やぶちゃんの電子テクスト:小說・随筆篇へ
鬼火へ
ブログコメントへ


玄鶴山房   芥川龍之介

[やぶちゃん注:昭和二(一九二七)一月一日発行の雑誌『中央公論』に「一」「二」が掲載され、同年二月一日の同誌には「一」「二」も再錄して全篇(全六章)が掲載された。底本は岩波版旧全集を用いた。なお、原文の傍点「丶」は下線とした。最後に、岩波版新全集の草稿を附したが、恣意的に正字に代えた。]

 

玄鶴山房

 

   

 

 ………それは小ぢんまりと出來上つた、奧床しい門構への家だつた。尤もこの界隈にはかう云ふ家も珍しくはなかつた。が、「玄鶴山房」の額や塀越しに見える庭木などはどの家よりも數奇を凝らしてゐた。

 この家の主人、堀越玄鶴は畫家としても多少は知られてゐた。しかし資產を作つたのはゴム印の特許を受けた爲だつた。或はゴム印の特許を受けてから地所の賣買をした爲だつた。現に彼が持つてゐた郊外の或地面などは生姜さへ碌に出來ないらしかつた。けれども今はもう赤瓦の家や靑瓦の家の立ち並んだ所謂「文化村」に變つてゐた。………

 しかし「玄鶴山房」は兎に角小ぢんまりと出來上つた、奧床しい門構への家だつた。殊に近頃は見越しの松に雪よけの繩がかかつたり、玄關の前に敷いた枯れ松葉に藪柑子の實が赤らんだり、一層風流に見えるのだつた。のみならずこの家のある橫町も殆ど人通りと云ふものはなかつた。豆腐屋さへそこを通る時には荷を大通りへおろしたなり、喇叭を吹いて通るだけだつた。

 「玄鶴山房――玄鶴と云ふのは何だらう?」

 たまたまこの家の前を通りかかつた、髮の毛の長い畫學生は細長い繪の具箱を小脇にしたまま、同じ金鈕の制服を着たもう一人の畫學生にかう言つたりした。

 「何だかな、まさか嚴格と云ふ洒落でもあるまい。」

 彼等は二人とも笑ひながら、氣輕にこの家の前を通つて行つた。そのあとには唯凍て切つた道に彼等のどちらかが捨てて行つた「ゴルデン・バツト」の吸ひ殼が一本、かすかに靑い一すぢの煙を細ぼそと立ててゐるばかりだつた。………

 

   

 

 重吉は玄鶴の婿になる前から或銀行へ勤めてゐた。從つて家に歸つて來るのはいつも電燈のともる頃だつた。彼はこの數日以來、門の内へはひるが早いか、忽ち妙な臭氣を感じた。それは老人には珍しい肺結核の床に就いてゐる玄鶴の息の匂だつた。が、勿論家の外にはそんな匂の出る筈はなかつた。冬の外套の腋の下に折鞄を抱へた重吉は玄關前の踏み石を步きながら、かういふ彼の神經を怪まない訣には行かなかつた。

 玄鶴は「離れ」に床をとり、橫になつてゐない時には夜着の山によりかかつてゐた。重吉は外套や帽子をとると、必ずこの「離れ」へ顏を出し、「唯今」とか「けふは如何ですか」とか言葉をかけるのを常としてゐた。しかし「離れ」の閾の内へは滅多に足も入れたことはなかつた。それは舅の肺結核に感染するのを怖れる爲でもあり、又一つには息の匂を不快に思ふ爲でもあつた。玄鶴は彼の顏を見る度にいつも唯「ああ」とか「お歸り」とか答へた。その聲は又力の無い、聲よりも息に近いものだつた。重吉は舅にかう言はれると、時々彼の不人情に後ろめたい思ひもしない訣ではなかつた。けれども「離れ」へはひることはどうも彼には無氣味だつた。

 それから重吉は茶の間の鄰りにやはり床に就いてゐる姑のお鳥を見舞ふのだつた。お鳥は玄鶴の寢こまない前から、――七八年前から腰拔けになり、便所へも通へない體になつてゐた。玄鶴が彼女を貰つたのは彼女が或大藩の家老の娘と云ふ外にも器量望みからだと云ふことだつた。彼女はそれだけに年をとつても、どこか目などは美しかつた。しかしこれも床の上に坐り、丹念に白足袋などを繕つてゐるのは餘りミイラと變らなかつた。重吉はやはり彼女にも「お母さん、けふはどうですか?」と云ふ、手短な一語を殘したまま、六疊の茶の間へはひるのだつた。

 妻のお鈴は茶の間にゐなければ、信州生まれの女中のお松と狹い臺所に働いてゐた。小綺麗に片づいた茶の間は勿論、文化竈を据ゑた臺所さへ舅や姑の居間よりも遙かに重吉には親しかつた。彼は一時は知事などにもなつた或政治家の次男だつた。が、豪傑肌の父親よりも昔の女流歌人だつた母親に近い秀才だつた。それは又彼の人懷こい目や細つそりした顋にも明らかだつた。重吉はこの茶の間へはひると、洋服を和服に着換へた上、樂々と長火鉢の前に坐り、安い葉卷を吹かしたり、今年やつと小學校にはひつた一人息子の武夫をからかつたりした。

