[やぶちゃん注:大正五(1916)年七月号の雑誌『感情』に掲載された。底本は昭和五十一(1976)年筑摩書房刊の「萩原朔太郎全集 第五巻」を用いた。傍点「ヽ」は下線に代えた。]
魔法使ひ 萩原朔太郎
ある町はづれの寂しき野原にて。男の子と女の子との對話。
「どうかしたのおまへ。」
「………………」
「え。どうしたの。どうして泣いてるの。」
「だつて、わたし。あの………。」
「おまへ。もしかしてあの意地惡つ子にあつたんぢやない?」
「………………」
「それでなにか言はれたんだらう。きつとさうなんだらう。え。」
「だつて、あんまりなんですもの。いくらなんだつて。」
「あいつがなんだつて言やがつたの。あんな奴。はりとばしちまへ。」
「私ね。さつきお人形さんとあそんで居たの。そすとね。そすとね。あの子がね。あの子があの………。」
「あいつがなんて言つたの?」
「あの子がね。あの私のことを貧乏人の子だつて。」
「なんだい。あいつだつて貧乏人のくせしやがつて。」
「それでね。ずゐぶんだわ。私のお人形さんをみてそりやひどいこと言つたのよ。」
「なんだつて? あんな奴。今度あつたら僕はりとばしてやるから。」
「だつて兄さんは、あの子を怖がつて居るぢやないの。」
「そりやね。僕ちつとも恐れちや居ないさ。なに。あんな瘠せつぽが。」
「それなら、何故、あの子の顏をみると逃げるやうにするの。いつでもだわ。」
「そりやね。なに。あいつの腕力なんか僕ちつともこはかないさ。」
「ぢやなにがこはいの?」
「でも。あいつ。なんだか變だつたからな。それにね、あいつあれにちがひないんだよ。」
「あれつてなんなの。」
「ちよつと。」
「あら。どこへ行くの。兄さん。」
「あいつどこかできいちや居ないか。」
「大丈夫よ。どこにも居やしないわ。」
「そこをご覧。なんだか草がかさかさ言つてる。」
「風が吹いてるんだわ。」
「あいつはね。もつとこつちへお寄り。いいかい。あいつはね。」
「どうしたの、兄さん。」
「あいつはね。魔法使ひなんだよ。」
「魔法使ひ?」
「きつとさうにちがひないんだ。あいつの眼つきつたら、まるで黒猫のやうなんだから。さうだ。きつとさうなんだ。あいつ。」
「あの子がどんな魔法を使ふの。え。」
「どんな魔法つて。そりやいろいろな魔法さ。」
「私ちつとも知らなかつたわ。」
「さうだらう。僕だつて今日はじめて氣がついたんだ。先からあんなこと何度もあつたんだけれど。」
「けふどうかしたの? 兄さん。」
「僕あね。けふ河岸通を歩いて居たんだ。すると往來のまん中にね。すてきな貝が落ちて居たんだ。そりやきれいな貝だつたよ。まるでお星樣のやうにぴかぴか光つてね。色なんか透き通るやうにまつ青なんだ。ああ、お前に見せたらどんなにか欲しがるだらう。僕はすぐ拾つたんだ。するとね。いつのまにかあの意地惡つ子が見つけやがつてね。僕にこんなことを言ふんだ『やい、硝子つ片拾つてうれしがつて居やがらあ。』それから僕怒つて喧嘩したんだ。だつてあいつどうしても硝子つ片だつて強情はるんだらう。それでたうとう賭をしたんだ。するとね。………ああ、さうだ。きつとあの時やられたんにちがひないんだ。僕なんだか變に負けるやうな氣がしたからな。でもあいつあんまり強情に言ふんだもの。それにあいつ………さうだ。あの時ふところの中でなんでもおまじなひのやうな手つきをして居やがつたつけ。」
「それでどうしたの。兄さん。」
「それからね。僕が手をひらいて見せたんだ。するとお前…………。」
「あの子が貝を盗んで逃げたの。」
「さうぢやないんだ。僕の手のひらの上にちやんと青い硝子つ片がのつかつて居たんだ。あいつが言つた通りに。でも僕はたしかに貝を拾つた筈なのに。」
