梶井基次郎遺稿全小説集(全12篇)
[やぶちゃん注:底本は筑摩書房昭和四十一(1966)年刊の「梶井基次郎全集」第二巻を用い、ここで『遺稿』として掲載された12篇すべてを掲載した(新全集は所持していないので、新全集の新知見は私の関知するところではないが、問題があればいつでもお待ちしている。但しその新全集を楯にした批判によって本テクストを修正することは原則的にないことは申し上げておく。それが校訂という行為であると私は思うからである)。各作品の末尾の括弧書きの年月は、底本編者による執筆推定時期である(ちなみに標題の下の「斷片」及び作品末の「(缺)」も勿論、編者によるものであると思われるが、私はこの標記にはやや疑義を持つものである。それが本当に未完原稿の意識的断絶であるのか、または断ち切られたようでありながら終局であるのか、はたまたそれ以降の原稿の廃棄であるのか、物理的な紛失であるのかは誰にも分からない。但し、底本を尊重して、そのままとした)。文中の< >による表記部分は、抹消された字句の横に書き改められたか、または欄外に書き入れられた字句であることを示すもので、底本の編者による記号と同じものを用いた。但し、底本の編者註や本分にある抹消部分は取り消し線をもって示し(取り消し線が連続しておらず、半角の空欄がある場合は、それらが別個な推敲過程で書き入れられ、もしくは別々に抹消されたことを示すと理解されたい)、一部に注を附し(その際、底本の注記も一部参考にしたが、注として納得できずに無視したものも幾つかあり、独自に作成したものが殆どである)、各作品の間に「*」を入れた。なお、本ページに表れる「稽」の字は、底本ではすべて「ヒ」が「上」の字体であるが、注を省略した。最後に、底本の校訂記号に於いて特に杜撰であると思われたのは、削除が行頭から行われている場合、頭が一字空きになっているかどうかが分からない点であった。そこは自身で恣意的に判断してテクスト化した。【2007年1月18日】【2014年2月15日追記】下線に変えていた読みを底本に従ってルビ化した。]
栗鼠は籠にはいつてゐる 梶井基次郎
陽のよくあたる久し振りの朝!
人はみな職場に、子供達は學校へ、みな行つてしまつたあとの街を歩くことは、日頃怠惰な藝術家にとつてなんといふ愉しいことだらう。うららかにもひつそりしてゐる。道で會ふのは赤ん坊をおぶつたお婆さんか、自轉車に乘つた御用聞しかない。高い土塀に咲殘つた
日光にはまだ生氣がある。これが晝をすこし過ぎると、なぜあんなにも物悲しくなるのか?
そんなある朝、私は「鳥源」といふ小鳥屋の店先に立つて、陽を浴びて騷いでゐる小鳥達を眺めてゐた。彼等は餌を貰つたところだつたらしい。菜つ葉を食ひ裂き、粟を蹴散らし、水を
そのうちに私は非常に興味のある一つの籠を發見した。それは黑い寶玉のやうな眼をした、褐色の背に白い縞の走つてゐる
この連中は十匹で二十匹の錯覺を與へるために活動してゐた。餌を食ひに來てゐる奴のほかは、まるで姿がつかまらない。籠を垂直に驅けあがつてゆく。身を飜す。もう向ふ側を驅け下りてゐる。また驅けあがつてゆく。もう下りて來てゐる。また驅けあがつてゆく。もう下りて來てゐる。
アーチだ! いつも一定の、好もしい、飛躍の恰好の殘像で構成されてゐる。
餌を食つてゐる彼等はほんたうに可憐に悧巧そう[やぶちゃん注:ママ。]に見える。
隣りの平たい籠のなかでは、彼等はまた車を𢌞さされてゐた。
彼等の一匹が車のなかへはいると、車は猛然と𢌞り出す。彼は驅ける驅ける。車は𢌞る𢌞る。まるで旋風機のやうに。棧もなにもかも見えなくなつてしまふ。そのなかから、彼の永久の疾驅の恰好が商標のやうに浮き出して來る。ついと彼が走りやめる。と、棧がブランブランと搖いで、そのなかから彼の一走りをすませた彼の姿がそのなかから下りて來る。そしてまた代りの奴がはいる。そしてまた車が𢌞り出す。
彼等はその遊びに驚くべく熱心である。なぜだらう? これが天性といふのだらうか? それとも別の訓練がかくも彼等を「六日競爭」の選手にしてしまつたのだらうか?
しかし私はさきほどの籠のアクロバツト達を見較べて見ることによつて、「圓の逆は點なり」といふ難しい數學の定理を思ひ出しながら、それを「天性」だと歸納してしまつた。まことに圓の逆は點なのである。
そのうちにまた私は驚ろき出した。その點が――靜止の位置にゐてしかも疾驅してゐる彼が、ほんたうに遠くへ速くへ、走り去つてゆくやうに見え出したのである。五十米。百米。二百米。ああ走る走る、遠くへ遠くへ。
私は夢中になつてしまつた。此奴は恐るべき革命家だ! 車のなかにゐながら、車から無限の速さへ走つてゐるではないか。此奴等は物理學の法則を破壞してしまつた。ああなんといふ疾驅だらう!
私は感歎してしまつた。感歎しながら見入つてゐた。見入りながら考へはじめた。何を? 隣りの奴等を。彼等もまた恐るべき革命家ではないか!
仰向けに飛躍する身輕さは重力の法則を消去してゐる。おまけに「十は十に非ず」といふことまで主張しようとしてゐるではないか!
「恐ろしい革命家だ」
さうひとりごちながら最後に私はそこを立ち去つた。愉しい朝の散歩の思はぬ收穫に心をときめかせながら。
しかし晝が去つて、衰へた日影をはや木枯が亂しはじめる。夕方。私の考へはなにもかもが陰氣になつてしまふ。私は朝の栗鼠のことを考へ直して見る。
「革命家だなんて。たかだかが手品師かアクロバツトではないか。それを革命家だなんて。栗鼠はやはり籠のなかにゐるんだぜ」 (昭和二年十月)
*
闇の書 断片 梶井基次郎
一
私は村の街道を若い母と歩いてゐた。この弟達の母は紫色の衣服を着てゐるので私には種々のちがつた女性に見えるのだつた。第一に彼女は私の娘であるやうな氣を起こさせた。それは昔彼女の父が不幸のなかでどんなに酷く彼女を窘め[やぶちゃん注:「(くるし)め」と読む。]たか、母はよくその話をするのであるが、すると私は穉い[やぶちゃん注:「(をさな)い」と読む。]母の姿を空想しながら涙を流し、しまいには私がその昔の彼女の父であつたかのやうな幻覺に陷つてしまふつたりすることがあるのだつた。□□□□□□□□□□ [やぶちゃん後注1]のが常だったから。母はまた私に兄のやうな、ときには弟のやうな氣を起こさせることがあつた。そして私は母が姉であり得るやうな空間や妹であり得るやうな時間を、空を見るときや海を見るときにいつも想ひ描くのだつた。
此處は私達の家を遠く離れたある半島の山間だつた。どうして私達が連れて歩いてゐたか? それはもう二年近くも私はこの山間の温泉で病氣を養つてゐた。それを若い母は見羨ましく考へてゐたのである。[やぶちゃん後注2]
燕のゐなくなつた街道の家の軒には藁で編んだ唐がらしが下つてゐた。貼りかへられた白い障子に照つてゐる日の弱さはもう冬だった。家竝をはづれたところで私達はとまつた。散歩する者の本能である眺望がそこに打ち展け[やぶちゃん注:「(ひら)け」と読ませている。]てゐたのである。
遠い山々からわけ出て來た二つの溪が私達の眼の下で落ち合つてゐた。溪にせまつてゐる山々はもう傾いた陽の下で深い陰と日表にわかたれてしまつてゐた。日表にことさら明るんで見えるのは季節を染め出した雜木山枯茅山であった。山のおほかたを被つてゐる杉林はむしろ日陰を誇張してゐた。蔭になつた溪に死のやうな靜寂を與へてゐた。
「まあ柿がずゐぶん赤いのね」若い母が云つた。
「あの遠くの柿の木を御覽なさい。まるで柿の色をした花が咲いてゐるやうでせう」私が云つた。
「さうね」
「僕はいつでもあれくらいの遠さにあるやつを花だと思つて見るのです。その方がずつと美しく見えるでせう。すると木蓮によく似た架空的な匂までわかるやうな氣がするんです」
「あなたはいつでもさうね。わたしは柿はやつぱり柿の方がいいわ。食べられるんですもの」と云つて母は媚かしく[やぶちゃん注:「(なまめ)かしく」と読ませている。]笑つた。
「ところがあれやみんな澁柿だ。みな干柿にするんですよ」と私も笑つた。
柿の傍には靑々とした柚の木がもう黄色い實をのぞかせてゐた。それは日に熟んだ柿に比べて、眼覺めるやうな冷たさで私の眼を射るのだつた。そのあたりはすこしばかりの平地で稻の刈り乾されてある山田。それに續いた桑畑が、晩秋蠶もすんでしまつたいま、もう霜に打たれるばかりの葉を殘して<日に照らされてゐた。>雜木と枯茅でおおわれた<大きな>山腹がその桑畑へ傾斜して來てゐた。山裾に沿つて細い路がついてゐた。その路はしばらくすると暗い杉林のなかへは入つてゆくのだつたが、打ち展けた平地と<大らかに>明るい傾斜に沿つてゐるあひだ、それはいかにも空想の豐かな路に見えるのだつた。
「ちよつとあすこをご覽なさい」私は若い母に指して見せた。背負ひ枠を背負つた村の娘が杉林から出て來てその路にさしかかつたのである。
「いまあの路へ人が出て來たでせう。あれは誰だか知つてゐますか。わかりますか。昨夜湯へ來てゐた娘ですよ」
私は若い母が感興を動かすかどうかを見やう[やぶちゃん注:ママ。]とした。しかしその美しい眼はなんの輝きもあらわさなかつた。
「僕はここへ來るといつでもあの路を眺めることにしてゐるんです。あすこを人が通つてゆくのを見てゐるのです。僕はあの路を不思議な路だと思つてゐます。遠くの人を望遠鏡で見たときのやうにふんです」
「どんな風に不思議なの」
母は<稍々>たたみかけるやうな私の語調に困つたような眼をした。
「どんな風につて、さうだな、譬へば遠くの人を望遠鏡で見るでせう。すると遠くで見えわからなかつたその人の身體つきや表情が見えて、その人がいまどんなことを[やぶちゃん後注3]考へてゐるかどんな感情に支配されてゐるかといふやうなことまで<が>眼鏡のなかへは入つて來るでせう。恰度それと同じなんです。人があの路へさしかかると私はあの路を通つてゐる人を見ると<つい>私はそんなことを考へるんです。あれは通る人の運命を暴露して見せる路だ」
背負ひ枠の娘の姿はもうその路をあるききつて、葉の落ち盡した胡桃の枝のなかへは入つた。を歩いてゐた。
「ご覽なさい。通つてゐた人がいなくなるとあの路はどれ位の大きさに見えて人が通つてゐたかもわからなくなるでせう。あんなふうにしてあの路は人を待つてるんだ」
私は自分の情熱不思議な情熱が私の裡にかたまつて胸を壓して來るのを感じながら、凝つとその路に見入つてゐた。父の妻、私の娘、不思議美しい母、紫の衣の女性。色の着物をきた人。苦しい種々の表象が紛亂私の心のなかを紛亂してゐたて通つた。そして突然、私は母に向かつて云つた。
