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[やぶちゃん注:大正十一(1922)年八月発行の雑誌『表現』に掲載され、後に『春服』等に所収。底本は岩波版旧全集を用いたが、底本は総ルビなので、読みの振れるもの以外は省略した。最後に、オリジナルに作成した『芥川龍之介が原典とした「今昔物語集」中の三話本文』を掲げ、比較鑑賞に供した。]

 

六の宮の姫君   芥川龍之介

 

       一

 

 六の宮の姫君の父は、古い宮腹の生れだつた。が、時勢にも遲れ勝ちな、昔氣質の人だつたから、官も兵部大輔(ひやうぶのだいふ)より昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母と一しよに、六の宮のほとりにある、木高い屋形に住まつてゐた。六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前に據つたのだつた。

 父母(ちちはは)は姫君を寵愛した。しかしやはり昔風に、進んでは誰にもめあはせなかつた。誰(たれ)か云ひ寄る人があればと、心待ちに待つばかりだつた。姫君も父母の教へ通り、つつましい朝夕を送つてゐた。それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生涯だつた。が、世間見ずの姫君は、格別不滿も感じなかつた。「父母さへ達者でゐてくれれば好(い)い。」――姫君はさう思つてゐた。

 古い池に枝垂れた櫻は、年毎に乏しい花を開いた。その内に姫君も何時の間にか、大人寂びた美しさを具へ出した。が、頼みに思つた父は、年頃酒を過ごした爲に、突然故人になつてしまつた。のみならず母も半年ほどの内に、返らない歎きを重ねた揚句、とうとう父の跡を追つて行つた。姫君は悲しいと云ふよりも、途方に暮れずにはゐられなかつた。實際ふところ子の姫君にはたつた一人の乳母の外に、たよるものは何もないのだつた。

 乳母はけなげにも姫君の爲に、骨身を惜まず働き續けた。が、家に持ち傳へた螺鈿の手筥(てばこ)や白がねの香爐は、何時(いつ)か一つづつ失はれて行つた。と同時に召使ひの男女も、誰からか暇をとり始めた。姫君にも暮らしの辛い事は、だんだんはつきりわかるやうになつた。しかしそれをどうする事も、姫君の力には及ばなかつた。姫君は寂しい屋形の對(たい)に、やはり昔と少しも變らず、琴を引いたり歌を詠んだり、單調な遊びを繰返してゐた。

 すると或秋の夕ぐれ、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。

「甥の法師の頼みますには、丹波の前司なにがしの殿が、あなた樣に會はせて頂きたいとか申して居(ゐ)るさうでございます。前司はかたちも美しい上、心ばへも善いさうでございますし、前司の父も受領(ずりやう)とは申せ、近い上達部の子でもございますから、お會ひになつては如何でございませう? かやうに心細い暮しをなさいますよりも、少しは益(ま)しかと存じますが……」

 姫君は忍び音に泣き初めた。その男に肌身を任せるのは、不如意な暮しを扶ける爲に、體を賣るのも同樣だつた。勿論それも世の中には多いと云ふ事は承知してゐた。が、現在さうなつて見ると、悲しさは又格別だつた。姫君は乳母と向き合つた儘、葛の葉を吹き返す風の中に、何時までも袖を顏にしてゐた。…………

 

       二

 

 しかし姫君は何時の間にか、夜毎に男と會ふやうになつた。男は乳母の言葉通りやさしい心の持ち主だつた。顏かたちもさすがにみやびてゐた。その上姫君の美しさに、何も彼(か)も忘れてゐる事は、殆ど誰の目にも明らかだつた。姫君も勿論この男に、惡い心は持たなかつた。時には頼もしいと思ふ事もあつた。が、蝶鳥(てふとり)の几帳を立てた陰に、燈臺の光を眩しがりながら、男と二人むつびあふ時にも、嬉しいとは一夜も思はなかつた。

 その内に屋形は少しづつ、花やかな空氣を加へ初めた。黒棚や簾も新たになり、召使ひの數も殖えたのだつた。乳母は勿論以前よりも、活き活きと暮しを取り賄つた。しかし姫君はさう云ふ變化も、寂しさうに見てゐるばかりだつた。

 或時雨の渡つた夜、男は姫君と酒を酌みながら、丹波の國にあつたと云ふ、氣味の惡い話をした。出雲路へ下る旅人が大江山の麓に宿を借りた。宿の妻は丁度その夜、無事に女の子を産み落した。すると旅人は産家(うぶや)の中から、何とも知れぬ大男が、急ぎ足に外へ出て來るのを見た。大男は唯「年は八歳、命(めい)は自害」と云ひ捨てたなり、忽ち何處かへ消えてしまつた。旅人はそれから九年目に、今度は京へ上る途中、同じ家に宿つて見た。所が實際女の子は、八つの年に變死してゐた。しかも木から落ちた拍子に、鎌を喉へ突き立ててゐた。――話は大體かう云ふのだつた。姫君はそれを聞いた時に、宿命のせんなさに脅された。その女の子に比べれば、この男を頼みに暮してゐるのは、まだしも仕合せに違ひなかつた。「なりゆきに任せる外はない。」――姫君はさう思ひながら、顏だけはあでやかにほほ笑んでゐた。

