつたりした。聖靈はこの詩人の中にマリアと吊り合ひを取つて住まつてゐる。彼の「大いなる異教徒」の名は必しも當つてゐないことはない。彼は實に人生の上にはクリストよりも更に大きかつた。況や他のクリストたちよりも大きかつたことは勿論である。彼の誕生を知らせる星はクリストの誕生を知らせる星よりも圓まるとかがやいてゐたことであらう。しかし我々のゲエテを愛するのはマリアの子供だつた爲ではない。マリアの子供たちは麥畠の中や長椅子の上にも充ち滿ちてゐる。いや、兵營や工場や監獄の中にも多いことであらう。我々のゲエテを愛するのは唯聖靈の子供だつた爲である。我々は我々の一生の中にいつかクリストと一しよにゐるであらう。ゲエテも亦彼の詩の中に度たびクリストの髯(ひげ)を拔いてゐる。クリストの一生は見じめだつた。が、彼の後(のち)に生まれた聖靈の子供たちの一生を象徴してゐた。(ゲエテさへも實はこの例に洩れない。)クリスト教は或は滅びるであらう。少くとも絶えず變化してゐる。けれどもクリストの一生はいつも我々を動かすであらう。それは天上から地上へ登る爲に無殘にも折れた梯子(はしご)である。薄暗い空から叩きつける土砂降りの雨の中に傾いたまま。……
[やぶちゃん注:「天上から地上へ登る爲に無殘にも折れた梯子」という表現については従来、芥川誤記説が圧倒的である。しかし私は、これは誤記ではないと確信している。私は、「天上から地上へ」は芥川にとって確かに「登る」べきものであったのだと解釈している。昭和57(1982)年清水弘文堂刊の吉田孝次郎・中野恵海共著『芥川龍之介「西方の人」全注解』では、本箇所についての注の中で筆者は『キリストの一生は、彼の神としたところの詩的正義をこの現実の地上に生かそうとしたものであるところから、天上より地上へという表現にしたものと考えられる。』とし、続く要旨の中でも『彼の一生は神=詩的正義を、この地上での生き方もち来たらす((グウルモンの「神こそ我々の造つたもの」(20・エホバ)説をうべない、キリストの最後、最大の問題が「いかに生くべきか」(「25・近い山の上の問答」)にあったとする芥川は「登る」という語によって、生きている人間の尊重を示したと考えられる。))ために無残にも折れた梯子である。』としている。]
37 東方の人
ニイチエは宗教を「衞生學」と呼んだ。それは宗教ばかりではない。道德や經濟も「衞生學」である。それ等は我々におのづから死ぬまで健康を保たせるであらう。「東方の人」はこの「衞生學」を大抵涅槃の上に立てようとした。老子は時々無何有(むかいう)の郷(きやう)に佛陀と挨拶をかはせてゐる。しかし我々は皮膚の色のやうにはつきりと東西を分つてゐない。クリストの、――或はクリストたちの一生の我々を動かすのはこの爲である。「古來英雄の士、悉く山阿(さんあ)に歸す」の歌はいつも我々に傳はりつづけた。が、「天國は近づけり」の聲もやはり我々を立たせずにはゐない。老子はそこに年少の孔子と、――或は支那のクリストと問答してゐる。野蠻な人生はクリストたちをいつも多少は苦しませるであらう。太平の艸木(さうもく)となることを願つた「東方の人」たちもこの例に洩れない。クリストは「狐は穴あり。空の鳥は巣あり。然れども人の子は枕する所なし」と言つた。彼の言葉は恐らくは彼自身も意識しなかつた、恐しい事實を孕んでゐる。我々は狐や鳥になる外は容易に塒(ねぐら)の見つかるものではない。 (昭和二・七・十)
*
續西方の人 芥川龍之介
1 再びこの人を見よ
