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或舊友へ送る手記   芥川龍之介

[やぶちゃん注:岩波版全集を底本とし、「丶」傍点は下線に替えた。底本後記では芥川龍之介の死後、昭和二(1927)年八月四日の雑誌『文藝時報』第四十二号に発表とあるが、死の当日の1927年の七月二十四日日曜日夜九時、自宅近くの貸席「竹村」で久米正雄によって報道機関に発表されており、死の翌日の二十五日月曜日、『東京日日新聞』朝刊に掲載された。歴史的仮名遣の誤りはママ。]

 

或舊友へ送る手記

 

 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に對する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を傳へたいと思つてゐる。尤も僕の自殺する動機は特に君に傳へずとも善い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いてゐる。この短篇の主人公は何の爲に自殺するかを彼自身も知つてゐない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を發見するであらう。しかし僕の經驗によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程(どうてい)を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描(えが)いたやうに何の爲に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行爲するやうに複雜な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の將來に對する唯ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出來ないであらう。しかし十年間の僕の經驗は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。從つて僕は君を咎(とが)めない。………

 僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみした心もちになつてマインレンデルを讀んだのもこの間(あひだ)である。マインレンデルは抽象的な言葉に巧みに死に向ふ道程を描いてゐるのに違ひない。が、僕はもつと具體的に同じことを描きたいと思つてゐる。家族たちに對する同情などはかう云ふ欲望の前には何でもない。これも亦君には、inhuman の言葉を與へずには措かないであらう。けれども若し非人間的とすれば、僕は一面には非人間的である。

 僕は何ごとも正直に書かなければならぬ義務を持つてゐる。(僕は僕の將來に對するぼんやりした不安も解剖した。それは僕の「阿呆の一生」の中に大體は盡してゐるつもりである。唯僕に對する社會的條件、――僕の上に影を投げた封建時代のことだけは故意にその中にも書かなかつた。なぜ又故意に書かなかつたと言へば、我々人間は今日(こんにち)でも多少は封建時代の影の中にゐるからである。僕はそこにある舞臺の外に背景や照明や登場人物の――大抵は僕の所作を書かうとした。のみならず社會的條件などはその社會的條件の中にゐる僕自身に判然とわかるかどうかも疑はない訣には行かないであらう。)――僕の第一に考へたことはどうすれば苦まずに死ぬかと云ふことだつた。縊死は勿論この目的に最も合する手段である。が、僕は僕自身の縊死してゐる姿を想像し、贅澤にも美的嫌惡を感じた。(僕は或女人を愛した時も彼女の文字の下手だつた爲に急に愛を失つたのを覺えてゐる。)溺死も亦水泳の出來る僕には到底目的を達する筈はない。のみならず萬一成就するとしても縊死よりも苦痛は多いわけである。轢死も僕には何よりも先に美的嫌惡を與へずにはゐなかつた。ピストルやナイフを用ふる死は僕の手の震へる爲に失敗する可能性を持つてゐる。ビルディングの上から飛び下りるのもやはり見苦しいのに相違ない。僕はこれ等の事情により、藥品を用ひて死ぬことにした。藥品を用ひて死ぬことは縊死することよりも苦しいであらう。しかし縊死することよりも美的嫌惡を與へない外に蘇生する危險のない利益を持つてゐる。唯この藥品を求めることは勿論僕には容易ではない。僕は内心自殺することに定め、あらゆる機會を利用してこの藥品を手に入れようとした。同時に又毒物學の知識を得ようとした。

 それから僕の考へたのは僕の自殺する場所である。僕の家族たちは僕の死後には僕の遺產に手よらなければならぬ。僕の遺產は百坪の土地と僕の家と僕の著作權と僕の貯金二千円のあるだけである。僕は僕の自殺した爲に僕の家の賣れないことを苦にした。從つて別莊の一つもあるブルヂヨアたちに羨ましさを感じた。君はかう云ふ僕の言葉に或可笑しさを感じるであらう。僕も亦今は僕自身の言葉に或可笑しさを感じてゐる。が、このことを考へた時には事實上しみじみ不便を感じた。この不便は到底避けるわけには行かない。僕は唯家族たちの外に出來るだけ死體を見られないやうに自殺したいと思つてゐる。

