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Четыре дня   Всеволод Михайлович Гаршин

四日間

――フセヴォーロド・ガルシン 神西清訳

 

[やぶちゃん注:これは

Всеволод Михайлович ГаршинVsevolod Mikhhajilpvich Garshin

Четыре дня”(Chetyre dnje

1877年10月、人民派(ナロードニチェストヴォ。ナロードニキ主義。19世紀末の帝政ロシア時代、アレクサンドル・ゲルツェンАлександр Иванович Герцен1812-1870)の「ヴ・ナロード」(民衆の中へ)の合言葉とともに台頭してきた革命的知識人層「ナロードニキ」から生まれた革命的人民主義思想)の中心的雑誌であった『祖国時報』に掲載されたフセヴォーロド・ミハイロヴィチ・ガルシンの短篇「四日間」の全訳である。

 ガルシンは1855年2月14日、南ロシア・ニカステリノスラーフ県バフムートスキイ郡にある母方の領地で生まれた。父親は騎馬将校で、父方の家系は古くキプチャク=ハン国の時代を発祥とすると伝えられる小地主の貴族であった(本作の主人公も貴族出身)。1863年、母親と共にペテルブルグに移り、七年制中学に入学、飛びぬけた作文以外にも博物学や物理学を好んだとする。しかし、卒業直前の17歳の時、彼の宿痾となる最初の発作に襲われ、精神病院での療養を余儀なくされた。中学終了後は医科大学を希望していたが(本作の主人公もそれらしき設定である)、当時施行された学制改革によって医科大学への進学が出来なくなってしまい、止むを得ず鉱業の専門学校へ進学した。その在学中の1876年、セルビアとモンテネグロの、オスマン帝国に対するスラブ民族独立のための宣戦布告に端を発したバルカンの戦乱は、翌年4月になって南下政策の目論見を持ったロシアの介入となった。22歳だったガルシンは、専門学校の進級試験を受けずに、この露土戦争に自ら志願兵として従軍した(前年に一度志願していたが徴兵年齢未満であったために許可されなかった)。ガルシンはブルガリア戦線に向かい、実戦に参加した。二度目の実戦体験となった1877年8月の、ロシア戦勝の決定打となったイスタンブール近郊アヤ・ステファノス(サン・ステファノ)での激戦に於いて左足を負傷し、同月、ハリコフの自宅に移送された。「四日間」は彼の所属した隊の中の傷兵で、四日の間、足を負傷して身動き出来ず、更に水・兵糧もなしに戦場の死骸のただ中に放置され、からくも生還した一兵卒の体験談を素材としたとされる。ガルシンの処女作であり、彼がこの成功をもって作家としての一本立ちを志した、記念すべき作品である。本作は一読刻まれる、その鮮烈な映像が忘れられない、美事な反戦小説の逸品となっている。なお、以上のガルシンの事跡については以下の底本の神西清氏の「あとがき」及び福武書房1990年中村融訳(但し、これはネット上の以下のテクストからの孫引き)の「訳者あとがき」等を参考にしている。

 底本は岩波文庫1959年刊の「あかい花 他四篇」神西清訳(本書は新字新仮名版)を用いた。傍点「ヽ」は下線に代え、ルビの拗音と思われる部分(本書は旧来のルビ・システムで拗音表記がなく同ポイント活字を用いている)は拗音表記にした。文中にある訳者注を作品末に移し、一部の私の簡単な注も混在させた(記号で明確に区別した)。【2008年9月7日】]

 

   四日間

 

