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レオナルド・ダ・ヴインチの手記   芥川龍之介譯

      ――Leonardo da Vinci――


[やぶちゃん注:底本は岩波版旧全集第十二巻を用いた。文末には改行して行末に「(抄譯)」、さらに改行して行末に「(大正三年頃)」とある。直筆原稿を底本とする新全集後記によれば(底本には後記がない)、『四〇〇字詰め用紙に記され、表題の傍らに「芥川龍之介訳」と署名されている。前回全集では「――
Leonardo da Vinci――」の副題を添えて紹介されて』いると注する。底本に従い、副題は残し、以下のように原稿通り、「芥川龍之介譯」のクレジットを入れた(新全集は新字体採用であるため「訳」であるが正字に変えた)。なお、現在、この作品の原本は、二〇〇三年翰林書房刊の関口安義編「芥川龍之介新辞典」によれば、「一九〇七(明治四〇)年にロンドンの Duckwouth 社から刊行されたエドワード・マッカーディ(
Edward McCurdy)によって英訳で訳出編纂された‘The Notebook of Leonardo Da Vinci’であると推定されている。
 因みに、大正三(一九一四)年当時なら、芥川龍之介二十二歳、前年九月に東京帝大文科大学英吉利文学科入学後、この年の二月に豊島与志雄・久米正雄らと第三次『新思潮』創刊し、四月に「大川の水」(雑誌『心の花』掲載)、五月と六月には『新思潮』にそれぞれ「老年」、イェイツ「春の心臓」の翻訳を発表している。また、この夏、初恋の吉田弥生へのプロポーズを申し出ている(芥川家の反対により翌年二月頃破談、芥川の大きなトラウマとなった)。十月には終生の住処となった田端に移転している。
 なお、八つ目のアフォリズムの「鏽る」の「鏽」は「錆」と同義で「さびる」と読む。
 次の項の「ヘレン」はギリシャ神話のトロイア戦争の火種となったスパルタの美妃ヘレネーのことであろう。十二歳の時にテーセウスに略奪され、奪還の後、最強の国ミケーネの王アガメムノンの弟メネラオスと結ばれるが、トロイの王子の美少年パリスに魅了されて逃避行(略奪婚とされ、本文の「二度」というのはこれを数えているのであろうが、こちらは実際にはヘレネー自身の意志でも
あった)、有名なトロイの木馬の一件を経て、再びメネラオスの元の鞘に収まった(一説にはアガメムノンの息子オレステースによって殺されたとも伝えられる)。]

 

  レオナルド・ダ・ヴインチの手記   芥川龍之介譯

       ――Leonardo da Vinci――

 

         *

 おお、神よ。爾は、一切の善きものを、勞力の價を以て、我等に賣り給へり。

         *

 古人を模倣する事は、今人を模倣する事より、賞贊に値する。

         *

 「生」に於て、「美」は死滅する。が、「藝術」に於ては、死滅しない。

         *

 感情の至上の力が存する所に、殉敎者中の最大なる殉敎者がある。

         *

 我等の故鄕に歸らんとする、我等の往時の狀態に還らんとする、希望と欲望とを見よ。如何にそれが、光に於ける蛾(ひとりむし)に似てゐるか。絕えざる憧憬を以て、常に、新な春と新なる夏と、新なる月と新なる年とを、悅び望み、その憧憬する物の餘りに遲く來るのを歎ずる者は、實は彼自身己の滅亡を憧憬しつつあると云ふ事も、認めずにしまふ。しかし、この憧憬こそは、五元の精髓であり精神である。それは肉體の生活の中に幽閉せられながら、しかも猶、その源に歸る事を望んでやまない。自分は、諸君にかう云ふ事を知つて貰ひたいと思ふ。この同じ憧憬が、自然の中に生來存してゐる精髓だと云ふ事を。さうして、人間は世界の一タイプだと云ふ事を。

         *

 善く費された日が、幸福な眠を齎すやうに、善く用ひられた生は、幸福な死を將來する。

         *

 自分が、如何に生く可きかを學んでゐたと思つてゐる間に、自分は、如何に死す可きかを學んでゐたのである。

         *

 鐵は、用ひない時に、鏽る。溜り水は、濁つて、寒天には、氷結する。懈怠が心の活力を奪ふ事も亦、これに等しい。

         *

 おお「時」よ。一切を滅却する爾よ。おお嫉みふかき時代よ。爾は、年の銳き齒牙を以て、徐なる死に、一切を破壞し、一切を併吞する。ヘレンは、老年が面上に刻した皺を、鏡中の影に認めた時、泣いて、何故に彼女が二度までも誘拐し去られたかを怪んだ。

 おお「時」よ。一切を滅却する爾よ。おお一切を滅却する嫉みふかき時代よ。

         *

 木は、木を滅する火の燃料となる。

         *

 最大の不幸は、理論が手腕を超過した時である。