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HP 鬼火へ

〔やぶちゃん注:入力には昭和46(1971)年人文書院刊「定本 伊東靜雄全集」を用いた〕



『反響』以後   伊東靜雄

 

 

明るいランプ

 

わたしたち何故今まで考へなかつたのでせう

ランプのこと

どこでもランプを使つてゐるのね

少女は急に熱心に母の方にいひかけて

ちらと青年の顏を見る

 

 (學校を卒へた青年に

 けふ電報が來て

 田舍の兩親は早く歸つておいでといつてゐる)

 

ローソクのゆれる火影に

母親は娘を見 それから青年を見る

よくお店で賣つてゐるわね反射鏡のついたフンブ

あすあれ是非買ひませうよ

あかるいわよきつと

だまつてローソクの芯をつついてゐる青年を

今度はまつすぐに見て少女はいふ

 

  (明晩もうひと晩

  青年がここに泊つて

  反射鏡づきの

  その明るいランプを見てゆくことを

  作者は祈る)

 

 

 

小さい手帳から

 

一日中燃えさかつた眞夏の陽の餘燼は

まだかがやく赤さで

高く野の梢にひらめいてゐる

けれど築地と家のかげはいつかひろがり

沈靜した空氣の中に白や黄の花々が

次第にめいめいの姿をたしかなものにしながら

地を飾る

こんなとき野を眺めるひとは

音樂のやうに明らかな

靜穩の美感に眼底(がんてい)をひたされつつ

この情緒はなになのかと自身に問ふ

わが肉體をつらぬいて激しく鳴響いた

光のこれは終曲か

それともやうやく深まる生の智惠の豫感か

めざめと眠りの

どちらに誘ふものかを

誰がをしへてくれることが出來るのだらう

――そしてこの情緒が

智的なひびきをなして

あゝわが生涯のうたにつねに伴へばいい

 

 

 

野の樫

 

野にひともとの樫立つ

冬の日の老いた幹と枝は

いま光る緑につつまれて

野の道のほとりに立つ

 

    往き還りその傍らをすぎるとき

    あかるい悲哀と

    ものしづかな勇氣が

    ひとの古い想ひの内にひゞく

 

 

 

露骨な生活の間を

 

毎日夕方になると東のほうの村から

三人の親子のかつぎ屋が

驛に向つてこの部落をとおる

母親と十二、三歳の女の子と

まだ十になつたとも思われぬ男の子だ

めいめい精いつぱいに背負い

からだをたわませて行くかれら

ずん/\暮れるたんぼ道を

かれらはよく小聲をあわせてうたつていく

そのやさしくあかるい子供うたは

いちばん小さい男の子をいたわり

またみんなをはげまして

小聲の一心な合唱が

うず高い荷物の一かたまりからきこえる

 

それは露骨な生活の間を縫う

ほそい清らかな銀絲(ぎんし)のように

ひと筋私の心を縫う

 

(いまどんなお正月がかれらにきているか)

 

 

 

雷とひよつ子

 

あけがた野に雷鳴がとどろいた

野にちらばる家々はにぶく振動し

北から南へ

かと思ふと又東から西へ

冬を追ひやる雷鳴が

繰返しあけがたの野にとどろいた

ただ童子だけが

その寢床に目ざめなんだ

 

朝それで童子が一等はやく起出した

鳥屋(とや)では丁度そのとき

十三匹のひよつ子が

卵から嘴(くちばし)を突きだすところだつた

金いろのちつちやな春が

チチチチチと誕生してゐた

ただ童子のほかは

だあれもそれを見なんだ

 

 

 

 子供の繪 ――疎開地に住みついて――

 

赤いろにふちどられた

大きい青い十字花が

つぎつぎに一ぱい宙に咲く

きれいな花ね 澤山澤山

ちがふよ おホシさんだよ お母さん

まん中をすつと線がよこぎつて

遠く右の端に棒がたつ

あゝ野の電線

ひしやげたやうな哀れな家が

手前の左の隅つこに

そして細長い窓が出來 その下は草ぼうぼう

坊やのおうちね

うん これがお父さんの窓

性急に餘白が一面くろく塗りたくられる

晩だ 晩だ

ウシドロボウだ ゴウトウだ

なるほど なるほど

目玉をむいたでくのばう

前のめりに兩手をぶらさげ

電柱のかげからひとりフラフラやつて來る

くらいくらい野の上を

星の花をくぐつて

 

