心朽窩 新館 へ
鬼火へ

 

詩集 孔雀船 伊良子淸白著

 

[やぶちゃん注:明治39(1906)年左久良書房より刊行。底本は昭和55(1980)年日本近代文学館刊の『名著復刻 詩歌文学館』の「孔雀船」を用い、誤植と思われるものは2003年岩波書店刊の平出隆編集「伊良子清白全集Ⅰ」で校訂し、下線を付し、直後に〔 〕で正字を示した。衍字は取り消し線で示した。踊り字「〱」は私の好まない「/\」で示したが、「〲」は正字に直した。ルビは縦書きエディタ等で容易にルビに直せるが、私自身の嗜好から、底本に忠実な《□本文総ルビ版》に加えて《■本文ルビ排除版》の2テクストとした。目次の詩題(ここにはルビはない)以下のリーダ及び頁数は省略した(奥付は画像表示とした)。本電子テクスト冒頭に詩集「孔雀船」のカバー・表紙・背・裏表紙・挿絵を、最末尾に奥付を画像でサムネイル表示した。][2011年1月13日追記:未知の「つくば原人」様という方が、私のために、このページの本文部分を美麗な縦書にして下さっているので、心より感謝を込めてここにリンクを張らせて戴く。やっぱりいいなあ、縦書は! なお、一部の正字表記等を追加補正、注も追加した。][2019年4月3日追記:☆ブログ・カテゴリ「伊良子清白」を始動し、彼の詩篇の全電子化を開始した。本詩集の詩篇は本ページと差別化するため、原則、初出を復元して示すこととした。それに際し、本ページの一部の誤りや正字表現補正を行っている。☆]

 

《カバー》[やぶちゃん注:背では「孔雀舩」で、「淸白」でなく「清白」となっている。]

《表紙及び背及び裏表紙》[やぶちゃん注:カバー同様、背表紙では「孔雀舩」で、「淸白」でなく「清白」となっている。]

 

孔 雀 船     伊良子淸白著

 

故鄕の山に眠れる母の靈に

 

《挿絵》

 

目次

漂泊

淡路にて

秋和の里

旅行く人に

海の聲

夏日孔雀賦

花賣

月光日光

華燭賦

五月野

花柑子

不開の間

安乘の稚兒

鬼の語

戲れに

初陣

駿馬問答

通計拾八篇

 

孔 雀 船

伊良子淸白著

 

□底本準拠本文総ルビ版

 

   漂  泊(へうはく)

 

蓆戶(むしろど)に

秋風(あきかぜ)吹(ふ)いて

河添(かはぞひ)の旅籠屋(はたごや)さびし

哀(あは)れなる旅(たび)の男(をとこ)は

夕暮(ゆふぐれ)の空(そら)を眺(なが)めて

いと低(ひく)く歌(うた)ひはじめぬ

 

亡母(なきはゝ)は

處女(をとめ)と成(な)りて

白(しろ)き額(ぬか)月(つき)に現(あら)はれ

亡父(なきちゝ)は

童子(わらは)と成(な)りて

圓(〔ま〕ろ)き肩(かた)銀河(ぎんが)を渡(わた)る

 

柳(やなぎ)洩(も)る

夜(よ)の河(かは)白(しろ)く

河(かは)越(こ)えて煙(けぶり)の小野(をの)に

かすかなる笛(ふえ)の音(ね)ありて

旅人(たびびと)の胸(むね)に觸(ふ)れたり

 

故鄕(ふるさと)の

谷間(たにま)の歌(うた)は

續(つゞ)きつゝ斷(た)えつつ哀(かな)し

大空(おほぞら)の返響(こだま)の音(をと)と

地(ち)の底(そこ)のうめきの聲(こゑ)と

交(まじは)りて調(しらべ)は深(ふか)し

 

旅人(たびびと)に

母(はゝ)はやどりぬ

若人(わかびと)に

父(ちゝ)は降(くだ)れり

小野(をの)の笛(ふえ)煙(けぶり)の中(なか)に

かすかなる節(ふし)は殘(のこ)れり

 

旅人(たびびと)は

歌(うた)ひ續(つゞ)けぬ

嬰子(みどりご)の昔(むかし)にかへり

微笑(ほゝゑ)みて歌(うた)ひつゝあり

 

 



   淡路(あはぢ)にて

 

古翁(ふるおきな)しま國(くに)の

野にまじり覆盆子(いちご)摘(つ)み

門(かど)に來(き)て生鈴(いくすゞ)の

百層(もゝさか)を驕(おご)りよぶ

 

白晶(はくしやう)の皿(さら)をうけ

鮮(あざら)けき乳(ち)を灑(そゝ)ぐ

六月(ぐわつ)の飮食(〔お〕んじき)に

けたゝまし虹(にじ)走(はし)る

 

淸凉(せいろう)の里(さと)いでゝ

松(まつ)に行(ゆ)き松(まつ)に去(さ)る

大海(おほうみ)のすなどりは

ちぎれたり繪卷物(ゑまきもの)

 

鳴門(なると)の子(こ)海(うみ)の幸(さち)

魚(な)の腹(はら)を胸肉(むなじゝ)に

おしあてゝ見(み)よ十人(とたり)

同音(どうおん)にのぼり來(く)る

 

 

 

   秋和(〔あ〕きわ)の里(さと)

 

月(つき)に沈(しづ)める白菊(しらぎく)の

秋(あき)冷(すさ)まじき影(かげ)を見(み)て

千曲少女(ちくまをとめ)のたましひの

ぬけかいでたるこゝちせる

 

佐久(さく)の平(たひら)の片(かた)ほとり

あきわの里(さと)に霜(しも)やおく

酒(さけ)うる家(いへ)のさゞめきに

まじる夕(ゆふべ)の鴈(かり)の聲(こゑ)

 

蓼科山(たでしなやま)の彼方(かなた)にぞ

年經(としふ)るおろち棲(す)むといへ

月(つき)はろばろとうかびいで

八谷(やたに)の奥(おく)も照(て)らすかな

 

旅路(たびぢ)はるけくさまよへば

破(や)れし衣(ころも)の寒(さむ)けきに

こよひ朗(ほが)らのそらにして

いとゞし心痛(こゝろいた)むかな

 

 

   旅行(たびゆ)く人(ひと)に

 

雨(あめ)の渡(わたし)に

   順禮(じゆんれい)の

姿(すがた)寂(さ)びしき

   夕間暮(ゆふまぐれ)

 

霧(きり)の山路(やまぢ)に

   駕舁(かごかき)の

かけ聲(ごゑ)高(たか)き

   朝 朗(あさぼらけ)[やぶちゃん注:一字空けはママ。後もそうだが、ルビの関係からに過ぎない。]

 

旅(たび)は興(けう)ある

   頭陀袋(づだぶくろ)

重(おも)きを土産(つど)に

   歸(かへ)れ君(きみ)

 

惡魔(あくま)木暗(こぐれ)に

   ひそみつゝ

人(ひと)の財(たから)を

   ねらふとも

 

天女(てんによ)泉(いづみ)に

   下(お)り立(た)ちて

小瓶(こがめ)洗(あら)ふも

   目(め)に入(い)らむ

 

山蛭(やまびる)膚(はだ)に

   吸(す)ひ入(い)らば

谷(たに)に藥水(やくすゐ)

   溢(あふ)るべく

 

船醉(ふなゑひ)海(うみ)に

   苦(くる)しむも

龍神(りゆうじん)臟(むね)を

   醫(いや)すべし

 

鳥(とり)の尸(かばね)に

   火(ひ)は燃(も)えて

山(やま)に地獄(じごく)の

   吹噓聲(いぶくこゑ)

 

潮(うしほ)に異香(いかう)

   薰(くん)ずれば

海(うみ)に微妙(びみやう)の

   蜃氣樓(かひやぐら)

 

暮(く)れて驛(うまや)の

   町(まち)に入(い)り

旅籠(はたご)の門(かど)を

   くゞる時(とき)

 

米(こめ)の玄(くろ)きに

   驚(おどろ)きて

里(さと)に都(みやこ)を

   說(と)く勿(なか)れ

 

女房(にようぼ)語部(かたりべ)

   背(せな)すりて

村(むら)の歷史(れきし)を

   講(かう)ずべく

 

主(あるじ) 膳 夫(かしはで)[やぶちゃん注:二箇所の一字空けはママ。]

   雉子(きじ)を獲(え)て

旨(うま) き 羹(あつもの)[やぶちゃん注:二箇所の一字空けはママ。上のそれは前後との字配バランスをとるためと推定。]

   とゝのへむ

 

芭蕉(ばせを)の草鞋(わらじ)[やぶちゃん注:「わらじ」はママ。]

   ふみしめて

圓位(ゑんゐ)の笠(かさ)を

   頂(いたゞ)けば

 

風俗(ふうぞく)君(きみ)の

   鹿島立(かしまだち)

翁(おきな)さびたる

   可笑(をか)しさよ

 

 

 

   島(しま)

 

黑潮(くろじほ)の流(なが)れて奔(はし)る

沖中(おきなか)に漂(たゞよ)ふ島(しま)は

 

眠(ねむ)りたる巨人(きよじん)ならずや

頭(かしら)のみ波(なみ)に出(いだ)して

 

峨々(がゞ)として岩(いは)重(かさな)れば

目(め)や鼻(はな)や顏(かほ)何(な)ぞ奇(き)なる

 

裸々(らゝ)として樹(き)を被(かうぶ)らず

聳(そび)えたる頂(いたゞき)高(たか)し

 

鳥(とり)啼(な)くも魚(うを)群(む)れ飛(と)ぶも

雨(あめ)降(ふ)るも日(ひ)の出入(いでい)るも

 

靑空(あをぞら)も大海原(おほうなばら)も

春(はる)と夏(なつ)秋(あき)と冬(ふゆ)も

 

眠(ねむ)りたる巨人(きよじん)は知(し)らず

幾千年(いくちとせ)頑(ぐわん)たり崿(がく)たり

 

 

 

   海(うみ)の聲(こゑ)

 

いさゝむら竹(たけ)打戰(うちそよ)ぐ

丘(をか)の徑(こみち)の果(はて)にして

くねり可笑(をか)しくつら/\に

しげるいそべの磯馴松(そなれまつ)

 

花(はな)も紅葉(もみぢ)もなけれども

千鳥(ちどり)あそべるいさごぢの

渚(なぎさ)に近(ちか)く下(お)り立(た)てば

沈(しづ)みて靑(あを)き海(うみ)の石(いし)

 

貝(かひ)や拾(ひろ)はん莫告藻(なのりそ)や

摘(つ)まんといひしそのかみの

歌(うた)をうたひて眞玉(またま)なす

いさごのうへをあゆみけり

 

波(なみ)と波(なみ)とのかさなりて

砂(すな)と砂(すな)とのうちふれて

流(なが)れさゞらぐ聲(こゑ)きくに

いせをの蜑(あま)が耳馴(みみな)れし

音(おと)としもこそおぼえざれ

 

社(やしろ)をよぎり寺(てら)よぎり

鈴(すゞ)振(ふ)り鳴(な)らし鐘(かね)をつき

海(うみ)の小琴(をごと)にあはするに

澄(す)みてかなしき簫(ふえ)となる

 

御座(ござ)の灣(いりうみ)西(にし)の方(かた)

和具(わぐ)の細門(ほそど)に船(ふね)泛(う)けて

布施田(ふせだ)の里(さと)や靑波(あをなみ)の

潮(うしほ)を渡(わた)る蜑(あま)の兒等(こら)

 

われその淵(ふち)を泛(うか)べばや

われその水(みづ)を渡(わた)らばや

しかず纜(ともづな)解(と)き放(はな)ち

今日(けふ)は和子(わくご)が伴(とも)たらん

 

見(み)ずやとも邊(べ)越賀(こが)の松(まつ)

見(み)ずやへさきに靑(あを)の峰(みね)

ゆたのたゆたのたゆたひに

潮(しほ)の和(なご)みぞはかられぬ

 

和(なご)みは潮(しほ)のそれのみか

日(ひ)は麗(うら)らかに志摩(しま)の國(くに)

