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貝殼   芥川龍之介

[やぶちゃん注:大正十六(1927)年一月発行の雑誌『文藝春秋』に掲載された。底本は、岩波版旧全集を用いた。傍点「丶」は下線に代えた。末尾に、岩波版新全集第二十一巻より「貝殻」草稿(「四 或運轉手」及び「六 東京人」の草稿)を掲載した。]

 

貝殼

 

 

       一 

 

 彼等は田舍に住んでゐるうちに、猫を一匹飼ふことにした。猫は尾の長い黑猫だつた。彼等はこの猫を飼ひ出してから、やつと鼠の災難だけは免れたことを喜んでゐた。

 半年ばかりたつた後、彼等は東京へ移ることになつた。勿論猫も一しよだつた。しかし彼等は東京へ移ると、いつか猫が前のやうに鼠をとらないのに氣づき出した。「どうしたんだらう? 肉や刺身を食はせるからかしら?」「この間Rさんがさう言つてゐましたよ。猫は鹽の味を覺えると、だんだん鼠をとらないやうになるつて。」――彼等はそんなことを話し合つた末、試みに猫を餓ゑさせることにした。

 しかし、猫はいつまで待つても、鼠をとつたことは一度もなかつた。そのくせ鼠は毎晩のやうに天井裏を走りまはつてゐた。彼等は、――殊に彼の妻は猫の橫着を憎み出した。が、それは橫着ではなかつた。猫は目に見えて瘦せて行きながら、掃き溜めの魚の骨などをあさつてゐた。「つまり都會的になつたんだよ。」――彼はこんなことを言つて笑つたりした。

 そのうちに彼等はもう一度田舍住ひをすることになつた。けれども猫は不相變少しも鼠をとらなかつた。彼等はとうとう愛想をつかし、氣の強い女中に言ひつけて猫を山の中へ捨てさせてしまつた。

 すると或晩秋の朝、彼は雜木林の中を步いてゐるうちに偶然この猫を發見した。猫は丁度雀を食つてゐた。彼は腰をかがめるやうにし、何度も猫の名を呼んで見たりした。が、猫は鋭い目にぢつと彼を見つめたまま、寄りつかうとする氣色も見せなかつた。しかもパリパリ音を立てて雀の骨を嚙み碎いてゐた。

 

        河  鹿

 

 或温泉にゐる母から息子へ人傳てに屆けたもの、――櫻の實、笹餠、土瓶へ入れた河鹿が十六匹、それから土瓶の蔓に結びつけた走り書きの手紙が一本。

 その手紙の一節はかうである。――「この河鹿は皆雄に候。雌はあとより屆け候。尤も雌雄とも一つ籠に入れぬやうに。雌は皆雄を食ひ殺し候。」

 

        或女の話

 

 わたしは丁度十二の時に修學旅行に直江津へ行きました。(わたしの小學校は信州のXと云ふ町にあるのです。)その時始めて海と云ふものを見ました。それから又汽船と云ふものを見ました。汽船へ乘るには棧橋からはしけに乘らなければなりません。私達のゐた棧橋にはやはり修學旅行に來たらしい、どこか外の小學校の生徒も大勢わいわい言つてゐました。その外の小學校の生徒がはしけへ乘らうとした時です。黑い詰襟の洋服を着た二十四五の先生が一人、(いえ、わたしの學校の先生ではありません。)いきなりわたしを抱き上げてはしけへ乘せてしまひました。それは勿論間違ひだつたのです。その先生は暫くたつてから、わたしの學校の先生がわたしを受けとりにやつて來た時、何度もかう言つてあやまつてゐました。――「どうもうちの生徒にそつくりだもんですから。」

 その先生がわたしを抱き上げてはしけへ乘せた時の心もちですか? わたしはずゐぶん驚きましたし、怖いやうにも思ひましたけれども、その外にまだ何となく嬉しい氣もしたやうに覺えてゐます。

 

        或運轉手

 

 銀座四丁目。或電車の運轉手が一人、赤旗を靑旗に見ちがへたと見え、いきなり電車を動かしてしまつた。が、間違ひに氣づくが早いか、途方もないおほ聲に「アヤマリ」と言つた。僕はその聲を聞いた時、忽ち兵營や練兵場を感じた。僕の直覺は當たつてゐたかしら。

 

        失  敗

 

 あの男は何をしても失敗してゐた。最後にも――あの男は最後には壯士役者になり白瀨中尉を當てこんだ「南極探險」と云ふ芝居へ出ることになつた。勿論それは夏芝居だつた。あの男は唯のペングイン鳥になり、氷山の間を步いてゐた。そのうちに烈しい暑さの爲にとうとう悶絶して死んでしまつた。

 

        東京人

 

 或待合のお上さんが一人、懇意な或藝者の爲に或出入りの呉服屋へ帶を一本賴んでやつた。扨その帶が出來上つて見ると、それは註文主のお上さんには勿論、若い呉服屋の主人にも派手過ぎると思はずにはゐられぬものだつた。そこでこの呉服屋の主人は何も言はずに二百圓の帶を百五十圓におさめることにした。しかしこちらの心もちは相手のお上さんには通じてゐた。

