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〔やぶちゃん注:入力には昭和46(1971)年人文書院刊「定本 伊東靜雄全集」を用いた〕

春のいそぎ   伊東靜雄

 

詩集春のいそぎ自序

 

草蔭のかの鬱屈と翹望の衷情が、ひとたび 大詔を拜し皇軍

の雄叫びをきいてあぢわつた海闊勇進の思は、自分は自分流に

わが子になりとも語り傳へたかつた。そこで、大詔渙發の前二

年、後一年餘の間に折にふれて書きおいたものを集めて、一册

をつくつたのである。

     その草稿をととのへて、さて表題の選定に困じてゐた時、た

またま一友人が伴林光平が

  たが宿のいそぎかすみ賣の重荷に添へし梅の一枝

の一首を示されて、ただちにそれによつて、「春のいそぎ」と

題した。大東亞の春の設けの、せめては梅花一枝でありたいね

がひは、蓋し今日わが國すべての詩人の祈念ではなからうか。

        昭和一八年四月            伊東靜雄

 

 この小集の出版は、桑原武夫・下村寅太郎兩氏の懇な斡旋が

あつて出來たのである。その他にもひとの好意を有難く思ふこ

とが多くあつた。ここに追記して、わが感謝の記念とするので

ある。

 

 

 

  わがうたさへや

 

おほひなる 神のふるきみくにに

いまあらた

大いなる戰ひとうたのとき

酣にして

神讚(ほ)むる

くにたみの高き諸聲(もろごゑ)

 

   そのこゑにまじればあはれ

   淺茅がもとの蟲の音の

   わがうたさへや

   あなをかし けふの日の忝なさは

 

 

 

  かの旅

     古座の人貴志武彦に

 

杉原や檜(ひ)ばらがくれに

桃さくらはや匂ひでし

そを眺めつつ

ゆたかなる旅なりしかな

熊野路を南へゆきて

わが見たる君がふるさと

 

 

 

   形見にぞ拾ひもてきし

   玉石はみれども飽かず

   あさもよし紀の海が

   荒波にかくもみがきて

   みづぬるむ春の渚に

   おきたりし古座(こざ)の玉石

 

 

 

  那智

 

いにしへの代々にたふとき

御幸(いでまし)のそのあとどころ

をがまむと來ればゆゆしも

天地(あめつち)もとどろと響き

神ながらましましにけり

雄叫びの那智の御瀧(みたき)は

 

   いまの世の熊野びとらが

   勇しき軍立(いくさだち)すと

   おほ前のしぶきにぬれて

玉の緒の命もひかり

をがみてぞゆきにたりけむ

なつかしや那智の御瀧は

 

 

 

  久住の歌

 

    ――君の手紙。

  (その前々夜は霙が降つてゐました。僕らは數人、友人の下宿

  に集つていろんな事を話し合つてゐたのです。戰局の推移、わ

  が國の大いなる運命、それから、近づいてゐる軍隊生活のこと

………。そんな時突然一人が、十二月八日の朝をどこか高い山

  頂で迎へようではないかと言ひ出したのです。そして久住山の

  名が出たのです。僕はその名をきいた時、ハッと自分でも驚く

程の、不意の興奮を感じましたが、友人達にはだまつてゐまし

た。翌朝早く、僕らは雪の降り出した博多の驛を出發しました。

豐後中村から六里の山路は、霰が降り、凍つた馬糞がカチカチ

音を立てました。そして筋湯につく頃には、山の里がきらめき

始めてゐました。山の家に泊つた僕らは、八日の早曉、雪の飛

ぶ山頂で、宮城を遙拜して君が代を歌ひ、聖壽萬歳を高らかに

唱へたのです。僕はそれから一行に獨り別れて去年の夏のあの

村を指して、一氣に雪の久住を走り下つたのです。………)

   この手紙が齎した感情に、わがうたつた歌。

 

國いのる熱き血潮は

をとめ 汝(な)が爲にもぞうつ

汝(なれ)見むと來し

この山蹈みならね

汝(なれ)を見で

雪匂ふ汝(な)が赤ら頬見で

いかで過ぎめや

 

あしびきの阿蘇を消しつつ

雪しきる久住(くじゆう)の山

面影のこぞの道のり

はせ下る妹(いも)が村指し

 

息づくと立ちて休らふ

しばしさへ心をどりの

力をこめ石を投ぐれば

 

目にうつり遠きしじまの

谷の木の梢にみだれ

せつなくも上げし吹雪や

 

 

 

  秋の海

 

