やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

魔童子傳   村山槐多
[やぶちやん注:底本には、ほとんどを1999年青土社刊の雑誌『ユリイカ』6月号「特集 村山槐多」を用いたが、これは基本的には新字新仮名であるので、本来の原文に近いものをという私のポリシーに基づき、多くの漢字や仮名遣いを恣意的に正字正仮名遣いに直した(なお、底本には解題がなく、新字への変換やルビ表記についても一切不明)。更に、冒頭の★注記までは、底本に添えられている初出(下記記載)の冒頭ページ写真を底本にした。これによって、実は初出が総ルビであることや、『ユリイカ』再録時の変更・誤植(該当部分に注記)が見てとれる。但し、読みにくさを避けて、★注記までの部分についても、パラルビとした。加えて、この資料で、章題は「第一、蝙蝠山麓の町」で、それがポイントが上がり太字あることも分かる。この章題については、全体の底本のアラビア数字による「1 蝙蝠山麓の町」は『ユリイカ』編者の改変と判断し、後の章も初出に準じて変更してある。実はここから、踊り字も「ゝ」を多用していたと推測できるが、初出のそれ以外の部分を見ることが出来ない以上、これは『ユリイカ』本文のままとした。本作は彌生書房版全集に未収録(1999年6月現在)で、底本本文末尾に、

初出――『冒険世界』1916(大正五)年、八―九月号。

とある。]

 

魔童子傳   村山槐多

 

   第一、蝙蝠山麓(かはほりさんろく)の町

 

 吾(わが)生命はもはや數日の内に終る事であらう。余は今深き全身の傷に惱んで居(を)る。死の時の一刻も早まるのを希(こひねが)うて居る。此に記し置く一篇の物語は不可思議なる余が來歴である。自分として此世に書き殘さではすまない氣がするので、強ひて筆を取つた。讀者が是を信じようと嘲けらうとそれは御勝手である。

 余の名前は光明寺劍吉(くわうみやうじけんきち)と云ふ。父は法官であつた。彼は死ぬ時には男爵の榮位に居たが若き時代には未だ低級で且貧乏であつた。それで余が育つ頃は父は方々の裁判所などを轉々と流轉し歩かねばならなんだので家(うち)もそれと共に度々その所を變へた。それ故に余には多くの人々に依つて貴(たつ)としとせられまた謳はれて居(を)る『故郷(ふるさと)』と云ふ美しき觀念が微塵も心に宿らなんだ。多くて二三年も住むともう次の土地へと移る事になるのであつたから。[やぶちゃん注:初出では、本文の本段落末尾と次の段落冒頭が上にある牧神の挿絵の足が伸びているために、変則的になっている。次の段落は二行分がどちらも三字下げになっており、段落冒頭は一字下げとなっていないが、これは組版上のミスと考え、一字空けた。]

 此う云ふ浮浪的な生活が余を惡く感化した。余は物心の付き始める頃にはもう既に正銘の惡太郎であつた。底まですれつからしで妙に人馴れて惡い方に大膽であつた。殊に天性の負けじ魂が喧嘩好きの惡癖に化け具はつて居た。余は行く所行く所で度外ずれに喧嘩して廻つた。その都度たとひどんな執拗な手段に出てもどうにかして相手を屈服さゝ[やぶちゃん注:『ユリイカ』本文では「させ」。]ずには置かなかつた。そして度重なるにつれてその法に巧妙になり遂に余はブルドツグの如く頑強な[やぶちゃん注:『ユリイカ』本文では「に」。]腕力と糞度胸とを身に具へるに至つた。事さへあれば相手につかみかゝり[やぶちゃん注:『ユリイカ』本文では「かかり」。]食ひ附きたがつた。始めての子供に會ふ時は先づ第一に「此奴(こやつ)は俺より果たして強いか知ら弱いか知ら」と考へた。もし強さうに見えるともうそれを試めさずには居(を)られなかつた。かくて余は到る所で周圍(まはり)の兒童を征服し自らその餓鬼大將となつた。しかしながら余には親の職業上の遺傳から正義の觀念が非常に強くあつたので決して卑劣な腕白を遣(や)らなかつたから大人側の受けもその割に惡くなかつた。余は要するに強者であつた。ダリアの花の如く健康であでやかな誇りやかな少年時代を過ごしたのである。

