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Красный цветок   Всеволод Михайлович Гаршин


あかい花

  ――フセヴォーロド・ガルシン 神西清訳

 

[やぶちゃん注:これは

Всеволод Михайлович ГаршинVsevolod Mikhhajilpvich Garshin

Красный цветок”(Krasnyj tsvetok

1883 年に発表されたフセヴォーロド・ミハイロヴィチ・ガルシンの短篇「あかい花」の全訳である。底本は岩波文庫1959年刊の「あかい花 他四篇」神西清訳(本書は新字新仮名版)を用いた。傍点「ヽ」は下線に代え、ルビの拗音と思われる部分(本書は旧来のルビ・システムで拗音表記がなく同ポイント活字を用いている)は拗音表記にした。文中にある訳者注を章末に移した。【2008年9月15日】]

 

あかい花

 

イヴァン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフの記念に

 

 「かしこくも天の下しろしめす皇帝、ピョートル一世陛下の御名代として、余は本癲狂院(てんきょういん)の査閲を宣す!」

 甲高い、耳がびんびんするような大音声(だいおんじょう)で、そんな文句が述べ立てられた。インクのしみだらけの机に向かって、ぼろぼろの大きな帳簿にその患者の名を書き込んでいた病院の書記は、思わず微笑を浮かべてしまった。だが患者を護送して来た二人の若者は、にこりともしなかった。昼夜というものまんじりともせずに、この狂人と面と向かい合って汽車に揺られたあげくに、ここまで連れて来たのだから、立っているのもやっとなのである。降りる一つ手前の駅で狂気の発作がひどくなったので、どこやらで狭窄衣(きょうさくい)を手に入れて、車掌や憲兵に手伝ってもらって患者に着せたのだった。そのまま彼をこの町まで運び、いまこの病院に送りとどけたところである。

 見るも恐ろしい姿だった。発作の時ずたずたに裂いてしまったねずみ色の服のうえから、くり込みの大きいごわごわのズックの狭窄衣が、ぴっちりと胴体をしめつけている。長いそでが、両腕をぎゆっと胸の上に十文字に組ませ、背中でくくり上げてある。まっ赤に充血した両眼は大きく見ひらかれ(これで十日のあいだ一睡もしないのだ)、じつと動かぬおき火のように燃えている。神経性の痙攣(けいれん)が下くちびるの端をぴくぴくと引っつらせ、くしゃくしゃになった縮れ毛が、まるでたてがみのように額にたれかかっている。そうして事務室のすみからすみへずしずしと足早に歩きまわって、探るような目つきで書類のはいった古戸棚(ふるとだな)や油布張りの椅子(いす)をじろじろながめたり、時には護送人の方をちらりと見たりする。

 「病棟(びょうとう)の方へ御案内して。右の方です。」

 「僕は知っている、知っているよ。去年も君たちといっしょに来たことがあるからな。僕らはこの病院を検閲したんだよ。僕は何もかもすっかり知ってるんだから、そうやすやすとはだまされんぞ。」

 患者はそう言うと、戸口の方へくるりと向き直った。看視人がその前の戸をあけてやると、あいかわらずずしずしと足早に、しかも決然たる足どりで、狂った頭を高々とそらしながら事務室を出て行ったが、右へ折れると今度はほとんど駆け足で、精神病患者の病棟の入り口までやって来た。護送人たちもやっと追いついて行ったほどだった。

 「ベルを押してくれ。僕には押せん。君たちに両手を縛り上げられちまったからな。」

 番人が戸をあけると、一行はそのまま病棟へ歩み入った。

 それは昔の役所風の建て方をした、大きな石造りの建物であった。大広間が二つあって、一つは食堂に、もう一つは穏やかな患者の大部屋になっている。広い廊下が走っていて、庭の花壇へおりるガラス戸がついている。それから患者の入れてある個室が二十ばかり――ざっとこうした間どりが一階を占めている。一階にはまだそのほかに暗い部屋が二つあって、一つは毛ぶとんをいちめんに張り回し、もう一つは板張りだが、いずれも凶暴性の患者を収容するのである。それから円天井のついた大きな陰気な部屋――これは浴室である。二階は婦人患者が占領している。そこからは調子のはずれた噪音(そうおん)が、うなり声や苦痛の叫びで引き裂かれながら、下まで伝わって来るのだった。この病院の定員はもともと八十名なのだけれど、近隣の数県をここ一つで掛け持ちしているので、患者の収容数は三百人にも及んでいた。手狭な病室ごとに寝台が四つか五つは入れてある。冬は患者を庭へは出さないし、鉄格子の外の窓はみんなぴったりと閉ざしてしまうので、病院の中はたまらない息苦しさであった。

 新来の患者は浴槽(よくそう)のある部屋へ連れて行かれた。健康な人間にさえ、この部屋の空気は重苦しい印象を与えまいものでもないのに、ましてや常軌を逸し興奮しきった想像力の持ち主には、なおさらその作用はひどかった。それは円天井のついた大きな部屋で、石を畳んだ床はべとべとしていて、明りは片すみにあるたった一つの窓からしかさし込まない。壁と円天井とは赤黒い塗料で塗り上げられ、あかとほこりで黒ずんでいる床には、まるで二つの楕円形(だえんけい)の穴に水を張りでもしたように、石の浴槽が二つ、床面とすれすれにはめ込んである。途方もなく大きな銅製の炉が、湯沸かし用の円筒形の鑵(かま)や、そのほか銅管だの活栓(カラン)だののいっさいの装置をそなえて、窓と反対側の一隅(いちぐう)を占めていた。そうしたものがみんな、病的な頭脳にとっては異常に陰惨で幻想的な性質を帯びているところへ、湯番をしているふとったウクライナ人(とさかあたま)がまた、ついぞ口をきいたためしのないむっつり屋と来ているので、その陰気な顔つきがいやがうえにも部屋の印象を暗くするのであった。

