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文部省の假名遣改定案について(初出形)   芥川龍之介

 

[やぶちゃん注:大正141925)年3月発行の雑誌『改造』に「腹いやせ」の大見出しの下、本標題で掲載、後、『梅・馬・鶯』に所収された。底本は岩波版旧全集を用いたが、後記に注記された『梅・馬・鶯』に於いて削除された初出冒頭の一段落分の有意な文章を復元してテクスト化した。傍点「○」は下線に代えた。幾つかの語に注を附すことを考えたが、まさに本文中で芥川龍之介が「僕等の作品を教科書に加へ、併せて作者の夢にも知らざる註釋を附せむも疑ふべからず」という謂いに鑑みて中止した。【2010年10月23日】]

 

腹いやせ

文部省の假名遣改定案について  芥川龍之介

 

 僕は平生憤らざらむことを努むるものなり。憤らざらむことを努むる所以はかの司長子長の言へるが如く、怒は惡德なりと思へるにあらず。宗教改革の如き、或は佛蘭西革命の如き、曠古の大業を成就したる先覺の怒の美德なるは僕も亦信じて疑はざるものなり。然れども妄りに憤らん乎、僕の如き蒲柳の質は健康を害するを免れざるべし。即ち天命を保せんとせば、憤らざらむことを努むるに若かず。この故に僕は衛生上超然屋悠次郎を以て任じつつあり。その超然屋悠次郎に「腹いせ」の文を作らしめんとす。豈又無理と言はざるべけむや。然れども僕も人並みに男根隆々たる男兒なり。憤らざらむことは努むれども、憤るべきことなきにあらず。否、白眼に天下を看れば、何ごとにか冷罵を催さざるべき。この内攻的憤慨家に「腹いせ」の文を作らしめむとす。何ぞ又口を噤すること、木乃伊の如くなるに堪ふべけむや。又惧る、毒舌の一たび動いて止まむとする時を知らざらむことを。又惧る、毒舌の人を殺さず、却て僕を殺さむ事を。この故に他は暫く問はず、纔に僕等賣文の徒に最も痛切なる一問題――即ち我文部省の假名遣改正案を罵らんと欲す。

 我文部省の假名遣改定案は既に山田孝雄氏の痛撃を加へたる所なり。(雜誌「明星」二月號參照)山田氏の痛撃たる、尋常一樣の痛撃にあらず。その當に破るべきを破つて寸毫の遺憾を止めざるは殆どサムソンの指動いてペリシデのマツチ箱のつぶるるに似たり。この山田氏の痛撃の後に假名遣改定案を罵らむと欲す、誰か又蒸氣ポンプの至れる後、龍吐水を持ち出すの歎なきを得むや。然れども思へ、火を滅せむには一杓の水も用なしと做さず。況や一條龍吐水の水をや。是僕の創見なきを羞ぢず、消防に加はらむとする所以なり。

 我文部省の假名遣改定案は漫然と「改定」を稱すれども、何に依つて改定せるかを明らかにせず。勿論政府の命ずる所の何に依るかを明らかにせざるは必しも咎むべからざるに似たり。僕は銀座街頭を行くに常に左側を通行すれども、何に依つて右側を歩まず左側を歩むかを明らかにせず。然れども左側を歩む所以は便宜に出づることを信ずればなり。

 試みに僕等に命ずるに日比谷公園の躑躅を伐り、家鴨を殺すことを以てせよ。誰かその何の故に伐り何の故に殺すかを問はざらむや。即ち政府の命ずる所の何に依るかを明らかにせざるは必しも咎むべからずと雖も、まづその便宜に出づる所以を僕等「大みたから」に信ぜしめざる可らず。假名遣改定案を制定したる國語調査會の委員諸公は悉聰明練達の士なり。何ぞこの明白なる理の當然を知らざることあらむや。然らば諸公は假名遣改定案の便宜たるを信ずるのみならず、僕等も亦便宜たることを信ずること、諸公の如くなるを信ずるなるべし。諸公の便宜たるを信ずるは諸公の隨意に任ずるも可なり。然れども僕等も諸公の如く便宜たることを信ずべしとするは――少くとも諸公の樂天主義も聊か過ぎたりと言はざるべからず。