空(そら)に黃金(こがね)や集(つど)ふらん

風(かぜ)は長閑(のど)に英虞(あご)の山(やま)

花(はな)や郡(こほち)をよぎるらん

 

よしそれとても海士(あま)の子(こ)が

歌(うた)うたはずば詮(せん)ぞなき

歌(うた)ひてすぐる入海(いりうみ)の

さし出(で)の岩(いは)もほゝゑまん

 

言葉(ことば)すくなき入海(いりうみ)の

波(なみ)こそ君(きみ)の友(いも)ならめ

大海原(おほうなばら)の男(を)のこらは

あまの少女(おとめ)は江(え)の水(みづ)に

[やぶちゃん注:二行目「友(いも)」はママ。全集版では(とも)と校訂してあるが、そのままとする。]

 

さても縑(かとり)の衣(きぬ)ならで

船路(ふなぢ)間近(まぢか)き藻(も)の被衣(かつぎ)

女(をんな)だてらに水底(みなぞこ)の

黃泉國(よもつぐに)にも通(かよ)ふらむ

 

黃泉(よみ)の醜女(しこめ)は嫉妬(ねたみ)あり

阿古屋(あこや)の貝(かひ)を敷(し)き列(つら)ね

顏美(かほよ)き子等(こら)を誘(いざな)ひて

岩(いは)の櫃(ひつぎ)もつくるらん

 

さばれ海(わだ)なる底(そこ)ひには

父(ちち)も沈(しづ)みぬちゝのみの

母(はは)も伏(こや)しぬ柞葉(はゝそは)の

生(うま)れ乍(なが)らに水潜(みづくゞ)る

歌(うた)のふしもやさとるらん

 

櫛(くし)も捨(す)てたり砂濱(すなはま)に

簪(かざり)も折りぬ岩角(いはかど)に

黑(くろ)く沈(しづ)める眼(め)のうちに

映(うつ)るは海(うみ)の泥(こひぢ)のみ

 

若(わか)きが膚(はだ)も潮沫(うたかた)の

觸(ふ)るゝに早(はや)く任(まか)せけむ

いは間(ま)にくつる捨錨(すていかり)

それだに里(さと)の懷(なつか)しき

 

哀歌(あいか)をあげぬ海(うみ)なれば

花草船(はなぐさぶね)を流(なが)れすぎ

をとめの群(むれ)も船(ふね)の子(こ)が

袖(そで)にかくるゝ秋(あき)の夢(ゆめ)

 

夢(ゆめ)なればこそ千尋(ちひろ)なす

海(うみ)のそこひも見(み)ゆるなれ

それその石(いし)の圓(まる)くして

白(しろ)きは星(ほし)の果(はて)ならん

 

いまし蜑(あま)の子(こ)艪拍子(ろびやうし)の

など亂聲(らんぜう)にきこゆるや

われ今(いま)海(うみ)をうかがふに

とくなが顏(かほ)は蒼(あお)みたり

 

ゆるさせたまへ都人(みやこびと)

きみのまなこは朗(ほが)らかに

いかなる海(うみ)も射貫(いぬ)くらん

伝(つた)へきくらく此海(このうみ)に

男(おとこ)のかげのさすときは

かへらず消(き)えず潜女(かつぎめ)の

深(ふか)き業(ごふ)とぞ怖(おそ)れたる

 

われ微笑(ほゝゑみ)にたへやらず

肩(かた)を叩(たゝ)いて童形(おうぎやう)の

神(かみ)に翼(つばさ)を疑(うたが)ひし

それもゆめとやいふべけん

 

島(しま)こそ浮(う)かべくろぐろと

この入海(いりうみ)の島(しま)なれば

いつ羽衣(はごろも)の落(お)ち沈(しづ)み

飛(と)ばず翔(かけ)らず成(な)りぬらむ

 

見(み)れば紫(むらさき)日(ひ)を帶(お)びて

陽炎(かげろ)ひわたる玉(たま)のつや

つや/\われはうけひかず

あまりに輕(かろ)き姿(すがた)かな

 

白(しら)ら松原(まつばら)小貝濱(こがひはま)

泊(は)つるや小舟(こぶね)船越(ふなごし)の

昔(むかし)は汐(しほ)も通(かよ)ひけむ

これや月日(つきひ)の破壞(はゑ)ならじ

 

潮(しほ)のひきたる煌砂(きらゝすな)

うみの子(こ)ならで誰(たれ)かまた

かゝる汀(みぎは)に仄白(ほのしろ)き

鏡(かゞみ)ありやと思ふべき

 

大海原(おほうなばら)と入海(いりうみ)と

こゝに迫(せま)りて海神(わだつみ)が

こゝろなぐさや手(て)すさびや

陸(くが)を細(ほそ)めし鑿(のみ)の業(わざ)

 

今(いま)細雲(ほそぐも)の曳(ひ)き渡(わた)し

紀路(きぢ)は遙(はる)けし三熊野(みくまの)や

白木綿(しらゆふ)咲(さ)ける海岸(うみぎし)に

落(お)つると見(み)ゆる夕日(ゆふひ)かな

 

 

 

   夏日孔雀賦(かじつくじやくのふ)

 

園(その)の主(あるじ)に導(みちび)かれ

庭(には)の置石(おきいし)石燈籠(いしどうろ)

物古(ものふ)る木立(こだち)築山(つきやま)の

景(けい)有(あ)る所(ところ)うち過(す)ぎて

池(いけ)のほとりを來(き)て見(み)れば

棚(たな)につくれる藤(ふぢ)の花(はな)

紫(むらさき)深(ふか)き彩雲(あやぐも)の

陰(かげ)にかくるゝ鳥屋(とや)にして

番(つがひ)の孔雀(くじやく)砂(すな)を踏(ふ)み

優(いう)なる姿(すがた)睦(む)つるゝよ

 

地(ち)に曳(ひ)く尾羽(をば)の重(おも)くして

步(あゆみ)はおそき雄(を)の孔雀(くじやく)

雌鳥(めとり)を見(み)れば嬌(たを)やかに

柔和(にうわ)の性(しやう)は具(そな)ふれど

綾(あや)に包(つゝ)める毛衣(けごろも)に

己(おの)れ眩(まばゆ)き風情(ふぜい)あり

 

雌鳥雄鳥(めどりをどり)の立竝(たちなら)び

砂(すな)にいざよふ影(かげ)と影(かげ)

飾(かざ)り乏(とぼし)き身(み)を耻(は)ぢて

雌鳥(めどり)は少(すこ)し退(しりぞ)けり

落羽(おちば)は見(み)えず砂(すな)の上(うへ)

淸(きよ)く掃(は)きたる園守(そのもり)が

箒(はゝき)の痕(あと)も失(う)せやらず

一つ落(お)ち散(ち)る藤浪(ふぢなみ)の

花(はな)を啄(ついば)む雄(を)の孔雀(くじやく)

長(なが)き花總(はなぶさ)地(ち)に垂(た)れて

步(あゆ)めば遠(とほ)し砂原(いさごばら)

見(み)よ君(きみ)來(きた)れ雄(を)の孔雀(くじやく)

尾羽(をば)擴(ひろ)ぐるよあなや今(いま)

あな擴(ひろ)げたりことごとく

こゝろ籠(こ)めたる武士(ものゝふ)の

晴(はれ)の鎧(よろひ)に似(に)たるかな

花(はな)の宴(さかもり)宮内(みやうち)の

櫻襲(さくらかさね)のごときかな

一つの尾羽(をば)をながむれば

右(みぎ)と左(ひだり)にたち別(わか)れ

みだれて靡(なび)く細羽(ほそばね)の

金絲(きんし)の縫(ぬひ)を捌(さば)くかな

圓(まろ)く張(は)りたる尾(を)の上(うへ)に

圓(まろ)くおかるゝ斑(ふ)を見(み)れば

雲(くも)の峯(みね)湧(わ)く夏(なつ)の日(ひ)に

炎(ほのほ)は燃(も)ゆる日輪(にちりん)の

半(なか)ば蝕(しよく)する影(かげ)の如(ごと)

さても面(おもて)は濃(こま)やかに

げに天鵞絨(びろうど)の軟(やはら)かき

これや觸(ふ)れても見(み)まほしの

指(ゆび)に空(むな)しき心地(こゝち)せむ

 

いとゞ和毛(にこげ)のゆたかにて

胸(むね)を纏(まと)へる光輝(かゞやき)と

紫(むらさき)深(ふか)き羽衣(はごろも)は

紺地(こんぢ)の紙(かみ)に金泥(こんでい)の

文字(もじ)を透(すか)すが如(ごと)くなり

冠(かぶり)に立(た)てる二本(ふたもと)の

羽(はね)は何物(なにもの)直(すぐ)にして

位(くらゐ)を示(しめ)す名鳥(めいてう)の

これ頂(いたゞき)の飾(かざり)なり

身(み)はいと小(ち)さく尾(を)は廣(ひろ)く

盛(さかん)なるかな眞白(ましろ)なる

砂(すな)の面(おもて)を步(あゆ)み行(ゆ)く

君(きみ)それ砂(すな)といふ勿(なか)れ

この鳥影(とりかげ)を成(な)す所(ところ)

妙(たへ)の光(ひかり)を眼(め)にせずや

仰(あふ)げば深(ふか)し藤(ふぢ)の棚(たな)

王者(わうじや)にかざす覆蓋(ふくがい)の

形(かたち)に通(かよ)ふかしこさよ

四方(よも)に張(は)りたる尾(を)の羽(はね)の

めぐりはまとふ薄霞(うすがすみ)

もとより鳥屋(とや)のものなれど

鳥屋(とや)より廣(ひろ)く見(み)ゆるかな

 

何事(なにごと)ぞこれ圓(まど)らかに

張(は)れる尾羽(をば)より風(かぜ)出(い)でゝ

見(み)よ漣(さゞなみ)の寄(よ)るごとく

羽(はね)と羽(はね)とを疾(と)くぞ過(す)ぐ

天(あま)つ錦(にしき)の羽(は)の戰(そよ)ぎ

香(かを)りの草(くさ)はふまずとも

香(かを)らざらめやその和毛(にこげ)

八百重(やほへ)の雲(くも)は飛(と)ばずとも

響(ひゞ)かざらめやその羽(は)がひ

獅子(しゝ)よ空(むな)しき洞(ほら)をいで

小暗(をぐら)き森(もり)の巖角(いはかど)に

その鬣(たてがみ)をうち振(ふる)ふ

猛(たけ)き姿(すがた)もなにかせむ

鷲(わし)よ御空(みそら)を高(たか)く飛(と)び

日(ひ)の行(ゆ)く道(みち)の縱橫(たてよこ)に

貫(つらぬ)く羽(はね)を摶(う)ち羽(は)ぶく

雄々(をを)しき影(かげ)もなにかせむ

誰(たれ)か知(し)るべき花蔭(はなかげ)に

鳥(とり)の姿(すがた)をながめ見(み)て

朽(く)ちず亡(ほろ)びず價(あたひ)ある

永久(とは)の光(ひかり)に入(い)りぬとは

誰(たれ)か知(し)るべきこゝろなく

庭(には)逍遙(ぜうえう)の目(め)に觸(ふ)れて

孔雀(くじやく)の鳥屋(とや)の人(ひと)の世(よ)に

高(たか)き示(しめ)しを與(あた)ふとは

時(とき)は滅(ほろ)びよ日(ひ)は逝(ゆ)けよ

形(かたち)は消(き)えよ世(よ)は失(う)せよ

其處(そこ)に殘(のこ)れるものありて

限(かぎ)りも知(し)らず極(きは)みなく

輝(かゞや)き渡(わた)る樣(さま)を見(み)む

今(いま)われ假(か)りにそのものを

美(うつく)しとのみ名(なづ)け得(う)る

 

