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鬼火へ

Петр Петрович Каратаев
       Иван Сергеевич Тургенев

ピョートル・ペトローヰッチ・カラターエフ

   ――イワン・ツルゲーネフ原作 中山省三郎譯

 

[やぶちゃん注:これは

Иван Сергеевич ТургеневIvan Sergeyevich Turgenev

Записки охотника”(Zapiski okhotnika

イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ(18181883)の「猟人日記」(18471851年に雑誌『同時代人』に発表後、一篇を加えて二十二篇が1852年に刊行されたが、後の70年代に更に三篇が追加され、1880年に決定版として全二十五篇となった)の中の

 Петр Петрович Каратаев”(Petr Petrvich Karataev

の全訳である(1847年『同時代人』初出)。本作は「ホーリとカリーヌィチ」に次いで発表された「猟人日記」の第二篇目であった。底本は昭和311956)年角川書店刊の角川文庫のツルゲーネフ中山省三郎譯「獵人日記」の上巻の、平成2(1991)年再版本を用いた。傍点「ヽ」は下線に、「こ」を繋げたような漢文訓点に現われる繰り返し記号は通用の「々」に代え、巻末にある訳者注を作品末に示し(但し、文中にある注記号「*」はうるさいので省略した)、一部の私に気になった語についてのオリジナルな注も混在させた(このテクストでは気になる部分が多く、かなりの量に及んだ。記号で明確に区別した)。また、私が若い読者には極めて読みづらいと思われる最小限の難読漢字にのみ、歴史的仮名遣で〔 〕で読みを添えた。訳者である故中山省三郎先生への私のオードは「生神樣」の冒頭注を参照されたい。なお、一部判読不能・明白な誤字部分は、同テクストを用いたと思われる昭和141939)年岩波書店刊の岩波文庫のツルゲーネフ中山省三郎譯「獵人日記」を参照して、補正したが、その部分については特に断っていない。また、「!」や「?」に「……」や括弧類が続く場合、リーダーの前に一字スペースがあるものとないものがあるが、すべて一字空けで統一し、それ以外に時々認められる鍵括弧等の後の不自然な一字スペース等は無視した。【2008年8月24日】]

 

ピョートル・ペトローヰッチ・カラターエフ

 

 五年ほど前の秋のこと、モスクワからトゥラへ行く途中で、馬のないために、殆んどまる一日といふもの、餘儀なく宿場で暮らしたことがあつた。獵からの歸り途で、私はついうつかりして自分の三頭立の馬をすつかり先に歸してしまつたのである。宿場の頭(かしら)といふのは、もう相當に年のいつた無愛想な男で、髮の毛を鼻の眞上まで振り下げ、睡さうな小さな眼をしてゐたが、私がどんなに泣き言をいつても、賴んでも、ぽつりぽつりと生返事をして、まるで自分の務めを呪つてでもゐるかのやうに憤ろしく戸をぴしやりと音させた。さうして、上り段のところへ出ながら、馭者たちを叱りつけた。馭者たちは兩手に重い頸木を持つて、泥濘(ぬかるみ)の中を呑氣さうにぶらぶらしてゐたり、ベンチに腰をかけては、缺伸をしたり、體を引つ掻いたりしてゐたが、親分の呶鳴りごゑなどは、どこを風が吹くかといつたやうに、別に氣にもとめなかつた。私はもう三度ほどもお茶を入れて貰ひ、幾度か眠らうとしたが駄目であつた。窓や壁に書き散らされてゐる欒書をすつかり讀んでしまつた。私は實に退屈して困つた。冷やかな、やるせない絶望の念を懷きながら、私は自分の旅行馬車(タラタンス)の仰向いた轅を見つめてゐた。すると不意に鈴の音が聞こえて來て、疲れきつた三頭の馬に曳かせた小さな馬車が上り段の前に停まつた。新來の客は馬車から跳び下りざま、「馬を、大急ぎで!」と叫びながら、部屋の中へ入つて來た。馬はゐないと頭(かしら)が答へるのを、彼はよく見受けるやうな妙な驚き顏をして聽いてゐた。その間に私は退屈してゐる人間がもつ倦むところを知らない好奇心を以て、この新しい仲間の足の先から頭の先まで忽ちにして瞥見してしてしまつた。彼は見かけ三十そこそこであつた。味も素つ氣もない黄ばんだ顏には、見るも厭な銅(あかがね)いろの反射を見せて、消す由もない痘痕(あばた)が殘つてゐる。青味がかつた黑長い髪の毛は後ろに渦を卷いて、襟のうへにかかり、前の方は顳顬〔こめかみ〕のところにすさまじく撚られてゐる。小さな腫れぼつたい眼はぼんやりと、ただ開いてゐるに過ぎない。上唇のうへには薄い髭が見える。彼は馬市などへやつて來る身持の惡い地主みたいに、色まだらな、ひどく脂じみた短い上衣(アルハルウク)を着て、薄むらさきの色あせた絹のネクタイ、銅の釦のついたチョツキに、ひどく大きな膝革のある灰色のズボンを穿いて、その下からは磨かない長靴の先が微かに覗いてゐる。煙草と火酒(ウオツカ)の匂ひを、きつく匂はせて、上着の袖に殆んどかくれた赤く太い指には銀の指環や、トゥラ出來の指環を見せてゐる。こんな恰好の男は露西亞には何十人といはず、百を以て數へるほどたくさんゐる。正直にいふと、かういふ連中とは、知合ひになつても、何ひとつ面白いことはないのである。ところが、新來の客を見たときは、かういふ獨り決めをしてゐたのであつたが、私は彼の顏にあどけない、人の好い、情熱的な表情を、どうしても見逃すことができなかつた。

 「まあ、皆さんがここで一時間の餘も待つてるんでございます」と私を指しながら、頭(かしら)がいつた。

 一時間の餘だつて! 惡黨め、人を馬鹿にしやがる。

 「尤も、先樣(さきさま)には、そんなに入り用でもないんだらう」と新來の客が答へた。

 「それあ、どうでござんすか分かりませんが」と無愛想に頭(かしら)がいふ。

 「ぢやあ、どうしても駄目なんだね? たつた一匹の馬もゐないつていふんだね?」

 「さやうでございます。一匹もゐないんでして」

 「うん、そんなら、サモワールを持つて來さしてくれ。しばらく待つとしよう。どうにもしやうがない」

新しい客はベンチに腰をおろして、卓子のうへに帽子(カルトウズ)を投げつけ、髭の毛を撫でた。

 「あの、もう貴方はお茶をおあがりになりましたか?」

 「ええ」

 「でも、もう一つ、おつきあひにいかがです?」

 私は承知した。どつしりした人參いろのサモワールは、これで四度目に卓子のうへに現はれた。私はラム酒の瓶を取り出した。私がこの茶呑み友だちをあまり裕かでない貴族だと見て取つたのは、間違ひではなかつた。彼の名はピョートル・ペトローヰッチ・カラターエフといつた。

 私たちは談し合つた。まだやつて來てから半時間とも經たないうちに、彼は心の底まで打明けて、その身の上を聞かせるのであつた。

 「私はいま、モスクワへ行くところなんですが」四杯日の杯を飮み乾しながらいつた、「もう田舍では二進(につち)も三進(さつち)も行かなくなりましてね」

 「それはまたどうして?」

 「なあに、どうしてといふこともないんですが、うまく行かないんですよ。家政(やりくり)の調子がすつかり狂つて、百姓たちを破産させましてね。正直の話、凶年續きで、やれ不作の、何のかんのと、いろんな、あんた、不幸が……。それにしても」と彼は力なく眼をそらして附け加へた、「まあ何ていふ御主人樣でせうねえ、私は!」

