HP 心朽窩へ戻る

HP 鬼火へ


引用の誘惑/黄昏の心象

   * * *

アメリカ・インディアン ソーク族格言

私の前を歩くな、

私が従うとは限らぬ。

私の後を歩くな、

私が導くとは限らぬ。

私とともに歩け、

私たちは一つなのだから。

   ***

巌頭之感   藤村操

悠々たる哉天壤遼々たる哉古今五尺の小躯を以て此大をはからんとすホレーシヨの哲學竟に何等のオーソリチイーを價するものぞ萬有の眞相は唯一言にして悉す曰く不可解我この恨を懐て煩悶終に死を決するに至る既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし始めて知る大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを

   ***

こゝろ 上一   夏目漱石

 私は其人を常に先生と呼んでゐた。だから此所でもたゞ先生と書く丈で本名は打ち明けない。是は世間を憚かる遠慮といふよりも、其方が私に取つて自然だからである。私は其人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云ひたくなる。筆を執つても心持は同じ事である。餘所々々しい頭文字抔はとても使ふ氣にならない。

 私が先生と知り合になつたのは鎌倉である。其時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行つた友達から是非來いといふ端書を受け取つたので、私は多少の金を工面して、出掛る事にした。

こゝろ 上二

 その時の私は屈托がないといふより寧ろ無聊に苦しんでゐた。それで翌日も亦先生に會つた時刻を見計らつて、わざわざ掛茶屋まで出かけて見た。すると西洋人は來ないで先生一人麥藁帽を被つて遣つて來た。先生は眼鏡をとつて台の上に置いて、すぐ手拭で頭を包んで、すたすた濱を下りて行つた。先生が昨日の樣に騒がしい浴客の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にその後が追ひ掛けたくなつた。私は淺い水を頭の上迄跳かして相當の深さの所迄來て、其所から先生を目標に抜手を切つた。すると先生は昨日と違つて、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方へ歸り始めた。それで私の目的は遂に達せられなかつた。私が陸へ上がつて雫の垂れる手を振りながら掛茶屋に入と、先生はもうちやんと着物を着て入違に外へ出て行つた。

こゝろ 上三

 次の日私は先生の後につゞいて海へ飛び込んだ。さうして先生と一所の方角に泳いで行つた。二丁程沖へ出ると、先生は後ろを振り返つて私に話し掛けた。廣い蒼い海の表面に浮いてゐるものは、其近所に私等二人より外になかつた。さうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしてゐた。私は自由と歡喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂つた。先生は又ぱたりと手足の運動を已めて仰向になつた儘浪の上に寐た。私も其眞似をした。靑空の色がぎらぎらと眼を射るやうに痛烈な色を私の顏に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな聲を出した。

 しばらくして海の中で起き上がる樣に姿勢を改めた先生は、「もう歸りませんか」と云つて私を促した。比較的強い體質を有つた私は、もつと海の中で遊んでゐたかつた。然し先生から誘はれた時、私はすぐ「えゝ歸りませう」と快く答へた。さうして二人で又元の路を濱邊へ引き返した。

   *

私は最後に先生に向かつて、何處かで先生を見たやうに思ふけれども、何うしても思ひ出せないと云つた。若い私は其時暗に相手も私と同じ樣な感じを持つてゐはしまいかと疑つた。さうして腹の中で先生の返事を予期してかゝつた。所が先生はしばらく沈吟したあとで、「何うも君の顏には見覺がありませんね。人違いぢやないですか」と云つたので私は變に一種の失望を感じた。

こゝろ 上五

 私は墓地の手前にある苗畠の左側から這入つて、兩方に楓を植ゑ付けた廣い道を奥の方へ進んで行つた。すると其端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て來た。私は其人の眼鏡の縁が日に光る迄近く寄つて行つた。さうして出抜けに「先生」と大きな聲を掛けた。先生は突然立ち留まつて私の顏を見た。「何うして……、何うして……」

 先生は同じ言葉を二遍繰り返した。其言葉は森閑とした晝の中に異樣な調子をもつて繰り返された。私は急に何とも應へられなくなつた。

「私の後を跟けて來たのですか。どうして……」

 先生の態度は寧ろ落ち付いてゐた。聲はむしろ沈んでゐた。けれども其表情の中には判然云へない樣な一種の曇があつた。

こゝろ 上七

 「私は淋しい人間です」と先生は其晩又此間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方も淋しい人間ぢやないですか。私は淋しくつても年を取つてゐるから、動かずにゐられるが、若いあなたは左右は行かないのでせう。動ける丈動きたいのでせう。動いて何かに打つかりたいのでせう。……」

「私はちつとも淋しくはありません」

「若いうち程淋しいものはありません。そんなら何故貴方はさう度々私の宅へ來るのですか」

 此所でも此間の言葉が又先生の口から繰り返された。

「あなたは私に會つても恐らくまだ淋しい氣が何處かでしてゐるでせう。私にはあなたの爲に其淋しさを根元から引き抜いて上げる丈の力がないんだから。貴方は外の方を向いて今に手を廣げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」

 先生は斯う云つて淋しい笑ひ方をした。

こゝろ 上八

 先生の宅は夫婦と下女だけであつた。行くたびに大抵はひそりとしてゐた。高い笑い聲などの聞こえる試しは丸でなかつた。或時は宅の中にゐるものは先生と私だけのやうな氣がした。

「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いて云つた。私は「左右ですな」と答へた。然し私の心には何の同情も起らなかつた。子供を持つた事のない其時の私は、子供をたゞ蒼蠅いものゝ樣に考へてゐた。

「一人貰つて遣らうか」と先生が云つた。

「貰ツ子ぢや、ねえあなた」と奥さんは又私の方を向いた。

「子供は何時迄經つたつて出來つこないよ」と先生が云つた。

 奥さんは默つてゐた。「何故です」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」と云つて高く笑つた。

こゝろ 上九

 「今日は駄目です」と云つて先生は苦笑した。

「愉快になれませんか」と私は氣の毒さうに聞いた。

 私の腹の中には始終先刻の事が引つ懸つてゐた。肴の骨が咽喉に刺さつた時の樣に、私は苦しんだ。打ち明けて見やうかと考へたり、止した方が好からうかと思ひ直したりする動搖が、妙に私の樣子をそはそはさせた。