振放(ふりさ)け見(み)れば大空(おほぞら)の

日(ひ)は午(ご)に中(あ)たり南(みんなみ)の

高(たか)き雲間(くもま)に宿(やど)りけり

織(お)りて隙(ひま)なき藤浪(ふぢなみ)の

影(かげ)は幾重(いくへ)に匂(にほ)へども

紅燃(くれなゐも)ゆる天津日(あまつひ)の

熖(ほのほ)はあまり强(つよ)くして

梭(をさ)と飛(と)び交(か)ひ箭(や)と亂(みだ)れ

銀(ぎん)より白(しろ)き穗(ほ)を投(な)げて

これや孔雀(くじやく)の尾(を)の上(うへ)に

盤渦卷(うづま)きかへり迸(ほとばし)り

或(あるひ)は露(つゆ)と溢(こぼ)れ零(お)ち

或(あるひ)は霜(しも)とおき結(むす)び

彼處(かしこ)に此處(こゝ)に戲(たはぶ)るゝ

千々(ちゞ)の日影(ひかげ)のたゞずまひ

深(ふか)き淺(あさ)きの差異(けじめ)さへ

色薄尾羽(いろうずをば)にあらはれて

涌來(わきく)る彩(あや)の幽(かす)かにも

末(すゑ)は朧(おぼろ)に見(み)ゆれども

盡(つ)きぬ光(ひかり)の泉(いづみ)より

ひまなく灌(そゝ)ぐ金(きん)の波(なみ)

と見(み)るに近(ちか)き池(いけ)の水(みづ)

あたりは常(つね)のまゝにして

風(かぜ)なき晝(ひる)の藤(ふぢ)の花(はな)

靜(しづ)かに垂(た)れて咲(さ)けるのみ

 

今(いま)夏(なつ)の日(ひ)の初(はじ)めとて

菖蒲(あやめ)刈(か)り葺(ふ)く頃(ころ)なれば

力(ちから)あるかな物(もの)の榮(はえ)

若(わか)き綠(みどり)や樹(き)は繁(しげ)り

煙(けぶり)は探(ふか)し園(その)の内(うち)

石(いし)も靑葉(あをば)や萌(も)え出(い)でん

雫(しづく)こぼるゝ苔(こけ)の上(うへ)

雫(しづく)も堅(かた)き思(おもひ)あり

思(おも)へば遠(とほ)き冬(ふゆ)の日(ひ)に

かの美(うつく)しき尾(を)も凍(こほ)る

寒(さぶ)き塒(ねぐら)に起臥(おきふ)して

北風(きたかぜ)通(かよ)ふ鳥屋(とや)のひま

雙(ふたつ)の翼(つばさ)うちふるひ

もとよりこれや靈鳥(れいてう)の

さすがに羽(はね)は亂(みだ)さねど

塵(ちり)のうき世(よ)に捨(す)てられて

形(かたち)は薄(うす)く胸(むね)は瘦(や)せ

命(いのち)死(し)ぬべく思(おも)ひしが

かくばかりなるさいなみに

鳥(とり)はいよ/\美(うつく)しく

奇(く)しき戰(いくさ)や冬(ふゆ)は負(ま)け

春(はる)たちかへり夏(なつ)來(きた)り

見(み)よ人(ひと)にして桂(かつら)の葉(は)

鳥(とり)は御空(みそら)の日(ひ)に向(むか)ひ

尾羽(をば)を擴(ひろ)げて立(た)てるなり

讃(さん)に堪(た)へたり光景(くわうけい)の

庭(には)の面(おもて)にあらはれて

雲(くも)を驅(か)け行(ゆ)く天(てん)の馬(うま)

翼(つばさ)の風(かぜ)の疾(と)く强(つよ)く

彼處(かしこ)蹄(ひづめ)や觸(ふ)れけんの

雨(あめ)も溶(と)き得(え)ぬ深綠(ふかみどり)

澱(おり)未(ま)だ成(な)らぬ新造酒(にひみき)の

流(ながれ)を見(み)れば倒(さか)しまに

底(そこ)ことごとくあらはれて

天(そら)といふらし盃(さかづき)の

落(おと)すは淺黃(あさぎ)瑠璃(るり)の河(かは)

地(ち)には若葉(わかば)の神飾(かみかざ)り

誰(たれ)行(ゆ)くらしの車路(くるまぢ)ぞ

朝(あさ)と夕(ゆふ)との雙手(もろで)もて

擎(さゝ)ぐる珠(たま)は陰光(かげひかり)

溶(と)けて去(い)なんず春花(はるばな)に

くらべば强(つよ)き夏花(なつばな)や

成(な)れるや陣(ぢん)に驕慢(けうまん)の

汝(なんぢ)孔雀(くじやく)よ華(はな)やかに

又(また)かすかにも濃(こま)やかに

千々(ちゞ)の千々(ちゞ)なる色彩(いろあや)を

間(ま)なく時(とき)なく眩(まば)ゆくも

標(あら)はし示(しめ)すたふとさよ

草(くさ)は靡(なび)きぬ手(て)を擧(あ)げて

木々(きゞ)は戰(そよ)ぎぬ袖振(そでふ)りて

卽(すなは)ち物(もの)の證明(あかし)なり

かへりて思(おも)ふいにしへの

人(ひと)の生命(いのち)の春(はる)の日(ひ)に

三保(みほ)の松原(まつばら)漁夫(いさりを)の

懸(かゝ)る見(み)してふ天(あめ)の衣(きぬ)

それにも似(に)たる奇蹟(きせき)かな

こひねがはくば少(すくな)くも

此處(こゝ)も駿河(するが)とよばしめよ

 

斯(か)くて孔雀(くじやく)は尾(を)ををさめ

妻懸(つまこ)ふらしや雌(め)をよびて

語(かた)らふごとく鳥屋(とや)の内(うち)

花(はな)耻(はづ)かしく藤棚(ふぢだな)の

柱(はしら)の陰(かげ)に身(み)をよせて

隠(かく)るゝ風情(ふぜい)哀(あは)れなり

しば/\藤(ふぢ)は砂(すな)に落(お)ち

ふむにわづらふ鳥(とり)と鳥(とり)

あな似(に)つかしき雄(を)の鳥(とり)の

羽(はね)にまつはる雌(め)の孔雀(くじやく)

 

 

 

   花賣(はなうり)

 

花賣娘(はなうりむすめ)名(な)はお仙(せん)

十七花(はな)を賣(う)りそめて

十八戀(こひ)を知(し)りそめて

顏(かほ)もほてるや耻(はづ)かしの

 

蝮(はび)に嚙(か)まれて脚(あし)切(き)るは

山家(やまが)の子等(こら)に驗(げん)あれど

戀(こひ)の附子矢(ぶすや)に傷(きづゝ)かば

毒(どく)とげぬくも晩(おそ)からん

 

村(むら)の外(はづ)れの媼(おば)にきく

昔(むかし)も今(いま)も花賣(はなうり)に

戀(こひ)せぬものはなかりけり

花(はな)の蠱(まど)はす業(わざ)ならん

 

市(いち)に艷(えん)なる花賣(はなうり)が

若(わか)き脈搏(みやくう)つ花一枝(はなひとえ)

彌生(やよひ)小窓(こまど)にあがなひて

戀(こひ)の血汐(ちしほ)を味(あぢは)はん

 

 

 

   月光日光(げつくわうにつくわう)

 

月光(げつくわう)の

  語(かた)るらく

わが見(み)しは一(いち)の姬(ひめ)

  古(ふる)あをき笛(ふえ)吹(ふ)いて

  夜(よ)も深(ふか)く塔(あらゝぎ)の

  階級(きざはし)に白々(しらじら)と

    立(た)ちにけり

 

日光(につくわう)の

    語(かた)るらく

わが見(み)しは二(つぎ)の姬(ひめ)

  香木(かうぼく)の髓(ずゐ)香(かを)る

  槽桁(ふなげた)や白乳(はくにう)に

  浴(ゆあ)みして降(ふ)りかゝる

  花姿(はなすがた)天人(てんにん)の

  喜悅(よろこび)に地(つち)どよみ

    虹(にじ)たちぬ

 

月光(げつくわう)の

    語(かた)るらく

わが見(み)しは一(いち)の姬(ひめ)

  一葉舟(ひとはぶね)湖(こ)にうけて

霧(きり)の下(した)まよひては

  髮(かみ)かたちなやましく

    亂(みだ)れけり

 

日光(につくわう)の

    語(かた)るらく

わが見(み)しは二(つぎ)の姬(ひめ)

  顏(かほ)映(うつ)る圓柱(まろばしら)

  驕(おご)り鳥(どり)尾(を)を觸(ふ)れて

  風(かぜ)起(おこ)り波(なみ)怒(いか)る

  霞立(かすみた)つ空殿(くうでん)を

  七尺(せき)の裾(すそ)曳(ひ)いて

  黃金(わうごん)の跡(あと)印(つ)けぬ

 

月光(げつくわう)の

    語(かた)るらく

わが見(み)しは一(いち)の姬(ひめ)

  死(し)の島(しま)の岩陰(いはかげ)に

  靑白(あをしろ)くころび伏(ふ)し

  花(はな)もなくむくろのみ

    冷(ひ)えにけり

 

日光(につくわう)の

    語(かた)るらく

わが見(み)しは二(つぎ)の姬(ひめ)

  城(しろ)近(ちか)く草(くさ)ふみて

  妻(つま)覓(ま)ぐと來(こ)し王子(みこ)は

  太刀取(たちとり)の耻(はぢ)見(み)じと

  火(ひ)を散(ち)らす駿足(しゆんそく)に

  かきのせて直走(ひたばせ)に

  國領(こくりやう)を去(さ)りし時(とき)

  春風(はるかぜ)は微吹(そよふ)きぬ

 

 

 

   華燭賦(くわしよくのふ)

 

律師(りし)は麓(ふもと)の

   寺(てら)をいでゝ

駕(が)は山(やま)の上(うへ)

   竹(たけ)の林(はやし)の

夕(ゆふべ)の家(いへ)の

   門(かど)に入(い)りぬ

 

親戚(うから)誰彼(たれかれ)

   宴(えん)をたすけ

小皿(こざら)の音(おと)

   厨(くりや)にひゞき

燭(しよく)を呼(よ)ぶ聲(こゑ)

   背戶(せと)に起(おこ)る

 

小桶(こおけ)の水(みづ)に

   浸(ひた)すは若菜(わかな)

若菜(わかな)を切(き)るに

   俎板(まないた)馴(な)れず

新(あたら)しき刄(は)の

   痕(あと)もなければ

 

菱形(ひしがた)なせる

   窓(まど)の外(そと)に

三尺(じやく)の雪(ゆき)

   戶(と)を壓(あつ)して

靜(しづ)かに暮(く)るゝ

   山(やま)の夕(ゆふべ)

 

夕(ゆふベ)は

   樂(たの)しき時(とき)

夕(ゆふベ)は

   淸(きよ)き時(とき)

夕(ゆふベ)は

   美(うつぐ)しき時(とき)

 

この夕(ゆふベ)

   雪(ゆき)あり

この夕(ゆふベ)

   月(つき)あり

この夕(ゆふベ)

   宴(うたげ)あり

 

火(ひ)の氣(け)弱(よわ)きを

   憂(うれ)ひて

竈(かまど)にのみ

   立(た)つな

室(しつ)に入(い)りて

   花(はな)の人(ひと)を見(み)よ

 

花(はな)の人(ひと)と

   よびまゐらせて

この夕(ゆふベ)は

   名(な)をいはず

この夕(ゆふベ)は

   名(な)なし

 

律師(りし)席(せき)に入(いつ)て

   霜毫(しやうがう)威(ゐ)あり

長人(ちやうじん)を煩(わづら)はすに

   堪(た)へたり夕(ゆふべ)

 

琥珀(こはく)の酒(さけ)

   酌(く)むに盃(さかづき)あり

盃(さかづき)の色(いろ)

   紅(くれなゐ)なるを

山人(やまびと)驕奢(おごり)に

   長(ちやう)ずと言(い)ふか

 

紅(くれなゐ)は紅(くれなゐ)の

   芙蓉(ふよう)の花(はな)の

秋(あき)の風(かぜ)に

   折(を)れたる其日(そのひ)

市(いち)の小路(こうぢ)の

   店(みせ)に獲(え)たるを

律師(りし)詩(し)に堪能(たんのう)

   箱(はこ)の蓋(ふた)に

紅花盃(こうくわはい)と

   書(しよ)して去(さ)りぬ

 

紅花盃(こうくわはい)を

   重(かさ)ねて

雪夜(せつや)の宴(えん)