 「どうしてまた、そんなことを?」

 「しかし、いや」彼は私を遮つた、「あんな家政(やりくり)があるもんですか! まあ、いいですか」と首をかしげて、一心に煙草を喫みながらつづける、「まあ、私を御覧になつたら、その……とお思ひになるでせうね……ところが、正直のところ私は大した教育も受けて居りません。資力もなかつたもんですから。や、御免なさい、私は何でも明けすけに育つてしまふ方でして。それで要するに……」

 彼はその言葉をいひきらずに、手を振つた。私は向ふが勘ちがひをしてゐるといふことや、私は貴方に逢へて非常に嬉しいなどといふことを熱心にいつて、それから領地を管理するのには、そんなに充分な教養は要らない氣がするといつてやつた。

 「御同感です」と彼は答へた、「私も御同感です。しかし、やつぱり特別にさういふものを持ち合はしてゐる必要がありますね。世の中にはよく仕事を辨へて、それでうまく行く人がある! ところが、私と來たら……。ちよつと失禮ですが、貴方は彼得堡(ピーテル)からおいでになりましたか、それともモスクワから?」

 「ペテルブルグから來ました」

 彼は鼻の孔から、煙を長く、ゆらゆらと吹いた。

 「私は役に就かうと思つてモスクワへ行くところです」

 「どちらへ御就職なさるおつもりですか?」

 「それあ分からんです。まあ、行きあたりばつたりですね。白状しますと、私はお役所勤めが怖いんでして。直ぐに責任問題と來るんですからね。田舍にばかり住んでゐて、御承知のやうに田舍には馴れてますが、しかし、今は二進(につち)も三進(さつち)も行かない、……貧困で!……ああ、もう、火の車で!」

 「そのかはり首都(あちら)へ行けば、うまくやつて行けませう」

 「首都(あちら)で……さあ、首都(あちら)へ行つて、どんないいことがあるか分かりませんが。まあ、やつて見ませう。案外、いいかも知れません」

 「ぢやあ、もうお里でお暮らしになることはできないんですか?」

 彼は溜息をついた。

 「駄目なんです。今ではもう、里は殆んど私のものではないんでして」

 「それはまた、どうして?」

 「なあに、氣立てのいい人がゐましてね、隣りの人なんですが、この人が新親に手をかけることになりまして……賣渡しの手形まで濟みました……」

 可哀さうに、ピョートル・ペトローヰッチは顏に手をあてて、ちよつと考へてゐたが、やがて頭を振つた。

 「さあ、もうかうなつては仕方がありません! ……が、實を申しますと」彼は暫く默つてゐた後で、附け足した、「誰を責めることもない、自分が惡いんだ。空威張りが好きだつた!……もつてのほかですが、空威張りが好きで!」

 「あなたは田舍で面白くお暮らしですか?」と私は訊ねた。

 「貴方、私んとこには」彼は私の顏をまともに見ながら、力を入れて答へる、「獵犬が十二番(つがひ)もゐましてね、それは、あなた、やたらにゐない奴でしたよ。(彼は最後の言葉を引つ張つていつた)野兔が見つかると、きつと振り廻される。狐や狼や貂〔てん〕なんか狙つたら、蛇、まるで毒蛇みたいでしたよ。それからまた、自慢になるボルゾイ種の犬ももつてましたつけ。けれど今となつては昔のことです。嘘いつたつて始まらない。私も鐵砲かついで、獵もしました、『コンテスカ』といふ犬をもつてましたが、そいつはすばらしいセッターで、鼻がよく利いて何でもつかまへました。まあ、沼地なんかへ近づいて『さがせ』(シヤルシ)つていひますね。ところが、あいつが探さないとなると、十匹の犬をつれて行つて、いくら力(りき)んだつて、何一つ見つかりませんでしたよ。それが、いざ探すとなると、全く死物ぐるひになる! それで、家ん中では、とてもお行儀がいいんです。左の手で麺麭をやつて、『猶太人(ジウ)が食つた』といふと、取らんぢやありませんか。それが右の手でやつて、『お孃さまが召しあがつた』といふと、直ぐに取つて平らげるんです。あれの産んだ仔がゐましたが、これがまた素敵な犬で、私はモスクワへ連れて行かうと思つたんですが、友人から鐵砲と一しよに所望されましてね。『モスクワへ行つたら、君、そんなどこぢやあるまい。向ふへ行つたら、まるつきり、君、ちがつて來るんだぜ』と、かう言ふんでして。それで、もう仔犬もやれば、鐵砲もやつてしまひました。ですから、そんなものはみんなあちらに殘つてゐるわけなんです」

 「しかし、モスクワへ行つたつて獵はできる筈です」

 「いやもう、何の足しになるもんですか? 自分の身を支へることさへもできなかつた。だから今は我慢もしなくちやなりませんよ。それはさうと、くはしくお伺ひしたいもんですが、モスクワで暮らすのはどうでせう、金がかかりませうか?」

 「いや、それほどでもありません」

 「それほどでもない?……それから何でござんすが、モスクワにはジプシーがゐるでせうか?」

 「ジプシーつて、どんな?」

 「つまり、何ですね、あの、市なんかを廻つてる?」

 「ええ、ゐますとも、そんならモスクワにも……」

 「さうですか、それは結構だ。私はジプシーが好きで、いや、馬鹿な! でも、好きでしてね……」

 ピョートル・ペトローヰッチの眼は前後を忘れて樂しさうに輝いた。しかし、ふつとベンチのうへに身を反らして、それから深い考へに沈んで、首を垂れ、私の方へ空のコップを差し出した。

 「あなたのラム酒を頂戴したいんですが」と彼はいつた。

 「しかし茶はもうすつかり出ちやいましたよ」

 「結構です、茶なんかなくつたつて……ああ!」

 カラターエフは兩手に頭をかかへて、卓子のうへに背をもたせかけた。私は默々として彼を見つめ、醉つた人がよく、あたり構はずに洩らす感傷的な歎息や、殊によつたらあの手合が惜し氣もなく流す涙でも見せられることと思つてゐたのに、さて頭をあげたのを見ると、その顏には深い悲しみの色があらはれてゐて、實をいふと、私はすつかり驚かされてしまつた。

 「どうかしましたか?」

 「いいえ、別に……ちよつと昔のことを思ひ出したものですから。なあに、ちよつとした話でございまして…。お話いたしませうか、尤も御迷惑になつては濟みませんから……」

 「とんでもないことです!」

 「さうですか」と彼は溜息まじりに續ける、「ずゐぶんいろんなことがあるものでして……まあ、早い話が、私なんかにしましても。およろしかつたらお話しませう。尤も、わかりませんけど……」

