[やぶちゃん注:大正七(1918)年二月二十四日付『朝日新聞』に掲載、後に『點心』『梅・馬・鶯』に所収された。底本は岩波版旧全集を用いた。最後にやぶちゃんの後注(文中※印。一部参考テクスト附)を附した。]
南瓜 芥川龍之介
何しろ南瓜が人を殺す世の中なんだから、驚くよ。どう見たつて、あいつがそんな大それた眞似をしようなんぞとは思はれないぢやないか。なにほんものの南瓜か? 常談云つちやいけない。南瓜は綽號だよ。南瓜の市兵衞(※1)と云つてね。吉原ぢや下つぱの――と云ふよりや、まるで數にはいつてゐない太鼓なんだ。
そんな事を聞く位ぢや、君はあいつを見た事がないんだらう。そりや惜しい事をしたね。もう今ぢや赤い着物を着てゐるだらうから、見たいつたつて、ちよいとは見られるもんぢやない。頭でつかちの一寸法師見たいなやつでね、夫がフロックに緋天鵞絨のチョッキと云ふ拵へなんだから、ふるつてゐたよ。おまけにその鉢の開いた頭へちよん髷をのつけてゐるんだ。それも粹な由兵衞奴(※2)か何かでね。だから君、始めて遇つたお客は誰でもまあ毒氣をぬかれる。すると南瓜のやつは、扇子で一つその鉢の開いた頭をぽんとやつて、「どうでげす。新技巧汲の太鼓持もたまには又乙でげせう」つて云ふんだ。惡い洒落さね。
洒落と云へば、南瓜には何一つ藝らしい藝がない。唯お客をつかまへて、洒落放題洒落る丈なんだ。それが又「にはかに洒落られません」つて程にも行かないんだから、心細いやね。尤もそこはお客もお客で曲りなりにも洒落のめせば、それでもう多曖なく笑つてゐる。云はば洒落のわかつたのが、うれしくつてたまらないと云ふ連中ばかりなんだ。
あいつも始はそれが、味噌氣だつたんだらう。僕が知つてからも、隨分いい氣になつて、擽つたもんさ。所がいくら南瓜だつて、さう始終洒落てばかりゐる譯にや行きやしない。たまには改まつて、眞面目な事も云ふ時がある。が、お客の方ぢや南瓜は何時でも洒落るもんだと思つてゐるから、いくらあいつが眞面目な事を云つたつて、やつぱり腹を抱へて笑つてゐる。そこがこの頃になつて見ると、だんだんあいつの氣になり出したんだ。あれで君、見かけよりや存外神經質な男だからね。いくらフロックに緋天鵞絨のチョッキを着て由兵衞奴の頭を扇子で叩いてゐたつて、云ふ事まで何時でも常談だとは限りやしない。眞面目な事を云ふ時は、やつぱり眞面目な事を云つてゐるんだ、事によるとお客よりや、もつと眞面目な事を云つてたかも知れない――とまあ、僕は思ふんだがね。だからあいつに云はせりや「笑ふ手前が可笑しいぞ」位な氣は、とうの昔からあつたんだ。今度のあいつの一件だつて、つまりはその不平が高じたやうなもんぢやないか。
そりや新聞に出てゐる通り、南瓜が薄雲太夫(※3)と云ふ華魁に惚れてゐた事はほんたうだらう。さうしてあの奈良茂(※4)と云ふ成金が、その又太夫に惚れてゐたのにも違ひない。が、なんぼあいつだつてそんな鞘當筋だけぢや人殺しにも及ぶまいぢやないか。それよりあいつが口惜しがつたのは、誰もあいつが薄雲太夫に惚れてゐると云ふ事を、眞にうける人間がゐなかつた事だ。成金のお客は勿論、當の薄雲太夫にした所で、そんな事は夢にもないと思つてゐる。尤もさう思つたのも可愛さうだが無理ぢやない。向ふは仲の町でも指折りの華魁だし、こつちは片輪も同樣な、ちんちくりんの南瓜だからね。かうならない前に聞いて見給へ。僕にしたつて嘘だと思ふ。それがあいつにやつらかつたんだ。別して惚れた相手の薄雲太夫が眞にうけないのを苦に病んだらしい――だからこその人殺しさ。
何でもその晩もあいつは醉つぱらつて薄雲太夫の側へ寄つちや、夫婦になつてくれとか何とか云つたんださうだ。太夫の方ぢや何時もの常談と思ふから、笑つてばかりゐて相手にしない。しないばかりなら、よかつたんだが、何かの拍子に「市兵衞さんお前妾(わちき)に惚れるなら、命がけで惚れなまし」つて云つたんださうだ。それがあいつの頭へぴんと來たんだらう。おまけに奈良茂がその後から、「かうなると汝(われ)と己(おれ)とは仇同志や。今が今でも命のやりとりしてこまそ」つて、笑つたと云ふんだから機會(きつかけ)が惡い。すると、南瓜は今まではしやいでゐたやつが、急に血相を變へながら坐り直して――それから君、何をやつたと思ふ。あいつがそのとろんこになつた眼を据ゑてハムレットの聲色を使つたんだ。それも英語で使つたんだと云ふから、驚かあね。