濱つたひたづね來て

その住居見いでたり

菜畑と松の林に圍まれて

人遠くつつましき家のほとりに

わが友の立てる見ゆ

 

昨日(きぞ)妻を葬(ほふ)りしひと

朝(あした)の秋の海眺めたり

 

  われがためには 心たけき

  道のまなびの友なりしが

  家にして 長病みのその愛妻(はしづま)に

  年頃のみとりやさしき君なりしとふ

 

その言(こと)やまことなるらむ

海に向ひて立つひとの

けさの姿のなつかしや

思はずも涙垂るれば

かなしみいはむと來しわれに

かがやきしかの海の色かな

 

やぶちゃん注:全集では二行目の「その住居」が「その往居」とあるが、意味上からも誤植と思われ、角川版及び新潮社版に従い、「住居」とした。

 

 

  述懷

    大詔奉戴一周年に當たりてひとの需むるまゝに

 

千早振(ぶる)神代にぞきく

かの天の岩戸びらきを

さながらに

大詔(おほんみことのり)

すがすがしさに得堪(た)へで泣きて

いただしき朝(あした)をいかで

忘れ得む

この一年(ひととせ)の百年(ももとせ)なりとも

みことのり一度われらかかぶりて

戰ひの時の移りに

などてせむ一喜一憂

木枯のその吹きかはる風のまま

まろぶ木の葉をまねむやは

たたかひの短き長き

そを問はじ

堪へよとや

乏しきに絶ふる戰(いくさ)は

夷(えびす)らが童(わらべ)だに知る

大君の民てふものは

おのがじしただわが胸に

あきらかに持つ御言ゆゑ

かぎりなく豐かけかりけり

これぞかのわが軍神が

身をころしをしへ給ひし

皇國の譽なりける。

   十二月八日近き夜

   風はやき外(と)の面(も)ききつつ

   草蔭(くさかげ)の名無し詩人(うたびと)

   己(し)が思 子と妻(つま)にいふ

 

 

 

  なれとわれ

 

新妻にして見すべかりし

わがふるさとに

汝(なれ)を伴ひけふ來れば

十歳を經たり

いまははや 汝(な)が傍(かたは)らの

童(わらべ)さび愛(かな)しきものに

わが指さしていふ

なつかしき山と河の名

 

走り出る吾子(あこ)に後れて

夏草の道往く なれとわれ

歳月(さいげつ)は過ぎてののちに

ただ老の思に似たり

 

 

 

  海戰想望

 

いかばかり御軍(みいくさ)らは

まなこかがやきけむ

皎たる月明の夜なりきといふ

そをきけば

こころはろばろ

スラバヤ沖

バタヴィアの沖

 

敵影のかずのかぎりを

あきらかに見よと照らしし

月讀は

夜すがらのたたかひの果

つはものが頬にのぼりし

ゑまひをもみそなはしけむ

そのスラバヤ沖

バタヴィアの沖

 

 

 

  つはものの祈

 

まち待ちしたたかひに出立つと、落下傘部隊

の猛き兵(つはもの)は、けふを晴れの日、

標めぐらし、乏しけれども陣中のもの供へて、

その傘を齋ひまつりきといふ。パレンバン奇

襲直前のその寫眞をみれば、うつし身の裸身

をり伏せ、ぬかづけり。いくさの場知らぬ我

ながら、感迫りきていかで堪へんや。乃ち、

勇士らがこころになりて

 

などいのち惜しからむ

ただこのかさの

ひらかずば

いかなりしいくさの状(さま)とぞ

問はすらむ神のみまへに

畏しや

わがかへり言

 

 

 

 送別 田中克己の南征

 

みそらに銀河懸くるごとく

春つぐるたのしき泉のこゑのごと

うつくしきうた 殘しつつ

南をさしてゆきにけるかな

 

 

 

  春の雪

 

みささぎにふるはるの雪

枝透(す)きてあかるき木々に

つもるともえせぬけはひは

 

なく聲のけさはきこえず

まなこ閉ぢ百(もも)ゐむ鳥の

しつかなるはねにかつ消え

 

ながめゐしわれが想ひに

下草のしめりもかすか

春來むとゆきふるあした

 

 

 

  大詔

 

昭和十六年十二月八日

何といふ日であつたらう

清しさのおもひ極まり

宮城を遙拜すれば

われら盡(ことごと)く

――誰か涙をとどめ得たらう

 

 

 

  菊を想ふ

 