 おれたちは森のなかを走っていた、弾丸(たま)がシュッシュッと鳴っていた、そいつに払われて小枝がばらばら降って来た、おれたちは山櫨子(さんざし)の茂みを押しわけかきわけ突き進んだ――みんな覚えている。射撃はますます激しくなった。森のはずれを透かしてみると、そこここに何やら赤いものがちらつきだした。シードロフという、第一中隊のまだほんの子供の兵隊が(『なんだってきゃつこっちの戦線へ紛れ込みやがったんだ?』と、そんな考えがちらっとしたっけがね)、いきなり地面(じべた)へべたりと両膝つくと、おびえあがった大きな目をして、ふり向きざま黙っておれの顔を見やがった。見るとその口から、血がたらたらっと流れていた。いや、あれだけは忘れられんな。それからこれも覚えているが、ほとんど森のはずれのところで、やぶの茂みをひょいと見ると、その中にいたんだ……敵がさ。そいつ三かかえもありそうな、ふとったトルコ兵だった。こっちはやせっぽちの弱虫だが、まっ向(こう)からおどりかかって行った途端に、何やらばあんと音がして、その時の感じじゃ何かこうとてつもないでっかいものが、おれのそばをすっ飛んでった。耳ががあんとしちまったっけ。『こいつ撃ったな』とおれは思った。ところが向こうは、わっと一こえ悲鳴をあげると、山櫨子(さんざし)のやけに茂った一むらへ背中を押っつけてもがいている。そのむらだちを回って逃げればいいものを、こわさのあまり無我夢中で、棘々(とげとげ)の枝のなかへめり込んじまったのさ。ただ一と打ちでそいつの銃をたたき落として、つづく一と突きでどことも知れず、ぐさりと銃剣をぶっ通した。うなるでもなしうめくでもなし、変てこな声がしたっけ。それからまたおれは駆けだした。味方は『ウラー!』の喊(かんせい)をあげて、ばたばたと倒れる、ばらばらっと撃(ぶ)っ放(ぱな)す。忘れもしない、おれも五六発ぶっ放したっけが、それはもう森から野原へ出るところだった。と、いきなり『ウラー』の声がひときわぐんと高まって、おれたちは一斉に前進した。いやおれたちじゃない、前進したのは味方の兵で、おれはちゃんと元の場所にいるんだ。おかしいなと思った。それよりまだ変だったのは、ぐるりの物が一時にすっと消えちまった。鬨(とき)の声も銃声も、ばったりやんでしまったんだ。しいんと静まり返ったその中で、ただ何やら青いものが眼にうつった。てっきりあれは蒼穹(そら)だったんだろう。やがてそれも消えちまった。

 

 

 

 あとにも先にも、あんな変てこな日に会ったことはなかったな。どうやらおれは腹ばいになってるらしく、目をさえぎるものといったら、ただこれんぽっちの地面なんだ。小芋が四五本、その一本を伝わって逆落(さかお)としにはいおりる蟻(あり)が一匹、去年の革の名残りなんだろう、ごみの切れっ端が二つ三つ――まあそれだけがおれの全世界さ。そいつをおれは、片目だけで見てるんだ。もう一方の目はというと、何やら固いものにぎゅっと押しつけられている。そいつはたぶん、おれの頭がのしかかってる木の枝だったんだろう。ひどくぎごちない姿勢だから、動こうとするけれど、それができない。なぜできないんだか皆目わからん。そのままで時がたつ。こおろぎがころころ鳴いている、蜜蜂(みつばち)がぶんぶんうなっている。そのほかには何の物音もない。そのうちに、自分のからだの下敷きになった右腕を、やっとこさで引き抜くと、両手を地面へ突っ張って、ひざがしらで起きあがろうとした。

 何やら稲妻みたいなものが、あっと思う間もなくひざから胸へ、胸から頭へ、きりきりっと全身を貫きとおして、おれはまたぶっ倒れた。またしても真のやみ、またしても空々寂々(くうくうじゃくじゃく)さ。

 

 

 

 おれはふっと日がさめた。これはどうしたことだ、あのブルガリヤの青黒い夜空にぎらぎらしている星影が、おれにはちゃんと見えるんだ。するとここは天幕の中じゃなかったのかな? なんだっておれは、はい出しなんぞしたんだろう? おれは身動きをしてみる。すると両脚(りょうあし)がもがれるように痛いんだ。

 そうか、おれは戦闘で負傷したんだな。重傷か、それとも軽傷かなと、脚の痛むところをさわって見た。右脚も左脚も、ごわごわに乾いた血のりでべっとりだ。手を触れると、痛みはいっそうひどくなる。虫歯が痛むみたいな具合で、絶え間なしにずきんずきんと心(しん)にこたえる。耳鳴りがする、頸が重い。両脚ともやられたことは、まあおぼろげながらわかったが、いったいこれはどうしたわけだ? なぜおれを収容してはくれなかったんだ? さては味方はトルコの兵に敗れたのかな? そこでわが身に起こったことを、おれは思い出しにかかった。はじめは何だかもやもやしていたが、やがてはっきりして来たところによると、どうして敗北なんてことがありえようはずはないと結論が出る。だっておれが倒れたのは(もっともこの倒れたことは覚えがない。ただみんながわっと前進したこと、だのにおれだけは駆けだせず、目先にはただ何やら、青いものが消えずに残った、とまでは覚えているんだが)――とにかくおれが倒れたのは、小丘を登った草地だったんだ。この草地を刀(とう)で指(さ)しさし、あの小兵の大隊長が、『おいみんな、あすこを占(と)るんだ!』と、例のよくとおる声で叱咤(しった)していたっけ。そしておれたちはそこを占領したんだから、味方の敗北なんてありっこがない……。それをなぜおれは収容されなかったんだ? 何しろこの草原ときたら、からりと開けた場所なんだから、何一つ見えないものはないはずだ。それにここでこうしてころがってるのは、何もおれ一人じゃあるまいしさ。敵の射撃はあの通り猛烈だったんだからな。ひとつ頭をねじ向けて、あたりの様子を見てやろう。今の寝方はそれをやるには都合がいい。さっきふっと気がついて、例の小草や、それを伝って逆落としにはいおりる蟻を見たとき、おれは起き上がろうとして倒れた拍子に、もとの姿勢じゃなしに仰向けに転がったんだからな。だからこそ、あの星影も見えるというわけだ。

