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Уездный лекарь
   Иван Сергеевич Тургенев

郡の醫者

   ――イワン・ツルゲーネフ原作 中山省三郎譯

 

[やぶちゃん注:これは

Иван Сергеевич ТургеневIvan Sergeyevich Turgenev

Записки охотника”(Zapiski okhotnika

イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ(18181883)の「猟人日記」(18471851年に雑誌『同時代人』に発表後、一篇を加えて二十二篇が1852年に刊行されたが、後の70年代に更に三篇が追加され、1880年に決定版として全二十五篇となった)の中の

 Уездный лекарь”(Uezdny dekar

の全訳である(1848年『同時代人』初出)。底本は昭和311956)年角川書店刊の角川文庫のツルゲーネフ中山省三郎譯「獵人日記」の上巻の、平成2(1991)年再版本を用いた。「こ」を繋げたような漢文訓点に現われる繰り返し記号は通用の「々」に代え、傍点「ヽ」は下線に代え、巻末にある訳者注を作品末に示し(但し、文中にある注記号「*」はうるさいので省略した)、一部の私に気になった語についてのオリジナルな注も混在させた(記号で明確に区別した)。訳者である故中山省三郎先生への私のオードは「生神樣」の冒頭注を参照されたい。なお、一部判読不能な部分は、同テクストを用いたと思われる昭和141939)年岩波書店刊の岩波文庫のツルゲーネフ中山省三郎譯「獵人日記」を参照して、補正したが、その部分については特に断っていない。【2008年8月22日】]

 