垣根に採つた朝顏の種

小匣(こばこ)にそれを入れて

吾子(あこ)は「藏(しま)つておいてね」といふ

今年の夏は ひとの心が

トマトや芋のはうに

行つてゐたのであらう

方々の家のまはりや野菜畑の隅に

播きすてられたらしいまま

小さい野生の漏斗(じやうご)にかへつて

ひなびた色の朝顏ばかりを

見たやうに思ふ

十月の末 氣象特報のつづいた

ざわめく雨のころまで

それは咲いてをつた

昔の歌や俳諧の なるほどこれは秋の花

――世の態(すがた)と花のさが

自分はひとりで面白かつた

しかしいまは誇高い菊の季節

したたかにうるはしい菊を

想ふ日多く

けふも久しぶりに琴(こと)が聽(き)きたくて

子供の母にそれをいふと

彼女はまるでとりあはず 笑つてもみせなんだ

 

 

 

  淀の河邊

 

秋は來て夏過ぎがての

つよき陽の水のひかりに遊びてし

大淀のほとりのひと日 その日わが

君と見しもの なべて忘れず

 

   こことかの ふたつの岸の

   高草に 風は立てれど

   川波の しろきもあらず

   かがよへる 雲のすがたを

   水深く ひたす流は

   ただ默(もだ)し 疾く逝きにしか

 

その日しも 水を掬びてゑむひとに

言はでやみける わが思

逝きにしは月日のみにて

大淀の河邊はなどかわれの忘れむ

 

 

 

  九月七日・月明

 

夜(よる)更けて醫者を待つ

吾子(あこ)の熱き額に

手をやりて

さて戸外(こぐわい)の音に

耳をかたむく

――耳傾くれば

わが家(いへ)は蟲聲の

大(おほ)き波 小(ち)さき波の

中にあり

……………

たちまちに

自轉車の鈴(りん)の音

遙にきこゆ

つと立ちいでし

僻耳(ひがみみ)や

草原は

つゆしとどなる月ありて

すず蟲の

ただひとしきり

鈴(すず)をふる音

――わが待つものの 遲きかな

 

 

 

  第一日

 

そはわが戰場の最初の大行軍なりき

太別山の敵にむかひて

前線は既(すで)に河南省商城にあり

われの屬する隊もそを追及せむと

安徽(あんき)省六安を發しぬ

進發の第一日 陽はいまだ空に高きに

偶々に痢病めるわれはや獨りおくれおくれて

大部隊の最後尾にあがる土煙さへ見失ひぬ

 

有(も)てる毛の襯衣 ハーモニカ オカリナ

二三の書籍――その中にプラトンのパイドン篇の

ありしこといま思ひ出てをかしかり――

私物ことどとく路傍に捨てさりつ

十一月のことなりしに

しきりに赤蜻蛉の飛びゐしを

失はむとする意識のうちにも

不思議なるものに思ひしを おぼゆるのみ

 

すでに命あやふきをさとりぬ

軍の過ぎゆきしのち

絶えず何處(いづこ)よりともなく道の端 家の蔭

さてはふと畑のなかに現れて

執拗にわれを見凝めてはなれざる

土民の目の色は そを語れり

たふれむとしては幾たび

われもまた心決しつ

凌辱(はづかしめ)到らむときの 武夫(もののふ)がなすべきことを

 

突然 灼くるがごとき平手うち

つづけざま頬は感じぬ

げにいかにしてありける我ぞ

友軍の一下士官と二人の兵

黄昏(たそが)れし空氣のなかに わが目の前に立てりけり

救はむとして來れるひとに

直立し敬禮すれば

眼(まなこ)より涙あふれおち

――默(もく)して從ひゆきぬ

 

かくていくばくの丘陵(をか)を越えけむ

二日の後の夕べ

辛うじて部隊とともに商城の街(まち)に入るを得れば

さながら鐵の烈しく錆びゆくにほひ

檐低き巷に滿てり――われ初めて

血をかぎぬ

 

さて一年半 部隊は解かれつ

わが中隊の兵にして

われもつとも健かに運強かりし

二人のうちの一人なりきと言はば

君は果して信じ給ふや

――かく言ひ終りて 友はしつかに頬笑みぬ

 

やぶちゃん注:第五連五行目の「檐」は「のき」と読む。

 

 

 

  七月二日・初蝉

 

あけがた

眠からさめて

初蝉をきく

はじめ

地蟲かときいてゐたが

やはり蝉であつた

思ひかけず

六つになる女の子も

その子のははも

日さめゐて

おなじやうに

それを聞いてゐるので

あつた

軒端のそらが

ひやひやと見えた

何かかれらに

言つてやりたかつたが

だまつてゐた

 

 

 

   なかぞらのいづこより

 

