[やぶちゃん注:大正十五(1926)年十一月発行の雑誌『文藝春秋』に掲載され、後に作品集『湖南の扇』に所収。底本は岩波版旧全集を用いたが、総ルビなので、読みの振れるもの以外は省略した。「O君」とは、勿論、小穴隆一である。最後の隆一(一游亭)の句は、底本では字間を調節して、下が全部揃っている。]
O君の新秋 芥川龍之介
僕は膝を抱へながら、洋畫家のO君と話してゐた。赤シャツを着たO君は疊上に腹這ひになり、のべつにバットをふかしてゐた。その又O君の傍らには妙にもの/\しい義足が一つ、白足袋の足を仰向かせてゐた。
「まだ殘暑と云ふ感じだね。」
O君は返事をする前にちよつと眉をひそめるやうにし、緣先の紫苑(しをん)へ目をやつた。何本かの紫苑はいつの間にか細かい花を簇(むらが)らせたまま、そよりともせずに日を受けてゐた。
「おや、こいつはもう咲いてゐらあ。この………何と云つたつけ、圃扇(うちは)の畫(ゑ)の中にゐる花の野郞は。」
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海の音の聞えない、空氣の澄んだ日の暮だつた。僕はやはりO君と一しよに廣い砂の道を散步してゐた。すると向うからお孃さんが一人、生け垣に沿うて步いて來た。白地の絣(かすり)に赤い帶をしめた、可也(かなり)背の高いお孃さんだつた。
「あ、あのお孃さんは氣の毒だなあ。長い脚を持(も)て扱(あつか)つてゐる。」
實際その又お孃さんの態度はO君の言葉にそつくりだつた。
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O君は杖を小脇にしたまま、或大きい別莊の眞のコンクリイトの塀に立ち小便をしてゐた。そこへ近眼鏡(きんがんきやう)か何かかけた巡査が一人通りかかつた。巡査は勿論咎めたかつたと見え、白扇(はくせん)でO君を指さすやうにした。
「これです。これです。」
O君は多少吃(ども)りながら、枕で二三度右の脚(あし)を打つた。右の脚は義足だつたから、かんかん云つたのに違ひなかつた。
「僕の家はそこなんですが、………」
巡査はにやにや笑つたぎり、何も言はずに通りすぎてしまつた。
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家々の屋根や松の梢に西日の殘つてゐる夕がただつた。僕はキャンデイ・ストアアの前に偶然O君と顔を合せた。O君は久しぶりに和服に着換(きか)へ、松葉杖をついて來たのだつた。
「けふは松葉杖だね。」
O君は白い齒を見せて笑つた。
「あゝ、けふはオオル(櫂)にしたよ。」
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僕はO君の家(うち)へ遊びに行き、四疊半の電燈の下にいろ/\のことを話し合つた。が、大抵は神經とかテレパシイとかの話だつた。Uと云ふ僕の友だちの一人はコップに水を入れて枕もとへ置き、暫くたつてそのコップを見ると、いつか水が半分になつてゐる、或晩などはうとうとしてゐると、いきなり顏へ水がかかつた。しかし驚いて飛び起きて見ると、コツプだけは倒れずにちやんとしてゐる、――そんな話も出たものだつた。
それから僕等は散步かたがた、町まで買ひものに出かけることにした。するとO君はいつもに似合はず、肘掛け窓の戶などをしめはじめた。のみならず僕にかう言つて笑つた。
「この窓に明りがさしてゐるとね、どうもそとから歸つて來た時に誰(たれ)か一人ここに坐つて、湯でも飮んでゐさうな氣がするからね。」
O君は勿論この家に自炊生活をしてゐるのである。
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O君はけふも不相變(あひかはらず)赤シャツに黑いチョッキを着たまま、午前十一時の裏庇(うらびさし)の下に七輪の火を起してゐた。焚きつけは枯れ松葉や松蓋(まつかさ)だつた。僕は裏木戶へ顏を出しながら、「どうだね? 飯は炊けるかね?」と言つた。が、O君はふり返ると、僕の問(とひ)には答へずにあたりの松の木へ顋(あご)をやつた。
「かうやつて飯を炊いてゐるとね、松は皆焚きつけの木――だよ。」
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パナマ帽をかぶつたO君は小高い砂丘に腰をおろし、せつせとブラッシュを動かしてゐた。柱だけの白いバンガロオが一軒、若い松の群立つた中にひつそりと鎧戶(よろひど)を下(おろ)してゐる。――それを寫生してゐるのだつた。松は僕等の居(ゐ)まはりにも二三尺の高さに伸びたまま、さすがに秋らしい風の中に靑い松かさを實のらせてゐた。
「松ぼつくりと云ふものはこんな松にもなるものなんだね。」
O君はブラッシュを動かしながら、僕の方へ向かずに返事をした。
「女の子が妊娠したと云ふ感じだなあ。」
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O君は本職の仕事の間にせつせと發句を作つてゐる。ちよつとO君を寫生した次手(ついで)にそれ等の發句もつけ加へるとすれば――
らん竹に鋏入れたる曇り哉
夜具綿は絲瓜の棚に干しもせよ
わくら葉は蝶となりけり絲すすき
うすら日を絲瓜かはむけ井戶端に
ひときはにあをきは草の松林
大つぶもまじへて栗のはしり哉
鳳仙花種をわりてぞもずのこゑ
(大正一五・一〇・一一・)