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鬼火へ

[やぶちゃん注:末尾に大正十五(1926)年七月二十日の執筆を明記する遺稿。底本は岩波版旧全集を用いたが、底本は総ルビなるも、五月蠅いので、一部の誤読の恐れのあるものを除いてほとんど省略した。]

鵠沼雜記   芥川龍之介


 僕は鵠沼の東屋の二階にぢつと仰向けに寢ころんでゐた。その又僕の枕もとには妻と伯母とが差向ひに庭の向うの海を見てゐた。僕は目をつぶつたまま、「今に雨がふるぞ」と言つた。妻や伯母はとり合はなかつた。殊に妻は「このお天氣に」と言つた。しかし二分とたたないうちに珍らしい大雨(たいう)になつてしまつた。
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 僕は全然人かげのない松の中の路を散歩してゐた。僕の前には白犬が一匹、尻を振り振り歩いて行つた。僕はその犬の睾丸を見、薄赤い色に冷たさを感じた。犬はその路の曲り角へ來ると、急に僕をふり返つた。それから確かににやりと笑つた。
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 僕は路ばたの砂の中に雨蛙が一匹もがいてゐるのを見つけた。その時あいつは自動車が來たら、どうするつもりだらうと考へた。しかしそこは自動車などのはひる筈のない小みちだつた。しかし僕は不安になり、路ばたに茂つた草の中へ杖の先で雨蛙をはね飛ばした。
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 僕は風向きに從つて一樣に曲つた松の中に白い洋館のあるのを見つけた。すると洋館も歪んでゐた。僕は僕の目のせゐだと思つた。しかし何度見直しても、やはり洋館は歪んでゐた。これは不氣味でならなかつた。
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 僕は風呂へはひりに行つた。彼是午後の十一時だつた。風呂場の流しには青年が一人、手拭を使はずに顏を洗つてゐた。それは毛を拔いた鷄のやうに痩せ衰へた青年だつた。僕は急に不快になり、僕の部屋へ引返した。すると僕の部屋の中に腹卷が一つぬいであつた。僕は驚いて帶をといて見たら、やはり僕の腹卷だつた。(以上東屋にゐるうち)
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 僕は夢を見てゐるうちはふだんの通りの僕である。ゆうべ(七月十九日)は佐佐木茂索君と馬車に乘つて歩きながら、麥藁帽をかぶつた馭者に北京の物價などを尋ねてゐた。しかしはつきり目がさめてから二十分ばかりたつうちにいつか憂鬱になつてしまふ。唯灰色の天幕(テント)の裂け目から明るい風景が見えるやうに時々ふだんの心もちになる。どうも僕は頭からじりじり參つて來るのらしい。
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 僕はやはり散歩してゐるうちに白い水着を着た子供に遇つた。子供は小さい竹の皮を兎のやうに耳につけてゐた。僕は五六間離れてゐるうちから、その鋭い竹の皮の先が妙に恐しくてならなかつた。その恐怖は子供とすれ違つた後(のち)も、暫くの間はつづいてゐた。
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 僕はぼんやり煙草を吸ひながら、不快なことばかり考へてゐた。僕の前の次の間にはここへ來て雇つた女中が一人、こちらへは背中を見せたまま、おむつを疊んでゐるらしかつた。僕はふと「そのおむつには毛蟲がたかつてゐるぞ」と言つた。どうしてそんなことを言つたかは僕自身にもわからなかつた。すると女中は頓狂な調子で「あら、ほんたうにたかつてゐる」と言つた。
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 僕はバタの罐をあけながら、輕井澤の夏を思ひ出した。その拍子に頸すぢがちくりとした。僕は驚いてふり返つた。すると輕井澤に澤山ゐる馬蠅が一匹飛んで行つた。それもこのあたりの馬蠅ではない。丁度輕井澤の馬蠅のやうに緑色の目をした馬蠅だつた。
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 僕はこの頃空の曇つた、風の強い日ほど恐しいものはない。あたりの風景は敵意を持つてぢりぢり僕に迫るやうな氣がする。その癖前に恐しかつた犬や神鳴は何ともない。僕はをととひ(七月十八日)も二三匹の犬が吠え立てる中を歩いて行つた。しかし松風(まつかぜ)が高まり出すと、晝でも頭から蒲團をかぶるか、妻のゐる次の間へ避難してしまふ。
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 僕はひとり散歩してゐるうちに齒醫者の札(ふだ)を出した家を見つけた。が、二三日たつた後(のち)、妻とそこを通つて見ると、そんな家は見えなかつた。僕は「確かにあつた」と言ひ、妻は「確かになかつた」と言つた。それから妻の母に尋ねて見た。するとやはり「ありません」と言つた。しかし僕はどうしても、確かにあつたと思つてゐる。その札は齒と本字を書き、イシヤと片假名を書いてあつたから、珍らしいだけでも見違へではない。(以上家をかりてから) (一五・七・二〇)