 おれは腰をもたげてすわろうとする。ところがなんせ両脚の傷だ、容易なことじゃなかった。二三度もうだめだとがっかりもしたが、やがてのはてに、痛さに覚えず知らず涙をいっぱいためながら、どうやらすわることができた。

 頭上を仰げは、青黒い空の一角だ。そこに大きな星が一つと、小さな星が三つ四つぎらぎらして、まわりは何やら黒々とした、見上げるような物影だ。つまり灌木林(かんぼくばやし)なんだ。おれはやぶのなかにいたんだ、そこで置き去りか!

 おれは髪の毛の根が、ぞおっとよだつ思いがした。

 それにしても、現におれはあの丘の草原で敵弾を受けたはずなのに、なんだってやぶの中なんぞにいるんだろう? てっきりうたれた拍子に、傷の痛さに無我夢中で、ここへはいずり込んだものと見える。ただ合点の行かぬのは、今じゃ身動きもできぬこのおれが、その時どうしてこのやぶまでたどりつけたかという点だ。ひょっとすると、その時の手傷は一個所だったが、ここへはいずり込んでからもう一発、とどめの弾丸を食らったのかな。

 色あせた薄赤い斑点(はんてん)が、おれのまわりにはい寄って来た。大きな星の光はうすれて、幾つか出ていた小さな星も、いつの間にやら消えちまった。月の出だ。これが家(うち)だったら、さぞよかろうになあ!……

 何やら妙な音がして来る。……たれやら人がうめいているようだ。そうだ、たしかにあれはうめき声だ。誰か両脚をやられたやつか、それともどてっ腹へ弾丸(たま)を食ったやつが、ご同様に置き去りにされて、どっかそこらに寝てるんじゃあるまいか。いいや違う、うめき声はすぐ耳のそばでしているんだが、見渡すところあたりに人影はないらしい。……いやはやこりやあ、なんのこったい――このおれなんだ! かすかな、哀れっぽいうめき声だった。木当にそんなにもおれは痛いのかなあ? いや痛みもしようさ。ただ頭ん中がもうっとして、まるで鉛みたいに重いもんだから、その痛さがわからんだけの話だ。またゴロリとして、一眠りした方が気がきいてるぞ。眠るんだ、眠るんだ……。だが、そのままさめずじまいになるんじゃないかな? なあにかまわん。

 横になろうとすると、青白い月の光が太い帯をなして、さっとおれの臥所(ふしど)を照らす。すると何やら大きな物かげが黒々と、五六歩むこうに寝ているのが見えた。そやつのところどころが、月光を浴びてぎらついている。ボタンか武器のたぐいだろう。してみれは死体か負傷兵かに違いない。

 どっちだっていい、おれは寝るんだ……。

 いやいや、そんなはずがあるもんか。味方は遠くへ行っちゃいない。ここにいるんだ。トルコのやつらを追っ払って、この位置にとどまったはずなんだ。それが話し声ひとつ聞こえず、たき火のはじける音もしないのは、いったいどうしたわけだろう? つまりその、おれが衰弱し切っているので、耳がきかなくなったんだ。味方はきっとここにいるんだ。

 「助けてくれ!……助けてくれえ!」

 人間離れのした、狂おしい、しわがれた悲鳴が、胸の底からほとばしり出たが、答えはない。自分の声が破れ鐘のように、夜気をふるわしてひろがって行く。ほかには何の物音もない。ただこおろぎが相も変わらず、しきりにころころ鳴くだけだ。月はまん円な顔をして、悲しそうにおれを見ている。