   月出(つきい)でたり

月出(つき〔い〕)でたるに

   島臺(しまだい)の下(もと)暗(くら)き

 

島臺(しまだい)の下(もと)

   暗(くら)き

蓬莱(ほうらい)の

   松(まつ)の上(うへ)に

斜(なゝめ)におとす

   光(ひかり)なれば

 

銀(ぎん)の錫懸(すヾかけ)

   用意(ようい)あらむや

山(やま)の竹(たけ)より

   笹(さゝ)を摘(つ)みて

陶瓶(すがめ)の口(く〔ち〕)に

   挿(さ)せしのみ

 

王者(わうじや)の調度(てうど)に

   似(に)ぬは何々(なに/\)

其子(そのこ)の帶(おび)は

   うす紫(むらさき)の

友禪染(いうぜんぞめ)の

   唐縮緬(とうちりめん)か

 

艷(つや)ある髮(かみ)を

   結(むす)ぶ時(とき)は

風(かぜ)よく形(かたち)に

   逆(さか)らひ吹(ふ)くと

怨(えん)ずる恨(うら)み

   今(いま)無(な)し

 

若(わか)き木樵(きこり)の

   眉(まゆ)を見(み)れば

燭(しよく)を剪(き)る時(とき)

   陰(かげ)をうけて

額(ぬか)白(しろ)き人(ひと)

   室(しつ)にあり

 

袴(はかま)のうへに

   手(て)をうちかさね

困(こう)ずる席(せき)は

   花(はな)のむしろ

筵(むしろ)の色(いろ)を

   評(ひやう)するには

まだ唇(くちびる)の

   紅(べに)ぞ深(ふか)き

 

北(きた)の家(いへ)より

   南(みなみ)の家(いへ)に

來(く)る道(みち)すがら

   得(え)たる思(おもひ)は

花(はな)にあらず

   蜜(みつ)にあらず

 

花(はな)よりも

   蜜(みつ)よりも

美(うつく)しく甘(あま)き

   思(おもひ)は胸(むね)に溢(あふ)れたり

 

雷(いかづち)落(お)ちて

   籔(やぶ)を燒(や)きし時(とき)

諸手(もろて)に腕(かひな)を

   許(ゆる)せし人(ひと)は

今(いま)相對(あひむか)ひて

   月(つき)を挾(はさ)む

 

盃(さかづき)とるを

   差(はづ)る二人(ふたり)は

天(てん)の上(うへ)

   若(わか)き星(ほし)の

酒(さけ)の泉(いづみ)の

   前(まへ)に臨(のぞ)みて

香(にほ)へる浪(なみ)に

   恐(お)づる風情(ふぜい)

 

紅花盃(こうくわはい)

   琥珀(こはく)の酒(さけ)

白(しろ)き手(て)より

   荒(あら)き手(て)にうけて

百(ひやく)の矢(や)うくるも

   去(さ)るな二人(ふたり)

御寺(みてら)の塔(たふ)の

   扉(とびら)に彫(ほ)れる

神女(しんによ)の戲(たはぶれ)

   笙(しやう)を吹(ふ)いて

舞(ま)ふにまされる

   雪夜(せつや)のうたげ

律師(りし)駕(が)に命(めい)じて

   北(きた)の家(いへ)に行(ゆ)き

月下(げつか)の氷人(ひようじん)

   去(さ)りて後(のち)

二人(にん)いさゝか

   容儀(かたち)を解(と)きぬ

 

夜(よ)を賞(しよう)するに

   律師(りし)の詩(し)あり

詩(し)は月中(げつちゆう)に

   桂樹(けいじゆ)挂(かゝ)り

千丈(ぢやう)枝(えだ)に

   銀(ぎん)を着(つ)く

銀光(ぎんくわう)溢(あふ)れて

   家(いへ)に入(い)らば

卜(ぼく)する所(ところ)

   幸(さいはひ)なりと

 

 

 

   五月野(さつきの)

 

五月野(さつきの)の晝(ひる)しみら

瑠璃囀(るりてん)の鳥(とり)なきて

草(くさ)長(なが)き南國(みなみぐに)

極熱(ごくねつ)の日(ひ)に火(も)ゆる

 

謎(なぞ)と組(く)む曲路(まがりみち)

深沼(ふけぬま)の岸(きし)に盡(つ)き

人形(ひとがた)の樹立(こだち)見(み)る

石(いし)の間(ひま)靑(あお)き水(みづ)

 

水(みづ)を截(き)る圓肩(まろがた)に

睡蓮(ひつじぐさ)花(はな)を分(わ)け

のぼりくる美(うま)し君(きみ)

柔(やはら)かに眼(め)を開(あ)けて

 

王藻髮(たまもがみ)捌(さば)け落(お)ち

眞素膚(ますはだ)に飜(か)へる浪(なみ)

木々(きぎ)の道(みち)木々(きぎ)に倚(よ)り

多(さは)の草(くさ)多(さは)にふむ

 

葉(は)の裏(うら)に虹(にじ)懸(かゝ)り

姬(ひめ)の路(みち)金(こがね)撲(う)つ

大地(おほづち)の人離野(ひとがれの)

變化(へんげ)居(を)る白日時(まひるどき)

 

垂鈴(たりすゞ)の百濟物(くだらもの)

熟(う)れ撓(たわ)む石(いし)の上(うへ)

みだれ伏(ふ)す姬(ひめ)の髮(かみ)

高圓(たかまど)の日(ひ)に乾(かは)く

 

手枕(たまくら)の腕(かひな)つき

白玉(しらたま)の夢(ゆめ)を展(の)べ

處女子(をとめご)の胸肉(むなじゝ)は

力(ちから)ある足(たり)の弓(ゆみ)

 

五月野(さつきの)の濡跡道(ぬれとみち)

深沼(ふけぬま)の小黑水(をぐろみづ)

落星(おちぼし)のかくれ所(ど)と

傳(つた)へきく人(ひと)の子等(こら)

 

空像(うたかた)の數(かず)知(し)らず

うかびくる岸(きし)の隈(くま)

湧(わ)き上(の)ぼる高水(たかみづ)に

いま起(おこ)る物(もの)の音(おと)

 

めざめたる姬(ひめ)の面(おも)

丹穗(にのほ)なす火(ひ)にもえて

たわわ髮(がみ)身(み)を起(おこ)す

光宮(ひかりみや)玉(たま)の人(ひと)

 

微笑(ほゝゑ)みて下(くだ)り行(ゆ)く

湖(うみ)の底(そこ)姬(ひめ)の國(くに)

足(あ)うらふむ水(みづ)の梯(はし)

物(もの)の音(おと)遠(とほ)ざかる

 

目路(めぢ)のはて岸木立(きしこだち)

晝(ひる)下(お)ちず日(ひ)の眞洞(まほら)

迷野(まよひの)の道(みち)の奥(おく)

水姬(みづひめ)を誰(たれ)知(し)らむ

 

 

 

   花柑子(はなかうじ)

 

島國(しまぐに)の花柑子(はなかうじ)

高圓(たかまど)に匂(にほ)ふ夜(よ)や

大渦(おほうづ)の荒潮(あらじほ)も

羽(はね)をさめほゝゑめり

 

病(や)める子(こ)よ和(なご)の今(いま)

窓(まど)に倚(よ)り常花(とこはな)の

星村(ほしむら)にぬかあてゝ

さめざめとなけよかし

 

生(いく)をとめ月姬(つきひめ)は

新(あらた)なる丹(に)の皿(さら)に

開命(さくいのち)貴寶(あで)を盛(も)り

よろこびの子(こ)にたびん

 

淸(きよ)らなる身(み)とかはり

五月野(さつきの)の遠(をち)を行(ゆ)く

花環(はなたまき)虹(にじ)めぐり

銀(しろがね)の雨(あめ)そゝぐ

 

 

 

   不開(あけず)の間(ま)

 

花吹雪(はなふぶき)

まぎれに

さそはれて

いでたまふ

館(たち)の姬(ひめ)

 

蝕(むしば)める

古梯(ふるはし)

眼(め)の前(まへ)に

櫓(やぐら)だつ

不開(あけず)の間(ま)

 

香(かぐ)の物(もの)

焚(た)きさし

採火女(ひとり)めく

影(かげ)動(うご)き

きえにけり

 

夢(ゆめ)の華(はな)

處女(をとめ)の

胸(むね)にさき

きざはしを

のぼるか

 

諸扉(もろとびら)

さと開(あ)く

風(かぜ)のごと

くらやみに

誰(た)ぞあるや

 

色(いろ)蒼(あお)く

まみあけ

衣冠(いかん)して

束帶(そくたい)の

人(ひと)立(た)てり

 

思(おも)ふ今(いま)

いけにへ

百年(もゝとせ)を

人柱(ひとばしら)

えも朽(く)ちず

 

年(とし)若(わか)き

つはもの

戀人(こひびと)を

持(も)ち乍(なが)ら

うめられぬ

 

怪(け)し瞳(ひとみ)

炎(ほのほ)に

身(み)は燃(も)えて

死(し)にながら

輝(かゞや)ける

 

何(なに)しらん

禁制(いましめ)

姬(ひめ)の裾(すそ)

なほ見(み)えぬ

扉(とびら)とづ

 

白壁(しらかべ)に

居(お)る蟲(むし)

春(はる)の日(ひ)は

うつろなす

暮(く)れにけり

 

 

 

   安乘(あのり)の稚兒(ちご)

 

志摩(しま)の果(はて)安乘(あのり)の小村(こむら)

早手風(はやてかぜ)岩(いは)をどよもし

柳道(やなぎみち)木々(きゞ)を根(ね)こじて

虛空(みそら)飛(と)ぶ斷(ちぎ)れの細葉(ほそば)

 

水底(みなぞこ)の泥(どろ)を逆上(さかあ)げ

かきにごす海(うみ)の病(いたづき)

そゝり立(た)つ波(なみ)の大鋸(おほのこ)

過(よ)げとこそ船(ふね)をまつらめ

 

とある家(や)に飯(いひ)蒸(むせ)かへり

男(を)もあらず女(め)も出(い)で行(ゆ)きて

稚子(ちご)ひとり小籠(こかご)に座(すわ)り

ほゝゑみて海(うみ)に對(むか)へり

 

荒壁(あらかべ)の小家一村(こいへひとむら)

反響(こだま)する心(こゝろ)と心(こゝろ)

稚子(ちご)ひとり恐怖(おそれ)をしらず

ほゝゑみて海(うみ)に對(むか)へり

 

いみじくも貴(たふと)き景色(けしき)

今(いま)もなほ胸(むね)にぞ跳(をど)る

少(わか)くして人(ひと)と行(ゆ)きたる

志摩(しま)のはて安乘(あのり)の小村(こむら)

 

 

 

   鬼(おに)の語(ことば)

 

顏(かほ)蒼白(あをじろ)き若者(わかもの)に

祕(ひ)める不思議(ふしぎ)きかばやと

村人(むらびと)數多(あまた)來(きた)れども

彼(かれ)はさびしく笑(わら)ふのみ

 

前(きそ)の日(ひ)村(むら)を立出(たちい)でゝ

仙者(せんじや)が嶽(たけ)に登(のぼ)りしが

恐怖(おそれ)を抱(いだ)くものゝごと

山(やま)の景色(けしき)を語(かた)らはず

 

傳(つた)へ聞(き)くらく此(この)河(かは)の

きはまる所(ところ)瀧(たき)ありて

其(そ)れより奥(おく)に入(い)るものは

必(かなら)ず山(やま)の祟(たゝり)あり

 

蝦蟆(がま)氣(き)を吹(ふ)きて立曇(たちくも)る

篠竹原(しのだけはら)を分(わ)け行(ゆ)けば

冷(ひ)えし掌(てのひら)あらはれて

〔項〕(うなじ)顏(かほ)に觸(ふ)るゝとぞ

 

陽炎(かげろふ)高(たか)さ二萬尺(まんじやく)

黃山(きやま)赤山(あかやま)黑山(くろやま)の

劍(けん)を植ゑたる頂(いたゞき)に

祕密(ひみつ)の主(ぬし)は宿(やど)るなり

 