 屋形の軒に當つた松は、何度も雪に枝を折られた。姫君は晝は昔のやうに、琴を引いたり雙六を打つたりした。夜は男と一つ褥に、水鳥の池に下りる音を聞いた。それは悲しみも少いと同時に、喜びも少い朝夕だつた。が、姫君は不相變、この懶(ものう)い安らかさの中に、はかない滿足を見出してゐた。

 しかしその安らかさも、思ひの外急に盡きる時が來た。やつと春の返つた或夜、男は姫君と二人になると、「そなたに會ふのも今宵ぎりぢや」と、云ひ惡くさうに口を切つた。男の父は今度の除目に、陸奧の守に任ぜられた。男もその爲に雪の深い奧へ、一しよに下らねばならなかつた。勿論姫君と別れるのは、何よりも男には悲しかつた。が、姫君を妻にしたのは、父にも隱してゐたのだから、今更打ち明ける事は出來惡かつた。男はため息をつきながら、長々とさう云ふ事情を話した。

「しかし五年たてば任終(にんはて)ぢや。その時を樂しみに待つてたもれ。」

 姫君はもう泣き伏してゐた。たとひ戀しいとは思はぬまでも、頼みにした男と別れるのは、言葉には盡せない悲しさだつた。男は姫君の背を撫でては、いろいろ慰めたり勵ましたりした。が、これも二言目には、涙に聲を曇らせるのだつた。

 其處へ何も知らない乳母は、年の若い女房たちと、銚子や高坏(たかつき)を運んで來た。古い池に枝垂れた櫻も、蕾を持つた事を話しながら。……

 

       三

 

 六年目の春は返つて來た。が、奧へ下つた男は、遂に都へは歸らなかつた。その間に召使ひは一人も殘らず、ちりぢりに何處かへ立ち退(の)いてしまふし、姫君の住んでゐた東の對も或年の大風に倒れてしまつた。姫君はそれ以來乳母と一しよに侍の廊(ほそどの)を住居にしてゐた。其處は住居と云ふものの、手狹でもあれば住み荒してもあり、僅に雨露の凌げるだけだつた。乳母はこの廊へ移つた當座、いたはしい姫君の姿を見ると、涙を落さずにはゐられなかつた。が、又或時は理由もないのに、腹ばかり立ててゐる事があつた。

 暮しのつらいのは勿論だつた。棚の廚子はとうの昔、米や青菜に變つてゐた。今では姫君の袿(うちぎ)や袴も身についてゐる外は殘らなかつた。乳母は焚き物に事を缺けば、立ち腐れになつた寢殿へ、板を剥ぎに出かける位だつた。しかし姫君は昔の通り、琴や歌に氣を晴らしながら、ぢつと男を待ち續けてゐた。

 するとその年の秋の月夜、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。

「殿はもう御歸りにはなりますまい。あなた樣も殿の事は、お忘れになつては如何でございませう。就てはこの頃或典藥之助(てんやくのすけ)が、あなた樣にお會はせ申せと、責め立てて居(ゐ)るのでございますが、……」

 姫君はその話を聞きながら、六年以前の事を思ひ出した。六年以前には、いくら泣いても、泣き足りない程悲しかつた。が、今は體も心も餘りにそれには疲れてゐた。「唯靜かに老い朽ちたい。」……その外は何も考へなかつた。姫君は話を聞き終ると、白い月を眺めたなり、懶げにやつれた顏を振つた。

「わたしはもう何も入らぬ。生きようとも死なうとも一つ事ぢや。……」

        *   *   *   *   *

 丁度これと同じ時刻、男は遠い常陸の國の屋形に、新しい妻と酒を斟(く)んでゐた。妻は父の目がねにかなつた、この國の守(かみ)の娘だつた。

「あの音は何ぢや?」

 男はふと驚いたやうに、靜かな月明りの軒を見上げた。その時なぜか男の胸には、はつきり姫君の姿が浮んでゐた。

「栗の實が落ちたのでございませう。」

 常陸の妻はさう答へながら、ふつつかに銚子の酒をさした。

 

       四

 

 男が京へ歸つたのは、丁度九年目の晩秋だつた。男と常陸の妻の族(うから)と、――彼等は京へはひる途中、日がらの惡いのを避ける爲に、三四日粟津に滯在した。それから京へはひる時も、晝の人目に立たないやうに、わざと日の暮を選ぶ事にした。男は鄙にゐる間も、二三度京の妻のもとへ、懇ろな消息をことづけてやつた。が、使が歸らなかつたり、幸ひ歸つて來たと思へば、姫君の屋形がわからなかつたり、一度も返事は手に入らなかつた。それだけに京へはひつたとなると、戀しさも亦一層(ひとしほ)だつた。男は妻の父の屋形へ無事に妻を送りこむが早いか、旅仕度も解かずに六の宮へ行つた。

