やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

村山槐多遺稿詩文集「槐多の歌へる」の芥川龍之介による推賞文

[やぶちゃん注:大正九(1920)年九月発行の雑誌『中央文學』広告ページに掲載された。底本は、旧全集及び1996年春秋社刊の荒波力「火だるま槐多」に写真版で掲載されている同広告ページと校合した。後者を元に、後に同広告ページの詳細な電子テクストを参考として附した。「火だるま槐多」によれば、大正九年の六月以降に田端自笑軒での槐多の偲ぶ会が催された。出席した水木伸一(彼は田端で槐多と共同生活をした経験のある靑年画家であった)が見たのは、自分を含めて五人の出席者のみであった。「槐多の歌へる」の出版社アルス社社長北原鉄雄、槐多の従兄弟であった洋画家山本鼎、鉄雄の兄である北原白秋(なお且つ山本鼎の夫人は、白秋と鉄雄の妹)、即ち純粋な客は水木と芥川龍之介だけで、龍之介は静かに夜が更けてゆく中、「無言で本のみを黙読していた」。龍之介は七月の萬世橋のミカドで行われた「槐多の歌へる」出版記念会にも出席している、とある。荒波によれば、水木は後に、アルス社のこの広告を見、數多の作家の推賞文の内、「龍之介のその言葉が、重く響いた。」と記している。芥川龍之介と村山槐多――その精神の交合……芥川龍之介は彼に何を見たか……。]

 

「槐多の歌へる」推賞文   芥川龍之介

 

 斯くの如く奔放でなければ、斯くの如く謙虛であり得ないかも知れない。この人に傲り天に遜つてゐる作者の心には、直ちに我等を動かすべき藝術の士の尊さがある。しかも作者は僅に二十四歲であつた。この敬虔な牧羊神の歌に同感せざる得ないものは、あながち我等ばかりではあるまい。

 

○参考:本稿所収の「槐多の歌へる」広告ページ(基本的に右から左へ、上から下へテクスト・データを排列してある。例えば〔1-1〕は右の最初の列の一番上である。字の擦れから推測した字は〔 〕に入れた。広告全体は二重罫線で囲われている。)


〔1-1〕

村山槐多氏著

山崎省三氏編

〔1-2〕

山本 鼎氏序

小杉未醒氏跋

〔1-3〕[やぶちゃん注:ポイント最小太字。]

◆四六版六百數十頁◆

◆總布製箱 入美 本◆[やぶちゃん注:「箱」と「入」と「美」と「本」の間のスペースをとって、左右に行長を合わせてある。]

◆定價金貮圓九十銭◆

〔1-4〕[やぶちゃん注:1-3と同ポイント太字。]

東京市神田區中猿樂町

振替東京 二四八八八

電話九段 二 一六 九[やぶちゃん注:「二」と「一」と「六」と「九」の間のスペースをとって、右に行長を合わせてある。]

〔1-5〕[やぶちゃん注:ポイント大太字。]

アルス

〔2〕[やぶちゃん注:地はベタの黒で文字はポイント最大白抜。]

槐多の歌へる

〔3〕[やぶちゃん注:これは残りの上の部分の、横2/3、縦1/5を占める中見出し状になった部分。ポイントは〔1-2〕等と同じ。下線部分は実際には傍点「●」。下部は二重罫線。]

有島武郞氏

近頃日本

に現はれた

る稀有な文

と激賞せ

られたる一

靑年畫家の

驚嘆すべき

一大手記!

〔4〕[やぶちゃん注:これは書名〔2〕の左にある紹介文。以下、ポイント最小。]

豐麗な天分を抱きながら惜くも僅か二十四歲で悲壯な死を遂げた美術院々友村山槐多氏の詩歌感想等を收めたのが本書である。彼は最も勇敢に真實に藝術の殿堂に突進した。彼は火の樣に戀をした。彼は絕えず異常な性慾に苦しめられた。彼はよく飲んださうしてよく描きよく歌つた。彼は世にも不思議な多くの勝れた作品を殘しながら慌ただしくもその天才的短生涯の幕を閉ぢてしまつた。本書を讀む人は誰でも彼の力强さと卒直さと。[やぶちゃん注:「卒」も「。」もママ。]魔法の樣な怪しい美しい情〔想〕に魅了されて驚嘆の聲を惜しまないで〔あ〕らう。

〔5〕[やぶちゃん注:〔4〕の左に一本罫線を挟み、〔3〕の下に2番目に大きなポイントで、右から左に。下部は二重罫線。]

諸家の推賞

〔6〕[やぶちゃん注:以下、作家名と尊称は〔3〕と同ポイント。推賞文は最小ポイントで、実際には氏名の下に続いて入る。ポイントは上の氏名の一行が二行分相当。]

有島武郞氏

超人的な勝れた優れた能力と生まれたばかりの嬰兒のやうな天國の記憶とを濶澤に持合はした尊い人格であつた事が十二分に感ぜられて其早世を惜むの念に堪へませむ。近頃日本に現はれた稀有な文献だと存じます。

與謝野寛氏

槐多の詩は壞れたる魔の樂器なり。その破片にも破天荒の音あり。愛すべし。怖るべし。

與謝野晶子女史

槐多さんの藝術は偉大なる驚異です。日本が生んだ最初の徹底的頽唐詩人はこの人であると思ひます。

高村光太郞氏

途轍もない村山君の詩歌や散文を今度初めて讀んで成程此はあの槐多以外の人間からは到底生まれないものだと思つた。善惡美醜を超えてゐる程せつぱつまつたものだ。すつぱだかな槐多を眼の前に見るやうだ。精力過剰に苦んでゐる此の若者から發散する異常な熱氣は大抵な貧血性の美術家の魂をも沸きたゝせるだらう。しかも其間に純眞な寂しい祈禱の聲がきこゑ[やぶちゃん注:ママ。]る。たつた二十四で死んだ人の此が生活かと思ふと恐ろしい氣がする。

芥川龍之介氏

斯くの如く奔放でなければ、斯くの如く謙虛であり得ないかも知れない。この人に傲り天に遜つてゐる作者の心には、直ちに我等を動かすべき藝術の士の尊さがある。しかも作者は僅に二十四歲であつた。この敬虔な牧羊神の歌に同感せざる得ないものは、あながち我等ばかりではあるまい。

室生犀星氏

實に堀[やぶちゃん注:ママ。]り出したやうな新鮮と野蠻と產毛のやうな繊細で美しい神經とを見出しました。實際に驚くべき丸裸の文章です。

竹友藻風氏

槐多の數奇の生涯を思ひ短かく華やかな一生の述作を讀む者は佛蘭西詩人ランボオに似通ふ點のあることを認めるであらう。「三十三間堂」「孔雀石の小箱」は稀世の名玉を秘めた詩篇である。「雨の夜の泣涕」の如きは莊麗の詞章、熱烈幽玄な情想殆どランボウ[やぶちゃん注:ママ。]、ボオドレエルの壘を摩さうとする。[やぶちゃん注:以上で広告は終わっている。なお、最後の竹友藻風(1891-1954)は、大正・昭和期の詩人・英文学者。コロンビア大学卒。ウマル・ハイヤームの「ルバイヤツト」、ジョン・バニヤンの「天路歴程」などの翻訳で知られ、上田敏の遺志を継いでダンテの『神曲』も完訳している。]