 それは丁度今の學制で言ふ尋常六年級になつた年であつたが吾(わが)一族はまたもや是まで居た土地を去つて北國(ほくこく)のPと云ふ小さき町へ引移つた。大きな平野の中に唯一つの町であるが[やぶちゃん★注記:ここまでは初出誌を底本とした。]極く淋しい廢(すた)れた町である。我等が汽車が町へ近づいたのは夕暮れでほの青い空氣の中から遙かに一塊まりの上眼を使ふ樣な燈光の群が眼に這入つた時、余は子供ながら「何と云ふ淋しい所へ來た事だらう。」と呟やいた。さて着いた翌日起き出でて官舍の窓から四方を眺望した余は北の方角に當たつて極く近くに圓るい形の孔雀の樣な紫色をした山が一つ低いながらぽつんとそびえて居るのを發見した。好奇心を以て人に尋ねるとそれが「蝙蝠山(かはほりやま)。」と呼ぶのである事を知つた。この山が後日余に恐ろしい運命を投げ掛けようとはゆめにも思はなんだ。

 

   第二、魔童出現

 

 

 さてこの新しい町に住み始めて異樣なる言語にもやや慣れ町の地圖が大略頭に這入る頃にはもはや余はこの町の子供全部の頭領となりすまして居た。一人も余に敵するに足る者は居なかつた。この町の北端、蝙蝠山の山麓に通ずる街道の出口に當たつて一つの大きな廣場があつた。此廣場はほぼ圓形で中央が凹み丘で取り卷かれて居り一寸(ちよつ)と古代羅馬(ローマ)の圓形劇場(アンフイシアトル[やぶちゃん注:ママ。「6 崖の上の顏」冒頭では「テアトル」となっている。])の觀があつた。そして此處は町の大抵の催しの行なはれる場所になつて居た。平常(ふだん)は毎夕町中の子供達が集まつて遊び戲れた。それで余も夕方になると缺す事なく廣場を指して走つて行つた。そして多くの子供達の中で餓鬼大將の誇りを思ふ存分味はつた。

 さる程に余がこの町へ來てから二箇月ばかり經つた夏の或暑い夕であつた。その夕にも約五十人ばかりの子供達が此廣場に集まつてゐた。そして樣々な事をして犬か猿の樣に騷ぎ廻つた。歡喜の叫び聲はこの廣場一杯に鳴りどよめいた。その内に西天の夕日が影薄まり深いウルトラマリンの夜の空氣がすこしづつ空を染めて來た。子供達の騷ぎはいつ果てるとも見えなかつたが、その時余の立つて居た近所へ突如(いきなり)物凄いうなりを上げて清物石位の大きさある石塊(いしころ)が上から飛び込んで來た。その石は二三間(げん)跳ね飛んで遊び耽つて居る子供達の群の中へどすんと落下した。そしてそこに立つて居た一人は足をひどく打たれて悲鳴を上げて倒れた。周圍(まはり)の皆は眞青になつて慄へて居る。余が石の飛んで來た廣場の北の方角を見ると其處の丘の上に一人の異樣な小童(こわらべ)がこつちを向いて突立つて居る。そして我々の驚き恐れる樣を見やつて一聲からからと笑つた。その薄氣味の惡い鋭い笑ひ聲が傳はると共に今までがやついて居た廣場全體が蓋をした樣にぴたつと靜まりかへつてしまつた。この靜寂の中から「そら蝙蝠山の子憎が遣(や)つてきた。」と云ふ叫びが突然どこからか發すると同時に皆々は一目散に逃げ走り出した。余は譯分らずびつくりしたが皆が餘りに急に逃げ出す物だからそれに連れて一所になつて逃げた。廣場の端まで來て振り顧つて見るともはや廣場は空つぽになつて居てその中央に丘から降りて來たかの怪しき童子が倣然と突立つて居た。坊主の衣をまとつて素はだしである。その顏が夕闇の中で緑玉(りよくぎよく)の樣に青黒く光つて居た。余は不思議で耐(たま)らない。是だけの人數がどうしてあんな青い面の小坊主一人を恐がつてそんなに逃げるのだらう。そんなにあいつは強いのか知ら。余は、自分を甚(ひど)く輕蔑された樣な氣持ちがした。やがて走るのをやめた友の一人に「びつくりさせるぢやないか。あの子憎がそんなに怖いのかい。」と聞いた。彼は余に次の如く話して聞かせたのである。あの奇異なる童子は蝙蝠山の山腹に立つて居る古い禪寺の子僧である。怪力無雙で石を飛ばす事木へ上る事水を潛る事何毎にも達せずと云ふ事はない。その性(しやう)は極めて殘忍で執拗だ。時々山麓やこの町に姿を現はして樣々の惡事を働く。一度この子僧に捕まつたら最後怪我をするか死ぬかの目に會される。それで彼の犧牲になつた子供の數は何人と云ふことを知らず警察でも見つけ次第捕へ樣とするのであるがその立廻りが電光石火の如く機敏でどうしても捕へる事が出來ぬのであると云ふ。余は是を聞くと胸が怪しくも騷ぎ出した。例の負けじ魂が余の心臟を彈機(バネ)の上へ載せた。よしその樣な横暴なる惡童をそのままにつけ上らして置く物か、必ず俺の手で取つて挫いで[やぶちやん注:「とりひしいで」と読んでいるか。]遣ると固く決心した。そしてすぐ廣場へ引返さうとしたが友達が青くなつて止めるのでその夕はそのまま家へ歸つた。