 六の宮へ行つて見ると、昔あつた四足の門も、檜皮葺きの寢殿や對も、悉く今はなくなつてゐた。その中に唯殘つてゐるのは、崩れ殘りの築土(ついぢ)だけだつた。男は草の中に佇んだ儘、茫然と庭の跡を眺めまはした。其處には半ば埋もれた池に、水葱(なぎ)が少し作つてあつた。水葱はかすかな新月の光に、ひつそりと葉を簇(むらが)らせてゐた。

 男は政所と覺しいあたりに、傾いた板屋のあるのを見つけた。板屋の中には近寄つて見ると、誰か人影もあるらしかつた。男は闇を透かしながら、そつとその人影に聲をかけた。すると月明りによろぼひ出たのは、何處か見覺えのある老尼だつた。

 尼は男に名のられると、何も云はずに泣き續けた。その後やつと途切れ途切れに、姫君の身の上を話し出した。

「御見忘れでもございませうが、手前は御内に仕へて居つた、はした女の母でございます。殿がお下りになつてからも、娘はまだ五年ばかり、御奉公致して居りました。が、その内に夫と共々、但馬へ下る事になりましたから、手前もその節娘と一しよに、御暇(おいとま)を頂いたのでございます。所がこの頃姫君の事が、何かと心にかかりますので、手前一人京へ上つて見ますと、御覽の通り御屋形も何もなくなつて居(ゐ)るのでごさいませんか? 姫君も何處へいらつしやつた事やら、――實は手前もさき頃から、途方に暮れて居るのでございます。殿は御存知もございますまいが、娘が御奉公申して居つた間も、姫君のお暮しのおいたはしさは、申しやうもない位でございました。……」

 男は一部始終を聞いた後(のち)、この腰の曲つた尼に、下(した)の衣を一枚脱いで渡した。それから頭を垂れた儘、默然と草の中を歩み去つた。

 

       五

 

 男は翌日から姫君を探しに、洛中を方々歩きまはつた。が、何處へどうしたのか、容易に行き方はわからなかつた。

 すると何日か後(のち)の夕ぐれ、男はむら雨を避ける爲に、朱雀門の前にある、西の曲殿(きよくでん)の軒下に立つた。其處にはまだ男の外にも、物乞ひらしい法師が一人、やはり雨止(あまや)みを待ちわびてゐた。雨は丹塗りの門の空に、寂しい音を立て續けた。男は法師を尻目にしながら、苛立たしい思ひを紛らせたさに、あちこち石疊みを歩いてゐた。その内にふと男の耳は、薄暗い窓の櫺子(れんじ)の中に、人のゐるらしいけはひを捉へた。男は殆ど何の氣なしに、ちらりと窓を覗いて見た。

 窓の中には尼が一人、破れた筵(むしろ)をまとひながら、病人らしい女を介抱してゐた。女は夕ぐれの薄明りにも、無氣味な程痩せ枯れてゐるらしかつた。しかしその姫君に違ひない事は、一目見ただけでも十分だつた。男は聲をかけようとした。が、淺ましい姫君の姿を見ると、なぜかその聲が出せなかつた。姫君は男のゐるのも知らず、破れ筵の上に寢反りを打つと、苦しさうにこんな歌を詠んだ。

「たまくらのすきまの風もさむかりき、身はならはしのものにざりける。」

 男はこの聲を聞いた時、思はず姫君の名前を呼んだ。姫君はさすがに枕を起した。が、男を見るが早いか、何かかすかに叫んだきり、又筵の上に俯伏(うつぶ)してしまつた。尼は、――あの忠實な乳母は、其處へ飛びこんだ男と一しよに、慌てて姫君を抱き起した。しかし抱き起した顏を見ると、乳母は勿論男さへも、一層慌てずにはゐられなかつた。

 乳母はまるで氣の狂つたやうに、乞食法師のもとへ走り寄つた。さうして、臨終の姫君の爲に、何なりとも經を讀んでくれと云つた。法師は乳母の望み通り、姫君の枕もとへ座を占めた。が、經文を讀誦(どくじゆ)する代りに、姫君へかう言葉をかけた。

「往生は人手に出來るものではござらぬ。唯御自身怠らずに、阿彌陀佛の御名(みな)をお唱へなされ。」

 姫君は男に抱かれた儘、細ぼそと佛名を唱へ出した。と思ふと恐しさうに、ぢつと門の天井を見つめた。

「あれ、あそこに火の燃える車が、……」

「そのやうな物にお恐れなさるな。御佛さへ念ずればよろしうござる。」

 法師はやや聲を勵ました。すると姫君は少時(しばらく)の後(のち)、又夢うつつのやうに呟き出した。

「金色の蓮華が見えまする。天蓋のやうに大きい蓮華が、……」

 法師は何か云はうとしたが、今度はそれよりもさきに、姫君が切れ切れに口を開いた。

「蓮華はもう見えませぬ。跡には唯暗い中に風ばかり吹いて居りまする。」

「一心に佛名を御唱へなされ。なぜ一心に御唱へなさらぬ?」

 法師は殆ど叱るやうに云つた。が、姫君は絶え入りさうに、同じ事を繰り返すばかりだつた。

「何も、――何も見えませぬ。暗い中に風ばかり、――冷たい風ばかり吹いて參りまする。」

 男や乳母は涙を呑みながら、口の内に彌陀を念じ續けた。法師も勿論合掌した儘、姫君の念佛を扶けてゐた。さう云ふ聲の雨に交る中に、破れ筵を敷いた姫君は、だんだん死に顏に變つて行つた。……

