やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ
ブログ コメントへ

マンモスに関する旧説   南方熊楠

鯤鵬の伝説        南方熊楠

[やぶちゃん注:「マンモスに関する旧説」は、底本として1985年平凡社刊「南方熊楠選集 第五巻 続々南方随筆」を用いた。「鯤鵬の伝説」は、底本として1984年平凡社刊「南方熊楠選集 第三巻 南方随筆」を用いた。「鯤鵬の伝説には」題名の次行下部に、ポイント落ち二行で、以下の記載がある。『永田方正「オシンタ旅行記」(『人類学雑誌』二七巻一号四三頁)』。両作の間のアスタリスクは私が入れた。なお、文中に登場するRhinoceros tichorhinusは、H. ALLEYNE NICHOLSON “THE ANCIENT LIFE-HISTORY OF THE EARTH ”(英文)のFig. 263にその素晴らしい頭骨の図がある。また、“Der Klagenfurter Lindwurm”(題名はドイツ語であるが内容は英文)等のページを見ると、この頭骨は欧州ではドラゴンの頭骨と考えられていたようである。]

 

マンモスに関する旧説   南方熊楠

 

 一八三三年ベルリン板、ゲー・アドルフ・エルマンの『世界周遊記』一巻七一〇頁に、シベリアのオブドルフ辺のことを述べて、この辺にマンモス牙多し、住民刻んで、橇(そり)とその付属品の骨とし用ゆ、海岸の山腹浪に打たるる時、露われ出づることしばしばなるを、サモイデス人心がけ往き採るにより、彼輩これを海中の原産物と心得たり、と言えり。

 またいわく、北シベリアに巨獣の遺骨多ければ、土人古えその地に魁偉の動物棲みしと信ずること固し。過去世の犀Rhinoceros tichorhinusの遺角、鉤(かぎ)のごときをもって、その地に往来する露国商人も、土人の言のままにこれを鳥爪と呼ぶ。土人中ある種族は、この犀の穹窿せる髑髏(どくろ)を大鳥の頭、諸他の厚皮獣の脛骨化石をその大鳥の羽茎と倣(な)し、彼輩の祖先常にこれと苦戦せることを伝え話す。この辺に金を出だせしことあれば、ヘロドツス、三巻二六節に、怪禽グリフィン(半鷲半獅という)ヨーロッパの北にすみ、黄金を守るを、一目民アリマスピアンスこれを窃(ぬす)み取るとみえたるは、これらの遺骨に基づける訛伝ならん、と。

 支那にも、北方に一目民あるといい、また西海の北にありといい、小人鳥に呑まるることを言いたれど、一目民が鳥と闘う話なし。(『和漢三才図会』巻一四、「東方に小人国あり、名づけて竫(せい)という。長(たけ)九寸、海鶴遇いてこれを呑む。故に、出づる時はすなわち群行す」、「一臂国は西海の北にあり、その人、一目一孔、一手一足、云々」、「一目国は北海の外、無※[やぶちゃん字注:{※=(上部)「戸」《旧字》+「攵」}+{(下部)「月」}](むき)国の東にあり、その人、一目その面(かお)に当たって、手足みな具われり」。いずれも、明の王圻の『三才図会』より引けり。)北洋に鯨族今も跋扈(ばっこ)するに、マンモスをも海中にすむと信ずる民あると、右の過去の巨鳥の誕(はなし)を合わせ攷うるに、荘周が「北の冥(うみ)に魚あり、その名を鯤(こん)となす(中略)、化して鳥となり、その名を鵬となす」の語も、多少拠るところなきにはあらじ。

『淵鑑類函』巻四三二、「東方朔『神異経』にいわく、北方に層冰万里、厚さ百丈なるあり。磎鼠(けいそ)あって氷下より出づ。その形は鼠のごとく、草木を食らう。肉の重さ万斤、もって脯(ほじし)となすべく、これを食らえば熱を已(や)む。その毛、長さ八尺ばかり、もって蓐(しとね)となすべく、これに臥せばもって寒を却(しりぞ)くべし。その皮、もって鼓に蒙(は)るべく、その声(おと)千里に聞こゆ。美しき尾あり、鼠を来(まね)くべし(この尾のあるところ、鼠すなわちここに入って聚(あつ)まるなり)」。氷の厚さ百丈、氷下の大鼠、肉の重さ万斤など、大層な談(はなし)ながら、全文の要はマンモスを意味するに似たり。百年ばかり前、シベリアで一マンモスの全軀氷下より出でし時、熊集まり来たりてその肉啖(くら)いしと聞けば、「もって脯(ほじし)を作り、これを食らうべし」の一句、さまで怪しむに足らず。毛皮を辱とすというもまた然(しか)り。北方の古人、象を見しことなければ、これを鼠の類とせしならん。

『晋書』に驢鼠の記あり。驢山の君なり。大いさ水牛のごとく、「灰色にして卑(ひく)き脚をし、脚は象に類す、胸前尾上みな白く、大力にして遅鈍」、来たって宣城下に到りしを、太守殷浩人をして生け擒りせしめ、郭璞(かくはく)に卜わしむ、と。予惟うに、『晋書』は二十史中もっとも無稽の談に富めるものと称せらるれども、すべて全く種なき啌(うそ)はつけぬものにて、上文記載するところ、正に今日マラッカおよびインド諸島に産する獏(タピルス)に恰当(こうとう)せるは、現に大阪動物園に畜うところを観て、首肯すべし。『本草綱目』などに、二者を別条に出せるは、実物を見ざりしによる。この獏いうもの、現今全く足底相対する最遠距離の二地方(上に記するところと中南米)を限りて、僅々数種を存するのみなれど、以前は広く北半球に瀰浸し、種数も多かりしこと、化石学の証するところたり。よって察するに、『梁書』にいう、「倭国に、山鼠の牛のごときあり、また大蛇のよくこれを呑むあり」も、多少拠るべき事実ありしにて、その獣は今日跡を絶って、空しく外国の史籍に留めたるならん。