 もしそこのそやつが負傷兵なら、これほどの大声だ、気がつかんという法はない。してみると死体だ。味方かな、トルコっぽかな? ああ、やれやれ! どっちだって同じじゃないか?……と思ううちに睡魔が、おれのはれぼったい目にのしかかって来た。

 おれはもうさっきから目が覚めてはいるんだが、目をつぶったままじっと寝ている。つぶった瞼(まぶた)ごしに日の光が感じられるので、おれは目をあけたくないんだ。目をあいたら最後、そいつがしみるに違いないからな。それにまた、へたにもぞもぞせん方がいい……。きのう(たしかあれはきのうだったな?)おれはやられたんだ。あれからかれこれ一昼夜だが、もう一昼夜もすればおれは死ぬ。どうせ死ぬものなら、じたばたしない方がいい。からだなりとじっとして置いてやろう。ついでに脳みその働きまでとめられるんなら、願ったりかなったりだが! だがこやつばかりはどうにもならん。いろんな想念、いろんな追憶、そいつが頭の中にひしめき合っている。だがそれも長いことじゃあるまい、じきに終りだ。ただ新聞に数行をとどめるだけの話だ。わが軍の損害軽微、負傷何名、戦死志願兵イヴァーノフ、とな。いや名前も出まい。戦死一名と出るのが落ちだろう。兵一名か、あののら犬と同じだな。

 一幅の情景がまざまざとおれの思いに焼きついて来た。それはよっぽど前のことだ。もっともそういえば過去のいっさい、おれの全生涯、つまり両脚ぶち抜かれてここにこうして寝るまでの生活は、一切合財とおい昔の夢に思えるんだが……。ある日街を歩いていると、人だかりで足をとめられた。みんながたたずんで、黙然とながめていたのは、何かこう血まみれの白っぽいもので、そいつが哀れげな啼き声を立てている。見れは豆みたいな可愛らしい小犬だ。鉄道馬車にひかれて、今のおれみたいに死にかけているんだ。するとそこへ、どこかの門番が割ってはいって、小犬の首っこをつまみあげると、そのまま向こうへ持ってっちまった。そこで人垣も散ったっけ。

 このおれをつまみあげてくれる人があるかしら? いやいや、ここでこのまま死ぬ運命なんだ。それにしても人生はいいものだなあ!……あの日は(つまり小犬が遭難した日だが)、おれにとっちゃ幸福な日だった。おれは何やら浮かれ心地で、ふらりふらりと歩いていたが、それにはちゃんと訳があった。思い出せば切(せつ)ないばかりだ、ええ思うまい! むかしの幸福、いまの苦艱(くかん)……現在の苦しみだけでたくさんだ。覚えず知らず今の身に引きくらべて、ひとしお切なさが増すばかりの、昔の思い出なんぞに用はない。ああつらい、やるせない! こいつは傷よかよっぽど毒だ。

 ところで暑くなって来た。日がかんかんに照りつける、おれは目をあける。見えるのは、おんなじやぶにおなじ空、ただそれを昼の光で見るだけの違いだ。ほう、隣りの先生もいるな。いやこりゃあトルコ兵だ、死んでいる。なんてでっかいやつだろうなあ! そこで気がついてみると、やっぱりきゃつだった……。

 おれの手にかかった男が、目の前にころがってるんだ、いったい何の恨みがあって、おれはこの男を殺したんだろう?

 やつは血まみれの死体になってここに寝ている。なんだってやつは運命の手に、ここへなんぞ追っ立てられて来たんだろう? いったいどこの何者だろう? おそらくやつにも、おれと同じに年寄りの母親があるんだろう。その母親が、夕暮れ時になるごとに、いぶせい泥小屋の戸口へ出ては、遠い北の空をながめながら、いつまでもじっとすわっているだろう――いとしい息子(むすこ)はまだ帰らぬか、一家のささえ、老い先の頼みはまだ帰らぬか?……

 ところでおれは? おれだって同じことだ。……ああいっそ、この男と代われるものなら代わりたい。なんて果報なやつだろう、耳も聞こえず、傷の痛みも感じるじゃなし、死なんばかりの心のもだえも、のどのかわきも知らずにいるのだ。……銃剣がぐさりと心臓へとおったんだな。……見ろ、軍服に大きな穴が黒々とあいている、そのまわりは血だらけだ。それをやったのは――このおれだ。

 別にそうするつもりはなかった。戦地へ向かう時だって、だれに恨みがあるでもなかった。おれも人殺しをするんだなんてことは、どうしたわけかきれいに忘れていた。どんな具合にこの胸板を矢玉にさらしてくれようかと、ただそればかりを心に描いた。そしていよいよさらしに出たんだ。