 

   第三、河上の殘虐

 

 その翌日から余の心は全部あの蝙蝠子僧で埋まつてしまつた。余の何物にも負けないと云ふ強い誇りは、あいつが單に姿を一寸(ちよつ)と現はした切りでもろくも破られてしまつたではないか。もう此うなつた上は、のるか、そるかだ。どうあつてもあの子僧と戰はなければならないとその機會の來るのをひそかに待つて居た。その恐ろしい機會が遂に來た。

 余が始めて魔童に出會(でくは)してから十日ばかり後であつた。その日の空は陰慘に曇つて居て生温い熱病をいざなふ樣な風がひゆうひゆうと吹き荒さんだ。暴風の警報が測候所の竿頭に掲げられて居る。細い赤い血管の樣な雲が一杯空に擴がつてまるで眼底像(ざう)を見る樣だ。余は何となく水泳がしたくなつて友人を二人引張つて町の北方に流れて居る河へ行つた。友の少年は始め行くのを大變厭がつた。と云ふのはこの河は蝙蝠山のすぐ近くにあるのだから例の子僧の事を恐ろしがつたのである。が余はおどかす樣にして連れて行つた。

 我々は河の岸なる堤の上に着物を脱ぎすて素裸になつて河原の砂を掘つたり水に潛つたりして長らく遊んで居た。面白いのに夢中になり時の移るのも忘れたが、ふと空を見上げると空には恐ろしい黒雲が渦を卷いて飛び交ひ今にも龍が飛び出さんばかりである。早速歸る事にしたが氣がつくとさつきから一所に來た敬ちやんと云ふ弱々しい美少年が居なくなつて居る。「金ちやん。敬ちやんはどこへ行つたのだい。」とも一人の子に聞くと知らないと云ふ。あたりを見廻すと姿が見えない。途端けたたましい悲鳴の叫びがかの川下に當つて聞えた。その方を望むと河水(かすゐ)の上に黒い影が二つもつれつ離れつして居る。聲は正しく敬ちやんの聲だ。我々はびつくりしたが忙いで堤上をその方へ驅けて行つた。近づいてよくよく見た時二人は思はずそこにしりごみしてしまつた。敬ちやんを捕へて居るのはあの皆の鬼神(おにがみ)の如く恐れて居る蝙蝠山の子僧であつた。以前からも一度出會ひたいと思つて居た余もさて前にして見た時、實の所そのまま逃げてしまはうかと思つた程の強い恐怖を感じた。陰慘な灰黒の水中で全身に緑青がふいたと見まがふばかり色青く鋭くやせた裸體(はだか)の子憎がその恐ろしい顏に殘忍な笑ひを浮べながらかよはひ敬ちやんを捕らへて水へ頭を押し込んだり足を持つてつり上げたり耳を引張り上げたりあらゆる酷い事をして居る。その有樣は恰然(ちやうど)鰐が赤ん坊をなぶり殺しにする樣である。哀れなる敬ちやんは水をがぶがぶ呑み眼を白黒させ苦痛と恐怖との餘り意識を失つて無暗にもがいて居る。余の總身の血液は逆上した。「何をするのだ。青坊主(あをばうず)奴(め)。」と大聲でどなり附けた。是を聞くと子僧はきつとその鋭い眼を此方へ向けたがいきなり敬ちやんを岸へ投(はふ)り上げた。そして此度は余の方へ向つて來た。