 マンモス牙がわが国に齎(もたら)さるるは、今日に始まるにあらず。二十余年前、日光山に詣でし折、幕政時代に蘭人が将来せるものの由にて、たしか二本、神庫にありしをみたり。(明治十八年七月十六日自分参詣の記に、拝殿を出て右し、舞屋に如(ゆ)く、ここに宝物を陳列して衆に示す、云々、とあって、次にその名目を挙げた中に前世界大象牙とある。)

(後記)古え中国の人、象を見し者なく、その形をいろいろ想像せしゆえ、象と名づくということ、『呂覧』か『韓非子』にて見しと覚え、象を見しことなき者が、マンモスや獏を鼠の属とするは、止むを得ざることにて、八丈島の人が馬を大きな猫と言いしに等し。 (明治四十二年七月『動物学雑誌』二一巻二四九号)

【追記】

 鼠属とその近属クニクルスやクリケツルスなど北アジアの土に穴居するもの多く、外貌鼠に近きムグラモチやヒミズは不断地下に動静し、支那人、鼢鼠(ふんそ)、※[やぶちゃん字注:※=「鼠」+「句」]鼱(くせい)など名づけて全く鼠扱いにすること久し。よって西漢時代、すでにシベリアのマンモスが地下にもっぱら住むと聞き伝え、これをムグラモチの巨大なものと考えて、特種の鼠としたものと惟うた。しかるに『大清一統志』三五五、部鄂羅斯(オロス[やぶちゃん字注:「オロス」はルビ。])(霹国)の条に、「麻門槖窪(ママント)[やぶちゃん字注:「(ママント)」はルビではなく、丸括弧も含め本文の表記そのまま。]、華の言(ことば)にて鼠なり」とあれば、マンモスを巨鼠と見立てたは北地住民で、支那人の創作でないらしい。すなわち『神異経』には北地住民の説を伝え記したのだ。さていわく、「極の東北にして海に近き処、牙庫特(ヤクーツク)[やぶちゃん注:底本は「牙特庫」。編者割注によると、『南方は牙庫特と抄写し、ヤクーツクと注す』とあるので、このように改変した。]の地に産す。身(からだ)が大いなること象のごとく、重さ万觔(きん)あり。地中を行き、風を見ればすなわち死す。つねに河浜の土の内にこれを得。骨の理(きめ)の柔潤にして潔白なること、象牙に類す。かの人、その骨をもって、製(つく)って椀、碟(さら)、梳(くし)、箆(くしへら)の類となす。肉の性きわめて寒にして、これを食らえば煩熱(はんねつ)を除くべし。この地最も寒しという。北海の大洋を距たること一月の程(みちのり)なり。昼は長く夜は短し。夜もまたはなはだしくは暗からず。日落ちて夜深しといえども、なお博奕(ばくえき)をなすべし。数刻ならずして、東方すでに曙(あ)く」と。

法螺大分雑(まじ)っておるが、マンモスをよく記載しおる。漢医説に極寒性の物は淫慾を消すというから、如今世上みなこれのみなるエロ党撲滅に、マンモス肉食わせたら神効があるだろう。それから右の文中、「風を見れば、すなわち死す」。風がみえる急かとハリコミかかる人もあらんが、大正十二年の『太陽』、「猪に関する民俗と伝説」中に説きおいた通り、英国で豕(ぶた)の目はよく風を見るという俗信あり。沍寒(ごかん)のじで拙者なども実際風をみたことがあります。また蟻に尿道を咬まるると、陰茎が夢をみるという奇事も経験した。こんなことは自身で難行苦行して初めて識る。猥りに俗士庸衆に説くべきにあらざるなりとけつかる。(昭和七年十月二十八日記)

 

 

鯤鵬の伝説   南方熊楠

 

 永田氏の「オシンタ旅行記」に、「近日某学者の説に、『荘子』鯤鵬(こんぽう)の説は、インドの小説と同じ、『荘子』はインドの小説を伝えしにあらずやと言える者あれど、フリと名づくる大鳥のアイヌ譚は、仏説にあらざるがごとし」と言わる。

 G. A. Erman, Reise um die Erde Band I, S. 710 (Berlin,1833)、シベリアのオブドルフ辺の記に、この辺にマンモス牙多く、海岸の山腹浪に打たるるごとに露われ出づるを、サモイデス人心がけ、往き採るにより、彼輩これを海中の原産物と心得たり、と言いたるは鯨属などの牙と見なせるなるべし。またいわく、北シベリアに巨獣の遺骨多ければ、土人、古えその地に魁偉の動物住せしと固信す。過去世の犀、リノケロス・チコルヌスの遺角鉤状なるを、往来の露国商人も、土人の言のままに鳥爪と呼ぶ。土人のある種族は、この犀の穹窿(きゅうりゅう)せる髑髏を大鳥の頭、諸他の厚皮獣の脛骨化石をその大鳥の羽茎と見なし、その祖先、常にこの大鳥と苦戦せる話を伝うという。

 これらの誕(はなし)を合わせ考うるに、『荘子』、鰻北冥の魚にて、化して鵬となるの語も、多少のよりどころなきにあらじ。委細は『動物学雑誌』二一巻二四九号三八頁以下、予の「マンモスに関する旧説」に出だせり。大魚、大鳥の伝話、必ずしもインドに限らざるなり。 (明治四十四年六月『人類学稚誌』二七巻三号)