輕井澤で 芥川龍之介
――「追憶」の代はりに――
[やぶちゃん注:昭和二(1927)年三月一日発行の雑誌『文藝春秋』に掲載。底本は岩波版旧全集を用いた。注を付した。]
輕井澤で
――「追憶」の代はりに――
黑馬に風景が映つてゐる。
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朝のパンを石竹の花と一しよに食はう。
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この一群の天使たちは蓄音機のレコオドを翼にしてゐる。
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町はづれに栗の木が一本。その下にインクがこぼれてゐる。
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青い山をひつ掻いて見給へ。石鹼が幾つもころげ出すだらう。
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英字新聞には黄瓜(かぼちや)を包め。
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誰かあのホテルに蜂蜜を塗つてゐる。
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M夫人――舌の上に蝶が眠つてゐる。
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Fさん――額の毛が乞食をしてゐる。
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Oさん――あの口髭は駝鳥の羽根だらう。
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詩人S・Mの言葉――芒の穗は毛皮(けがは)だね。
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或牧師の顏――臍!
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レエスやナプキンの中へずり落ちる道。
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碓氷山上の月、――月にもかすかに苔が生えてゐる。
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H老夫人の死、――霧は佛蘭西の幽靈に似てゐる。
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馬蠅は水星にも群つて行つた。
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ハムモツクを額に感じるうるささ。
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雷は胡椒よりも辛い。
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「巨人の椅子」と云ふ岩のある山、――瞬かない顏が一つ見える。
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あの家は桃色の齒齦(はぐき)をしてゐる。
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羊の肉には羊齒の葉を添へ給へ。
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さやうなら。手風琴の町、さようなら、僕の抒情詩時代。
(大正十四年稿)
[やぶちゃん注:本篇は大正十四(1925)八月二十日から九月七日迄の軽井沢滞在(滞在先は鶴屋旅館)の折の作である。わざとこの避暑客の帰る頃に滞在したのは、愛していた「越し人」松村みね子との接触をなるべく避け(八月二十八日には松村みね子親子は帰京している)、己が恋の焰を抑えんがためであった。当時宿泊していた著名人のイニシャルから推理すると、「M夫人」は松村みね子と考えてよい。そこから考えると、「Fさん」は、松村みね子=片山広子の娘である片山総子の可能性がある。「Oさん」は松村と入れ違いにやって来た盟友の画家小穴隆一か。但し、彼が口髭を生やしていたかどうかは確認できていない(私の知る限りの小穴の数葉写真では髭は生やしていない)。「詩人S・M」は室生犀星。犀星は他にも、妙義山を眺めて感嘆して、「あの山はシヤウガのやうだね」とも評した(同年八月二十五日付小穴隆一宛旧全集一三五八書簡)。「碓氷山上の月」とは、八月三十一日の夜、小穴隆一、佐佐木茂索夫妻(芥川は前月の七月三十一日にこの夫妻の婚姻届に保証人としてサインしている)、堀辰雄らと共に、自動車で碓氷峠へ月見に行った折のことを言う。「H老夫人」は不詳。「巨人の椅子」は堀辰雄の「ルウベンスの偽画」にも登場する(ちなみにこの鶴屋旅館は堀辰雄と後の妻矢野綾子の出逢いの場ともなった)。但し、ネット上の情報でも、ジャイアンツ・チェアと呼称され、矢ケ崎山の山頂から見える巨大な椅子のような形をした岩山を指しているとも、また、南軽井沢の現在はゴルフ場になっている辺りの失われた岩塊とも、更には現在、オルガン・ロックと呼ばれている愛宕山の背後の柱状節理の絶壁を指す等と、諸説がある。]