 「是非きかしていただきませう、ピョートル・ペトローヰッチ」

 「ぢやあ、さうしませう、大したことぢやないけど…やあ、何ですな」彼は始める、「しかし、實際、わかりませんが……」

 「や、もう、そんなことはおつしやらずに、ピョートル・ペトローヰッチ」

 「まあ、そんなら、結構です。實は私に、いはば、一寸したはずみで起きたことなんです。私は田舍に暮らして居りました……。突然、私は一人の娘が氣に入りましてね。ああ、全くあの娘といつたら、……器量よしで、利口で、それにまた、それは氣立ての善い女でした! 名はマトリョーナと申しまして。しかし當り前の娘でしてね。つまりその、あわかりでせうね、農奴でして、全くのはした女だつたんですよ。それも宅の娘ぢやなくて、……よそので、だから、それが災難だつたんです。さあ、そんな譯で私はその娘(こ)を可愛がりましてね。まあ、そんな、實際、ちよつとした話でして、それで向ふも私惡くは思ひませんでした。さうかうするうちに、マトリョーナは自分のからだを女主人(あるじ)のところから受け出してくれと言ひ出したんです。實は私も左樣なことを考へないでもなかつた……。ところが、あれの主(あるじ)といふのは金持で、怖ろしい狸婆でした。私んとこから十五露里(り)ほどんとこに住んでましたんですが。さあ、それで、或る、いはゆる、天氣晴朗の日に、私は三頭立の馬車を支度させました、――軸馬には、うちの駿馬で、亞細亞産の飛切りいい、名前をラムプルドスといふのを充てましてね、――自分はまた一張羅を着込んで、マトリョーナの奧方のところへ出向きました。行つて見ると、家は傍屋(フリーゲル)もあり、庭園もある大きな家でした……。マトリョーナは道の曲り角へ出て私を待つてゐて、何か私と話をしようとしてゐたんですが、やうやく手に接吻しただけで、わきの方へ行つてしまつたんです。さて、玄關へ行つて『御主人は御在宅ですか?』と訊きました。……すると、とても背の高い從僕が出て來て『どなた樣でいらつしやいますか?』といふんです。そこで『かう取次いでくれ、君、地主のカラターエフといふ者が、ちよつと御相談があつて參つたとね』 私はさういひました。從僕が奧へ行つてしまつた。あとで私はひとり待ちながら考へる、『はて、どうなりかしら? きつとあの業突婆(ごふつくばばあ)、途方もない値段を吹つかけるだらう、金持のくせに。ひよつとしたら五百ルーブリくらゐ出せといふだらう』ところへやうやく從僕が歸つて來て、『どうぞお通り下さい』といふ。そこで私はその後について客間へ入りました。客間には、ちつぽけな、黄ばんだ色の婆さんが安樂橋子に腰をかけて、眼をぱちくりさしてる。『なに御用で?』先づ切り出しには、『初めてお目にかかりまして、誠に嬉しう存じます』てなやうなことをいふのが至當だらうと思つてゐました……。すると『あなたは間違つてらつしやる、妾はここの主(あるじ)ぢやございません、主(あるじ)の身内のもので……。なに御用で?』といふんです。私はそこで、御主人樣と御相談したいことがあるんだと一言申しました。『マリヤ・イリーニチナは今日はお目にかかれません。加減が惡くて……。なに御用で?』これは仕方がないと、腹の中で思ひましたので、すつかり私は仔細を明かしました。婆さんは耳を立てて聽いてましたが、『マトリョーナつて? どのマトリョーナで?』『クリィクの娘、マトリョーナ・フョードロワです?』『フョードル・クリィクの娘……けれど、どうして御存じで?』『ふとしたことで』『それで、貴方のお志はあれに分かつてるんですか?』『ええ』婆さんは默つてしまひましたが、やがて、『けど、私はあの不屆者を……!』つていふんです。いや、私は、正直んところ、驚きましたよ。『何だつて又そんなことを、とんでもない! ……私は相當のお金で引取らうと思つてるんです、是非、まあ、お決めいただいて』すると老いぼれ婆め、ぐづぐづ言ひやがる、『まあ、驚いたことを工夫なさる。貴方のお金をあたしが要るつて! ……いや、もうあいつを酷い目にあはしてやる、酷い目に……性根(しやうね)を入れてやる』婆め、意地わるく、ほざきまわる、『ここが不足なのか、え?……ああ、あれは鬼だ、神さま、お赦し下さい、こんなことを申して!』私は、ほんとに、かつとなつた。『何だつて、貴女はあんな哀れな娘を威しつけるんです? 何であの子が、その、罪があるんです?』婆さんは十字を切りましてね。『ああ、いまいましい、私が使つてるものを……』『だつて、あれは貴女のものぢやないでせう!』『さあ、それはもうマリヤ・イリーニチナが承知してゐますよ、あんた。あんたの知つたことぢやない。けれど、誰のお抱へだか、ようく後でマトリョーナの阿魔に教へてやります』白状しますが、この惡たれ婆に私はもう少しで飛びかかるところでした。しかし、マトリョーナのことに思ひ至ると、上げた手が自づと下がりました。そのとき、ぎくりとしたことといつたら、とても今お話できません。それで私は婆さんに哀願し始めたのです、『お金はいくらでもさし上げますから』と。『けれど、貴方にあれが何の役に立つんです?』『小母さん、あれに私は參つたんですよ、まあ、私の身にもなつて見て下さい……。まあ、貴女のお手に接吻さして下さい』そこで、私は鬼婆の手に接吻をしたんです! 『それでは』と狸婆め、ぶつぶつ言ふんですね、『妾はマリヤ・イリーニチナに言つときませう。何て言ひますか、まづ二日ばかりしでまた來て下さい』私は非常な不安をいだいて歸つて來ました。あんなことをして却つて事を打ち壞しにしたらうとか、事情を打明けたつて無駄だつたらうとか、臆測しかかつたんですが、氣がついた時はもう遲かつたんです。二日ほど經つて、私は奧方のところへ出かけて行きました。今度は居間へ通されました。花はぎつしりあるし、飾りつけは立派だし、御自分は精巧な安樂椅子に腰をおろして、うしろのクツションに頭をもたせてゐました。例の身内の人も腰かけてるし、それに草いろの着物を着た、髮の毛の白つぽい、口のまがつた、多分、お相手の女でせうが、生娘みたいんのが居りました。婆さんは鼻にかかつた鬱で、『どうぞおかけ下さい』といひました。私は腰をかけました。それから私が年はいくつだとか、やれ、どこに勤めてゐた、やれ、どうするつもりだとか、高尚な言葉で勿體ぶつて訊くんです。私は巨細〔こさい〕に應答しました。婆さんは卓子のうへからハンカチを取つて、ひらひら振つて、煽ぎながら『承りましたよ、……あなた樣のお志は、カチェリーナ・カルポヴナから承りましたよ』と、かう申します。『けれど、奉公人には暇をやらないといふ家法を決めて居りますので。さういふことは不都合なことでもあり、ちやんとした家にはあるまじきことです。ちやんとしたことではないのですからね。もう、私は然るべく處理しておきました』かういふ言ひ草です、『もうあなた樣にもこのうへ厄介をかけずに濟むでせうよ』とかうなんです、『決して』つて。『どういたしまして、厄介どころぢやありません……けれど、マトリョーナ・フョードロヴナはそんなに御入用なんでせうか?』すると『いんえ』つて。『ちつとも入用ぢやありません』『そんならどうして私に讓つて下さらないんですか?』すると『どうも氣が進まないもんですからね。進まない、ただそれだけのことです、それにもう、わたしは處理しましたし、あれは嚝野(スチエピ)の村へ遣られる筈です』私は、がーんと打ちのめされました。婆さんは佛蘭西語で草いろの着物を着た娘に二言(こと)ばかりいひました。その娘さんは出て行つた。『私は』とまた言ふんです、『嚴格な規則をもつた女をで、それにまた身體(からだ)も弱いしするので、厄介なことには我慢がなりませんのです。あなた樣は未だ若くていらつしやるし、私はもう年寄ですから、御忠告申す權利があるわけですね。如何です。身をおきめになつて、御結婚を、いい配偶者(つれあひ)をお探しなすつては。持參金のふんだんにある花嫁はさう澤山あるもんぢやないけど、貧しくつても、身持のいい娘はずゐぶんありますよ』私はね、この婆さんを見つめたきりで、先方がどんなことを喋つてゐるのだか分からなかつた。ただ結婚の話をしてゐるのだとは思ひましたが、私の耳には絶えず『嚝野(スチエピ)の村』といふ言葉が鳴り響いてゐるんです。お嫁を貰へつて! 何をいつてやがるんだ! ……」