「君、今夜は何うかしてゐますね」と先生の方から云ひ出した。「實は私も少し變なのですよ。君に分りますか」 私は何の答もし得なかつた。「實は先刻妻と少し喧嘩をしてね。それで下らない神經を昂奮させてし仕舞つたんです」と先生が又云つた。

「何うして……」

 私には喧嘩といふ言葉が口へ出て來なかつた。

「妻が私を誤解するのです。それを誤解だと云つて聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」

「何んなに先生を誤解なさるんですか」

 先生は私の此問に答へやうとはしなかつた。

「妻が考へてゐるやうな人間なら、私だつて斯んなに苦しんでゐやしない」

 先生が何んなに苦しんでゐるか、これも私には想像の及ばない問題であつた。

こゝろ上 十二~十三

 たゞ一つ私の記憶に殘つてゐる事がある。或時花時分に私は先生と一所に上野へ行つた。さうして其所で美しい一對の男女を見た。彼等は睦まじさうに寄添つて花の下を歩ゐていた。場所が場所なので、花よりも其方を向いて眼を峙だてゝいる人が澤山あつた。

「新婚の夫婦のやうだね」と先生が云つた。

「仲が好ささうですね」と私が答へた。

 先生は苦笑さへしなかつた。二人の男女を視線の外に置くやうな方角へ足を向けた。それから私に斯う聞いた。

「君は戀をした事がありますか」

 私はないと答えた。

「戀をしたくはありませんか」

 私は答へなかつた。

「したくない事はないでせう」

「えゝ」

「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。あの冷評のうちには君が戀を求めながら相手を得られないといふ不快の聲が交つていませう」

「そんな風に聞こえましたか」

「聞こえました。戀の滿足を味はつてゐる人はもつと暖かい聲を出すものです。然し……然し君、戀は罪惡ですよ。解つてゐますか」

私は急に驚かされた。何とも返事をしなかつた。

 我々は群集の中にゐた。群集はいづれも嬉しさうな顏をしてゐた。其所を通り抜けて、花も人も見えない森の中へ來る迄は、同じ問題を口にする機會がなかつた。

「戀は罪惡ですか」と私が其時突然聞いた。

「罪惡です。たしかに」と答へた時の先生の語氣は前と同じやうに強かつた。

「何故ですか」

「何故だか今に解ります。今にぢやない、もう解つてゐる筈です。あなたの心はとつくの昔からすでに戀で動いてゐるぢやありませんか」

 私は一應自分の胸の中を調べて見た。けれども其所は案外に空虚であった。思ひ中るやうなものは何にもなかつた。

「私の胸の中に是という目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはゐない積です」

「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだらうと思つて動きたくなるのです」

「今それ程動いちやゐません」

「あなたは物足りない結果私の所に動いて來たぢやありませんか」

「それは左右かも知れません。然しそれは戀とは違います」

「戀に上る楷段なんです。異性と抱き合ふ順序として、まづ同性の私の所へ動いて來たのです」

「私には二つのものが全く性質を異にしてゐるように思はれます」

「いや同じです。私は男として何うしてもあなたに滿足を與へられない人間なのです。それから、ある特別の事情があつて、猶更あなたに滿足を與へられないでゐるのです。私は實際御氣の毒に思つてゐます。あなたが私から餘所へ動いて行くのは仕方がない。私は寧ろそれを希望してゐるのです。しかし………」

 私は變に悲しくなつた。

「私が先生から離れて行くやうに御思ひになれば仕方がありませんが、私にそんな氣の起つた事はまだありません」 先生は私の言葉に耳を貸さなかつた。

「然し氣を付けないと不可ない。戀は罪惡なんだから。私の所では滿足が得られない代りに危險もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知つてゐますか」

 私は想像で知つてゐた。然し事實としては知らなかつた。いづれにしても先生の云ふ罪惡という意味は朦朧としてよく解らなかつた。其上私は少し不愉快になつた。

「先生、罪惡という意味をもつと判然云つて聞かして下さい。それでなければこの問題を此所で切り上げて下さい。私自身に罪惡という意味が判然解る迄」

「惡い事をした。私はあなたに眞實を話してゐる氣でゐた。ところが實際は、あなたを焦慮してゐたのだ。私は惡い事をした」

 先生と私とは博物館の裏から鶯溪の方角に靜かな歩調で歩いて行つた。垣の隙間から廣い庭の一部に茂る熊笹が幽邃に見えた。

「君は私が何故毎月雑司ケ谷の墓地に埋つてゐる友人の墓へ參るのか知つてゐますか」 先生の此問は全く突然であつた。しかも先生は私が此問に對して答へられないといふ事も能く承知してゐた。私はしばらく返事をしなかつた。すると先生は始めて氣が付いたやうに斯う云つた。

「又惡い事を云つた。焦慮せるのが惡いと思つて、説明しやうとすると、其説明が又あなたを焦慮せるやうな結果になる。何うも仕方がない。此問題はこれで止めませう。とにかく戀は罪惡ですよ、よござんすか。さうして神聖なものですよ」

 私には先生の話が解からなくなつた。然し先生はそれぎり戀を口にしなかつた。

こゝろ 上十四

 「あんまり逆上ちやいけません」と先生がいつた。

「覺めた結果としてさう思ふんです」と答へた時の私には充分の自信があつた。其自信を先生は肯がつて呉れなかつた。

「あなたは熱に浮かされてゐるのです。熱がさめると厭になります。私は今のあなたから夫程に思はわれるのを、苦しく感じてゐます。然し是から先の貴方に起るべき變化を豫想して見ると、猶苦しくなります」

「私はそれ程輕薄に思はれてゐるんですか。それ程不信用なんですか」

「私は御氣の毒に思ふのです」

「氣の毒だが信用されないと仰しやるんですか」

 先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、此間迄重そうな赤い強い色をぽたぽた點じてゐた椿の花はもう一つも見えなかつた。先生は座敷から此椿の花をよく眺める癖があつた。

「信用しないつて、特にあなたを信用しないんぢやない。人間全體を信用しないんです」

 其時生垣の向ふで金魚賣らしい聲がした。其外には何の聞こえるものもなかつた。大通りから二丁も深く折れ込んだ小路は存外靜かであつた。家の中は何時もの通りひつそりしてゐた。私は次の間に奥さんのゐる事を知つてゐた。默って針仕事か何かしてゐる奥さんの耳に私の話し聲が聞こえるといふ事も知つてゐた。然し私は全くそれを忘れて仕舞つた。