 この恐ろしい部屋に連れて来たのは、患者を入浴させて、この病院の医長の療法にしたがって首筋に発泡膏(はっぽうこう)を塗布するためであったが、部屋の様子を一目みると、彼は恐怖と忿怒(ふんぬ)に取っつかれてしまった。途方もない考えが、しだいに怪奇の度を増しながら、あとからあとからと頭の中で渦を巻いた。いったいこれは何だろう? むごたらしい邪宗改めの法廷か? 仇敵(きゅうてき)どもが彼をなきものにしようと思い定めた秘密の刑場か? ひょつとしたらこれが地獄じゃあるまいか? しまいには、これは何かの拷問なのだという考えが浮かんだ。必死になって抵抗する彼を、寄ってたかって裸にした。ところが病気のせいで二人力になっていた患者は、幾人かの看視人の手を苦もなく振りほどいてしまい、相手は勢い余って床(ゆか)べたへつんのめってしまった。やっと四人がかりで押し倒して、手とり足とり温湯の中へつっ込んだ。それが患者にはくらくらに煮え返った熱湯と思われ、その狂った脳裏を、煮え湯や灼熱(しゃくねつ)した鉄棒を使う拷問についての脈絡のないきれぎれの考えが、稲妻のようにひらめき過ぎた。湯にむせ返って、看視人たちにしっかり押えつけられた手足を痙攣的(けいれんてき)にもがきながら、あえぎあえぎ、何やら取り留めのないことをわめき立てるのだった。それは 自分の耳で実際に聞いた人でない限り、想像もつかぬような叫喚であった。祈りの文句もあったし、呪詛(じゅそ)の叫びもあった。精根つきるまでわめきつづけていたが、やがてしまいには熱い涙をぽろぽろこぼしながら、それまでわめき立てていた言葉とは何の脈絡もない文句を、小さな声で唱えるのだった。「聖なる大殉教者ゲオルギイ。この肉体はあなたの御手にお任せします。だが魂は――いいや、いやです、いやです。」

 看視人たちはまだ押えている手をゆるめなかったけれど、患者はそのうちにすっかり静まっていた。温浴と頭に当てがった氷囊(ひょうのう)が、きき目をあらわしたのだった。ところがほとんど気を失っている彼を湯の中から引き上げて、発泡膏を塗布するため腰掛に掛けさせる段になって、残っていた力と狂った考えとが、またしても文字どおりせきを切ってほとばしった。

 「なぜそんな、なぜそんなことをする」と彼はわめいた、「おれはだれにも悪いことをした覚えはないぞ。何の罪でこのおれを殺すんだ。おおお、おお、主よ! おお、われに先んじて十字架を負いたまえる主よ。お願いです、お救い下さい。……」

 首筋へ来た焼けつくような感じが、彼を必死にもがき狂わせた。看視人たちは手のつけようがないので、途方に暮れてしまった。

 「仕方がない」と施術にかかっていた看護卒が言った、「摩擦せにやならん。」

 この何でもない言葉に、患者はふるえ上がってしまった。『摩擦だと……何をこする、だれをこする? このおれをだ!』と彼は考え、死なんばかりの恐ろしさに両眼をつぶった。看護卒はごわごわのタオルの両端を握ると、力いっぱいに押しつけながら、勢いよくごしごしと首筋をこすった。発泡膏がはげ落ち、首の上皮がすりきれて、赤むけのすり傷があとに残った。平静な健康人にとってさえ我慢のならぬこの施術の苦痛は、病人にはこの世の終りかと思われた。必死の力を満身にこめてぐいと一と踏張(ふんば)り、看視人たちの手を振りもぎった途端に、赤裸のからだは石畳のうえにころころところがった。彼は首を切り落とされたかと思った。わめこうとしたが声が出ない。彼は失神したまま病床に運ばれ、そのまま死んだような深い長い眠りに落ちた。

 

      二

 

 彼が気がついたのは真夜中であった。あたりはしんとしている。隣りの大きな部屋からは患者たちの寝息が聞こえて来る。どこか遠くで、その一夜をまっ暗な部屋に押し込まれた患者が、単調な奇妙な声で自分を相手にしゃべっている。かと思うと二階の婦人病棟からは、しわがれた女性中音(コントラルト)が何やら野卑な歌をうたっているのが聞こえてくる。病人は耳を澄ましてこれらの声に聞き入っていた。手足から腰から、そこらじゅうが恐ろしくだるく、ぐったりと力の抜けた感じだった。首筋がずきずき痛んだ。

 『おれはどこにいるんだろう、どうしたんだろう?』という考えが浮かんだ。と、にわかに彼の脳裏には、この一と月の自分の生活が不思議なほどありありと描き出されて、自分が病気なこと、それもどこが悪いかということまでが、はっきり悟られたのだった。さまぎまな途方もない考えや言葉や行為が思い出され、それが総身をふるえあがらせた。『だがもうすんだのだ。ああありがたい、もうすんでしまった!』とつぶやくと、彼はまた眠りに落ちた。