 郡の醫者

 或る時のこと、人里速く離れた秋の野原からの歸り途で、風邪をひいて寢込んだことがあつた。仕合せにも熱の出たのは、郡役所のある町の宿屋へ來てからだつたので、早速、醫者を迎へにやつた。半時間ほどして、郡役所づきの醫者がやつて來たが、背の大きくない、かなり痩せた、髮の毛の黑い人であつた。一通りの發汗劑を處方して、芥子泥(からしでい)を貼るやうに命じてから、謝禮の五ルーブリ紙幣を實に手際よく袖の折返しに押し込んだ ――尤もこの時、空咳をして、あらぬ方を見た――そこでそのまま歸らうとしたのであつたが、どうしたわけか話がはずんで、つい坐り込んでしまつた。私は熱に惱まされてゐて、夜つぴて眠れまいと豫想してゐたところなので、氣のおけない人と少しばかりお喋りをすることが、まことに嬉しかつた。茶が出た。醫者は話に耽つた。この人はなかなか話せる人で、元氣よく、大層面白かつた。世の中には妙なことがあるもので、或る人とは一緒に暮らして懇意にしてゐながら、唯の一度も心の底から打ちとけた話をしないこともあるし、さうかと思ふと、或る人とは知合ひになつたかならないうちに、ぢきに、こちらからの場合も、先方からの場合もあるが、まるで教會堂で懺悔をする時のやうに、祕密といふ祕密を喋つてしまふことがある。私はどうしてこの新しい友人の信用を博し得たのか知らないが――兎に角、彼は何といふこともなしに、いはゆる『のつけに』、まことに珍しい出來事を聞かしてくれたのであつた。そこで今、私はこの人の話を、私に好意を寄せて下さる讀者諸君にお傳へしようと思ふ。私はなるべく醫者の言葉をもつてお話しすることとしよう。「御存じありませんでせうかな」彼は低い、顫へ聲(これは混ぜ物のないベレゾフ煙草をやるせゐである)話しだした、「御存じありませんでせうかな、ここの裁判官のムィロフさんを、あのパーヴュル・ルキッチさんですが?……御存じがない……まあ、どつちでもいいことですが。(彼は咳拂ひをして、眼をこすつた)さて、あの何ですがね、その事件といふのは、はつきり申ししげると、大齋期の時分、あの雪解けの眞最中のことです。私は裁判官のところへ遊びに行つて、骨牌(プレフエランス)をやつてゐたんです。あの裁判官は好い人でしてね、骨牌の大好きな人でした。ところへ、俄然(この醫者はよくこの俄然いふ言葉をつかふ)下男が尋ねて來てゐるといふことなんです。私が『一體何の用でせう?』といふと、家の人が『書附を持つて來ました。きつと病家からでせう』といひます。『ぢやその書附を下さい』と私が申しました。見ると案の定、病家からでした。……あ、よろしい、ねえさうでせう、これが飯の種なんですからね……、ところで用向といふのはかうなんです。書附はさる地主の未亡人から來たもので、それには『娘が死にかかつてゐます。どうか御來診の程を……云々、馬車をお迎へに遣はします……云々』とあります。なるほど、それだけならば、お安い御用だ……。ところが、町から二十露里(り)もあつて、表は眞暗だし、それにあの道と來てはやり切れない! それに、あの人は貧乏してゐるから、銀貨(ぎん)二枚以上はとてもあてにすることは出來ない、それだつてまだ怪しいもんだ。惡くすると、布(ぎれ)や何かの端つくれ位が關の山かもも知れない。けれど、御承知のやうに、義務は何より先のことでせう。一人の人間が死にかかつてゐるんですからね。私は俄然、常務員のカリオピンに歌留多を渡して、家に向ひましたのです。見ると、玄關の踏段の傍に見すぼらしい、がた馬車が待つてゐます。馬は百姓馬で、太鼓腹のやつで、毛といへば蓬々と、蓬そのまま。馭者は遠慮をして、帽子をとつて腰を下ろしてゐる。私は腹の中で思つたんです、『いやはや、こりや、文(もん)なしの家だな……』つて。あなた、お笑ですね、けれど實際のところ、私どものやうな貧乏人は何でもかんでも考慮に入れなければなりませんからね……。若しも、馭者が大名のやうに坐り込んで、帽子もとらず、それにまた髯の中から冷笑を洩らし、鞭を振つてゐるとでもいふんでしたら、.十ルーブリ札二枚は平氣でとれるんですがね。ところが、今夜のは勝手が違ふやうだ。さればとて仕方はないと考へました、義務が第一ですからね。私は最も必要な藥劑を持つて、出かけました。貴方には御想像もつかないでせうが、漸くのことで向ふへ着くには着きました。道はまるで地獄の道のやうだし、小川がある、雪がある、水溜りがある、水窪がある。すると俄然、堤防が切れてたり――お話のほかです。けれど、たうとう着きました。ちつぽけな、藁葺の家でしたよ。窓に灯りが見える。確かにみんなが私を待つてゐるんです。レースの部屋頭巾をかぶつた、かなり品(ひん)のいいお婆さんが出て來て、『どうかお助け下さいまし、死にかかつて居ります』とのことです。