クリストは「萬人の鏡」である。「萬人の鏡」と云ふ意味は萬人のクリストに傚へと云ふのではない。たつた一人[やぶちゃん注:「ひとり」と読んでいると思われる。以下、本續編中の「一人」ルビ表記ない場合は同様と判断されたい。]のクリストの中に萬人の彼等自身を發見するからである。わたしはわたしのクリストを描き、雜誌の締め切日の迫つた爲にペンを抛[やぶちゃん注:「なげう」と読む。]たなければならなかつた。今は多少の閑(ひま)のある爲にもう一度わたしのクリストを描き加へたいと思つてゐる。誰もわたしの書いたものなどに、――殊にクリストを描いたものなどに興味を感ずるものはないであらう。しかしわたしは四[やぶちゃん注:「し」と読んでいると思われる。]福音書の中にまざまざとわたしに呼びかけてゐるクリストの姿を感じてゐる。わたしのクリストを描き加へるのもわたし自身にはやめることは出來ない。
[やぶちゃん注:「雜誌の締め切日の迫つた爲に……」以下について補注しておく。「西方の人」は、その末尾によって擱筆が昭和2(1927)年7月10日であることが分かるが、本「續西方の人」は、底本とした岩波版旧全集以前の全集には、末尾に「(昭和二年七月二十三日)」とあるとする。河出書房新社1992年刊の鷺只雄編著「年表作家読本 芥川龍之介」によれば、同年7月22日の条に『夜、葛巻義敏に今夜死ぬつもりが、「続西方の人」が完成しないのでやめにした』と伝えたとし、『二三日、朝九時起床。朝食に半熟卵四、牛乳二合を飲み、書斎にこもって「続西方の人」(昭和2年9月号『改造』)を書き続け、深夜に脱稿した。』と記す。従って、この「脱稿」という言葉からも、一部の本テクストに記されることのある、「遺稿」という表示は誤りであると私は判断する。なお、もう語るまでもないことであるが、この翌日、24日早朝、芥川龍之介は旅立ったのである。彼が最後に読み、末期の枕頭にあったのは、実に聖書であった。]
2 彼の傳記作者
ヨハネはクリストの傳記作者中、最も彼自身に媚びてゐるものである。野蠻な美しさにかがやいたマタイやマコに比べれば、――いや、巧みにクリストの一生を話してくれるルカに比べてさへ、近代に生まれた我々には人工の甘露味を味はさずには措かない。しかしヨハネもクリストの一生の意味の多い事實を傳へてゐる。我々は、ヨハネのクリストの傳記に或苛立たしさを感じるであらう。けれども三人の傳記作者たちに[やぶちゃん注:「ない」が脱落しているように思われる。]或魅力も感じられるであらう。人生に失敗したクリストは獨特の色彩を加へない限り、容易に「神の子」となることは出來ない。ヨハネはこの色彩を加へるのに少くとも最も當代には、up to date の手段をとつてゐる。ヨハネの傳へたクリストはマコやマタイの傳へたクリストのやうに天才的飛躍を具へてゐない。が、壯嚴[やぶちゃん注:「さうごん」と読む。]にも優しいことは確かである。クリストの一生を傳へるのに何よりも簡古を重んじたマコは恐らく彼の傳記作者中、最もクリストを知つてゐたであらう。マコの傳へたクリストは現實主義的に生き生きしてゐる。我々はそこにクリストと握手し、クリストを抱(いだ)き、――更に多少の誇張さへすれば、クリストの髯(ひげ)の匀を感じるであらう。しかし壯嚴にも劬[やぶちゃん注:「いたは」と読む。]りの深いヨハネのクリストも斥けることは出來ない。兎に角彼等の傳へたクリストに比べれば、後代の傳へたクリストは、――殊に彼をデカダンとした或ロシア人のクリストは徒らに彼を傷けるだけである。クリストは一時代の社會的約束を蹂躙することを顧みなかつた。(賣笑婦や税吏(みつぎとり)や癩病人はいつも彼の話し相手である。)しかし天國を見なかつたのではない。クリストを l’enfant に描いた畫家たちはおのづからかう云ふクリストに憐みに近いものを感じてゐたであらう。(それは母胎を離れた後[やぶちゃん注:「のち」と読んでいると思われる。以下、単独での「後」の、ルビ表記や私の注のない場合は同様と判断されたい。]、「唯我獨尊(ゆがどくそん)」の獅子吼(ししく)をした佛陀よりもはるかに手よりのないものである。)けれども幼兒だつたクリストに對する彼等の憐みは多少にもしろ、デカダンだつたクリストに對する彼の同情よりも勝つてゐる。クリストは如何に葡萄酒に醉つても、何か彼自身の中にあるものは天國を見せずには措かなかつた。彼の悲劇はその爲に、――單にその爲に起つてゐる。或ロシア人は或時のクリストの如何に神に近かつたかを知つてゐない。が、四人の傳記作者たちはいづれもこの事實に注目してゐた。