「あの路へ歩いてゆきませう。あの路へ歩いて出ませう。私達はどんなにどんなにちひさく見えるでせう」
「ええ、歩いてゆきませう」華やかに母は云つた。「でも私達がどんなにちひさく見えるかといふのは誰が見るの」
腹立たしくなつて私は聲を荒らげた。
「ああ、そんなことはどうだつていいんです」
そして私達は<街道のそこから>溪の方へおりる電光形の路へ歩を移したのであつたが、不思議な<なんという無樣な!> さきの路へゆこうとする意志は、私にはもうなくなつてゐた。しまつてゐた。
(昭和二年十二月)
[やぶちゃん後注1:底本編者註から推測した抹消である。□は底本編者の判読不能字を示すが、これについては「あとの十字ばかりは判讀出來ない」と記されているため、実際に十字分であるかどうかは不分明である。一応、叙述に従った。]
[やぶちゃん後注2:これは底本編者註で、「毛筆による消し五行分。それは次のやうに讀むことが出來た。――」と如何にも、校訂らしからぬやや自信なげな口調で示されている箇所である。なお、編註では「五行」分の改行マークが「/」で示されているが、明らかな連続文であるので改行していない。]
[やぶちゃん後注3:底本編者註は、この部分の「いまどんなことを」の『「を」の字のところより横線を引いて右欄外に「ウソ」という書入れがある』と記す。これは、その上の「こと」を「ウソ」と書き換える推敲の可能性を示しているか。]
*
夕燒雲 断片 梶井基次郎
[やぶちゃん注:この題名は底本編者による仮題である。]
私は日の暮方を愛した。そして幾度となくその經驗を繰りかへしてゐるうちに、私はいひやうもなく陰氣なことを結論してしまつたのだ。
夕暮が近づいて來て晷[やぶちゃん注:この抹消した「晷」は「ひかげ」と読む。「日差し」に同じ。]、<日射し>が地上を去つてゆくとき、云ふに云はれぬ<何ともいへない>靜かな安息が風景におりて來る。その不思議な氣配は私がどんな閉じ[やぶちゃん注:ママ。]籠つた部屋にゐるときにでも、どんな書物に讀み耿[やぶちゃん注:「耽」の誤字。]つてゐるときにでも、またどんな苦しみに捕へられてゐるときにでも、不思議に私の胸へ忍び入つて來るのだつた。
今だ! よく私はさう思つて身構へした。窓を明けて眺めると、日光が立去つたあとの風景はそして窓に倚つて外面を眺めるのであるがに、いつもその感じに誤りはなかつた。
入り交つた光と影に亂されてゐた風景は窓近くの山は、いまや澄み透つた遠近に浮き出してゐた。私が杉林を愛するのは、この時刻があるためだつた。<いつもこの時刻に於てである。この時刻だ。>いままでたゞ塞なりあつて見えてゐた<その梢々は、夕の空氣のなかでしんしんと竝びつち、立ち靜つてゐた。この暮方の不思議な氣に感じ、若し私の身が空に流れる蜘蛛のやうに輕くなるなら、それらの穗先穗先を飛び傳ひながらどこまでも歩いてゆけさうだ、そんなことを私の空想は唆かされた。つてどつかの園へまでも歩いてゆけさうだ、と<よく>私の空想にそれは見える。
どうしてこんな靜けさがこの時刻生まれて來るのか、よく私はさう思つた。しかしいま私はそれを空に起る夕燒雲に結びつけることを躊躇しない。
その靜けさのさなかに私は再び愕然とする。今だ! それは地上を遠ざかつてゆく陽が空いまや雲空の雲を火の色に染めはじめたのである。へ屆いた。そこで夕燒を起してゐるのである。[やぶちゃん後注]
輝やかしい金色は一つの雲に起り、見てゐるうちに次々の雲を染め出してゆく。その金色は刻々に色を深め焰の色に燃えはじめ<に移つて行く。金色は焰の光に深まり燃えはじめる。>何といふ莊麗[やぶちゃん注:ママ。]。やがて私はその金色が煩の色に染まつて來たのを感じる。そして私の心には既に<私の心からは>∨安靜が去つてゐる。私の眼はしかし私が それに一つの雲に見入つてゐた間にわが眼を他の雲に轉じるとき、おゝ隣りの方がずつと立派だつたのだ。私はそれに眼を移す。しかし私がまた眼を移したとき、それよりももつともつと立派な雲はいたるところに蜂起輝いてゐるではないか。おゝ、そして私そしてまたそれに氣を呑まれてゐる間にた間に、私は最初の雲が既に死灰の色に變じてゐたのを知らなかつた! 死灰燃え盡きた雲のなんといふはかなさ。今までは榮光に輝いた神の軍勢のやうに空を渡つてゐたそれは、何といふ欒化だらう、死の軍勢のやうではないか。<いまや空を蔽つて進む死の軍勢のやう。>
若し空がその夕暮が雨上りかなにかで、空に雲の多いときには、既に夕燒を終つた雲の上にまた夕燒をはじめる雲が出て凍るを見るだらう。そしてほんの僅かな時間のの聞に、空は幾度にも變つた相を呈する。そして空がみな漠々とした灰色雲ばかりになつてしまふまで、私の心には何の安靜も與へられなかつたのである!それらがみな漠々とした灰色雲に終つてしまふまで、白状する、私の心にはひとときの安靜も與へられなかつたのである。私はいらいらばかりしてゐた。夕燒を靜かな觀照のなかに見終つたことはない。
夕燒雲に轉身してしまひ度い願……(缺)
(昭和三年)
[やぶちゃん後注:この落日に染まる空の描写の原稿用紙の上欄には、底本の編者註によれば、「赤 橙 黄 緑 靑 藍 菫」の七文字を横書にしているという。なお、本稿の改稿を意図したものが、後に掲げる未完の遺稿である「雲」である。]
*
奇妙な手品師 断片 梶井基次郎
ある初夏の午後私はA公園のなかを<ぶらぶら>歩いてゐた。
「藝術の革命」
「超現實主義の繪畫來る」
丁度さういふビラが公園のここかしこ<の辻>に貼られてゐて、私の足はどうやらそれの陳列されてゐるその展覧會の會場の方へ向いてゐるらし<かつた。>[やぶちゃん後注1]いのであつた。
「藝術の革命――ふうむ」
と私は考え
といふ譯は、明らかにその會場を目がけて忙急ぐらしい人々の足並のなかに、私の病み上りのやう<にふらふらした足並も雜つてゐるのだつた。
……だが、自分ながら自分がいかにも感じの惡い男に思へてならないのである。私は決して人類を愛するなどといふことは出來ない。若しそんな憎惡のときにある私の心のなかを人々 に見破られたら、人々はきつと私に襲ひかかるだらうが見破つて襲ひかかるだらうつて來るなど思ふことを想像する。そんなとき私は決して自分の非を詑びて謙遜にならうなどとは思はない。うとは考へない。彼等が私を殺すまでやけくそに戰つてやらうと思ふ。そしてそんなことを考へるとき、私の臼齒はまた嚙み合はされてゐるのである。
歩くと疲れるので惡道路を憎む。アスフアルトの路と小石を敷いた路とその疲勞の差は四倍や五倍ではきかない。私はなにかの機會で小石を敷いて惡い道を修理することを發明した男の名前を覺えた。スコツトランドの土木家<で>John Landon
Macadam[やぶちゃん後注2]<といふ男だそう[やぶちゃん注:ママ。]である。>小石を置くだけであとはその路を通らなければならない人間に踏ませて自然に平坦な路を作らうとするのだ。私はその方法からその男のやり <人生觀>までを想像して、なんといふ憎むべき男だと思ふ[やぶちゃん後注3]は通行人に踏ませるといふやり方だ。私はその上を歩きなやみながら<さうしたやり方に>悔[やぶちゃん注:「侮」の誤字。]辱を感じその男を憎まずにはゐられない。むのだ。このマカダム式のやり方にはなにか非常にいけないところがある。
(昭和三年)
[やぶちゃん後注1:底本では、この<かつた。>が、削除された次行の「藝術の革命――ふうむ」の下、7字空けた後に唐突に入っている。これを文字通り受け取るならば、この<かつた。>も削除されていることになるのだが、この<かつた。>の位置は、前行の削除開始の「いのであつた。」とほぼ同じ高さ(やや<かつた。>の方が高いが、字はまさに、削除前の「向いてゐるらし」の次のマスの高さと完全に一致している。これは、梶井が、「向いてゐるらし」以下の挿入句として左に「かつた。」と書き、そのために不要となった以下の二行分を削除した際、誤って、挿入句である「かつた。」の上にも、削除線を引いてしまったものではなかろうか。文章から見てもそのように解釈することに全く問題がなく、その方が文が全うに繋がるという点でも理にかなっているので、恣意的に表記のように操作した。]
[やぶちゃん後注2:John Landon Macadam 正しくは John London MacAdam(1756ー1836)イギリスの道路技師で、砕石とタールを混ぜたものを道に撒き、交通が頻繁になればなるほど路面が固まるという、安価で効率的な舗装技術を開発し、これによってイギリスの交通事情は飛躍的に向上したという。それは macadamize:道路を砕石舗装する、であるとか、彼の名を冠した舗装剤の商標から生まれた termac:タールマカダムで舗装する、という英語の動詞に今も残っている。]
[やぶちゃん後注3:底本編者註によると、この部分の推敲は以下の過程を経ている。
【第1案+最初の抹消】
「小石を置くだけであとあとはその路を通らなければならない人間に踏ませて自然に平坦な路を作らうとするのだ。私はその方法からその男のやり <人生觀>までを想像して、なんといふ憎むべき男だと思ふ」
↓
【第2案の上欄外横書+2度目の抹消】
「小石を置くだけであとあとの作業は通行人にまかせる」
↓
【第3案=本稿】
「小石を置くだけであとは通行人に踏ませるといふやり方だ。」]
*
猫 断片 梶井基次郎
[やぶちゃん注:この題名は底本編者による仮題である。]