 重吉はいつもお鈴や武夫とチヤブ臺を圍んで食事をした。彼等の食事は賑かだつた。が、近頃は「賑か」と云つても、どこか又窮屈にも違ひなかつた。それは唯玄鶴につき添ふ甲野と云ふ看護婦の來てゐる爲だつた。尤も武夫は「甲野さん」がゐても、ふざけるのに少しも變らなかつた。いや、或は「甲野さん」がゐる爲に餘計ふざける位だつた。お鈴は時々眉をひそめ、かう云ふ武夫を睨んだりした。しかし武夫はきよとんとしたまま、わざと大仰に茶碗の飯を搔きこんで見せたりするだけだつた。重吉は小說などを讀んでゐるだけに武夫のはしやぐのにも「男」を感じ、不快になることもないではなかつた。が、大抵は微笑したぎり、默つて飯を食つてゐるのだつた。

 「玄鶴山房」の夜は靜かだつた。朝早く家を出る武夫は勿論、重吉夫婦も大抵は十時には床に就くことにしてゐた。その後でもまだ起きてゐるのは九時前後から夜伽をする看護婦の甲野ばかりだつた。甲野は玄鶴の枕もとに赤あかと火の起つた火鉢を抱へ、居睡りもせずに坐つてゐた。玄鶴は、――玄鶴も時々は目を醒ましてゐた。が、湯たんぽが冷えたとか、濕布が乾いたとか云ふ以外に殆ど口を利いたことはなかつた。かう云ふ「離れ」にも聞えて來るものは植ゑ込みの竹の戰ぎだけだつた。甲野は薄ら寒い靜かさの中にぢつと玄鶴を見守つたまま、いろいろのことを考へてゐた。この一家の人々の心もちや彼女自身の行く末などを。………

 

   

 

 或雪の晴れ上つた午後、二十四五の女が一人、か細い男の子の手を引いたまま、引き窓越しに靑空の見える堀越家の臺所へ顏を出した。重吉は勿論家にゐなかつた。丁度ミシンをかけてゐたお鈴は多少豫期はしてゐたものの、ちよつと當惑に近いものを感じた。しかし兎に角この客を迎へに長火鉢の前を立つて行つた。客は臺所へ上つた後、彼女自身の履き物や男の子の靴を揃へ直した。(男の子は白いスウエエタアを着てゐた。)彼女がひけ目を感じてゐることはかう云ふ所作だけにも明らかだつた。が、それも無理はなかつた。彼女はこの五六年以來、東京の或近在に玄鶴が公然と圍つて置いた女中上りのお芳だつた。

 お鈴はお芳の顏を見た時、存外彼女が老(ふ)けたことを感じた。しかもそれは顏ばかりではなかつた。お芳は四五年以前には圓まると肥つた手をしてゐた。が、年は彼女の手さへ靜脈の見えるほど細らせてゐた。それから彼女が身につけたものも、――お鈴は彼女の安ものの指環に何か世帶じみた寂しさを感じた。

 「これは兄が檀那樣に差し上げてくれと申しましたから。」

  お芳は愈氣後れのしたやうに古い新聞紙の包みを一つ、茶の間へ膝を入れる前にそつと臺所の隅へ出した。折から洗ひものをしてゐたお松はせつせと手を動かしながら、水々しい銀杏返しに結つたお芳を時々尻目に窺つたりしてゐた。が、この新聞紙の包みを見ると、更に惡意のある表情をした。それは又實際文化竈や華奢な皿小鉢と調和しない惡臭を放つてゐるのに違ひなかつた。お芳はお松を見なかつたものの、少くともお鈴の顏色に妙なけはひを感じたと見え、「これは、あの、大蒜(にんにく)でございます」と說明した。それから指を嚙んでゐた子供に「さあ、坊ちやん、お時宜なさい」と聲をかけた。男の子は勿論玄鶴がお芳に生ませた文太郞だつた。その子供をお芳が「坊ちやん」と呼ぶのはお鈴には如何にも氣の毒だつた。けれども彼女の常識はすぐにそれもかう云ふ女には仕かたがないことと思ひ返した。お鈴はさりげない顏をしたまま、茶の間の隅に坐つた親子に有り合せの菓子や茶などをすすめ、玄鶴の容態を話したり、文太郞の機嫌をとつたりし出した。………

 玄鶴はお芳を圍ひ出した後、省線電車の乘り換へも苦にせず、一週間に一二度づつは必ず妾宅へ通つて行つた。お鈴はかう云ふ父の氣もちに始めのうちは嫌惡を感じてゐた。「ちつとはお母さんの手前も考へれば善いのに、」――そんなことも度たび考へたりした。尤もお鳥は何ごとも詮め切つてゐるらしかつた。しかしお鈴はそれだけ一層母を氣の毒に思ひ、父が妾宅へ出かけた後でも母には「けふは詩の會ですつて」などと白々しい譃をついたりしてゐた。その譃が役に立たないことは彼女自身も知らないのではなかつた。が、時々母の顏に冷笑に近い表情を見ると、譃をついたことを後悔する、――と云ふよりも寧ろ彼女の心も汲み分けてくれない腰ぬけの母に何か情無さを感じ勝ちだつた。