 

       六

 

 それから何日か後の月夜、姫君に念佛を勸めた法師は、やはり朱雀門の前の曲殿に、破れ衣の膝を抱へてゐた。すると其處へ侍が一人、悠々と何か歌ひながら、月明りの大路を歩いて來た。侍は法師の姿を見ると、草履の足を止めたなり、さりげないやうに聲をかけた。

「この頃この朱雀門のほとりに、女の泣き聲がするさうではないか?」

 法師は石疊みに蹲まつた儘、たつた一言返事をした。

「お聞きなされ。」

 侍はちよつと耳を澄ませた。が、かすかな蟲の音(ね)の外は、何一つ聞えるものもなかつた。あたりには唯松の匀が、夜氣に漂つてゐるだけだつた。侍は口を動かさうとした。しかしまだ何も云はない内に、突然何處からか女の聲が、細そぼそと歎きを送つて來た。

 侍は太刀に手をかけた。が、聲は曲殿の空に、一しきり長い尾を引いた後、だんだん又何處かへ消えて行つた。

「御佛を念じておやりなされ。――」

 法師は月光に顏を擡(もた)げた。

「あれは極樂も地獄も知らぬ、腑甲斐ない女の魂でござる。御佛を念じておやりなされ。」

 しかし侍は返事もせずに、法師の顏を覗きこんだ。と思ふと驚いたやうに、その前へいきなり兩手をついた。

「内記の上人ではございませんか? どうして又このやうな所に――」

 在俗の名は慶滋の保胤、世に内記の上人と云ふのは、空也上人の弟子の中にも、やん事ない高徳の沙門だつた。

 

[以上、芥川龍之介「六の宮の姫君」了]

■芥川龍之介が原典とした「今昔物語集」中の三話本文

[やぶちゃん注:以下は、芥川龍之介がこの「六の宮の姫君」の原典とした「今昔物語集」の三つの原話である。最初に提示した「巻第十九 六宮姫君夫出家語(ろくのみやのひめぎみのおうとしゆつけすること)第五」がメイン・ストーリーであり、次の「巻第十五 造惡業人最後唱念佛往生(あくごうをつくるひとさいごにねんぶつをとなへてわうじやうすること)語第卌七」が、悲劇に変質させた形で姫君の末期に使用され、最後の「巻第二十六 東下者宿人家値産語(あづまにくだるものひとのいへにやどりてさんにあふこと)第十九」は、男の話の中に現れる不吉な挿話である。底本には岩波書店刊の日本古典文学大系版を用い、それを小学館刊の日本古典文学全集で補正し、一部の漢字を通用体に直した。□は欠字を示す。但し、読みは難読部分のみに限った。表記できない漢字は該当部分に※を示し、直後に字注を入れた。]

 

今昔物語集 巻第十九 六宮姫君夫出家語第五

 
 今昔、六ノ宮ト云フ所ニ住ケル舊キ宮原ノ子ニ、兵部ノ大輔□□ト云フ人有ケリ。心□□ニシテ舊メカシケレバ世ニ指出(さしいで)モ不爲デ、父ノ宮ノ家ノ、木高クシテ大ナルニ、荒(あ)バレ殘リタル東ノ對ニゾ住ケル。年ハ五十餘ニ成ヌルニ、娘一人有ケリ。年十餘歳許ニテ、形チ美麗ニシテ髮ヨリ始メテ姿・樣躰此ハ弊(つたな)シト見ル所无シ。心バヘ嚴(いづくしく)シテ氣ハヒ勞タシ。此ク微妙(みめう)ナレバ、可然キ君達ナドニモ合セタラムニ、露愚ニ可思ニ非ズ。此ク美麗ナレドモ、世ニ人不知ザリケレバ、殊ニ云ハスル人モ无マヽニ、「何(いか)デカ進テモ云ハム、云フ人有ラバコソ」ト舊メカシク思ヒ靜メテゾ有ケル。「高キ翔(ふるま)ヒモ令爲(せしめ)バヤ」ト思ヒケレド、父貧キ身ニテ思ヒ不懸ズ。然レバ父モ母モ心ニ懸テ、只二人ノ中ニ臥セテ、教フル事ナム有ケル。乳母ノ心ハ打チ解クモ无シ、相思可キ兄弟モ无シ。然レバ後メタ无ク思フ事无限シ。只父母、此ヲ歎キ泣ヨリ外ノ事无シ。