朝寐の主人が起きて、顏を洗つて飯を食つて、また蒲團の敷いてある部屋へ歸つてゆく。さあ床をあげようかなと思つて掛蒲團を剥ぎにかかる。すると敷布の上でぬウウとそれは懶く[やぶちゃん注:「(ものう)く」と読む。]氣持よげに身體を伸ばす下らない奴がある。それが<この小説の主人公――> 仔猫だ。名前は――これは一定してゐない。しかし「白」といふ呼ばれることが<一番>多い。 これはここの家へ毎日遊びに來る春仔が眞黑左樣。その通り彼は毛が白いのである。しかしこの家へ毎日遊びに來る春仔の黑猫といふ存在さへなかつたなら彼ももつとほかの稱呼で名前で呼ばれてたかも知れぬ。「黑」が來るから彼は「白」なのである。そのほか「ベー」[やぶちゃん後注1]と呼ばれることもあ[やぶちゃん注:脱字。「あるが」または「ある。」か。]これは<つまり>彼の親の名が「べー」だつたからだ。こんな<自然發生的な>名前もないだらう。ここの 家族はみんな忙しい。家族には猫の名前をうちの人々は「アキル」だとか「チロ」だとか「タマ」だとか、そんな優美文化的な愛稱でこの下らない動物を呼ぶ趣味を、こんな下らない動物につける趣味を持たない。つてゐない。誰かが自分の心のなかであれこれと考へたすゑ「ジヤツズ」と呼ぶことにしたとしよう。そんな「けつたいな」名前なんて誰も 發音一顧さへしな一呼だに與へはしない。だから自分はその積りでもその積りが積りにならないのである。だから結局間の惡いことになつてしまふ。いつの間にか「白」といふやうな名前がついてしまふ。歴然として來る。「白」といふ呼び方にしても「四郎」といふやうには云はない。「ロ」にアクセントのある純粹に色の發音をする。――このアクセントに就いてはここが關西であるの人々及び仔猫の家が關西であることを云ひ添へて置かないといけないだらう。
「白」や「黑」の以前にはやはり訪問猫の「ノボ」といふのがゐた。この名前は今は死んだこの家の老主人がつけたのである。
「お前はノボやぞ。ノボーッとしとてるよつてにノボやぞ。おいノボ。こらノボ」
朝から酒を嗜むその老主人は<毎日>さう云ひながら人指ゆびでその猫の額を突きき[やぶちゃん注:ママ。]突き酒を飮んでゐた。すると家族の誰も彼もが皆笑ふのである。實際それは滑稽な猫であつた。第一彼は決して鳴かないのである。だから食物をねだるなんてことはしない。それから第二に彼は驚ろくなん人が呉れたら食べるのである。呉れなければ――呉れなければ結局は歸るのであるが、まあ大低[やぶちゃん注:ママ。]はそのままで坐つてゐる。そのうちに呉れるのである。第二に彼は決してものに驚ろかない。どんなにされても平氣である。何事にも無關心である。こんな物臭さな猫なんてゐるものではない。
この猫の唯一の藝(?)といふのは「された恰好そのままになつてゐる」といふことだつた。仰向けに轉されて四つ足を空に向けて置くとそのままでゐるのである。前足の一本を膝に載せてやると、恐らくこの懶猫[やぶちゃん注:「(らんべう)」と読ませるか。]には似附か<ないそのうら恥しい恰好で凝つとしてゐるのである。>
「こいつ こ奴はパテ(脂土)やがな。こらパテ猫」
さう云つて家族の若い者は毎日いろんな恰好をさせる。そして笑ふのである。
ノボといふ名前はだから非常に秀逸だつたのである。家族の誰も彼もが喜んで呼ぶ名前であつた。
さう云つた極つた名前のほかにこの家の若者二三人の間には、何かにかこつけては「行き當りばつたり」の名前をつける癖があつた。みなはそれを樂しむのである。
「お前はどないされてもされたままになつてるのやな。おいママ猫」
――そんな風に。
これは猫の名前が權力ある人間に極められ、みなが爾後その通り呼びまするといふやうなことがなく、自然自然に名前がついてゆくといふこの家の習慣の反映でありそれの轉化である。[やぶちゃん後注2]
名前のことはこれ位でいい。「白」と「黑」を活躍させなければならぬ。次は彼等の活躍である。
ところでこんな名前はにしても相手のそれに對する感度次第である。相手が畜生なのだから、名前とともにその感度も記載しなければならない。「ノボ」といふ名には、<誰もそれ以外の呼び方はしなかつたにも拘らず>感度がまるで不明瞭であつた。タロはもつともよく感じる。しかし此奴は……(缺)
(昭和四年二月)
[やぶちゃん後注1:底本編者註によると、この『そのほか「べー」』の部分の推敲は
【第1案+最初の抹消】
「ほかにも」
↓
【第2案+2度目の抹消】
「ほかに「べー」といふ」
↓
【第3案+3度目の抹消】(これは第2案と同じ文句を記載し、また抹消しているものらしい)
「ほかに「べー」といふ」
↓
【第4案+4度目の抹消】
「またあるときは」
↓
【第5案=本稿】
そのほか「ベー」
という過程を経ている。]
[やぶちゃん後注2:底本編者註によると、この抹消部分の冒頭の『これは猫の名前が權力ある人間に極められ』の部分の推敲は、更に細かく示すと、以下の過程を経ている。
【第1案+最初の抹消】
「これは猫の名前が物々しく評定され」
↓
【第2案+2度目の抹消】
「これは名前が猫の名前が家族の相談で決められ」
↓
【第3案+最後の全抹消】
「これは猫の名前が權力ある人間に極められ」
*
琴を持つた乞食と舞踏人形 断片 梶井基次郎
大阪の堺筋にも夜店が出るやうになつた。新聞はひとしきりそれの景氣や不景氣の記事で賑つた。此頃はときどき夜店に關した畫家や文人の文章を載せてゐる。銀座やうな氣がしたことを覺えてゐる。さういふ錯覺があるのだらうが、私にもずつと昔そんなところで寐ながら往來を通る人々を眺めてゐたことがあるやうな氣がして仕方がなかつた。[やぶちゃん後注1]<私にも昔、すつかりその通りそのまゝのことがあつたやうな氣がして、その錯覺を訝りながらも>當時不眠症で困つてゐた私は、あんなところでならきつと安心して樂しい氣持で眠むれるだらうなど考へたのである。私が銀座へよく行つたのはつまりはさうした樂しみがいつもそこにあつたからである。しかし私はいつもその樂しみに滿足して歸つて來るわけではなかつた。いくら食つてもいくら食つても齒の根が痔ゆいやうな氣がしてなほ食はずにはゐられないときがあるやうに、いつまで歩いてゐても歩いても歩いても心のなかにはどうしても滿たされない氣持があつて、遂には終電車がやつて來る時分までうろついてゐたりすることがある。なにが情ないといつてそんなときほど情ない氣持のすることはない。こんなこともしよつちゆうあつたのである。
私はそのやうな私の浮浪を思ひ出すたびに感傷的な氣持になる。その感傷的な氣持のなかにはいつも一つの人形と一人の乞食のヴイジヨンが浮んで來る。ダンス人形と琴を持つた乞食だ。
ダンス人形といふのは、東側の松屋の前あたりの玩具屋の屋臺の上に、いつも澄ました顏をして踊つてゐた人形である。ゴムの握りから客氣を送つて踊らすやうな仕掛だつたらしい。手を腰にして、スカートを穿いて、しかし顏は古い日本の人形のやうな表情で、いつ見ても小さな函の舞臺の上で、あちらを向いたりこちらを向いたりクルリクルリと踊つてゐるのである。この人形はその行儀のいい取り澄ました表情のせい[やぶちゃん注:ママ。]かひどく淋しく見えた。鋪道のゆきずりにそれを見ることはなにか傷ましい氣を起させた。あるひはこれがもつと玩具屋の店の中かなにかならかうも淋しくは見えないのだらうが、あとからあとからぞろぞろと人の歩いて來る鋪道で、しかもその人人が誰あつてそれに眼をやらうとしない風なのだから餘計淋しさうに見えたのである。とにかくその人形はいつ見ても澄ました顏をして、手を腰にして、あちらを向いたりこちらを向いたり單調なダンスをしてゐたのである。ところがあるとき、私はふとなに氣ない氣持から、その人形のそばへ寄つて見たことがあつた。するとその人形の踊るにつれて、舞臺になつてゐる小函のなかから、實に微かなチリンチリンといふ音がしてゐるらしいのに氣がついたのである。私は妙な發見をした氣持でもつとそばへ寄つて見た。チリンチリンといふ音は微かではあるが確かにしてゐた。そしてそのそばには、なるほど「ダンス人形。音樂入り」と書いたがボール紙が出てゐたのである。私にはその人形がながいあひだ、なにか間が拔けて淋しく見えてゐた理由がやつとわかつたやうな氣がした。音樂入り。それが銀座の鋪道のうえ[やぶちゃん注:ママ。]では音樂入りにならないのである少しもきこえないのである。これが銀座の鋪道なのだ。人びとがただぞろぞろと歩いてゆく、その無感覺な足音のなかに、きこえないダンス人形の音樂が鳴つてゐる!
琴を持つた乞食は
私はその曲の平凡を知つてゐた。また街頭の雨と埃で黑くなり風邪をひいた絲が、[やぶちゃん後注2]決して滿足な音色を出してゐないことも知つてゐた。しかしそれがある一定聯の旋律のところへ來るたびに、いつも私はあるきまつた悲しい發作に捕へられた。それは凡そあたりの現實とは似ても似つかない古めかしい悲しい情緒であつた。
彼はときどき思ひ出したやうに地の歌を歌つた。これは遂に私にも聽きとれなかつた。歌といふよりも「呼氣延聽」のやうなものであつた。翅を震はしても微かなゼンマイのほどけるやうな音しかしない、老いたこほろぎの歌であつた。
私は或る日その男が尾張町の角から巡査に追はれてゐるところへ行きあはした。彼はもうブリキ張の琴と茣蓙とを背中へ斜に結へつけてゐた。しかし彼は二三歩あゆみ出したばかりで鋪道の上へ立留つてしまつた。彼の顏は何時になく悲痛な困惑の表情を浮べてゐた。[やぶちゃん後注3]そして立留つたままで、なにかの氣配を探るやうにその首を擧げてゐた。憐れな盲人よ。恐らく彼は鮭を落してゆく熊のやうにその巡査が立ち去つてゆくのを待つてゐたのだらう。しかし巡査はまたその何歩か先で同じやうに立留つて意地惡くそれを見てゐるのだつた。彼はまた引返して來て盲人を罵つた。盲人は歩き出した。おう、その恰好! 背中へ斜にかけた琴と茣蓙はいかにも大仰に辨慶の七に見えた。しかもその大仰さがむつきを股に挾んだ赤ん坊のやう……(缺)
(昭和五年十月)
[やぶちゃん後注1:底本ではここの抹消は冒頭の部分の前、「さういふ錯覺があるのだらうが、」の部分までとしてある。そうして編者註で『「さういふ錯覺があるのだらうが、」を消し忘れてゐる。』とあるのであるが、これは我々には分からない原稿自体の特徴から、消し忘れであることが明白に判明しているということなのだろうか? 疑義があるので、原稿通りとした。]
[やぶちゃん後注2:底本編者註によると、この部分の推敲は
【第1案+最初の抹消】
「私はその奇妙な琴」
↓
【第2案+挿入+2度目の抹消】
「琴はトタン張りである。絲は<街頭の>雨と埃で風邪をひき黑くなつてゐる。そんな奇妙な琴から」
↓
【第3案=本稿】
「私はその曲の平凡を知つてゐた。また街頭の雨と埃で黑くなり風邪をひいた絲が、」
という過程を経ている。]
[やぶちゃん後注3:底本編者註には、本段落の冒頭からここまでの別稿が掲載されている。以下に引用する。
私は或る日その男が尾張町の角から巡査に追はれてゐるところへ行きあはした。彼はもうトタン張の琴と茣蓙とを背中へ結へつけてゐた。しかしなかなか直ぐには其處を立ち去らうとしなかつた。二三歩歩みかけては立留つたり、いつになく悲痛な困惑の表情を浮べてゐあからさまに悲痛な表情を浮かべた顏を
