[やぶちゃん注:芥川龍之介の没後、昭和3(1928)年7月発行の雑誌『創作月刊』に紹介された遺稿。底本は岩波版旧全集を用いた。末尾の「(大正十四年八月)」は芥川龍之介の自署であるかどうかは底本に記載なく不明であるが、暫くこの年月を信じてコンテンツに配する。]
文壇小言 芥川龍之介
一
文藝の士の歿するや、その歿後に墓穴(ぼけつ)を守る門下の群小なかるべからず。正岡子規の「アララギ」同人に於ける、又ポオのボオドレエルに於ける、更にその生前を以てすればコ田秋聲の中村武羅夫に於ける、皆この事實を證するに足るべし。既にその歿後の名聲は、――少くとも三十年間の名聲は(敢てここに三十年間と言ふは著作権の未だ存するが故なり。)墓穴を守るものの力によるとすれば、子分を養ふも徒爾ならずとせず。勿論子分にして高材ならん乎、その效亦愈大なりと謂ふべし。然れども高材を門下に致すは何びとも能くする所にあらず。泡鳴の門下に人無きを見るべし。人事の天命に及ばざる所以、所詮は偶然に任かするに若かず。
一
文壇と云ふも一社會のみ。文才のみを以てすれば、必しも文壇に雄たる能はず。世故に長ぜざる可からざる所以なり。作家としての某々は世間の人としての某々に若かず。これを某々は人としても逸かに傍輩を拔けりと云ふ。當に掌を拊つて大笑すべし。
三
資本主義の社會にありては一枚何圓何十錢の原稿料制度を免るべからず。大小を以て優劣に換ふるの不公平たるは勿論なるべし。かかる社會に生れ合せたる小説家、戲曲家、批評家等は先づ大量生産に堪ふる實業家的能力を有せざる可からず。或は永井荷風氏の言へるが如く、親子兄弟を養はざる可からざるものは如上の職業に從事す可からず。老來文筆益健、壮者も及ぶべからずと言ふは唯この實美家的能力を有すること、傍輩に超えたる作家を指すのみ。しかもその作品を見れば、大倉の粟陳々相依り、殆ど百年一日の如し。この輩を目するに老大家と倣す。これ亦掌を拊つて大笑すべし。
四
社會學者の言によれば、社會は如何に變化するも、かの乞食、浮浪者の如き襤褸(らんる)階級は依然たるべしと。こは文壇なる社會に於けるも亦大差あらざらん乎。甲大家は去り、乙大家は來るも、片々たる難文家は依然たり。若し眞に文壇に不朽不滅のものありとせば、そは文壇の襤褸階級なるべし。
五
依然たるかな、文壇や。作家に新舊を數ふれども、文壇は變化することなし。たとひ社會主義の治下となるとも、文壇は尚依然たるべし。若し夫れ無政府主義の治下とならん乎、多少の變化なきを期すべからず。 (大正十四年八月)