 僕は勿論假名遣改定案の便宜たることを信ずる能はず。假名遣改定案は――たとへば「」「」を廢するは繁を省ける所以なるべし。然れども繁を省けるが故に直ちに便宜なりと考ふるは最も危險なる思想なり。天下何ものか暴力よりも容易に繁を省くものあらむや。若し僕にして最も手輕に假名遣改定案を葬らむとせむ乎、僕亦區々たる筆硯の間に委員諸公を責むるに先だち、直ちに諸公を暗殺すべし。僕の諸公を暗殺せず、敢てペンを驅る所以は――原稿料の爲と言ふこと勿れ。――一に諸公を暗殺するの簡は即ち簡なりと雖も、便宜ならざるを信ずればなり。「」「」を廢して「」「」のみを存す、誰か簡なるを認めざらむや。然れども敷島のやまと言葉の亂れむとする危險を顧みざるは斷じて便宜と言ふべからず。國語調査會の委員諸公は悉聰明練達の士なり。豈陽に忠孝を説き、陰に爆彈を懷にする超僞善的恐怖主義者ならむや。しかも諸公の爲す所を見れば、諸公の簡を尊ぶこと、土蠻の生殖器を尊ぶが如くなるは殆ど恐怖主義者と同一なり。雜誌「明星」同人は諸公を以て便宜主義者と做す。(雜誌「明星」二月號所載)便宜主義者乎。便宜主義者乎。僕は寧ろ諸公を目するに不便宜主義者を以てするものなり。

 我文部省の假名遣改定案の便宜に出づることを認め難きは上に辯じたる所なり。卒然としてこの改定案を示し、恬然として責任を果したりと做す、誰か我謹嚴なる委員諸公の無邪氣に驚かざらむや。然れども簡を尊ぶは滔々たる時代の風潮なり。甘粕大尉の大杉榮を殺し、中岡艮一の原敬を刺せるも皆この時代の風潮に從へるものと言はざるべからず。然らば我委員諸公の簡を愛すること、醍醐の如くなるも或は驚くに足らざるべし。宜なるかな、南園白梅の花、壽陽公主の面上に落ちて、梅花粧の天下を風靡したるや。然れども假名遣改定案は單に我が日本語の墮落を顧みざるのみならず、又實に天下をして理性の尊嚴を失はしむるものなり。たとへば「」「」を廢するを見よ。「」「」にして絶對に廢せられむ乎。「常々小面憎い葉茶屋の亭主」は「つねずねこずら憎い葉じや屋の亭主」と書かざるべからず。「つね」の「づね」に變ずるは理解すべし。「ずね」に變ずるは理解すべからず。「毛脛」を「けずね」といふよりすれば、「つねずね」亦「常脛」ならざらむや。「小面」の「ずら」も亦然り。若し夫「葉じや屋」に至つては、誰か「茶屋」を「ちやや」と書き、「葉茶屋」を「葉じや屋」と書かむとするものぞ。これを強ひて書かしめむとするは僕等の理性の尊嚴を失はしめむとするものなり。東京人の發音の不正確なる、常に「」と「」とを分たず、「」と「」とを分たざるは事實たるに近かるべし。然れども直ちにこれを以て「」「」を廢し去るも可なりと言はば、天日豈長安よりも遠からむや。國語調査會の委員諸公は悉聰明練達の士なり。理性の尊嚴を無視するの危險は諸君も亦明らかに知る所なるべし。然れども諸公の爲す所を見れば、殆ど地球の泥團たるを信ぜず、二等邊三角形の頂角の二等分線は底邊を二等分するをも信ぜざるに似たり。雜誌「明星」同人は諸公を以て「新しがり」と做す。「新しがり」乎。「新しがり」乎。僕は寧ろ諸公を目するに素朴觀念論に心醉したる原始文明主義者を以てするものなり。

