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   黑猫   松村みね子

[やぶちゃん注:昭和3(1928)年5月刊の雑誌『若草』に松村みね子名義で掲載された。底本は2004年月曜社刊の片山廣子/松村みね子「燈火節」を用いたが、底本は新字であり、私のポリシーに加えて、「彼」=芥川龍之介の作品群と並置するためにも恣意的に正字に変換した。また、傍点「ヽ」は下線に換え、踊り字「/\」の濁点付は正字に直した。本文の雰囲気を崩さないようにするため、以下に注記を纏めて記しておく。

・作中に登場する「ふさ子」は、片山貞次郎廣子夫妻の長女總子(貞次郎は大正9(1920)年3月に逝去)で、本作の初出時は満二十歳であった。

・三段落目の「そこいらを見廻してゐた、」の読点はママ。ここは句点の方が自然である。

・五段落目の「南のかぜが吹くあさ」の「あさ」はママ。

・八段落目の「火鉢にこびりついて」という表現はママ。

・作中に登場する「Mさん」は室生犀星である。

・作中の碓氷峠行は筆者の言通り、大正13(1924)年の旧暦7月13日=新暦8月13日の水曜の夜の出来事である。

・後ろから四段落目の「と言つた。」の表記はママ。本文中では唯一の「言ふ」表記である。【2008年1月4日】

2007年月曜社刊の正字版の片山廣子「新編 燈火節」を入手したため、再校訂を行った(結果はタイプ・ミスによる漢字⇔平仮名変換ミスが2箇所、旧字変換のし忘れが3箇所あった)。但し、ルビについては編集者が適宜処理したものであり、私が不要と判断したことから、採用しなかった。【2010年12月26日】]

 

   黑猫

 

 ある朝、庭の芝のうへに黑い猫が日なたぼつこをしてゐた。全體が眞くろな大きな肥つた猫だつた。袖垣がある筈のところに大きな木犀が立つてゐて、下枝が地面ちかくまで茂つてゐるのでその蔭にゐればさむい風は來ないらしい。猫はその木犀を背景にして芝のなかに寝ころんで庭ぢゆうの日を浴びて眠つてゐた。

 髪を結ひながら障子のガラス越しにこの猫を時々見てゐたが、ちつとも目をあかないから、あの黑猫は目くらぢやない? と側にゐたふさ子に云つた。

 目はあつてよ、此方(こつち)を見てるわ、ふさ子は覗きながらさう云つたが、なるほど、そのときうす茶色の眼をぎろりとさせてそこいらを見廻してゐた、それからまた眠った。

 障子をあけて部屋を掃かうとすると、夜の空氣にどこともなく猫のにほひがした。よほどよごれてゐるんだなと思つたが、しかし、黑い背中はきれいに日に光つてゐた。

 この場所が氣に入つたと見えて、それから毎日そこに來て日なたぼつこするくせがついた。私たちはこの猫を黑にやあにやあと名づけた。黑にやあにやあは夜は何處へ寢るのかしらないが、ねぼうの私が朝おきて髪を結ふ時分にはもうちやんといつもの場所に寢ころんで目をつむつてゐるのだつた。

 すこし暖かく南のかぜが吹くあさ、ふさ子が部屋を掃いてゐたが、あら、黑にやあにやあのにほひがするわ、この猫は、よつぽど遠くから來たのねえ、と云つた。ふさ子がその猫を旅人と思ふことが何か私にはをかしくおもはれて、ひよつとしたら、病人ぢやないのと云つて見たが、云つたあとで病人といふ言葉がをかしくなつた。でも、いひなほしやうもなかつた。

 それからも、始終來てゐたが、そのうちに本郷の母が流感でわるくなつたので、私はその方へ出かけてばかりゐて、ひるま猫を見なかつた。母がすこし快(よ)くなつて三四日うちにゐたが、忙(せは)しいので庭を見なかつた。たぶん庭にはゐなかつたのだらう。

 けふ、快晴の日であるが寒いので火鉢にこびりついてぼんやりしてゐた。ふいと、黑にやあにやあが庭をとほるやうな氣がした。ひるまの日が障子に映つて松葉のほそい影がぼやぼや動いてゐた。この影がそんな氣持にさせたのかとも思つた。それでも、どうも通つたやうに感じて縁側に立つて行つて見たが、庭にはゐなかつた。いつもの場所にも生垣の根にもどこにもゐなかつた。

 庭を見てゐると今朝の明方の霜がひどかつたことを思ひだした。何處かほかに温かい宿を見つけたのならいゝが、病氣してさむがつてゐないやうにと思つた。

 火鉢のそばにかへつてから、ポオの黑猫のことをおもひ出した。たぶんあれも眞黑な猫だつた。それから、あるとき、碓氷峠の茶屋で見た黑猫を思ひ出した。そのとき輕井澤にゐた私はおなじ宿に泊りあはせたAさんMさんと舊七月十四日の月を見に峠にのぼつた夜のことだつた。

 私たちみんなは妙義山に向いた崖ふちの縁臺に腰かけて山峽のうへの空をながめた。

 夜かぜが吹き出して、白い雲がところどころ波のやうに空に引いてゐた。

 肌さむくなつた私は茶屋の土間にはいつて行き、主人夫婦がラムプの下で力餠を拵へてゐるのを見てゐた。そのとき暗い二階の階子(はしご)をみし/\させて大きな黑猫が下りて私の前に來た。同時にそとにゐた二人の人たちもふさ子も力餠を見に中にはいつて來た。

 Aさんはちよつ/\と猫を呼んで、猫の長いしつぽをひつぱつて見た。私はびつくりして、あなたは猫はお好き? と訊いて、非常に犬が嫌ひなこの人は猫もきらひな筈だとおもつた。

 Aさんは猫は好きだと云つて兩手で猫の頭を抑へてもんでゐた。猫はうるさくなつたと見えて私の方へ寄つて來たから、何氣なしに背中をなでてゐると、背中をなでると胴ながになりますと、Aさんがおどかすやうな聲で云つた。背中をなでると猫が胴ながになるといふことは昔の年寄たちのいひ慣れた言葉だつたのを私もそのとき思ひ出したが、しかし、その猫はもうすでに非常な胴ながだつた。そして瘠せてゐて長い尾を持つた西洋だねだつたやうである。猫はいゝ加減に撫でてもらふとするりとぬけて尾を振りながら、二階のはしごを上がつて行つた。

 Aさんは二階を見上げてゐたが、ふいと私の方を向いて、あなたはかういふ二階を御存じないでせう? 僕は高等學校時代に旅行したときこんな宿にも泊つたことがあります、と言つた。私たちはしばらく二階の方を見てゐたが、猫はそれきり下りて來なかつた。

 Mさんとふさ子はそのときもう火鉢のそばに腰かけて茶を飮んでゐたやうだつた。

 頭のなかで山の茶屋の黑猫とうちの庭の黑猫と二疋の姿が入りみだれて、それが自分の姿に交じつて來ると、しまひには猫が自分だつたやうな氣がして來る。

 庭には影が見えないが、今たしかに黑猫が私の中をとほりすぎた。