[やぶちゃん注:前掲の『芥川龍之介「西方の人」全注解』でも、本文に登場する「或ロシア人」については不詳とする。筑摩書房全集類聚版では注記もついていない。それほどこの人物、マイナーな人物であろうか? そんな人物を「或ロシア人」と表現し、この短いアフォリズムで二度も示すとは思われない(ちなみに私には自ずと「彼」または「彼等」が浮かんでくる)。]
3 共産主義者
クリストはあらゆるクリストたちのやうに共産主義的精神を持つてゐる。若し共産主義者の目から見るとすれば、クリストの言葉は悉く共産主義的宣言に變るであらう。彼に先立つたヨハネさへ「二つの衣服を持てる者は持たぬ者に分け與へよ」と叫んでゐる。しかしクリストは無政府主義者ではない。我々人間は彼の前におのづから本體を露してゐる。(尤も彼は我々人間を操縱することは出來なかつた、――或は我々人間に操縱されることは出來なかつた。それは彼のヨセフではない、聖靈の子供だつた所以である。)しかしクリストの中にあつた共産主義者を論ずることはスヰツル[やぶちゃん注:スイス。]に遠い日本では少くとも不便を伴つてゐる。少くともクリスト教徒たちの爲に。
4 無抵抗主義者
クリストは又無抵抗主義者だつた。それは彼の同志さへ信用しなかつた爲である。近代では丁度トルストイの他人の眞實を疑つたやうに。――しかしクリストの無抵抗主義は何か更に柔かである。靜かに眠つてゐる雪のやうに冷かではあつても柔かである。………
5 生 活 者
クリストは最速度の生活者である。佛陀は成道[やぶちゃん注:「じやうだう」と読む。]する爲に何年かを雪山[やぶちゃん注:筑摩書房全集類聚版本文では、これに(せつざん)のルビがある。]の中に暮らした。しかしクリストは洗禮を受けると、四十日の斷食の後、忽ち古代のジヤアナリストになつた。彼はみづから燃え盡きようとする一本の蠟燭にそつくりである。彼の所業やジヤアナリズムは即ちこの蠟燭の蠟涙[やぶちゃん注:「らふるゐ」と読む。]だつた。
6 ジヤアナリズム至上主義者
クリストの最も愛したのは目ざましい彼のジヤアナリズムである。若し他のものを愛したとすれば、彼は大きい無花果のかげに年とつた豫言者になつてゐたであらう。平和はその時にはクリストの上にも下つて來たのに相違ない。彼はもうその時には丁度古代の賢人のやうにあらゆる妥協のもとに微笑してゐたであらう。しかし運命は幸か不幸か彼にかう云ふ安らかな晩年を與へてくれなかつた。それは受難の名を與へられてゐても、正に彼の悲劇だつたであらう。けれどもクリストはこの悲劇の爲に永久に若々しい顏をしてゐるのである。
7 クリストの財布
かう云ふクリストの收入は恐らくはジヤアナリズムによつてゐたのであらう。が、彼は「明日(めうにち)のことを考へるな」と云ふほどのボヘミアンだつた。ボヘミアン?――我々はここにもクリストの中の共産主義者を見ることは困難ではない。しかし彼は兎も角も彼の天才の飛躍するまま、明日(めうにち)のことを顧みなかつた。「ヨブ記」を書いたジヤアナリストは或は彼よりも雄大だつたかも知れない。しかし彼は「ヨブ記」にない優しさを忍びこます手腕を持つてゐた。この手腕は少からず彼の收入を扶けたことであらう。彼のジヤアナリズムは十字架にかかる前に正に最高の市價を占めてゐた。しかし彼の死後に比べれば、――現にアメリカ聖書會社は神聖にも年々に利益を占めてゐる。………
8 或時のマリア