 お鈴は父を送り出した後、一家のことを考へる爲にミシンの手をやめるのも度たびだつた。玄鶴はお芳を圍ひ出さない前にも彼女には「立派なお父さん」ではなかつた。しかし勿論そんなことは氣の優しい彼女にはどちらでも善かつた。唯彼女に氣がかりだつたのは父が書畫骨董までもずんずん妾宅へ運ぶことだつた。お鈴はお芳が女中だつた時から、彼女を惡人と思つたことはなかつた。いや、寧ろ人並みよりも内氣な女と思つてゐた。が、東京の或る場末に肴屋をしてゐるお芳の兄は何をたくらんでゐるかわからなかつた。實際又彼は彼女の目には妙に惡賢い男らしかつた。お鈴は時々重吉をつかまへ、彼女の心配を打ち明けたりした。けれども彼は取り合はなかつた。「僕からお父さんに言ふ訣には行かない。」――お鈴は彼にかう言はれて見ると、默つてしまふより外はなかつた。

 「まさかお父さんも羅兩峯の畫がお芳にわかるとも思つていないんでせうが。」

 重吉も時たまお鳥にはそれとなしにこんなことも話したりしてゐた。が、お鳥は重吉を見上げ、いつも唯苦笑してかう言ふのだつた。

 「あれがお父さんの性分なのさ。何しろお父さんはあたしにさへ『この硯はどうだ?』などと言ふ人なんだからね。」

 しかしそんなことも今になつて見れば、誰にも莫迦々々しい心配だつた。玄鶴は今年の冬以來、どつと病の重つた爲に妾宅通ひも出來なくなると、重吉が持ち出した手切れ話に(尤もその話の條件などは事實上彼よりもお鳥やお鈴が拵へたと言ふのに近いものだつた。)存外素直に承諾した。それは又お鈴が恐れてゐたお芳の兄も同じことだつた。お芳は千圓の手切れ金を貰ひ、上總の或海岸にある兩親の家へ歸つた上、月々文太郞の養育料として若干の金を送つて貰ふ、――彼はかう云ふ條件に少しも異存を唱へなかつた。のみならず妾宅に置いてあつた玄鶴の祕藏の煎茶道具なども催促されぬうちに運んで來た。お鈴は前に疑つてゐただけに一層彼に好意を感じた。

 「就きましては妹のやつが若しお手でも足りませんやうなら、御看病に上りたいと申してをりますんですが。」

 お鈴はこの賴みに應じる前に腰ぬけの母に相談した。それは彼女の失策と云つても差し支へないものに違ひなかつた。お鳥は彼女の相談を受けると、あしたにもお芳に文太郞をつれて來て貰ふやうに勸め出した。お鈴は母の氣もちの外にも一家の空氣の擾されるのを惧れ、何度も母に考へ直させようとした。(その癖又一面には父の玄鶴とお芳の兄との中間(ちうかん)に立つてゐる關係上、いつか素氣なく先方の賴みを斷れない氣もちにも落ちこんでゐた。)が、お鳥は彼女の言葉をどうしても素直には取り上げなかつた。

 「これがまだあたしの耳へはいらない前ならば格別だけれども――お芳の手前も羞しいやね。」

 お鈴はやむを得ずお芳の兄にお芳の來ることを承諾した。それも亦或は世間を知らない彼女の失策だつたかも知れなかつた。現に重吉は銀行から歸り、お鈴にこの話を聞いた時、女のやうに優しい眉の間にちよつと不快らしい表情を示した。「そりや人手が殖えることは難有いにも違ひないがね。………お父さんにも一應話して見れば善いのに。お父さんから斷るのならばお前にも責任のない訣なんだから。」――そんなことも口に出して言つたりした。お鈴はいつになく鬱ぎこんだまま、「さうだつたわね」などと返事をしてゐた。しかし玄鶴に相談することは、――お芳に勿論未練のある瀕死の父に相談することは彼女には今になつて見ても出來ない相談に違ひなかつた。

 ………お鈴はお芳親子を相手にしながら、かう云ふ曲折を思ひ出したりした。お芳は長火鉢に手もかざさず、途絕え勝ちに彼女の兄のことや文太郞のことを話してゐた。彼女の言葉は四五年前のやうに「それは」を S-rya と發音する田舍訛りを改めなかつた。お鈴はこの田舍訛りにいつか彼女の心もちも或氣安さを持ち出したのを感じた。同時に又襖一重向うに咳一つしずにゐる母のお鳥に何か漠然とした不安も感じた。

