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鬼火へ

[やぶちゃん注:大正十五(1926)年七月一日発行の雑誌『ホトトギス』に「芥川龍之助」の署名で掲載され、後に作品集『梅・馬・鶯』に所収された。底本は岩波版旧全集を用いた(ちなみに、芥川の戸籍上の本名は「介」であったが、正式な芥川家の養子となった時点で正式な戸籍を見るまで、彼は自分の名を芥川龍之助と認識していた。しかし、この満十二歳以後、彼は芥川龍之介を一貫して名乗り、生涯、「芥川龍之助」という表記を大変嫌った)。後に、岩波版新全集から草稿を附した。但し、恣意的に正字に代えた。]

 

發句私見   芥川龍之介

 

       一 十七音


 

 發句は十七音を原則としてゐる。十七音以外のものを發句と呼ぶのは、――或は新傾向の句と呼ぶのは短詩と呼ぶのの勝れるに若かない。(勿論かう言ふ短詩の作家、河東碧梧桐、中塚一碧樓、荻原井泉水等の諸氏の作品にも佳作のあることは事實である。)若し單に内容に即して、かう云ふ短詩を發句と呼ぶならば、發句は他の文藝的形式と、――たとへば漢詩などと異らないであらう。

  初月波中上(勿論日本風に讀むのである)     何  遜

  明月の波の中より上りけり            子  規

 單に内容に即すれば、子規居士の句は即ち何遜の詩である。同じく茶を飮むのに使ふとしても茶碗は畢に湯呑みではない。若し湯呑みを湯呑みたらしめるものを湯呑みと云ふ形式にありとすれば、又茶碗を茶碗たらしめるものを茶碗と云ふ形式にありとすれば、發句を發句たらしめるものもやはり發句と云ふ形式、――即ち十七音にある訣である。

 

       二 季 題

 

 發句は必しも季題を要しない。今日季題と呼ばれるものは玉葱、天の川、クリスマス、薔薇、蛙、ブランコ、汗、――いろいろのものを含んでゐる。從つて季題のない發句を作ることは事實上反つて容易ではない。しかし容易ではないにもせよ、森羅萬象を季題としない限り、季題のない發句も出來る筈である。

 元來季題とは何かと言へば、名月、夜長などと云ふ詩語の外は大抵僕等の家常茶飯に使つてゐる言葉ばかりである。詩語は勿論詩語としての文藝的價値を持つてゐるであらう。しかしその他の當り前の言葉――たとへば玉葱、天の川等を特に季題とすることは寧ろ句作には有害である。僕等はこれ等の當り前の言葉を特に季題とする爲に季感と呼ばれるものを生じ、反つて流俗の見に陷り易い。それから今日の農藝や園藝は在來の春夏秋冬のうちに草花や果物や蔬菜などを收められぬ位に發達してゐる。

 發句は少しも季題を要しない。寧ろ季題は無用である。現に短歌は發句のやうに季題などに手よつてゐない。これは何も發句よりも十四音だけ多いのにはよらぬ筈である。

 

       三 詩 語

 

 季題は發句には無用である。しかし季題は無用にしても、詩語は決して無用ではない。たとへば行春と云ふ言葉などは僕等の祖先から傳へ來つた、美しい語感を伴つてゐる。かう云ふ語感を輕蔑するのは僕等自身を輕蔑するに等しい。

     行春を近江の人と惜しみける           芭  蕉

   追記。詩語と詩語でない言葉との差別は勿論事實上ぼんやりしてゐる。

 

       四 調 べ

 

 發句も既に詩であるとすれば、おのづから調べを要する筈である。元祿びとには元祿びとの調べがあり、大正びとには大正びとの調べがあると言ふのは必しも謬見と稱し難い。しかしその調べと云ふ意味を十七音か否かに限るのは所謂新傾向の作家たちの謬見である。

