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[やぶちゃん注:大正14(1925)年1月発行の雑誌『文藝俱樂部』に、武者小路実篤・徳田秋声等九人の作家の回答と一緒に掲載された。従って、本作のそれぞれの項目は雑誌社からの提示されたものである可能性が高いか。示された他の作家の全集を所持していないので確認は出来ない。底本は岩波版旧全集を用いた。なお、その後記によると、本作はそれまでの全集では「私の生活又」の題で所収されていたとある。]
現代十作家の生活振り 芥川龍之介
寢る時間・起きる時間
眼が覺めれば直ぐ起きる。大槪八時か九時であるが、夏はもう少し早い。夜は大抵、十二時頃寢床へ入る。さうして必ず何か讀む。眠氣がさすと、本を置いて、電球を小さいのに付け換へて薄暗くする。
新 聞
新聞は昔から、「朝日」と「日日」との二つだけである。他の新聞の文藝欄などに、自分のことが、褒められたり惡く言はれてゐたりすれば、誰れかが早速知らせてくれるから、さういふことでは別段不自由しない。新聞を讀むのは、飯を喰べながらである。先づ讀み始めるのは海外電報で、それも近頃一層興味を持つてゐるのは支那動亂の電報である。ついで面白いのが社會欄、一番熱心に讀まないところは相場記事だが、ちよつと見ることもないではない。講談は時々、ほゞ五囘おきぐらゐに讀む。
散步・旅行――その他
步くことを目的にして步くことはない。若しさう云ふ純粹な散步をするとすれば、一年に一度位であらう。旅行は一年一度、春或は秋に試みる。さうして海よりも山を好む。僕は旅へ出ると長つ尻になる。いつも旅館の宿帳には「大阪每日新聞社員」と書く。
服裝――その他身の𢌞りの事
洋服も和服も、いづれも似たやうなものだ。他處へ行つて疊へ上る時には和服がいいし、靴を脫がなくとも差支へなければ洋服もいい。僕の所持するものは、黑の背廣に縞のズボン、夏冬ともこれ一着。風呂は家でたてる。大槪二三日おき。髮を刈るのは非常に不精で、まづ三月に一度位。顏は時々自分であたる。その剃刀は安全剃刀。
食 事
食事は大體時間的にしてゐる。朝は、オートミルに牛乳に玉子。一體小食で、晝も晩も飯は二杯である。
酒・煙草――その他の嗜好
料理は、洋食支那料理いづれも喰べることは喰べるが(但、關西の不味い洋食は例外)好みは日本料理を第一とする。兎に角、殊更惡食はしないが、大槪のものは敢て却けない。然したつた一つ、どうにも厭なのは蠶豆である。酒は飮まない。尤も、何かの場合に、盃一杯か二杯はやらないこともないが。一番うまいと思ふのは白葡萄酒。茶は隨分飮む。机の側の火鉢に始終鐵瓶をかけて置くが、この鐵瓶の湯を日に三度はからにする。それほど茶好きだ。茶は煎茶を用ゐてゐる。珈琲紅茶折々飮む。然し、夜は眠れぬことを恐れて、紅茶は決して飮まない。果物は可なり好きだが、それも酸味のないものがいい。例へば、柿、乾葡萄、龍眼肉、バナナなど。殊に無花果はこれ等好物の隨一である。それとは反對に、酸味をもつものは嫌ひで、特に蜜柑などその筆頭である。これは胃酸過多の爲めだと思ふ。菓子はそれに使ふ砂糖の優劣によつて胃に良し惡しである。「和三」もの或は「大島」ものを用ゐた菓子は胃に惡くない。近頃、渡邊町の「ちもと」の菓子を賞美してゐるのは、近いからでもあるが、又、その材料の砂糖を信用してゐるからでもある。唯、僕は干菓子であらうと、蒸菓子であらうと、西洋流に、食事の際喰べる。間食は一切しない。一日の喫煙量は、平均バット二つと敷島二つであるが、一番多量に喫むのは、執筆中か客と應對する時だ。故に、面會日の日曜の喫煙量が最高である。煙草の種類は多ければ多いほどよく、一つものだと馴れてうまくない。輸入煙草では、細いサルタナアを望み、ABCのやうな太い金口は大嫌ひである。
その他の趣味
書畫骨董は非常に好きだ。金さへあれば東西古今を通じて、求めたいものが澤山ある。音樂も亦、悅んで聽く。然し、この頃は怠つてゐる。學生時代には、音樂學校の演奏會通ひに熱中したものだが。芝居はこの頃、見るなら飜譯劇を望む。新作物なら友人のものを見る位である。寄席へは殆んどいかない。活動寫眞を見に行くのは間歇的である。つまり見たい慾望が内訌しなければ、どんなに評判の高いものでも出掛けて行く氣になれない。
草花・動物――その他
草花は萩、女郞花、芙蓉など、日本風のものを好むが盆栽は大嫌ひである。犬は嫌ひだ。犬も以前二匹飼つたこともあるが、今でも家で飼ふことは構はないと思ふが、餘所の飼犬は、どうも怖くて嫌ひである。この頃も犬の爲めに惜しいリボンを失つた。と云ふのは、この夏輕井澤で新たに得た鍔廣の帽子をかぶつて、久保田万太郞君を訪ねようとすると、ちやうど久保田君の家の前で、犬が二匹、僕に吠えたついた。犬の目が帽子にそゝがれてゐると思つたので小脇にかかえへると、その拍子にリボンが路傍に落ちて了つた。拾はうと思つても、二匹の犬は頑として立去らずにゐるので、どうも怖くて拾へないで、甚だ殘念だつたが、その儘久保田君の家へ入つた。歸りに見ると、リボンは、犬が咥(くは)へていつたらしく、到頭見當らなかつたのである。
餘 技
餘技は發句の外には何にもない。勝負事はどうもやる氣が起らない。人は、負けるのが厭だからなのだらうと云ふが、自分は、必ずしもさうとは思つてゐない。
書 齋
書齋の光線などにはこだはらない。インキありペンあり、原稿紙あり、さうして明窓淨机ならば結構である。
執筆の實際
創作を書き出す前は、甚だ愉快ではない。便祕してゐる樣な不快さである。書いて行くうちに行き詰れば、そこで一先づやめる。そのままその作を抛り出してしまふこともある。然し、いつか又、それを必ず書き上げる。騷々しいのが、何よりいやだ。子供などが騷ぐと、怒鳴りつける。それから、家のものに話し掛けられて、返辭を要求されるのもいやだ。一年ぢうでは、冬から春へかけての季節が、僕の創作氣分に、一番適つてゐる。一日ぢうでは、午前が、最もいい。然し、夜も書く。
原稿用紙――その他
原稿用紙は本鄕松屋製の半ペラ靑罫のもの。半ペラを用ひるのは、書損なひが多い爲めである。萬年筆は嫌ひで、普通の金ペン(G)を使つてゐる。毛筆で手紙など書くことも稀にある。
子供の事
子供には此方の都合のいい限りの放任主義をとる。