路上 梶井基次郎
[やぶちゃん注:大正十四(1925)年十月七日稿、雑誌『青空』同年十月号初出。作品集『檸檬』に所収。底本には昭和四十一(1966)年筑摩書房刊「梶井基次郎全集 第一巻」を用い、傍点「丶」は下線に代え、「こ」を潰したような踊り字は「々」に代えた。一部に語注を付した。]
路上
自分が其の道を見つけたのは卯の花の咲く時分であつた。
Eの停留所からでも歸ることが出來る。然もM停留所からの距離とさして違はないといふ發見は大層自分を喜ばせた。變化を喜ぶ心と、も一つは友人の許へ行くのにMからだと大變大廻りになる電車が、Eからだと比較にならない程近かつたからだつた。或る日の歸途氣まぐれに自分はEで電車を降り、あらましの見當と思ふ方角へ歩いて見た。暫く歩いてゐるうちに、なんだか知つてゐるやうな道へ出て來たわいと思つた。氣がついて見ると、それは何時も自分がMの停留所へ歩いてゆく道へつながつて行くところなのであつた。小心翼々と云つたやうなその瞬間までの自分の歩き振りが非道く滑稽に思へた。そして自分は三度に二度と云ふ風にその道を通るやうになつた。
Mも終點であつたがこのEも終點であつた。Eから乘るとTで乘換へをする。そのTへゆくまでがMからだとEからの二倍も三倍もの時間がかかるのであつた。電車はEとTとの間を單線で往復してゐる。閑な線で、發車するまでの間を、車掌がその邊の子供と巫山戲てゐたり、ポールの向きを變へるのに子供達が引張らせて貰つたりなどしてゐる。事故などは少いでせうと訊くと、いやこれで案外多いのです。往來を走つてゐるのは割合ひ少いものですが、など車掌は云つてゐた。汽車のやうに枕木の上にレールが竝べてあつて、踏切などをつけた、電車だけの道なのであつた。
窓からは線路に沿つた家々の内部(なか)が見えた。破屋といふのではないが、とりわけて見ようといふやうな立派な家では勿論なかつた。然し人の家の内部といふものにはなにか心惹かれる風情といつたやうなものが感じられる。窓から外を眺め勝ちな自分は、或る日その沿道に二本のうつぎを見つけた。
自分は中學の時使つた粗末な檢索表と首つ引で、その時分家の近くの原つぱや雜木林へ卯の花を搜しに行つてゐた。白い花の傍へ行つては檢索表と照し合せて見る。箱根うつぎ、梅花うつぎ――似たやうなものはあつてもなかなか本物には打つからなかつた。それが或る日たうたう見つかつた。一度見つかつたとなるとあとからあとからと眼についた。そして花としての印象は寧ろ平凡であつた。――然しその沿道で見た二本のうつぎには、矢張、風情と云つたものが感ぜられた。
或る日曜、訪ねて來た友人と市中へ出るので何時もの阪を登つた。
「ここを登りつめた空地ね、あすこから富士がよく見えたんだよ」と自分は云つた。
富士がよく見えたのも立春までであつた。午前は雪に被はれ陽に輝いた姿が丹澤山の上に見えてゐた。夕方になつて陽が彼方へ傾くと、富士も丹澤山も一樣の影繪を、茜の空に寫すのであつた。
――吾々は「扇を倒にした形」だとか「摺鉢を伏せたやうな形」だとかあまり富士の形ばかりを見過ぎてゐる。あの廣い裾野を持ち、あの高さを持つた富士の容積、高まりが想像出來、その實感が持てるやうになつたら、どうだらうそんなことを念じながら日に何度も富士を見度がつた、冬の頃の自分の、自然に對して持つた情熱の激しさを、今は振り返るやうな氣持であつた。
(春先からの徴候が非道くなり、自分は此の頃病的に不活潑な氣持を持てあましてゐたのだつた。)
「あの邊が競馬場だ。家はこの方角だ」
自分は友人と肩を竝べて、起伏した丘や、その間に頭を出してゐる赤い屋根や、眼に立つてもくもくして來た緑の群落のパノラマに向き合つてゐた。
「此處から彼方へ廻つてこの方向だ」と自分はEの停留所の方を指して云つた。
「ぢやあの崖を登つて行つて見ないか」
「行けさうだな」
自分達はそこからまた一段上の丘へ向かつた。草の間に細く赤土が踏みならされてあつて、道路では勿論なかつた。そこを登つて行つた。木立には遮られてはゐるが先程の處よりはもう少し高い眺望があつた。先程の處の地續きは平にならされてテニスコートになつてゐる。軟球を打ち合つてゐる人があつた。――路らしい路ではなかつたが矢張近道だつた。
「遠さうだね」
「彼處に木がこんもり茂つてゐるだらう。あの裏に隱れてゐるんだ」
停留所は殆ど近くへ出る間際まで隱されていゐて見えなかつた。またその邊りの地勢や人家の工合では、その近くに電車の終點があらうなどとはちよつと思へなくもあつた。どこか本當の田舍じみた道の感じであつた。
――自分は變なところを歩いてゐるやうだ。何處か他國を歩いてゐる感じだ。――街を歩いていて不圖そんな氣持に捕へられることがある。これから何時もの市中へ出てゆく自分だとは、ちよつと思へないやうな氣持を、自分は可成その道に馴れたあとまでも、またしても味はふのであつた。