「ぢや奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。

 先生は少し不安な顏をした。さうして直接の答を避けた。

「私は私自身さへ信用してゐないのです。つまり自分で自分が信用出來ないから、人も信用できないやうになつてゐるのです。自分を呪ふより外に仕方がないのです」

「そう六づかしく考へれば、誰だつて確かなものはないでせう」

「いや考へたんぢやない。遣つたんです。遣つた後で驚いたんです。さうして非常に怖くなつたんです」

 私はもう少し先迄同じ道を辿つて行きたかつた。すると襖の陰で「あなた、あなた」という奥さんの聲が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といつた。奥さんは「一寸」と先生を次の間へ呼んだ。二人の間に何んな用事が起つたのか、私には解らなかつた。それを想像する餘裕を與へない程早く先生は又座敷へ歸つて來た。

「兎に角あまり私を信用しては不可ませんよ。今に後悔するから。さうして自分が欺かれた返報に、殘酷な復讐をするやうになるものだから」

「そりや何ういふ意味ですか」

「かつては其人の膝の前に跪いたといふ記憶が、今度は其人の頭の上に足を載せさせやうとするのです。私は未來の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥ぞけたいと思ふのです。私は今より一層淋しい未來の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と獨立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんな此淋しみを味はわなくてはならないでせう」

 私はかういふ覺悟を有つてゐる先生に對して、云ふべき言葉を知らなかつた。

こゝろ 上二十七

 「先生は何うなんです。何の位の財産を有つてゐらつしやるんですか」

「私は財産家と見えますか」 先生は平生から寧ろ質素な服装をしてゐた。それに家内は小人數であつた。從つて住宅も決して廣くはなかつた。けれども其生活の物質的に豐な事は、内輪に這入り込まない私の眼にさへ明らかであつた。要するに先生の暮しは贅澤といへない迄も、あたぢけなく切り詰めた無彈力性のものではなかつた。

「左右でせう」と私が云つた。

「そりや其位の金はあるさ、けれども決して財産家ぢやありません。財産家ならもつと大きな家でも造るさ」

 此時先生は起き上つて、縁臺の上に胡坐をかいてゐたが、斯う云ひ終ると、竹の杖の先で地面の上へ圓のやうなものを描き始めた。それが済むと、今度はステツキを突き刺すように眞直に立てた。

「是でも元は財産家なんだがなあ」

 先生の言葉は半分獨言のやうであつた。それですぐ後に尾いて行き損なつた私は、つい默つてゐた。

こゝろ 上二十八

 「田舍者は何故惡くないんですか」

 私はこの追窮に苦しんだ。然し先生は私に返事を考へさせる餘裕さへ與えなかつた。「田舍者は都會のものより、却つて惡い位なものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、是といつて、惡い人間はゐないやうだと云ひましたね。しかし惡い人間といふ一種の人間が世の中にあると君は思つてゐるんですか。そんな鑄型に入れたやうな惡人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に惡人に變るんだから恐ろしいのです。だから油斷が出來ないんです」

こゝろ 上三十

 「私は先刻そんなに昂奮したやうに見えたんですか」

「そんなにと云ふ程でもありませんが、少し……」

「いや見えても構はない。實際昂奮するんだから。私は財産の事をいふと屹度昂奮するんです。君には何う見えるか知らないが、私はこれで大變執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年立つても二十年立つても忘れやしないんだから」

 先生の言葉は元よりも猶昂奮してゐた。然し私の驚ろいたのは、決して其調子ではなかつた。寧ろ先生の言葉が私の耳に訴へる意味そのものであつた。先生の口から斯んな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかつた。私は先生の性質の特色として、斯んな執着力を未だ甞て想像した事さへなかつた。私は先生をもつと弱い人と信じてゐた。さうして其弱くて高い處に、私の懷かしみの根を置いてゐた。一時の氣分で先生にちよつと盾を突いて見やうとした私は、此言葉の前に小さくなつた。先生は斯う云つた。

 「私は他に欺かれたのです。しかも血のつゞいた親戚のものから欺むかれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であつたらしい彼等は、父の死ぬや否や許しがたい不德義漢に變つたのです。私は彼等から受けた屈辱と損害を小供の時から今日迄背負はされてゐる。恐らく死ぬ迄背負はされ通しでせう。私は死ぬ迄それを忘れる事が出來ないんだから。然し私はまだ復讐をしずにゐる。考へると私は個人に對する復讐以上の事を現に遣つてゐるんだ。私は彼等を憎む許ぢやない、彼等が代表してゐる人間といふものを、一般に憎む事を覺えたのだ。私はそれで澤山だと思ふ」

 私は慰籍の言葉さへ口へ出せなかつた。

こゝろ 上三十一

 無遠慮な私は、ある時遂にそれを先生の前に打ち明けた。先生は笑つてゐた。私はかう云つた。

「頭が鈍くて要領を得ないのは構ひませんが、ちやんと解つてる癖に、はつきり云つて呉れないのは困ります」

「私は何にも隠してやしません」

「隠してゐらつしやいます」「あなたは私の思想とか意見とかいふものと、私の過去とを、ごちやごちやに考へてゐるんぢやありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏め上げた考えを無暗に人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それは又別問題になります」

「別問題とは思はれません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私には殆ど價値のないものになります。私は魂の吹き込まれてゐない人形を與へられた丈で、滿足はできないのです」

 先生はあきれたと云つた風に、私の顏を見た。巻烟草を持つてゐた其手が少し顫へた。

 「あなたは大胆だ」

「ただ眞面目なんです。眞面目に人生から教訓を受けたいのです」

「私の過去を訐いてもですか」

 訐くといふ言葉が、突然恐ろしい響きを以て、私の耳を打つた。私は今私の前に坐つてゐるのが、一人の罪人であつて、不斷から尊敬してゐる先生でないやうな氣がした。先生の顏は蒼かつた。

「あなたは本當に眞面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけてゐる。だから實はあなたも疑つてゐる。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るには餘りに單純すぎる樣だ。私は死ぬ前にたつた一人で好いから、他を信用して死にたいと思つてゐる。あなたは其たつた一人になれますか。なつて呉れますか。あなたは腹の底から眞面目ですか」