 「ぢや一週間位はゐてくれられるの?」

 「はい、こちら樣さへお差支へございませんければ。」

 「でも着換え位なくつちやいけなかないの?」

 「それは兄が夜分にでも屆けると申してをりましたから。」

 お芳はかう答へながら、退屈らしい文太郞に懷のキヤラメルを出してやつたりした。

 「ぢやお父さんにさう言つて來ませう。お父さんもすつかり弱つてしまつてね。障子の方へ向つてゐる耳だけ霜燒けが出來たりしてゐるのよ。」

 お鈴は長火鉢の前を離れる前に何となしに鐵瓶をかけ直した。

 「お母さん。」

 お鳥は何か返事をした。それはやつと彼女の聲に目を醒ましたらしい粘り聲だつた。

 「お母さん。お芳さんが見えましたよ。」

 お鈴はほつとした氣もちになり、お芳の顏を見ないやうに早速長火鉢の前を立ち上つた。それから次の間を通りしなにもう一度「お芳さんが」と聲をかけた。お鳥は橫になつたまま、夜着の襟に口もとを埋めてゐた。が、彼女を見上げると、目だけに微笑に近いものを浮かべ、「おや、まあ、よく早く」と返事をした。お鈴ははつきりと彼女の背中にお芳の來ることを感じながら、雪のある庭に向つた廊下をそはそは「離れ」へ急いで行つた。

 「離れ」は明るい廊下から突然はひつて來たお鈴の目には實際以上に薄暗かつた。玄鶴は丁度起き直つたまま、甲野に新聞を讀ませてゐた。が、お鈴の顏を見ると、いきなり「お芳か?」と聲をかけた。それは妙に切迫した、詰問に近い嗄れ聲だつた。お鈴は襖側に佇んだなり、反射的に「ええ」と返事をした。それから、――誰も口を利かなかつた。

 「すぐにここへよこしますから。」

 「うん。………お芳一人かい?」

 「いいえ。………」

 玄鶴は默つて頷いてゐた。

 「ぢや甲野さん、ちよつとこちらへ。」

 お鈴は甲野よりも一足先に小走りに廊下を急いで行つた。丁度雪の殘つた棕櫚の葉の上には鶺鴒が一羽尾を振つてゐた。しかし彼女はそんなことよりも病人臭い「離れ」の中から何か氣味の惡いものがついて來るやうに感じてならなかつた。

 

   

 

 お芳が泊りこむやうになつてから、一家の空氣は目に見えて險惡になるばかりだつた。それはまず武夫が文太郞をいぢめることから始まつてゐた。文太郞は父の玄鶴よりも母のお芳に似た子供だつた。しかも氣の弱い所まで母のお芳に似た子供だつた。お鈴も勿論かう云ふ子供に同情しない訣ではないらしかつた。が時々は文太郞を意氣地なしと思ふこともあるらしかつた。

 看護婦の甲野は職業がら、冷やかにこのありふれた家庭的悲劇を眺めてゐた、――と云ふよりも寧ろ享樂してゐた。彼女の過去は暗いものだつた。彼女は病家の主人だの病院の醫者だのとの關係上、何度一塊の靑酸加里を嚥まうとしたことだか知れなかつた。この過去はいつか彼女の心に他人の苦痛を享樂する病的な興味を植ゑつけてゐた。彼女は堀越家へはひつて來た時、腰ぬけのお鳥が便をする度に手を洗わないのを發見した。「この家のお嫁さんは氣が利いてゐる。あたしたちにも氣づかないやうに水を持つて行つてやるやうだから。」――そんなことも一時は疑深い彼女の心に影を落した。が、四五日ゐるうちにそれは全然お孃樣育ちのお鈴の手落ちだつたのを發見した。彼女はこの發見に何か滿足に近いものを感じ、お鳥の便をする度に洗面器の水を運んでやつた。

 「甲野さん、あなたのおかげさまで人間並みに手が洗へます。」

 お鳥は手を合せて淚をこぼした。甲野はお鳥の喜びには少しも心を動かさなかつた。しかしそれ以來三度に一度は水を持つて行かなければならぬお鈴を見ることは愉快だつた。從つてかう云ふ彼女には子供たちの喧譁も不快ではなかつた。彼女は玄鶴にはお芳親子に同情のあるらしい素振りを示した。同時に又お鳥にはお芳親子に惡意のあるらしい素振りを示した。それはたとひ徐ろにもせよ、確實に效果を與へるものだつた。

 お芳が泊つてから一週間ほどの後、武夫は又文太郞と喧譁をした。喧譁は唯豚の尻つ尾は柿の蔕に似てゐるとか似ていないとか云ふことから始まつてゐた。武夫は彼の勉强部屋の隅に、――玄關の鄰の四疊半の隅にか細い文太郞を押しつけた上、さんざん打つたり蹴つたりした。そこへ丁度來合せたお芳は泣き聲も出ない文太郞を抱き上げ、かう武夫をたしなめにかかつた。

 「坊ちやん、弱いものいじめをなすつてはいけません。」

 それは内氣な彼女には珍らしい棘(とげ)のある言葉だつた。武夫はお芳の權幕に驚き、今度は彼自身泣きながら、お鈴のゐる茶の間へ逃げこもつた。するとお鈴もかつとしたと見え、手ミシンの仕事をやりかけたまま、お芳親子のゐる所へ無理八理に武夫を引きずつて行つた。