私は『御心配なさいますな……、御病人はどちらで?』といひました。『どうぞこちらへ』と言はれて行つて見ると、小綺麗な部屋の隅には御燈明がともり、寢臺には二十歳(はたち)ばかりの娘が、昏睡状態に陷つてゐる。かなりの熱を出して、苦しげな息づかひをしてゐる。熱病だつたのです。ほかに姉妹(きやうだい)になる二人の娘がうろうろして涙に暮れてゐました。そこで話を聞くと、昨日は元氣で少しも變つたこともなく食事も進んだのですが、今朝になつてから頭が痛いとこぼし、夕方近くになつて、不意にこんな工合になつたとのことです……私はもうー度『御心配は要りません』と言つてやりました。何せ、これが醫者の任務ですからね――さういつて、私は診察にかかりました。惡い血を出して、芥子泥を貼るやうにいひつけ、水藥を調合しました。その合間に、私は娘を見ました。見ると、どうでせう、――確かに私はこんな顏を未だ嘗て見たことがない! 一言にしていへば、美人なんです! 私はすつかり可哀さうになつてしまひました。こんな氣持のいい容貌が、眼が……、ところが有難いことには、少し落ちついて來ましてね。汗も出るし、いくらか正氣づいたらしく、あたりを見廻し、につこりして、手を顏のところへ持つて行きました……、姉妹(きやうだい)たちが覗き込んで、『どうなの?』と訊ねました。『大丈夫よ』といつて、向きかへりました、……見てゐると、病人はすやすやと寢てしまひました。ところで、私は、『御病人をここで、絶封安靜にして定かなければいけません』といひました。それからみんなで爪先歩きをして、出て行きました。ただ小間使だけはいつも殘してゐましたけど。客間には、もうサモワルが置いてあり、ジャマイカ島産の糖酒(ラム)も備へてありました。私たちの商賣では、あれがなくてはやれませんでしてね。お茶を入れてくれて、私に泊まつて行つてくれとの賴みでした……、無論、承知をしました。もうこの時刻になつて、どこへ行けるものですかね! お婆さんは、しよつちゆう溜息をついてゐます。私は『あなたはまあ何を? 御病人はきつと助かりますよ。御心配なさいますな。それよかお寢(やす)みになつた方がよろしうざいます。もう二時ですよ。若しかして何か事がございましたら、すぐに起こすやうに仰しやつて下さい』『はい、宜しうございます』お婆さんが出て行くと、續いて娘たちも自分の部屋へ引き取りました。私のためには客間へ床(とこ)をしつらへてくれました。さて、横になつたのですが、どうしても寢つかれないのです――何ていふ不思議なことだらう! 確かに、身體はもうへとへとに疲れ切つてゐた筈です。けれど、病人のことが氣になつて仕方がないのです。たうとう私はこらへ切れなくなつて、いきなり起き上りました。『患者がどんな樣子か、見て來よう』と私は考へました。病人の寢室は、客間と並んでゐます。で、私は立ち上つて、靜かに扉(ドア)を開けました。胸がはげしく動悸をうつてゐます。中を見ると、小間使は眠つて、口をあけ、鼾までかいてゐます。怪しからん奴です! 病人はこちら向きに寢て、兩手を伸ばしてゐます、可哀さうに! 私は傍へ寄つて行きました……、すると、俄然、眼をあけて、じつと私を見つめるのです!『どなた? どなた?』私はどぎまぎしちやいました。『驚いてはいけません。お孃さん。私は醫者ですよ。お氣分がどうか、ちよつと拜見に來たんです』と私は申しました。『あなたがお醫者樣?』『さう、醫者ですよ……お母さまが町へ私を迎へによこされたんです。お孃さん、惡い血をとつてあげましたよ。ですからお寢(やす)みになつて下さい。もう二日もすれば、かならずお歩きになれるやうにして差し上げますよ』『ああ! さうだわ、さうだわ、先生、私を死なさないで頂戴……どうぞ、どうぞですから』『どうしてそんなことを、そんなつまらないことを!』けれど病人はまた熱が出てゐるなと思つたので、脈をとつてみると、果して、熱がある。娘は私を見て、俄然、私の手をとりました。『私がどうして死にたくないのか、お話しませう、お話しませう……今、誰もゐませんし、けど、どなたにも…ね、聞いて下さいな』私は身を屈めまた。娘は私の耳元ちかく唇を寄せましたが、髮の毛が私の頰にさはるのです……。正直のところ、私は頭がくらくらして來ました……、それから囁き始めたのですが……、何が何やらさつばり分からんのです……、ああ、やつぱり譫言(うはごと)をいつてゐるのです……ひつきりなしに囁くのですが、ひどく早口で、何だか露西亞語ではなささうです。やがて、話が濟むと、身ぶるひをして、頭をぐつたり枕に落し、他言してくれるなといふ合圖をしながら、『よございますね、先生、どなたにも……』と指で私を脅かすやうな風をしました。私はどうかかうかして、娘を落ちつけ、飲み物をくれて、小間使を起こし、それから部屋を出たのでした」

