贋作・侏儒の言葉(抄)
やぶちゃん作(copyright 2005 Yabtyan)
女
女の美しさは、日々時秒刻みで変わってゆく。美しくない女はいない。美しい時を持てない女がいるだけだ。
秩序
秩序は非人間的どころか、最も人間臭いものだ。秩序の臭さがその集団を最もよく表現する「人間」なのである。
宗教的救済
人が救われることなど絶対にない。救われたらおしまいである。疑問、苦渋、猜疑、戦慄、そして、しばしば醜悪な――人を傷つけたい、犯したい、殺したいという情動さえもヴァイタリティとなる。我々に救われている点があるとすれば、それはただ一点、それを実行に移さないということである。
疲労
疲労は生活の舞台装置である。但し、費用は適度に。俳優である君の演技より眼については失敗である。
死後
人は自殺を考える時、しばしば「自分が欠けている世界」を思うものである。しかしその思い自体が、そもそも自分が世界というものの不可欠な構成要素であると不遜にも思っていることの証しである、という矛盾に気づく者は少ない。
苦悩
誰もが自分の悩みこそ最上のブイヤベース[注:フランスのごった煮スープ料理]だと思っている。
ストリンドベリ[注:一九世紀末のスウェーデンの個性的な劇作家。前衛劇のルーツ的存在]
秘薬の缶詰。しかし、蓋の製造年月日が余りに古いので、誰も食べる気にならない。
ベケット[注:フランスの劇作家。現代前衛演劇の教祖的存在]
秘薬の缶詰。前者とその滋味に変わりはないが、缶が歪んで、並の缶切では開けられない。
絵画
死語。シュルレアリズム[注:超現実主義。]の核爆発の美しさの後、生えてきたのは資本主義の骨粉で育ったペンペン草ばかりである。アンドレ・ブルトン[注:フランスの芸術家。シュルレアリスム宣言の作者]の宣言は墓碑銘となり、その比類ない墓石の石工こそイヴ・タンギー[注:フランスのシュルレアリスムの画家]である。
[注:墓めいた Yves Tanguy の作品を見る。その目で見ると、彼の作品はどれも墓碑に見えてくる。
The Sun in Its Jewel Case (Le Soleil dans son écrin), 1937.]
壇上弁論[注:この作者TY生は当時、大学で弁論部に所属]
現代演劇に於ける一人芝居は、その多くが、黙劇に於いてのみ成功している。
私――もしくはシチグロフ郡のハムレット[注:ツルゲーネフ「猟人日記」の登場人物]
私は私を打ち負かそうとするが、私が見るのは、打ち負かそうとする私の最期ばかりである。
又
私は何も見ない。私は私の虚栄が創造した私を見るばかりだ。私は明日も演技された私を見るのだ。誰かと同様に、すっかり見飽きているのに。
★以上は、二十歳の時の作物の一部である。注のみ現在の私(四十八歳)が加筆。以下は、四十八歳の私の感懐。
人生
当該被告人の裁判官でもあり、また弁護士でもあるような場合、その人物は、当該被告人を愛することはできない。
犯罪
心性の変化とは、その変移前の私にとって見れば、常に不法な行為である。従って昨日の私にとって、今日の私は常に犯罪者である。