但し、本遺稿原稿と関係に於いて、この別稿なるものが、どのような形で残されたものであるかの詳細が記されていない点(使用原稿用紙の種類等)、奇妙である。]
*
海 斷片 梶井基次郎
[やぶちゃん注:この題名は底本編者による仮題である。]
………らすほど<そのなかから>赤や靑や朽葉の色が湧いて來る。今にもその岸にある温泉の村や港町がメダイヨンのなかに彫り込まれた風景のやうに見えて來るのぢやないかと思ふ位だ。海は全く靜かだ。日が𢌞つて後ろの山の影が海を染め分けてゐる。<の靜かさは山から來る。町の>後ろの山へ𢌞つた陽が<その影を徐々に海へ擴げてゆくのに相應してゐる>。町も磯も今は休息のなかにある。<その色は>だんだん遠く海を染め合[やぶちゃん注:「分」の誤字か。]けてゆく。沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、日向のなかへ出て行くのをじつと待つてゐるのも樂しみなものだ。オレンヂ色の混つた弱い日光がさつと船を漁師を染める。見ている自分もほーっ[やぶちゃん注:ママ。]と染まる。
「そんな病弱な、サナトリウム臭い風景なんて、俺は大嫌ひなんだ」
「海とともに色を
「雲とともに色を變はつて行く海の色を讃褒めた人もある。三好達治<海の上を往行き來する雲を一日眺>めてゐるのもいいぢやないか。また僕は君が一度こんなことを云つたのを覺えてゐるが、さういふ空想を樂しむ氣持も今の君にはないのかい。君は云つた。僅か數浬の遠さに過ぎない水平線を見て、「空と海とのたゆたひに」などと云つて漂[やぶちゃん注:「縹」の誤字。]渺とした無限の思ひに感を起こしてしまふなんぞはコロンブス以前の感慨なんだ。われわれが海を愛し空想を愛するといふなら一切はその水平線の彼方にある。水平線を境としてそのあちら側へ<滑り>下りてゆく球面からほんとたうに美しい海ははじまるんだ。そこには布哇の島がある。君は言ったね。
布哇が見える。印度洋が見える。月光に洗はれたべンガル灣が見える。現在眼の前の海なんてものは<それに比べたら>ラフな素材にしか過ぎない。ただ地圖を見てではこんな眞に迫つた空想は浮かばないから、必要缺くべからざるという功績だけはあるが……多分そんな趣旨だったね。ご高説だったが……
「――君は僕の氣を惡くしようと思つてゐるのか。さう思言えば君の顏は僕が毎晩夢のなかで大聲をあげて追拂ふ
僕の思つてゐる海はそんな海ぢやないんだ。そんな既に結核に冒されたてしまつたやうな風景でもなければ、思ひあがつた詩人めかした海でもない。恐らくこれは近年僕の最も眞面目になった瞬間だ。よく聞いていてくれ給へ。
それは實に明るい、快活な、生き生きした海なんだ。未だ嘗て疲勞にも憂愁にも汚されたことのない純粹に明色の海なんだ。遊覽客や病人の眼に觸れ過ぎて甘つたるいポートワインのやうになつてしまつた海ではない。酢つぱくつて澁くつて泡の立つ葡萄酒のやうな、野生の<コクの強い、>野蕃な海なんだ。波のしぶきが降つて來る。腹を刔るような海藻の匂ひがする。僕は<その粗い>空氣<その膚ざはり、>
匂ひ<野獸のやうな匂ひ、>波に刺し透る光線の深い藍靑色その膚ざわりの粗い[やぶちゃん注:「膚ざわり」はママ。]プツプツした空氣、野獸のやうな匂ひ、大氣へといふよりも海へ射し込むやうなんで來るやうな明らかな光線――<あゝ今>僕は到底とうてい落ちついてそれらのものことを語ることが出來ない。何故といつて、そのヴイジヨンはいつも僕を惱ましながら、極く稀な全くまったく思ひもつかない瞬間にしか顯はれて來ない<ん>だから。それは岩石のやうな現實が突然に突然に割れて<劈開して>その劈開面を<チラツと>見せて呉れるやうな瞬間だ。
さういふやうなものをそん今の僕がどうして正確精密に描き出すことが出來やう[やぶちゃん注:ママ。]。<だから僕は今>暫らくその海の由來を君に話すことにしよう。<そこは僕達の家がほんの暫らくの間だけれども住んでゐた土地なんだ。>
そこは有名な暗礁や島の多いところだ。その島の小學兒童は毎朝勢揃ひして一艘の船を仕立てて港の小學校へやつて來る。歸りにも待ち合はせてその船に乘って歸る。彼らは雨にも風にもめげずにやつて來る。一番近い島でも十八町あつたる。一體そんな島で育つて見たらどんなものなだらう。眼と鼻の間にちらばつてゐる島なんだが、島の人といふとどこか風俗にも違つたところがあつた。島の女の人が時々家へも來ることがあつたが、その人は着物の着つぶし<たの>や端したのぎれを持つて歸るのだ。そのかはりそんなきれを鼻緒に卷いた藁草履や僕たちが知り度くつて堪らない<色濃い>島の雰圍氣を持つてゐ來た。僕たちはいつも強い好奇心で、その人の謙遜な身なりを嗅ぎ、その人の謙遜な話に聞き惚れたのである。<しかし>そんなに思つてゐても僕達は一度も島へ行つたことがなかつた。ある年の夏<その>島<の一つ>に赤痢が流行ったことがあった。井戸がただ一つしかないといふ島が最もひどくやられた。<近くの島だったので>病人を入れるバラツクの建つのがこちらから<よく>見えた。いつもなにかを燃してゐる、その火が夜は氣味惡く物凄かつた。海で泳ぐものは一人もない。波の間に枕などが浮いてゐると恐ろしい<ものの>やうな氣がした。その島には井戸が一つしかなかつた。
暗礁については一度こんなことがあつた。ある年の秋、ある晩、夜のひき明けにかけてひどい暴風雨があつた。明方物凄い雨風の音のなかにけたたましい鐵工所の非常汽笛が鳴り響いた。そのときの悲壯な氣持を僕は今もよく覺えてゐる。家は騷ぎ出した。人が飛んで來た。港の入口の暗礁へ一隻の驅逐艦が打つかつて沈んでしまつたのだ。鐵工所の人は小さなランチヘ波の凌ぎに長い竹竿を用意して荒天のなかを救助に向かつた。大部分の水兵は溺れて死んでゐた。しかしその現場へ行つても<見ても>小さなランチは波に揉まれて<れるばかりで><結局却つて>邪魔をするばかりで却て海軍に叱られた<をしに行つたやうなことになつたてしまつた。>働いたのは島の海女で、彼女等は激浪のなかを潛つては水兵の屍體を引き揚げ、大きな焚火を焚いたてそばで冷え凍えた水兵の身體を自分等の肌で温めたのだ。大部分の水兵は溺死した。その溺死體<の爪>は殘酷なことにはみな剥がれてゐたといふ。
(昭和五年)
[やぶちゃん後注:底本では、私が注記した「そのかはりそんなきれを鼻緒に卷いた藁草履やわかめなどを置いて行つて呉れる。」の一文の途中からの、以下の別稿が、上記の本文に続いて、編者の注記の後に続いている(即ち、末尾の「(昭和五年)」の前にである)。編者はこの別稿を本作品の下書きであろう、と述べているが、それでは何故、これを編者註に回さなかったのか。恐らく作品として、ワン・シーンの続きがあるからであろうが、これは奇妙な翻刻構成と言わざるを得ない。従って、私は注として以下に掲げることとする。ちなみに、底本では始まりが「履や
そのかはりそんなきれを鼻緒に卷いた藁草履やのをを貰つたことも何度もあった。その女の人の話すことにはどんな言葉の端にも、行つて見度くて堪らないやうな島の生活しかしその女の人は何よりも不思議な島の雰圍氣を持つて來た。<どんなにか強い>好奇心を持つてその女の人の身なりや話<持つて、僕達は>その人の身なりや話を嗅ぎ、その人の謙遜な話に聞きほれていたらう。
ある年の秋の末頃だつたらうか、夜になつことだつた。夜から翌
明るその翌日の明方にかけてひどい暴風雨のことがあつた。明方に板戸のめくれる風の音や雨のしぶきの<物凄い雨風の>音のなかに町の<けたたましい>造船所の<非常>汽笛が鳴りはじめた。<そのときの悲壯な氣持は忘れようたつて忘れることは出來ない。を僕はよく覺えてゐる。家は騷ぎ出した。人が飛んで來た。>港のそれは港の入口の暗礁へ一隻の驅逐艦が押打つかつて沈んでしまつた非常汽笛だつた。のだ。造船所の人は小さなランチヘ波の凌ぎに長い竹竿を用意して荒天のなかを救助に向かつた。大部分の乘組員が死んだ。水兵が死んだ。
は死<は溺れ死してしまつてゐた。島の海女の引き揚げる>屍はみな<手の>爪が剥げてゐた。<それは>岩へ嚙りついては掻きついては波に持つてゆかれるた たためだつた。た恐ろしい努力の痕だつたんだを語るものだった。大きなかげるがり火をたいて冷え凍えた水兵の身體を温めた
あぶつたのだ。たそばで冷え凍えた水兵の身體を自分等の肌で冷え凍えた水兵の身體を温めた。そんな話を、
それが島の女だ。といふ、それは僕たちのよく聞かされた話だつた。その女の人も島の言葉で
僕たちはその暗礁に乘りあげた驅逐艦の殘骸は、山へあがつて見ると干潮時にはよく見えた。の遠い沖合に姿を現はしてゐることがあつた。
ちなみにWeb上には、本作品のテクストとして、1972(昭和47)年旺文社刊の旺文社文庫「檸檬・ある心の風景」を底本とした靑空文庫版があるのであるが、これはまさに、その後半の別稿の存在する部分が、このどちらの稿とも異なっているという不可思議を指摘しておく。これが有名な伝説の旺文社文庫の掟破りなのか、それとも確固たる別遺稿によるものなのか。仔細を御存知の方は、御教授願いたい。]
*
藥 斷片 梶井基次郎
[やぶちゃん注:この題名は底本編者による仮題である。]
私が身體を惡くして東京から歸つて來たとき、一日母がなんともつかぬ變な顏で
「またお前が怒る思うて云はなんだんやけど、お前の病氣にええ云ふて、人から藥が貰うたあるのやが、お前飮んで見るか」
と云ひ出した。母の變な顏つきや自信のなさそうな[やぶちゃん注:ママ。]態度で、餘程變なものにちがひないと思つ<て一應さういふものに對する彈劾を>たのであるが、きいて見ると案の如く、これはまた、人の腦味噌の黑燒であつた。
呉れた人といふのは毎日それを呉れた人間のは家ヘ靑物を持や卵を持つて來賣りに來る女で自分の弟が肺病で死んだ、そのとき寺の和尚がこの病氣で死んだ人の腦味噌の黑燒はこの病氣にの藥になるから、これも人助けだ、取つて置いてこんな病氣になつたまた人に頒けてやりなさいと云つて、恐らく野良で燒いた屍體死骸なのだらう、そのなかから取り出して呉れたのだそうである。勿論默つてゐる人間にそんな
私はその話をきいてゐるうちに變に歪められたやうな氣になつた
<それをくれたのは家ヘ靑物や卵を持つて來る女の八百屋で、>母は決してそれを呉れとは云はなかつたのだそうであるがその女が呉れると云つて持つて來たものだから無下理に斷る譯にもゆかず貰つてしまつたのだと云つた。私が
いくら遠くへ離れてゐる息子のことが心……(缺)