 ここで、醫者は烈しく嗅煙草をやつて、しばらくの間、茫然たるさまであつた。

 「ところが」と彼は言葉を継いだ、「次の日は、私の意に反して、一向によくならないのです。私は考へに考へた末、俄然、逗留することに肚を決めました。他の患者が私を待ち受てはゐたのですけれど……御承知のやうに、その方も等閑(なほざり)には出來ません。さういふ事をすれば、商賣の方で難澁しますからね。然し何といつても、第一に病人は實際のところ、絶望に瀕してゐるのです。第二に、有體(ありてい)に申しますれば、私は娘に強い愛着を感じてゐたのです。のみならず、家中(うちぢゆう)の人も気に入りましてね。不如意な人達ではあつたのですが、実に珍しく教養のある方達でした……。何でも父親は學者で、文章家で、勿論貧困のうちに亡くなりはしましたが、子供に立派な教育だけは受けさせることが出來たのです。澤山の書物も遺して行きました。私がむきになつて病人の身のまはりのこと心配してやつたためか、それとも他に仔細があつたのか、兎に角、敢へて申しますが、私を家内の者が、身内の者のやうに大事にかけくれるのです……、さうかうしてゐるうちに、怖るべき惡路の季節になつて、あらゆる交通は、その何ですね、全く杜絶し、薬品類を町から取り寄せるのも非常に骨が折れた次第です……、病人は快方に向はず……、一日一日と日が經ち……ところが……ここで……、(醫者はちよつと言葉を休めた)全く、どういふ風に申し上げたらいいのか分かりませんが……、(嗅煙草をやつて、喉を鳴らし、ちよつとお茶を啜つた)尻込みせずに申しますが、病人がですね……、どういつたらいいでせうか、その何が、私を戀しましてね……、いや、さうぢやない、娘が戀した譯ではありません……、が、といつて……實際、どういつたら、その……」(醫者は目を伏せて、顔を赧らめた) 「いや」と彼は勢ひこんで言葉をつづけた、「何の戀したなんぞと! 結局、人間は身のほどを知らなくてはなりません。あの娘は、教養があつて、利發で、物識りでした。それで私はといへば、自分の使ふ羅甸語さへも、まあすつかり忘れてゐる始末。それでも見かけはどうかといふと(醫者は微笑みながら、わが身を顧みて)これまたどうも、自慢になりさうもありません。けれど神樣は、やつぱり私を空馬鹿(からばか)にも産みつけなさらなかつたので、私は白いものを黑いといふやうなことはなく、多少は物の判別もつきます。早い話が、アレクサンドラ・アンドレーヴナ――これは娘さんの名前なんですが――あれは私に愛を感じたといふのではないけれども、いはば、なつかしいといふ氣持、尊敬とでもいふやうな氣持を感じたのでせう。もつとも娘の方では、別の意味にとつてゐたかも知れません。兎に角、娘の素振りはそんなものだつたのですよ。そこはお察しを願ふ事にしませう……、けれども」と、息もつかずに、かなりまごつきながら、とぎれとぎれな話を終へた醫者は附け加へた、「すこし脱線したやうですね……、これでは何が何やらお分かりにならないでせう……、さて、今度は何もかも順序を追つてお話しする事に致しませう」