 我文部省の假名遣改定案は金光燦然たる一「簡」字の前に日本語の墮落を顧みず、理性の尊嚴をも無視するものなり。我謹嚴なる委員諸公は眞にこの案を小學教育に實施せむとするものなりや否や。否、僕はこの案の常談たることを信ずるものなり。若し常談たらずとすれば、實施するの不可は言ふを待たず、たとひ實施せずとするも、我國民の精神的生命に白刄の一撃を加へむとしたるの罪は人天の赦さざる所なるべし。我國語調査會の委員諸公は悉聰明練達の士なり。何ぞ大正の聖代にこの暴擧を敢てせむや。僕は正直に白状すれば、諸公の喜劇的精神に尊敬と同情とを有するものなり。然れども、語にこれを言はずや、「常談にも程がある」と。僕は諸公の常談の大規模なるは愛すれども、その世道人心に害あるの事實は認めざる能はず。

 我日本の文章は明治以後の發達を見るも、幾多僕等の先達たる天才、――言ひ換へれば偉大なる賣文の徒の苦心を待つて成れるものなり。羅馬は一日に成るべからず。文章亦羅馬に異らむや。この文章の興廢に關する假名遣改定案の如き、輕々にこれを行はむとするは紅葉、露伴、一葉、美妙、蘇峯、樗牛、子規、漱石、鷗外、逍遙等の先達を侮辱するも甚しと言ふべし。否、彼等の足跡を踏める僕等天下の賣文の徒を侮辱するも甚しと言ふべし。僕等は句讀點の原則すら確立せざる言語上の暗黑時代に生まれたるものなり。この混沌たる暗黑時代に一縷の光明を與ふるものは僕等の先達並びに民間の學者の纔かに燈心を加へ來れる二千年來の常夜燈あるのみ。若しこの常夜燈にして光明を失はむ乎、僕等の命休すべく、日本の文章衰ふべし。我謹嚴なる委員諸公は僕等の命休するも泰然たらむは疑ふべからず。(同時に又僕等の墓上の松颯々の聲を生ずるの時に當り、僕等の作品を教科書に加へ、併せて作者の夢にも知らざる註釋を附せむも疑ふべからず。)然れども思へ。中堂の猛火、東叡山の天を焦がしてより日本の文章に貢獻したるものは文部省なるか僕等なるかを。明治三十三年以來文部省の計畫したる幾多の改革は一たびも文章に裨益したるを聞かず。却つて語格假名遣の誤謬を天下に蔓延せしめたるのみ。その弊害を知らむとするものは今に至つて誤謬に富める新聞雜誌書籍等――たとへば僕の小説集を見るべし。しかも文部省はこれを以て未だその破壞欲を滿たしたりと做さず、たとひ常談にも何にもせよ、今度の假名遣改定案を發表したるはかの爆彈事件なるものと軌を一にしたる常談なり。僕は警視廳保安課のかかる常談を取締まるに甚だ寛なるを怪まざる能はず。

 僕は勿論山田孝雄氏の驥尾に附する蒼蠅なり。只雜誌「明星」の讀者を除ける一天四海の恆河沙人は必しも假名遣改定案の愚擧たるを知れりと言ふべからず。即ち豫言者ヨハネの如く、或は救世軍の太鼓の如く山田氏の公論を廣告するに聲を大にせる所以なり。然れども野人禮に嫻はず、妄りに猥雜の言を弄し、上は山田孝雄氏より下は我謹嚴なる委員諸公を辱めたるはその罪素より少からず。今ペンを擱かむとするに當り、謹んで海恕を乞ひ奉る。死罪々々。