(昭和五年)
[やぶちゃん注:これは昭和7年1月に発表される梶井基次郎の「のんきな患者」の草稿に当たるものである。以下に「のんきな患者」の該当箇所である「三」の一部を引用する。底本は筑摩書房版旧全集第一巻を用いた。
(前略)吉田は二年ほど前病氣が惡くなつて東京の學生生活の延長からその町へ歸つて來たのであるが、吉田にとつてはそれは殆どはじめての意識して世間といふものを見る生活だつた。しかしさうはいつても吉田は、いつも家の中に引込んでゐて、そんな知識といふものは大抵家の者の口を通じて吉田にはいつて來るのだつたが、吉田はさつきの荒物屋の娘の目高のやうに[やぶちゃん注:前文の「二」の中で肺病病みのこの娘が薬として毎食後メダカを五匹宛(恐らく生きたまま)嚥んでいたというエピソードが出てくる。但し、この娘は既に死んでいる。]自分にすすめられた肺病の藥といふものを通じて見ても、さういふ世間がこの病氣と戰つてゐる戰の暗黑さを知ることが出來るのだつた。
最初それはまだ靑田が學生だつた頃、この家へ休暇に歸つて來たときのことだつた。歸つて來て匆々[やぶちゃん注:底本では「匆」は(つつみがまえ)中が「タ」の字体。]吉田は自分の母親から人間の腦味檜の黑燒を飮んでみないかと云はれて非常に嫌な氣持になつたことがあつた。吉田は母親がそれをおづおづでもない一種變な口調で云ひ出したとき、一體それが本氣なのかどうなのか、何度も母親の顏を見返すほど妙な氣特になつた。それは吉田が自分の母親がこれまで滅多にそんなことを云ふ人間ではなかつたことを信じてゐたからで、その母親が今そんなことを云ひ出してゐるかと思ふと何となく妙な賴りないやうな気持になつて來るのだつた。そして母親がそれをすすめた人間から既に少しばかりそ0れを貰つて持つてゐるのだといふことを聞かされたとき吉田は全く嫌な氣持になつてしまつた。
母親の話によるとそれは靑物を賣りに來る女があつて、その女といろいろ話をしてゐるうちにその肺病の特效藥の話をその女がはじめたといふのだつた。その女には肺病の弟があつてそれが死んでしまつた。そしてそれを村の燒場で燒いたとき、寺の和尚さんがついてゐて、
「人間の腦味噌の黑燒はこの病氣の藥だから、あなたも人助けだからこの黑燒を持つてゐて、若しこの病氣で惡い人に會つたら頒けてあげなさい」
さう云つて自分でそれを取出して呉れたといふのであつた。靑田はその話のなかから、もう何の手當も出來ずに死んでしまつたその女の弟、それを葬らうとして燒場に立つてゐる姉、そして和尚と云つても何だか賴りない男がそんなことを云つて燒け殘つた骨をつついてゐる燒場の情景を思ひ浮べることが出來るのだつたが、その女がその言葉を信じてほかのものではない自分の弟の腦味噌の黑燒をいつまでも身近に持つてゐて、そしてそれをこの病氣で惡い人に會へば呉れてやらうといふ氣特には、何かしら堪へ難いものを吉田は感じないではゐられないのだつた。そしてそんなものを貰つてしまつて、大抵自分が嚥まないのはわかつてゐるのに、そのあとを一體どうする積りなんだと、吉田は母親のしたことが取返しのつかないいやなことに思はれるのだつたが、傍にきいてゐた吉田の末の弟も「お母さん、もう今度からそんなこと云ふのん嫌(いや)でつせ」
と云つたので何だか事件が滑稽になつて來て、それはそのままに鳧[やぶちゃん注:(けり)と読む。]がついてしまつたのだつた。(以下略)]
*
交尾 梶井基次郎
[やぶちゃん注:この題名は底本編者によるものである。後注1参照。]
堺の水族館をよく見に行つた時分がある。私は他所の水族館は知らないながら<に>、此魔のはとても大變いいんだと獨りぎめにして見に行つてゐた。實際たくさんの種類の魚族がゐた。薄暗い館の中でぐるりの水槽だけが明るい。<水槽のなかは>水の高さが人の眼の高さよりも高くつて、水のなかへ下ろしてある硝子管から出る泡が水の表面明るい水の表面へ浮いて行つては打つかるきあがつて行くのが美しく、水の中からのやうに見える。まあこんなことはどこの水族館でも同じだらうが美しく珍しい氣がする。ただ蚊がたくさんゐて足を刺すのだけにはいつも閉口した。
私は、<結局>どんなことをといふと漠然としてゐるのだが、種々樣々な魚の運動を見てゐることになにか會得するもののあるのを感じてゐた。いろいろな鯛の泳ぎ方、赤鰾[やぶちゃん後注2]の泳ぎ方、一尺以上はどうしても眞直泳いで行けないには泳げない、運命的に𢌞らずにはゐられないやうな
何度も行つてゐたんのだから、そのうちに一度位は變たことがあるに打つかるのは當然だつたのだが、ある日私は隅[やぶちゃん注:「偶」の誤字。]然すつぽんの交尾を見る機會に合つた。[やぶちゃん後注3]すつぽんはそれまで一つの槽に一つしか入れてなかつたのだが、その日は何故か二匹はいつてゐた。平生はあまり立留らない槽なのだがひよつと覗いて見ると二匹のすつぼんがもつれあつてゐる。そのまま私はその前に立留つてしまつた。
元來すつぽんの顏貌ほど風怪にして滑稽なるものはない。銀座の實際厭世哲學者シヨウペンハウエルに見せ度いやうな圖誰をどう厭世に導かないとも限らない圖である。それでどうかといふと、手を突いてダーツとあたりを見𢌞はすときの恰好などにはまさに超兆(凡か俗か)の俤があつて、手甲脚絆に身を固めた甲賀者といふ役どころは確にあるのだから遣り切れない。その彼が今や、膝栗毛の主人公の指に嚙みついた角質の齒でもつて雌の頸に嚙みかじりついてゐるのである。私はその前に大阪ですつぽん料理を食つてゐた。だからすつぽんに對してはまた「うまそうだ[やぶちゃん注:ママ。]」といふ感じを持つことも出來た。彼の嚙りついてゐるのはあのぶよぶよの頸である。
ところが私がさうやつて見てゐるところへ、順を追つて魚槽を𢌞つて來た見物客がやつて來た。すると私の專心な動物的關心のなかには俄然人間的關心がはいつて來た。正直に云へば私はこれを人と一緒には見物したくなかつた。なほ正直に云へば誰も氣がつかずに行つてしまつて欲しかつたのである。しかしそんなことは云へない。
たうとうその客がやつて來た。田舍の親爺さんである。ところがやはり不思議な氣がしたらしい。しばらく硝子へ顏を寄せて見てゐたが
「さ、さかつとる!」
なんとも云へない變な顏をして先客である私の顏を振り向いた。私は――私は信ずじるのだが――私の顏はその時意味のわからない曖昧漠[やぶちゃん注:「模」の誤字。]糊とした謎のやうな顏をして表情を浮べてゐてたにちがひない。私はただじつとして槽<の方>を眺めてゐたばかりである。するとその親爺さんはちよつと私の顏を見直したなり、直ぐまた目を魚槽硝子の方へ向けた。しかしもう交尾してゐるすつぽんはそれ以上親爺さんの興味を惹かなかつたら<し>い。もう一度私の顏を見直しながら、隣の槽へ手摺を摺つて行つてしまつた。
それからやつて來たのは商人風の若い男である。彼は別に魚を見るでもなく蹌々浪[やぶちゃん注:「踉々」の誤字。]と歩いてゐたが、私がじつと立つてゐるので ちよつと一寸覗いて見る氣になつたのだらう。そばへ寄つて來たが、忽ち發見してしまつた。二匹のすつぼんはその時<重なり合ひながら><その時雌の>すつぽんは<まともに>腹を硝子へつけて踊るやうな恰好を物憂く繰返してゐた。するとその男はぐるつと後ろを見𢌞して盛に手招きをはじめた。連れがゐるらしい。……(缺)
(昭和五年十二月)
[やぶちゃん後注1:底本の編者である淀野隆三によると、この作品は昭和6年1月発表の「交尾」の「その三」として書かれていることを『梶井君から直接聞いた』と編者註に記している。]
[やぶちゃん後注2:この「鰾」という字は訓読みで(うきぶくろ)であり、魚類の固有名詞としては一般的でない。「ニベ」を指すと広漢和にあるが、「アカニベ」とは聞いたことがない。「イシモチ」と読ませる特異なケースも見つけたが、アカイシモチというのは更に聞いたことがない。私はこれは「鱏」(えい)の誤字ではないかと思う。字画上でも誤記や誤読をし易いし、「アカエイ」なら極めて一般的で、その泳ぐ姿は水族館でも見飽きないものである。]
[やぶちゃん後注3:底本では、以下がまず示され、その『書き直し』という編者の言い方で、私の本文の後注3以下の文章が提示されている。私は、書き直しである方が、圧倒的に長い点を考慮して、底本の順列に従わず、上記のようなテクストとし、初案部分を以下に掲載することとした。
すつぽんはそれまで三の槽に一匹しか入れてなかつたのだが、その日は何故か二匹はいつてゐた。彼の風怪な顏付は實際滑稽だ。銀座のうまいもの屋の<水族館仕掛の>飾窓のなかに鮎や鯉などと一緒に入れてあつても、彼が前脚で水を掻き分ける――「なんでも、かんでも」といふ風に彼が鼻先の世界を掻き分けてゐるのを見ると
ここで底本初案本文は断ち切れている。]
*
雲 斷片
若しその名前をつけるなら、白雲郷とでも云つたところへ私は住 み度いんでゐたいのだ。思つてゐるのだ。私は輕い寐椅子を持ち出してひねもす溪の空を渡つてゆく雲を眺めてゐやう[やぶちゃん注:ママ。]、……(缺)
……私には見えない雲のなかの高みで、そのやうな脚によつて捧げあげられてゐる、なんとも云へない高貴なものの感じとの、この二つなのである。の感じなのである。それが海嘯のやうに通過して行つたに押し渡つて行つたあとで――私はきつとその反對の觀念を思ひ浮べたか、音樂のことでも考へたのではないかとお思ふが――バラバラバラと小太鼓を鳴らすやうな感じとともに、實に小さな馬がたくさん行列して續いて來るのである。しかしそれらの馬は小さいと云つても、最も小さなソオセイヂ 腸詰のあの指ほどの奴みたいに、小さければ小さいなりに 小さいことは小さいがとても逞しくがつちりしてゐて小さいとは云ふものの<小型の腸詰のやうに> とても逞しさうにかつちりしてゐて、まるで小型の腸詰が並んで來たやうで、しかもそのうへにはやはり小さな騎手が揃ひの服裝をして乘つてゐたのである……(缺)
(昭和六年)
[やぶちゃん注:この作品は先に掲げた「夕燒雲」の再考稿と思われる(底本でも編者はそう断定している)。底本の編者註には、「……私には」の部分の『二枚目の原稿用紙の上欄に』以下のような、原稿枚数の計算式が書かれているとある。
18×52=936
936×6=5616÷400=15枚。
これを編者は、18行×52字=936字/936字×6ページ=5616字÷400字=原稿用紙15枚の意味であると記している。]
*
