[やぶちゃん注:大正十五(1926)年一月発行の雑誌『文藝春秋』に掲載。底本は岩波版旧全集を用いた。]
飜譯小品 芥川龍之介
一 アダムとイヴと
小さい男の子と小さい女の子とが、アダムとイヴとの畫を眺めてゐた。
「どつちがアダムでどつちがイヴだらう?」
さう一人が言つた。
「分らないな。着物着てれば分るんだけれども」
他の一人が言つた。(Butler)
二 牧 歌
わたしは或南伊太利亞人を知つてゐる。昔の希臘人の血の通つた或南伊太利亞人である。彼の小供の時、彼の姉が彼にお前は牡牛のやうな眼をしてゐると言つた。彼は絶望と悲哀とに狂ひながら、度度泉のあるところへ行つて、其水に顏を冩して見た。「自分の眼は、實際牝牛の眼のやうだらうか?」彼は恐る怖る自らに問うた。「ああ、悲しい事には、悲し過ぎる事には、牝牛の眼にそつくりだ」彼はかう答へざるを得なかつた。
彼は一番懇意な、文一番信賴してゐる遊び仲間に、彼の眼が牝牛の眼に似てゐるといふのは、ほんたうかどうかを質ねて見た。しかし彼は誰からも慰めの言葉を受けなかつた。何故と言へば、彼等は異口同音に彼を嘲笑ひ、似てゐるどころか、非常によく似てゐると云つたからである。それから、悲哀は彼の靈魂を蝕み、彼は物を喰ふ氣もしなくなつた。すると、とうとう或日、其土地で一番可愛らしい少女が彼にかう言つた。
「ガユタアノ、お姿さんが病氣で薪を採りに行かれないから、今夜わたしと一所に森へ行つて、薪を一二荷お婆さんへ持つて行つてやる手傳ひをして頂戴な。」
彼は行かうと言つた。
それから太陽が沈み、涼しい夜の空氣が栗の木蔭に漾つた時、二人は其處に坐つてゐた。頰と頰とを寄せ合ひ、互ひに腰へ手を廻しながら。
「おう、ガユタアノ、」少女が叫んだ。「わたしはほんたうに貴方が好きよ。貴方がわたしを見ると貴方の眼は――貴方の眼は」――彼女は此處で一寸言ひよどんだ。――「牝牛の眼にそつくりだわ」
それ以來彼は無關心になつた。(同上)
三 鴉
鴉は孔雀の羽根を五六本拾ふと、それを黒い羽根の間に插して、得々と森の鳥の前へ現れた。
「どうだ。おれの羽根は立派だらう。」
森の鳥は皆その羽根の美しさに、驚嘆の聲を惜まなかつた。さうしてすぐにこの鴉を、森の大統領に選擧した。
が、その祝宴が開かれた時、鴉は白鳥と舞踏をする拍子に折角の羽根を殘らず落してしまつた。
森の鳥は即座に騷ぎ立つて、一度にこの詐欺師を突き殺してしまつた。
すると今度はほんたうの孔雀が、悠々と森へ歩いて來た。
「どうだ。おれの羽根は立派だらう。」
孔雀はまるで扇のやうに、虹色の尾羽根を開いて見せた。
しかし森の鳥は悉、疑深さうな眼つきを改めなかつた。のみならず一羽の梟が、「あいつも詐欺師の仲間だぜ」と云ふと、一齊にむらむら襲ひかつて、この孔雀をも亦突き殺してしまつた。(Anonym)