 ここまで話して來て、彼は不意に話をやめて、私をじつと見た。

 「あなたは御結婚はまだでしたらうね?」

 「ええ」

 「はあ、むろん、わかつてまさあね。で、私は聞き棄てならなかつたんです。『まあ、冗談ぢやない、小母さん、」何てつまらんことを仰つしやるんです? 結婚がどうしたと言ふんです? 私はただお宅の女中のマトリョーナを讓つて下さるかどうか、伺ひたいんです?』婆さんは歎息しましてね、『ああ、人さわがせな! ああ、歸らしておくれ! ああ……』身内の者がそばへ駈けつけて、私を罵る。婆さんの方は相變らず、唸つてゐる、『何だつて私はこんな目に逢ふんだらう?……して見ると、妾はもうとの家の主人ぢやないのかしら? ああ、ああ!』私は帽子を引つ摘むと、まるで氣違ひみたいに、おもてへ馳け出しました」

 「恐らく」と彼はまた言葉を繼いで、「あなたは私がこんな身分の低い娘に夢中になるなんて、手のつけられない奴だとお思ひになるでせうね。私は自分を、その何ですな、正常なりと言ひ切るつもりはありません。……もうかういふ風になつたのですからね!……嘘のやうな話ですが、晝となく夜となく、一寸も落ちついてゐられなかつた、……苦しむばかり! そのうへ、『私はあの不仕合はせな娘(こ)を臺なしにしたんだ!』と思つて。と同時に、時にはあの娘が仕事曹をきて家鴨を追ひまはしてゐたり、主人の吩〔い〕ひつけで虐待されてるところや、樹脂を塗つた長靴を穿いた名主や百姓が散々ひどいことを毒づいてゐるところを思ひ出すと、――冷汗が流れてくるのでした。さて、どうしても我慢ができない、私はあの娘のやられた村を探索して、馬に乘つて、その村さして出かけたのです。翌る日の日の暮れ頃には、もうそこへ着きました。まさか私がこんな仕打ちに出ようとは思はなかつたものと見えて、向ふでは私のことについては、何とも指圖して置かなかつたのです。そこで私はまるで隣りの者ででもあるやうな風をして、まつすぐに名主のとこへ行きました。屋敷へ入つて、あたりを見まはすと、マトリョーナが上り段のところに腰かけて畑の方を指しました。それから小舍の中へ入つて、名主とちよつとお喋りをして、嘘八百をならべ立て、潮時を見はからつて、マトリョーナのところへ出て行きました、彼女(あれ)は可哀さうに、私の頸に吊りさがつた。あの可愛いのが、色は蒼ざめ、痩せてゐて。私はかういひました、『苦にすることはない、マトリョーナ、大丈夫だよ、泣くんぢやない』とは言つて見たものの、言つてる私の眼からも涙が止め度なく出て來るのです……。さあ、しかし、しまひには流石に私もきまりが惡くなつて來て、あの娘にいひました、『マトリョーナ、もう泣いたつて始まらん。それでかふいふことになるんだ。いはゆる、斷然と、事をしなくちやならん。おまへは俺と一しよに逃げるんだよ。それがつまり爲すべき事だ』マトリョーナはもう氣絶しさうになつて、……『どうしてそんなことが! それこそ私の身の破滅です、私はきつと苛め殺されるでせう、みんなに!』

 『馬鹿な! 誰がお前を見つけるものか?』『見つかります、きつと見つかります。ありがたう、ピョートル・ペトローヰッチ、あなたの御親切は決して忘れませんわ。けど、今はもう堪忍して下さいな。かうなるのも、全く、私の運勢なんですから』『ええい、マトリョーナ、マトリョーナ、おれはおまへのことを、氣概のある女だと思つてたのになあ!』いや、たしかに、なかなかな氣慨がありましたよ、……怖があつて、勿體ないほどの情があつて!『何だつてまた、ここに殘つてなきやならないんだ! どつちにしたつて同じことだ、これより惡くなりつこないんだ。さあ、お言ひ、お前は名主らの拳固を食はされたのかい、え?』マトリョーナはむつとして、唇をふるはしました。『だつて私のために家族の暮らしが立たなくなるんですもの』『それぢや、お前の家族の人が……追つ拂はれるつていふのかい、え?』『ええ、兄さんは間違ひなく』『ぢやお父さんは?』『さあ、お父さんはやられないでせう。お父さんは、こちらのたつた二人の好い仕立屋なんです、ほんとに』『そうれ、御覧よ、兄さんだつて、こんなことで、まさか消えて失くなりもすまいし』私が娘を説き伏せるのにどんなに骨を折つたと思ひます。何しろ、この責任を負つて下さいつていふやうなことまで持ち出すんですからね……『なあに、そんなことはもう、おまへの出る幕ぢやないんだ』つて言つてやりました……。それにしても私はたうとう彼女を連れ出しました、……その時ぢやなく、別の時に。夜、馬車に乘つて行つて、連れ出したんです」