閑散な停留所。家々の内部の隙見える沿道。電車のなかで自分は友人に、
「旅情を感じないか」と云つて見た。殼斗科の花や青葉の匂ひに滿された密度の濃い空氣が、しばらく自分達を包んだ。――その日から自分はまた、その日の獲物だつた崖からの近道を通うやうになつた。
[やぶちゃん注:「殼斗科」は、「かくとか」と読み、植物分類学上の和名科名。Fagaceae。殼斗とはどんぐり等の帽子と称している部分を言う。]
それは或る雨あがりの日のことであつた。午後で、自分は學校の歸途であつた。
何時もの道から崖の近道へ這入つた自分は、雨あがりで下の赤土が軟くなつてゐることに氣がつゐた。人の足跡もついていないやうなその路は歩く度少しづつ滑つた。
高い方の見晴らしへ出た。それからが傾斜である。自分は少し危いぞと思つた。
傾斜についてゐる路はもう一層軟かであつた。しかし自分は引返さうとも、立留つて考へようともしなかつた。危ぶみながら下りてゆく。一と足下りかけた瞬間から、既に、自分はきつと滑つて轉ぶにちがひないと思つた。――途端自分は足を滑らした。片手を泥についてしまつた。しかしまだ本氣にはなつてゐなかつた。起きあがらうとすると、力を入れた足がまたずるずる滑つて行つた。今度は片肱をつき、尻餠をつき、背中まで地面につけて、やつとその姿勢で身體は止つた。止つた所はもう一つの傾斜へ續く、ちよつと階段の踊り場のやうになつた所であつた。自分は鞄を持つた片手を、鞄のまま泥について恐る恐る立ち上つた。――何時の間にか本氣になつてゐた。
誰かが何處かで見てゐやしなかつたかと、自分は眼の下の人家の方を見た。それらの人家から見れば、自分は高みの舞臺で一人滑稽な藝當を一生懸命やつてゐるやうに見えるにちがひなかつた。――誰も見ていなかつた。變な氣持であつた。
自分の立ち上つたところは稍々安全であつた。しかし自分はまだ引返さうともしなかつたし、立留つて考へて見ようともしなかつた。泥に塗れたまままた危い一歩を踏み出さうとした。とつさの思いつきで、今度はスキーのやうにして滑り下りて見ようと思つた。身體の重心さへ失はなかつたら滑り切れるだらうと思つた。鋲の打つてない靴の底はずるずる赤土の上を滑りはじめた。二間餘りの間である。然しその二間餘りが盡きてしまつた所は高い石崖の鼻であつた。その下がテニスコートの平地になつてゐる。崖は二間、それ位であつた。若し止まる餘裕がなかつたら惰力で自分は石垣から飛び下りなければならなかつた。然し飛び下りるあたりに石があるか、材木があるか、それはその石垣の出つ鼻まで行かねば知ることが出來なかつた。非常な速さでその危險が頭に映じた。
石垣の鼻のザラザラした肌で靴は自然に止つた。それはなにかが止めてくれたといふ感じであつた。全く自力を施す術はどこにもなかつた。いくら危險を感じてゐても、滑るに任せ止まるに任せる外はなかつたのだつた。
飛び下りる心構えをしてゐた脛はその緊張を弛めた。石垣の下にはコートのローラーが轉がされてあつた。自分はきよとんとした。
何處かで見てゐた人はなかつたかと、また自分は見廻して見た。垂れ下つた曇空の下に大きな邸の屋根が竝んでゐた。しかし廓寥として人影はなかつた。あつけない氣がした。嘲笑つてゐてもいい、誰かが自分の今爲たことを見てゐて呉たらと思つた。一瞬間前の鋭い心構へが悲しいものに思ひ返せるのであつた。
[やぶちゃん注:「廓寥と」は、広々として寂しいさま。]
どうして引返さうとはしなかつたのか。魅せられたやうに滑つて來た自分が恐ろしかつた。――破滅といふものの一つの姿を見たやうな氣がした。成る程こんなにして滑つて來るのだと思つた。
下に降り立つて、草の葉で手や洋服の泥を落しながら、自分は自分がひとりでに亢奮してゐるのを感じた。
滑つたといふ今の出來事がなにか夢の中の出來事だつたやうな氣がした。變に覺えていなかつた。傾斜へ出かかるまでの自分、不意に自分を引摺り込んだ危險、そして今の自分。それはなにか均衡のとれない不自然な連鎖であつた。そんなことは起りはしなかつたと否定するものがあれば自分も信じてしまひさうな氣がした。
自分、自分の意識といふもの、そして世界といふものが、焦點を外れて泳ぎ出して行くやうな氣持に自分は捕へられた。笑つてゐてもかまわない。誰か見てはゐなかつたかしらと二度目にあたりを見廻したときの廓寥とした淋しさを自分は思ひ出した。
歸途、書かないではゐられないと、自分は何故か深く思つた。それが、滑つたことを書かねばゐられないといふ氣持か、小説を書くことによつてこの自己を語らないではゐられないといふ氣持か、自分には判然しなかつた。おそらくはその兩方を思つてゐたのだつた。
歸つて鞄を開けて見たら、何處から入つたのか、入りさうにも思へない泥の固りが一つ入つてゐて、本を汚してゐた。