「もし私の命が眞面目なものなら、私の今いつた事も眞面目です」

 私の聲は顫えた。

「よろしい」と先生が云つた。「話しませう。私の過去を殘らず、あなたに話して上げませう。其代り……。いやそれは構はない。然し私の過去はあなたに取つて夫程有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増かも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、其積でゐて下さい。適當の時機が來なくつちや話さないんだから」

 私は下宿へ歸つてからも一種の壓迫を感じた。

こゝろ 上三十四

 すると先生が突然奥さんの方を向いた。

「靜、御前はおれより先へ死ぬだらうかね」

「何故」

「何故でもない、たゞ聞いてみるのさ。それとも己の方が御前より前に片付くかな。大抵世間じや旦那が先で、細君が後へ殘るのが當り前のやうになつてるね」

「さう極つた譯でもないわ。けれども男の方はどうしても、そら年が上でせう」

「だから先へ死ぬといふ理窟なのかね。すると己も御前より先にあの世へ行かなくつちやならない事になるね」

「あなたは特別よ」

「さうかね」

「だつて丈夫なんですもの。殆ど煩つた例がないぢやありませんか。そりや何うしたつて私の方が先だわ」

「先かな」

「え、屹度先よ」

 先生は私の顏を見た。私は笑つた。

「然しもしおれの方が先へ行くとするね。さうしたら御前何うする」

「何うするつて……」

 奥さんはそこで口籠つた。先生の死に對する想像的な悲哀が、ちよつと奥さんの胸を襲つたらしかつた。けれども再び顏をあげた時は、もう氣分を更へてゐた。

「何うするつて、仕方がないわ、ねえあなた。老少不定つていふ位だから」

 奥さんはことさらに私の方を見て笑談らしく斯う云つた。

こゝろ 上三十五

 「また九月に」と先生がいつた。

 私は挨拶をして格子の外へ足を踏み出した。玄關と門の間にあるこんもりした木犀の一株が、私の行手を塞ぐやうに、夜陰のうちに枝を張つてゐた。私は二三歩動き出しながら、黒ずんだ葉に被はれてゐる其梢を見て、來るべき秋の花と香を想ひ浮べた。私は先生の宅と此木犀とを、以前から心のうちで、離す事の出來ないものゝやうに、一所に記憶してゐた。私が偶然其樹の前に立つて、再びこの宅の玄關を跨ぐべき次の秋に思を馳せた時、今迄格子の間から射してゐた玄關の電燈がふつと消えた。先生夫婦はそれぎり奥へ這入たらしかつた。私は一人暗い表へ出た。

こゝろ 上三十六

 「何つちが先へ死ぬだらう」

 私は其晩先生と奥さんの間に起つた疑問をひとり口の内で繰り返して見た。さうして此疑問には誰も自信をもつて答へる事が出來ないのだと思つた。然し何方が先へ死ぬと判然分つてゐたならば、先生は何うするだらう。奥さんは何うするだらう。先生も奥さんも、今のやうな態度でゐるより外に仕方がないだらうと思つた。(死に近づきつゝある父を國元に控えながら、此私が何うする事も出來ないやうに)。私は人間を果敢ないものに觀じた。人間の何うする事も出來ない持つて生れた輕薄を、果敢ないものに觀じた。

こゝろ 中五

 「あゝ、あゝ、天子樣もとうとう御かくれになる。己も……」

 父は其後を云はなかつた。 私は黒いうすものを買ふために町へ出た。それで旗竿の球を包んで、それで旗竿の先へ三寸幅のひらひらを付けて、門の扉の横から斜めに往來へさし出した。旗も黒いひらひらも、風のない空氣のなかにだらりと下がつた。私の宅の古い門の屋根は藁で葺いてあつた。雨や風に打たれたり又吹かれたりしたその藁の色はとくに變色して、薄く灰色を帶びた上に、所々の凸凹さへ眼に着いた。私はひとり門の外へ出て、黒いひらひらと、白いめりんすの地と、地のなかに染め出した赤い日の丸の色とを眺めた。それが薄汚ない屋根の藁に映るのも眺めた。私はかつて先生から「あなたの宅の構えはどんな體裁ですか。私の郷里の方とは大分趣が違つてゐますかね」と聞かれた事を思ひ出した。私は自分の生れた此古い家を、先生に見せたくもあつた。また先生に見せるのが耻づかしくもあつた。

 私は又一人家のなかへ這入つた。自分の机の置いてある所へ來て、新聞を讀みながら、遠い東京の有樣を想像した。私の想像は日本一の大きな都が、何んなに暗いなかでどんなに動いてゐるだらうかの畫面に集められた。私はその黒いなりに動かなければ仕末のつかなくなつた都會の、不安でざわざわしてゐるなかに、一點の燈火の如くに先生の家を見た。私は其時此燈火が音のしない渦の中に、自然と捲き込まれてゐる事に氣が付かなかつた。しばらくすれば、其灯も亦ふつと消えてしまふべき運命を、眼の前に控えてゐるのだとは固より氣が付かなかつた。

こゝろ 中十七

 「あなたから過去を問ひたゞされた時、答へる事のできなかつた勇氣のない私は、今あなたの前に、それを明白に物語る自由を得たと信じます。然し其自由はあなたの上京を待つてゐるうちには又失はれて仕舞ふ世間的の自由に過ぎないのであります。從つて、それを利用出來る時に利用しなければ、私の過去をあなたの頭に間接の經験として教へて上げる機會を永久に逸するやうになります。さうすると、あの時あれ程堅く約束した言葉が丸で嘘になります。私は已むを得ず、口で云ふべきところを、筆で申し上げる事にしました」

こゝろ 下二

 貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた事を記憶してゐるでせう。私のそれに對する態度もよく解つてゐるでせう。私はあなたの意見を輕蔑までしなかつたけれども、決して尊敬を拂ひ得る程度にはなれなかつた。あなたの考へには何等の背景もなかつたし、あなたは自分の過去を有つには餘りに若過ぎたからです。私は時々笑つた。あなたは物足りなさうな顏をちよいちよい私に見せた。其極あなたは私の過去を繪巻物のやうに、あなたの前に展開して呉れと逼つた。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕まへやうといふ決心を見せたからです。私の心臟を立ち割つて、温かく流れる血潮を啜らうとしたからです。其時私はまだ生きてゐた。死ぬのが厭であつた。それで他日を約して、あなたの要求を斥けてしまつた。私は今自分で自分の心臟を破つて、其血をあなたの顏に浴びせかけやうとしてゐるのです。私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出來るなら滿足です。