 それがまあなんてこった? ええ、われながら愛想がつきる! ところでこの不運なエジプトの百姓になると(やつはエジプト軍の服だった)――まだまだぐっと罪は軽い。たる詰め鯡(にしん)みたいに船に積まれて、コンスタンチノープルへ運ばれるまでは、ロシアのこともブルガリヤのことも、うわさに聞いたことさえないんだ。行けと言われたから来たまでだ。いやだなんて言おうもんなら、むちを食らうはもとよりのこと、まかり間違えば何とか総督(パシャ)にピストルの弾丸(たま)をぶち込まれたかも知れんのだ。やつはそこでスタンブールからルシチュークまで、はるはるつらい行軍をしたあげく、わが軍の攻撃にあって、防戦したというわけだ。ところがこっちが荒武者で、やつのかかえている英国製の特許(パテント)つきピボディ=マルチニ式のライフル銃なんぞは物ともせずに、ぐんぐん前へ出て行くもんだから、やっこさんおびえあがってしまったんだ。そこで逃げだそうとした途端に、これが平生(へいぜい)ならあのまっ黒な拳固(げんこ)の一撃でひとたまりもなく往生しそうなどこかの小男が、ひょいととび出して来て、ぐさりと心臓めがけて銃剣を突っ立てた。

 これでやつに何の罪がある?

 またこのおれにしたって、なるほど殺しはしたけれど、いったい何の罪があるんだ? ええ、何の罪とががあるんだ? それを何の報いでこうものどがかわくんだ? のどがかわく! この言葉の意味を、知っている人があるなら手をあげろ! ルーマニヤを通るときは、あの四十度という恐ろしい炎天を、日に五十露里の強行軍をやったっけが、その時だってこれほどのかわきは知らなかった。ああ、だれかきてくれないかなあ!

 ああ、そうだ! きゃつのあのでっかい水筒の中には、きっと水があるだろう! だがあすこまで行かなきゃならんな。さぞ痛むこったろうな! なあにかまわん、やっつけろ。

 おれははいだす。脚をずるずる引きずりながら、力の抜けた両手で、てこでも動かぬ胴体をやっとこさで押して行く。死体まではほんの二間(けん)あまりだが、それがおれにとっちゃ何十霹里にもまして遠い――いや遠いじゃない、つらいんだ。だがとにかくはって行かにゃならん。のどが焼けつく、まるで火みたいにかっかと燃える。それに水なんかない方が、手っ取り早く死ねるんだが、そこがそれ、もしやということが……。

 でおれははって行く。脚(あし)が地面にひっかかって、ひと動きするごとに涙が出るほど痛い。おれは大声を立てる、情ない声だ、だがやっぱりはって行く。やっとたどりつく。そら水筒だ……たしかに水はある――それもどっさりある! 半分以上もあるらしい。ありがたい! まず当分は水に困らん……やがて死ぬその時までは!

 現在手にかけたこのおれを、お前は助けてくれるのだ!……おれは片ひじついて水筒のひもをときにかかったが、ふと中心を失って、命の恩人の胸の上へ、がくりと顔をついてしまった。相手はもうひどい死臭を発していた。

 おれはたらふく飲んだ。生ぬるい水じゃあったが腐ってはいず、それにたくさんあったから。これでまだ二三日は生き延びられる。そうそう、あの『日常生理』という本に、水さえあれば人間は、食物がなくとも一週間以上は生きていられるものだと、そう書いてあったっけな。そう言えばあの本には、絶食自殺を遂げた男の話も出ていたっけ。そいつはなかなか死ねなかった。水を飲んでたからだ。

 で、それがどうした? よしんばあと五六日生き延びたところで、それがいったい何になる? 味方はいないし、住民どもは逃げちまった。この近辺には往来もない。どっちみち死ぬんじゃないか。三日ですむこの苦しみを、わざわざ一週間に引き延ばしただけの話だ。いっそ一と思いにやった方がよくはあるまいか? 隣りの先生のそばには銃もある、しかも素晴らしい英国製だ。ただ片手を伸ばしさえすりや、あとは――ほんの一またたきで片がつく。弾薬も一と山そこにころがっている。射(う)ちきる暇がなかったんだ。

 やっつけるか――それとも待つか? 待つって何をだ? 救助をか、死をか? トルコのやつらがやって来て、この深傷(ふかで)を負った脚の皮を、はがしにかかるまで待つというのか? それくらいなら自分でやった方がましだ。

 いやいや、そう力を落としたものでもないぞ。最後まで、力の尽きるまで、戦って見ようじゃないか。何しろ見つけてくれさえすれば、おれは助かるのだ。骨は無事だったかもしれんのだ。元のからだにはなれるだろう。故郷へ帰って、母にも会える、あのマーシャにも……。

 ああどうかして、あの二人が本当のことを知らずにすめばよい! おれが即死を遂げたものと思わしておきたい。おれが二日、三日、そして四日も苦しみ抜いたと知ったなら、あの二人の胸の中はどんなだろう!