なかぞらのいづこより吹きくる風ならむ

わが家(いへ)の屋根もひかりをらむ

ひそやかに音變ふるひねもすの風の潮(うしほ)や

 

春寒むのひゆる書齋に 書(しよ)よむにあらず

物かくとにもあらず

新しき戀や得たるとふる妻の獨り異(あや)しむ

 

思ひみよ 岩そそぐ垂氷をはなれたる

去年(こぞ)の朽葉は春の水ふくるる川に浮びて

いまかろき黄金(きん)のごとからむ

 

 

 

  羨望

 

晝寢からゆり起されて客を見にいつたら

年少の友人が獨り坐つてゐた

みやげだと言って貝殼や海の石をとり出して

かれの語るのをきくと

或る島から昨日歸つて來たのであつた

「自炊と海水浴で

勉強は何にもできませんでした」

勉強といふのは――かれは受驗生であつた

「また 勉強してゐると

裡山で蝉(せみ)がじつにひどく鳴き立てて

――蝉は夜明から 夜ふけにも鳴くのですね――

時にはあまりの事に木刀をひつ提げて

窓からとび出して行つた程でした」

この劍道二段の受驗生は

また詩人志望者でもあつたので

わたしはすこし揶揄ひたくなつた

「蝉の聲がやかましいやうでは

所詮日本の詩人にはなれまいよ」

といふと何うとつたのか

かれはみるみる赤い羞しげな表情になつて

「でも――それが迚も耐らないものなのです」

とひとりごとのやうに言つた

そのいひ方には一種の感じがあつた

わたしは不思議なほど素直に

――それは迚も耐らないものだつたらう

しんからさう思へてきた

そして 譯のわからぬうらやましい心持で

この若い友の顏をながめた

 

 

 

  山村遊行

 

しづかなる村に來れるかな 高きユーカリ樹の

香ぐはしくしろき葉をひるがへせる風は

はやさくらの花を散らしをはり

枝にのこりてうす赤きのいろの蕚ゆかしや

迫れる山の斜面は 大いなる岩くづされてひかる見ゆ

その切石のはこばれし廣き庭々に

しづかなる人らおのがじし物のかたちを刻みゐて

卯の花と山吹のはなと明るし

ふくれたる腹垂れしふぐり おもしろき獸のかたちも

ふたつ三つ立ちてあり

 

あゝいかにひさしき かかる村にぞかかる人らと

世をあり經(へ)なむわが夢

いかにひさしき 黄いろき塵の舞ひあがる

巷に辛(から)くいきづきて

あはれめや

わが歌は漠たる憤りとするどき悲しみをかくしたり

 

なづな花さける道たどりつつ

家の戸の口にはられししるしを見れば

若者らいさましくみ戰に出で立ちてここだくも命ちりける

 

手にふるるはな摘みゆきわがこころなほかり

 

 

 

  庭の蝉

 

旅からかへつてみると

この庭にはこの庭の蝉が鳴いてゐる

おれはなにか詩のやうなものを

書きたく思ひ

紙をのべると

水のやうに平明な幾行もが出て來た

そして

おれは書かれたものをまへにして

不意にそれとはまるで異樣な

一種前生(ぜんしやう)のおもひと

かすかな暈(めま)ひをともなふ吐氣(はきけ)とで

蝉をきいてゐた

 

 

 

  春淺き

 

あゝ暗(くら)と まみひそめ

をさなきものの

室に入りくる

 

いつ暮れし

机のほとり

ひぢつきてわれ幾刻をありけむ

 

ひとりして摘みけりと

ほこりがほ子が差しいだす

あはれ野の草の一握り

 

その花の名をいへといふなり

わが子よかの野の上は

なほひかりありしや

 

目(め)とむれば

げに花ともいへぬ

花著(つ)けり

 

春淺き雜草の

固くいとちさき

實(み)ににたる花の數(かず)なり

 

名をいへと汝(なれ)はせがめど

いかにせむ

ちちは知らざり

 

すべなしや

わが子よ さなりこは

しろ花 黄い花とぞいふ

 

そをききて點頭(うなづ)ける

をさなきものの

あはれなるこころ足らひは

 

しろばな きいばな

こゑ高くうたになしつつ

走りさる ははのゐる廚の方(かた)へ

 

 

 

  百千の

 

百千(ひやくせん)の草葉もみぢし

野の勁き琴は 鳴り出づ

 

哀しみの

熟れゆくさまは

酸き木の實

甘くかもされて 照るに似たらん

 

われ秋の太陽に謝す

 

 

 

