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鬼火へ

池袋の石打ち   南方熊楠

 

[やぶちゃん注:底本は平凡社1984年刊「南方熊楠選集 第四巻」の「続南方随筆」所収のものを用いた。私が附したルビは〔 〕で示した。本テクストは私の電子テクスト「耳嚢 卷之二」の「池尻村の女召使ふ間敷事」の資料として急遽テクスト化したもので、いろいろと注を附したいところではあるが、今回はテクスト化のみに留めた。【二〇二三年四月十日追記】ブログで本篇の「續南方隨筆」正規表現決定版の強力なオリジナル注附きを公開したので、そちらを、是非、見られたい。]

 

      池袋の石打ち

川村杳樹「池袋の右打ちと飛騨の牛蒡種」参照

                    (『郷土研究』一巻六号三二一頁)

 

 ドイツでいわゆるポルターガイストは騒鬼(さわぐおに)の義で、いろいろの例と解説を、『大英類典』一一板二二巻のその条に載せおる。『五代史』に、「漢の隠帝即位し、宮中しばしば怪しき物の瓦石を投じて門扉を撼(ゆる)がすを見る。隠帝、司天の趙延乂〔ちょうえんがい〕を召して、禳除(おはらい)の法を問う。延乂対(こた)えていわく、臣は天象日時を職とす、云々、禳除のことは臣の知るところにあらざるなり。しかれども、臣の聞くところほ、おそらく山魈(さんしょう)なり、と」。ここに「怪しき物を見る」とあるは、怪しい現象を見たの義で、正体を見得なかったればこそ、「臣の聞くところは、云々」と言ったので、取りも直さず騒鬼だ。『古今著聞集』変化第二七に、八条殿御所へ眼に見えぬ物が土器片を投げ、また三条前右府の白川の亭へ、いずこよりとなく礫(つぶて)を雨のように打った二条の譚あり。いずれも狸の所業(しわざ)としおる。予貧乏ゆえ、毎度この辺で俗に狸が土を雨(ふら)すという家に棲む。今この文を書いておる古屋も、しばしば夜中土が異様に降る。これは屋根裏の板間に塗った土が乾いて、一時に砕け堕ちるのじゃ。一昨年、近村鉛山(かなやま)で毎日石が飛び込む家に、大勢災を禳(はら)うため百万遍を修むるところへ、また石が飛び込むを、予の知人が障子の穴から覗くと、その家の子守り少女の所為(しわざ)と判り、教唆した隣家の女房とも当田辺町警察署へ引かれ罰せられた。

   (大正三年四月『郷土研究』二巻二号)

【増補】

 アジアの極東北の地にすむ馴鹿(となかい)チュクチ人のテント内の物が、誰がするともなく顚倒し、また雪や水片を抛げ入るることあり(一九一四年板、チャプリカ『シベリア原住民』二三二頁)。エジプトでは、カイロ等の人家の屋上や窓間にしばしばジン(迷鬼)住んで、街や庭へ石瓦を抛れど人を殺傷せず、という(レーン『近世埃及(エジプト)人作法風俗誌』一〇章)。これは池袋の右打ちよりは『嬉遊笑覧』に出た播磨のオサカベ狐の悪戯に似ておる、家内の怪でなくて家外の怪だから。狐が石や瓦を飛ばして窓を破り、家内の人を傷つける話は、支那にも『夜譚漫録』上、嵩※篙〔すうさこう〕の条などに見ゆ。(大正十五年九月記)

[やぶちゃん字注:「※」=(上)「沙」+(下)「木」。]