 鉄格子(てつごうし)のはまった窓は開け放してあって、大きな建物と石の塀(へい)にはさまれた細い露地に面していた。この袋小路にははいって来る人もないので、名も知らぬ野生の灌木(かんぼく)の叢(むら)や、ちょうどその季節に美しい花をつける紫丁香花やが、一面にはびこり茂っている。……茂みの向こうには、窓とちょうど向かい合わせに、石の塀が黒々とそそり立っていた。広大な庭園の木立ちが、高いこずえに月光を浴び、また月かげを透かせながら、石塀ごしにのぞいていた。右手には病院の白い建物がそびえ、鉄格子のはまった窓々が、明るく内側から照らされている。左手は――月の光にまぶしいほど白く浮きあがった、死亡室の盲壁である。月光は窓の鉄格子をとおして室内の床に落ちて、寝台の一部と、目をつぶった病人の疲れきった青い顔とを照らしていた。いま見ると狂気じみたところは少しもなかった。それは疲れ果てた人に来る、夢も見ず身じろきもせず、息さえもほとんど通わぬ深い重苦しい眠りであった。ほんの数瞬のあいだ、彼はまるで健康な人のように、完全な知覚をもって目ざめたのである。やがて朝になれば、またもとの狂人として寝床を起き出ようがために。

 

      三

 

 「御気分はいかがです?」とあくる日、医者が彼にたずねた。

 たったいま目をさましたばかりの病人は、まだ毛布にくるまっていた。

 「すこぶるよろしい」とはね起きてスリッパをはき、寝間着をぎゆつとつかみながら彼は答えた、「実によろしい。だがたった一つ、そらここが――」

 と自分の首を指さして、

 「痛くって首が回せないんです。まあそんな事はどうでもいい。あれがわかりさえすりゃ文句はないのさ。ところが僕はわかっているんだ。」

 「いまどこにおられるのかご存じですか。」

 「そりゃもちろん、ドクトル。僕は癲狂院にいるのです。だがあれがわかってしまえば、そんなことはまったくどうでもいいんです。まったくどうだっていいことですよ。」

 医者は患者の眼にじっと見入っていた。見事に手入れの行き届いている金色のひげ、金縁めがねごしにじっと見ている落ち着き払った青い目――医者の美しい、たしなみのいい顔はぴくりともせず、見すかし難いものがあった。彼は観察していたのである。

 「なぜそう僕を見つめるのです? 僕の心の中なんかとても読めるもんですか」と患者は言葉をついだ、「しかし僕にはあなたの心の中が読める。なぜあなたは悪いことをするのです? なぜあなたは不幸な人たちをこんなに集めて、ここに監禁して置くのです? 僕のことはどうでもよろしい、僕はいっさいを見抜いて泰然としているんだから。しかしあの連中はどうです? ああした苛責(かしゃく)がいったい何になるのです。自分の魂には偉大なる思想、万有に相通ずる思想が存するということを達観した人間にとっては、どこに住もうと何を感じようと同じことです。生死すらも問うところではありません……そうじやないですか?」

 「そうかもしれませんねえ」と医者は答えて、患者の姿がよく見えるように、部屋の一隅の椅子に腰をおろした。患者は大きな馬革(うまがわ)のスリッパをぺたぺたいわせ、荒い赤じまに大きな花模様のついたもめんの寝間着のすそをはためかせながら、勢一いよくすみからすみへ歩き回っている。

 医者のお供をして来た助手と監督とは、不動の姿勢で戸口に立ちつづけている。

 「で、僕にはその思想がある!」と患者は叫んだ、「それを発見したとき、僕は生まれ変わったような気がしました。感覚は鋭敏になり、頭脳は今までにないほどよく働く。これまでは推理や臆測の長い道程を経て到達したことを、今では直覚的に認識する。哲学が作り上げたものを、僕は現実的に把握したのです。空間と時間とは擬設(フィクチョン)である ――という大いなる観念を、僕は身をもって体験しつつある。僕はあらゆる世紀に生きている。僕は空間を絶した所に生きている。いたる所に生きているとも言え、またどこにもいないとも言えましょう。だからあなたが僕をここに監禁して置かれようと、あるいは解放なさろうと、僕が自由の身であろうと束縛されていようと、僕にとっては同じことなんです。ここには僕同様の人々がまだ数人いることを僕は認めました。しかしその他の有象無象にとっては、こういう状態は恐ろしいものです。なぜあなたは解放してやらないのですか。いったいだれに必要が……」

 「今あなたは」と医者はさえぎった、「時間と空間を絶したところに生きていると言われましたね。しかし、あなたと私が現にこの部屋におり、そして今が」と時計を出して、「一八**年五月六日の十時半であるということは、否定するわけには行きません。この点はどうお考えですか。」

 「別にどうとも考えていません。どこにいようといつに生きようと、僕には同じことなのです。僕にとって同じことである以上、つまり『僕』というものが、随所にあり随時にあるということになるではありませんか。」

 医者はちらっと薄笑いを漏らした。

 「珍しい論理ですねえ」と彼は立ち上りながら言った、「あるいはあなたの言われる通りかもしれません。ではまた。葉巻をひとついかがです?」

 「ありがとう。」――彼は立ちどまって葉巻を取ると、神経質にその端をかみ切った。「これは思考の助けになる」と彼は言った、「これは世界だ、小宇宙だ。一方の端にはアルカリがあり、他の端には酸がある。……互いに対立する原理が中和している世界の平衡状態も、やはりこのようなものだ。……さようなら、ドクトル!」

 医者は回診をつづけた。患者の大部分はそれぞれの病床のかたわらに直立して、彼を待ち受けていた。どんな役所の長官でも、精神病医がその患者から受けるほどの敬意を、部下から受けることはないのである。