 醫者は『お茶を』一杯飲み乾して、いくらか前よりも落ちついた聲で話し出した。

 「ところでですね,病人はだんだん惡くなるばかりでした。あなたは醫者ではないから、病氣がとても自分の手に負へないと氣がつき出したとき、わけても氣のつき出した最初の頃に、醫者の胸中がどんなものか、お分かりになりますまい。自信もへつたくれもあつたものではありません! 俄然、お話しにもならないほど、怖気づいて來る。今までに覺えたことは何から何まで忘れてしまつたかのやうな氣がして來る。それに病人の方でも信用してくれないし、もう他(ほか)の人もこつちのまごついてゐることに氣がつき出して、不承不承で容態なんかを知らしたり、危かしさうに、こちらを見て、こそとそ話をしてゐるやうな氣がして來る……、いや、實に忌々しい! こちらではこの病氣に利く藥がある筈だ! 何でもそいつを一つ見つけなければならんと考へる。この藥ではないか知ら? と思つてやつて見る。が、駄目だ、これではいけない! 藥がうまく利いてくるまで待つてはゐられなくなる……、これをやつて見たり、あれをやつて見たり。時には漢方全書を取り出して――こにある。ここにあるこれかなと思ふ! 實際、時には手あたりばつたり本を開けて、一か八かやつて見る氣になる、――ところが、そんなことをしてゐるうちに、病人は死にかけてゐるのです。ほかの醫者なら、或ひは助けたかも知れないと考へる……。『ほかの醫者にも立ち合つて貰はなければ――私一人では責任がもてません』と言ひ出す。こんな場合に、醫者の馬鹿面つたらない! まあ、年を食つて馴れつ子になれば、もう何でもなくる。人が死んだ、――それはこちらの手落ちではない、こちらは道にかなつたことをしたのだと考へる。ところがもつと辛いことがあります。盲滅法に信用されてゐながら、自分でも、とても助けられないといふ氣のする時です。ところで、アレクサンドラ・アンドレーヴナの家中の者は、丁度、こん工合に私を信じ切つてゐて、家の娘が危險に瀕してゐるといふことを忘れてゐたです。私は私で、やはり、大丈夫だといつて聞かしてゐたのですが、その實、心はすつかり入り込んでしまふのです。かてて加へて、不仕合せなことには、いよいよ道の惡い季節になつて馭者が藥をとりに行つて歸るまでに、幾日もかかるといふ始末。私は病人の部屋をちつとも出られない。何しろ離れるわけには行ませんのでね。色んな、何ですね、それ、面白い話をして聞かせたり、一緒に骨牌をやつたりして。夜も附き添つてゐてやりました。お婆さんは涙をこぼしてお禮を言ふのですが、私は心の中では何もお禮をいはれるにはあたらないと考へてゐました。打ち明けてお話しいたしますとね、――今さら隱し立てをしたつてはじまりませんからね、――私は病人に惚れ込んでしまつたのでした。そしてまたアレクサンドラ・アンドレーヴナの方でも、私を憎くは思はんやうになつて來ましてね。どうかすると、一切、ほかの者を自分の部屋に入ないのです。話をしかけて、どこで私が修業したかとか、どんな暮らしをしてゐるかとか、親にはどんな人がゐるかとか、どんな家へ往診に行くかとか、根掘り葉掘り、こまごまと訊ねるのです。話をさせてはいけないとは心に思ひながらも、差しとめることが――お察しの通り、斷然と差しとめることが出來ない。頭を抱へては自分の心に訊いて見たこともありました、『お前は一體、何をして居るのだ、この惡黨め?』と。……ところが娘は私の手をとつて、離さずに、私を見つめる。しげしげと暫く見つめた後、傍を向いて溜息しては、『ほんとにあなたは、おやさし方ね!』といふんです。娘の手はかなり熱くなつて、眼を大きく見張つて、暗い眼を……『ほんとに、あなたは、お優しい、いいお方ですわね。この邊の人とはまるきり違つて、ほんとに、違つてらつしやるのね、……あたし、どうして今まであなたを知らずにゐたのでせう!』『アレクサンドラ・アンドレーヴナ、靜かにして下さいね』と私はいひました、『私のいふことを聞いて下さいね、私には、何の取柄があつて、そんな風に仰しやられるのか分かりませんが……まあ、靜かにしてらして、どうぞですから、靜かにしてらして……きつとよくなりますよ、今に丈夫になりますよ』ところで、かういふことを申し上げて置かなければなりません」と、醫者は乘り出し氣味になつて、眉をつり上げながら言葉をつづけた、「それは、この家の人は近所の人とあまり往き來をしないことです。身分の低い者とは性が合はないし、さればといつて金持と近づきになるには、自尊心(プライド)が邪魔になるといつた工合で。何しろ、珍しく教養のある家庭でしてね。それが私にはとても嬉しかつたのです。娘は私の手からでなければ藥を飲まうとしない……。可哀さうに、私が手を貸してやると起き上つて、それを服んで、私をじつと見る……、私は氣が氣ではありません。