余の後に居た金ちやんと云ふ子は弱り切つた敬ちやんを起して一目散に逃げてしまつた。余は獨りぽつちになつて何故か是までに嘗て感じた事のない猛烈な恐怖を覺えた。そして辛うじて慄へる身體でそこに踏み止まつた。裸體の子僧はぱつと水しぶきを立てて川から飛び上がつたが余の前へつかつかと來て立どまつた。そして余を睨んだ。彼の正體を始めてはつきりと見た。彼は丈低く劍(つるぎ)を以て組立てた樣に棘々しく且尖鋭な身體を持つて居る。皮膚の色はぎらつく樣に青い。そしてその青さが首になると殊に不可思議な趣を帶びる。余がじつとその顏を睨むと彼もじつと見かへした。余は此瞬間ばかり物を確(しつ)かり眼で見た事は一生の内でもなかつた。彼の眼はラヂウムの放射線よりも強い光を發してぴかぴか輝いた。その眼光が余の心の底までも照らす樣に思はれた。その顏のとがつた右頰には奇妙な北斗七星の樣な取り合はせに無數の黒子(ほくろ)があつた。その數が七箇ある事がその一瞬時に自分に算(かぞ)へられた。彼は怒つて居るのでその針の如き頭髮が天を指して炎の如く燃え上つて居る。

 

   第四、度量との戰い

 

「今貴樣の言つた事をも一ぺん言つて見ろ。」と彼が余に向つて叫んだ。余はその時またおどし付けられた。その聲はまるでしわがれた老人の聲である。老人も老人それは千年以前に發した聲が今耳に達したかの如く自分に聞えた。何と云ふ奇怪な童子であらう。余はもはやこの魔童子に向つて何事を爲す勇氣も消えてしまつた。唯恐怖が海嘯(つなみ)の如く余の心臟を呑んでしまつた。途端強い一撃が頰へ飛んで來た。彼の鐵の樣な拳骨(げんこつ)が來たのである。その痛き事、全身の血が頰ペたから噴き出すのかと思つた。余は憤然と我にかへつた。この惡童になぐられて默つて居る物か。余は夢中になつた。そしてそのまま彼の首へ武者振(むしやぶ)り付いた。事實余は甚(ひど)く夢中になつた。今から思へばその數秒氣が變になつたのである。余はその數秒に激烈極まる亂暴極まる電光の如き動作をやつたのだ。強いむせぶ樣な苦痛の坤きが余の耳をつんざいた。それと同時に魔童子の身體は余を離れて地上にふんぞりかへつた。我にかへつて見ると余の兩手の人差指は眞紅な血に染んで居る。子僧は兩眼(りやうがん)を手で押へてのたうち廻つて居る。恐ろしい事を余はしたのだ。余は彼の目玉に指を突込んで潰してしまつたのである。その時余は戰慄した。そしてすぐその場を逃げ出した。十間(けん)も走るとぱつと天地が青くなつた。電光(いなづま)が天に起こつたのである。丁度其時後を振向いてみると子僧は眼からたらたらと血を滴らしながら手を上げ余を追はんと立ち上がる所であつた。余は宙を飛んで逃げた。天地は暗黒になつて凄まじい雷鳴と共に瀧の如く大雨が落ちて來た。その中を唯めちやめちやに逃げた。裸體のままだ。後から暫らくは魔童子が追つて來たらしい。余は雷鳴に交つて次の樣なあのしわがれ聲を聞いた。