 めまいがする。お隣りまでの大旅行で、精も根も尽きちまった。おまけにこのひどい臭気だ。こやつえらく土色になって来やがったなあ…これがあすあさってと重なったら、いったいどんなになるんだろう? 何しろこう力が抜けちまっては退(ど)くにも退けんから、ここにこうして寝ているんだ。ひと休みしたら、また元の場所へはい戻ろう。幸い向こうは風上だから、このいやなにおいを払ってくれるだろう。

 おれはぐったりと横たわっている。日がじりじりと顔や手に炒りつける。引っかぶりたいにも何もない。せめて早く夜になってくれればいい。それで二た晩目になる勘定かな。

 思いがしだいにもつれて来て、おれはうつらうつらと眠りに落ちる。

 

 

 

 だいぶ長く眠ったと見え、目が覚めたときはもう夜中だった。別に変わったこともない。傷はずきずきするし、隣りの先生はあいかわらず小牛みたいな図体で、じつと動かず寝ているのだ。

 どうもこの男のことが気になるなあ。いったいおれが、いとしいもの大事なものをみんな振り捨てて、はるばるこんなところまで千露呈もの遠征をやって、飢え、凍え、炎熱に悩んだのは、そしてとどのつまりは今ここにこうして、もだえ苦しみながら寝ているのはーただ一つ、この不運な男の息の根をとめんがために過ぎなかったのか? いったいおれはこの殺人のほかに、何かいくさのためになることをしでかしたかしら?

 殺人、人ごろし……。それはだれのことだ? このおれなんだ!

 おれが従軍を思い立ったとき、お袋もマーシャもとめ立てはしなかった。もっともおれの身を思って泣いちゃくれたが、理想に目のくらんだこのおれは、そんな涙を見向きもしなかった。あとで親身(しんみ)な者たちにどんなうき目を見せることになるのやら、てんでわかっちやいなかったんだ(今こそ思い知ったんだが)。

 ええ、今さら思い出して何になる? 過ぎたことは帰りはせん。

 だがあのときおれの決心を聞いて、友だち仲間の見せた態度は、実に奇怪至極だったなあ! 『ふん、ばかなやつめ! 何が何やらわかりもせんで出しゃばりやがる!』だとさ。そんなことが言えた義理かい? やれヒロイズムだ、やれ祖国愛だと、何のかんのと言う口の下から、よくもそんな文句が吐けたな? あの連中の目から見たって、おれはすなわちそうした勇猛心の発揮者ではないか。だのにそのおれのことを『ばかなやつめ』と抜かすんだ。

 でおれはまずキシニョフへ行った。そこで背嚢(はいのう)はじめいろんな装備を背負わされた。それから何千という戦友と連れ立って出かけたんだが、その中にはおれみたいに志願して出たやつが、さあ四五人もいたろうか。ほかはみんなお許しさえ出りゃ家にころがっていたいやつらだった。がとにかくやつらも、おれたち『自覚ある』連中と行をともにして、何千露里の道もいとわず、いざ戦いとなればおれたち同様に奮戦するんだ、いやむしろおれたち以上かもしれん。許しさえ出りゃさっそくなにもかもうっちゃって、帰って行きそうな手合いだが、本分だけはよく尽くすんだ。

 身にしむような朝風がさっと吹き渡った。やぶがざわめいて、寝ぼけた小鳥が一羽ばたばたと飛び立った。星影も消えた。暗藍色(あんらんしょく)の空は白みかけて、柔らかい羽毛のようなちぎれ雲が一面に浮いて出た。灰色の薄やみがみるみる地上を離れてゆく。いよいよ三日目の幕あきか、おれの……さてなんと言ったものかな、余生でもなし、まあ断末魔のさ。

 三日目と……余すところあと幾日かな? いずれにせよ残りわずかだ。おれはひどく衰弱しちまって、どうやら死体のそばを離れる力もなさそうだ。間もなくおれもこやつと同じ死体になって、お互いに敵も味方もなくなるだろう。