 「連れ出したんですか?」

 「さうです……さあ、それで、彼女は私んとこへ根付きましでね。私んとこは小さくつて、使つてる者も少い。それに宅の連中は、はつきり申し上げますと、私を尊敬してゐましたから、どんないい餌があつたからつて、私を裏切るやうなことはしなかつたのです。私は實に幸福な日を送ることになりました。マトリョーナの奴も一息ついて、元どほりになりました。そこで私はもうあの娘(こ)に現(うつつ)をぬかしちやつて……まあ何ていふ良い娘(こ)でしたらう! 全く何でも出來る! 唄も歌へれば、踊も出來る、ギターも彈けるし……。近所の人には見せなかつた。よけいなお喋りをされるのが心配でしてね! たつた一人、友達で、極々懇意にしてゐるパンテレイ・ゴルノスターエフといふのがゐました。御存じありませんかしら? それが、あの娘のこととなると、全く、有頂天になりましてね。まるで奧方か何ぞのやぅに、あれの手に接吻をするんです、ほんとに。實のところ、プルノスターエフは私なんかとちがつて、教育のある男で、プーシキンなどはすつかり讀んでゐました。時をり、マトリョーナや私を相手に話をしましたが、こちらはいつも聞き耳を立てるほどでした。彼女(あれ)に手習ひも仕込んでくれました。まあ、それほどの畸人です! それからあれにどんな着物をきせたかと申しますと、全く、縣知事夫人以上でしたよ。毛皮の縁をとつた柳の天鵞絨の裏毛皮の外套をこさへてやりましてね。……いや、その外套がよく映(うつ)るといつたら! その外套はモスクワのマダムが新式に腰締めをつけて仕立てたんでしてね。いや、そのマトリョーナと來たら、何て不思議な女でせう! 時によると、考へ込んで、何時間も坐つて、床(ゆか)を見つめたきり、眉毛ひとつ動かさない。私もまた坐つて、あれを觀てゐる。けれども、初めて會つたやうな工合で、どうもいくら視ゐても見飽きるといふことがない……。さうすると、あれはにつこりする。もう、私の胸は誰かにくすぐられてでもゐるかのやうに、わくわくするんです。さうかと思ふと、だしぬけに笑ひ出して、冗談をいつたり、踊り出したり、眼のまはるほど熱く、烈しく私を抱きしめることもある。朝から晩まで、私はどうしたらあれを喜ばすことができるかと、そればかり考へてゐたものです。嘘のやうな話ですが、私はただ、可愛いあの娘がどんなに喜ぶか、喜んで、すつかり顏を赧くしたり、私のやつた物な身につけたり、新しいものを身につけて、いそいそとやつて來ては接吻をしたり、そんなところが見たいばつかりに、いろんな物を遣つたんです。どこをどうして親爺のクリィクが嗅ぎつけたのか分かりませんが、爺さんが樣子を見に來ましたつけ。そして、どんなに泣いたことでせう。……こんな風で、二人は五箇月ばかり暮らしました。そしていつまでも、いつまでも私はあれと一緒に暮らせた筈だつたのに、運が惡いつたらありやしない!」

 ピョートル・ペトローヰッチは話をやめた。

 「一たい、どんなことが起こつたんです?」

 と、私は同情して訊ねた。

 彼は手を振つた。

 「何も彼もいけなくなつたんです。私はあの娘の身を誤らしてしまつた。あのマトリョーナの奴は橇に乘つて驅まはるのが好きで好きでたまらないんです。それもどうかすると、自分で手綱をとるんでしてね。外套をひつかけて、刺繡をしたトルジョーク出來の手袋をはめて、きやつきやつと噪やぐのでした。いつも私たちは、夜に限つて乘りまはしたんです。といふのも、御承知のやうに、人目を避けるためでしてね。さて、あるとき、日を選びましてね。つまり、すばらく好い天氣の日をですわ。とても寒い日で、空は澄みわたり、風もない……。二人は乘り出しました。マトョーナが手綱をとりましてね。ふと行く先を見るとどうでせう? ククエフカ、自分の奧樣の村へ向つてゐるぢやありませんか? たしかにククエフカだ。私は『これ、氣でも狂つたのか、どこへ行くんだ?』といひました、あれは肩越しに私をちらりと振りかへつて、につこりした。そして、『景氣よくさして頂戴よ』つていふんですね。『ああ!』と私は考へました、なあに、どうなとなれ! ……』主人の家の前を走らしてやるのも面白いぢやありませんか? ねえ、あなた、面白いぢやありませんか? そこでどんどん走らせました。軸馬はまるで泳いで行くやう。側馬は、あなた、つむじ風のやうな勢ひです。行くほどに、早くもククエフカの教會が見える。このとき、ふと見ると、向ふの方から草いろの古めかしい箱馬車がのろのろとやつてくる。うしろの馬丁臺には從僕の姿が見える……。女主人が、まぎれもない女主人がやつて來る! 私は怖ぢ氣がついてしまつた。しかし、マトリョーナは馬に手綱を食らはして、籍馬車めがけて飛ばすことといつたら! 向ふの馭者はね、こつちが矢のやうに走つて行くのを見てるんです。アルキメレスの奴、片側へ避(よ)けようとしたんですね。それで手綱をぐいと急に引つぱつたもんですから、箱馬車は雪だまりに眞逆樣。窓硝子はこはれる、女主人は『ああ、ああ、ああっ! ああ、ああ、ああつ!』と叫ぶし、附添ひの女は『停めて! 停めて』と金切り聲を出すし、ところが、こつちは一目散に駈けぬける。二人は走つてゆく。しかし私は考へました、『こいつはとんだことになるわい。ククエフカなんぞへ來させなけりやよかつた』と。それからどうなつたと思ひます? いふまでもなく奧樣がマトリョーナを見とめたんです、私のことも。それで、年寄が私を訴へたぢやありませんか、『宅から逃げた女中がカラターエフの所に居ります』といつて、早速、例によつて金をつかませましてね。さあ、事です。郡の管察署長がやつて來る。これはかねて知合ひのステパン・セルゲーヰッチ・クゾフキンといふいい男です。いや、腹の底はいい男ぢやありませんけどね。さて、やつて來まして、『左樣、なるほど、ところで、ピョートル・ペトローヰッチ、一體、どういふわけなんです? ……責任は重大ですよ。ちやんと、これに對しては、法律に明文があるんですからね』と申します。私はかういひました、『まあ、この話は勿論しなくちやならんが、まづ、遠方を來たんだから何か一口やりませんかね?』一口やることには贊成したんですが、司法權が要求するんですからね、ピョートル・ペトローヰッチ、よく御自分で考へて見て下さい』と、かういふんです。だから、私は『司法權、むろんさうだ……、その通りだ。ところで僕は君が鴉毛の馬を有つてゐることを聞いたんだが、僕のラムブルドスと取り換へる氣はありませんか? ……ところでマトリョーナ・フョードロワつて娘は僕んとこにや居りませんがね』つていひました。すると、『なにを、ピョートル・ペトローヰッチ、娘はゐる筈だ。ここは瑞西〔スイス〕とは譯が違ふ……、そりあ、僕の小馬とテンプルドスと取り換へてもいいがね、何なら貰つてりてもいいがね』つて言ひましてね。それにしても、その時はどうやら追つ払ひましたよ。ところが、奧方はいよいよ躍起になつて、一萬ルーブリかかつても惜しくないつていふんです。實は、初めて私に會つたとき、あの人は急に緑いろの着物を着てた話相手の女の子を私に娶(めあ)はせようと思ひついたんですね。それは後から分かつたことなんですが、だからこそこんなに怒つちやつたんですよ。かういふ奧樣がたに限つて、とんでもないことを工夫するもんだ! 退屈まぎれでせうね、きつと。さて、私は慘めなことになつちやつた。Петербургаそれでも金目も惜しまず、マトリョーナをかくまひましてね、――いやはや――みんなには困らされ、すつかり絞られて。借財は出來る。からだは惡くなる……。それで或る晩、私は床の中に横になつて考へてゐました、『ああ、何の因果で、こんな目も忍んでゐるのか? あれのことを思ひ切れないとあれは、一體どうしたらいいんだらう? ……どうしても思ひ切れない、こればつかりは!』ところへ、ふいとマトリョーナが入つて來ました。私はその頃は、家から二露里(り)ばかりの自分の農園へ隠しておいたのです。私はびつくりしました。『どちした? あそこにゐても見つかつたのか?』『いいえ、ピョートル・ペトローヰッチ、ブブノフでは誰ひとり邪魔をする人なんかありません。けど、いつまで、かうして居られませう? ねえ、あなた』かういひましてね、『あたし、からだも惡くなるし、ねえ、ピョートル・ペトローヰッチ、あたし、貴方がお氣の毒なの、ねえ、あなた。あなたの御親切は一生わすれません、ピョートル・ペトローヰッチ、けど、今日はお別れに參りましたの』『何、何だつて、馬鹿な? 別れるつて、どうして別れる? どうして?』『でもやつぱり……あたし、あちらへ行つて、あちらの人になります』『しかし、俺は屋根裏にでも繋いどいて見せる、氣ちがひ奴、……俺を臺なしにするつもりか? 殺さうといふのか? え?』娘は默つて、床のうへを見つめてゐました。『さあ、何とかいつてくれ!』『あたし、この上貴方に迷惑をかけたかありませんの、ピョートル・ペトローヰッチ』さあ、もう何といつたつて、駄目なことは分かり切つてゐる……『だが分かりさうなものだな、馬鹿が……、分からないのかい、氣でも……氣でも違つたのかい……』」