 「お前が一體我儘なんです。さあ、お芳さんにおあやまりなさい、ちやんと手をついておあやまりなさい。」

 お芳はかう云ふお鈴の前に文太郞と一しよに淚を流し、平あやまりにあやまる外はなかつた。その又仲裁役を勤めるものは必ず看護婦の甲野だつた。甲野は顏を赤めたお鈴を一生懸命に押し戻しながら、いつももう一人の人間の、――ぢつとこの騷ぎを聞いてゐる玄鶴の心もちを想像し、内心には冷笑を浮かべてゐた。が、勿論そんな素ぶりは決して顏色にも見せたことはなかつた。

 けれども一家を不安にしたものは必しも子供の喧譁ばかりではなかつた。お芳は又いつの間にか何ごともあきらめ切つたらしいお鳥の嫉妬を煽つてゐた。尤もお鳥はお芳自身には一度も怨みなどを言つたことはなかつた。(これは又五六年前、お芳がまだ女中部屋に寢起きしてゐた頃も同じだつた。)が、全然關係のない重吉に何かと當り勝ちだつた。重吉は勿論とり合わなかつた。お鈴はそれを氣の毒に思ひ、時々母の代りに詫びたりした。しかし彼は苦笑したぎり、「お前までヒステリイになつては困る」と話を反らせるのを常としてゐた。

 甲野はお鳥の嫉妬にもやはり興味を感じてゐた。お鳥の嫉妬それ自身は勿論、彼女が重吉に當る氣もちも甲野にははつきりとわかつてゐた。のみならず彼女はいつの間にか彼女自身も重吉夫婦に嫉妬に近いものを感じてゐた。お鈴は彼女には「お孃樣」だつた。重吉も――重吉は兎に角世間並みに出來上つた男に違ひなかつた。が、彼女の輕蔑する一匹の雄(おす)にも違ひなかつた。かう云ふ彼等の幸福は彼女には殆ど不正だつた。彼女はこの不正を矯める爲に(!)重吉に馴れ馴れしい素振りを示した。それは或は重吉には何ともないものかも知れなかつた。けれどもお鳥を苛立たせるには絕好の機會を與へるものだつた。お鳥は膝頭も露わにしたまま、「重吉、お前はあたしの娘では――腰ぬけの娘では不足なのかい?」と毒々しい口をきいたりした。

 しかしお鈴だけはその爲に重吉を疑つたりはしないらしかつた。いや、實際甲野にも氣の毒に思つてゐるらしかつた。甲野はそこに不滿を持つたばかりか、今更のやうに人の善いお鈴を輕蔑せずにはいられなかつた。が、いつか重吉が彼女を避け出したのは愉快だつた。のみならず彼女を避けてゐるうちに反て彼女に男らしい好奇心を持ち出したのは愉快だつた。彼は前には甲野がゐる時でも、臺所の側の風呂へはひる爲に裸になることをかまはなかつた。けれども近頃ではそんな姿を一度も甲野に見せないやうになつた。それは彼が羽根を拔いた雄鷄に近い彼の體を羞じてゐる爲に違ひなかつた。甲野はかう云ふ彼を見ながら、(彼の顏も亦雀斑だらけだつた。)一體彼はお鈴以外の誰に惚れられるつもりだろうなどと私かに彼を嘲つたりしてゐた。

 或霜曇りに曇つた朝、甲野は彼女の部屋になつた玄關の三疊に鏡を据ゑ、いつも彼女が結びつけたオオル・バックに髮を結びかけてゐた。それは丁度愈お芳が田舍へ歸らうと言ふ前日だつた。お芳がこの家を去ることは重吉夫婦には嬉しいらしかつた。が、反つてお鳥には一層苛立たしさを與へるらしかつた。甲野は髮を結びながら、甲高(かんだか)いお鳥の聲を聞き、いつか彼女の友だちが話した或女のことを思ひ出した。彼女はパリに住んでゐるうちにだんだん烈しい懷鄕病に落ちこみ、夫の友だちが歸朝するのを幸ひ、一しよに船へ乘りこむことにした。長い航海も彼女には存外苦痛ではないらしかつた。しかし彼女は紀州沖へかかると、急になぜか興奮しはじめ、とうとう海へ身を投げてしまつた。日本へ近づけば近づくほど、懷鄕病も逆に昂(たか)ぶつて來る、――甲野は靜かに油つ手を拭き、腰ぬけのお鳥の嫉妬は勿論、彼女自身の嫉妬にもやはりかう云ふ神祕な力が働いてゐることを考へたりしてゐた。

 「まあ、お母さん、どうしたんです? こんな所まで這ひ出して來て。お母さんつたら。――甲野さん、ちよつと來て下さい。」

 お鈴の聲は「離れ」に近い縁側から響いて來るらしかつた。甲野はこの聲を聞いた時、澄み渡つた鏡に向つたまま、始めてにやりと冷笑を洩らした。それからさも驚いたやうに「はい唯今」と返事をした。

 

   

 