そのうちにも病氣はだんだん惡くなる一方です。この分ではもう死ぬばかりだ。どんなにしたつて死ぬのだと私は考へました。全く、いつそこちらで一足(ひとあし)お先にお墓へ行きたいくらゐです。それに母親や姉妹(きやうだい)たちは私のすることを見てゐて、私の眼のいろを窺つてゐるのです……、信用はなくなりかけてゐる。『あの如何でございませうか』『大丈夫、大丈夫ですよ』と言つたところで、何が大丈夫なのやら、私はどうしていいのやら分からなくなつてゐる。さて或る晩、また私はたつた一人で病人に附き添つてゐました。女中も居るには居つたのですが、ぐうぐう高鼾をかいてゐるのです……、それも無理のない話だ。あれはくたびれ切つてゐたのですからね。アレクサンドラ・アンドレーヴナはその晩ぢゆう容體が惡い。熱に苦しめられてゐたのです。眞夜中になるまで、ひつきりなしに寢返り打つて、そのうちにやつとのことで寢ついた樣子。少くとも、じつと、靜かに横になつてゐたのです。お燈明は部屋の隅の聖像(おすがた)の前にともつてゐる。私は腰をかけてゐましたが、つい頭が下つて、やつぱりうとうとしてしまふのです。と、俄然、誰かが横腹を突いたやうな氣がしたので、振り返つて見ると……、どうでせう! アレクサンドラ・アンドレーヴナが、しげしげと私を見つめてゐるぢやありませんか……、唇(くち)をあけて、頰は燃え立つばかりなんです。『どうしました』『先生、あたしはもう、いけないんぢやないでせうか!』『どうしてそんなことが!』『だつて、だつて、先生、あたしが助かるなんて仰しやらないで……仰しやらないで下さいな……、若しあたしの氣持がお分かりでしたら……、ね、後生ですから本當の容體を隱さないで仰しやつて下さいな』息づかひは、だいぶ忙しくなつて來る。『たしかに死ぬものと分かれば……、あたしは何もかもお話しませう!』 『アレクサンドラ・アンドレーヴナ、たわいもないことを!』『ね、あたし、ちつとも寢ないでゐたんですの……、あたし、ずつとあなたを眺めてゐたんですわ……、後生ですから……、あたしはあなたを信じてゐます。あなたはやさしいお方、正直なお方、この世の中の聖いといふ聖いものにかけてお願ひいたしますから……、ほんとのことを仰しやつて下さいな! 若し、このことがあたしにとつてどんなに大事なことだかお分かりでしたら、……先生、後生ですから、教へて下さいな。あたしは危篤なんでせうか?』『何なお教へすることがありませう。アレクサンドラ・アンドレーヴナ、つまらぬことを!』『どうぞ、後生ですから!』『あなたに、かうなつた以上は、かくし立てなんかしませんよ。アレクサンドラ・アンドレーヴナ。あなたはなるほど危險な状態にゐます。けれど神樣にはお慈悲がありますからね……。』『あたし、死ぬんだわ、死ぬんだわ……』かういつて何だか喜んででもゐるかのやうに、顏の色も晴々して來たので、私はぎよつとしました。『何も氣づかひなことはございませんのよ。御心配には及びませんのよ。死ぬことなんか、あたし、怖(こは)かありませんわ」娘はいきなり身を起こして、肘をついて身體を支へた。『今になつて……、さう、今になつて申し上げられるんですわ、あたしが眞心から感謝してゐること、あなたがやさしい、いいお方だつたこと、あたしがあなたを愛してゐることなど……』私は氣の狂つた人間か何ぞのやうに娘を見つめたのです。氣味が惡くなりましてね……『分かりまして? あたし、あなたを愛してますの…』『アレクサンドラ・アンドレーヴナ、どうしてまた私風情(ふぜい)が!』『いいえ、いいえ、あなたにはあたしの氣持がお分かりにならないんです……』かういつて、俄然、手をばして私の首にしがみついて、接吻したのです……。全くもう少しで聲をあげるところでした。私はそのま跪いて、枕のところに俯伏しになつてゐました。娘は默つてゐました。その指先は私の髮の毛の中でふるへてゐましたが、娘の泣いてゐるのが聞こえました。私はあれやこれやとなだめたり、すかしたりしました……。實際もう、何をいつたのか、さつぱり覺えてゐません。『女中さんが眼をさましますよ、アレクサンドラ・アンドレーヴナ』と私は申しました、『ありがたう。本當に……、私のいふことを聞いて、靜かにしてらつしやい』『ええ、よして下さい、もう澤山ですわ』と娘は繰り返しました、『みんなのことなんか構はないの、眼を覺さうと、入つて來ようと、どうでもいいの……、どうせあたしは死ぬんですもの……、だのに何をびくびくなさるんです。何を怖がつてらしやるんです? お頭(つむ)をあげてて下さいな……それとも、ひよつとしたら、あなたはあたしを愛して下さらないのかも知れません。若しかしたら、あたしは勘ちがひをしてたのか……、若しさうだつたら、御免なさい』『アレクサンドラ・アンドレーヴナ、何を仰しやるんです! 