籔熊亭 梶井基次郎
[やぶちゃん注:本稿中で、抹消が二度に亙って行われた部分については、二つが連続する場合には、該当部分全体を《 》で括り、一度目と二度目のそれぞれを半角スペースで分離して明確にし、最初の抹消の最後に①、二度目の抹消の最後に②の数字を打った。更に、本テクストは、底本通りの稿順になっていない。後注を参照されたい。恣意的操作と言えば言われるであろうが、一言言わせて頂くならば、底本自体、厳密な校訂を行っていない。この作品の編註では、19枚ある「籔熊亭」原稿の内、『別稿として載せたもの以外は大同小異なので割愛した。』と記していることを述べておく。即ち、私たちの読んでいる「籔熊亭」自体が、原稿の忠実な再現ではないのである。]
私達はそこを籔熊亭と云つてゐたが、村の人は畑山と呼んでゐた。畑山といふのは多分その家の苗字だつたんだらうが、村の人はそれを同じ飮屋の角屋とか世古樓とかさう云つた名前と屋號と同じに呼んでゐたのである。
そこは村のなかでもなかなかいい位置にあつた。天城へかかる街道が、村の主要部分である<小學校> や役場や郵便局< や銀行>のある人家の家並を過ぎて、バツと眼界の展けたところへ出る。そこは恰度天城の奥から發して來た二つの溪川が眼の下で落合ふ所なのであつたが、その打ち展けた眺めを眺めながらしばらく行くと次に來るのが籔熊亭なのであつた。籔熊亭はそんな街道の道端にあつて匂[やぶちゃん注:「勾」の誤字。以下すべて同字を誤字しているが、注記を省略する。]配のついた地勢へ張り出してある屋臺のやうな家なのであつたであつたが、店先がとてもごたごたしてゐるにも拘はらず、店先からぢかに見えてゐる座敷の窓からの眺めがいいのでよく、何時も私の心に殘つてゐた。いい眺めと云つてもそれは別段文字通りにいい眺めといふのではない。さきほどの溪の落合つてゐるところはもう見えなかつたし、溪とももう緩い匂配の畠で距つてゐるので、眺めは極く平凡になつてしまつてゐるのだが、その緩い匂配のついた畠が何とはなしにいいのだつた。を前にして風景に對してゐる眺めがなんとはなしにいいのだつた。
それはその畠についた路を
それはその畠に
その氣持はその畠についた道を溪の方からやつて來るときに一層明瞭になつたらう。私はその座敷からも見えてゐる溪の吊橋を渡つて、畠の道を街道へ登つて來ることがあつたが、その時籔熊亭の座敷はいくらか私に<畠の匂配に>向つて反り身になり、なんとなく家全體が感傷的に見えるのだつた。だからそのかはり籔熊亭の座敷から畠の道をやつて來る人を見た場合、きつとその人間はいく幾分か前かがみに、匍つて來るやうに見えたにちがひない。さういふ風景の高みと低高みと風景の低い部分との間には何時も感情の「コレスポンダンス」ともいふべきものが成立するのだ。高みにゐるものはその身が高みにありながら低い低い風景のなかにゐる人物を面白く見るばかりではなく、その身高みにありながら自分を低い風景のなかへ想像する。自分が今彼處にをればどんなに見えるだらうといふことを考へ、また彼處からは此處がどんなに見えてゐるだらうといふことを考へる。また低いところにゐる人間はちようど[やぶちゃん注:ママ。]その逆のことを考へるのである。《そしてさうした②
空想が① 想像がひつくる② めて① まつて なんとはなしに感傷的な氣持を起させる①
無意識に感傷的な①
なんとはなく感傷的な氣持を起させる風景となる。②》
そしてさうした想像がみな一緒になつて
さう云つた譯で
私は一度
そしてさうした想像が望くるまつてなんとはなく風景に感傷的な氣待を感傷的にするのだ。思はせるのだ。
《街道を通りかかると何時も私は一度その座敷で酒② に醉つて見度① を飮んで見度②》
私はいつか一度その座敷へあがつて麥酒でも飮んで見
そんな譯で私は何時通りかかる度に籔熊亭の座敷を心に留めてゐた。しかしその座敷へ坐つたことはながい間に一度――それもそこを籔熊亭と名をつけた友達と二人のときであつた。、何時も私は其處の女中達にぢろぢろと顏を見られながらその前を通り過ぎてゐた。要するに田の飮屋らしい大變感じの惡い家だつたのである。
それは春先のある日のことだつた。私はそこの店先に見なれない動物が手製の檻に入れられて置いてあるのを通りがかりに發見した。私は散歩をするとき珍らしいものに出合つたら何によらずそれを眺めてゐる癖があつたので
私は散歩をすると
私の散歩といふのは<つまりは>村のさう云つたものを毎日のやうに<いろいろ>見て𢌞るのが仕事で、その日も村の小學校に飼つてゐる小鹿を村の小學校の方へ鹿を見に行かうとしてゐたのであるが、そこでそんなものを見付けると、いつもあまり顏を向けないやうにしてゐる家でありながら、その儘そこへ跼まつてしまつた。[やぶちゃん後注1]
その獸れは黑みがかつた褐色の毛をした、身體の平たい獸だつた。身體はあまり大きくなく短い足をしてゐて、一見してあまり敏捷な獸ではなささうだつたに見えた。そして非常に臆病な獸と見えて、私がそばへ寄つて行くと、身體を向ふの羽目板へ摩りつけたまま、ぶるぶる此方を見て震へてゐた。しかしこの獸の[やぶちゃん後注2]眼にはなんだか不思議な人を惹きつけるところがあつた。<身體>全體の愚鈍な感じには似ず不思議に淸らかな感じを持つたそれは眼だつた。私はなんとなく純粹な靑年に出合つたやうないい感じがしてその場を離れた。
それからよく私はその獸を見にこちらの方へ散歩に出掛けて來た。その頃私は「臆病つていいものだなあ」といふ言葉と「何とかを見たければ籔熊亭の前へ行け」といふ言葉を胸のなかで繰返してゐた記憶がある。これは私がその頃一人で誰とも話相手がなく暮してゐたためで、獨言を云ふといふより、次に誰かと話す機會が來るまでその感動を溜めておくためのラツフな表現であつたのだ。
ある日私はその檻のそばにゐたそこの主人とその動物の話をした。
「これは何といふ獸です?」
「これは籔熊つて云ふんでさ。こんなに小さくてもいけどこれでも熊ですぜ」
「はあさうですか」
「見て下さい。手だけは
それまで氣がつかなかつたが、云はれて見るとなるほど短い足の先には巖丈さうな爪がついてゐる。私は主人のその
といふのに危く笑ひさうユーモラスな云ひ方には笑ひさうになつたが、それが熊の一種であることは疑はなかつた一先づ主人の云ふことを信じてゐた。ところがこれが違つてゐたのだ。しかしそれがわかつたのはずつとあとになつてからだ尤もづつと[やぶちゃん注:ママ。]あとになつてわかつたことだが。
溪に咲いた山櫻がまだすつかり散り切らない頃東京から友人がやつて來た。私はその友人を案内して村のなかを見て歩いたときこの籔熊の前へも連れて來たの
散歩に出ると私は早速その友人を連れてこの檻の前へやつて來た。ところが何時もであれば私は決してこの神々しいまでに臆病な動物の前へ出る作法を失しないのであるが、そのときは友人と一緒だつたためついがさつな態度をとりたうとう慴え切つた動物を爆發させてしまつた。私は「足だけは本熊だ」といふ條りを説明するために、つい指でステツキの先でその方を指したのだ。途端にグワツと耳元の空氣が裂けて私の友人は飛び上つた。籔熊は恐怖のため自分自身を押しつけてゐた最後の陣地から赤い口を一杯に開けてわれわれを威嚇してゐた。
日數がだんだん經つにつれて恐怖に澄んだ籔熊の眼は光を失つてどんよりして來た。檻のなかには食べ荒された煮肴の骨が何時も皿に殘つてゐて、大低[やぶちゃん注:ママ。]の場合籔熊は<そのそばでごろりと轉がつて>寐てゐた。その寐方も、以前その動物の淸らかに澄んだ眼を覺えてゐる私には、がいい眼をしてゐた頃に此べると、のことを考へると、妙にい[やぶちゃん注:ママ。]ぎたない[やぶちゃん注:ここで底本は断ち切れている。なお、別にやぶちゃん後注3を参照されたい。]
ある日また私は店先に出てゐた主人と話をした。
「だいぶんよく馴れて來よく檻に馴れて來ましたな」
「見て下さい、こんなに二たとこも此奴に嚙まれたで」
主人のさし出す掌を見るとなるほど傷痕が黑くなつて殘つてゐる。聞いて見ると餌をやるときに一同嚙まれ、籔熊が逃げたときに捕まへに行つてもう一度嚙まれたのだといふ。
「逃げた奴がよく捕まりましたな」
「なに。もう二度べえ逃げとるで」
「どうして摑まへるんです」
「いやなに。近所のどこかの穴へはいつとるで、そ奴をとりに行くだで」
そんなものかなあと私は思つてゐた。
籔熊亭の主人といふのは着物の上へ絆纏を着て實に古風な鳥打
主人はまたこの動物に手づから餌をやるために菅心をしてゐる
餌をやるときに嚙まれたといふのも
(昭和六年十一月)
[やぶちゃん後注1:底本では、以下には、改行して次の全文削除の稿が続く。編者はこれを『第一稿』と称し、私が本文採用した「その獸れは」から「その場を離れた。」迄の一段落分を『第二稿』と呼んでいる。私は、全文削除の初稿を、注記表記とし、その第二稿をここにつなげることが、作者自身の最終推敲意識に近似すると考えるため、底本を操作した。なお、これは本来なら、全文削除記号で取り消し線となるが、判読の便をを考えて、『第一稿』として、そのまま掲載する。
私には一體それが何といふ獸であるかわからなかつた。ただその獸は非常に臆病で、私がそばへ寄つて行くとぶるぶる身體を震はせて、出來るだけ此方との距離を離さうと、向ふの羽目板へ身體を摩りつけてしまふのだつた。身體は<平たくて>黑みがかつた褐色の毛をしてゐる。足は短かくて先には巖丈な爪がついてゐる。身髓はあまり大きくない。何といふ動物かわからない。しかし如何にもこれは野獸だなといふ氣が強くするのである。それはその獸の眼だ。力一杯の恐怖をあらはしたその眼は、深山の湖のやうに深く澄み一亘つてゐた。それはその動物が如何に人を見知らないかといふことをあらはしてゐた。私がすこしでも足
底本では以上で、断ち切れて、改行一行空き、編者註が入り、更に一行空きで『第2稿』が続く。]
[やぶちゃん後注2:底本では、この下の「眼」の右側にアスタリスク「*」が附けられて、この段落の終ったところで、改行、『* この部分に次の別稿がある(編者註)。』が入る。私は、ここでこれを『別稿』と称している以上、本文からはずして注表記するのが望ましいと考え、底本を操作した。以下に、その別稿を掲げる。