クリストはもう十二歳の時に彼の天才を示してゐた。彼の傳記作者の一人、――ルカの語る所によれば、「其子イエルサレムに留(とどま)りぬ。然るにヨセフと母これを知らず、三日の後殿(みや)にて遇ふ。彼教師の中に坐し、聽き且問ひゐたり。聞者(きくもの)其[やぶちゃん注:ルビなし。]知慧(さとき)と其(その)應對(こたへ)とを奇(あや)しとせり。」それは論理學を學ばずに論理に長じた學生時代のスウィフトと同じことである。かう云ふ早熟の天才の例は勿論世界中に稀ではない。クリストの父母は彼を見つけ、「さんざんお前を探(さが)してゐた」と言つた。すると彼は存外平氣に「どうしてわたしを尋ねるのです。わたしはわたしのお父さんのことを務めなければなりません」と答へた。「されど兩親は其(その)語(かた)れる事を曉(さと)らず」と云ふのも恐らくは事實に近かつたであらう。けれども我々を動かすのは「其(その)母(はは)これらの凡(すべて)の事を心に藏(と)めぬ」と云ふ一節である。美しいマリアはクリストの聖靈の子供であることを承知してゐた。この時のマリアの心もちはいぢらしいと共に哀れである。マリアはクリストの言葉の爲にヨセフに恥ぢなければならなかつたであらう。それから彼女自身の過去も考へなければならなかつたであらう。最後に――或は人氣(ひとけ)のない夜中(よなか)に突然彼女を驚かした聖靈の姿も思ひ出したかも知れない。「人の皆無、仕事は全部」と云ふフロオベルの氣もちは幼いクリストの中にも漲つてゐる。しかし大工の妻だつたマリアはこの時も薄暗い「涙の谷」に向かひ合はなければならなかつたであらう。
9 クリストの確信
クリストは彼のジヤアナリズムのいつか大勢の讀者の爲に持て囃(はや)されることを確信してゐた。彼のジヤアナリズムに威力のあつたのはかう云ふ確信のあつた爲である。從つて彼は又最期の審判の、――即ち彼のジヤアナリズムの勝ち誇ることも確信してゐた。尤もかう云ふ確信も時々は動かずにゐなかつたであらう。しかし大體はこの確信のもとに自由に彼のジヤアナリズムを公けにした。「一人の外に善者(よきもの)はなし、即ち神なり」――それは彼の心の中を正直に語(かた)つたものだつたであらう。しかしクリストは彼自身も「善(よ)き者(もの)」でないことを知りながら、詩的正義の爲に戰ひつづけた。この確信は事實となつたものの、勿論彼の虚榮心である。クリストも亦あらゆるクリストたちのやうにいつも未來を夢みてゐた超阿呆(ちやうあほう)の一人だつた。若し超人と云ふ言葉に對して超阿呆と云ふ言葉を造るとすれば、………
10 ヨハネの言葉
「世の罪を負ふ神の仔羊(こひつじ)を觀よ。我に後(おく)れ來(きた)らん者は我よりも優れる者なり。」――バプテズマのヨハネはクリストを見、彼のまはりにゐた人々にかう話したと傳へられてゐる。壁の上にストリントベリイの肖像を掲(かか)げ、「ここにわたしよりも優(すぐ)れたものがゐる」と言つた、逞しいイブセンの心もちはヨハネの心もちに近かつたであらう。そこに茨(いばら)に近い嫉妬よりも寧ろ薔薇の花に似た理解の美しさを感じるばかりである。かう云ふ年少のクリストのどの位天才的だつたかは言はずとも善[やぶちゃん注:「よ」と読んでいると思われる。以下の「善い」も同様と判断されたい。]い。しかしヨハネもこの時にはやはり最も天才的だつたであらう。丁度丈(たけ)の高いヨルダンの蘆のゆららかに星を撫でてゐるやうに。………
11 或時のクリスト