 さて例の患者はひとりになると、病室のすみからすみへ、せかせかと落ち着きのない歩みをつづけた。お茶が運ばれて来ると、彼は立ったままで、把手のついた大コップを二た口でからにし、ほとんどまたたくひまに白パンの大きなかたまりを平らげてしまった。それから病室を出て、数時間というもの小休(おや)みもなしに、例のずしずしいう足早な歩調で、建物の端から端へと歩きつづけた。その日は雨模様だったので、患者たちは庭へ出されなかった。助手が新来の患者を探しに来て見ると、他の患者が廊下のはずれを指さして見せた。彼はそこにたたずんで、庭へ出るガラス戸のガラスにぴったりと顔をつけたまま、じつと花壇に見入っていた。罌粟(けし)の一種の、異様にあざやかな真紅の花が、彼の注意をひきつけたのである。

 「体重を量りますからいらして下さい」と、彼の肩に触れながら助手は言った。

 そして患者がくるりと顔をふり向けたとき、助手はぞっとして、ほとんどたじたじとなった。それほどに凶暴な敵意と憎悪の色が、狂った目の中に燃えていたのである。しかしそれが助手だとわかると、彼はすぐさま顔色を改めて、まるで深い物思いに沈んでいるかのように一と言も口をきかずに、おとなしくあとからついて来た。医者の診察室にはいると、患者は言われぬ先に自分から、十進法の目盛りのついた小型な秤の台座に立った。助手は体重を取ると、帳簿の彼の名のところに一〇九フントと記入した。翌日には一〇七になり、三日目には一〇六になった。

 「この調子で行ったら、あの患者はとてももつまい」と医者は言って、出来るだけいい食餌(しょくじ)を与えるように言いつけた。

 だがそれにもかかわらず、また患者の異常な食欲にもかかわらず、彼は日に日にやせ衰えて、助手が日ごとに記入するフントの数はだんだん少なくなって行くのだった。患者はほとんど睡眠をとらず、来る日も来る日も終日小休(おや)みもなしに動き回っていた。

 

(訳者注)一〇九フント:ロシアの重量の単位。一フントは四〇七・七グラム。

 

      四

 

 彼は癲狂院にいることを意識していた。自分が病気だということさえ意識していた。ときどきはあの最初の晩のように、終日の狂おしい運動のあとに来た静寂のさなかで、四肢のずきずきする鈍痛と、頭の恐ろしい重さとを感じながら、それでも完全に意識を取り戻して目ざめることがあった。おそらく深夜の静寂と薄明りのなかでは外界の印象がかけていること、またおそらくは目をさましたばかりの人間の脳髄の働きの鈍さが、そうした瞬間彼に自分の状態をはっきりと認めさせ、あたかも健全であるかのような相を呈させるのであろう。しかし夜が明けると、さし入る光とともに、また病院の生活の目ざめとともに、またしてもさまざまの印象が大波をなして彼を取り囲むのだった。病んでいる脳髄はそれらの印象をもて扱いかねて、彼はまたもや狂人になってしまうのだ。彼の状態は、正しい判断と妄想との奇妙な混合物だった。彼には、自分のまわりにいる者がみんな病人だということはわかっていたが、それと同時に彼らの一人一人に、自分がかつて知っていた、あるいは本で読んだことのある、ないしはうわさに開いたことのあるだれかれの顔を――それら、ようやくひそやかに薄れ隠れようとしている、またはまったく忘却の狭霧(さぎり)におおわれてしまっている面影を、見いだすのであった。で病院には、あらゆる時代、あらゆる国々の人が住んでいた。生きている人も死んでいる人もあった。その名一世に鳴り響いた人々も、武勇のほまれ天下に高い人々も、またこの間の戦争で死んで、ふたたびよみがえって来た兵士もいた。彼は、地上のいっさいの力を集中させたある妖(あや)しい魔法の輪の中にいる自分を見、思いおごった恍惚(こうこつ)のなかで、自分をその輪の中心だと思った。彼の病院仲間はみんな、ある仕事を遂行するためここに集合したのであり、その仕事は彼の胸にはばくぜんと、地上の悪の絶滅を期する雄大な一大事業なのだと思い描かれた。具体的にはたしてどういうことをする事業なのかは、彼にもわからなかったが、彼はそれを遂行するに充分な力が身内にあることを感じていた。彼は他人の心の中を読むことができた。事物にその全歴史を見ることもできた。病院の庭の楡(にれ)の大樹は、その過去のいっさいの伝説を彼に物語るのだった。病院の建物は事実かなり昔に建てられたものではあったが、彼はそれをピョートル大帝の造営であると考え、帝がポルタヴァの役の当時に住まわれたものとかたく信じていた。それを彼は四方の壁や、はげ落ちた漆喰(しっくい)や、庭にころがっている煉瓦(れんが)やタイルのかけらの上に読んだのだ。家屋と庭園のいっさいの歴史は、それらのものの上に記されていた。彼は死亡室の小さな建物に、とうの昔に死んでいる何十人何百人の人間を住まわせ、その地下室から庭の片すみに面してあいている小窓に、じつと眼をこらすのだった。 すると、その虹色(にじいろ)をしたよごれた古ガラスのうえの光の乱反射の中に、かつて生あるものとして、または肖像画として彼の目に触れた、見覚えのある面影が浮かぶのであった。