 玄鶴はだんだん衰弱して行つた。彼の永年の病苦は勿論、彼の背中から腰へかけた床ずれの痛みも烈しかつた。彼は時々唸り聲を擧げ、僅かに苦しみを紛らせてゐた。しかし彼を惱ませたものは必しも肉體的苦痛ばかりではなかつた。彼はお芳の泊つてゐる間は多少の慰めを受けた代りにお鳥の嫉妬や子供たちの喧譁にしつきりない苦しみを感じてゐた。けれどもそれはまだ善かつた。玄鶴はお芳の去つた後は恐しい孤獨を感じた上、長い彼の一生と向ひ合はない訣には行かなかつた。

 玄鶴の一生はかう云ふ彼には如何にも淺ましい一生だつた。成程ゴム印の特許を受けた當座は比較的彼の一生でも明るい時代には違ひなかつた。しかしそこにも儕輩の嫉妬や彼の利益を失ふまいとする彼自身の焦燥の念は絕えず彼を苦しめてゐた。ましてお芳を圍ひ出した後は、――彼は家庭のいざこざの外にも彼等の知らない金の工面にいつも重荷を背負ひつづけだつた。しかも更に淺ましいことには年の若いお芳に惹かれてゐたものの、少くともこの一二年は何度内心にお芳親子を死んでしまへと思つたか知れなかつた。

 「淺ましい?――しかしそれも考へて見れば、格別わしだけに限つたことではない。」

 彼は夜などはかう考へ、彼の親戚や知人のことを一々細かに思ひ出したりした。彼の婿の父親は唯「憲政を擁護する爲に」彼よりも腕の利かない敵を何人も社會的に殺してゐた。それから彼に一番親しい或年輩の骨董屋は先妻の娘に通じてゐた。それから或辨護士は供託金を費消してゐた。それから或篆刻家は、――しかし彼等の犯した罪は不思議にも彼の苦しみには何の變化も與へなかつた。のみならず逆に生そのものにも暗い影を擴げるばかりだつた。

 「何、この苦しみも長いことはない。お目出度くなつてしまひさへすれば………」

 これは玄鶴にも殘つてゐたたつた一つの慰めだつた。彼は心身に食ひこんで來るいろいろの苦しみを紛らす爲に樂しい記憶を思ひ起さうとした。けれども彼の一生は前にも言つたやうに淺ましかつた。若しそこに少しでも明るい一面があるとすれば、それは唯何も知らない幼年時代の記憶だけだつた。彼は度たび夢うつつの間に彼の兩親の住んでゐた信州の或山峽の村を、――殊に石を置いた板葺き屋根や蠶臭い桑ボヤを思ひ出した。が、その記憶もつづかなかつた。彼は時々唸り聲の間に觀音經を唱へて見たり、昔のはやり歌をうたつて見たりした。しかも「妙音觀世音、梵音海潮音、勝彼世間音」を唱へた後、「かつぽれ、かつぽれ」をうたふことは滑稽にも彼には勿體ない氣がした。

 「寢るが極樂。寢るが極樂………」

 玄鶴は何も彼も忘れる爲に唯ぐつすり眠りたかつた。實際又甲野は彼の爲に催眠藥を與へる外にもヘロインなどを注射してゐた。けれども彼には眠りさへいつも安らかには限らなかつた。彼は時々夢の中にお芳や文太郞に出合つたりした。それは彼には、――夢の中の彼には明るい心もちのするものだつた。(彼は或夜の夢の中にはまだ新しい花札の「櫻の二十」と話してゐた。しかもその又「櫻の二十」は四五年前のお芳の顏をしてゐた。)しかしそれだけに目の醒めた後は一層彼を見じめにした。玄鶴はいつか眠ることにも恐怖に近い不安を感ずるやうになつた。

 大晦日もそろそろ近づいた或午後、玄鶴は仰向けに橫たはつたなり、枕もとの甲野へ聲をかけた。

 「甲野さん、わしはな、久しく褌をしめたことがないから、晒し木綿を六尺買はせて下さい。」

 晒し木綿を手に入れることはわざわざ近所の呉服屋へお松を買ひにやるまでもなかつた。

 「しめるのはわしが自分でしめます。ここへ疊んで置いて行つて下さい。」

 玄鶴はこの褌を便りに、――この褌に縊れ死ぬことを便りにやつと短い半日を暮した。しかし床の上に起き直ることさへ人手を借りなければならぬ彼には容易にその機會も得られなかつた。のみならず死はいざとなつて見ると、玄鶴にもやはり恐しかつた。彼は薄暗い電燈の光に黃檗の一行ものを眺めたまま、未だ生を貪らずにはゐられぬ彼自身を嘲つたりした。

 「甲野さん、ちよつと起して下さい。」

 それはもう夜の十時頃だつた。

 「わしはな、これからひと眠りします。あなたも御遠慮なくお休みなすつて下さい。」

 甲野は妙に玄鶴を見つめ、かう素つ氣ない返事をした。

 「いえ、わたくしは起きております。これがわたくしの勤めでございますから。」

 玄鶴は彼の計畫も甲野の爲に看破られたのを感じた。が、ちよつと頷いたぎり、何も言はずに狸寢入りをした。甲野は彼の枕もとに婦人雜誌の新年號をひろげ、何か讀み耽けつてゐるらしかつた。玄鶴はやはり蒲團の側の褌のことを考へながら、薄目(うすめ)に甲野を見守つてゐた。すると――急に可笑しさを感じた。