クリストは十字架にかかる前に彼の弟子たちの足を洗つてやつた。「ソロモンよりも大いなるもの」を以てみづから任じてゐたクリストのかう云ふ謙遜を示したのは我々を動かさずには措かないのである。それは彼の弟子たちに教訓を與へる爲ではない。彼も彼等と變らない「人の子」だつたことを感じた爲におのづからかう云ふ所業をしたのであらう。それはヨハネのクリストを見て「神の仔羊を觀よ」と言つたのよりも壯嚴である。平和に至る道は何びともクリストよりもマリアに學ばなければならぬ。マリアは唯この現世を忍耐して歩いて行つた女人である。(カトリツク教はクリストに達する爲にマリアを通(つう)じるのを常(つね)としてゐる。それは必しも偶然ではない。直ちにクリストに達しようとするのは人生ではいつも危險である。)或はクリストの母だつたと云ふ以外に所謂ニウス・ヴァリユウのない女人である。弟子たちの足さへ洗つてやつたクリストは勿論マリアの足もとにひれ伏したかつたことであらう。しかし彼の弟子たちはこの時も彼を理解しなかつた。
「お前たちはもう綺麗になつた。」
それは彼の謙遜の中に死後に勝ち誇る彼の希望(或は彼の虚榮心)の一つに溶け合つた言葉である。クリストは事實上逆説的にも正にこの瞬間には彼等に劣つてゐると同時に彼等に百倍するほどまさつてゐた。
12 最大の矛盾
クリストの一生の最大の矛盾は彼の我々人間を理解してゐたにも關らず彼自身を理解出來なかつたことである。彼は庭鳥の啼く前にペテロさへ三度クリストを知らないと云ふことを承知してゐた。彼の言葉はその外にも如何に我々人間の弱いかと云ふことを教へてゐる。しかも彼は彼自身もやはり弱いことを忘れてゐた。クリストの一生を背景にしたクリスト教を理解することはこの爲に一々彼の所業を「豫言者X・Y・Zの言葉に應(かな)はせん爲なり」と云ふ詭辯を用ひなければならなかつた。のみならず畢にかう云ふ詭辯の古い貨幣になつた後はあらゆる哲學や自然科學の力を借りなければならなかつた。クリスト教は畢竟クリストの作つた教訓主義的な文藝に過ぎない。若し彼の(クリストの)ロマン主義的な色彩を除けば、トルストイの晩年の作品はこの古代の教訓主義的な作品に最も近い文藝であらう。
13 クリストの言葉
クリストは彼の弟子たちに「わたしは誰[やぶちゃん注:「たれ」と読んでいると思われる。]か?」と問ひかけてゐる。この問に答へることは困難ではない。彼はジヤアナリストであると共にジヤアナリズムの中の人物――或は「譬喩(ひゆ)」と呼ばれてゐる短篇小説の作者だつたと共に、「新約全書」と呼ばれてゐる小説的傳記の主人公だつたのである。我々は大勢のクリストたちの中にもかう云ふ事實を發見するであらう。クリストも彼の一生を彼の作品の索引につけずにはゐられない一人(ひとり)だつた。
14 孤 身
「イエス……家に入りて人に知られざらん事を願ひしが隱れ得ざりき。」――かう云ふマコの言葉は又他の傳記作者の言葉である。クリストは度たび隱れようとした。が、彼のジヤアナリズムや奇蹟は彼に人々を集まらせてゐた。彼のイエルサレムへ赴いたのもペテロの彼を「メシア」と呼んだ影響も全然ないことはない。しかしクリストは十二の弟子たちよりも或は橄欖の林だの岩(いは)の山(やま)などを愛したであらう。しかもジヤアナリズムや奇蹟を行つたのは彼の性格の力である。彼はここでも我々のやうに矛盾せずにはゐられなかつた。けれどもジヤアナリストとなつた後、彼の孤身(こしん)を愛したのは疑ひのない事實である。トルストイは彼の死ぬ時に「世界中に苦しんでゐる人々は澤山ある。それをなぜわたしばかり大騷ぎをするのか?」と言つた。この名聲の高まると共に自ら安じない心もちは我々にも決してない訣ではない。クリストは名高いジヤアナリストになつた。しかし時々大工(だいく)の子だつた昔を懷がつてゐたかも知れない。ゲエテはかう云ふ心もちをフアウスト自身に語(かた)らせてゐる。フアウストの第二部の第一幕は實にこの吐息(といき)の作つたものと言つても善い。が、フアウストは幸ひにも艸花(くさばな)の咲いた山の上に佇んでゐた。………
15 クリストの歎聲