 そのうちに淀み渡った晴天の日々が来た。患者たちは終日庭に出て外気のなかで過ごした。その庭の彼らの領域は広くはなかったが、木々がよくおい茂つて、植えられる限りの場所には一面に草花が植わっていた。監督は少しでも労働のできる者にはみな庭で働くようにしいていたので、彼らは日ねもす小径(しょうけい)を掃いて砂をまいたり、自分たちの手で犂(す)き起こした花壇や、胡瓜(きゅうり)や西瓜(すいか)や甜瓜(まくわうり)の苗床の草むしりをしたり、水をやったりしていた。庭のすみにはよく茂った桜の林があった。それにそって楡(にれ)の並木が連なっていた。中央の小さな築山(つきやま)の上には、庭じゅうで一はん美しい花壇が作ってあった。あざやかな色の花々が上段を縁どってはえ、そのまん中には、豊満な、珍しいほど大輪の、赤い斑点(はんてん)のある黄ダリヤが、今を盛りと咲き誇っていた。このダリヤは一段と小だかいところに位して、庭全体の中心をなしていたので、多くの患者がこの花に何かしら神秘な意味を付していることは、一見してそれと見てとられた。新来の患者にもやはり、その花は尋常一様のものとは言い切れぬあるもの、何かしら庭園と家庭の守護女神像(パラジウム)のように思われるのだった。あらゆる小径の両側にも、患者たちの手で花が植えてあった。そこにはウクライナ地方の庭々で見られるありとある花があった。丈(たけ)なす薔薇(ばら)、色あざやかな衝羽根朝顔(つくばねあさがお)、小さな淡紅色(ときいろ)の花をつけた見上げるような煙草(たばこ)の叢立(むらだ)ち、薄荷、孔雀草(くじゃくそう)、凌霄葉蓮(のうぜんはれん)、それから罌粟(けし)。またその庭には、昇降口のじきそばに、何か特別の種類と見える罌粟が三株はえていた。普通の罌粟よりもずっと花が小さく、その真紅の色の並々ならぬあざやかさが、普通には見られぬ特徴であった。

 入院後の第六日に、例の患者がガラス戸ごしに庭をながめていたとき、その目を驚かしたのはこの花なのであった。

 はじめて庭に出た彼は、昇降口の段をおりようともせずに、何よりもまずこの燃えるよう花をながめた。花はたった二つしかなかった。それは他の草花から離れて、偶然この雑草の抜いてない場所に生えたので、よく茂った藜(あかざ)や、名も知らぬ丈の高い南方の雑草が、ぎっしりとまわりを取り囲んでいた。

 患者たちは順ぐりに戸から外へ出た。戸口には看視人が一人立っていて、額に赤十字の印のついたもめん編みの厚手の白い患者帽を、めいめいに手渡すのだった。この帽子は戦地に行って来たもので、競売で買い入れたのである。とはいえ、例の患者がこの赤十字の印に、特別な神秘な意味を付していたことは言うまでもない。彼は帽子を脱いで十字の印をながめ、それから罌粟の花をながめた。花の方があざやかだった。

 「やつの方がまさっている」と患者は言った、「だがまあ見ていろよ。」

 そして彼は昇降口を離れた。あたりを見回し、うしろに立っている看視人の姿には気づかずに、彼は花壇を一またぎしてその花の方へ手を伸ばしたが、摘みとる勇気は出なかった。まるで得知れぬ力の何かしら強烈な流れが、その真紅の花弁から発して、彼の全身を貫きとおしでもしたように、彼はまず差し伸べた手に、やがては全身に、焼けつくような感じと、刺すような痛みを感じたのである。彼はぐいとにじり寄って、花とれすれまで手を伸ばしたが、花は人命を奪うような毒気を発散して、防いでいるように彼には思われた。彼は目まいがして来た。彼が最後の死にものぐるいの努力をして、やっとのことで茎に手をかけた時、にわかにどっしりと重い手が彼の肩にかかった。看視人が彼をつかまえたのだ。

 「むしってはならん」とウクライナ人(とさかあたま)の老人が言った、「花壇へはいってもならん。ここには君らのような気ちがいがいっぱいいる。それに一本ずつむしられたら、庭じゅうが坊主になってしまうからね」と彼は、患者の肩をつかまえたまま、さとすような口調で言った。

 病人は彼の顔をながめ、無言のままその手を振りほどくと、興奮して小径を歩いて行った。『ああ、哀れなやつらだ』と彼は思った、『お前らは眼が見えないのだ。きゃつをかばうほどに、お前らはめしいはてているのだ。だがおれは、どんなことがあろうと、きっときゃつをやっつけて見せる。きょうがだめならあすこそ力比べをしてやろう。それでおれが死んだとしても、どっちみち同じことじゃないか。……』

 彼は日がとっぷりと暮れるまで庭をぶらついて、患者仲間と交際を結んだり、または対談者がみなてんでに、途方もない摩訶不思議な言葉で自分の狂った考えを言い表わして、それに対する相手の返答だけを聞くといったふうな、奇妙な会話をかわしたりした。病人はいまこの患者と歩いていたかと思うと、すぐまた別の患者と道連れになって、日が暮れるころには、彼が自分に言い聞かせた文句によると『用意はすっかり出来ている』ことについて、ますます確信を深めるに至った。間もなく、間もなく鉄の格子はくずれ落ち、これら監禁されている人々は残らずここを出て、地上のありとあるはてへと飛んで行く。そして全世界はおののき震え、着古した衣をかなぐり捨てて、新しい驚くべき美しさをもって立ち現われる。……彼は花のことはほとんど忘れてしまっていたが、庭を去って昇降口を上がろうとしたとき、黒ずみかけてすでに露を宿しはじめていた雑草の茂みの中に、まるで二つのあかい炭火のような罌粟(けし)の花が、あらためてまた彼の目についた。すると病人は患者の群れからおくれて、看視人のうしろにたたずみ、まんまと恵まれた瞬間をつかんだのだった。だれひとり、彼が花壇を飛び越え、花をわしづかみにして、いそいで胸の肌衣(はだぎ)の下にかくしたのを見たものはなかった。冷え冷えと露を含んだ草の葉が彼の肉体に触れたとき、彼は死人のように青ざめて、恐怖のあまり目を大きく見開いた。冷汗が彼の額ににじみ出た。