 お上さんは金を拂つた後、格別その帶を藝者にも見せずに簞笥の中にしまつて措いた。が、藝者は暫くたつてから、「お上さん、あの帶はまだ?」と言つた。お上さんはやむを得ずその帶を見せ、實際は百五十圓拂つたのに藝者には値段を百二十圓に話した。それは藝者の顏色でも、やはり派手過ぎると思つてゐることは、はつきりお上さんにわかつた爲だつた。が、藝者も亦何も言はずにその帶を貰つて歸つた後、百二十圓の金を屆けることにした。

 藝者は百二十圓と聞いたものの、その帶がもつと高いことは勿論ちやんと承知してゐた。それから彼女自身はしめずに妹にその帶をしめさせることにした。何、莫迦々々しい遠慮ばかりしてゐる?――東京人と云ふものは由來かう云ふ莫迦々々しい遠慮ばかりしてゐる人種なのだよ。

 

        幸福な悲劇

 

 彼女は彼を愛してゐた。彼も亦彼女を愛してゐた。が、どちらも彼等の氣もちを相手に打ち明けるのに臆病だつた。

 彼はその後彼女以外の――假に3と呼ぶとすれば、3と云ふ女と馴染み出した。彼女は彼に反感を生じ、彼以外の――假に4と呼ぶとすれば、4と云ふ男に馴染み出した。彼は又急に嫉妬を感じ、彼女を4から奪はうとした。彼女も彼と馴染むことは本望だつたのに違ひなかつた。しかしもうその時には幸福にも――或は不幸にもいつか4に愛を感じてゐた。のみならず更に幸福だつたことには――或はこれも不幸だつたことには彼もいざとなつて見ると、冷かに3と別れることは出來ない心もちに陷つてゐた。

 彼は3と逢ひながら、時々彼女のことを思ひ出してゐる。彼女も亦4と遠出をする度に耳慣れない谷川の音などを聞き、時々彼のことを思ひ出してゐる。……

 

        實  感

 

 或殺人犯人の言葉。――「わたしはあいつを殺しました。あいつが幽靈に出て來るのは尤も過ぎる位尤もです。唯わたしが殺した通りの死骸になつて出て來るならば、恐ろしいことも何もありません。けれどもあいつが生きてゐる時と少しも變らない姿をして立つてゐたり何かするのが恐しいのです。ほんたうにどうせ幽靈に出るならば、死骸になつて出て來やがれば好いのに。」

 

        車  力

 

 僕は十一か十二の時、空き箱を積んだ荷車が一臺、坂を登らうとしてゐるを見、後ろから押してやらうとした。するとその車を引いてゐた男は車越しに僕を見返るが早いか、「こら」とおほ聲に叱りつけた。僕は勿論この男の誤解を不快に思はずにはゐられなかつた。

 それから五六日たつた後、この男は又荷車を引き、前と同じ坂を登らうとしてゐた。今度は積んであるのは炭俵だつた。が、僕は「勝手にしろ」と思ひ、唯道ばたに佇んでゐた。すると車の搖れる拍子に炭俵が一つ轉げ落ちた。この男はやつと楫棒を下ろし、元のやうに炭俵を積み直した。それは僕には何ともなかつた。が、この男は前こごみになり、炭俵を肩へ上げながら、誰か人間にでも話しかけるやうに「こん畜生、いやに氣を利かしやがつて。車から下りるのはまだ早いや」と言つた。僕はそれ以來この男に、――この黑ぐろと日に燒けた車力に或親しみを感ずるやうになつた。

 

        或農夫の論理

 

 或山村の農夫が一人、隣家の牝牛を盜んだ爲に三箇月の懲役に服することになつた。獄中の彼は別人のやうに神妙に一々獄則を守り、模範的囚人と呼ばれさへした。が、免役になつて歸つて來ると、もう一度同じ牝牛を盜み出した。隣家の主人は立腹し、今度も亦警察權を借りることにした。彼等の村の駐在所の巡査は早速彼を拘引した上、威丈高に彼を叱りつけた。

 「貴樣は性も懲りもない奴だな。」

 すると彼は佛頂面をしたまま、かう巡査に返事をした。

 「わしはあの牛を盜んだから、三箇月も苦役をして來たのでせう。して見ればあの牛はわしのものです。それが家へ歸つて見ると、やつぱり隣の小屋にゐましたから、(尤も前よりは肥つてゐました。)わしの小屋へ曳いて來ただけですよ。それがどこが惡いのです?」

 

       十一 嫉  妬

 

 「わたしはずゐぶん嫉妬深いと見えます。たとへば宿屋に泊まつた時、そこの番頭や女中たちがわたしに愛想よくお時宜をするでせう。それから又外の客が來ると、やはり前と同じやうに愛想よくお時宜をしてゐるでせう。わたしはあれを見てゐると何だか後から來た客に反感を持たずにはゐられないのです。」――その癖僕にかう言つた人は僕の知つてゐる人々のうちでも一番温厚な好紳士だつた。

 

       十二 第一の接吻

 