私は愛してますよ、アレクサンドラ・アンドレーヴナ』娘は眞ともに私の眼に見入つてゐましたが、やがて兩手を擴げて、『そんなら、あたしを抱いて下さいな……』打ち明けて申せば、あの晩どうして私は氣が狂はなかつたのか分からないのです。私は病人が我と我が身を殺すやうなことをしてゐるのも感じてゐたし、病人が記憶といふもの殆んど失つてゐることも分かつてはゐたのです。それにまた自分がもう直きに死ぬ身だと思はなかつたら、私のことなんか考へもしなかつただらうくらゐは、ちやんと分かつてゐました。何せ二十五にもなつて、色戀も知らずに死んで行くなんて辛い話ですからね。それが娘を苦しめたんでせう、だから絶望のあまり、私みたいな者にもすがりついたのでせうね。……お分れりでせうね? けれど娘はしつかりと私を抑へつけて離してくれないのです。『私のことも察して下さい、アレクサンドラ・アンドレーヴナ。それに御自分のお身もおいたはりにならなければ、いけませんね』と私はいひました。すると娘は『何故ですの』つていふんです、何をいたはるんですの? だつて、あたし、どうせ死ぬにきまつてるんでせう……』娘はこの言葉をひつきりなしに繰り返してゐました。『若し、あたし、丈夫になつて、もとのやうに、ちやんとしたお孃樣顏をするんだつたら、あたし、恥かしくつて恥かしくつて仕樣がないわ……、ほんとに……、そしたら、どうしますの?』『一體、あんたが必ず亡くなるなんて、誰がいひました?』『あつ、もう、いいわ、澤山だわ、瞞されはしませんよ、あなた、嘘なんかつけないお方だわ、ね、さうでせう』『きつとお癒りになりますよ。アレクサンドラ・アンドレーヴナ、私が癒してあげますよ。癒つたらお母樣に祝福していただいて、……夫婦(いつしよ)になりませう。そして幸福に』『いいえ、いけません、もう何ていつたつて駄目だわ、あたし、ちやんと聞いてゐたの……、死ぬにきまつてるわ、あなたはわたしに受け合つたでせう……、たしかにさう仰しやつた……』私は辛かつた、――色んな理由があつて辛かつた、――いろんな理由があつて辛かつたんです。時をりつまらんことが起きるものですね、何でもないやうに見えて、その實、苦しいつていふやうな。ふつと、娘は止してくれればいいので、私の名を訊いてみたくなつたのです。私の苗字ではなく、名前の方をですね。ところが生憎と、私の名はトリフォンていふんです。さう、さう、トリフォンです、トリフォン・イワーヌィチつていふんです。家(うち)に居れば、みんなが先生、先生つていつてくれるんですがね。しかしこの場合、何とも致し方がないものですから、『トリフォンです。お孃さん』と、明らさまに名乘りましたよ。すると娘は、かすかに瞬きして、首を振つて、何だか佛蘭西語でぶつぶついつてゐましたが、――いやはや、あんまり氣持のいいものぢやありません。やがて、笑ひ出しましたが、これもやはりいい氣持はしませんでした。またこんな工合で、その晩は娘と一しよに夜を明かしました。朝早く、まるで氣でも違つたやうになつて部屋を出て、再び部屋に入つたのは、もう日 が大分あがつて、お茶を濟ましてからのことです。ところが、何たることでせう! 娘は見分けがつかないほどに變つてゐるのです。棺の中へ入れられる人間だつて、これよりはきれいなものです。實際のところ、今でも分からんのです、どうしてあんな心苦しい思ひを持ちこたへたのか、自分ながらはつきり分からんのです。それでも病人はなほ三日三晩露命なつないでゐましたが、どんなに夜は苦しかつたでせう! どんなことを私に話したでせう!……そして最後の晩には、まあお察しを願ひます――私は病人の側に坐つて、ただ一途に、『娘を一時も早く引き取つて下さい、私も一しよに引き取つて……』と神樣に祈つてゐました。俄然、老母が部屋に入つて來ました。私は前の晩に、母親に、もうすつかりいけなくなつて、とても望みがないから坊さんを迎へにやつて置いてもよからうと話しておいたんです。病人は母親を一日見ると、『ああ、來ていただいてよかつたわ……、お母さん、御覽なさい、二人はお互ひに愛し合つて――お互ひに約束しましたの』と言ひました。『どうしたんでございませう、先生、この娘(こ)は?』死人のやうに私は死のやうに色を變へて、譫言をいつてるんです、熱があつて……』といひました。けれども娘は、『ああ、いぃ加減にして頂戴よ、あんたはたつた今、まるで別のことを仰しやつたくせに……。指環まで受け取つておきながら……、何をとぼけてらつしやるのです? お母さんはいい人ですもの、許して下さるわ、分かつて下さるわ、――死にかかつてるもんですもの、――嘘をいふ必要なんかないわ。手を貸して頂戴な……』私は飛びあがつて、駈け出したのです。老母は勿論、この氣配を悟りました。