 病院にはランプがともった。晩食を待つあいだ、患者の大部分は寝床に横になっていたが、幾人かの躁狂性(そうきょうせい)の患者はせかせかと廊下や広間を歩いていた。花を抱いた患者もその一人だった。十文字に組んだ両腕を、ぐいぐいと痙攣的(けいれんてき)に胸に押しつけながら、彼は歩いていた。胸にかくした草花を押しつぶしてしまいたい、みじんにもみしだいてしまいたいと思っているようだった。ほかの患者が向こうから来ると、彼は着物のへりの触れ合うのを恐れて、遠回りによけて通った。

 『そばへ寄らんでくれ、そばへ寄らんでくれ!』と彼は叫んでいた。しかし病院の中では、そんな大音声に一々注意を向ける人はまずなかった。で彼はいよいよ足早に、ますます大股(おおまた)になりながら、何かしら激しい怒気を含んで、一時間二時間と歩き回っていた。

 「へとへとにしてくれるぞ。息の根をとめてくれるぞ!」と彼は、うつろな声でさも憎さげに言ふのだった。

 ときどき彼は歯ぎしりをしていた。

 食堂に晩食が出た。テーブル掛けのない大きな食卓の列の上には、金の蒔絵のある色塗りの木鉢がそれぞれ幾つかずつ置かれて、その中に水っぽい黍粥(きびがゆ)が盛ってあった。患者たちは長い腰掛にすわった。黒パンが一片ずつ配られた。八人ほどが一組になって、おもやいの鉢から木さじで食べるのだった。上等食を支給される幾人かの患者には、別室で食事が出た。看視人によって自分の病室へ呼び込まれた例の患者は、その看視人が運んで来た一食分を急いで一と飲みにしてしまうと、それでは満足がゆかずに共同食堂へやって来た。

 「僕もここにすわらせて下さい」と彼は監督に言った。

 「もうおすみじゃなかったのですか」と、お代りの粥(かゆ)を木鉢につぎながら監督はきき返した。

 「僕はとても空腹なんです。それに僕はうんと精分をつける必要がある。僕の命をつないでいるのは食物だけなんです。ご存じの通り、僕は一睡も出来ないのですから。」

 「じゃまあ、たんとおあがりなさい。タラス、この方にさじとパンをお上げ。」

 彼は木鉢の一つに向かってすわると、さらにびっくりするほど大量の粥を平らげた。

 「さあ、もうたくさん、もうたくさん」と、一同が食事を終えたとき監督はそう言ったが、病人はまだ腰を上げずに鉢の上へのしかかって、片手では粥をすくい、のこる片手では胸をしっかり押えていた。「お腹をこわしますよ。」

 「ああ、僕にどれほどの力が、どれほどの力がいるのか、あなたがわかって下すったらなあ! ではお別れします、ニコライ・ニコラーエヴィチ」と彼は食卓を立ちながら、監督の手をぎゆっと握りしめて言った、「ごきげんよう。」

 「いったいどこへいらっしゃるのです?」と監督は微笑しながらきいた。

 「僕ですか? 別にどこへも。ここにおりますよ。だが明日はおそらくお目にかかれますまい。いろいろとご親切にありがとうございました。」

 そう言いながら、もう一ぺん監督の手を固く握りしめた。彼の声はふるえ、目には涙が浮かび出た。

 「まああなた、落ちついて下さい」と監督は答えた、「なんだってそんな陰気なことを考えるのですか。お部屋(へや)に帰って横におなりなさい。そしてぐっすりおやすみなさい。あなたはもっと睡眠をとらなくちゃいけませんよ。よく眠りさえすれば、じきによくなりますよ。」

 病人はむせび泣いていた。監督は顔をそらすと、食事の残りを早く片づけるように、看視人たちに命じた。それから半時間ののちにはもう、病院の中はすっかり寝静まっていたが、ただ一人、角(かど)の部屋の寝台の上に、着替えもせずに横たわっている患者だけは例外だった。彼は熱病患者のようにがたがたとふるえ、前代未聞の恐るべき猛毒に犯されたと自ら考えている胸を、痙攣的(けいれんてき)にしめつけるのだった。

 

   五

 

 彼は一晩じゅう眠らなかった。彼があの花を摘み取ったのは、そうした行為のうちに自分の遂行せねばならぬ大いなるわざを見たからだった。ガラス戸ごしにはじめて見かけた時、彼の注意はその真紅の花弁にひきつけられてしまった。そして彼には、この刹那(せつな)を境にして自分が、この地上で自らしとげなければならぬことの何かを、完全に悟ったような気がしていた。あの燃えるようなあかい花に、世界のありとある悪(あく)が集まっていたのだ。彼は罌粟(けし)からは阿片の採れることを知っていた。おそらくはこの考えが枝葉をひろげ、異様な形をとって、すさまじい怪奇な幻影を彼に作り上げさせたのであろう。彼の目にはその花は、ありとある悪のこり固まってできたものと映った。その花は、罪なくして流された人類の血を一滴もあまさず吸いとり(だからこそあんなに真紅なのである)、人類のあらゆる涙、あらゆる胆汁をも吸いとったのだ。それは神秘な恐るべき存在であり、神の反対者であり、さも内気そうな無邪気そうなふりを装う暗黒神(アリマン)であった。むしり取って、殺してしまわねばならないのだ。しかもそれだけではまだ足りない。それが息を引きとる際に、身内のすべての悪を世界へ吐きだすようなことがあってはならないのだ。だからこそ彼は、それを自分のふところにじっと押しかくしていたのである。彼は、夜が明ければその花が、いっさいの魔力を失うことと期待していた。その悪は彼の胸に、魂に乗り移って、そこで彼に征服されるか彼を征服するか、どっちかなのである。それが彼を征服することになれば、彼自身は滅びる、死ぬ。しかし彼は名誉ある戦士として死ぬのだ。のみならず、いまだかつてだれ一人として、世界のありとある悪を相手に一挙に戦いを決しようとした者がない以上、彼は人類最初の戦士として死ぬのである。

