「Lies in Scarlet」の言 芥川龍之介
――Arthur Hallwell Donovan――
[やぶちゃん注:底本では本作を大正6(1917)年頃の草稿と見ている。本作は一見、バーナード・ショー等と親しい旅好きの英国人作家と思われるArthur Halliwell Donovanなる人物の、“Lies in Scarlet”という箴言集の中の言葉を、羽賀宅阿という日本人翻訳家が抄訳した体裁に見える(題名の下の芥川龍之介は私が記載したもの)。ところが如何にもありそうなArthur Halliwell Donovan (アーサー・ハリウェル・ドノヴァン)という名の作家は実在しないと思われる。“Arthur Halliwell”は“Akuta-gawa”の、“Donovan”は“Ryu-no-suke”アナグラムのようにも見える(“van”は本来、人名に付けられて、まさに“of”(の)意味を添えて出生地を示すのに用いられた前置詞である)。そもそもこの“Lies in Scarlet”なる書名自体が「真っ赤な嘘」という意味である。そうして、何よりも末尾の「羽賀宅阿」(はが たくあ)なる訳者名、下から読むと「あくたがは」である。従ってこれは、全体がパロディの体裁を成した、しかし芥川龍之介自身の真摯なアフォリズムとして機能していると私は信ずるものである。底本は岩波版旧全集第十二巻の「雜纂」所収のものを用いた。少し若い読者にはまごつくかもしれない語を三件だけ、ここに注しておく。
・「哂ふ」「(わら)ふ」=笑う、である。
・「パラス・アテエネ」:ギリシア神話の女神アテーナー・アテナ・アテネのこと(パラスは付帯する別名)。オリンポス十二神の一柱で、知恵・芸術・工芸・文学・戦術を司る。
・「偈」は仏教用語としての(げ)である。仏典の中で詩句の形式を以って教理や仏恩を讃える詩句。漢訳ものでは四句から成るものが多い。特に禅宗にあっては悟達の境地を表現する。]
「Lies in Scarlet」の言
――Arthur Hallwell Donovan――
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「藝術は遊戯ではない。」――かう云ふ程、現代は遊戯に對する見解が堕落したのである。しかし藝術に對する見解は、毫もその爲に進歩してゐない。
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人間は或皮肉な約束の下に置かれてゐる。最も卑いと思つてゐる時が、實は最も尊い事なども、その一つの場合に過ぎない。
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藝術は人類にとつて、絶對に必要なものであらうか。スウエデンボルグの天國では、それもやはり不必要なものの一つにはいつてゐる。
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答は常に、異れる問に過ぎない。斯くして自分は安んじて答を與へる事が出來るのである。
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天才とは偉大なる感情の連續だと、ニイチエが云つてゐる。さうだ。連續にちがひない。もしさうでなかつたなら――
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「お前に何が出來る? お前は一人の女を愛す事さへ出來ないではないか。お前に何が出來る?」
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自分は二種の愛の告白を知つてゐる。それ以外の愛の告白は、悉自分の趣味に合はない。一つは基督の言(ことば)である。さうしてもう一つは――これは云はない方が好いかも知れない。
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獨斷を哂ふものは、それ自身獨斷だと云ふ事に氣がつかない。
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眞理も時としては、趣味に過ぎない。(自分はここにこの「時として」と云ふ言(ことば)を加へた程、謙遜である。)
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「お前はお前の惡口を云ふのが、俗衆だと云ふ事は知つてゐるだらう。しかし實はお前を賞めるものも、俗衆なのだぜ。」
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もしプラトニツク・ラヴと云ふものがあつたら、自分は必人間より馬に惚れたのに相違ない。
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文明とは、理智が本能の眞似をする事である。
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自分は國家の爲にすべてを犠牲にする事を否むものではない。唯、さうする理由を聞かせて貰ひたい丈である。
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文明を築いたものは半人半馬~である。パラス・アテエネは何もしない。
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幸bニは幸b問題にしない時を云ふ。
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人工の天國と云ふ言(ことば)は、ボオドレエルが發明した。が、古來天國は大抵、事實に於て人工である。
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自分の知つてゐる最大の懐疑家は、カイロで遇つた事のある囘教の坊主である。その男は地球が四角な板だと云ふ事さへ信じてゐた。
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自分は十八ケ國の外國語に通じてゐると云ふ男に遇つた。しかしまだ遠視眼の眼鏡と近視眼の眼鏡とを十八持つて、得意になつてゐる男には遇つた事がない。
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一切の精~的文明は、結局詩に過ぎない。
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ツアラトストラの死んだ事は書いてない。しかしニイチエは死んだのである。我々同樣死んだのである。
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「君は何故君の眼を信用するのだい。」
「僕の眼は健全だから。」
「どうして又そんな事がわかつたのだらう。」
「眼醫者が保證したから。」
「眼醫者の眼は君自身の眼ではない筈だが。」
或日、バアナアド・シヨウと自分との間にこんな會話が交換された事がある。
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藝術の境に未成品はない。あればそれは下等な完成品である。
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不幸にして自分は、眞面目を標榜する程不眞面目にはなり得ない。
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自分はあらゆる反抗の精~に同情する。
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如何にして年をとらうか――これが人間に與へられた最大の問題である。
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トルストイの思想を知るには、トルストイの著書を讀めば好い。しかしトルストイの思想を得るには――さう思ふと、トルストイの思想を論じるより先に、口を噤まざるを得ない。
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藝術家の偉大は、批評し得られない所にのみある。
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「浪曼主義は病的で、古典主義は健全である」――ゲエテはこの點でも、観察の正鵠を誤らなかつた。
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如何なる惡作を讀むのでも、自分にとつては、全然何も讀まないよりは好い。
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運命は自由意志の中にある。
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「人間らしさ」は動物にもあると云ふ事を忘れてはいけない。
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温良なる娼婦の如く、良妻賢母たり得るものはない。
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彈指の間に萬劫がある。
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平和論者と戦争論者との差は、實に唯一歩である。
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彈丸に中つて死ぬのと、餓死するのと、どちらが好いか。それはまだよく考へた上でないと、きめられない。
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戰ひたくないと思つたら、やはり戰ふ外はない。たとひそれが敵國に對してでなくとも。
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成程疑ふと云ふ事實を信ずる所に、懐疑説は始まるだらう。しかし始は本質ではない。
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利己主義も愛國心と呼ばれ得るやうに、興味も時には信念と呼ばれ得る事がある。
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經驗を卑むな。人間は生存する爲には、胃と共に食物が必要である。
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最大の奇蹟は言語である。
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永久に自分を慰めてくれるものは、素朴觀念論である。
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素朴觀念論の藝術的表現が、東洋で偈と云はれるのではなからうか。
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戀愛は自然の折衷主義が産んだものである。
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意志は藝術の惡作を完成するにさへ必要である。
羽賀宅阿譯