力一杯の恐怖をあらはしたその眼は、不思議に澄んだ眼だつた。それはその動物が如何に人を見知らないかといふことをあらはしてゐるとともに、一種なんとも云へない<なんとなく>淸らかな感じを與へた。絶えずその眼を此方から離さず、すこし足をいざらすのにも飛びあがまるで飛び上りさうに慴[やぶちゃん注:「(おび)える」と読む。]えるので、此方の方でから遠慮をしながら見てゐなければならないのだつたが、さうしながらも私の心には、純樸な人間に出合つたやうな淸らかな感じが起つてゐた。
これが私が籔熊を見た最初だつたのだ。私は臆病つていいものだな……(缺)
底本では以上で改行一行空きで、「それからよく」以下の段落が続く。]
[やぶちゃん後注3:底本では、ここに編者がここの部分の『第一稿』と称するものがあり、更に、編者註を挟んで、『二つの書き直し』と呼ぶ者が、二つ並べられている。これは全く私の感触に過ぎないが、この最後に置かれた書き直しが現存する作者の最終案であると認識する。そこで、底本を操作し、ここに二番目の『書き直し』と称するもの(私が第三稿=最終稿と判断するもの)を配し、第一稿と、一度目の『書き直し』と呼称するものを第二稿とし、注記表記することとした。
【第一稿】
私はある日また店先にゐた主人にその動物がよく 話しかけたが、その話によるとその動物がよくなれて來たことを話しかけたが、主人は自分の掌を出して私に見せて
「見て下さい。<こんなに>二たとこも此奴に嚙まれました」と黑くなつた傷痕を見せた。
なるほど黑くなつてその傷が殘つてゐる。
なぜそんなに二たとこも嚙まれたのかと
どうして嚙まれた<の>か聞くと一度は餌をやるとき一度は籔熊が逃げたとき捕まへに行つて嚙まれたのだといふ。逃げてよく捕まつたなと云ふと、もうこれで二度も逃げてゐる。どうして捕まへるのだといふと、近所のどこかの穴にゐるからそれを搜して捕まへるのだと如何にも事もなげにいふのでそんなものかなあと私は思つた。主人はまた行く行くはこの籔熊を博覽會へ出して博覽會を連れて歩くんだと云つて、もう此頃は自分に抱かれて餌を食べるやうになつたといふので
「一つ此奴を博覧會へ出してやらうと思つ……(缺)
↓
【第二稿】
「だいぶんよく檻に馴れて來ましたな」
籔熊亭の主人は<自分の家の>店先をうろうろしてゐるときでも鳥打帽を冠つてゐる。
籔熊亭の主人は自分の家の店先をうろうろするのにも何時も鳥打帽を冠つてゐる。その鳥打帽はまた非常に古風なもので、縞目の古い絆纏着
やはりこの男の何時も着てゐる彼の絆纏着 [やぶちゃん注:一字空けママ。]それからやはり同じやうに古い眼鏡などとよく調和して……(缺)
以上の操作によって、作品としての淀みのない流れを味わうことができると私は感じている。]
*
温泉 梶井基次郎
[やぶちゃん注:本作については、注を各「稿」の後ろに附けた。但し、後注番号は錯誤をさけるために、通し番号としてある。本稿中で、抹消が二度に亙って行われた部分については、二つが連続する場合には、該当部分全体を《 》で括り、一度目と二度目のそれぞれを半角スペースで分離して明確にし、最初の抹消の最後に①、二度目の抹消の最後に②の数字を打った。]
第一稿
[やぶちゃん注:勿論、「第一稿」(以下「第二稿」「第三稿」も同じ)という表題は底本編者によるものである。]
夜になるとその谷間は眞黑な闇に呑まれてしまふのだつた。闇の底をごうごうと溪が流れてゐたゐる。私がの毎夜下りてゆかなければならなかつたのはその溪ぎわの浴場だつたゆく浴場はその溪ぎわにあつた。[やぶちゃん注:「ぎわ」はママ。正しくは「ぎは」。以下第三稿まで、すべて同語の歴史的仮名遣を誤つてゐるが、注記をすべて省略する。]
浴場は石とセメントで築きあげられた、地下牢のやうな感じを與へるの共同湯であつた。その巖丈な石の壁は豪雨の度毎に汎濫する溪の水を支へとめるためで、その壁に刳り拔かれた溪ぎわへの一つの出口がまた牢門そつくりなのであつた。晝間その温泉に涵りながらその「牢門」のそとを眺めてゐると、明るい日光の下で白く白く高まつてゐる瀨のたぎりが眼の高さに見えた。差し出てゐる楓の枝が見えた。そのアーチ形の風景のなかを彈丸のやうに川烏が飛び拔けた。
また夕方、溪ぎわへ出てゐた人があたり[やぶちゃん後注1]の暗くなつたのに驚いてその門へ引返して來ようとするとき、ふと眼の前に――その牢門のなかに――樂しく電燈がともり、濛々と立罩めた湯氣のなかに、賑やかに男や女の肢體が浮動してゐるのを見る。そんなとき人は、今まで自然のなかで忘れ去つてゐた感情
私が寐る前に入浴するのはいつも人々の寐しづまつた眞夜中であつた。その時刻にはもう誰も來ない。ごうごうと鳴り響く溪の音ばかりが耳について、おきまりの恐怖が變に私を落付かせないのである。尤も恐怖とは云ふものの、私はそれを文字通りに感じてゐたのではない。文字通りの氣持から云へば、身體に一種のるなるとともに、私は自分の恐怖にがあるきまつた形を持つてゐるのに氣がつくやうになつた。それを言つて見ればこう[やぶちゃん注:ママ。]である。
その浴場は非常に廣くて眞中で二つに仕切られてゐた。一つは村の共同湯に、一つは旅館の客にあててあつた。私がそのどちらかにはいつてゐると、きまつてもう一つの方の湯に何かが來てゐる氣がするのである。村の方の湯にはいつてゐるときには、きまつて客の湯の方に男女のぽそぽそ話しをしてゐるする聲がするきこえる。私のはその聲のし知つてゐた。それは浴場についてゐる水口で、絶えず淸水がほとばしり出てゐるのである。また男女という想像の<由つて>來る譯<ところ>もわかつてゐた。それは溪の上にだるま茶屋があつて、そこの女が客と夜更けて湯へやつて來ることがありうべきだつたのである[やぶちゃん注:ママ。底本では「こと」の脱字と判断し、「ありうべきこと」と補っている。]。さういふことがわかつてゐながらやはり變に氣になるのである。やはり來てゐるやうな氣がするのである。そこで私はそれを確めて見たい氣がする男女の話聲にきこえるが水口の水の音だとわかつていながら、不可抗的に實體をまとい出す。いよいよさうなつて來ると、私は隣の湯を一度覗いて見てその實體がまた變に幽靈のやうな性質のものに思へて來る。いよいよさうなつて來ると私はどうでも一度隣の湯を覗いて見てそれを確めないではいられなくなる。それで私は<ほんたうにそんな人達が來てゐるときには自分の顏が變な顏をしてゐないやうにその用意をしながら、>とりあいの窓のところまで行つて、その硝子戸を開けて見るのである。しかし案の定[やぶちゃん注:「條」の誤字。]なんにもゐない。
今度次は客の湯の方へはいるつてゐるときである。今度は<例によつて>村の湯の方へなにかが來てゐるがどうも氣になる。今度は男女の話聲ではない。氣になるのはさつきの溪への出口なのである。そこからな變な奴がはいつて來さうな氣がしてならない。變な奴つてどのんな奴なんだと人はきくにちがひない。それが實にいやな變な奴なのである。陰鬱な顏をしてゐる。河鹿のやうな膚をしてゐる。<其奴が>毎夜極つたやうな時刻に溪からあがつて來て湯へ漬かりに來るのである。<プフウ!>なんといふ馬鹿げた空想だらう。 なんだらう。<プフウ!>しかし私はその人間でない奴がをしたものんだらう。しかし私は其奴が、別にあたりを見𢌞すといふのではもなく、當然の權利で
いかにも毎夜の當然の權利でことのやうにして、溪からはいつて來る陰鬱な姿に で<表情で>溪からはいつて來るのに姿に、ふと私のが隣の湯を覗ゐた瞬間に、<私の視線に>ぶつかるやうな氣がしてならなかつたのである。[やぶちゃん注:「姿に で」の一字空きはママ。]
あるとき一人の女の人客が私に話をした。
「私も眠られなくて夜中に一度湯へはいるのですが、なんだか氣味が惡るござんしてね。隣の湯にへ溪から何かがはいつて來るやうな氣がして――」
私は別にそれがどんなものかは聞きはしなかつた。彼女の言葉に同感の意を表して、やはり自分のあれは本當なんだなと思つたのである。ときどき私はその「牢門」から溪へ出て見ることがあつた。轟々たる瀨はのたぎりは白蛇の尾を引いて川下の闇へ消えてゐた。向ふ岸には闇よりも濃い樹の闇、山の闇がもくもくと空へ押しのぼつてゐた。そのなかで一本椋の樹の幹だけがほの白く闇のなかから浮かんで見えるのであつた。[やぶちゃん後注2]
○
ある夜私は東京から來た友人と溪ぞひの暗の街道を② あるいて① ゐた。私は谷間の② いろいろ① 生活でのいろいろの話を②
* * *
[やぶちゃん注:このアスタリスクは底本のものである。先の「○」にしても、このアスタリスクにしても、果して本当に梶井が用いた記号で、原稿通りであるのかどうか、私はやや疑義を感じている。]
……りこ② ちらの① こに一と塊りといふ工合に。<その蒼白い在所を知らせてゐる。>このどこからともなく光を吸ひ②
これは素張らしい 恰好のすばらしい銅板畫のモテイイフである。默々とした茅屋の黑い影。表面だけが
照らされた面だけが銀色のに浮かび出てゐる竹藪の暗の闇。それだけである。何といふわけもなく簡單な<黑と白のイメイジだらう>[やぶちゃん後注3]である。しかしその何といふ云ひあらはし難い感情に包ま<れ>た風景か。<その銅板畫には>ここに人が棲んでゐる。戸を鎖し眠りに入つてゐる。闇黑の領土なかに[やぶちゃん注:底本では「の」の脱字と見て「領土のなかに」と補っている。]星空の下に、闇黑のなかに。家は彼等はなにも知らない。この星空も、この闇黑も。虚無から彼らを衞つてゐるのは家である。その忍苦の表情を見よ。彼は虚無を見に對<抗>してゐる。そして憐れな人間の意識を衞つてゐる。これが人間の限界だ!重壓する畏怖の下に、<彼等は>默々と憐れな人間の意圖を衞つてゐる。
銀色に浮び出てゐる竹藪は文明の暗示である。
一番はしの家は<よそから>流れて來た淨瑠璃話[やぶちゃん注:「語」の誤字か。]りの女が住んでゐる。<家である。>宵のうちはその障子に人影が寫り「デデンデン」といふ三味線の音と撥音と下手な鳴[やぶちゃん注:「嗚」の誤字。]咽の歌が聞こえて來る。
その次は「角屋」の婆さんと云はれてゐる年寄つただるま茶屋の女が、古くからゐたその「角屋」からとび出して一人で汁粉屋をはじめたそのてゐる家である。客の來てゐるのは見たことがない。婆<さん>はいつでも「瀧屋」にといふ別のだるま屋の圍爐裡の傍で「角屋」の惡口を云つては、硝子戸越しに街道を通る人に媚を送つてゐる。
その隣りは木地屋である。背の高い首の長いお人好の主人は猫背で聾である。その長い頸とその猫背は彼が永年刳物臺へへばりつい