 而ル間、父モ母モ墓无ク打次キ失ケレバ、姫君ノ心只思ヒ可遣ベシ、哀ニ悲シク置所无ク思ユル事譬ヘム方无シ。月日漸ク過テ服ナドモ脱(ぬぎ)ツ。父母ノ※[やぶちゃん字注:※=日+(着-目+日)]暮(あけく)レ後メタ无キ者ニ宣(のたま)ヒシカバ、乳母ニモ不被打解ズ。只何トモ无クテ年來(としごろ)ヲ經ル程ニ、可然キ調度共數(あまた)傳ヘ得タリケルモ、乳母墓无ク漸ク仕ヒ失テケリ。然レバ姫君モ、可有クモ无クテ、心細ク悲シク思ユル事无限シ。

 而ル間、乳母ノ云ク、「己ガ兄弟(せうと)ニテ侍ル僧ニ付テ令云メ侍ル也。□□ノ前司ノ年廾餘歳許ナルガ、形モ美麗ニ心バヘモ直(うるは)シキ御(おは)ス也、父モ只今受領ナレドモ、近キ上達部ノ子ナレバ□□人也。其レガ此ク御スヲ聞テ令云メ侍ル也。通ヒ給ハムニ苟(いやし)カルベキ人ニモ非ズ。『此ク心細クテ御スヨリモ吉キ事』トナム思ヒ給ル」ト。姫君此ヲ聞テ髮ヲ振懸テ、泣ヨリ外ノ事无シ。其ノ後、乳母度々消息取リ傳ト云ヘドモ、姫君ミ見モ不入ネバ、若キ女房ナドノ有ルニ、姫君ノ御文ト思シク返事ヲ令書メツツ遣ル。如此クシテ度々ニ成ヌレバ、其ノ日ト定メテ既ニ來リ始メヌレバ、云フ甲斐无クテ通ヒ行(あり)ク。女ノ有樣ノ此ク微妙ケレバ、男コ志ヲ盡シテ思タルモ理也。男モ和纔(さすが)ニ□□人ノ子也ケレバ、氣ヒ有樣モ不弊(つたなから)ズナム有ケル。

 姫君、憑(たの)モシキ人モ无キマヽニ、此ノ人ヲ憑ミテ過ル程ニ、此ノ夫ノ父、陸奧ノ守ニ成ニケリ。春比忩(いそぎ)テ國ニ下ルニ、「男ナレバ京ニ留ルベキ事ニ非ズ」トテ、父ノ共ニ下ニ、妻(め)ヲ見置テ行カム事ノ破无(わり)ク心苦シク思ケレバ、祖(おや)ニ被知テ打チ解タル中ラヒニモ非ネド、相具セムトモ耻クテ不云デ心ニ思碎ケ乍ラ、下ル日ニ成テ深キ契ヲ云ヒ置テ、泣々ク別レテ、夫ハ陸奧ヘ下ヌ。國ニ行着テ後、何シカ消息ク上ゲムト思フニ、※[やぶちゃん字注:※=りっしんべん+遣](たしか)ナル便モ无クテ、歎キ乍ラ過グル間ニ、年月モ過ニケリ。

 任終(にむはて)ノ年忩ギ上ラムト爲ルニ、其ノ時ノ常陸ノ守□□□□ト云フ人、任國ニ有テ花ヤカニテ有ルニ、此ノ陸奧ノ守ノ子ヲ聟ニセムト人ヲ遣(おこ)セテ度々(どど)迎ヘケレド、陸奧ノ守、「極メテ賢キ事也」ト喜テ、子ヲ常陸ニ遣リツ。然レバ、陸奧國ニ五年居テ、常陸ニ三四年有ル間ニ、墓无クシテ七八年ニモ成ヌ。此ノ常陸ノ妻ハ若シテ愛敬付ナドハ有モ、彼ノ京ノ人ニハ可當クモ非ネバ、常ニ心ヲ京遣ツヽ、戀ヒ佗ブト云ドモ甲斐无シ。態(わざ)ト京ニ消息ヲ遣トモ、或ハ不尋得ザル由ヲ云テ消息ヲ持返リ、或ハ使京ニ留テ返事ヲ不持來ズ。

 而ル間、此ノ常陸ノ守、任畢(は)テ上レバ、聟モ同ジク上ボル。道スガラ、破无(わりな)ク思フ程ニ、既ニ粟津ニ着テ、日次(ひついで)惡シトテ二三日居ルニ、中々年來ヨリモ不審(いぶかし)キ事无限シ。京ニ入ル日、晝ハ見苦シトテ、日暮ラシテゾ入ケル。京ニ入ヤ遲キト、妻ヲバ父ノ常陸ノ守ノ家ニ送テ、我ハ旅裝束乍ラ六ノ宮ニ忩ギ行キ見レバ、築地頽(くづれ)乍モ有シニ、皆小屋居ニケリ。四足ノ門ノ有シモ跡形モ无シ、寢殿ノ對ナドノ有(ありし)モ一モ不見ズ、政所屋ニ有シ板屋モ 喎々(ゆがむゆが)ム殘タル。池ハ水モ无クテ※[やぶちゃん字注:※=くさかんむり+忩](なぎ)ト云フ物ヲ作テ池モ不見ズ、可咲(をかし)カリシ木共モ所々切リ失テケリ。此ヲ見ニ、心迷ヒ肝騷テ、其ノ邊(ほとり)ニ知タル者ヤ有ルト令尋レドモ、更ニ知タル人无シ。