 ここでピョートル・ペトローヰッチは聲をあげて烈しく泣き出した。

 「それから、どうなつたと思ひます?」と彼は話を進める、拳で卓子をたたき、眉をしかめようと努めながら。けれど、涙はなほ彼の熱い頰を傳つて流れてゐた。「娘は身を渡してしまつた。わざわざ行つて、あちらの者になつてしまつたぢやありませんか……」

 「馬の用意が出來ましてございます!」と頭(かしら)が部屋へ入りながら眞面目くさつて叫んだ。

 私たちは二人とも立ちあがつた。

 「一體、マトリョーナはどうなりました?」と私は訊いた。

 カラターエフはただ手を振つた。

 

       *

 

 カラターエフに逢つてから一年して、偶々私はモスクワへ行つた。あるとき、午餐(おひる)まへに私は鳥屋町(オホートスイ・リヤード)の向ふにあるカフェーへ行つた。ここはモスクワの風變りなカフェーである。玉突部屋には、煙草の煙の渦卷く中に、眞つ赤になつた顏や髭や、髮の毛、時代おくれの短い上着、最新流行のスラヴ型の上着などが、ちらちら見える。瘠せた小柄な老人たちは質素なフロックを着て露西亞の新聞を讀んでゐる。給仕がお盆をもつて、緑いろの絨氈をやはらかに踏みながら、せつせと歩いてゐるのが、ちらほら見える。商人たちは、ひどく拔け目のなささうな顏をしてお茶を飮んでゐる。ところへ、いきなり玉突部屋から、いくらか髮が亂れて、足許のかなり覺束ない男が出て來た。兩手をポケットに入れ、頭をぐらつかせ、彼はあてどもなくそこらを見まはした。

 「まあ! まあ! まあ! ピョートル・ペトローヰッチ!……御機嫌はいかがですか?」

 ピョートル・ベトローヰッチは殆んど私の頸に飛びつかんばかりにして、幾分ふらふらしながら、小さな別室へ私を引つばつて行つた。

 「さあ、こちらへ」と氣を配つて私を安樂椅子にかけさせながらいつた、「こちらが宜しうございませう。給仕、麥酒だよ! いや、三鞭酒(シヤンパン)だ! さあ、全く、思ひがけませんでしたよ。ほんとに思ひがけませんでした。……こちらへ大分まへに? これからずつと長くおいでですか? いづれにしても、いはゆる神樣のお引合せですね、それこそ……」

 「さうです。覺えてらして……」

 「なんで忘れるもんですか、忘れませんとも」と彼はせはしく私を遮つた、「あれも昔のことで……昔のことで……」

 「して、あなたはこちらで何をなさつてますか、ピョートル・ペトローヰッチ?」

 「御覽の通りの生活で。まあ、ここで暮らすのが何よりです。ここへ來てる連中は親切でしてね。私もここへ來て氣が安まりましたよ」

 彼は溜息をついて天井を仰いだ。

 「お勤めですか?」

 「いいえ、まだ勤めては居りません。近いうちに就職するつもりではゐます。しかし、勤めなんか、つまらないでせう?……世間の人を相手――それが何よりですよ。私はここで、とても面白い連中と知合ひになりましたよ! ……」

 少年(ボーイ)が三鞭酒(シヤンパン)の壜を黑いお盆に載せて持つて來た。

 「さう、さう、この子もなかなかいい人間ですよ、……なあ、ワーシャ、お前はほんとにいい人間だらう? お前の健康を祝して乾杯だ!」

 少年はちよつと立ち止まつて、お行儀よく頭を振り、微笑みを浮かべて出て行つた。

 「さやう、この土地には善い人がかなりゐますよ」ピョートル・ペトローヰッチは言葉をつづける、「情味のある、眞ごころのある……。よろしかつたら御紹介しませうか? それは實に氣持のいい連中ですよ……。みんなあんたとお知合ひになるのを喜ぶでせう。それはさうと、ボブロフは死にましたよ、はんとに可哀さうなことをしました」

 「ボブロフつて、だれ?」

 「セルゲイ・ボブロフです。見上げた男でした。野育ちの何もわからない私をよく面倒見てくれました。それからパンテレイ・ゴルノスターエフも死にました。みんな死んぢまつたんだ、みんな!」

 「貴方はずつとモスクワにお暮らしでしたか? 村へはお出になりませんでしたか?」

 「村へ? ……私の村は賣られちやいましたよ」

 「賣られましたつて?」

 「え、競賣で……さうだ、貴方がお買ひ下さりや宜かつたに!」

 「ぢや、これから何で食べて行かれるんですか、ピョートル・ペトローヰッチ?

「萬ざら、干ぼしにもなりませんよ。大丈夫! 金はなくつても友達がゐませう。金が何だ? 芥(ごみ)だ! 黄金は――芥(ごみ)だ」

 彼は半ば眼を閉ぢて、ポケットの中を手探りして、掌のうへに十五カペイカの銀貨二枚と十カペイカの銀貨一枚を載せて、私の方へ差し出した。

 「これが何です? 芥(ごみ)ぢやありませんか? (錢は床のうへに吹つ飛んだ)いや、それよりか、いかがです、貴方はポレジャーエフをお讀みになりましたか?」

 「え、讀みました」

 「モチャーロフのハムレットを御覽になりましたか?」

 「いいえ、見ませんでした」

 「御覧にならない、あれを御覧にならない……(カラターエフの顏は蒼ざめ、眼は不安げに、きよろきよろ動いた。彼はわきを向いてしまつた。その唇のうへを微かな慄へが通り過ぎた)ああ、モチャーロフ、モチャーロフ! 『この世を終ふは――眠りなり』」

と彼はぼんやりした聲でいつた。

   眠りに過ぎず! この眠り

   悲しみや生くる者の負ふべき幾百の苦しみ

   除くと知らば……それこそ願うてもなき

   大終焉ぢやが……死は……眠り……

 「眠りなり、眠りなり!」と彼は幾たびか口の中で繰り返した。

 「ちよつとお伺ひしますが」と私はいひかかつてゐた。しかし、彼は熱心になほつづけた。

   誰が世の鞭撻や嘲笑ひ、

   法の無力や虐主の壓制、

   腐れる者の凌辱や顧みられぬ戀の歎き、

   賤しき者が功を賤しむるに耐ふべきか……

   ただ一いきに安らひを得るは

   何時の日ぞ……ああ、そなたが聖い祈りに

   わが罪の消滅をも祈り添へてたもれ……

 それから卓子のうへに頭をぐつたりと垂れた。彼は口ごもつて、譯のわからないことをいひ出してゐた。

 「ひと月すぎて!」と更に新たな力を加へていつた。

   疾(と)く行き過ぐる短きひと月!