 水はうんと飲まなきやならん。日に三度、朝、午(ひる)、晩と飲むことにしょう。

 日が昇った。その巨大な盤面は、灌木林の黒い枝で縦横無尽に切り裂かれて、血のように真紅だ。今日も暑そうだな。おい隣りの先生、お前はどんな姿になることかしらん? 今でさえ浅ましい姿なのになあ。

 まったく二日と見られぬ姿だった。髪はそろそろ脱け落ちだして、もともとどす黒い膚の色は、青ざめかけて、黄味をさえ帯びていた。顔の浮腫(むくみ)に皮が引っつれて、耳の後ろが裂けていた。そこには蛆(うじ)がわいていた。脚絆ばきの両の脚にも浮腫が来ていて、脚絆のホックのあいだから、ぷよぷよの大きな水ぶくれがはみ出していた。全身もふくれあがって小山のようだ。このうえ今日の日照りにさらされたら、いったいどんなざまになるんだ?

 こうぴったりと寄り添っていたんじゃやりきれない。何はともあれはい戻ることだ。だができるかしらん? まだ手もきくし、水筒の栓(せん)を抜いて、ぐびりぐびりと飲むこともできるが、さてこの動きのとれぬ重たい胴体を、持ち運ぶとなるとどうだかなあ? ともあれ動いて見よう。ほんのわずかずつでもいい、よしんば一時間に半歩でも。

 この引っ勉しで午前中は丸つぶれだ。痛みはひどいが、この場に臨んでそれが何だ? おれはもう健康人の感覚なんか覚えてもいず、それがどんなものやら見当さえつかなくなっている。どうやら脚の痛みにも慣れっこにさえなっている。朝のうちになんと二間あまりをはい戻って、また元の場所にほっと息をついた。ところが新鮮な空気を――もっとも腐れかかった死体から六歩のところで、新鮮なもないもんだがね――とにかくそいつを楽しめたのもつかの間で、風が変わって、またしてもいやなにおいが吹きつける始末だ。いやその猛烈なこと、思わず胸がむかついたね。からっぼの胃袋がきりきりっと引っつるように収縮する。臓腑という臓腑がのたうち回る。だのにむっと鼻をつくむれた空気は、遠慮会釈もなく漂って来るんだ。

 心(しん)の底から情なくなって、おれは泣きだす。

 

 

 

 まったくもうへとへとで、心機はもうろうと、ほとんど失神状態でぶっ倒れていた。とにわかに……。もしや気の迷いから来る空耳では? いいや、どうもそうとは思えない。おお確かにあれは――人声だ。蹄(ひづめ)の音だ、人声だ。すんでのことで大声立てようとして、辛(から)くも思いとどまった。万一あれがトルコのやつらだったらどうする? その時はどうなる? 今の苦しみにかてて加えて、これどころか、新開で読んでさえ身の毛のよだつ、浅ましいうき目を見なけれはならぬ。生き皮をはがれ、深傷(ふかで)の脚を火あぶりにされるんだ……。それだけですめばまだしもだが、まったくやつらと来たら何を考え出すやらわかったもんじゃない。ここでこのまま死ぬよりも、やつらの手にかかって往生する方がましだとでも言うのかい? だがひょっとして味方だったら? ええ、くそいまいましいやぶだなあ! なんだってそうぎっしりと垣根みたいに、ぐるり一面にはえやがったんだ? 透かして見たくもこれじゃ何一つ見えやせん。ただ一個所まるで小窓みたいに、枝のすき聞からはるかのくぼ地が見渡せるところがある。あすこにはたしか小川があって、戦闘の前におれたちが水を飲んだっけな。そう言やなるほど、あの小川に橋の代わりにわたして あった、砂岩のでっかい板石も見えるぞ。やつらはきっとあれを渡るに違いない。そのうちに人声は遠のく。いったい何語でしゃべっているのか、ついに聞き分けられなかった。耳まで遠くなってたんだ。南無三なむさん! もしも味方であってくれたら……おれは声張りあげてどなってやろう。あの小川の辺からだって、聞こえぬというはずはあるまい。へたまごついてトルコの民兵ばらの手に落ちるより、その方が上策だ。どうしたんだろう、なかなか通りかからんなあ。待ち遠しさに気が気でない。死体の臭気は薄らぐ段じゃないのだが、それさえきれいに忘れていた。