「をかしいわねえ。どうしたんでせう。」
「僕はそれが不思議なんだ。あんなにぴかぴか光つて居た貝が、ただの硝子つ片になつてしまつたんだからね。先にもこんなことがあつたんだ。あいつが來るといつでもさうなんだ。」
「もしかすると、あの子がなにか気味の惡いことをするんぢやないか知ら。」
「きつとさうなんだ。僕の知らないまにあいつが魔法をかけて硝子に變へてしまつたんだ。でも。僕。ずゐぶんしつかり握つて居たつもりなんだけど。」
「魔法使ひならどんなことだつて出來るわ。手の中へだつて何だつてもぐりこむから駄目だわ。」
「いつかなんか、お母さんのお巾着の中へ魔法使ひが這入つて居たんだつて?」
「さうよ。それでお母さんはいちにち泣いて居たわ。あんな野郎死んじまへなんて言つて。氣味の惡いつたらない。」
「もしかするとお前だつてさうだよ。お前だつてきつと魔法にかけられたんだよ。」
「うそよ。そんな。」
「だつてお前なんだか變な顏をして居るぢやないか。」
「うそよ。そんなことありやしないわ。でも私、きつとさつき泣いたからだわ。」
「それでお前。人形はどこへやつたの。」
「あんなもの、川へ捨てちやつたわ。」
「あんなものつて、お前。僕にだつて惜しがつて見せなかつたぢやないか。ほんとにどこへやつたの。え。」
「私知らないわ。あんなもの。だれがあんなもの。だれが……私……。」
「どうしたの。泣かなくつたつていいぢやないか。」
「だつてあんな唐もろこしの葉つぱなんか。だれがだれが要るもんですか。だれが……そんな……。」
「唐もろこしだつて? お前なに言つてるの? 今朝なんかあんなに自慢して居たぢやないか。お母さんがお前にさう言つたつて。よその子のお人形さんよかお前の方がずつと綺麗のだつて。それでどこのお店(たな)でも賣つちや居ないんだつて。」
「わたし。母さんに騙されたんだわ。」
「だつてをかしいなあ。だれがそんなこと言つたの。唐もろこしの葉つぱだなんて。」
「あの意地惡つ子よ。さつき。ここで。」
「お前、あんな奴の言ふことなんか……。」
「だつてほんとなんですもの。私ね。さつきここでお人形さんと仲よく遊んで居たの。するとあの子がきてね。かう言ふのよ『やい。唐もろこしの葉つぱもつて遊んで居やがらあ。』私怒つて言ひ合ひをしたのよ。でもね、だんだんすると私きまりが惡くなつたの。何故つて、私ほんとに唐もろこしの葉つぱきりもつて居なかつたんですもの。あの子の言ふ通りに。」
「一體どうしたてんだらう。もしかするとお前。あの子の魔法にかけられたんだよ。やつぱり。」
「でも。私。そんなことないわ。」
「さうなんだよ。きつとさうにちがひないんだよ。あの子が魔法をかけてお前の大事の大事の人形を唐もろこしの葉つぱに變へちやつたんだ。」
「でも私。美いちやんがお話するんだとばかり思つて居たのに。ほら。いつか兄さんに話したでせう。私のお人形さんはなんでもご返事をするつて。」
「あいつが何んて言つたの?」
「あのね。『おめへがひとりでしやべつて居るんぢやないか』つて。それで私。氣ついてみたらほんとにさうよ。私。白分で自分にご返事して居たの。お人形さんなんか何にも言やしなかつたんだわ。」
「さうだ。それならあいつすつかり魔法かけちやつたんだ。人形の舌をぬいちまつて。その代りにお前をしやべらすやうに仕かけたんだ。」
「さうかしら。ああ。そんならきつとさうか知れないわ。まへには一度だつてあんなことはなかつたんだから。」
「あいつなんて氣味の惡い奴なんだらう。ことによると僕等だつていまに兎か鶏かにされてしまふよ。」
「どうして。兄さん。」
「だつてあいつ僕だのお前を憎んで居るからさ。」