 政所屋ノ壞レ殘タル所ニ、纔(わづか)ニ人住ム樣ニ見ユ。寄テ人ヲ呼ベバ、一人ノ尼出タリ。月ノ明キニ見レバ、彼ノ人ノヒスマシ也シ者ノ母ニテ有シ女也ケリ。寢殿ノ柱ノ倒レテ殘タルガ有ルニ、尻ヲ打懸テ、此ノ尼ヲ呼ビ寄セテ、「此ニ住シ給ヒシ人ハ」ト問ヘバ、尼墓々シク云フ事无シ。然レバ、「隱スナメリ」ト思テ、十月(かむなづき)ノ中ノ十日程ナレバ、尼モ糸寒氣ナルニ、男着タル衣ヲ一ツ脱テ與フレバ、尼手ヲ迷(まどは)シテ、「此ハ何ナル人ノ此クハ給フニカ」ト云ヘバ、男、「我ハ然々(しかしか)ノ人ニハ非ズヤ。汝ハ忘ニケルカ。我レハ更ニ不忘ズ」ト云ヘバ、尼此ヲ聞クマヽニ、噎返(むせかへり)テ泣ク事无限シ。

 其後云ク、「『不知ヌ人ノ宣フカ』トテコソ隱シ申ツレ。有ノマヽニ申候ハム。尋ネ奉ラセ給ヘカシ。殿ノ國ニ下セ給ヒテ後一年許ハ、候シ人共モ『御消息ヤ奉ラセ給フ』ト待チ候シニ、掻絶(かきたえて)然ル事モ不候シカバ、『忘レ畢(はて)サセ給ヒニケルナメリ』ト思候シカドモ、自然(おのづか)ラ過シ候ヒシ程ニ、御乳母ノ夫モ二人許有テ失セ給ヒニシカバ、露知リ奉ル人モ不候デ、皆散々ニ罷リ去(の)キ候ヒニキ。寢殿ハ殿ノ内ノ人ノ燒物ニ罷成テ、壞(やぶ)レ候ヒニシカバ倒レ候ニキ。御(おはし)シ對モ只道行ク人ノ壞(こぼ)チ物ニ罷成テ、其レモ一トセノ大風ニ倒レ候ニキ。御前(おほむまへ)ハ侍ノ廊(ろう)ニテナム二三間許ヲ□□テ、御坐(おはしま)ス樣ニモ无クテ居サセ給ヘリシ。尼ハ、『娘メノ夫ニ付テ、但馬ノ國ニ罷下ラムカ、京ニハ誰ニ被養テカハ候ハムズル』ト思テ、但馬ニ罷テ、去年ナム御前ノ御事ノ不審ク思給シカバ、罷リ上テ候ニ、此ク跡形モ无ク殿モ成ニケリ。御前モ御シニケム方モ知リ不奉ネバ、知タル人ニモ付ケ、尼モ尋ネ奉レドモ、更ニ御スラム所ヲ不知ネバ」ト云テ、泣ク事无限シ。男此レヲ聞テ悲キ事无限クシテ返(かへり)ヌ。

 家ニ行タルニ、此ノ人ニ不値(あは)ズシテハ世ニ可有クモ不思ザリケレバ、「只足手ノ向タラム方ニ行テ尋ネム」ト思テ、物詣ノ樣ニテ、藁履(わらぐつ)ヲ着ハキ、笠ヲ着テ所々ヲ尋ネ行クト云ヘバ、更ニ不尋得ザリケレバ、「若(もし)、西京ノ邊ニヤ有ラム」ト思テ、二條ヨリ西樣ニ、大垣ニ副(そひ)テ行ク程ニ、申酉ノ時許ニ掻暗ガリテ、※[やぶちゃん字注:※=雨(あめかんむり)+泉](しぐれ)痛ク降レバ、「朱雀門ノ前ノ西ノ曲殿ニ立隱レム」ト思テ立寄タレバ、連子(れんじ)ノ内ニ人ノ氣ハヒ有リ。和(やは)ラ寄テ臨(のぞ)ケバ莚ノ極テ穢(きたなげ)ナルヲ曳キ迴(めぐら)シテ人二人居タリ。一人ハ年老タル尼也、一人ハ若キ女ノ極テ痩セ枯テ色青ミ影ノ樣ナル、賤シキ樣ナル莚ノ破ヲ敷テ其レニ臥シタリ。牛ノ衣(きぬ)ノ樣ナル布衣(ぬのぎぬ)ヲ着テ、破タル莚ヲ腰ニ曳懸テ、手抛(てまくら)ニシテ臥シタリ。「和纔(さす)カニ此ク賤(あや)シ乍ラ□□□ナル者ヨ」ト見ユ。恠(あや)シク思(おぼゆ)レバ、近ク寄テ吉ク臨ケバ、此ノ失ヒタル人ニ見成(みな)シツ。目モ暗(く)レ心モ騷テ守リ居タル程ニ、此ノ人ノ極テ□□□ニ勞タ氣ナル音(こゑ)ヲ以テ此ク云フ、