こゝろ 下九

 「一口でいふと、叔父は私の財産を胡魔化したのです。事は私が東京へ出てゐる三年の間に容易く行なはれたのです。凡てを叔父任せにして平氣でゐた私は、世間的に云へば本當の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、或は純なる尊い男とでも云へませうか。私は其時の己れを顧みて、何故もつと人が惡く生れて來なかつたかと思ふと、正直過ぎた自分が口惜しくつて堪りません。然しまた何かして、もう一度あゝいふ生れたままの姿に立ち歸つて生きて見たいといふ心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知つてゐる私は塵に汚れた後の私です。きたなくなつた年數の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかに貴方より先輩でせう。

こゝろ 下二十八

 私は其所に坐つて、よく書物をひろげました。Kは何もせずに默つてゐる方が多かつたのです。私にはそれが考へに耽つてゐるのか、景色に見惚れてゐるのか、もしくは好きな想像を描いてゐるのか、全く解らなかつたのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしてゐるのだと聞きました。Kは何もしてゐないと一口答へるだけでした。私は自分の傍に斯うぢつとして坐つてゐるものが、Kでなくつて、お嬢さんだつたら嘸愉快だらうと思ふ事が能くありました。それ丈ならまだいゝのですが、時にはKの方でも私と同じやうな希望を抱いて岩の上に坐つてゐるのではないかしらと忽然疑ひ出すのです。すると落ち付いて其所に書物をひろげてゐるのが急に厭になります。私は不意に立ち上ります。さうして遠慮のない大きな聲を出して怒鳴ります。纏まつた詩だの歌だのを面白そうに吟ずるやうな手緩い事は出來ないのです。只野蠻人の如くにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸を後からぐいと攫みました。斯うして海の中へ突き落したら何うすると云つてKに聞きました。Kは動きませんでした。後向の儘、丁度好い、遣つて呉れと答へました。私はすぐ首筋を抑へた手を放しました。

こゝろ 下三十三

私は此細帶の上で、はたりとKに出合ひました。足の方にばかり氣を取られてゐた私は、彼と向き合ふ迄、彼の存在に丸で氣が付かずにゐたのです。私は不意に自分の前が塞がつたので偶然眼を上げた時、始めて其所に立つてゐるKを認めたのです。私はKに何處へ行つたのかと聞きました。K一寸其所迄と云つたぎりでした。彼の答へは何時もの通りふんという調子でした。Kと私は細い帶の上で身體を替せました。するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立つてゐるのが見えました。近眼の私には、今までそれがよく分らなかつたのですが、Kを遣り越した後で、その女の顏を見ると、それが宅の御嬢さんだつたので、私は少なからず驚きました。御嬢さんは心持薄赤い顏をして、私に挨拶をしました。其時分の束髪は今と違つて廂が出てゐないのです、さうして頭の眞中に蛇のやうにぐるぐる巻きつけてあつたものです。私はぼんやり御嬢さんの頭を見てゐましたが、次の瞬間に、何方か路を譲らなければならないのだといふ事に氣が付きました。私は思ひ切つてどろどろの中へ片足踏ん込みました。さうして比較的通り易い所を空けて、御嬢さんを渡して遣りました。

こゝろ 下三十六

 彼の口元を一寸眺めた時、私はまた何か出て來るなとすぐ疳付いたのですが、それが果して何の準備なのか、私の豫覺は丸でなかつたのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼の御嬢さんに對する切ない戀を打ち明けられた時の私を想像して見て下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたやうなものです。口をもぐもぐさせる働きさへ、私にはなくなつて仕舞つたのです。

 其時の私は恐ろしさの塊りと云ひませうか、又は苦しさの塊りと云ひませうか、何しろ一つの塊りでした。石か鐵のやうに頭から足の先までが急に固くなつたのです。呼吸をする彈力性さへ失はれたくらいに堅くなつたのです。幸ひな事にその状態は長く續きませんでした。私は一瞬間の後に、また人間らしい氣分を取り戻しました。さうして、すぐ失策つたと思ひました。先を越されたなと思ひました。

こゝろ 下四十七

 私が斯う云つた時、背の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるやうな感じがしました。彼はいつも話す通り頗る強情な男でしたけれども、一方では又人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平氣でゐられない質だつたのです。私は彼の樣子を見て漸やく安心しました。すると彼は卒然『覺悟?』と聞きました。さうして私がまだ何とも答へない先に『覺悟、――覺悟ならない事もない』と付け加へました。彼の調子は獨言のやうでした。又夢の中の言葉のやうでした。

 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失つた杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べて聳えてゐるのを振り返つて見た時は、寒さが背中へ噛り付いたやうな心持がしました。

こゝろ 下四十六

 「私は猿樂町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。私が此界隈を歩くのは、何時も古本星をひやかすのが目的でしたが、其日は手摺れのした書物などを眺める氣が、何うしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅の事を考へてゐました。私には先刻の奥さんの記憶がありました。夫から御嬢さんが宅へ歸つてからの想像がありました。私はつまり此二つのもので歩かせられてゐた樣なものです。其上私は時々往來の眞中で我知らず不圖立ち留まりました。さうして今頃は奥さんが御嬢さんにもうあの話をしてゐる時分だらうなどと考へました。また或時は、もうあの話が濟んだ頃だとも思ひました。

 私はとうとう萬世橋を渡つて、明神の坂を上つて、本郷台へ來て、夫から又菊坂を下りて、仕舞に小石川の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三區に跨がつて、いびつな圓を描いたとも云はれるでせうが、私は此長い散歩の間殆どKの事を考へなかつたのです。今其時の私を回顧して、何故だと自分に聞いて見ても一向分りません。たゞ不思議に思う丈です。私の心がKを忘れ得る位、一方に緊張してゐたと見ればそれ迄ですが、私の良心が又それを許すべき筈はなかつたのですから。