  年の市線香買ひに出でばやな           芭  蕉

  夏の月御油より出でて赤坂や           同  上

  早稻の香やわけ入る右は有磯海          同  上

 これ等の句は悉く十七音でありながら、それぞれ調べを異にしてゐる。かう云ふ調べの上の妙は大正びとは畢に元祿びとに若かない。子規居士は俊邁の材により、頗る引き緊つた調べを好んだ。しかしその餘弊は子規居士以後の發句の調べを粗雜にした。單にその調べの上の工夫を凝らしたと云ふ點から言へば所謂新傾向の作家たちは十七音によらないだけに或は俳人たちに勝つてゐるであらう。 (十五・四・二十三)

    附記。この文を草した後、山崎樂堂氏の「俳句格調の本義」(詩歌時代所載)
   を讀み、恩を受けたことも少くない。殊に十七音に從へと言ふ僕の形式上の考
   へなどはもつと考へても好いと思つてゐる。次手と云つては失禮ながら、次手
   に感謝の意を表する次第である。







「發句私見」草稿
[やぶちゃん注:底本とした新全集の編者による推定原稿順序を示すローマ数字は、それぞれの文頭行に付けられているが、前の行に移した。]

T
     
俳諧私見
        高濱虚子氏に獻ず

 わたしは俳諧の門外漢である。が、俳諧の書を讀むことを好み、稀に又句作をも試みるから、をのづから俳諧と云ふものを考へて見ることもないではない。これはこの門外漢の私見を抄したものである。恐らくは大方の俳人の嗤[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]笑を蒙るに足るものであらう。

一 茶碗をして茶碗たらしむるものは茶碗と云ふ形式ばかりである。同時に又俳諧をして俳諧たらしむるものも俳諧と云ふ形式ばかりである。即ち十七字の形式以外に俳諧と云ふものは存在し得ない。もしこの事實を無視するとすれば、――即ち俳諧をして俳諧たらしむるものを内容の中に求むるとすれば、俳諧は畢に他の形式の詩と異る所以を失するであらう。たとへば「初月波中上」は梁の何遜の作る所[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]である。又「明月の波の中より上りけり」は正岡子規の作る所である。この兩者の内容は殆ど同一と云はなければならぬ。しかも後者の俳諧たる所以は單に俳論[やぶちゃん注:ママ。]と云ふ形式に表現を托してゐるからである。これは今更云云するのも兒戲に類してゐるかも知れない。しかし所謂新傾向の句はこの事實を無視する所に俳諧の名を僭するのである。

 二 俳諧は十七字に終始するものである。少くとも十七字に終始せんとする傾向を持たね[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]ばならぬものである。この故に所謂新傾向の句は俳諧の名を僭することは出來ぬ。しかし日本の詩の上に新生面を打開した一形式たることは事實である。又碧梧桐、鵜平、碧童、一碧樓等の諸氏の作品の注目に價することも事實である。

 三 俳諧は必しも季題と云ふものを必要としないものである。勿論季題は句作の上に幾多の便宜を與へるであらう。いや、元祿の昔は問はず、一木一草の微も季題の[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]中に數へられてゐる今日では寧ろ無季の句を作ることは困難を感ずる位であらう。しかし我我の觀照の常に季題にのみ捉はれないのは日常の經驗の教へる所である。たとへば芭蕉は新潟の客旅に「海に降る雨や戀しき浮身宿」と吟じた。かう云ふ場合は芭蕉のみならず、我我にも起り得ることは勿論である。

(四)又(三)の條に記した觀照上の事實とは無關係に、季題そのものを考へて見ても、季題のレエゾン・デエトルは如何にも曖昧を極めてゐ[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]る。元來季題と云ふものは見かけほど單純なものではない。「松茸」と云ふのも季題であり、「夜寒」と云ふのも季題である。この二つを考へて見ると、「松茸」と云ふ言葉は(嚴密に云へば「松茸」と云ふ言葉の與へる觀念、並びにその觀念に附隨する情緒)俳諧だけに限つたものではない。が、「夜長」と云ふ言葉は(これも嚴密に云へば「夜寒」[やぶちゃん注: ママ。]と云ふ言葉の與へる觀念、竝びにその觀念に附隨する情緒)俳諧だけに限つたものである。のみならず俳諧だけに限つた代りには[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]「松茸」と云ふ言葉に比べると、はるかに含蓄の多いものである。「松茸を一圓下さい」とは諸君の召し使ひも云ふであらう。しかし[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]