 「しかし、私はもうこれ以上、長話をしてあなたを惱まさないことにしませう、勿論、私にしたつて、正直にいふと、こんなことを何から何から何まで思ひ出すのは辛い事です。病人はその次の日に亡くなりした。御惠みあらせ給へ!(醫者は口早に溜息をしながら、かう附け加へた)息を引き取るまへに、娘は身内者には座をはづして貰つて、私だけ傍にゐてくれるやうにと賴みました。『堪忍して頂戴』と娘は言ひました、『あたし、きつとあなたに濟まないことをしたでせう……、病気が……、けれど信じて下さいな、あたし、あなたを差しおいて、ほかの方なんか戀(おも)はなかつたわ……、忘れないで頂戴な、あたしの指環を大切にとつておいて下さいな…』」

 醫者は顏をそむけた。私は彼の手をとつた。

 「いや! もう何か他の話をしようぢやありませんか」と彼言つた。「でなければ、少しばかり賭けて骨牌(プレフエランス)でもやりませうか? 餘り高尚な感情に耽るのは、私みたいな者には向かない事です。ただ一つどうしたら子供がわいわい泣かなくなるだらう、細君ががみがみ惡態をつかなくなるだらう位のことを考へればいいんです。その後まあ私も正式の結婚といふやつをやりましたがね……、さうです……、商人の娘を貰つたのです。持參金は七千ルーブリでしてね。アクリーナと申しまして、トリフォンとは似たり寄つたりです。何といつても性質(たち)の惡い奴なんですが、まあそれでも、一日中寢てばかりゐるので大助かりです……、さて骨牌(プレフエランス)はいかがです?」

 私たちは一カペイカづつ賭けて骨牌(プレフエランス)をやつた。トリフォン・イワーノヰッチは二ルーブリ五十カペイカ儲けたので――自分の勝つたことにいたく滿足して、夜おそく歸つて行つた。

                                                                                                                                             ■訳者中山省三郎氏による「註」(注記ページ表記を外し、私のテクスト注記に準じた表示法をとった)及びやぶちゃん注(私の注は新字・現代仮名遣とし、冒頭に「◎」を附して全体を〔 〕で括った)

 

〔◎大齋期:「たいさいき」と読む。ロシア正教会に於いて最も重要な復活祭(春分の月の14日満月過ぎの日曜日とする)とその前一週間の受難週間に先立つところの、40日間を言う。精進期。だいたい2月上旬から3月中旬頃か。〕

〔◎プレフエランス:原文“преферанс”。これは“preference”プリファランスというトランプ・ゲームの一種。このページによれば、ロシアにあっては凡そ二百年に亙って知識階級のナショナル・ゲームとしてプレイされてきたものという。〕

・トリフォン:日本でいへば「三平」とか「三吉」とかいふやうな、百姓臭い甚だ振はない名。

〔◎死人のやうに私は死のやうに色を變へて:岩波版も同様であるが、ここは日本語としておかしいと思う。恐らくは「私は死人のやうに色を變へて」の衍字か誤植であろうと思われる。〕

・アクリーナ:この名前も日本でいへば「おそめ」だの「おふく」だのといふやうに、極めて民衆的な名前、そこで、ここでは、亭主の三平といふ名前に釣り合った夫婦といふ意味を含んでゐる。