こゝろ 下四十七

 奥さんの云ふ所を綜合して考へて見ると、Kは此最後の打撃を、最も落ち付いた驚をもつて迎へたらしいのです。Kは御嬢さんと私との間に結ばれた新しい關係に就いて、最初は左右ですかとただ一口云つた丈だつたさうです。然し奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顏を見て微笑を洩らしながら、「御目出たう御座います」と云つた儘席を立つたさうです。さうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返つて、「結婚は何時ですか」と聞いたさうです。それから「何か御祝ひを上げたいが、私は金がないから上げる事が出來ません」と云つたさうです。奥さんの前に坐つてゐた私は、その話を聞いて胸が塞るやうな苦しさを覺えました。

こゝろ 下四十八

 其時私の受けた第一の感じは、Kから突然戀の自白を聞かされた時のそれと略同じでした。私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、恰も硝子で作つた義眼のやうに、動く能力を失ひました。私は棒立に立竦みました。それが疾風の如く私を通過したあとで、私は又あゝ失策つたと思ひました。もう取り返しが付かないといふ黒い光が、私の未來を貫いて、一瞬間に私の前に横はる全生涯を物凄く照らしました。さうして私はがたがた顫へ出したのです。

こゝろ 下五十一

 私は妻の望通り二人連れ立つて雑司ケ谷へ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗つて遣りました。妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私と一所になつた顛末を述べてKに喜んで貰ふ積でしたらう。私は腹の中で、ただ自分が惡かつたと繰り返す丈でした。

 その時妻はKの墓を撫でゝみて立派だと評してゐました。その墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行つて見立てたりした因縁があるので、妻はとくに左右云ひたかつたのでせう。私は其新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に埋められたKの新しい白骨とを思ひ比べて、運命の冷罵を感ぜずにはゐられなかつたのです。私はそれ以後決して妻と一所にKの墓參りをしない事にしました。

こゝろ 下五十五

 記憶して下さい。私は斯んな風にして生きて來たのです。始めて貴方に鎌倉で會つた時も、貴方と一所に郊外を散歩した時も、私の氣分に大した變りはなかつたのです。私の後には何時でも黒い影が括ツ付いてゐました。私は妻のために、命を引きずつて世の中を歩いてゐたやうなものです。貴方が卒業して國へ歸る時も同じ事でした。九月になつたらまた貴方に會はうと約束した私は、嘘を吐いたのではありません。全く會ふ氣でゐたのです。秋が去つて、冬が來て、其冬が盡きても、屹度會ふ積でゐたのです。

(一九一四[大正三] 年四月二〇日~八月一一日 朝日新聞連載 四七歳)

   ***

侏儒の言葉   芥川龍之介

   人生

 人生は一箱のマッチに似てゐる。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱はなければ危險である。

   又

 人生は落丁の多い書物に似てゐる。一部を成すとは稱し難い。しかし兔に角一部を成してゐる。

   「人間らしさ」

 わたしは不幸にも「人間らしさ」に禮拜する勇氣は持つてゐない。いや、屡「人間らしさ」に輕蔑を感ずることは事實である。しかし又常に「人間らしさ」に愛を感ずることも事實である。愛を?――或は愛よりも憐憫かも知れない。が、兔に角「人間らしさ」にも動かされぬやうになつたとすれば、人生は到底住するに堪へない精神病院に變りさうである。Swiftの畢に發狂したのも當然の結果と云ふ外はない。

 スウイフトは發狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似てゐる。頭から先に參るのだ」と呟いたことがあるさうである。この逸話は思ひ出す度にいつも戰慄を傳へずには置かない。わたしはスウイフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかつたことをひそかに幸福に思つてゐる。

   地獄

 人生は地獄よりも地獄的である。地獄の與へる苦しみは一定の法則を破つたことはない。たとへば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食はうとすれば飯の上に火の燃えるたぐひである。しかし人生の與へる苦しみは不幸にもそれほど單純ではない。目前の飯を食はうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外樂樂と食ひ得ることもあるのである。のみならず樂樂と食ひ得た後さへ、腸加太兒の起ることもあると同時に、又存外樂樂と消化し得ることもあるのである。かう云ふ無法則の世界に順應するのは何びとにも容易に出來るものではない。もし地獄に堕ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯も掠め得るであらう。況や針の山や血の池などは二三年其處に住み慣れさへすれば格別跋渉の苦しみを感じないやうになつてしまふ筈である。

   危險思想

 危險思想とは常識を實行に移さうとする思想である。

   惡

 藝術的氣質を持つた靑年の「人間の惡」を發見するのは誰よりも遅いのを常としてゐる。

   悲劇

 悲劇とはみづから羞づる所業を敢てしなければならぬことである。この故に萬人に共通する悲劇は排泄作用を行ふことである。

   瑣事

 人生を幸福にする爲には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戰ぎ、群雀の聲、行人の顏、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。

 人生を幸福にする爲には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の爲に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破つたであらう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を與へたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享樂の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に樂しむ爲には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。

 人生を幸福にする爲には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戰ぎ、群雀の聲、行人の顏、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。

   神

 あらゆる神の屬性中、最も神の爲に同情するのは神には自殺の出來ないことである。

   又

 我我は神を罵殺する無數の理由を發見してゐる。が、不幸にも日本人は罵殺するのに價ひするほど、全能の神を信じてゐない。

   火星

 火星の住民の有無を問ふことは我我の五感に感ずることの出來る住民の有無を問ふことである。しかし生命は必ずしも我我の五感に感ずることの出來る條件を具へるとは限つてゐない。もし火星の住民も我我の五感を超越した存在を保つてゐるとすれば、彼等の一群は今夜も亦篠懸を黄ばませる秋風と共に銀座へ來てゐるかも知れないのである。

   事實

 しかし紛紛たる事實の知識は常に民衆の愛するものである。彼等の最も知りたいのは愛とは何かと言ふことではない。クリストは私生兒かどうかと言ふことである。

   親子

 人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる。

   經験

 經験ばかりにたよるのは消化力を考へずに食物ばかりにたよるものである。同時に又經験を徒らにしない能力ばかりにたよるのもやはり食物を考へずに消化力ばかりにたよるものである。