「まて。まて。またぬか。俺の眼を潰してしまつたな。この恨みを覺えて居ろ、かへす、きつとかへす。」この最後の言葉は殆ど聞き取れなかつた。余は驚く可き速力で河から町まで走り歸つた。裸體のまま家へ驅け込んで玄關の上へ倒れたかと思ふとそのままそこへ氣を失つてしまつた。それから三日ばかり余は夢うつつで發熱までした。此事はやがて町の評判になつた。殊に余の父の職柄警察署では可成り大仕掛けな搜索を遣つたが蝙蝠子僧の姿は何處にも見當たらなかつた。蝙蝠山の山腹にある禪寺には今何人も住まつて居ず廢寺になつて居る。遂に再びうやむやに終つてしまつた。がそれ以來子僧の姿はすこしも町に現れなかつた。しかし余はその後長らく恐ろしくて耐らなかつた。[やぶちゃん注:「たまらなかつた」と読んでいるか。]何處かで俺に仕返しをしやうとして居るに相違ないと思ふと夜もおちおち寢られないのであつたがやがて余は「何、もう彼奴(きやつ)は盲目になつちやつたのだ。たとひ再び會つた所で俺だと知る氣づかひはない。」と思つて安心してしまつた。そして相變らず毎日町の廣場へ出ては樂しく歡ばしい時を過ごして居た。

 間もなくわが家は此町をも再び去る事になり汽車は我等を載せて蝙蝠山の影から遠く遠く離れて行つた。

 

   第五、飛行場の計畫

 

 余はその後十數年を實に幸福に過ごした。余は到る所で剛健なる才ある青年としてもてはやされつつとんとん拍子に學歴を終へて一箇の工學士と成つた。余の父も出世の楷梯を絶えず上つて居たので余が大學を出た時には家はすでに我國の最高社會に屬して居た。後數年にして余は光明寺男爵として歐州留學の途に上つた。歐州に於て余の華美なる性質を先づ刺戟したのは飛行機の流行であつた。余は忽ち飛行狂となり巴里(パリー)の飛行學校でその研究を始めた。飛ぶ度數の重なるに從つて益々熱が出て來た。そして余の技倆は賞贊すべき物として人々から認められた。二三の公開飛行を遣ると日本人で天才なる飛行家として浮調子(うきてうし)な巴里人が素晴らしいお世辭を浴せ掛けた。余は調子に乘つて益々其技法を練つた。そして一二年の後には天界と地上とを行くにその差なきまでになり得た。殊に余の得意とする所は宙がへりであつた。空中はわが舞踏場であつた。余はまた新型の飛行機を創作した。此はルンプラー單葉に大體の形が似て居るがその重要部は恐らく世界に於て最も精巧なる裝置を以て成つて居る。この單葉に依る時空中に於ける危險は殆ど念頭に置く必要がないと自負する事が出來る。一人の米人富豪は此飛行機の權利を千萬圓で買はうと提議したが余ははねつけた。そしてアルキタスと命名したその機を携へて日本へ歸つて來た。余の飛行家になつた事は友人知人を大變に驚かしたがさて一二の飛行を演じると賞讚は暴風の樣に吹き付けた。余は得意になつた。もはやこの余に何の恐ろしい物、意のままにならぬ物はない樣に感じた。歸朝してから幾度かの飛行會に依つて光明寺劍吉の名は日本全國に傳はり各地から招待された。一日余はさきに述べたるPと云ふ町の大富豪の訪問を受けた。此富豪は獨逸(ドイツ)に於て教育を受けた頭の善い壯年紳士であるが余の飛行を一見してすつかり感服したのである。そして彼は次の如き計畫を話した。P町の近傍に素敵な大きな飛行場を建てて其處に日本民間飛行の中心を作ると云ふのだ。その飛行場にはあらゆる新式の設備があり、且余の飛行機製作工場をも附屬させる、そして此に要する費用は全部その富豪が提供し且設計一切は余の自由に任すとの事である。余はさしづめ此飛行場の完成と共に日本の空中王となる譯だから大に乘氣になつた。そして一切の他の仕事を棄てて一意この大計畫の實現にその歩を進め出した。第一番にその敷地を選定する必要から余はP町に出掛けた。汽車がP町に近づき蝙蝠山が見えた時、余は約二十年振りで少年時代の舊地へ來てなつかしさの涙を覺えた。