 彼は彼女と夫婦になつた後、彼女に今までの彼に起つた、あらゆる情事を打ち明けることにした。その結果は彼の豫想したやうに彼等の幸福を保證することになつた。しかし彼は彼女にもたつた一つの情事だけは打ち明けなかつた。それは彼が十八の時、或年上の宿屋の女中と接吻したと云ふことだつた。彼は何もこの情事だけは話すまいと思つた譯ではなかつた。唯ちよつとしたことだつた爲に話さずとも善いと思つただけだつた。

 それから二三年たつた後、彼は何かの話の次手にふと彼女にこの情事を話した。すると彼女は顏色を變へ、「あなたはあたしを欺ましてゐた」と言つた。それは小さい刺のやうにいつまでも彼等夫婦の間に波瀾を起す種になつてしまつた。彼は彼女と喧嘩をした後、何度もひとりこんなことを考へなければならなかつた。――「俺は餘り正直だつたのかしら。それとも又どこか内心には正直になり切らずにゐたのかしら。」

 

       十三 「いろは字引」にない言葉

 

 彼はエデインバラに留學中、電車に飛び乘らうとして轉げ落ち、人事不省になつてしまつた。が、病院へかつぎこまれる途中も譫語(うはごと)に英語をしやべつてゐた。彼の健康が恢復した後、彼の友だちは何げなしに彼にこのことを話して聞かせた。彼はそれ以來別人のやうに彼の語學力に確信を持ち、とうとう名高い英語學者になつた。――これは彼の立志譚である。しかし僕に面白かつたのは彼の留守宅に住んでゐた彼の母親の言葉だつた。

 「うちの息子は學問をして日本語はすつかり知り悉してしまひましたから、今度はわざわざ西洋へ行つて『いろは字引』にない言葉を習つてゐます。」

 

       十四 母と子と

 

 彼は近頃彼の母が藝者だつたことを知るやうになつた。しかも今は彼の母が北京の羊肉胡同(ヤンルウホオトン)に料理屋を出してゐることも知るやうになつた。彼は商賣上の用向きの爲に二三日北京に滯在するのを幸ひ、久しぶりに彼女に會つて見ることにした。

 彼はその料理屋へ尋ねて行き、未だに白粉の厚い彼女と一時間ばかり話をした。が、彼女の空々しいお世辭に幻滅を感ぜずにはゐられなかつた。それは彼女が几帳面な彼に何かケウトイ心もちを感じた爲にも違ひなかつた。しかし又一つには今の檀那に彼女の息子が尋ねて來たことを隱したかつた爲にも違ひなかつた。

 彼女は彼の歸つた後、肩の凝りの癒つたやうに感じた。が、翌日になつて見ると、親子の情などと云ふことを考へ、何か彼に素つ氣なかつたのをすまないやうにも感じ出した。彼がどこに泊まつてゐるかは勿論彼女にはわかつてゐた。彼女は日暮れにならないうちにと思ひ、薄汚い支那の人力車に乘つて彼のゐる旅館へ尋ねて行つた。けれどもそれは不幸にも彼が漢口へ向ふ爲に旅館を出てしまつたところだつた。彼女は妙に寂しさを覺え、やむを得ず又人力車に乘つて砂埃りの中を歸つて行つた。いつか彼女も白髮を拔くのに追はれ出したことなどを考へながら。

 彼はその日も暮れかかつた頃、京漢鐵道の客車の窓に白粉臭い母のことを考へてゐた。すると何か今更のやうに多少の懷しさも感じないではなかつた。が、彼女の金齒の多いのはどうも彼には愉快ではなかつた。

 

     十五 修辭學

 

 東海道線の三等客車の中。大工らしい印絆纒の男が一人、江尻あたりの海を見ながら、つれの男にかう言つてゐた――「見や。浪がチンコロのやうだ。」

 

   *

[やぶちゃん注:以下は岩波版新全集第二十一巻に所収する『「貝殼」草稿』である。但し、底本の新字体は私のコンセプトに反するので、恣意的に正字体に直してある。なお、底本では、編者による原稿ナンバーである「Ⅰ」が最初の行頭に示され、草稿全体が一字下げとなっている。]

「貝殼」草稿

    〔貝殼〕

Ⅰ         ×

 銀座四丁目。或電車の運轉手が一人、赤旗を靑旗と見ちがへたと見え、いきなり電車を動かしてしまつた。が、間違ひに氣づくが早いか、途方もないおほ聲に「アヤマリ」と言つた。僕はその運轉手を見た時、忽ち兵營や練兵場を感じた。

          ×

 或待合のお上さんが一人、或懇意な藝者の爲に或出入りの呉服屋に帶を一本賴んでやつた。扱その帶が出來上つて來ると、それは註文主のお上さんには勿論、その呉服屋の主人にも派手過ぎると思はずにはゐられぬものだつた。そこでその呉服屋の主人は何も言はずに二百圓の帶を百五十圓におさめることにした。しかしこちらの心もちは相手のお上さんにはわかつてゐた。その待合のお上さんは[やぶちゃん注:草稿はここで切れている。]