   藝術

 畫力は三百年、書力は五百年、文章の力は千古無窮とは王世貞の言ふ所である。しかし敦煌の發掘品等に徴すれば、書畫は五百年を閲した後にも依然として力を保つてゐるらしい。のみならず文章も千古無窮に力を保つかどうかは疑問である。觀念も時の支配の外に超然としてゐることの出來るものではない。我我の祖先は「神」と言ふ言葉に衣冠束帶の人物を髣髴してゐた。しかし我我は同じ言葉に髯の長い西洋人を髣髴してゐる。これはひとり神に限らず、何ごとにも起り得るものと思はなければならぬ。

   又

 わたしはいつか東洲齋冩樂の似顏畫を見たことを覺えてゐる。その畫中の人物は緑いろの光琳波を描いた扇面を胸に開いてゐた。それは全軆の色彩の效果を強めてゐるのに違ひなかつた。が、廓大鏡に覗いて見ると、緑いろをしているのは緑靑を生じた金いろだつた。わたしはこの一枚の冩樂に美しさを感じたのは事實である。けれどもわたしの感じたのは冩樂の捉へた美しさと異つてゐたのも事實である。かう言ふ變化は文章の上にもやはり起るものと思はなければならぬ。

   天才

 天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。只この一歩を理解する爲には百里の半ばを九十九里とする超數學を知らなければならぬ。

   又

 天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この千里の一歩であることに盲目である。同時代はその爲に天才を殺した。後代は又その爲に天才の前に香を焚いてゐる。

   又

 民衆も天才を認めることに吝かであるとは信じ難い。しかしその認めかたは常に頗る滑稽である。

   諸君

 諸君は靑年の藝術の爲に堕落することを恐れてゐる。しかしまづ安心し給へ。諸君ほどは容易に堕落しない。

   又

 諸君は藝術の國民を毒することを恐れてゐる。しかしまず安心し給へ。少くとも諸君を毒することは絶對に藝術には不可能である。二千年來藝術の魅力を理解せぬ諸君を毒することは。

   忍從

 忍從はロマンテイツクな卑屈である。

   兵卒

 理想的兵卒は苟しくも上官の命令には絶對に服從しなければならぬ。絶對に服從することは絶對に批判を加えぬことである。即ち理想的兵卒はまづ理性を失はなければならぬ。

   又

 理想的兵卒は苟しくも上官の命令には絶對に服從しなければならぬ。絶對に服從することは絶對に責任を負はぬことである。即ち理想的兵卒はまづ無責任を好まなければならぬ。

  つれづれ草

 わたしは度たびかう言はかれてゐる。――「つれづれ草などは定めしお好きでせう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未嘗愛讀したことはない。正直な所を白状すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中學程度の教科書に便利であることは認めるにしろ。

   徴候

 戀愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、或はだう言ふ男を愛したかを考へ、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである。  

   又

 又戀愛の徴候の一つは彼女に似た顏を發見することに極度に鋭敏になることである。   

   身代り

 我我は彼女を愛する爲に往々彼女の外の女人を彼女の身代りにするものである。かう言ふ羽目に陷るのは必しも彼女の我我を卻けた場合に限る訣ではない。我我は時には怯懦の爲に、時には又美的要求の爲にこの殘酷な慰安の相手に一人の女人を使ひ兼ねぬのである。

   結婚

 結婚は性慾を調節することには有效である。が、戀愛を調節することには有效ではない。

   又

 彼は二十代に結婚した後、一度も戀愛關係に陷らなかつた。何と言ふ俗惡さ加減!

   多忙

 我我を戀愛から救ふものは理性よりも寧ろ多忙である。戀愛も亦完全に行われる爲には何よりも時間を持たなければならぬ。ウエルテル、ロミオ、トリスタン――古來の戀人を考えて見ても、彼等は皆閑人ばかりである。

   女の顏

 女は情熱に驅られると、不思議にも少女らしい顏をするものである。尤もその情熱なるものはパラソルに對する情熱でも差支へない。

   作家

 文を作らんとするものは如何なる都會人であるにしても、その魂の奥底には野蠻人を一人持つていなければならぬ。

   女人

 女人は我我男子には正に人生そのものである。即ち諸惡の根源である。

   或物質主義者の信條

「わたしは神を信じてゐない。しかし神經を信じてゐる。」

   人間的な、餘りに人間的な

 人間的な、餘りに人間的なものは大抵は確かに動物的である。

   或孝行者

 彼は彼の母に孝行した、勿論愛撫や接吻が未亡人だつた彼の母を性的に慰めるのを承知しながら。

   或惡魔主義者

 彼は惡魔主義の詩人だつた。が、勿論實生活の上では安全地帶の外に出ることはたつた一度だけで懲り懲りしてしまつた。

   わたし

 わたしは良心を持つてゐない。わたしの持つてゐるのは神經ばかりである。

   又

 わたしは度たび他人のことを「死ねば善い」と思つたものである。しかもその又他人の中には肉親さえ交つてゐなかつたことはない。

   又

 わたしは度たびかう思つた。――「俺があの女に惚れた時にあの女も俺に惚れた通り、俺があの女を嫌ひになつた時にはあの女も俺を嫌ひになれば善いのに。」

   又

 わたしは三十歳を越した後、いつでも戀愛を感ずるが早いか、一生懸命に抒情詩を作り、深入りしない前に脱卻した。しかしこれは必しも道德的にわたしの進歩したのではない。唯ちよつと肚の中に算盤をとることを覺えたからである。

   又

 わたしはどんなに愛してゐた女とでも一時間以上話してゐるのは退窟だつた。

   又

 わたしは度たび嘘をついた。が、文字にする時は兔に角、わたしの口づから話した嘘はいづれも拙劣を極めたものだつた。

   わたし

 わたしは第三者と一人の女を共有することに不平を持たない。しかし第三者が幸か不幸かこう云ふ事實を知らずにゐる時、何か急にその女に憎惡を感ずるのを常としてゐる。

   又

 わたしは第三者と一人の女を共有することに不平を持たない。しかしそれは第三者と全然見ず知らずの間がらであるか、或は極く疎遠の間がらであるか、どちらかであることを條件としてゐる。