これにや一座も、呆氣にとられた。――とられた筈さ。そこにゐた手合にや、遊扇にしろ、蝶兵衞にしろ、英語の英の字もわかりやしない。其角(※5)だつて、「奧の細道」の講釋はするだらうが、ハムレットと來た日にや名を聞いた事もあるまいからね。唯その中でたつた一人、成金のお客にやこれがわかる――そこは亞米利加で皿洗ひか何かして來ただけに、日本の芝居はつまらないとあつて、オペラコミック(※6)のミス何とかを贔屓にしてゐると云ふ御人體なんだ、がもとより洒落だと心得てゐたから、南瓜が妙な身ぶりをしながら、薄雲太夫をつかまへて、「You go not, till I set you up a glass. Where you may see the inmost
part of you.」(※7)とか何とか云つても、不相愛げらげら笑つてゐたさうだがね。――そこまでは、まあよかつたんだ。それがハムレットの臺辭がよろしくあつて、だんだんあいつが太夫につめよつて來た時に、間の惡い時は又間の惡いもので、奈良茂の大慧一杯機嫌でどこで聞きかじったか、「What, ho! help! help! help!」とポロニアスの聲色を使つたぢやないか。南瓜のやつはそれを聞くと、急に死人のやうな顏になつて、息がつまりさうな警出しながら、「How, now! A rat? Dead for a ducat, dead!」と云ふが早いか、いきなり奈良茂の側にあつた鮫鞘の脇差を引こぬいて、ずぶりと向ふの胸へ突こんだんだ。そこでほんもののポロニアスなら「Oh! I am slain.」と云ふ所なんだが、刀は切れるし、急所だし、うんと云つたつきりお客は往生さ。この血の出た事つたらなかつたさうだよ。
「見やあがれ。己だつて出たらめばかりは云やしねえ。」――南瓜はさう云つて、脇差を抛り出したさうだがね。返り血もかかつたんだらうが、チョッキが緋天鵞絨なので、それがさほど目に立たない。人を殺したつて、殺さなくつたつて、見た所はやつぱりちんちくりんの、由兵衞奴にフロックを著た、あの南瓜の市兵衞が、それでもそこにゐた連中にや、別人のやうに見えたんだらう。――見えたんぢやない。まるで別人になつてしまつたんだ。だから、あいつが御用になつて、茶屋の二階から引立てられる時にや、捕繩のかかつた手の上から、桐に鳳凰の繍のある目のさめるやうな綺麗な仕掛を羽織つてゐたと云ふぢやないか。なに誰の仕掛だ? 勿論薄雲太夫のさ。
それ以來吉原は、今でもあいつの噂で持ちきつてゐるやうだ。兎に角これで見ても、何でも常談だと思ふのは危險だよ。笑つて云つたつて、云はなくつたつて、眞面目な事はやつぱり眞面目な事にちがひないからね。
■やぶちゃん注
※1 南瓜の市兵衛:加保茶元成(かぼちやのもとなり)。 別号文楼、通称村田市平衛。江戸吉原大文字屋初代市兵衛の子。狂歌以外に、古銭家としても有名であった。文政11(1828)年に歿している。
※2 由兵衞奴(よしべゑやつこ):頭の後方に低くずり下げて結った髷を言う。
※3 薄雲太夫:元禄年間(1688~1704)の江戸新吉原京町三浦屋お抱え遊女で、高尾太夫と並び称せられた。彼女は、以下の其角の注に記す忠猫のエピソードでも有名である。また同名の、万治年間(1658~1660)に、歌や書に秀でて有名であった、吉原信濃屋の遊女もいる。
※4 奈良茂(ならも):(1695~1725)紀伊国屋文左衛門と肩を並べた豪商奈良茂左衛門の通称。深川黒江町の材木商であったが、吉原の名妓玉菊を溺愛し、三十一歳で亡くなっている。
※5 其角:ここで蕉門十哲の一、榎本其角の名が挙がるのは、先の薄雲太夫に絡んでの次の記載によるか。「近世江都著聞集」第五冒頭に以下のエピソードが記される(底本は昭和五十五(1980)年中央公論社刊『燕石十種 第五巻』を用いた。但し、底本は新字体であるので恣意的にほとんど正字に直し、返り点は省略した)。
三浦遊女薄雲が傳
晉其角句に、
京町の猫通ひけり揚屋町
