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[やぶちゃん注:大正十五(1926)年十一月発行の雑誌『文藝春秋』に掲載され、後に作品集『湖南の扇』に所収。底本は岩波版旧全集を用いたが、総ルビなので、読みの振れるもの以外は省略した。「O君」とは、勿論、小穴隆一である。最後の隆一(一游亭)の句は、底本では字間を調節して、下が全部揃っている。小穴隆一の著作権は切れていないが、芥川による小説の一部での引用として掲載する。]

O君の新秋   芥川龍之介

僕は膝を抱へながら、洋蓋家のO君と話してゐた。赤シャツを着たO君は疊上に腹這ひになり、のべつにバットをふかしてゐた。その又O君の傍らには妙にもの/\しい義足が一つ、白足袋の足を仰向かせてゐた。

「まだ残暑と云ふ感じだね。」

O君は返事をする前にちよつと盾をひそめるやうにし、縁先の紫苑へ目をやつた。何本かの紫苑はいつの間にか細かい花を簇(むらが)らせたまま、そよりともせずに日を受けてゐた。

「おや、こいつはもう咲いてゐらあ。この………何と云つたつけ、圃扇(うちは)の畫(ゑ)の中にゐる花の野郎は。」

         *

海の音の聞えない、空氣の澄んだ日の暮だつた。僕はやはりO君と一しょに廣い砂の道を散歩してゐた。すると向うからお嬢さんが一人、生け垣に沿うて歩いて來た。白地の絣(かすり)に赤い帯をしめた、可也背の高いお嬢さんだつた。

「あ、あのお嬢さんは氣の毒だなあ。長い脚を持て扱つてゐる。」

實際その又お嬢さんの態度はO君の言葉にそつくりだつた。

         *

 O君は杖を小脇にしたまま、或大きい別荘の真のコンクリイトの塀に立ち小便をしてゐた。そこへ近眼鏡(きんがんきやう)か何かかけた巡査が一人通りかかつた。巡査は勿論咎めたかつたと見え、白扇(はくせん)で0君を指さすやうにした。

「これです。これです。」

O君は多少吃りながら、枕で二三度右の脚を打つた。右の脚は義足だつたから、かんかん云つたのに違ひなかつた。

「僕の家はそこなんですが、………」

巡査はにやにや笑つたぎり、何も言はずに通りすぎてしまつた。

         *

家々の屋根や松の梢に西日の残つてゐる夕がただつた。僕はキャンディイ・ストアアの前に偶然O君と顔を合せた。O君は久しぶりに和服に着換へ、松葉杖をついて來たのだつた。

 「けふは松葉杖だね。」

O君は白い齒を見せて笑つた。

「あゝ、けふはオオル(櫂)にしたよ。」

         *

僕はO君の家へ遊びに行き、四疊半の電燈の下にいろ/\のことを話し合つた。が、大抵は神經とかテレパシイとかの話だつた。Uと云ふ僕の友だちの一人はコップに水を入れて枕もとへ置き、暫くたつてそのコップを見ると、いつか水が半分になつてゐる、或晩などはうとうとしてゐると、いきなり顏へ水がかかつた。しかし驚いて飛び起きて見ると、コップだけほ倒れずにちやんとしてゐる、――そんな話も出たものだつた。

それから僕等は散歩かたがた、町まで買ひものに出かけることにした。するとO君はいつもに似合はず、肘掛け窓の戸などをしめはじめた。のみならず僕にかう言つて笑つた。

「この窓に明りがさしてゐるとね、どうそとから歸つて來た時に誰(たれ)か一人ここに坐つて、湯でも飲んでゐさうな氣がするからね。」

O君は勿論この家に自炊生活をしてゐるのである。

         *

O君はけふも不相變赤シャツに黒いチョッキを着たまま、午前十一時の裏庇(うらびさし)の下に七輪の火を起してゐた。焚きつけは枯れ松葉や松蓋(まつかさ)だつた。僕は裏木戸へ顏を出しながら、「どうだね? 飯は炊けるかね?」と言つた。が、O君はふり返ると、僕の問(とひ)には答へずにあたりの松の木へ顋をやつた。

「かうやつて飯を炊いてゐるとね、松は皆焚きつけの木だよ。」

         *

パナマ帽をかぶつたO君は小高い砂丘に腰をおろし、せつせとブラッシュを動かしてゐた。柱だけの白いバンガロオが一軒、若い松の群立つた中にびつそりと鎧戸を下してゐる。――それを寫生してゐるのだつた。松は僕等の居まはりにも二三尺の高さに伸びたまま、さすがに秋らしい風の中に青い松かさを實のらせてゐた。

「松ぼつくりと云ふものはこんな松にもなるものなんだね。」

O君はブラッシュを動かしながら、僕の方へ向かずに返事をした。

「女の子が妊娠したと牙ふ感じだなあ。」

         *

O君は本職の仕事の間にせつせと發句を作つてゐる。ちよつとO君を寫生した次手(ついで)にそれ等の發句もつけ加へるとすれば――
     らん竹に鋏入れたる曇り哉
     夜具綿は絲瓜の棚に干しもせよ
     わくら葉は蝶となりけり絲すすき
     うすら日を絲瓜かはむけ井戸端に
     ひときはにあをきは草の松林
     大つぶもまじへて粟のはしり哉
     鳳仙花種をわりてぞもずのこゑ

(大正一五・一〇・一一・)