   又

 わたしは第三者を愛する爲に夫の目を偸んでゐる女にはやはり戀愛を感じないことはない。しかし第三者を愛する爲に子供を顧みない女には滿身の憎惡を感じてゐる。

   又

 わたしを感傷的にするものは唯無邪氣な子供だけである。

   又

 わたしは三十にならぬ前に或女を愛してゐた。その女は或時わたしに言つた。――「あなたの奥さんにすまない。」わたしは格別わたしの妻に濟まないと思つてゐた訣ではなかつた。が、妙にこの言葉はわたしの心に滲み渡つた。わたしは正直にかう思つた。――「或はこの女にもすまないのかも知れない。」わたしは未だにこの女にだけは優しい心もちを感じてゐる。

   私

 わたしは金錢には冷淡だつた。勿論食ふだけには困らなかつたから。

   又

 わたしは兩親には孝行だつた。兩親はいずれも年をとつてゐたから。

   又

 わたしは二三の友だちにはたとひ眞實を言はないにもせよ、嘘をついたことは一度もなかつた。彼等も亦嘘をつかなかつたから。

   人生

 革命に革命を重ねたとしても、我我人間の生活は「選ばれたる少數」を除きさへすれば、いつも暗澹としている筈である。しかも「選ばれたる少數」とは「阿呆と惡黨と」の異名に過ぎない。

   民衆

 シエイクスピイアも、ゲエテも、李太白も、近松門左衛門も滅びるであらう。しかし藝術は民衆の中に必ず種子を殘してゐる。わたしは大正十二年に「たとひ玉は砕けても、瓦は砕けない」と云ふことを書いた。この確信は今日(こんにち)でも未だに少しも搖がずにゐる。

   又

 打ち下ろすハンマアのリズムを聞け。あのリズムの存する限り、藝術は永遠に滅びないであらう。(昭和改元の第一日)

   民衆

 わたしは勿論失敗だつた。が、わたしを造り出したものは必ず又誰かを作り出すであらう。一本の木の枯れることは極めて區々たる問題に過ぎない。無數の種子を宿してゐる、大きい地面が存在する限りは。(昭和改元の第一日)

   或夜の感想

 眠りは死よりも愉快である。少くとも容易には違ひあるまい。(昭和改元の第二日)

(一九二三[大正一三]年 三一歳)

   * * *

櫻の木の下には   梶井基次郎

――お前は腋下を拭いてゐるね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のやうだと思つてごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。

 ああ、櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる!

 一體どこから浮かんで來た空想かさつぱり見當のつかない屍軆が、いまはまるで櫻の樹と一つになつて、どんなに頭を振つても離れてゆかうとはしない。

 今こそ俺は、あの櫻の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ權利で、花見の酒が呑めさうな氣がする。

(一九二八[昭和四]年 二九歳)

   *

冬の蠅   梶井基次郎

 私は何日も惡くなつた身體を寢床につけていなければならなかつた。私には別にさした後悔もなかつたが、知つた人びとの誰彼がさうしたことを聞けばさぞ陰氣になり氣を惡くするだらうとそのことばかり思つてゐた。

 そんなある日のこと私はふと自分の部屋に一匹も蠅がいなくなつていることに氣がついた。そのことは私を充分驚かした。私は考へた。おそらく私の留守中誰も窗を明けて日を入れず火をたいて部屋を温めなかつた間に、彼らは寒氣のために死んでしまつたのではなからうか。それはありさうなことに思へた。彼らは私の靜かな生活の餘德を自分らの生存の條件として生きてゐたのである。そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を責め虐んでいた間に、彼らはほんたうに寒氣と飢えで死んでしまつたのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼らの死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまふきまぐれな條件があるやうな氣がしたからであつた。私はそいつの幅廣い背を見たやうに思つた。それは新しいそして私の自尊心を傷つける空想だつた。

(一九二八[昭和三] 年 二八歳)

   * * *

淨瑠璃寺の春   堀辰雄

……自然を超えんとして人間の意志したすべてのものが、長い歳月の間にほとんど廢亡に歸して、いまはそのわづかに殘つてゐるものも、そのもとの自然のうちに、そのものの一部に過ぎないかのやうに、融け込んでしまふやうになる。さうして其處にその二つのものが一つになつて――いはば、第二の自然が發生する。さういふところにすべての廢墟の云ひしれぬ魅力があるのではないか?……

   *

……さう言ひかけながら、僕はそのときふいに、ひどく疲れて何もかもが妙にぼうとしてゐる心のうちに、けふの晝つかた、淨瑠璃寺の小さな門のそばでしばらく妻と二人でその白い小さな花を手にとりあつて見ていた自分たちの旅すがたを、何だかそれがずつと昔の日の自分たちのことででもあるかのやうな、妙ななつかしさでもつて、鮮やかに蘇らせ出してゐた。

   * * *

山月記   中島敦

 一行が丘の上についたとき、彼らは、言はれたとほりに振返つて、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失つた月を仰いで、二聲三聲咆哮したかと思ふと、又、もとの叢に躍り入つて、再び其の姿を見なかつた。

   * * *

大学四年生の折りの私の日記より

一九七八年五月二一日(日) 

 あれは新潟大学の受験の帰りだった。

 水族館を見に行ったのは、もはやこの地を踏むことはあるまいと思ったからで、すっかり失敗してしまった試験を考えていらいらすることも意味がないと、胆を落ち着かせてしまいたかった。

 荒茫とした海岸線は、黒い砂浜と恐ろしく暗い海の色を見せていた。

 丘に立つ孤高なトーチカのような煤けた水族館。訪れている客は私一人きりだった。水槽は改装工事で空になっているところが多く、際立って目を楽しませてくれる生き物はいない。

 淋しい砂丘――陰慘な海浜――観客を失った水族館……何もかもが忘れようとしている私の気分のためだけにある。

 ロビーの陽だまりに腰を下ろして、旅館で包んでもらった弁当を取り出す。

 するとキーキーと騒ぐ声がする。

 ふと脇を見ると、場違いな檻――そして又場違いな猿が一匹。

 飢えた猿。あまりにも哀れなその眼。

 私はすっかり食欲が失せた。

 ここにも淋しい奴がいる。魚の言葉を知らず、一人、独白に憂いを銷すことしかない友が。

 粗末な弁当の蒲鉾を歓喜して貪っていた君よ。

 何故、君は不当にも生きねばならぬのか。

 今でも私は、あの猿を思い出すと悲しくなる。

    「もう淋しくない」と誰かが言った

    君は本当に淋しいのだね