クリストは比喩を話した後、「どうしてお前たちはわからないか?」と言つた。この歎聲も亦度たび繰り返されてゐる。それは彼ほど我々人間を知り、彼ほどボヘミア的生活をつづけたものには或は滑稽に見えるであらう。しかし彼はヒステリツクに時々かう叫ばずにはゐられなかつた。阿呆たちは彼を殺した後、世界中に大きい寺院を建ててゐる。が、我々はそれ等の寺院にやはり彼の歎聲を感ずるであらう。「どうしてお前たちはわからないか?」――それはクリストひとりの歎聲ではない。後代にも見じめに死んで行つた、あらゆるクリストたちの歎聲である。
16 サドカイの徒やパリサイの徒
サドカイの徒やパリサイの徒はクリストよりも事實上不滅である。この事實を指摘したのは「進化論」の著者ダアウィンだつた。彼等は今後も地衣類(ちいるい)のやうにいつまでも地上に生存するであらう。「適者生存」は彼等には正に當嵌まる言葉である。彼等ほど地上の適者はない。彼等は何の感激もなしに油斷のない處世術を講じてゐる。マリアは恐らくクリストの彼等の一人(ひとり)でなかつたことを悲しんだであらう。ゲエテをベエトホオヴエンの罵つたのは正にゲエテ自身の中にゐるサドカイの徒やパリサイの徒を罵つたのだつた。
17 カ ヤ パ
祭司(さいし)の長(をさ)だつたカヤパにも後代(こうだい)の憎しみは集つてゐる。彼はクリストを憎んでゐたであらう。が、必しもこの憎しみは彼一人(ひとり)にあつた訣ではない。唯彼を推し立てることのクリストを憎み或は妬んだ大勢の人々に便利だつたからである。カヤパはきららに袍[やぶちゃん注:「はう」と読む。]を着下(くだ)し、冷かにクリストを眺めてゐたであらう。現世はそこにピラトと共に意氣地のない精霊[やぶちゃん注:「聖靈」の誤記であろう。]の子供を嘲つてゐる。燃えさかる松明(たいまつ)の光りの中に。………
18 二人の盜人たち
クリストの死の不評判だつたことは彼の十字架にかかる時にも盜人(ぬすびと)たちと一しよだつたのに明らかである。盜人(ぬすびと)たちの一人(ひとり)はクリストを罵ることを憚らなかつた。彼の言葉は彼自身の中にやはり人生の爲に打ち倒されたクリストを見出したことを示してゐる。しかしもう一人の盜人は彼よりも更に妄想(まうざう)を持つてゐた。クリストはこの盜人の言葉に彼の心を動かしたであらう。この盜人を慰めた彼の言葉は同時に又彼自身を慰めてゐる。
「お前はお前の信仰の爲に必ず天國にはひるであらう。」
後代はこの盜人に彼等の同情を示してゐる。が、もう一人の盜人には、――クリストを罵つた盜人には輕蔑を示してゐるのに過きない。それは正にクリストの教へた詩的正義の勝利を示すものであらう。が、彼等は、――サドカイの徒(と)やパリサイの徒は今日(こんにち)でも私(ひそ)かにこの盜人に賛成してゐる。事實上天國にはひることは彼等には無花果(いちじく)や眞桑瓜の汁を啜るほど重大ではない。
19 兵卒たち
兵卒たちは十字架の下にクリストの衣(ころも)を分(わか)ち合つた。彼等には彼の衣の外(ほか)に彼の持つてゐたものは見えなかつたのである。彼等は定めし肩幅の廣い模範的兵卒たちだつたのに違ひない。クリストは定めし彼等を見おろし、彼等の所業を輕蔑したであらう。しかし又同時に是認(ぜにん)したであらう。クリストはクリスト自身の外には我々人間を理解してゐる。彼の教へた言葉によれば、感傷主義的詠嘆は最もクリストの嫌つたものだつた。
20 受 難