 しかし僕は手段を定めた後も半ばは生に執着してゐた。從つて死に飛び入る爲のスプリング・ボオドを必要とした。(僕は紅毛人たちの信ずるやうに自殺することを罪惡とは思つてゐない。佛陀は現に阿含經の中に彼の弟子の自殺を肯定してゐる。曲學阿世の徒はこの肯定にも「やむを得ない」場合の外はなどと言ふであらう。しかし第三者の目から見て「やむを得ない」場合と云ふのは見す見すより悲慘に死ななければならぬ非常の變の時にあるものではない。誰でも皆自殺するのは彼自身に「やむを得ない場合」だけに行ふのである。その前に敢然と自殺するものは寧ろ勇氣に富んでゐなければならぬ。)このスプリング・ボオドの役に立つものは何と言つても女人である。クライストは彼の自殺する前に度たび彼の友だちに(男の)途づれになることを勸誘した。又ラシイヌもモリエエルやボアロオと一しよにセエヌ河に投身しようとしてゐる。しかし僕は不幸にもかう云ふ友だちを持つてゐない。唯僕の知つてゐる女人は僕と一しよに死なうとした。が、それは僕等の爲には出來ない相談になつてしまつた。そのうちに僕はスプリング・ボオドなしに死に得る自信を生じた。それは誰も一しよに死ぬもののないことに絕望した爲に起つた爲ではない。寧ろ次第に感傷的になつた僕はたとひ死別するにもしろ、僕の妻を劬りたい[やぶちゃん注:「いたはりたい」。]と思つたからである。同時に又僕一人自殺することは二人一しよに自殺するよりも容易であることを知つたからである。そこには又僕の自殺する時を自由に選ぶことの出來ると云ふ便宜もあつたのに違ひない。

 最後に僕の工夫したのは家族たちに氣づかれないやうに巧みに自殺することである。これは數箇月準備した後、兎に角或自信に到達した。(それ等の細部に亘ることは僕に好意を持つてゐる人々の爲に書くわけには行かない。尤もここに書いたにしろ、法律上の自殺幇助罪((このくらゐ滑稽な罪名はない。若しこの法律を適用すれば、どの位犯罪人の數を殖やすことであらう。藥局や銃砲店や剃刀屋はたとひ「知らない」と言つたにもせよ、我々人間の言葉や表情に我々の意志の現れる限り、多少の嫌疑を受けなければならぬ。のみならず社會や法律はそれ等自身自殺幇助罪を構成してゐる。最後にこの犯罪人たちは大抵は如何にもの優しい心臟を持つてゐることであらう。))を構成しないことは確かである。僕は冷やかにこの準備を終り、今は唯死と遊んでゐる。この先の僕の心もちは大抵マインレンデルの言葉に近いであらう。

 我々人間は人間獸である爲に動物的に死を怖れてゐる。所謂生活力と云ふものは實は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獸の一匹である。しかし食色にも倦いた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷(こほり)のやうに透み渡つた、病的な神經の世界である。僕はゆうべ或賣笑婦と一しよに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きる爲に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出來れば、我々自身の爲に幸福でないまでも平和であるには違ひない。しかし僕のいつ敢然と自殺出來るかは疑問である。唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には滿足である。どうかこの手紙は僕の死後にも何年かは公表せずに措いてくれ給へ。僕は或は病死のやうに自殺しないとも限らないのである。

 附記。僕はエムペドクレスの傳を讀み、みづから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。僕の手記は意識してゐる限り、みづから神としないものである。いや、みづから大凡下の一人としてゐるものである。君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覺えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人(ひとり)だつた。