 「甲野さん。」

 甲野も玄鶴の顏を見た時はさすがにぎよつとしたらしかつた。玄鶴は夜着によりかかつたまま、いつかとめどなしに笑つてゐた。

 「なんでございます?」

 「いや、何でもない。何にも可笑しいことはありません。――」

 玄鶴はまだ笑ひながら、細い右手を振つて見せたりした。

 「今度は………なぜかかう可笑しゆうなつてな。………今度はどうか橫にして下さい。」

 一時間ばかりたつた後、玄鶴はいつか眠つてゐた。その晩は夢も恐しかつた。彼は樹木の茂つた中に立ち、腰の高い障子の𨻶から茶室めいた部屋を覗いてゐた。そこには又まる裸の子供が一人、こちらへ顏を向けて橫になつてゐた。それは子供とは云ふものの、老人のやうに皺くちやだつた。玄鶴は聲を擧げようとし、寢汗だらけになつて目を醒ました。…………

 「離れ」には誰も來ていなかつた。のみならずまだ薄暗かつた。まだ?――しかし玄鶴は置き時計を見、彼是正午に近いことを知つた。彼の心は一瞬間、ほつとしただけに明るかつた。けれども又いつものやうに忽ち陰欝になつて行つた。彼は仰向けになつたまま、彼自身の呼吸を數へてゐた。それは丁度何ものかに「今だぞ」とせかれてゐる氣もちだつた。玄鶴はそつと褌を引き寄せ、彼の頭に卷きつけると、兩手にぐつと引つぱるやうにした。

 そこへ丁度顏を出したのはまるまると着膨(きぶく)れた武夫だつた。

 「やあ、お爺さんがあんなことをしてゐらあ。」

 武夫はかう囃しながら、一散に茶の間へ走つて行つた。

 

   

 

 一週間ばかりたつた後、玄鶴は家族たちに圍まれたまま、肺結核の爲に絕命した。彼の告別式は盛大(!)だつた。(唯、腰ぬけのお鳥だけはその式にも出る訣に行かなかつた。)彼の家に集まつた人々は重吉夫婦に悔みを述べた上、白い綸子に蔽はれた彼の柩の前に燒香した。が、門を出る時には大抵彼のことを忘れてゐた。尤も彼の故朋輩だけは例外だつたのに違ひなかつた。「あの爺さんも本望だつたらう。若い妾も持つてゐれば、小金もためてゐたんだから。」――彼等は誰も同じやうにこんなことばかり話し合つてゐた。

 彼の柩をのせた葬用馬車は一輛の馬車を從へたまま、日の光も落ちない師走の町を或火葬場へ走つて行つた。薄汚い後の馬車に乘つてゐるのは重吉や彼の從弟だつた。彼の從弟の大學生は馬車の動搖を氣にしながら、重吉と餘り話もせずに小型の本に讀み耽つてゐた。それは Liebknecht の追憶錄の英譯本だつた。が、重吉は通夜疲れの爲にうとうと居睡りをしていなければ、窓の外の新開町を眺め、「この邊もすつかり變つたな」などと氣のない獨り語を洩らしてゐた。

 二輛の馬車は霜どけの道をやつと火葬場へ辿り着いた。しかし豫め電話をかけて打ち合せて置いたのにも關らず、一等の竈は滿員になり、二等だけ殘つてゐると云ふことだつた。それは彼等にはどちらでも善かつた。が、重吉は舅よりも寧ろお鈴の思惑を考へ、半月形の窓越しに熱心に事務員と交渉した。

 「實は手遲れになつた病人だしするから、せめて火葬にする時だけは一等にしたいと思ふんですがね。」――そんな譃もついて見たりした。それは彼の豫期したよりも效果の多い譃らしかつた。

 「ではかうしませう。一等はもう滿員ですから、特別に一等の料金で特等で燒いて上げることにしませう。」

 重吉は幾分か間の惡さを感じ、何度も事務員に禮を言つた。事務員は眞鍮の眼鏡をかけた好人物らしい老人だつた。

 「いえ、何、お禮には及びません。」

 彼等は竈に封印した後、薄汚い馬車に乘つて火葬場の門を出ようとした。すると意外にもお芳が一人、煉瓦塀の前に佇んだまま、彼等の馬車に目禮してゐた。重吉はちよつと狼狽し、彼の帽を上げようとした。しかし彼等を乘せた馬車はその時にはもう傾きながら、ポプラアの枯れた道を走つてゐた。

 「あれですね?」

 「うん、………俺たちの來た時もあすこにゐたかしら。」

 「さあ、乞食ばかりゐたやうに思ひますがね。……あの女はこの先どうするでせう?」

 重吉は一本の敷島に火をつけ、出來るだけ冷淡に返事をした。

 「さあ、どう云ふことになるか。……」

 彼の從弟は默つてゐた。が、彼の想像は上總の或海岸の漁師町を描いてゐた。それからその漁師町に住まなければならぬお芳親子も。――彼は急に險しい顏をし、いつかさしはじめた日の光の中にもう一度リイプクネヒトを讀みはじめた。 (昭和二・一)