やぶちゃん注:原本では後ろから五行目「でくのばう」に傍点「丶」がついているが、ここでは斜体文字で示した。

 

 

 

夜の停留所で

 

室内樂はピタリとやんだ

終曲のつよい熱情とやさしみの殘響

いつの間(ま)にか

おれは聽き入つてゐたらしい

だいぶして

樂器を取り片づけるかすかな物音

何かに絃(げん)のふれる音

そして少女の影が三四(さんし)大きくゆれて

ゆつくり一つ一つ窓をおろし

それらの姿は窓のうちに

しばらくは動いてゐるのが見える

と不意に燈(ひ)が一度に消える

あとは身にしみるやうに靜かな

ただくらい學園の一角

あゝ無邪氣な淨福よ

目には消えていまは一層あかるくなつた窓の影繪に

そつとおれは呼びかける

おやすみ

 

 

 

無題

 

だあれもまだ來てゐない

机も壁もしんとつめたくて

部屋の隅にはかげが沈んでゐる

じぶんの席にこしかけて

少女は机のうへの花瓶の花に

さはつてみる

時計が誰のでもない時をきざむ

何とはなしに手洗所にいく

そこのしろい明るさのなかに

じぶんの顏がかがみの奧にゐて

素直にこちらを見る

そのかほをガラス窓につけると

大川が寒い家竝の向ふで

こいい靄をたてて

こぶこぶの鈴懸の列が

ねむたさう

ふいに「春が來るんだわ」

とわけもなく少女は思ふ

すると

くすんとそとの景色がわらつて

ビルのその四階の窓へ

めくばせした

そして一帶に朝の薄陽が射す

 

やぶちゃん注:原本では後ろから四行目「くすん」に傍点「丶」がついているが、ここでは斜体文字で示した。

 

 

 

寛恕の季節

 

まず病者と貧者のために春をよろこぶ

下着のぼろの一枚をぬぐよろこびは

貧しい者のこころにしみ

もつとものぞみのない病人も

再び窓の光に坐る望みにはげまされる

國立病院の殺風景な廣い前庭には

朝を待ち兼ねて

ベンチの陽にうずくまる人を見る

ぐる/\ぐる/\驛前の燒跡の一畫を

金輪をまわし際限もなくめぐる童子

金輪は忘我の恍惚にひかつて

行きすぎる群衆の或る者を

ふとやさしい微笑に誘う

よごれた鷗が飛ぶ のろく橋をくぐつて

街の運河のくさい芥の間に餌を求め

やがて一ところに來て浮ぶ四羽五羽

水に張り出したバラックの手摺から

そつちに向けて二人の若者が

トランペットの練習をしている

不揃いの金屬音の響きは繰り返し

この寛恕の季節のなかを人々は行き交う

そして遠く山間や平野の隅々に

まだ無力に住み殘つた疎開者たちは

またも「模樣」を見に

もとの都會に一度出かけてみようと思う

 

 

 

長い療養生活

 

せんにひどく容態の惡かつたころ。

深夜にふと目がさめた。私はカーテンの左のはづれから

白く輝く月につよく見つめられてゐたのだつた。

 

まためさめる。矢張りゐた。今度は右の端に。

だいぶ明け方近い黄色味を帶びてやさしくクスンと笑つた。

クスンと私も笑ふと不意に涙がほとばしり出た。

 

 

 

倦(う)んだ病人

 

夜ふけの全病舍が停電してる。

分厚い分厚い闇の底に

敏感なまぶたがひらく。

(ははあ。どうやら、おれは死んでるらしい。

  いつのまにかうまくいつてたんだな。

  占めた。ただむやみに暗いだけで、

  別に何ということもないようだ。)

しかしすぐ覺醒がはつきりやつて來る。

押しころしたひとり笑い。次に咳き。