盆(ぼん)の一日(ひとひ)は暮(く)れはてゝ

淋(さび)しき雨(あめ)と成(な)りにけり

怪(け)しく光(ひか)りし若者(わかもの)の

眼(まなこ)の色(いろ)は冴(さ)え行(ゆ)きぬ

 

劉邦(りうはう)未(いま)だ若(わか)うして

谷路(たにぢ)の底(そこ)に蛇(じや)を斬(き)りつ

而(しか)うして彼(かれ)漢王(かんわう)の

位(くらゐ)をつひに贏(か)ち獲(え)たり

 

この子(こ)も非凡(ひぼん)山(やま)の氣(き)に

中(あ)たりて床(とこ)に隠(かく)れども

禁(きん)を守(まも)りて愚鈍者(ぐどんじや)に

鬼(おに)の語(ことば)を語(かた)らはず

 

 

 

   戲(たはぶ)れに

 

わが居(を)る家(いへ)の大地(おほづち)に

黑(くろ)き帝(みかど)の住(す)みたまひ

地震(なゐ)の踊(をどり)の優(いう)なれば

下(くだ)り來(きた)れと勅(ちよく)あれど

われは行(ゆ)きえず人(ひと)なれば

 

わが居(を)る家(いへ)の大空(おほぞら)に

白(しろ)き女王(めぎみ)の住(す)みたまひ

星(ほし)の祭(まつり)の艷(えん)なれば

上(のぼ)り來(きた)れと勅(ちよく)あれど

われは行(ゆ)きえず人(ひと)なれば

 

わが居(を)る家(いへ)の古厨子(ふるづし)に

遠(とほ)き御祖(みおや)の住(す)みたまひ

とこ降(ふ)る花(はな)のたへなれば

開(あ)けて來(きた)れとのたまへど

われは行(ゆ)きえず人(ひと)なれば

 

わが居(を)る家(いへ)の厨内(くりやうち)

働(はたらく)く妻(つま)をよびとめて

夕(ゆふべ)の設(まけ)をたづぬるに

好(この)める魚(うを)のありければ

われは行(ゆ)きけり人(ひと)なれば

 

 

 

   初陣(うひぢん)

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ

槍(やり)の穗(ほ)に夕日(ゆふひ)宿(やど)れり

數(かぞ)ふればいま秋(あき)九月(ぐわつ)

赤帝(せきてい)の力(ちから)衰(おとろ)へ

天高(てんたか)く雲(くも)野(の)に似(に)たり

初陣(うひぢん)の駒(こま)鞭(むち)うたば

夢杳(ゆめはる)か兜(かぶと)の星(ほし)も

きらめきて東道(みちしるべ)せむ

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ

狐(きつね)啼(な)く森(もり)の彼方(かなた)に

月(つき)細(ほそ)くかゝれる時(とき)に

一(ひと)す〔ぢ〕の烽火(のろし)あがらば

勝軍(かちいくさ)笛(ふえ)ふきならせ

軍神(いくさがみ)わが肩(かた)のうへ

銀燭(ぎんしよく)の輝(かゞや)く下(もと)に

盃(さかづき)を洗(あら)ひて待(ま)ちね

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ

髮(かみ)皤(しろ)くきみ老(お)いませり

花(はな)若(わか)く我胸(わがむね)踴(をど)る

橋(はし)を斷(た)ちて砲(つゝ)おしならべ

巖(いは)高(たか)く劍(つるぎ)を植(う)ゑて

さか落(おと)し千丈(ぢやう)の崖(がけ)

旗(はた)さし物(もの)亂(みだ)れて入(い)らば

大雷雨(だいらいう)奈落(ならく)の底(そこ)

風(かぜ)寒(さむ)しあゝ皆(みな)血汐(ちしほ)

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ

君(きみ)しばしうたゝ寢(ね)のまに

繪卷物(ゑまきもの)逆(ぎやく)に開(ひら)きて

夕(ゆふ)べ星(ほし)波間(なみま)に沈(しづ)み

霧(きり)深(ふか)く河(かは)の瀨(せ)なりて

野(の)の草(くさ)に亂(みだ)るゝ螢(ほたる)

石(いし)の上(うへ)惡氣(あつき)上(のぼ)りて

亡跡(なきあと)を君(きみ)にしらせん

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ

故鄕(ふるさと)の寺(てら)の御庭(みには)に

うるはしく列(なら)ぶおくつき

栗(くり)の木(き)のそよげる夜半(よは)に

たゞ一人(ひとり)さまよひ入(い)りて

母上(はゝうへ)よ晩(おそ)くなりぬと

わが額(ぬか)をみ胸(むね)にあてゝ

ひたなきになきあかしなば

わが望(のぞみ)滿(み)ち足(た)らひなん

神(かみ)の手(て)に抱(いだ)かれずとも

 

父(ちゝ)よ其(その)手綱(たづな)を放(はな)せ

雲(くも)うすく秋風(あきかぜ)吹(ふ)きて

萩(はぎ)芒(すゝき)高(たか)なみ動(うご)き

軍人(いくさびと)小松(こまつ)のかげに

遠祖(みおや)らの功名(いさを)をゆめむ

今(いま)ぞ時(とき)貝(かひ)が音(ね)ひゞく

初陣(うひぢん)の駒(こま)むちうちて

西(にし)の方(かた)廣野(ひろの)を驅(か)らん

 

 

 

   駿馬問答(しゆんめもんだふ)

 

    使 者(ししや)

 

月毛(つきげ)なり連錢(れんぜん)なり

丈(たけ)三寸(ずん)年(とし)五歲(さい)

天上(てんじやう)二十八宿(しゆく)の連錢(れんぜん)

須彌(しゆみ)三十二相(さう)の月毛(つきげ)

靑龍(せいりゆう)の前脚(まへあし)

白虎(びやくこ)の後脚(うしろあし)

忠(ちゆう)を踏(ふ)むか義(ぎ)を踏(ふ)むか

諸蹄(もろひづめ)の薄墨色(うすゞみいろ)

落花(らつくわ)の雪(ゆき)か飛雪(ひせつ)の花(はな)か

生(はえ)つきの眞白栲(ましろたへ)

竹(たけ)を剝(は)ぎて天(てん)を指(さ)す兩(りやう)の耳(みゝ)のそよぎ

鈴(すゞ)を懸(か)けて地(ち)に向(むか)ふ雙(そう)の目(め)のうるほひ

擧(あが)れる筋(すぢ)怒いかれる肉(しゝ)

銀河(ぎんが)を倒(さかしま)にして膝(ひざ)に及(およ)ぶ鬣(たてがみ)

白雲(はくうん)を束(つか)ねて草(くさ)を曳(ひ)く尾(を)

龍蹄(りゆうてい)の形(かたち)驊騮(くわりゆう)の相(さう)

神馬(しんめ)か天馬(てんば)か

言語道斷(ごんごどうだん)希代(きだい)なり

城主(じやうしゆ)の御親書(ごしんしよ)

献上(けんじやう)達背(ゐはい)候(さふら)ふまじ

 

    駿馬(しゆんめ)の主(ぬし)

 

曲事(くせごと)仰(あふ)せ候(さふらふ)

城主(じやうしゆ)の執心(しゆうしん)物(もの)に相應(ふさ)はず

夫(そ)れ駿馬(しゆんめ)の來(きた)るは

聖代(せうだい)第(だい)一の嘉瑞(かずゐ)なり

虞舜(ぐしゆん)の世(よ)に鳳凰(ほうわう)下(くだ)り

孔子(こうし)の時(とき)に麒麟(きりん)出(いづ)るに同(おな)じ

理世安民(りせいあんみん)の治略(ちりやく)至(いた)らず

富國殖産(ふこくしよくさん)の要術(えうじゆつ)なくして

名馬(めいば)の所望(しよまう)及(およ)び候(さふら)はず

 

    使 者(ししや)

 

御馬(おんうま)の具(ぐ)は何々(なに/\)

水干鞍(すゐかんくら)の金覆輪(きんぷくりん)

梅(うめ)と櫻(さくら)の螺細(かながひ)は

御庭(おには)の春(はる)の景色(けしき)なり

韉(あをり)の縫物(ぬひもの)は

飛鳥(ひてう)の孔雀(くじやく)七寶(はう)の緣飾(へりかざり)

雲龍(うんりゆう)の大履脊(おほなめ)

紗(きぬ)の鞍帊(くらおほひ)

人車記(じんしやき)の故實(こじつ)に出(い)で

鐵地(かなぢ)の鐙(あぶみ)は

一葉(えう)の船(ふね)を形容(かたどつ)たり

𩋠(おもがひ)鞅(むながひ)鞦(しりがひ)は

大總(おほぶさ)小總(こぶさ)掛(か)け交(ま)ぜて

五色(しき)の絲(いと)の縷絲(よりいと)に

漣(さゞなみ)組(うつ)たる連着懸(れんぢやくかけ)

差繩(さしなは)行繩(やりなは)引繩(ひきなは)の

綠(みどり)に映(は)ゆる唐錦(からにしき)

菱形轡(ひしがたくつわ)蹄(ひづめ)の錢(かね)

馬装束(うまそうぞく)の數々(かず/\)を

盡(つく)して召(め)されうづるにても

御錠違背(ごじやうゐはい)候(さふら)ふか

 

    駿馬(しゆんめ)の主(ぬし)

 

中々(なか/\)の事(こと)に候(さふらふ)

駿馬(しゆんめ)の威德(ゐとく)は金銀(こんごん)を忌(い)み候(さふらふ)

 

    使 者(ししや)

 

さらば駿馬(しゆんめ)の威德(ゐとく)

御物語(おんものがたり)候(さふら)へ

 

    駿馬(しゆんめ)の主(ぬし)

 

夫(そ)れ駿馬(しゆんめ)の威德(ゐとく)といつば

世(よ)の常(つね)の口强(くちごは)足駿(あしばや)

笠懸(かさがけ)流鏑馬(やぶさめ)犬追物(いぬおふもの)

遊戲狂言(いうぎきやうげん)の凡畜(ぼんちく)にあらず

天竺震旦(てんぢくしんだん)古例(これい)あり

馬(うま)は觀音(くわんおん)の部衆(ぶしゆう)

雜阿含經(ぞうあごんぎやう)にも四種(しゆ)の馬(うま)を說(と)かれ

六波羅蜜(はらみつ)の功德(くどく)にて

畜類(ちくるゐ)ながらも菩薩(ぼさつ)の行(ぎやう)

悉陀太子(しつたたいし)金色(こんじき)の龍蹄(りゆうてい)に

十丈(ぢやう)の鐵門(てつもん)を越(こ)え

三界(ぐわい)の獨尊(どくそん)と仰(あふ)がれ給(たま)ふ

帝堯(ていげう)の白馬(はくば)

穆王(ぼくわう)の八駿(しゆん)

明天子(めいてんし)の德(とく)至(いた)れり

漢(かん)の光武(くわうぶ)は一日(じつ)に

千里(り)の馬(うま)を得(え)

寧王(ねいわう)朝夕(てうせき)馬(うま)を畫(ゑがい)て

桃花(とうくわ)馬(ば)を逸(いつ)せり

異國(いこく)の譚(はなし)は多(おほ)かれども

類稀(たぐひまれ)なる我宿(わがやど)の

一(いち)の駿馬(しゆんめ)の形相(ぎやうさう)は

嘶(いなゝ)く聲(こゑ)落日(らくじつ)を

中天(ちゆうてん)に回(めぐ)らし

蹄(ひづめ)の音(おと)星辰(せいしん)の

夜(よる)砕(くだ)くる響(ひゞき)あり

躍(をど)れば長髮(ちやうはつ)風(かぜ)に鳴(なつ)て

萬丈(ぢやう)の谷(たに)を越(こ)え

馳(は)すれば鐵脚(てつきやく)火(ひ)を發(はつ)して

千里(り)の道(みち)に疲(つか)れず

千斤(きん)の鎧(よろひ)百貫(くわん)の鞍(くら)

堅轡(かたぐつわ)强鞭(つよむち)