此句は、春の句にて、猫通ふとは申也、猫サカル、猫コガル、[やぶちゃん字注:「猫サカル、猫コガル、」は、底本ではポイント落ち二行割注。]、おだ卷の初春の季に入て部す也、京町の猫とは、遊女を猫に見立たる姿也といふ、斯有と聞へけれども、今其角流の俳諧にては、人を畜類鳥類にくらぶるは正風にあらず、とて致さず、此句は、元祿の比、太夫、格子の京町三浦の傾城揚屋入の時は、禿に猫を抱させて、思ひ/\に首玉を付て、猫を寵愛しけり、すべての遊女猫をもて遊び、道中に持たせ、揚屋入をする事、其頃のすがたにて、京町の猫揚屋へ通ふ、と風雅に云かなへたりし心なるべし、其比、太夫、格子の、猫をいだかせ道中せし根元は、四郎左衞門抱に薄雲といふ遊女あり、此道の松の位と經上りて、能く人の知る所也、高尾、薄雲といふは代々有し名也、是は元祿七八の頃より、十二三年へ渡る三代薄雲と呼し女也、※近年板本に、北州傳女をかける、甚非也、但し板本故、誠をあらはさゞるか※[やぶちゃん字注:※~※部分は、底本ではポイント落ち二行割注。]此薄雲、平生に三毛の小猫のかはゆらしきに、緋縮緬の首玉を入、金の鈴を付け、是を寵愛しければ、其頃人々の口ずさみけると也、夫が中に、薄雲に能なつきし猫一疋有て、朝夕側を離れず、夜も寢間迄入て、片時も外へ動かず、春の夜の野ら猫の妻乞ふ聲にもうかれいでず、手元をはなれぬは、神妙にもいとしほらしと、薄雲は悦び、猶々寵愛し、大小用のため、かわや雪隱へ行にも、此猫猶々側をはなれず、ひとつかわやの内へ不入してはなき、こがれてかしましければ、無是非夫通りにして、かわや迄もつれ行、人々其頃云はやし、浮名を立ていひけるは、いにしへより猫は陰獸にして甚魔をなす物也、薄雲が容色うるはしきゆへ、猫の見入しならん、と一人いひ出すと、其まゝ大勢の口々へわたり、薄雲は猫に見入れられし、といひはやす、三浦の親方耳に入て、薄雲に異見して、古より噺し傳ふ譯もあり、餘り猫を愛し給ふ事なかれ、と云、薄雲も人々の物語の恐ろしく思ひ、寵愛怠りけれども、猫はたゞ薄雲をしたひ放れず、人々是を追放しければ、只悲しげに泣さけび、打杖の下よりも、薄雲が膝もとはなるゝ事を悲みけり、殊にかわやへの用たし毎に、猶も付行ける故、人々度々追ちらしけれ共、したひ來るゆゑ、いよ/\此猫見込しならん、と家内の者寄合相談して、所詮此猫を打殺し仕廻んとて、手組居る處に、薄雲ある日用達しにかわやへゆきしに、何方よりか猫來りて、同じくかわやへ入らんとするを見付、家内の男女、追かけ追ちらさんとす、亭主脇差をぬき、切かけしに、猫の首水もたまらず打落す、其首とんで厠より下へくゞり、猫のどうは戸口に殘り、首は見へず、方々と尋ねければ、厠の下の角の方に、大きなる蛇の住居して居たりし其所へ、件の猫の頭喰付て、蛇をくひ殺していたり、人々きもをつぶし、手を打て感じけるは、是は、此蛇の廊に住て薄雲を見込しを不知、とがなき猫に心を付、斯く心ある猫を殺しけるこそ卒忽なれ、日比寵愛せしゆゑ、猫は厚恩をおもひて如斯やさしき心ねなるを、しらず殺せし事の殘念さよ、といづれも感を催しけり、薄雲は猶も不便のまして、泪を流し、終に其猫の骸を道哲へ納て、猫塚と云り、是よりして、揚屋通ひの遊女、多くは猫を飼ひ、禿にもたせねばならぬように、風俗となりしとなり、[やぶちゃん注:以上、終わり。ちなみに、この話が招き猫のルーツの一つともされるようである。]
※6 オペラコミック(opéra comique):十八世紀に流行した台詞と歌とを合わせて構成したフランス風オペラ。正統の「グランド・オペラ」の対語。
※7 これ以下、一連の台詞は、「ハムレット」の第3幕4場の一連の部分である。以下に該当部前後を示す(訳は新潮社昭和42(1967)年刊の新潮文庫版の福田恒存訳を用いた)。
妃 お前は、この私を忘れてしまったらしい。
ハムレット とんでもない、忘れるどころか、お妃にして、夫の弟の妻。しかも、あるまじきことに、わが母上。
妃 またしても。このうえは、誰か話のできるものを呼んで来よう。(行きかける)
ハムレット (妃の腕をおさえ)お待ちなさい。そこへお掛けになって。動いてはなりませぬ。今、ここで、そのお心のなかまで見とおせる鏡を、お目にかけましょう。それまでは決してお放しいたしませぬ。〔=本文「You go not, till I set you up a glass. Where you may see the inmost part of you.」〕
妃 なにをする? あ、誰か、誰か!
ポローニアス (壁掛のかげで)おお、大事だ! 誰かおらぬか、誰か 早う!〔=本文「What, ho! help! help! help!」〕
ハムレット (剣を抜き)おお、さては! 鼡か? くたばれ。くそっ、くたばってしまえ。(壁掛のうえからぐさりとさす)
ポローニアス (崩れ倒れる音)ああ!〔=本文「Oh! I am slain.」〕