「私、ぼつとかするとお猿にされやしないかと思ふの。さつきだつて私のことをお猿のお母さんだつて言つたんですもの。」
「僕は木つ株にされやしないかと思つてるんだ。なんだか、あいつ胸の中で僕のことをそんな風に思つて居るやうな氣がするんだ。いつかなんか、僕が草つ原へ寢ころんで居るところへ、あいつがきてつまづいたんだ。僕が痛ツてつたら、あいつびつくらしてきよろきよろして居るんだ。あいつきつと僕を木の株だと思つて居たんだ。それに僕が口をきいたもんで、あいつすつかりびつくらしちやつたんだ。」
「ちよいと。私の顔どうかしちや居なくつて。」
「どうしたつての。そんな大きな眼をして。」
「魔法にかけられるつて。どんな氣もちがするんでせう。」
「そりやこはいのだ。なんでもね。新ちやんとこの赤ん坊なんか、もちつとで魔法使ひにさらはれるところだつたつて。魔法使ひはね。たいてい不思議なお經をもつて居るのだ。それでね。ふところの中で兩手の指をこんな形にくみ合せるんだつて。」
「さういへばあの子はいつでもふところ手をして居てよ。」
「さうなんだ。だれにも見えないやうに。ふところの中でおまじなひをして居るんだ。魔法使ひはだれでもみんなああするんだ。」
「私。お猿にされたらどうしよう。」
「僕。それをいつしよけんめいで心配して居るのだ。」
「さうなつたら、私、どんなにみんなに笑はれるでせう。だれもお猿の子と遊んでくれないわ。そして私。きつといたづらつ子に石をぶつけられるわ。そしてお母さんは、もう抱いてなんか下さりやしないわ。私。ことによると家から追ひ出されると思ふの。だつてお猿なんか家に居ちや見つともないわ。それにお母さんはお猿が大きらひなんですもの。私そばへ行くときつと棒でぶつわ。」
「お前なんか。それでもお猿だからずつといいんだ。僕あ木つ殊にされちやつたときのことを考へると、悲しくなつてたまらないんだ。
さうなつたら、僕はもう一生だれとも口をきくことはできないんだ。
それだのに、まいにちあの百姓たちがきちやあ、僕のあたまの上で薪だつぽを割るんだ。あいつらはきつと力いつぱい、斧で僕の脳天をぶんなぐるにちがひない。あんな頑丈な腕でぐわんぐわんやられちや、僕とてもたまりやしないんだ。
僕はそのときのことを考へると、悲しくつて悲しくつてたまらないんだ。
いくら僕がいつしよけんめいで『痛いよう。痛いよう。』と泣いたつてそいつらにはきこえやしないんだ。いくら僕がそいつらに『こりや僕の頭なんです。』『木つ株ぢやないんです。』と言つたつてだれにも解りやしないんだ。
ああ、さうなつたら、僕はどんなに苦しいだらう。どんなに情ないだらう。ああ。お母さん。お母さん。」
「私なんだか、すこし變だわ。」
「どうしたの、どうしたの。」
「私。なんだかお猿になりかかつたやうな氣がする。」
「ほんとに? でもどうして?」
「私。頰つぺたが赤くはなくつて?」
「そりやいくらか。女の子だから。」
「眼がまんまるかなくつて。」
「でもお前。どうしてそんな大きな眼をするの。」
「どこかに毛が生えかかりやしなくつて?」
「お前。どうしてそんな奇體な顏するの。どうしてお前。そんなへんな手つきをするの?」
「私、もう尻尾が生えかかつて居るのぢやないか知ら。」
「およしつたら。そんなこと。をかしいから。」
「私。ちよいと背後をむいてみるわ。」
「およしつたら。」
「私。鳴いてみようか知ら。」
「およしつたら。僕いやだよ。お前。」
「あら。兄さん。」
「僕。もう歸るよ。風が寒くなつてきたから。」
「ひどいわ。私をおいてけぼりにして。」
「だつて。お前がへんな樣子をするからさ。僕。なんだか氣もちが惡いんだ。」
「兄さんの顏。まつ青だよ。」
「僕。どうかして居る? え?