 

   第六、崖の上の顏

 

 町は大體變らずに居た。あの圓形劇場(アンフイテアトル)に似た廣場も矢張り昔のままであつた。余は町の多くの名士に依り素晴らしい待遇を受けた。その中には敬ちやんや金ちやん等昔の友人が居た。昔の餓鬼大將は依然として餓鬼大將だと余は内々誇らかに思つた。

 さて早速余は一頭の馬に乘じてこの町近傍一帶の地勢を見て廻つた。此邊の平野は眞に飛行場として申し分ないのを見つつ歩く内にいつのまにやらあの煽煽山の山麓に差掛かつた。この山の麓には幾つも村があるのであるが余の疑問を起した事はどの村もどの村も白晝であるのに拘らず家の戸が皆閉じてありお負けに釘付けにしてある事であつた。そして犬の子一疋(いつぴき)居ないのである。森閑として太古の如くである。どうしてかう廢村が多いのか少々氣味が惡くなつた。余が馬上にて此事を考へつつ街道を打たせて行く内に道は切り立つた崖の下に出た。その崖の上を仰ぎ見ると何やら黒い物が打伏して居る。余が何であらうと思つて馬を止めるとその黒い物はむくむくと起き上つた。それが何であるかを見た時余は忽ちぎよつとしてそこに立すくんでしまつた。崖の頂には約二十年以前余が指を以てその眼を潰したあの青顏の童子が立つて居たのだ。昔のままで。すこしも變らぬ童形で、あのぴかぴか光る眼の代りに暗い穴が二つじつと下を見下して居る。余は理性を失つたのではないかと思つた。二十年年をとらぬ童子があり得べき事か。しかし確に是はあの子僧である。携へたる雙眼鏡を覗き見るに七つの黒子が依然としてその頰にある。余がかくじツと注視して居る内に童子はふと物に驚いた樣に身を慄はせたが忽ちよろよろと二三歩よろめいた。そして見えぬ眼で正しくはツたと余を睨み下した。何だか余だと感づいた樣に見えたので余はそのまま馬を歩かせた。半丁ばかり行つて振り向くと怪しむべし童子はこつちを向いて頻りに手招きして居る。耐らなくなつてそのまま馬を走らせてこの怪しき崖の視界から遠ざかつた。余は始めて二十年以前の日の事を思ひ出した。そして何となく強い罪を心に感じたが町近くまで來ると「何、それはつまらぬ神經だ。二十年前(ぜん)の子僧がいつまで子僧で居る物か。あの蝙蝠子僧はもうとつくの昔にのたれ死でもしたらう。」と思つて強ひて打消してしまつた。さて町へ歸つて何故あの山麓の村々が總て廢村になつたのかと聞くと人々が次の如く話した。此五六年以前からあの山を中心とした一帶の地に不思議な事がしばしば起る。突然石が上から降つて人を殺したり、豚や牛が消えてなくなつたりするばかりか女、子供までがさらはれる。そして何等の手掛りも上らない。現に此の五六年間にこの手で生死不明になつた人間の數が八十九人あると云ふ。それが蝙蝠山のすぐ麓では殊に激しいのであの樣に人が住まなくなつた。今では蝙蝠山は魔山(まやま)だとして誰一人近よる者もないと云ふのである。此話を聞いてまた余はあの子僧の事を思ひ出した。

 

  第七、空中の吹矢

 

 