 

   *

 

「玄鶴山房」草稿

 

[やぶちゃん注:底本では次の文の頭に編者による原稿順序を示すローマ数字「Ⅰ-2」が入る。]

 

した。お鈴はさりげない顏をしたまま、茶の間の隅に坐つた親子に有り合せの菓子や茶などをすすめ、どちらも身の入らない世間話などをはじめた。

 玄鶴はお芳を圍ひ出した後、省線電車の乘り換へも苦にせず、一週間に一二度は必ず妾宅へ通つて行つた。のみならずそこにゐる間もお芳に草書などを敎へてゐた。それは娘のお鈴には勿論、重吉にも通じない情熱だつた。が腰ぬけのお鳥には何も彼もはつきり[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]わかつてゐた。彼女はそれだけに烈しい嫉妬を感じなければならない訣だつた。しかしこの六年餘りはいつか詮めを覺えてゐた。――と云ふよりも寧ろ詮める外に仕かたのないほど衰弱してゐた。

 「お父さんは一体どうする氣なんだらう? この頃はあの羅兩峯の軸までお芳の所へ持つて行つてしまつたぜ。まさかお芳に羅兩峯の畫がわかるとも思つてゐないだらうに。」

 お鈴は重吉が呆れてゐた時にも、――同時に[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]又お鈴の何も彼も持ち出されることを恐れた時も、唯苦笑してかう云ふのだつた。

 「あれがお父さんの性分なのさ。今でもあたしを摑まへてはこの硯はどうだなどと言ふんだからね。」

 しかし玄鶴は今年の秋以來、肺結核の重もるにつれ、妾宅へ通ふことも出來なくなつた。從つてまず忠吉の口から手切れ話も出るやうになつた。玄鶴も格別其の話に異存らしい口は利かなかつた。お芳は若干の手切れ金[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]を貰ひ、玄鶴の生ませた子供と一しよに房州の實家へ歸つた上、月々忠吉から若干づつ子供の養育料を送つて貰ふ、――大體かう云ふ話になつたのはそろそろ庭木や踏み石の上に霜の見えはじめる[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。次のⅡとの間に一行空き。]

 

[やぶちゃん注:底本では次の文の頭に編者による原稿順序を示すローマ数字「Ⅱ」が入る。]

お鈴は夫が銀行へ通ひ、父も亦妾宅へ行つてしまつた後、一家のことを考へる爲にミシンの手をやめるのも度たびだつた。玄鶴はお芳に手を出さない前にも彼女には「立派なお父さん」ではなかつた。しかし勿論そんなことは氣の優しい彼女にはどちらでも善かつた。唯彼女に氣がかりだつたのは父が書畫骨董さへずんずん妾宅へ運ぶことだつた。お鈴はお芳が女中だつた時から、彼女を惡人と思つたことはなかつた。いや、寧ろ人並みよりも内氣[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]な女と思つてゐた。が、お芳の繼母や兄は何をたくらんでゐるかわからなかつた。殊に[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。次のⅢとの間に一行空き。]

 

[やぶちゃん注:底本では次の文の頭に編者による原稿順序を示すローマ数字「Ⅲ」が入る。]

れは一つにはお芳の腹に文太郞と云ふ子供が生まれた爲だつた。(お芳が文太郞を生んだのは妾宅へ移つてかた四月目だつた。)お鈴は玄鶴を送り出す度に今更のやうに「父」を感じ、定めし彼には文太郞も可愛いことだらうと思ひやつたりした。が、彼女の心もちの變化は必しもそれによつたばかりではなかつた。お鈴は又一つにはいろいろの世相に觸れるにつ[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。次のⅣとの間に一行空き。]

 

[やぶちゃん注:底本では次の文の頭に編者による原稿順序を示すローマ数字「Ⅳ」が入る。]

てゐた。その譃が役に立たないことは彼女自身も知らないのではなかつた。が、時々母の顏に冷笑に近い表情を見ると、譃をついたことを後悔する、――と云ふよりも寧ろ彼女の心を汲み分けてくれない腰ぬけの母に何か腹立たしさを感じ勝ちだつた。

 けれども玄鶴の心もちはいつかお鈴を動かしてゐた。彼はお芳に手をつけない前は彼女には「立派なお父さん」だつた。[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。次のⅠ-bとの間に一行空き。][やぶちゃん注:底本では初行に編者による原稿順序を示すローマ数字「Ⅰ」が入るが、省略した。]

 

[やぶちゃん注:底本では初行に編者による原稿順序を示すローマ数字「Ⅰ-b」が入り、実際には三字落としの、ポイント落としで組まれている。これはⅠのヴァリアントであることを示すためある。]

玄鶴はお芳を圍ひ出した後、省線電車の乘り換へも氣にせず、一週間に一二度づつは必ず妾宅へ通つて行つた。それは殆ど娘のお鈴にはいぢらしい氣さへするものだつた。尤も彼女は始めのうちは多少父を輕蔑してゐた。しかしいつか玄鶴の氣もちに[やぶちゃん注:底本ではここに編者の原稿終了を示す鉤記号がある。]