鎧(よろひ)かろがろ

鞍(くら)ゆら/\

轡(くつわ)は嚙(か)み碎(くだ)かれ

鞭(むち)はうちをれ

飽(あ)くまで肉(しゝ)の硬(かた)き上(うへ)に

身輕(みがる)の曲馬(きよくば)品々(しなじな)の藝(わざ)

碁盤立(ごばんだち)弓杖(ゆんづゑ)

一文字(もんじ)杭渡(くひわた)り

教(をしヘ)ずして自(おのづか)ら法(はふ)を得(え)たり

扨又(さてまた)絶險難所渡海登山(ぜつけんなんじよとかいとざん)

陸(くが)を行(ゆ)けば平地(へいち)を步(あゆ)むが如(ごと)く

海(うみ)に入(い)れば扁舟(へんしう)に棹(さを)さすに似(に)たり

木曾(きそ)の御嶽(おんたけ)駒(こま)ケ嶽(だけ)

越(こし)の白山(しらやま)立山(たてやま)

上宮太子(じやうぐうたいし)天馬(てんば)に騎(き)して

梵天宮(ぼんてんきう)に至(いた)り給(たま)ひし富士(ふじ)の峯(みね)

高(たか)き峯々(みね/\)嶽々(たけだけ)

阿波(あは)の鳴門(なる)穩戶(おんど)の瀨戶(せと)

天龍(てんりゆう)刀根(とね)湖水(こすゐ)の渡(わた)り

聞(きこ)ゆる急流(きふりう)荒波(あらなみ)も

蹄(ひづめ)にかけてかつし/\

肝(かん)臆(おぢ)ず驅(かけ)早(はや)し

いつかな馳(かけ)り越(こ)えつべし

そのほか戰場(せんぢやう)の砌(みぎり)は

風(かぜ)の音(おと)に伏勢(ふせぜい)を覺(さと)り

雲(くも)を見(み)て雨雪(うせつ)をわきまふ

先陣先驅(せんぢんさきがけ)拔驅(ぬけがけ)間牒(しのび)

又(また)は合戰最中(かつせんもなか)の時(とき)

槍(やり)矛(ほこ)箭(や)種(たね)ケ島(しま)

面(めん)をふり躰(たい)をかはして

主(しゆ)をかばふ忠(ちゆう)と勇(ゆう)は

家子郎等(いへのこらうどう)に異(こと)ならず

かゝる名馬(めいば)は奥(おく)の牧(まき)

吾妻(あづま)の牧(まき)大山(だいせん)木曾(きそ)

甲斐(かひ)の黑駒(くろごま)

その外(ほか)諸國(しよこく)の牧々(まき/\)に

萬頭(とう)の馬(うま)は候(さふら)ふとも

又(また)出(い)づべくも侯(さふら)はず

名馬(めいば)の鑑(かゞみ)駿馬(しゆんめ)の威德(ゐとく)

あゝら有難(ありがた)の我身(わがみ)や候(さふらふ)

 

    使 者(ししや)

 

御物語(おんものがたり)奇特(きとく)に候(さふらふ)

とう/\城(しろ)に立歸(たちかへ)り

再度(さいど)の御親書(ごしんしよ)

申(まう)し請(こ)はゞやと存(ぞん)じ侯(さふらふ)

 

    駿馬(しゆんめ)の主(ぬし)

 

かしまじき御使者(おんしゝや)候(さふらふ)

及(および)もなき御所望(ごしよまう)候(さふら)へば

いか程(ほど)の手立(てだて)を盡(つく)され

いくばくの御書(おんふみ)を遊(あそ)ばされ候(さふら)ふとも

御料(おんれう)には召(め)されまじ

法螺(ほら)鉦(かね)陣太鼓(ぢんだいこ)

旗(はた)さし物(もの)笠符(かさじるし)

軍兵(ぐんびやう)數多(あまた)催(もよほ)されて

家(いへ)のめぐり十重二十重(とへはたへ)

鬨(とき)の聲(こゑ)あげてかこみ候(さふら)ふとも

召料(めしれう)には出(いだ)さじ

器量(きりやう)ある大將軍(たいしやうぐん)にあひ奉(まつ)らば

其時(そのとき)こそ駒(こま)も榮(はえ)あれ駒主(こまぬし)も

道々(みち/\)引(ひ)くや四季繩(しきなは)の

春(はる)は御空(みそら)の雲雀毛(ひばりげ)

夏(なつ)は垣(かき)ほの卯花鴇毛(うのはなつきげ)

秋(あき)は落葉(おちば)の栗毛(くりげ)

冬(ふゆ)は折(を)れ伏(ふ)す蘆毛(あしげ)積(つも)る雪毛(ゆきげ)

數多(かずおほ)き御馬(おんうま)のうちにも

言上(ごんじやう)いたして召(め)され候(さふら)はん

拜謁(はいえつ)申(まう)して駿馬(しゆんめ)を奉(たてまつ)らん

 

この篇(へん)『飾馬考(かざりうまかんがへ)』『驊〔騮〕全書(くわりうぜんしよ)』『武器考證(ぶきかうしよう)』『馬術全書(はじゆつぜんしよ)』『鞍鐙之辯(くらあぶみのべん)』『春日神馬繪圖及解(かすがしんばゑづおよびげ)』『太平記(たいへいき)』及(およ)び巣林子(さうりんし)の諸作(しよさく)に憑(よ)る所(ところ)多(おほ)し敢(あへ)て出所(しゆつしよ)を明(あきらか)にす[やぶちゃん注:以上の注は底本では全体が一字下げのポイント落ちで三行。]

 

 

 

をはり

[やぶちゃん注:この「をはり」は先の「注」のついた「駿馬問答」の最終頁の裏一八八頁目の後部に単独で記されたある。なお以下、発行元である左久良書房の横長折込出版広告二片及び「左久良書房既刊圖書」広告頁四頁が続き、奥付の裏頁には同書房書籍の「特約大取次所」一覧があるが、すべて省略した。]

 

 

 

■本文ルビ排除版

 

   漂  泊

 

蓆戶に

秋風吹いて

河添の旅籠屋さびし

哀れなる旅の男は

夕暮の空を眺めて

いと低く歌ひはじめぬ

 

亡母は

處女と成りて

白き額月に現はれ

亡父は

童子と成りて

圓き肩銀河を渡る

 

柳洩る

夜の河白く

河越えて煙の小野に

かすかなる笛の音ありて

旅人の胸に觸れたり

 

故鄕の

谷間の歌は

續きつゝ斷えつつ哀し

大空の返響の音と

地の底のうめきの聲と

交りて調は深し

 

旅人に

母はやどりぬ

若人に

父は降れり

小野の笛煙の中に

かすかなる節は殘れり

 

旅人は

歌ひ續けぬ

嬰子の昔にかへり

微笑みて歌ひつゝあり

 

 

 

   淡路にて

 

古翁しま國の

野にまじり覆盆子摘み

門に來て生鈴の

百層を驕りよぶ

 

白晶の皿をうけ

鮮けき乳を灑ぐ

六月の飮食に

けたゝまし虹走る

 

淸凉の里いでゝ

松に行き松に去る

大海のすなどりは

ちぎれたり繪卷物

 

鳴門の子海の幸

魚の腹を胸肉に

おしあてゝ見よ十人

同音にのぼり來る

 

 

 

   秋和の里

 

月に沈める白菊の

秋冷まじき影を見て

千曲少女のたましひの

ぬけかいでたるこゝちせる

 

佐久の平の片ほとり

あきわの里に霜やおく

酒うる家のさゞめきに

まじる夕の鴈の聲

 

蓼科山の彼方にぞ

年經るおろち棲むといへ

月はろばろとうかびいで

八谷の奥も照らすかな

 

旅路はるけくさまよへば

破れし衣の寒けきに

こよひ朗らのそらにして

いとゞし心痛むかな

 

 

 

   旅行く人に

 

雨の渡に

   順禮の

姿寂しき

   夕間暮

 

霧の山路に

   駕舁の

かけ聲高き

   朝 朗[やぶちゃん注:一字空けはママ。]

 

旅は興ある

   頭陀袋

重きを土産に

   歸れ君

 

惡魔木暗に

   ひそみつゝ

人の財を

   ねらふとも

 

天女泉に

   下り立ちて

小瓶洗ふも

   目に入らむ

 

山蛭膚に

   吸ひ入らば

谷に藥水

   溢るべく

 

船醉海に

   苦しむも

龍神臟を

   醫すべし

 

鳥の尸に

   火は燃えて

山に地獄の

   吹噓聲

 

潮に異香

   薰ずれば

海に微妙の

   蜃氣樓

 

暮れて驛の

   町に入り

旅籠の門を

   くゞる時

 

米の玄きに

   驚きて

里に都を

   說く勿れ

 

女房語部

   背すりて

村の歷史を

   講ずべく

 

主 膳 夫[やぶちゃん注:二箇所の一字空けはママ。]

   雉子を獲て

旨 き 羹[やぶちゃん注:二箇所の一字空けはママ。]

   とゝのへむ

 

芭蕉の草鞋

   ふみしめて

圓位の笠を

   頂けば

 

風俗君の

   鹿島立

翁さびたる

   可笑しさよ

 

 

 

   島

 

黑潮の流れて奔る

沖中に漂ふ島は

 

眠りたる巨人ならずや

頭のみ波に出して

 

峨々として岩重れば

目や鼻や顏何ぞ奇なる

 

裸々として樹を被らず

聳えたる頂高し

 

鳥啼くも魚群れ飛ぶも

雨降るも日の出入るも

 

靑空も大海原も

春と夏秋と冬も

 

眠りたる巨人は知らず

幾千年頑たり崿たり

 

 

 

   海の聲

 

いさゝむら竹打戰ぐ

丘の徑の果にして

くねり可笑しくつら/\に

しげるいそべの磯馴松

 

花も紅葉もなけれども

千鳥あそべるいさごぢの

渚に近く下り立てば

沈みて靑き海の石

 

貝や拾はん莫告藻や

摘まんといひしそのかみの

歌をうたひて眞玉なす

いさごのうへをあゆみけり

 

波と波とのかさなりて

砂と砂とのうちふれて

流れさゞらぐ聲きくに

いせをの蜑が耳馴れし

音としもこそおぼえざれ

 

社をよぎり寺よぎり

鈴振り鳴らし鐘をつき

海の小琴にあはするに

澄みてかなしき簫となる

 

御座の灣西の方

和具の細門に船泛けて

布施田の里や靑波の

潮を渡る蜑の兒等

 

われその淵を泛べばや

われその水を渡らばや

しかず纜解き放ち

今日は和子が伴たらん

 

見ずやとも邊越賀の松

見ずやへさきに靑の峰

ゆたのたゆたのたゆたひに

潮の和みぞはかられぬ

 

和みは潮のそれのみか

日は麗らかに志摩の國

空に黃金や集ふらん

風は長閑に英虞の山

花や郡をよぎるらん

 

よしそれとても海士の子が

歌うたはずば詮ぞなき

歌ひてすぐる入海の

さし出の岩もほゝゑまん

 

言葉すくなき入海の

波こそ君の友ならめ

大海原の男のこらは

あまの少女は江の水に

 

さても縑の衣ならで

船路間近き藻の被衣

女だてらに水底の

黃泉國にも通ふらむ

 

黃泉の醜女は嫉妬あり

阿古屋の貝を敷き列ね

顏美き子等を誘ひて

岩の櫃もつくるらん

 

さばれ海なる底ひには

父も沈みぬちゝのみの

母も伏しぬ柞葉の

生れ乍らに水潜る

歌のふしもやさとるらん

 

櫛も捨てたり砂濱に

簪も折りぬ岩角に

黑く沈める眼のうちに

映るは海の泥のみ

 

若きが膚も潮沫の

觸るゝに早く任せけむ

いは間にくつる捨錨

それだに里の懷しき

 

哀歌をあげぬ海なれば

花草船を流れすぎ

をとめの群も船の子が

袖にかくるゝ秋の夢

 

夢なればこそ千尋なす

海のそこひも見ゆるなれ

それその石の圓くして

白きは星の果ならん

 

いまし蜑の子艪拍子の

など亂聲にきこゆるや

われ今海をうかがふに

とくなが顏は蒼みたり

 