 しかし翌日になるともう此んな事は忘れて居た。素晴らしい大きな樣々の計畫が絶えず頭に浮んで來る。余は未來を思ふと動悸の打つのを覺えた。そして熱心に努力した。東京とP町との間を何十度となく往來した。その内に壯麗極まる大飛行場がP町の東端に接して大略(たいりやく)完成した。全部余の設計の下になつたその飛行場の鏡の如き面(おもて)を見つめて余は自分が天界のナポレオンになつた樣に感じた。この上を日毎に余の指揮する數千の飛行機が飛び交ふ樣になるだらう。又余は飛行場工事の間に「神風(しんぷう)」と名附ける新しき飛行機を建造中であつた。此「神風」は恐らく世界に於て最も壯麗な飛行機だ。翼は金箔を以てすつかり蔽ひ機體には數限りなき美麗なる寶玉をちりばめた。一目爛々と輝やいて極樂に飛ぶ鳥の樣である。思ふ通りの物が出來たので一日是の試乘を試みる事とした。飛行場の上に引き出された「神風」の姿は恰然(ちやうど)神輿の如くである。余は多くの見物の中で麗はしき絹張りの座席に着いた。すでにして二十汽筒(シリンダー)、二百馬力のアンザニ發動機は點火囘轉を始めた。紫のプロペラアは微妙な裝置に依つて勇ましき音樂を奏する。その音樂の急になりまさると共に快よき滑走が起り、金ぴかの「神風」はさつと空中に舞ひ上つた。余は得意を極めて居た。そして柁杷(ステアリングハンドル)を引いてどんどんと上へ昇つた。風なく春の日はうららかに照つて居る。昇るに連れて下の平野も町もその形美しく霞み行き大きなタペストリーの如く見える。高度計は九百五十米(メートル)になつた。余は上るのを止めて町の上を大圓(だいえん)を描いて廻り始めた。幾度となく廻つて居る内にいつの間にか黒い雲が流れて來て下界は一寸とも見えなくなつてしまつたのでそろそろ降り始めた。丁度蝙蝠山の上を飛び過ぎんとする時であつた。突然余がかぶつて居る毛皮製の帽子のひさしへすつと何物かが刺さつた樣に感じた。手を遣つて引き拔き見れば怪しきかな、それは異樣なる形をした吹矢でその先には鋭利なる針が仕掛けてある。一體どこから此吹矢が飛んで來たのか。余は空中を見廻したが余の他には何も飛んで居ぬ。下界からはもとより吹矢が達(とど)く筈がない。余の心は寒くなつた。そして強ひて氣を落ちつけやうとした時余の眼の前でカチツと音がした。そして飛行眼鏡には強い龜裂が出來た。余は戰慄した。吹矢が再び余の眼を射たのである。もし眼鏡なかりせば眼を一つ潰される所であつた。かく唯(ただ)あつと思つて居る途端恐ろしい摩擦の響きが上の空で起つた。何事かと仰ぎ見れば何だか知らぬ奇妙な黒色の物が流星の如く飛び過ぎたかと思ふとその影がなかつた。何者かが空中を飛んで居る。餘りの不思議さに余は自ら自分の正氣を疑ぐつたが早々に着陸した。先日來の數々(しばしば)の怪事に加へて又此んな事に出會つて余はその夜は遂に眠られなかつた。

 

   第八、空中の爭鬪

 

 さて飛行場は落成した。その落成式が盛大に催され余は「神風」に乘じて飛行始めを遣る事になつた。全國の名士がこの町へ集まつた。皇族殿下まで御出でになつた。余は此名譽ある群集の眼を一つに集めて獨り機上の人となつた。華美なる余の心の滿足は絶頂に達して居たがシリンドルのフアイアリングの響きが起り始めるとフト冷たい不安が兆した。何者かこの空に飛んで居る樣に思ふ。あの吹矢を吹いたのは何者であらう。余は何となく飛ぶのを止さうかと云ふ氣がしたが、正面からは宮殿下を始め數萬の來賓が堅唾を呑んで見守つて居る。プロペラアは既に囘轉を始めた。もう飛ぶにも飛ばぬにも強い滑走が起つて「神風」は百雷の落ちる樣な喝采の響と共に上空へ飛び出した。此日は濃い灰色の曇天であつた。余は圓を描きつつ次第に高度を高めた、宙がへり飛行を演ずべき旨公衆に向つて豫告してあるのである。