  タマクラノスキマノ風モサムカリキミハナラハシノモノニザリケル

ト。此ク云ヲ聞クニ、現(あらは)ニ其ニテ有レバ、奇異(あさまし)ク思ヒ乍ラ、懸タル莚ヲ掻キ開テ、「此ハ何(いか)ニ、此クテハ御(おはし)マシケルヲ、尋ネ奉ルトテ此ク迷ヒ行キツルニ」ト云テ、寄テ抱ケバ、女※[やぶちゃん字注:※=上部に「白」+下部に「ハ」](かほ)ヲ見合セテ、「早ウ遠ク行ニシ人也ケリ」ト思フニ、難堪クヤ有ケム、即チ絶入テ失ニケリ。男暫ハ「生ヤ返ル」ト抱キタリケレドモ、ヤガテ氷(ひ)エ※[やぶちゃん字注:※=やまいだれ+至](すくみ)ニケレバ、此ク見成シテ、其レヨリ家ニモ不行シテ、愛宕護ノ山(やまに)行テ、髻(もとどり)ヲ切テ法師ニ成ニケリ。

 道心發(おこり)ニケレバ、貴ク行ヒテゾ有ケル。出家ハ、于今(いまに)始ヌ機縁有ル事也。

 此ノ事ハ委シク語リ不傳ヘズト云ドモ、萬葉集ニトモ云フ文ニ被注(しるされ)タレバ此ク語リ傳ヘタルトヤ。

 

 

今昔物語集 巻第十五 造惡業人最後唱念佛往生語第卌七

 
 今昔、□□國ニ一(ひとり)ノ人有ケリ、罪ヲ造ルヲ以テ役トセリ、殺生放逸惣(すべ)テ无限シ。

 此クシテ□□□年來ヲ經ル間、人有テ教テ云ク、「罪ヲ造レル人ハ、必ズ地獄ニ墮ル也」ト。


 此ノ人、此ノ事ヲ聞クト云ヘドモ、敢テ不信ズシテ云ク、「『罪ヲ造ル人、地獄ニ墮ツ』ト云ハ極タル虚言(そらごと)也。更ニ然(さ)ル事不有ジ。何ニ依テカ、然ル事有ラム」ト云テ、彌(いよい)ヨ殺生ヲシ、放逸ヲ宗トス。

 而ル間、此ノ人、身ニ重キ病ヲ受テ、日來ヲ經テ既ニ死ナムトス。其ノ時ニ、此ノ人ノ目ニ火ノ車見エケリ。此レヲ見テヨリ後、病人、恐ヂ怖ルヽ事无限クシテ、一人ノ智リ有ル僧ヲ呼テ、問テ云ク、「我レ、年來、罪ヲ造ルヲ以テ役トシテ過ツルニ、人有テ、『罪造ル者ハ地獄ニ墮ツ』ト云テ制セシヲ、『此レ、虚言也』トノミ思テ、罪造ル事ヲ不止ズシテ、今、死ナムト爲ル時ニ臨デ、目ノ前ニ火ノ車來テ、我レヲ迎ヘムトス。然レバ、『罪造ル者、地獄ニ墮ツ』ト云フ事ハ、實ニコソ」。年來不信ザリケル事ヲ悔ヒ悲ビテ、泣ク事无限シ。

 僧、枕上ニ居テ、此レヲ聞テ云ク、「汝ヂ、『罪ヲ造テ地獄ニ墮ツ』ト云フ事ヲ年來不信ズト云ヘドモ、今、火ノ車ノ來ルヲ見テ信ジツヤ」ト。病人ノ云ク、「火ノ車、目ノ前ニ現ジタレバ、深ク信ジツ」ト。僧ノ云ク、「然レバ、彌陀ノ念佛ヲ唱フレバ、必ズ、極樂ニ徃生ス、ト云フ事ヲ信ゼヨ。此レモ、佛ノ説キ教ヘ給ヘル所也」ト。病人、此レヲ聞テ、掌ヲ合テ額ニ充テ、「南无阿彌陀佛」ト※[やぶちゃん字注:※=りっしんべん+遣](たしか)ニ千度唱フルニ、僧、病人ニ問テ云ク、「火ノ車ハ、尚、見ユヤ否ヤ」ト。病人、答ヘテ云ク、「火ノ車ハ忽ニ失ヌ。金色シタル大キナル蓮花一葉ナム、目ノ前ニ見ユル」ト云フマヽニ失ニケリ。其ノ時ニ、僧、涙ヲ流シテ、悲ビ貴ビテ返ニケリ。此レヲ見聞ク人、不貴ズト云フ事无シ。