   涙に暮れてわが父の哀しき骸(むくろ)に

   侍(はべ)りたまひし、その履(くつ)さへも古びぬに!

   ああ! 辨〔わきま〕へもなく物いはぬ獸だとても

   今しばらくは歎かうものを……

 彼は三鞭酒の杯を口もとへ持つて行つた。が飮み乾さずに、なほもつづけた。

       ヘキューバゆゑに?

   ヘキューバは何者? 又あれはへキューバにとつて何者ぢや?

   あれがあの女の身の上をなぜ泣くのぢや? ……

   然るに俺は……いやしむべき、小心の奴隷--

   卑怯者! 俺を惡漢と呼ぶのは誰ぢや?

   嘘つきだと言ふのは誰ぢや?

   俺はその凌辱をも忍ぶであらう……さうぢや!

   俺は意氣地のない人間……俺には腹立つ意地もない

   俺には凌辱も苦しうないわい……

 カラターエフは盃をおとして、頭をかかへた。私は彼の氣持が分かつたやうな氣がした。

 「まあ、仕樣がない」と彼はつひにかういつた、「過ぎたるは及ばざるが如し、……ね、さうぢやありませんか?(といつて彼は笑ひ出した) さあ、あなたの御健康を祝して!」

 「あなたはずつとモスクワにいらつしやいますか?」と私は訊いた。

 「モスクワの土になるつもりです」

 「カラターエフ!」といふ聲が隣りの部屋から聞こえる、「カラターエフ、どこにゐるんだい? さあ、來いよ、なあ、おい」

 「呼んでますから」と大儀さうに椅子から立ちあがりながらいふ、「失禮します。お都合がつきましたら、遊びにいらして下さい。私は *** に居りますから」

 しかし、翌る日には、思ひがけない事情のために私はモスクワを去らねばならなかつた。その後は、もう二度とピョートル・ペトローヰッチ・カラターエフに逢はなかつた。

 

 

 

■訳者中山省三郎氏による「註」(注記ページ表記を外し、私のテクスト注記に準じた表示法をとった)及びやぶちゃん注(私の注は新字・現代仮名遣とし、冒頭に「◎」を附して全体を〔 〕で括った)

・宿場:駅遞馬車の驛。同時に馬車を待つ旅行者のために一種の旅人宿にもなつてゐた。〔◎やぶちゃん補注:「駅遞」は「えきてい」と読み、「駅逓」と同じ。馬継・宿駅・宿場町のこと。〕

〔◎旅行馬車(タラタンス):原文は“тарантаса”で、この単語、博友社のロシア語辞典に現われない。ところがフランス語でロシアの四輪馬車のことを“tarantass”(タランタス)と言う。これは発音から見てもこのフランス語のロシア語化したものであろう。〕

〔◎上衣(アルハルウク):原文“архалук”。昭和331958)年岩波書店刊の佐々木彰訳の割注によれば『短いアジヤふうの部屋着。』という。〕

・トゥラ:モスクワから凡そ五十里南方にあって金属工業に名のある所。小銃、サモワール、鐵器その他の工芸品を今もなほ多量に産する。指輪や耳輪はそこの名産品のうちに數へられる。〔◎やぶちゃん補注:原文“тульские”。現在のスヴェルドロフスク州のトゥリンスク市Туринский район(トゥリンスキー・ラヨン)を指すか。〕

〔◎帽子(カルトウズ):原文“картуз”。前びさしの硬い男子の略帽。〕

〔◎彼得堡(ピーテル):原文“Питера”。次のピョートルの答えの原文“Петербурга”(Петербургの男性名詞単数生格)ペテルスブルグの俗称。〕

・十二番(つがひ):一つがひは二頭である。これは必ずしも牝と牡、一頭づつとは限らない。獵犬は二頭づつ繋がれて獵に連れて行かれる。

・『コンテスカ』:伯爵夫人。〔◎やぶちゃん補注:これは本文中の割注(底本には句点はない)。但し、底本では「伯欝夫人」となっている。岩波版で正した。原文は“Контеска”、フランス語っぽい。〕

〔◎『さがせ』(シヤルシ):原文は“шарш!”で、これはフランス語の“chercher”(探す)のロシア語表記であろう。〕

〔◎猶太人(ジウ):原文は“жид”で、これはフランス語の“Juif”(ユダヤ人。英語の“Jew”)のロシア語化したものであろう。如何にも差別的な響きの語である。〕

〔◎ジプシー:原文“Цыгане”(Tsygane:ツィガーネ)。北インドのロマニ族に由来、アルバニア語を母語とし、古くから北アフリカ・ヨーロッパ各地を移動生活した民族。伝統的な職業としては、鍛冶屋・金属加工・民族工芸等の他に、ここで見るような旅芸人や占い・薬草販売等に従事した。中世以降、ユダヤ人と同等の迫害の歴史を持つ。なお、この「ジプシー」という語は「エジプトから来た」という誤解や、流浪・異教徒・乞食・強盗・麻薬密売人等の差別的イメージを付与されているので、近年ではRomaロマ族と呼称することが提唱されている。但し、極めて多様な民族集団で、ロマ人と自称しないグループもおり、呼称の言い換えは、「エスキモー―イヌイット」と同じく微妙な問題を孕んでいる。〕

・茶:口直しにお茶を喫む。

〔◎傍屋(フリーゲル):原文“флигелями”。これは家屋の翼(よく)・そで・離れの意。〕

〔◎『クリィクの娘、マトリョーナ・フョードロワです?』:岩波版も台詞末尾は「?」であるが、日本語としてやや不自然な気がする。勿論、自分の農奴のことが直ぐに分からない相手に対するいぶかしい気持ちの「?」の表現ともとれるが、原文を当たってみると“"Матрена Федорова, Куликова дочь".”であるから、ここは「?」を外してよいと思われるが、如何か?〕

〔◎婆さんは十字を切りましてね。『ああ、いまいましい、私が使つてるものを……』:この「ああ、いまいましい、」という台詞は原文では“Ах ты, мой Господи, Иисусе Христе!”とあり、これは「おお、主よ! イエス・キリストよ!」という意味の感嘆の常套表現。神の名を口にしたので、十字を切っているのである。〕

〔◎多分、お相手の女でせうが:女主人の話の相手役という意味。〕

〔◎高尚な言葉:高飛車な言い方。〕

〔◎巨細に:こと細かに。〕

〔◎『嚝野(スチエピ)の村』:原文の「スチエピ」に相当する部分は“степной”という単語で、これは我々に馴染み深い「ステップ地帯」の意で、草原の村。〕

〔◎私はただお宅の女中のマトリョーナを讓つて下さるかどうか、伺ひたいんです?:ここは原文自体が“Я просто желаю узнать от вас, уступаете вы вашу девку Матрену или нет?”と“?”を附しており、老婆の訳のわからない謂いへ反問する表現と思われる。〕

〔◎マトリョーナの奴も一息ついて、元どほりになりました:この「マトリョーナ」は、原文ではここまでの“Матрена”ではなく、“Матренушка”(マトリョーヌシカ)である。これはロシア語の人名の愛称形。〕

