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鬼火へ

[やぶちゃん注:昭和十(1935)年四月刊行の「芥川龍之介全集」の月報第六号に掲載された。底本は昭和五十二(1977)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集」第九巻を用いた。]

 

芥川君との交際について   萩原朔太郎

 

 芥川君と僕との交際は、死前わづか二三年位であつたが、質的には可なり深いところまで突つ込んだ交際だつた。「君と早く、もつと前から知り合ひになればよかつた。」と、芥川君も度々言つた。僕の方でも、同じやうな感想を抱いて居たので、突然自殺の報告に接した時は、裏切られたやうな怒と寂しさを感じた。

 芥川君の性格には、一面社交的の素質があつたので、友人が非常に多かつた。しかし本當の打ちとけた親友といふものは、意外にすくないやうであつた。「僕の過去の悔恨は、友人が惡かつたことだ。」といふやうな意味の言葉さへも、或る時は沁々として僕にもらした。つまり芥川君は、自分と反對の性格で、自分の観念上にイデアしてゐるものを、具體的に表出してくれるやうな友人が欲しかつたのだ。常々菊池寛氏を敬愛して「英雄」と呼んで居たのも、やはりその反性格の爲であつて、丁度あの神經質のボードレエルが、豪放で世俗的なユーゴーを崇敬して居たのと同じである。所が芥川君の周圍に集る人々は、たいていその同型な人物ばかりであつたので、交際の廣いわりに、心境が孤獨で寂しかつたのだらう。

 かうした芥川君にとつて、室生犀星君や僕のやうな人間は、確かに變り種の友人だつたにちがびない。特に室生君には特殊の驚異を感じたらしく、常々「あんな珍しい男を見たことがない」と言つてゐた。芥川君の如くインテリ型の秀才肌で、文明人の繊細な神經から、社交的の禮節にのみ氣を疲らして居た人にとつて、室生君の自然兒的な野性や素朴性やは、たしかに痛快な驚異であり、英雄的でさへ見えたのだらう。(當時の室生君は、今よりもずつと甚だしく野性的であつた。)一方また室生君の方では、自分で深くその野性を差恥して居り、常に「教養ある紳士」といふやうなことをイデアにして居たので、教養や趣味性の上で文化的にレフアインされた芥川君が、世にも珍しく理想の人物に思はれたのである。僕がまだ芥川君を知らない中、よく室生君は僕に話して「彼の如き文明人種、彼の如き禮節ある人物を見たことが無い。」と言つて、事々に感嘆の辭をもらして居た。後年に於ける室生君の教養と趣味生活とは、芥川君との交際によつて學ぶ所が確かにあつた。

 僕との交際に於ては、どこが芥川君の興味をひいたのか解らない。多分僕の性格中にあるニヒリスチツクの傾向や、多分にアナアキスチツクの氣質やに、別の意味の關心を持つたのだらう。「河童」が雜誌に載つた時、僕の推賞に對して、芥川君は「君に讀んでもらひたかつたのだよ」と言つた。その後も新作が出る毎に、僕の意見をよく求められ、自分のデタラメな獨斷批評を、熱心によく傾聽してくれた。一方また芥川君の方でも、僕の詩などをよく讀んでくれ、時々適切な批評をしてくれた。僕の詩の中では、郷土望景詩數篇が最も氣に入つたらしく、口を極めて賞讚してくれた。

 他の多くの友人に對して、芥川君は常に都會人的な洒落や笑談を言つたらしい。だが僕との交際に於ては、一度もそんな會話をしなかつた。僕のやうなガサツな田舍者には、洒落なんか解らないと思つたのだらう。(實際またその通りだつた。)芥川君と僕との會話は、いつも生活の意義を懐疑したり、生死の問題を論じたり、宗教哲学に關することばかりであつた。かうした諸問題について、芥川君は非常に懐疑的であり、絶望的にさヘニヒリスチツクであるやうに思はれた。その點で僕の思想は、芥川君に共鳴する所が多くあつた。「君と僕とは、文壇でいちばんよく似た二人の詩人だ。」と、芥川君は常に語つた。芥川君は、自ら「詩人」と稱して居たからである。しかし實際言へば、芥川君の僕に對する實の興味は、やはり室生君の場合と同じく、僕の氣質の中の野性的直情にあつたのだらう。

 鎌倉に住んで居た時、或る夜遅くなつて芥川君が訪ねて來た。東京から藤澤へ行く途中、自動車で寄り道をしたのださうである。夜の十一時頃であつた。寝衣(ねまき)をきて起きた僕と、暗い陰鬱な電氣の下で、約一時間ほど話をした。來るといきなり、芥川君は手をひらいて僕に見せた。そして「どうだ。指がふるへて居るだらう。神經衰弱の證據だよ。君、やつて見給へ。」と言つた。それから暫らく死後の生活の話をして、非常に嚴肅の顏をして居たが、急に笑ひ出して言つた。「自殺しない厭世論者の言ふことなんか、當になるものか。」そしてあわただしく逃げるやうに歸つて行つた。

 この鎌倉での一夜のことは、未だに猶氣味惡く忘れられない。夜の十一時、不意の自動車、薄暗い電氣、細長い五本の指、死後の生活の話、ふり亂した長髪、蒼ざめた病身の顏、影のやうに消えた後姿。すべての印象が惡夢のやうに感じられた。「ああ怖かつた!」と、歸つた後で妻が言つた。だが流石に、當時僕は彼に自殺の決心があることを氣が付かなかつた。ただ彼の好んで使ふ「鬼」といふ言葉が、その雅號の上でも文學上でも、また人物の風采上でもふさはしいことを強く感じた。