 「やつらにはあれが見えなかった。おれにはちゃんと見えたのだ。どうしてあれが生かしておけよう。そのくらいなら死んだ方がましだ。」

 そして彼は、ぐったりとなって横たわっていた。幻想の生んだ、現実にはない戦いではあったが、それでもやっぱりぐったりと疲れはてて。――朝になると、助手は息もたえだえの彼を見いだした。がそれにもかかわらず、しばらくすると興奮の力の方がうちかって、彼は寝床からとび起き、あいかわらず病院じゅうを駆けずり回って、今までにないほどの高声と脈絡の無さとで、患者たちと話をしたりひとり言をいったりした。彼は庭へは出されなかった。医師は、体重が日ましに減って行くのに、彼があいかわらず一睡もせずにたえず歩き回っているのを見て、多量のモルヒネの皮下注射を命じた。彼は抗(さか)らわなかった。幸いにもこの時は、彼の狂った考えがこの施術にぴったりと一致したのである。彼は間もなくうとうとと寝入った。魔に憑かれたような運動はやんだ。またあのせかせかした歩みのタクトから生みだされて、たえず彼につきまとって離れなかったとどろくようモチーフも、彼の耳から消え失せた。彼は自分を忘れ、いっさいの思考をやめて、摘み取らなけれはならない第二の花のことすら考えなくなった。

 しかしそれから三日すると、あっと思う暇もないとっさのうちに、老看視人の目の前で彼はその花を摘み取った。看視人は追っかけて来た。勝ち誇ったような悲鳴をあげながら、患者は病院へ駆け入って、自分の部屋へとび込むが早いか、草花を胸にかくした。

 「なぜ花をむしったりする」と、後ろから駆け込んで来た看視人がつめ寄った。が、その時はもう病人は腕組みをしたいつものかっこうで寝床に横たわって、例のたわごとを始めたので、急いで逃げる拍子に返し忘れた赤い十字の帽子を、黙って彼の頭から取っただけで、看視人は部屋を出て行った。そして幻想の戦いがまた始まった。病人はその花から、蛇(へび)に似た何本もの長いうねうねした流れをなして、悪がのたくり出るのを感じるのだった。それは彼に巻きつき、四肢(しし)をしめつけしぼりあげ、その恐ろしい分泌物(ぶんぴぶつ)を彼の全身にしみ込ませるのだった。彼は涙をぼろぼろこぼしながら、敵に投げつける呪詛の文句の合い間合い間に神に祈った。夕暮になると花はしぼんだ。病人は黒ずんで来た草花を踏みにじって、残骸(ざんがい)を床(ゆか)から拾いあげると、それを浴室へ持って行った。形も何もなくなった青草の小さなかたまりを、石炭でまっ赤にやけている炉の中へ投げ込むと、敵がじゅじゅっといって縮くれあがり、やがてのはてにはふんわりした、雪のように白い一片の灰に化してしまうまで、彼は長いこと見守っていた。ふうっと吹くと、何もなくなった。

 あくる日、病人の容態は目に見えて悪化した。げっそりとこけた頰(ほお)、眼窩(がんか)の奥へ落ちくぼんでぎらぎらしている目、そして恐ろしいほどまっ青な顔をした彼は、もはやふらふらとたよりない足どりでつまずきつまずき、憑(つ)かれたような歩みを続けながら、ひっきりなしにしゃべり立てていた。

 「暴力には訴えたくないものだが」と科長がその助手に言った。

 「しかし先生、あの猛烈な運動だけはやめさせなければなりますまい。今日の体重は九三フントでした。この調子で行くと、二日たては死んでしまいます。」

 科長は考え込んだ。――「モルヒネか? クロラールか?」と半ば問うように言う。

 「きのうはもうモルヒネもききませんでした。」

 「縛れと言ってくれたまえ。だが僕は、まず助かるまいと思うよ。」

 

      六

 

 そこで病人は縛りあげられた。狭窄衣(きょうさくい)を着せられ、幅のひろいズックの帯で寝台の鉄枠(てつわく)へしっかり結わえ付けられて、彼は自分の寝床に横たわっていた。しかし運動性の狂躁(きょうそう)は静まるどころか、かえってつのる一方だった。枷(かせ)から自由になろうとして、彼は何時間もぶっ通しの執拗(しつよう)な努力を試みた。とうとうしまいに、力いっぱいにぐいと突っばると、帯が一本きれて足が自由になった。やがてもう一本の帯からも抜け出して、手を縛られたまま部星のなかを歩き回って、凶暴な訳のわからぬ言葉をわめきはじめた。

 「ひゃあ、このやつがれ!……」と、はいって来た看視人がわめきたてた、「なんたる悪魔が助(す)けおったぞな? グリッコやい、イヴァンやい! いそぎ来(こ)うよう、抜け出おったがな。」

 彼らは三人がかりで病人に飛びかかって、そこで長い格闘がはじまった。それは攻撃する側にとっても厄介千万なものだったが、ましてや消耗した力の残りを振り絞って防禦(ぼうぎょ)する方にとっては、やり切れない苦難であった。とどのつまり彼は寝台のうえに押し倒されて、前よりも固く縛り上げられてしまった。