・トルジョーク:トヸル縣の町。レースや刺繡に有名な所。〔◎やぶちゃん補注:Торжо́кは現在のトヴェリ州のトヴェルツァ川(ヴォルガ川の支流)河畔の都市。他にも金細工等、伝統工芸の町として知られる。〕

・アルキメレス:アルキメデスの訛。出まかせにいつた言葉で、單に「憎いあん畜生め」くらゐの意味に用いられてゐる。〔◎やぶちゃん補注:原文“Алхимерэс”。この前後の部分、佐々木彰氏は、この中山訳や昭和271952)年新潮社刊の米川正夫訳が「アルキメレス」を女主人の馭者に対する蔑称ととっているのと異なり、「向こうの馭者は、そのなんです、こっちを見ると、出会い頭にどこかのとんま野郎が、飛ぶように馬車を駆り立てて来るので、とっさに片側へ避けようとしましたが、……」と訳し、「アルキメレス」は、無茶苦茶に暴走してくるピョートルたちへの女主人の馭者の意識の方の、ピョートルの推測的謂いという逆のベクトル感情として訳されている。ロシア語の出来ない私には判断のしようもないが、文脈からは佐々木氏の方がしっくりくる気がする。ロシア語に堪能な方の御意見を窺いたいところである。〕

〔◎『ああ、ああ、ああっ! ああ、ああ、ああつ!』:この前の方の「ああっ!」の拗音は、ママ。後ろの方は拗音ではない。岩波版でも全く同じ。〕

〔◎『あたし、からだも惡くなるし、ねえ、ピョートル・ペトローヰッチ、あたし、貴方がお氣の毒なの、……』:このマトリョーナの台詞の冒頭が気になる。米川訳の該当部分は『わたしは胸が張り裂けさうですわ』であり、佐々木訳では『胸が張り裂けそうですの』と、ここをマトリョーナの体の具合が悪くなるの意味ではなく、マトリョーナ側の心痛としている。それらの方が台詞としてしっくりくる。〕

〔◎鳥屋町(オホートスイ・リヤード):最新の佐々木訳も「鳥屋町」とするのだが、気になって調べてみると原文は“Охотным рядом”で、この“Охотным”は“oхотни”由来の語と思われ、これは猟師(まさに本作品群の「猟人日記」の“Записки охотника”の“охотника”)の意味である。中山訳に次ぐ米川訳を見ると「獵師横町」と訳している。識者の御意見を乞う。〕

〔◎時代おくれの短い上着:原文は“старомодные венгерки”で、これは英訳すると“the old-fashioned Hungarians”、佐々木訳は『流行おくれのハンガリー式上着』と訳し、割注で『肋骨飾りのある軽騎兵の上着。』とある。〕

・ポレジャーノフ:年若くして世を去った露西亞詩人。學生時代にすぐれた詩を書いたが、年少の身をもつて敢へて専制政治の邪惡を諷し、自由への憧憬を書いたためニコライ一世の忌諱にふれ、つひに悲劇的な生涯を送らなければならなかつた。彼の詩は屢々レルモントフの詩に比較された(一八〇六-三八)

・モチャーロフ:當時の露西亞の名優。悲劇浪曼劇を演じ、殊にその「ハムレット」は有名で、ベリンスキイの賞讚してやまなかつたところ(一八〇〇-四八)。

〔◎『この世を終ふは――眠りなり』」

 と彼はぼんやりした聲でいつた。:この部分、前の行の途中で改行して、地の文が完全に行頭に上がるというのは、中山訳の中では異例である。〕

・眠りに過ぎず!:「ハムレット」第三幕第一場に出づ。〔◎やぶちゃん補注:これは著名なあのモノローグ“To be, or not to be: that is the question.の直後に現われる。〕

・誰が世の:同上。〔◎やぶちゃん補注:これも モノローグ“To be, or not to be: that is the question.”台詞の後半部分。厳密に言えば『ただ一いきに安らひを得るは/何時の日ぞ』までが大廊下に入場してくるハムレットの苦悩逡巡のモノローグで、ここで、そこにある跪拝台に祈りを捧げているオフェーリアに気づき、『……ああ、そなたが聖い祈りに/わが罪の消滅をも祈り添へてたもれ……』という科白となる。御承知の通り、この直後に愛と復讐への漸近故に、ハムレットは彼女に“Get thee to a nunnery!”「尼寺へ行け!」と叫ぶのである。〕

・疾く行き過ぎる:「ハムレット」第一幕第二場に出づ。〔◎やぶちゃん補注:王と王妃の去った会議の間で、王子ハムレットが、実母ガートルードが叔父クローディアスと早々に再婚した、その忌まわしい豹変ぶりを語る恨みのモノローグ。なお、次の私の補注後部を参照されたい。〕

・ヘキューバゆゑに:同上。〔◎やぶちゃん補注:この「同上」は中山氏の誤り。これは「ハムレット」第二幕第七場、第二幕の最後のシーンの最後の苦悩逡巡し己自身を激しく苛むハムレットの台詞である。この台詞を理解するには少しこの第七場での「ハムレット」の展開を説明する必要がある。この台詞の直前、ハムレットがかねてから贔屓にしていた都の一座が城を訪れる。ハムレットは彼らに、自分の好きなかつて聴いたことがある、そうして今のこの父殺しの忌まわしい疑惑と現実を彷彿とさせるトロイの木馬に纏わる悲劇――トロイの老王プリアムの悲惨な最後とその女王ヘキュバの悲しみの話――を語らせるのである。――残酷無比な兵士ピラスの老王殺害、それを受けた老妃ヘキュバの発狂――その真に迫った語り口に、語っている役者自身さえも涙を流しているのをハムレットは見る。その後に独りになったハムレットは思う。……あの役者が演じた、他愛もないたかが芝居の中で、しかし彼は、遠い昔の自分とは何の縁も所縁もないヘキュバのために、『いつわりの感動にわれとわが心を欺き、目には涙をため、顔色蒼然(そうぜん)としてとりみだし、声も苦しげに、一挙手一投足その人物になりきっている。』(福田恆存訳「ハムレット」昭和421967)年新潮社刊より、以下同じ)『ただヘキュバのために!』だ。『それにひきかえ、このおれのふがいなさ、まったく手のつけられないぐうたらではないか。』『ええい、おれは卑怯者(ひきょうもの)か、誰だ、おれをやくざ呼ばわりするやつは?』『ええい! 畜生、なんと言われようと文句は言えぬ。鳩のように気の弱い腑(ふ)ぬけでもなければ、いつまでこんな辛(つら)い我慢をするものか。』……。そうして、この台詞の最後で、ハムレットは叔父クローディアスの父殺しの確たる証拠を求めんがために、更なる狂気を演じ続ける覚悟を見せるのである。
 なお、この一行目の部分は、岩波版でも同じように下に有意に(岩波版は更に一字分多く
8文字分のスペース)落ちている。原文は後の部分と同様のフラットで、米川・佐々木訳(厳密には佐々木訳の「ハムレット」の台詞部分は氏の訳ではなく、岩波文庫の市川・松浦訳「ハムレット」から引用しており、特に前の中山訳でいうと「疾く行き過ぎる……」の台詞については、ツルゲーネフのロシア語原文とはかなり違うように思われる。本当に違うかどうかロシア語のお分かりになる方の御教授を願いたい)フラットである。中山氏のこの字配りであると、この「ヘキューバゆえに?」が、後の引用の台詞(詩)の題名のように見えてしまう。〕