僕。足の方が少し堅くなつてきたやうな氣がするんだ。早く行かう。早くお母さんのとこへ行かう。」
「私。まだ女の子に見えて?」
「しづかに。背後(うしろ)をご覧。だれかきたやうだ。」
「あの子かも知れないわ。」
「早く行かう。早く行かう。」
「私家へかへるまで女の子で居てくれるといいんだけれど。」
「早く行かう。もうあんなに空が暗くなつてきた。」
「…………………。」
「…………………。」
「あら。私。たつたいま兄さんが笑つたわけがわかつてよ。」
「どうしたつて。僕、なんともしやしない。」
「たつたいま。兄さんは心の中で私のことをお猿だつて言つたでせう。たつたいま。」
「お前だつて心の中で僕のことを木つ株だつて言つたね。たつたいま。」
「うそよ。そんなことあるもんですか。」
「お前。かくして居るんだらう。駄目だよ。かくしたつて。だつてお前。さつきから變な眼つきをして、僕の顏ばかり見て居るぢやないか。あ。いまお前笑つたね。僕の頭が可笑しな形だもんだから、それで笑つたんだらう。きつとさうなんだ。ああ。僕にはもうすつかり解つちやつた。僕はもう木つ株になつちやつたんだ。ああ。僕はもう………………。」
「兄さん。私。ほんとにお猿に見えて? え。兄さん。ご生だから。え?」
「なに言つてるのだ。お前なんか。」
「だつて、たつたいま。あら。いまだつて少し笑つたわ。白ばつくれてたつて駄目だわ。心の中で私のことをお猿だつて言つたのよ。もう私にはちやんと解つて居るわ。どうせさうよ。私もうお猿になつちやつたんだからいいわ。ああ、私、どうしよう、もうどうしよう。兄さん。兄さん。」
「僕あ。木つ株になつちやつたんだあ。」
「私。もう女の子ぢやないわ。」
「お母さん。お母さん。」
「お母さあん。」
「お母さあん。」
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「なんでえ。なに言つてやがるんでえ。」
「あの子よ。あの子よ。」
「ああ。もう駄目だ。そこへ來た。」
「やい。こいつらあ野原ん中で泣いてやがらあ。」
「ねえ。君。僕あやまつてるんだ。こんなにあやまつて居るんだ。」
「私。なんでもあげるわ。ありつたけみんな貴方にあげるわ。」
「僕。どんなことでもするからかんにんしておくんなね。」
「私ちつとぐらゐ。ぶたれてもよくつてよ。」
「なに言つてやがるんでえ。こいつら。」
「僕。どうしても、もういつぺん人間の子供になりたいんだ。たつた今度いつぺんぎりでいいんだから。ね。さうしたら僕、君にどんなお禮でもするんだ。あの象牙の柄のついた小刀でも何でもやるんだ。」
「私。今度女の子になつたら、きつとおとなしくするわ。そしてなんでも貴方(あなた)の言ひつけ通りにするわ。貴方の臣下(けらい)にでも何でもなるわ。そりや甲蟲でも私なんでも捕つてをあげるから。木のぼりだつて一生けんめいでやればきつと出來てよ。」
「なに言つてやがるんでえ。こいつら。」
「ご生だから。僕をもとの通りにして…………。」
「私。をがむから。をがむから………………。」
「勝手にしやがれ。おらあそんなことは知らねえよ。」
「でも。君。僕は悲しくつてたまらないんだ。」
「ああ。行つてしまふわ。行つてしまふわ。」
「ざまあ見やがれ。」
「もう。僕。どうしよう。どうしよう。」
「おらあ。おめへたちを苛ねに來たんぢやねえんだ。おらあ。ただ、ほんとのことを話してやつたばかりなんだ。」 (終)