約千百米(メートル)も上つた時である。前方から眞黒な雲の山が押し流れて來た。それを發見したのが咄嗟であつたので乘り越える譯に行かずその中へ潛り込んだ。雲に飛行機が這入るともう眞暗で何も見えぬ。這入つたかと思ふと急に機體がずるずると左へ傾いた。その傾き方が餘りに急で且激しいので余は右翼が折れたんぢやないかと冷りとした。がハンドルを強く廻すと直に元へ戻つた。その時機は雲を拔け出て邊りはぱつと明るくなつた。一體今のは何だらうと思つて延び上つて左翼の上を一眼見た余はもすこしで氣を失ふ所だつた。金色燦欄たる翼の上にはべたべたと眞黒な手と足とのあとが印せられて居た。しかもそれが子供の手足である。直感的に余は知つた。「蝙蝠子僧が空を飛んで俺の飛行機につきまとつて居る。」余の心は斯う知ると共に案外に落着いて來た。そしてピストルを出して手に握つた。とにかく降りなければ危ない。余が降りんとした時再び雲の山に吸ひ込まれてしまつた。途端何物かが余の首筋へ飛び付いた。振り離さうとしても離れない。背中を仰げば其れは果して蝙蝠山の魔童であつた。青い顏の中に盲(めし)ひた眼が二つじつと逆立つて居る。「怪物奴(め)。」と余はピストルを一發打つた。が當らなかつた。魔童は強い手でぐつと腕を押へつけた。そしてカラカラと打笑ふた。ああその聲は二十年以前に聞いたあの聲だ。「さあ俺も貴樣の眼を潰してやるぞ。」かく叫ぶと魔童はぎゆつと更に強く余にのしかかつた。余は必死になつて跳ねのけやうとしたが、その時機體が急に一方に傾いたので遠心力が働いて魔童は空高く跳ね飛ばされた。それを見て余は直に節氣把(スロツトルレバー)を握つた。プロペラアは極度の囘轉を始めた。飛行機は電光の如く走り始めた。振り向けば、りすの樣な姿勢をして魔童が空を飛んで追つて來る。その早さはとてもかないそうにない。忽(たちま)ち追ひ付かれてしまつた。そして上から余の頭に飛び付かうとした時余は苦しまぎれに機體を下に向けて素晴しい宙がへりを一つ打つた。が再び元へ戻つた時には余の首は魔童の鐵鎖(てつさ)の如き指でぎゆつとしめつけられて居た。余は呻いた。そして辛うじてピストルを一發打つた。それと實に同時に余の左の眼玉は激烈な苦痛を感じた。魔童は余の眼玉を遂に一つ引き拔いたのだ。が余のピストルも彼の頭を射拔いた。どさりと余の背中へ倒れ掛かつた、その時「神風」は恐ろしくバランスを失つて居る事を本能的に知つたので直にもーつ宙がへりをした。機體が逆樣になつたので魔童の死體は下界を指して落ち去つた。

 

   第九、瀕死の飛行家

 

 機のバランスは復したが余の心のバランスは全然亂れてしまつた。血はだくだくと拔かれた左眼から滴る、燃える樣な恐怖の余焰が腦をかきみだす、余はめちやめちやにハンドルを廻した、突然どすんと物に打つつかつた樣に思つたがそのまま知覺を失つてしまつた。フト覺めた時、余はまづ名状し難い苦痛の海に全身が浸つて居るのを感じた。片眼で見廻せば余は病室の中に全身を繍帶で卷かれて横はつて居た。耳も聞えぬし眼もよく見えぬ。唯(ただ)右手(めて)がわづかに動く。その手で新聞を探り讀んで余は余の末路を知つた。「神風」は町端れの鐵道倉庫に打ツつかつてめちやめちやに破壞した。余は機體の下になつて足を潰され左手をちぎられ一塊の血泥と化したのだ。そしてかくの如く病院に寢かされて居るのである。運命の神は何と云ふ殘酷な惡戲をする事だらう。一思ひに殺してしまはないで俺を此恐ろしい心と身體の苦痛の中へ投げ込んだ。しかしどうせすぐ死ぬだらう。ああ余の生涯は粉碎された。世人は落下の原因に就て全然無知だ。そこで余は以上の物語を動かぬ手で強ひて書いたが、多分是を信ずる人間は一人も居るまい。