  わが家はいよいよ小さし

 

耳原(みみはら)の三つのみささぎつらぬる岡の邊(へ)の草

ことごとく黄とくれなゐに燃ゆれば

わが家はいよいよ小さし そを出でてわれの

あゆむ時多し

 

うつくしき日和つきむとし

おほかたは稻穗刈られぬ

もの音絶えし岡べは

たゞうごかぬ雲を仰ぐべかり

 

岡をおりつつふと足とどむとある枯れし園生

落葉まじりて幾株(いくかぶ)の小菊

知らまほし

そは秋におくれし花か さては冬越す菊か

 

やぶちゃん注:第三連一行目「園生」は「そのふ」と読む。

 

 

 

  夏の終

 

月の出にはまだ間(ま)があるらしかつた

海上には幾重(いくへ)もくらい雲があつた

そして雲のないところどころはしろく光つてみえた

 

そこでは風と波とがはげしく揉み合つてゐた

それは風が無性に波をおひ立ててゐるとも

また波が身體を風にぶつつけてゐるともおもへた

 

掛茶屋のお内儀(かみ)は疲れてゐるらしかつた

その顏はま向きにくらい海をながめ入つてゐたが

それは呆(ぼん)やり牀几にすわつてゐるのだつた

 

同じやうに永い間わたしも呆やりすわつてゐた

わたしは疲れてゐるわけではなかつた

海に向つてしかし心はさうあるよりほかはなかつた

 

そんなことは皆どうでもよいのだつた

ただある壯大なものが徐(しづ)かに傾いてゐるのであつた

そしてときどき吹きつける砂が脚に痛かつた

 

 

 

  螢

 

かすかに花のにほひする

くらい茂みの庭の隅

つゆの霽れ間の夜の靄が

そこはかとなく動いてて

しつかなしづかな樹々の黒

今夜は犬もおとなしく

ことりともせぬ小舍(こや)の方(はう)

微温(ぬる)い空氣をつたはつて

ただをりをりの汽車のふえ

道往くひとの咳(しはぶき)や

それさへ親しい夜のけはひ

立木の闇にふはふはと

ふたつ三つ出た螢かな

窓べにちかくよると見て

差しのばす手の指の間(ま)を

垂火(たりび)逃げゆく檐(のき)のそら

思ひ出に似たもどかしさ

 

 

 

  小曲

 

天空(そら)には 雲の 影移り

しづかに めぐる 水ぐるま

   手にした 灯(ともし) いまは消し

   夜道して來た 牛方と

   五頭の牛が あゆみます

 

ねむたい 野邊の のこり雪

しづかに めぐる 水ぐるま

   どんなに 黄金(きん)に 光つたろ

   灯(ともし)の想ひ 牛方と

   五頭の牛が あゆみます

 

しづかに めぐる

冬木(ふゆぎ)の うれの 宿り木よ

   しとしと あゆむ 牛方と

   五頭の牛の 夜のあけに

   子供がうたふ をさな歌

 

 

 

誕生日の即興歌

 

くらい 西の屋角(やすみ)に 飜筋斗(もんどり)うつて そこいらにもつるる あの響 樹々の喚(さけ)びと 警むる 草のしつしつ よひ毎に 吹き出(づ)る風の けふいく夜 何處(いづこ)より來て ああにぎはしや わがいのち 生くるいはひ まあ子や この父の爲 灯(ともしび)さげて 折つて來い 隣家(となり)の ひと住まぬ 籬のうちの かの山茶花(さざんくわ)の枝 いや いや 闇のお化けや 風の胴間聲 それさへ 怖(こは)くないのなら 尤むるひとの あるものか 寧ろまあ子 こよひ わが祝ひに あの花のこころを 言はうなら「ああかくて 誰がために 咲きつぐわれぞ」 さあ 折つておいで まあ子

     自註 まあはわが女の子の愛稱。私の誕生日は十二月十日。

この頃、海から吹上ぐる西風烈しく、丘陵の斜面に在る

わが家は動搖して、眠られぬ夜が屡々である。家の裏は、

籬で鄰家の大きな庭園につづいてゐて、もう永くひとが

住んでゐない。一坪の庭もない私は、暖い日にはよくこ

つそり侵入して、そこの荒れた草木の姿を寫生する。

 

やぶちゃん注1:「しつしつ」及び自註を含むすべての「まあ子」には、原本では「ヽ」の傍点付であるが、ここでは斜体文字とした。

やぶちゃん注2:「警むる」は「いましむる」、「籬」は「まがき」、「尤むる」は「とがむる」と読む。