やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

[やぶちゃん注:底本は1984年刊の「南方熊楠選集 第四巻 続南方随筆ほか」を用いた。なお、本文の一部に注を附した。]

 

女性における猥褻の文身   南方熊楠

 

『変態性慾』六巻四号に、田中君[やぶちゃん注:田中香涯。性科学者。]がこの題のうちに書かれた中に洩れたことを、いささか記そう。三十五年前米国にあった時、故鈴木倚象男[やぶちゃん注:不詳。]に聞いたのであるが、その数年前警視庁で婦女の文身(いれずみ)を調べたら、最も奇抜なのは東京のどこかの女博徒で、吉舌[やぶちゃん注:「和名抄」等に(ひなさき)と読むとある。狭義には女子生殖器に陰核(クリトリス)を指すが、ここでは以下の刺青の描写から広く女子生殖器(恐らく陰阜)を指していると思われる。]にナメクジを入れ墨した、その形がよく似たのみか、巧技絶妙でナメクジの背の細点つぶさに備わり、真に逼った物の由。また二十八年前ロンドンで故中井芳楠[やぶちゃん注:初代横浜正金銀行ロンドン支店長。]氏に聞いた話は、維新前泉州貝塚に名題の美女兼賭博女お芳は、秘部近く蟹をほりつけ、走り込まんとする状すこぶるよくできておった、と。

『甲子夜話』にも同例を二ヵ所に記してあるから、賭博女は毎度したことらしい。その一を挙げると、巻一八に、「ある人の話に、湯島に鳶の者の妻よし、寡婦となって任俠をもって聞こえたり。湯島の劇場に狂者刀を振り廻し、人みな手に合わずと聞いて、われこれを取るべしとて、衣をぬぎ丸裸になってズカズカとそのかたわらにより、何をなさると言えば狂人呆れて立ちたるに、その手を取って刀を取り上げ、事穏やかに済ませしとなり。この婦陰戸のかたわらに蟹の横行して入らんとする形を入れ墨したり、と。およそ豪気この類なり。三十年ばかり前のことにて、その婦を目撃せし人の言に、膚白く容顔ことに美艶なりしとぞ。かの亡夫の配下なりし鳶ども強情者多かりしが、みな随従し差図をうけ一言いう者もなかりしと言えり」。        (大正十四年六月『変態心理』一五巻六号)