刳物臺の上へうつぶせになつて仕事をした盆や膳を削つて來たために變形したものである刳物臺のせい[やぶちゃん注:ママ。なお、後注4参照。]である。彼が夜夜彼が細君と一緒に温泉へやつて來るときの恰好を見るがいい。長い頸を斜に突き出し丸く背を曲げて胸を凹ましてゐる。まるで病人のやうである。しかし彼の仕事場<刳物臺に坐つてゐる>ときの彼のなんとがつしりしてゐてゐることよ。彼は刳物臺をまるで獲物を捕つた虎のやうに刳物臺を抑へ込んでしまつてゐる。人は彼が龍[やぶちゃん注:「聾」の誤字。]であつて無類のお人好であることをすら忘れてしまふのである。刳物臺から離れた彼は<往來へ出て來た彼は、>だから機械から外して來たクランクのようなものである。少しばかり恰好の滑稽なのは仕方がないのである。彼は少しも物を喋滅多に口を利かない。その代りいつでもにこにこしてゐる。恐らくこれが人の好い龍[やぶちゃん注:「聾」の誤字。]の態度とでもいふのだらう。だから商賣は細君まかせである。細君は醜い女であるがしつかり者である。やはりお人好のお婆さんと二人でせつせと盆に龍の亭主へ口を利いてにこにこ
返事をしない[やぶちゃん注:「聾」の誤字。]亭主の無言笑顏から返答を<値段の應待[やぶちゃん注:ママ。]を>強取しやう[やぶちゃん注:ママ。]と<でも>するときには、彼女は云ふ。云ふのである。
「この人はちつと眠むいんでな……がつてるでな……」
これはちつと<も>可笑しくない! 彼ら二人は<實に>いい夫婦なのである。
彼らは家の語りの屋の常連の一人である。、尺八も吹く。木地屋から聞えて來る尺八は宗さんのひまでゐる
が仕事なしのひまでゐる證據である。
家の入口には二軒の百姓家が向ひ合つて立つてゐる。家の前庭はひろく砥石のように美しい。ダリヤや薔薇が縁を飾つてゐて、<舞臺のやうに>街道から築きあげられてゐる。田舍には珍しい美ダリヤや薔薇が であるが、それに感心してだと思つて眺めてゐる人は、そのこへこの家の娘が顏を出せばもう一度驚くにちがいない。グレートヘンである。彼女は評判の美人である。彼女は前庭の日なたで繭を煑ながら、實際グレートヘンのやうに糸繰車を𢌞してゐることがある。さうかと思ふと小舍ほどもある藁
茅を枯萱を「背負枠」[やぶちゃん注:「しよいこ(しょいこ)」と読む。]にで背負つて山から歸つて來ることもある。なんといふ夜になると弟を連れて温泉へやつて來る。すこやかな裸體。まるで希臘の水瓶である。エマニユエル・ド・フアツリヤをしてシャコンヌ舞曲を作らしめよ![やぶちゃん後注5]
この家はこの家娘のためになんとなく幸福そう[やぶちゃん注:ママ。]である。に見える。一群の鷄も、數匹の白兎も、ダリア[やぶちゃん注:ママ。前段では「ダリヤ」と表記。]の根方で舌を出してゐる赤犬に至るまで。
しかし向かいの百姓家はそれにひきかえなんとなしに陰氣臭い。それは東京へ出て苦學してゐたその家の三男二男が最近骨になつて歸つて來たからである。その靑年は新聞配達夫をしてゐた。風邪で死んだというが肺結核だつたらしい。こんな奇麗な前庭を持つたてゐる、そのうえ[やぶちゃん注:ママ。]堂々とした筧の水溜りさへある立派な家の伜が、何故また新聞の配達夫といふやうなひどい勞働へはいつて行つたのだらう。なんと樂しげな生活がこの溪間にはあるで<は>ないか。森林の伐採。杉苗の植付。夏の蔓切。枯萱を刈つて山を燒く。<春になると>蕨。蕗の薹。夏になると溪を鮎がのぼつて來る。彼らは<いちはやく>水中眼鏡と鉤針を用意する。瀨や淵へ潛り込む。あがつて來るときは口のなかへ一尾ぴき、手に一尾ぴき、針に一尾ぴき! <そんな>溪の冷たい水で冷えた切つた身體を溪そばの靑天井のは岩間の温泉で温める。馬にさへ「馬の温泉」といふものがある。田植で泥塗れになつた動物がピカピカに光つて街道を歸つてゆく。それからまた晩秋の自然薯掘。夕方山から土に塗れて歸つて來る彼等を見るがよい。背に二貫三貫の自然薯を背負つてゐる。杖にしてゐる木の枝には赤裸に<皮を>剥がれた蝮が縛りつけられてゐる。食ふのだ。彼らはまた朝早くから四里も五里もある山の中の山葵澤へ出掛けて山葵を採つて來る行く。楢や櫟を切り仆して椎茸の
しかしこんな冷嚴な眞實が潛んで<生活の鐵則は横はつて>ゐる。<彼らはなにも「白い手」の男の>嘆賞のためにかくも巧み<見事>に鎌を使つてゐるのではない。「食へない!」それで村の二男や三男達はどこかよそへ出て行かねなければならないのだ。ある者は半島の他の温泉場で板場になつてゐる。ある者はトラツクの運轉手をしてゐる。都會へ出て大工や指物師になつてゐる者もある。杉や欅の出る土地柄だからだ。しかしこの百姓家の三男二男は東京へ出て新聞配達になつた。眞面目な靑年だつたそうだ。苦學といふからには配達人募集廣告の講談社的な僞瞞にひつかかつたのにちがひない。それにしても死ぬまで東京にゐるとは?! おそらく死に際の幻覺には目にたてて見る塵もないたたきのやうな<自分の家の>前庭や、水晶のやうな<したたり集つて來る>苔の水がしたたり集つて來る筧の鳴る音を水晶のやうに美しい筧の水溜りが
をが彼を悲しませたであろう。
これがこの小さな字である。
(昭和五年)
[やぶちゃん後注1:底本編者註によれば、この部分には、以下の「書き直し」がある、とする。「書き直し」であるから、これまでの本テクスト化の私のコンセプトから言うと、本来、こちらを本文採用すべきであるが、註記の指示によると、この「書き直し」は、相当量の初案部分を削除するのみならず、最後が原稿欠で断ち切れている(初案に接続しない)ため、この第一稿の作品世界を十全に伝えていないと判断し、後注に回すこととした。なお、中途半端なので、当該段落の書き直しでない冒頭部分も、〔 〕表示で入れた。
〔また夕方、溪ぎわへ出てゐた人があたり〕の暗くなつたのに驚いてその門へ引返して來ようとするとき、ふと眼の前に――その牢門のなかに――樂しく電燈がともり、濛々と立罩めた湯氣のなかに、賑やかに男や女の肢體が浮動してゐるのを見る。そんなとき人は、今まで
私が寐る前に入浴するのはいつも人々の寐しづまつた眞夜中であつた。その時刻にはもう誰も來ない。
……ごうごうと鳴り響く溪の音ばかりが耳について考へも落付かないのである。その浴場は非常に大きく眞中で二つに仕切られてゐた。一つは旅館の客にあててある。私がその客の方の湯にはいつてゐると、その落付かない氣持が妙に隣りの湯へ惹きつけられるのである。怕いのである。何が怕いのか? それで今度は村の方の湯へはい<つて見>る。するとまた隣の湯が變……(缺)]
[やぶちゃん後注2:底本では、この段落中の「轟々たる」の頭には、挿入・改変を示す記号の「初め」が示されているのだが、その記号の「終り」が、ない。従って「<轟々たる>」なのか、それ以上のものなのかは不分明である。]
[やぶちゃん後注3:編者註によれば、この辺りの原稿の上の欄に
しかしその畫家は「黑」を
という記載がある。]
[やぶちゃん後注4:底本では、この段落中の「刳物臺のせいである。」の頭には、挿入・改変を示す記号の「初め」が示されているのだが、その記号の「終り」が、ない。従って「<刳物臺の>せいである。」なのか、「<刳物臺のせいである。>」なのか、それ以上のものなのかは不分明である。]
[やぶちゃん後注5:Manuel de Falla(1876-1946)マヌエル・デ・ファリア。スペインの作曲家。マドリード王立音楽院を卒業後、パリでラベル、ドビュッシーらと交流。著名なものに、第1次大戦後、ディアギレフの依頼で作曲し、ロンドンでディアギレフ演出で圧倒的な好評を博したバレエ「三角帽子」や「恋は魔術師」など。]
[やぶちゃん後注6:idyll 1.田園詩。牧歌(的な物語)。2.〔単数形で・文語〕田園風景、田園生活。]
第二稿
温泉は街道から幾折れかの石段で溪ぎわまで下りて行かなければならなかつた。街道も其處までは乘合自働車[やぶちゃん注:ママ。]がやつて來た。溪もそこまでは――といふとすこし比較が可笑しくなるが――
溪鮎が上つて來た。そしてその乘合自動車のやつて來る起點は、恰度またこの溪の下流のK川が半町ほどの幅になつて流れてゐるこの半島の入口の温泉地なのだつた。
温泉の浴場は溪ぎわから厚い石とセメントの壁で高く圍まれてゐた。これは豪雨のときに氾濫する虞れの多いこの溪の水からこの温泉を守る防壁で、そ片側はその壁、片側は崖の壁で、その上に人々が衣服を脱いだり一服したりする三十疊敷位の木造建築がとりつけてあつた。そしてそれがこれが村の人達の共同の所有になつてゐるセコノタキ温泉なのだつた。
浴漕は中で二つに仕切られてゐた。それは一方が村の人の共同湯に、一方がこの温泉の旅館の客がはいりに來る客湯になつてゐたためで、村の人達の湯が廣く何<十>人もはいれるのに反して、客湯は極く狹く狹くそのかわり白いタイルが張つてあつたりした。村の人達の湯にはまた溪ぎわへ出る拱門型に刳つた出口がその厚い壁の横側にあいてゐて、その湯に漬つて眺めてゐると<、そのアーチ型の空間を>眼の高さにたかまつて白い瀨のたぎりが見え、溪ぎわから差し出てゐる楓の枝が見え、たまときには彈丸のように川烏といふ鳥が擦過して行く川烏の姿が見えた。
(昭和六年十二月)
第三稿
温泉は溪の脇
温泉は街道から幾折にもなつた石段で溪底の脇まで降りて行かなければならなかつた。其處に殺風景な木造の建築がある。その階下が浴場になつてゐた。
浴場は溪ぎわから石とセメントで築きあげられた部厚な壁を溪に向かつて囘らされてゐた。それは豪雨のために氾濫する虞れのある溪の水を防ぐためで、溪ぎわへ出る一つの出口がある切りで、その浴場に地下牢のやうな感じを與へるのに成功してゐた。
何年か前まではこの温泉もほんの茅葺屋根の吹き曝しの温泉で、溪の櫻の花も散り込んで來たし、溪の眺めも眺められたし、といふのが古くからこの温泉を知つてゐる浴客の話す囘 懷舊談[やぶちゃん注:一字空きはママ。]いつもの懷舊談であつたが、多少牢門じみた感じでながら、その溪へ出口のアーチのなかへは [やぶちゃん注:一字空きはママ。]溪の楓が枝を差し伸べてゐるのが見えたし、瀨のたぎりの白い高まりが眼の高さに見えたし、時にはそこを彈丸のように擦過してゆく川烏の姿も見えた。
また壁と<壁の支えあげてゐる>天井との間からは<間の>わずかの隙間からは、夜になると星も見えたし、櫻の花片だつて散り込んで來ないことはなかつたし、ときには懸巣の美しい色の羽毛がそこから散り込んで來ることさへあつた。
(昭和七年一月)