 此レヲ思フニ、佛ノ説キ給フ所ニ露モ不違ネバ、只、念佛ヲ可唱キ也トナム語リ傳ヘタルトヤ。

 

 

今昔物語集 巻第二十六 東下者宿人家値産語第十九


 今昔、東ノ方ヘ行者有ケリ。何レノ國トハ不知人郷ヲ通ケルニ、日暮ニケレバ、「今夜許ハ此郷ニハ宿セム」ト思テ、小家ノ□□ニ大キヤカニ造テ、稔(にぎ)ハヽシ氣也ケルニ、打寄テ馬ヨリ下テ云ク、「其々(そこそこ)ヘ罷ル人ノ、日ノ暮ニタレバ、今夜許宿シ給テムヤ」ト。家主(いへあるじ)立タル老シラヒタル女、出來テ、「疾ク入テ宿リ給ヘ」トイヘバ、喜ビ乍ラ入テ、客人居ト思シキ方ニ居ヌ。馬ヲモ厩ニ引入サセテ、從者共モ皆可然所ニ居(ゐ)ツレバ、「喜(うれし)」ト思フ事无限リ。

 然ル程ニ、夜ニ成ヌレバ、旅篭□テ、物ナド食テ寄臥タルニ、夜打深更程ニ、俄ニ奧ノ方ニ騷グ氣色聞ユ。何事ナラムト思フ程ニ、有ツル女主出來テ云ク、「己ガ娘ノ待ルガ、懷姙既ニ此月ニ當リテ侍ツルガ、『忽ニヤハ』ト思テ、晝モ宿シ、奉ツル。只今俄ニ其氣色ノ侍レバ、夜ニハ成ニタリ、若(もし)只今ニテモ産レナバ、何(いか)ガシ給ハムズル」ト。宿□人ノ云ク、「其レハ何ガ苦ク侍ラム。己ハ更ニ然樣ノ事不忌侍(いみはべる)マジ。」ト。女、「然テハ糸(いと)吉(よし)」ト云テ、入ヌ。

 其後、暫ク有程ニ、一切騷ギ喤(ののしり)テ、「産ツルナメリ」ト思フ程ニ、此宿人ノ居タル所ノ傍ニ戸ノ有ヨリ、長(たけ)八尺許ノ者ノ、何トモ无ク怖シ氣ナル、内ヨリ外ヘ出テ行トテ、極テ怖シ氣ナル音(こゑ)シテ、「年ハ八歳、□ハ自害」ト云テ去(さり)ヌ。「何ナル者ノ、此ル事ハ云ツルナラム」ト思ヘドモ、暗ケレバ、何トモ否不見(えみえず)。人ニ此事ヲ語ル事无シテ、曉ニ疾出ヌ。

 然テ、國ニ下テ、八年有テ、九年ト云ニ返リ上ケルニ、此宿タリシ家ヲ思出テ、「情有シ所ゾカシ」ト思ヘバ、「其喜モ云ハネ」ト思寄テ、前ノ如ク宿ヌ。有シ女モ前ヨリ老テ出來タリ。「喜(うれ)シク音信給ヘリ」ト云テ、物語ナドスル次デニ、宿人(やどりうど)、「抑(そもそ)モ前ニ參リシ夜産レ給シ人ハ、今ハ長ジ給ム。男カ女、疾ク忩(いそ)ギ罷リ出シ程ニ、其事モ不申キ」トイヘバ、女打泣テ、「其事ニ侍リ。糸清氣ナル男子ニテ侍シガ去年(こぞ)ノ其月(それのつき)ノ其日、高キ木ニ登テ、鎌ヲ以テ木ノ枝ヲ切侍ケル程ニ、木ヨリ落テ、其鎌ノ頭ニ立テ死侍ニキ。糸哀レニ□□ル事也」ト云ケル時ニゾ、宿人、「其夜ノ戸ヨリ出シ者ノ云シ事ハ、然(さ)ハ其ヲ鬼神ナドノ云ケルニコソ有ケレ」ト思ヒ合テ、「其時ニ然々(しかじか)ノ事ノ有シヲ、何事トモ否不心得侍デ、『家ノ内ノ人只云事ナメリ』ト思テ、然(さ)モ不申デ罷ニシヲ、然バ其事ヲ、者ノ示シ侍ケルニコソ」ト云ヘバ、女彌(いよい)ヨ泣悲ケリ。然テ、宿人、京ニ上テ語リ傳ヘタル也ケリ。

 然レバ、人ノ命ハ皆前世ノ業ニ依テ、産ルヽ時ニ定置ツル事ニテ有ケルヲ、人ノ愚ニシテ不知シテ、今始タル事ノ樣ニ思歎ク也ケリ。然(しか)レバ皆前世ノ報ト可知也、トナム語リ傳ヘタルトヤ。