ゆるさせたまへ都人

きみのまなこは朗らかに

いかなる海も射貫くらん

伝へきくらく此海に

男のかげのさすときは

かへらず消えず潜女の

深き業とぞ怖れたる

 

われ微笑にたへやらず

肩を叩いて童形の

神に翼を疑ひし

それもゆめとやいふべけん

 

島こそ浮かべくろぐろと

この入海の島なれば

いつ羽衣の落ち沈み

飛ばず翔らず成りぬらむ

 

見れば紫日を帶びて

陽炎ひわたる玉のつや

つや/\われはうけひかず

あまりに輕き姿かな

 

白ら松原小貝濱

泊つるや小舟船越の

昔は汐も通ひけむ

これや月日の破壞ならじ

 

潮のひきたる煌砂

うみの子ならで誰かまた

かゝる汀に仄白き

鏡ありやと思ふべき

 

大海原と入海と

こゝに迫りて海神が

こゝろなぐさや手すさびや

陸を細めし鑿の業

 

今細雲の曳き渡し

紀路は遙けし三熊野や

白木綿咲ける海岸に

落つると見ゆる夕日かな

 

 

 

   夏日孔雀賦

 

園の主に導かれ

庭の置石石燈籠

物古る木立築山の

景有る所うち過ぎて

池のほとりを來て見れば

棚につくれる藤の花

紫深き彩雲の

陰にかくるゝ鳥屋にして

番の孔雀砂を踏み

優なる姿睦つるゝよ

 

地に曳く尾羽の重くして

步はおそき雄の孔雀

雌鳥を見れば嬌やかに

柔和の性は具ふれど

綾に包める毛衣に

己れ眩き風情あり

 

雌鳥雄鳥の立竝び

砂にいざよふ影と影

飾り乏き身を耻ぢて

雌鳥は少し退けり

落羽は見えず砂の上

淸く掃きたる園守が

箒の痕も失せやらず

一つ落ち散る藤浪の

花を啄む雄の孔雀

長き花總地に垂れて

步めば遠し砂原

見よ君來れ雄の孔雀

尾羽擴ぐるよあなや今

あな擴げたりことごとく

こゝろ籠めたる武士の

晴の鎧に似たるかな

花の宴宮内の

櫻襲のごときかな

一つの尾羽をながむれば

右と左にたち別れ

みだれて靡く細羽の

金絲の縫を捌くかな

圓く張りたる尾の上に

圓くおかるゝ斑を見れば

雲の峯湧く夏の日に

炎は燃ゆる日輪の

半ば蝕する影の如

さても面は濃やかに

げに天鵞絨の軟かき

これや觸れても見まほしの

指に空しき心地せむ

 

いとゞ和毛のゆたかにて

胸を纏へる光輝と

紫深き羽衣は

紺地の紙に金泥の

文字を透すが如くなり

冠に立てる二本の

羽は何物直にして

位を示す名鳥の

これ頂の飾なり

身はいと小さく尾は廣く

盛なるかな眞白なる

砂の面を步み行く

君それ砂といふ勿れ

この鳥影を成す所

妙の光を眼にせずや

仰げば深し藤の棚

王者にかざす覆蓋の

形に通ふかしこさよ

四方に張りたる尾の羽の

めぐりはまとふ薄霞

もとより鳥屋のものなれど

鳥屋より廣く見ゆるかな

 

何事ぞこれ圓らかに

張れる尾羽より風出でゝ

見よ漣の寄るごとく

羽と羽とを疾くぞ過ぐ

天つ錦の羽の戰ぎ

香りの草はふまずとも

香らざらめやその和毛

八百重の雲は飛ばずとも

響かざらめやその羽がひ

獅子よ空しき洞をいで

小暗き森の巖角に

その鬣をうち振ふ

猛き姿もなにかせむ

鷲よ御空を高く飛び

日の行く道の縱橫に

貫く羽を摶ち羽ぶく

雄々しき影もなにかせむ

誰か知るべき花蔭に

鳥の姿をながめ見て

朽ちず亡びず價ある

永久の光に入りぬとは

誰か知るべきこゝろなく

庭逍遙の目に觸れて

孔雀の鳥屋の人の世に

高き示しを與ふとは

時は滅びよ日は逝けよ

形は消えよ世は失せよ

其處に殘れるものありて

限りも知らず極みなく

輝き渡る樣を見む

今われ假りにそのものを

美しとのみ名け得る

 

振放け見れば大空の

日は午に中たり南の

高き雲間に宿りけり

織りて隙なき藤浪の

影は幾重に匂へども

紅燃ゆる天津日の

熖はあまり强くして

梭と飛び交ひ箭と亂れ

銀より白き穗を投げて

これや孔雀の尾の上に

盤渦卷きかへり迸り

或は露と溢れ零ち

或は霜とおき結び

彼處に此處に戲るゝ

千々の日影のたゞずまひ

深き淺きの差異さへ

色薄尾羽にあらはれて

涌來る彩の幽かにも

末は朧に見ゆれども

盡きぬ光の泉より

ひまなく灌ぐ金の波

と見るに近き池の水

あたりは常のまゝにして

風なき晝の藤の花

靜かに垂れて咲けるのみ

 

今夏の日の初めとて

菖蒲刈り葺く頃なれば

力あるかな物の榮

若き綠や樹は繁り

煙は探し園の内

石も靑葉や萌え出でん

雫こぼるゝ苔の上

雫も堅き思あり

思へば遠き冬の日に

かの美しき尾も凍る

寒き塒に起臥して

北風通ふ鳥屋のひま

雙の翼うちふるひ

もとよりこれや靈鳥の

さすがに羽は亂さねど

塵のうき世に捨てられて

形は薄く胸は瘦せ

命死ぬべく思ひしが

かくばかりなるさいなみに

鳥はいよ/\美しく

奇しき戰や冬は負け

春たちかへり夏來り

見よ人にして桂の葉

鳥は御空の日に向ひ

尾羽を擴げて立てるなり

讃に堪へたり光景の

庭の面にあらはれて

雲を驅け行く天の馬

翼の風の疾く强く

彼處蹄や觸れけんの

雨も溶き得ぬ深綠

澱未だ成らぬ新造酒の

流を見れば倒しまに

底ことごとくあらはれて

天といふらし盃の

落すは淺黃瑠璃の河

地には若葉の神飾り

誰行くらしの車路ぞ

朝と夕との雙手もて

擎ぐる珠は陰光

溶けて去なんず春花に

くらべば强き夏花や

成れるや陣に驕慢の

汝孔雀よ華やかに

又かすかにも濃やかに

千々の千々なる色彩を

間なく時なく眩ゆくも

標はし示すたふとさよ

草は靡きぬ手を擧げて

木々は戰ぎぬ袖振りて

卽ち物の證明なり

かへりて思ふいにしへの

人の生命の春の日に

三保の松原漁夫の

懸る見してふ天の衣

それにも似たる奇蹟かな

こひねがはくば少くも

此處も駿河とよばしめよ

 

斯くて孔雀は尾ををさめ

妻懸ふらしや雌をよびて

語らふごとく鳥屋の内

花耻かしく藤棚の

柱の陰に身をよせて

隠るゝ風情哀れなり

しば/\藤は砂に落ち

ふむにわづらふ鳥と鳥

あな似つかしき雄の鳥の

羽にまつはる雌の孔雀

 

 

 

   花賣

 

花賣娘名はお仙

十七花を賣りそめて

十八戀を知りそめて

顏もほてるや耻かしの

蝮に儼まれて脚切るは

山家の子等に驗あれど

戀の附子矢に傷かば

毒とげぬくも晩からん

 

村の外れの媼にきく

昔も今も花賣に

戀せぬものはなかりけり

花の蠱はす業ならん

 

市に艷なる花賣が

若き脈搏つ花一枝

彌生小窓にあがなひて

戀の血汐を味はん

 

 

 

   月光日光

 

月光の

    語るらく

わが見しは一の姬

  古あをき笛吹いて

  夜も深く塔の

  階級に白々と

    立ちにけり

 

日光の

    語るらく

わが見しは二の姬

  香木の髓香る

  槽桁や白乳に

  浴みして降りかゝる

  花姿天人の

  喜悅に地どよみ

    虹たちぬ

 

月光の

    語るらく

わが見しは一の姬

  一葉舟湖にうけて

霧の下まよひては

  髮かたちなやましく

    亂れけり

 

日光の

    語るらく

わが見しは二の姬

  顏映る圓柱

  驕り鳥尾を觸れて

  風起り波怒る

  霞立つ空殿を

  七尺の裾曳いて

  黃金の跡印けぬ

 

月光の

    語るらく

わが見しは一の姬

  死の島の岩陰に

  靑白くころび伏し

  花もなくむくろのみ

    冷えにけり

 

日光の

    語るらく

わが見しは二の姬

  城近く草ふみて

  妻覓ぐと來し王子は

  太刀取の耻見じと

  火を散らす駿足に

  かきのせて直走に

  國領を去りし時

  春風は微吹きぬ

 

 

 

   華燭賦

 

律師は麓の

   寺をいでゝ

駕は山の上

   竹の林の

夕の家の

   門に入りぬ

 

親戚誰彼

   宴をたすけ

小皿の音

   厨にひゞき

燭を呼ぶ聲

   背戶に起る

 

小桶の水に

   浸すは若菜

若菜を切るに

   俎板馴れず

新しき刄の

   痕もなければ

 

菱形なせる

   窓の外に

三尺の雪

   戶を壓して

靜かに暮るゝ

   山の夕

 

夕は

   樂しき時

夕は

   淸き時

夕は

   美しき時

 

この夕

   雪あり

この夕

   月あり

この夕

   宴あり

 

火の氣弱きを

   憂ひて

竈にのみ

   立つな

室に入りて

   花の人を見よ

 

花の人と

   よびまゐらせて

この夕は

   名をいはず

この夕は

   名なし

 

律師席に入て

   霜毫威あり

長人を煩はすに

   堪へたり夕

 

琥珀の酒

   酌むに盃あり

盃の色

   紅なるを

山人驕奢に

   長ずと言ふか

 

紅は紅の

   芙蓉の花の

秋の風に

   折れたる其日

市の小路の

   店に獲たるを

律師詩に堪能

   箱の蓋に

紅花盃と

   書して去りぬ

 

紅花盃を

   重ねて

雪夜の宴

   月出でたり

月出でたるに

   島臺の下暗き

 

島臺の下

   暗き

蓬莱の

   松の上に

斜におとす

   光なれば

 

銀の錫懸

   用意あらむや

山の竹より

   笹を摘みて

陶瓶の口に

   挿せしのみ

 

王者の調度に

   似ぬは何々

其子の帶は

うす紫の

友禪染の

   唐縮緬か

 

艷ある髮を

   結ぶ時は

風よく形に

逆らひ吹くと

怨ずる恨み

   今無し

 

若き木樵の

   眉を見れば

燭を剪る時

   陰をうけて

額白き人

   室にあり

 

袴のうへに

   手をうちかさね

困ずる席は

   花のむしろ

筵の色を

   評するには

まだ唇の

紅ぞ深き

 

北の家より

   南の家に

來る道すがら

   得たる思は

花にあらず

   蜜にあらず

 

花よりも

   蜜よりも

美しく甘き

   思は胸に溢れたり

 

雷落ちて

   籔を燒きし時

諸手に腕を

   許せし人は

今相對ひて

   月を挾む

 

盃とるを

   差る二人は

天の上

   若き星の

酒の泉の

   前に臨みて

香へる浪に

   恐づる風情

 

紅花盃

   琥珀の酒

白き手より

   荒き手にうけて

百の矢うくるも

   去るな二人

御寺の塔の

   扉に彫れる

神女の戲

   笙を吹いて

舞ふにまされる

   雪夜のうたげ

律師駕に命じて

   北の家に行き

月下の氷人

   去りて後

二人いさゝか

   容儀を解きぬ

 

夜を賞するに

   律師の詩あり

詩は月中に

   桂樹挂り

千丈枝に

   銀を着く

銀光溢れて

   家に入らば

卜する所

   幸なりと

 

 

 

   五月野

 

五月野の晝しみら

瑠璃囀の鳥なきて

草長き南國

極熱の日に火ゆる

 

