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鬼火へ

村山槐多 〔遺書二通〕

[やぶちゃん注:以下に、掲げるものは村山槐多の遺書と称するものである。
 大正八(1919)年二月十八日夜、槐多は肺結核の身で、嵐の戸外へと失踪、翌未明に捜し回っていた友人が、泥まみれずぶ濡れの彼を叢に発見した。往診した医者に見離され、翌十九日には中学時代の美少年の友の名や二十の頃に惚れたモデルの
「お玉さん」
という名、彼の住んでいた代々木の近くにあった彼が好きで画欲をそそったとされる場所を示すと思われる
「柿の樹七本、松三本」
や、白い曲線と直線の画法のことなどのうわ言を言い続ける。二十日、午前二時、

「白いコスモス」

「飛行船のものうき光」

という謎の数語のうわ言を残して亡くなった(以上は、彌生書房版全集の山本太郎編の年譜を参考にしつつ略述した。年譜中、直接話法で示されているうわ言の断片のポイントを上げ、改行したのは私の恣意である)。
 底本は平成五(1993)年彌生書房刊の山本太郎編「村山槐多全集 増補版」を用いたが、本来の原文に近いものは正字体であるとの私のポリシーに基づき、多くの漢字を恣意的に正字に直した(なお、この全集は凡例が杜撰で、新字体表記とした旨の記載がない)。当該遺書についても解題その他一切の解説がない。
続く「第二の遺書」(これは編者による表題か本人のものか不明。後に掲げる編者の註の「手記」という語が曖昧であるが、「第二の遺書」と明記したとは思いにくい。)については、同じ平成五(1993)年彌生書房刊の山本太郎編「村山槐多全集 増補版」を用いつつ、昭和五十五(1980)年彌生書房刊の山本太郎編「村山槐多詩集」(第三版)と校合し、異同を示した(注の1980表記はそれを示す。)は。上記と同様、正字正仮名に直した。傍点「丶」は下線に代えた。「村山槐多詩集」(第三版)本文末尾には、

 編註 これは槐多が病床に就く数日前先立つこと十三日前の手記である。パウシヨラケートはパッショネートのことか。

とあるが、底本では、

 (編註 これは槐多が病床に就く数日前先立つこと十三日前の手記である)

となっている。]

 

遺 書

 

 自分は、自分の心と、肉體との傾向が著しくデカダンスの色を帶びて居る事を十五、六歳から感付いて居ました。

 私は落ちゆく事がその命でありました。

 是れは恐ろしい血統の宿命です。

 肺病は最後の段階です。

 宿命的に、下へ下へと行く者を、引き上げよう、引き上げようとして下すつた小杉さん、鼎さん其の他の知人友人に私は感謝します。

 たとへ此の生が、小生の罪でないにしろ、私は地獄へ陷ちるでせう。最底の地獄にまで。さらば。

   一九一八年末

                         村 山 槐 多

 

*   *   *

 

第二の遺書

 

 神に捧ぐる一九一九年二月七日の、いのりの言葉。

私はいま、私の家へ行つて歸つて來たところなのです。牛込から代々木までの夜道を、夢遊病者の樣にかへつて來たとこです。

 私は今夜また血族に對する強い宿命的な、うらみ、かなしみ、あゝどうすることも出來ないいら立たしさを新に感じて來たのです。其の感じが私の炭酸を滿たしたのです。

 あゝすべては虐げられてしまつたのだと私は思ひました。何度か、もうおそらく百度くらゐ思つた同じことをまた思ひました。

 親子の愛程はつきりと強い愛はありませうか、その當然すぎる珍しからぬ愛でさへ私たちの家ではもう見られないのです。何といふさびしい事でせう。

 しかも、とりわけて最もさびしい事は其の愛が私自身の心から最も早く消えさつてゐることなのです。私は母の冷淡さをなじつても、心に氷河のながれが私の心の底であざわらつてゐることを感ぜずには居られませんでした。私がかく母をなじり、流行性感冒の恐ろしさを説き、弟の手當を説いたかなりにパウシヨラケートな言葉も實は、私の愛に少しも根ざしてはゐないのでした。それどころか、恐ろしい、みにくい、利己の心が、たしかに其の言葉を言はせたのです。眞に弟を思つたのではないのです。私はたゞたゞ私自身の生活の自由と調和とが家庭の不幸弟の病氣等に依つてさまたげられこはれんことを恐れて居るのです。弟の病氣が重くなつては私の世界が暗くなるからなのです。

 ああ眞に弟を思ひその幸bフためにいのつてやる貴いうつくしい愛はどこへ行つたのでせう。またはいつ落としてしまつたのでせう。其れはとにかくない物なのだ。私の心のみか、私の家の中にはどこにもないものなのだ。何たるさびしさでせう。私は母をなじつて昂奮して外へ飛び出し、牛込から乘つた山の手電車の入口につかまつてほんとに泣きました。涙がにじみ出ました、ほんとです。ほんとです。このさびしさが泣かずにゐられませうか。私は泣きました。愛のない家庭といふ世にもみにくい家庭が私のかゝり場所かと思つて。それよりも私を、このみにくい私を、何たる血族だらう。このざまは何だらう。虐げられてしまつたのだ。すつかり虐げられてしまつたのです。もとはこれではなかつた。少なくとも私の少年時代は。

 神さま、私はもうこのみにくさにつかれました。

 涙はかれました。私をこのみにくさから離して下さいまし。地獄の暗に私を投げ入れて下さいまし。死を心からお願いするのです。

 神さま、ほんとです。いつでも私をおめし下さいまし。愛のない生がいまの私のすべてゞす[やぶちゃん注:1980「すべてです」。]。私には愛の泉が涸れてしまひました、ああ私の心は愛の廢園です。何といふさびしさ。

 こんなさびしい生がありませうか。私はこの血に根ざしたさびしさに殺されます。私はもう影です。生きた屍です。神よ、一刻も早く私をめして下さいまし。私を死の黒布でかくして下さいまし。そして地獄の暗の中に、かくして置て下さいまし。どんな苦をも受けます。たゞ愛のない血族の一人としての私を決心して[やぶちゃん注:1980「決して」。]ふたゝび、ふたたびこの世へお出しにならない樣に。

 私はもう決心しました。明日から先はもう冥土の旅だと考へました。

 神よ、私は死を恐れません。恐れぬばかりか慕ふのです。たゞ神さまのみ心に逆らつて自殺する事はいたしません。

 神よ、み心のまゝに私を、このみにくき者を、この世の苦しい涙からすくひ玉はんことを。くらいくらい他界へ。