 「君たちは自分でしている事がわからんのだ」と病人はあえぎあえぎ叫んだ、「君たちは滅亡に瀕してるんだぞ。僕は咲きかけている三つ目のやつを見たんだ。今ごろはもうきゃつめ、用意ができた頃なんだ。頼む、この仕事をはたさせてくれ。きゃつを殺さにゃ、殺さにゃ、殺さにゃならん。そうしたらすっかり片づくんだ、みんなが救われるんだ。君たちに頼んでもいいが、これが出来るのはこの僕だけなのだ。君たちはちょっとさわっただけでも死んでしまう。」

 「黙っとりなされ、若旦那や、黙っとりなされ」と、見張りのために寝台のそばに居残った老看視人がいった。

 病人は急に黙り込んでしまった。看視人たちをだまそうと決めたのである。一日じゅう縛られたまんまだったが、なおそのうえに、その一と晩は同じ状態で置かれることになった。病人に晩食を与えると、看視人は寝台の下に何やら敷いて横になった。一分後には彼はぐっすり寝入ってしまったが、病人の方は仕事に取りかかった。

 寝台の縦の鉄枠にさわれるように、彼は全身をねじまげた。そして狭窄衣の長い袖の下に隠れている手首がそれにさわると、勢いよくごしごしとそでを鉄にこすりつけはじめた。しばらくすると厚いズック地がすりきれて、食指がやっと自由になった。そうなるともう仕事は手っとりばやく運んだ。健康な人にはとても信じられぬほどの巧妙さと、屈伸の自在さとで、彼は背中でくくりあげてあるそでの結び目を解きはなち、狭窄衣を振りほどいてしまうと、長いことじっと看視人のいびきに耳を澄ましていた。が老人は正体もない。病人は狭窄衣をぬいで、寝台を抜けだした。彼はもう自由の身だった。彼は戸に試(あた)ってみた。内側から錠(じょう)がおりている。鍵(かぎ)はおそらく看視人のポケットにあるのだろう。老人に目をさまされては困るので、そのポケットを探ることはあきらめて、窓から脱け出ようと決心した。

 静かな暖かいやみの夜であった。窓はあけ放してあって、星かげが黒々とした空にまたたいていた。彼はそれをながめ、自分の知っている星座を見わけたり、なんとなく星たちが自分の気持を理解し、同感してくれるようなふうに見えるのを喜ぶのだった。彼は目をまたたかせながら、星たちが自分へ送ってよこす無限の光をながめていた。それにつれて狂った覚悟はますます強まって行くのだった。鉄格子の太い棒をねじ曲げ、狭いすきまをはいぬけ、灌木(かんぼく)のおい茂った露地へおりたって、それから高い石塀(いしべい)を乗り越えなければならぬ。そこでいよいよ最後の戦いだ。そのあとでは――死んでもいい。

 彼は素手で太い鉄棒を曲げようとして見たが、鉄はびくりともしなかった。そこで彼は狭窄衣の丈夫なそでをなわにより、鉄棒のさきの槍(やり)になっているところへ引っかけて、全身の重みでそれにぶら下がった。残っている力のほとんどありったけを振り絞った死にもの狂いの努力のあとで、槍先はやっと折れまがって、狭い口があいた。肩やひじや、裸のひざがしらをすりむきながら、彼は無理やりにそのすきを抜けだし、灌木のむれをかきわけて、石壁の前に立ちどまった。

 あたりは静まり返っていた。終夜燈の明りが、大きな建物の窓々を内側から鈍く照らして、その中には人影も見えなかった。だれも彼に気づいたものはないのだ。彼の寝台のそばで番をしていた老人は、おそらくぐっすり眠っているのだろう。星たちの優しくまたたく光が、彼の心臓にまでしみとおってきた。

 「もうすぐにおそばへ参ります」と、彼は空を仰いでささやいた。

 最初の試みでずり落ちて、爪(つめ)をはがし、手やひざがしらを血だらけにした彼は、都合のいい場所を探しはじめた。石塀が死亡室の壁と接している所に、塀からも壁からも幾つかの煉瓦(れんが)がくずれ落ちていた。病人はその穴(あな)ぼこを探り当てると、それを利用して石塀にはい登り、向こう側にはえている楡(にれ)の枝につかまって、幹をつたわって静かに地上に降りた。

 彼は昇降口のそばの例の場所めがけで、ころぶように走って行った。罌粟(けし)は花弁を閉じて、露のおりた草の上にくっきりと浮き出しながら、小さな頭を黒ずませていた。

 「最後のやつだ」と病人はささやいた、「最後のやつだ。きょうこそは勝つか死ぬかだ。だがもうおれにはどっちだって同じことだ。しばらくお待ちください」と彼は空を仰いで言った、「もうすぐにおそばへ参ります。」

 彼は草花を根ごと引き抜くと、ずたずたにちぎってもみつぶし、それを握りしめたまま、もとの道を自分の部屋へ取って返した。老人は眠っていた。病人は寝床のところまでたどりついたかと思うと、そのまま気を失って寝床の上に倒れてしまった。

 朝になって、人々は死んでいる彼を見いだした。安らかな明るい顔をしていた。薄いくちびると、深く落ちくぼんだ閉ざされた目――その衰えはてた相貌(そうぼう)は、何かしら誇りかな幸福の色を浮かべていた。彼を担架に移したとき、人々は手を開かせて、あかい花を抜きとろうとした。がその手はもう硬直しだしていて、彼は自分の戦利品を墓へと持ち去ったのである。