十字架にかかつたクリストは多少の虚榮心を持つてゐたものの、彼の肉體的苦痛と共に精神的苦痛にも襲はれたであらう。殊に十字架を見守つてゐたマリアを眺めることは苦しかつた訣である。が、彼は「エリ、エリ、ラマサバクタニ」と云ふ必死の聲を擧げた後も(たとひそれは彼の愛する讚美歌の一節だつたにもせよ)彼の息の絶える前には何かおほ聲を發してゐた。我々はこのおほ聲の中に或は唯死に迫つた力を感ずるばかりであらう。しかしマタイの言葉によれば、「殿[やぶちゃん注:「みや」と読む。]の幔(まく)上(うへ)より下まで裂けて二つになり、又地震(ふる)ひて岩裂け、墓ひらけて既に寐(い)ねたる聖徒の身多く甦(よみがへ)」つた。彼の死は確かに大勢の人々にかう云ふシヨツクを與へたであらう。(マリアの腦貧血を起したことを記してゐないのは新約聖書の威嚴を尊んだからである。)クリストの一言一行に永遠の註釋を與へてゐるパピニさへこの事實はマタイを引いてゐるのに過ぎない。彼自身を欺いてゐるパピニの詩的情熱はそこにも亦馬脚(ばきやく)を露してゐる。クリストの死は事實上彼の豫言者的天才を妄信した人々には――彼自身の中にエリヤを見た人々には餘りに我々に近いものだつた。從つて又炎の車に乘つて天上に去るよりも恐しかつた。彼等は唯その爲にシヨツクを受けずにはゐなかつたのである。しかし年をとつた祭司たちはこのシヨツクに欺かれはしなかつたであらう。
「それ見たことか!」
彼等の言葉はイエルサレムからニウヨウクや東京へも傳はつてゐる。イエルサレムを圍んだ橄欖(かんらん)の山々を最も散文的に飛び超えながら。
21 文化的なクリスト
クリストの弟子たちに理解されなかつたのは彼の餘りに文化人だつた爲である。(彼の天才を別にしても。)彼等は大體(だいたい)は少くとも彼に奇蹟を求めてゐた。哲學の盛んだつた摩伽陀國の王子はクリストよりも奇蹟を行はなかつた。それはクリストの罪よりも寧ろユダヤの罪である。彼はロオマの詩人たちにも遜(ゆづ)らない第一流のジヤアナリストだつた。同時に又彼の愛國的精神さへ抛[やぶちゃん注:「なげう」と読む。]つて顧みない文化人だつた。(マコはクリスト傳第七章二五以下にこの事實を記してゐる。)バプテズマのヨハネは彼の前には駱駝の毛衣や蝗や野蜜に野人の面目を露してゐる。クリストはヨハネの言つたやうに洗禮に唯聖靈を用ひてゐた。のみならず彼の洗禮(?)を受けたのは十二人の弟子たちの外にも賣笑婦や税吏(みつぎとり)や罪人だつた。我々はかう云ふ事實にもおのづから彼に柔い心臟のあつたのを見出すであらう。彼は又彼の行つた奇蹟の中に度たび細かい神經を示してゐる。文化的なクリストは十字架の上に最も野蠻な死を遂(と)げるやうになつた。しかし野蠻なバプテズマのヨハネは文化的なサロメの爲に盆の上に頭をのせられてゐる。運命はここにも彼等の爲に逆説的な惡戲を忘れなかつた。………
[やぶちゃん注:「摩伽陀國の王子」は芥川の誤り。芥川はここで釈迦のことを指して言っているが、摩伽陀(マカダ)国は釈迦の修行の地ではあったが、同国の王子ではなく、迦毘羅(カビラ)国の王子である。]
22 貧しい人たちに
クリストのジヤアナリズムは貧しい人たちや奴隷を慰めることになつた。それは勿論天國などに行かうと思はない貴族や金持ちに都合の善かつた爲もあるであらう。しかし彼の天才は彼等を動かさずにはゐなかつたのである。いや、彼等ばかりではない。我々も彼のジヤアナリズムの中に何か美しいものを見出してゐる。何度叩いても開かれない門のあることは我々も亦知らないわけではない。狹い門からはひることもやはり我々には必しも幸福ではないことを示してゐる。しかし彼のジヤアナリズムはいつも無花果(いちじく)のやうに甘みを持つてゐる。彼は實にイスラエルの民(たみ)の生(う)んだ、古今に珍らしいジヤアナリストだつた。同時に又我々人間の生んだ、古今に珍らしい天才だつた。「豫言者」は彼以後には流行してゐない。しかし彼の一生はいつも我々を動かすであらう。彼は十字架にかかる爲に、――ジヤアナリズム至上主義を推し立てる爲にあらゆるものを犧牲にした。ゲエテは婉曲にクリストに對する彼の輕蔑を示してゐる。丁度後代のクリストたちの多少はゲエテを嫉妬してゐるやうに。――我々はエマヲの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。