謎と組む曲路

深沼の岸に盡き

人形の樹立見る

石の間靑き水

 

水を截る圓肩に

睡蓮花を分け

のぼりくる美し君

柔かに眼を開けて

 

王藻髮捌け落ち

眞素膚に飜へる浪

木々の道木々に倚り

多の草多にふむ

 

葉の裏に虹懸り

姬の路金撲つ

大地の人離野

變化居る白日時

 

垂鈴の百濟物

熟れ撓む石の上

みだれ伏す姬の髮

高圓の日に乾く

 

手枕の腕つき

白玉の夢を展べ

處女子の胸肉は

力ある足の弓

 

五月野の濡跡道

深沼の小黑水

落星のかくれ所と

傳へきく人の子等

 

空像の數知らず

うかびくる岸の隈

湧き上ぼる高水に

いま起る物の音

 

めざめたる姬の面

丹穗なす火にもえて

たわわ髮身を起す

光宮玉の人

 

微笑みて下り行く

湖の底姬の國

足うらふむ水の梯

物の音遠ざかる

 

目路のはて岸木立

晝下ちず日の眞洞

迷野の道の奥

水姬を誰知らむ

 

 

 

   花柑子

 

島國の花柑子

高圓に匂ふ夜や

大渦の荒潮も

羽をさめほゝゑめり

 

病める子よ和の今

窓に倚り常花の

星村にぬかあてゝ

さめざめとなけよかし

 

生をとめ月姬は

新なる丹の皿に

開命貴寶を盛り

よろこびの子にたびん

 

淸らなる身とかはり

五月野の遠を行く

花環虹めぐり

銀の雨そゝぐ

 

 

 

   不開の間

 

花吹雪

まぎれに

さそはれて

いでたまふ

館の姬

 

蝕める

古梯

眼の前に

櫓だつ

不開の間

 

香の物

焚きさし

採火女めく

影動き

きえにけり

 

夢の華

處女の

胸にさき

きざはしを

のぼるか

 

諸扉

さと開く

風のごと

くらやみに

誰ぞあるや

 

色蒼く

まみあけ

衣冠して

束帶の

人立てり

 

思ふ今

いけにへ

百年を

人柱

えも朽ちず

 

年若き

つはもの

戀人を

持ち乍ら

うめられぬ

 

怪し瞳

炎に

身は燃えて

死にながら

輝ける

 

何しらん

禁制

姬の裾

なほ見えぬ

扉とづ

 

白壁に

居る蟲

春の日は

うつろなす

暮れにけり

 

 

 

   安乘の稚兒

 

志摩の果安乘の小村

早手風岩をどよもし

柳道木々を根こじて

虛空飛ぶ斷れの細葉

 

水底の泥を逆上げ

かきにごす海の病

そゝり立つ波の大鋸

過げとこそ船をまつらめ

 

とある家に飯蒸かへり

男もあらず女も出で行きて

稚子ひとり小籠に座り

ほゝゑみて海に對へり

 

荒壁の小家一村

反響する心と心

稚子ひとり恐怖をしらず

ほゝゑみて海に對へり

 

いみじくも貴き景色

今もなほ胸にぞ跳る

少くして人と行きたる

志摩のはて安乘の小村

 

 

 

   鬼の語

 

顏蒼白き若者に

祕める不思議きかばやと

村人數多來れども

彼はさびしく笑ふのみ

 

前の日村を立出でゝ

仙者が嶽に登りしが

恐怖を抱くものゝごと

山の景色を語らはず

 

傳へ聞くらく此河の

きはまる所瀧ありて

其れより奥に入るものは

必ず山の祟あり

 

蝦蟆氣を吹きて立曇る

篠竹原を分け行けば

冷えし掌あらはれて

〔項〕顏に觸るゝとぞ

 

陽炎高さ二萬尺

黃山赤山黑山の

劍を植ゑたる頂に

祕密の主は宿るなり

 

盆の一日は暮れはてゝ

淋しき雨と成りにけり

怪しく光りし若者の

眼の色は冴え行きぬ

 

劉邦未だ若うして

谷路の底に蛇を斬りつ

而うして彼漢王の

位をつひに贏ち獲たり

 

この子も非凡山の氣に

中たりて床に隠れども

禁を守りて愚鈍者に

鬼の語を語らはず

 

 

   戲れに

 

わが居る家の大地に

黑き帝の住みたまひ

地震の踊の優なれば

下り來れと勅あれど

われは行きえず人なれば

 

わが居る家の大空に

白き女王の住みたまひ

星の祭の艷なれば

上り來れと勅あれど

われは行きえず人なれば

 

わが居る家の古厨子に

遠き御祖の住みたまひ

とこ降る花のたへなれば

開けて來れとのたまへど

われは行きえず人なれば

 

わが居る家の厨内

働く妻をよびとめて

夕の設をたづぬるに

好める魚のありければ

われは行きけり人なれば

 

 

 

   初陣

 

父よ其手綱を放せ

槍の穗に夕日宿れり

數ふればいま秋九月

赤帝の力衰へ

天高く雲野に似たり

初陣の駒鞭うたば

夢杳か兜の星も

きらめきて東道せむ

父よ其手綱を放せ

狐啼く森の彼方に

月細くかゝれる時に

一す〔ぢ〕の烽火あがらば

勝軍笛ふきならせ

軍神わが肩のうへ

銀燭の輝く下に

盃を洗ひて待ちね

 

父よ其手綱を放せ

髮皤くきみ老いませり

花若く我胸踴る

橋を斷ちて砲おしならべ

巌高く劍を植ゑて

さか落し千丈の崖

旗さし物亂れて入らば

大雷雨奈落の底

風寒しあゝ皆血汐

 

父よ其手綱を放せ

君しばしうたゝ寝のまに

繪卷物逆に開きて

夕べ星波間に沈み

霧深く河の瀨なりて

野の草に亂るゝ螢

石の上惡氣上りて

亡跡を君に志らせん[やぶちゃん字注:「志」はママ。但し崩し字。]

 

父よ其手綱を放せ

故鄕の寺の御庭に

うるはしく列ぶおくつき

栗の木のそよげる夜半に

たゞ一人さまよひ入りて

母上よ晩くなりぬと

わが額をみ胸にあてゝ

ひたなきになきあかしなば

わが望滿ち足らひなん

神の手に抱かれずとも

 

父よ其手綱を放せ

雲うすく秋風吹きて

萩芒高なみ動き

軍人小松のかげに

遠祖らの功名をゆめむ

今ぞ時貝が音ひゞく

初陣の駒むちうちて

西の方廣野を驅らん

 

 

 

   駿馬問答

 

    使 者

 

月毛なり連錢なり

丈三寸年五歲

天上二十八宿の連錢

須彌三十二相の月毛

靑龍の前脚

白虎の後脚

忠を踏むか義を踏むか

諸蹄の薄墨色

落花の雪か飛雪の花か

生つきの眞白栲

竹を剝ぎて天を指す兩の耳のそよぎ

鈴を懸けて地に向ふ雙の目のうるほひ

擧れる筋怒いかれる肉

銀河を倒にして膝に及ぶ鬣

白雲を束ねて草を曳く尾

龍蹄の形驊騮の相

神馬か天馬か

言語道斷希代なり

城主の御親書

献上達背候ふまじ

 

    駿馬の主

 

曲事仰せ候

城主の執心物に相應はず

夫れ駿馬の來るは

聖代第一の嘉瑞なり

虞舜の世に鳳凰下り

孔子の時に麒麟出るに同じ

理世安民の治略至らず

富國殖産の要術なくして

名馬の所望及び候はず

 

    使 者

 

御馬の具は何々

水干鞍の金覆輪

梅と櫻の螺細は

御庭の春の景色なり

韉の縫物は

飛鳥の孔雀七寶の緣飾

雲龍の大履脊

紗の鞍帊(くらおほひ)

人車記の故實に出で

鐵地の鐙は

一葉の船を形容たり

※鞅鞦は[やぶちゃん字注:※=(革+面)。]

 

大總小總掛け交ぜて

五色の絲の縷絲に

漣組たる連着懸

差繩行繩引繩の

綠に映ゆる唐錦

菱形轡蹄の錢

馬装束の數々を

盡して召されうづるにても

御錠違背候ふか

 

    駿馬の主

 

中々の事に候

駿馬の威德は金銀を忌み候

 

    使 者

 

さらば駿馬の威德

御物語候へ

 

    駿馬の主

 

夫れ駿馬の威德といつば

世の常の口强足駿

笠懸流鏑馬犬追物

遊戲狂言の凡畜にあらず

天竺震旦古例あり

馬は觀音の部衆

雜阿含經にも四種の馬を說かれ

六波羅蜜の功德にて

畜類ながらも菩薩の行

悉陀太子金色の龍蹄に

十丈の鐵門を越え

三界の獨尊と仰がれ給ふ

帝堯の白馬

穆王の八駿

明天子の德至れり

漢の光武は一日に

千里の馬を得

寧王朝夕馬を畫て

桃花馬を逸せり

異國の譚は多かれども

類稀なる我宿の

一の駿馬の形相は

嘶く聲落日を

中天に回らし

蹄の音星辰の

夜砕くる響あり

躍れば長髮風に鳴て

萬丈の谷を越え

馳すれば鐵脚火を發して

千里の道に疲れず

千斤の鎧百貫の鞍

堅轡强鞭

鎧かろがろ

鞍ゆら/\

轡は儼み碎かれ

鞭はうちをれ

飽くまで肉の硬き上に

身輕の曲馬品々の藝

碁盤立弓杖

一文字杭渡り

教ずして自ら法を得たり

扨又絶險難所渡海登山

陸を行けば平地を步むが如く

海に入れば扁舟に棹さすに似たり

木曾の御嶽駒ケ嶽

越の白山立山

上宮太子天馬に騎して

梵天宮に至り給ひし富士の峯

高き峯々嶽々

阿波の鳴門穩戶の瀨戶

天龍刀根湖水の渡り

聞ゆる急流荒波も

蹄にかけてかつし/\

肝臆ず驅早し

いつかな馳り越えつべし

そのほか戰場の砌は

風の音に伏勢を覺り

雲を見て雨雪をわきまふ

先陣先驅拔驅間牒

又は合戰最中の時

槍矛箭種ケ島

面をふり躰をかはして

主をかばふ忠と勇は

家子郎等に異ならず

かゝる名馬は奥の牧

吾妻の牧大山木曾

甲斐の黑駒

その外諸國の牧々に

萬頭の馬は候ふとも

又出づべくも侯はず

名馬の鑑駿馬の威德

あゝら有難の我身や候

 

    使 者

 

御物語奇特に候

とう/\城に立歸り

再度の御親書

申し請はゞやと存じ侯

 

    駿馬の主

 

かしまじき御使者候

及もなき御所望候へば

いか程の手立を盡され

いくばくの御書を遊ばされ候ふとも

御料には召されまじ

法螺鉦陣太鼓

旗さし物笠符

軍兵數多催されて

家のめぐり十重二十重

鬨の聲あげてかこみ候ふとも

召料には出さじ

器量ある大將軍にあひ奉らば

其時こそ駒も榮あれ駒主も

道々引くや四季繩の

春は御空の雲雀毛

夏は垣ほの卯花鴇毛

秋は落葉の栗毛

冬は折れ伏す蘆毛積る雪毛

數多き御馬のうちにも

言上いたして召され候はん

拜謁申して駿馬を奉らん

 

この篇『飾馬考』『驊〔騮〕全書』『武器考證』『馬術全書』『鞍鐙之辯』『春日神馬繪圖及解』『太平記』及び巣林子の諸作に憑る所多し敢て出所を明にす[やぶちゃん注:以上の注は底本では全体が一字下げのポイント落ちで三行。]

 

 

 

をはり

[やぶちゃん注:この「をはり」は先の「注」のついた「駿馬問答」の最終頁の裏一八八頁目の後部に単独で記されてある(ポイント落ち)。なお以下、発行元である左久良書房の横長折込出版広告二片及び「左久良書房既刊圖書」広告頁四頁が続き、奥付の裏頁には同書房書籍の「特約大取次所」一覧があるが、すべて省略した。]

 

 

 

《奥付》