 と不意に小川の渡しに姿を見せたのはコサック騎兵だ! 青い軍服、ズボンの赤側条(あかすじ)、槍(やり)の林――堂々五十騎ほどの一隊だ。先頭には黒ひげの将校が、駿馬(しゅんめ)を打たせて進んで行く。つづく五十騎が渡河を終えると見るが早いか、将校は鞍上(あんじょう)あざやかに、全身ぐるりと後ろへねじ向けて、

「速歩(はやあし)にい、進めえ!」と号令をかけた。

「待て、待ってくれえ、後生だあ! 助けてくれ、助けてくれよお、おおいみんな!」

 おれはわめき立てるが、張り切った馬の蹄の音、サーベルの響き、コサック特有の例のがやがや話に、おれのしゃがれた叫びの勝てようはずもなく――やつらの耳にははいらんのだ!

 ええいだめか! 心の張りが一時にゆるんで、おれはがくりと地面へ突っ伏すと、おいおい声をあげて泣き出した。その拍子にひっくり返した水筒から、水が流れだす。いや水じゃない、おれの命が、助かる望みが、末期を延ばしてくれる霊泉が、どくどくどくとこぼれるんだ。ところがはっと気づいた時には、もうコップにせいぜい半分ほどを余すばかり、あとはからからにひあがって、のどを鳴らして待っていた大地へ、吸い込まれてしまっていた。                 

 この哀れ無残な目に会ってからのおれの茫然自失(ぼうぜんじしつ)のざまを、今さら思い返すことができようか? おれは薄目をあけたまま、死んだように横たわっていた。風向きはひっきりなしに変わって、新鮮な清らかな空気を送って来るかと思えば、また例の悪臭を吹きつける。この日のうちの隣りの先生のすさまじい変わりようと来たら、筆にも舌にも尽くされない。一度その様子を見ようと目をあけてみたが、思わずぞっとしちまった。もう顔の影も形もありはしない。骨を離れて流れちまったんだ。そのむきだしの頤骨(あごぼね)がにたりと浮かべている笑い、もはや消える時のない笑いが、おれには反吐(へど)が出るほどいやだった、浅ましかった。髑髏(されこうべ)をいじくったこともあるし、生けるがままの人頭にメスを入れて試片(プレパラート)を作った覚えもあるおれだが、あんな思いをしたことはかつてなかった。その骸骨(がいこつ)が軍服をきて、ボタンを光らせているのを見ると、おれはがたがたふるえちまった。『これが戦争だ』とおれは思った、『これがその姿だ。』

 日はあいかわらずじりじりと炒(い)りつける。手といわず顔といわず、もうさっきからひりひりしている。水の残りもすっかり飲んじまった。かわきがあんまりひどいので、ほんの一と口飲むつもりのところを、思わずがぶりと飲み干したのだ。ああなんだってこのおれは、あのコサックの一隊がすぐ鼻さきを通ったとき、声を立てて呼ばなかったんだ! よしんばそれがトルコのやつらだったにしろ、まだしもましじゃなかったか、なあに、たかだか一二時間の責め苦ですんだんだ。ところがこれじゃ、いつまでここにすっころがって苦しむことやら、見当さえもつかんのだ。ああお母(つか)さん、なつかしいお母さん! これがお耳にはいったら、さぞや白髪(しらが)の垂髪(おさげ)をかきむしって、頭を壁へ打ちつけて、私を産みなすった不吉な日をばのろわれるでしょう、いやいや人の子を苦しめに戦争なんぞを思いついたこの世界を、さぞやのろわれることでしょう!

 だが、あんたにしろマーシャにしろ、私がこんなに苦しんだことなど、うわさにも聞くはずはないんだ。さようなら、お母さん、さようなら、わが許嫁(いいなづけ)、恋しいマーシャ! ああつらい、情ない! すると胸もとに何やらがこみ上げて……。

 ええ、またあの白い小犬めが! 門番は不便(ふびん)がるどころか、脳天を壁へたたきつけて、そのまま汚水の流れこむちりだめへ、ほうり込んでしまったっけ。だが小犬はまだ息があって、それからまる一日苦しんだんだ。ところがこのおれはもっとみじめだ、何しろこれで三日も苦しみ抜いてるんだからな。あすは――四日目だ、それから五日目、六日目……。死神め、貴様はどこにいる? 来い、早く来てくれ! 早くおれを引っさらってくれ!

 だが死神は、来てもくれずさらってもくれない。そしておれは、このすさまじい日照りの下にすっころがったなり、焼けつくのどをうるおそうにも一滴の水もありはせず、そろそろ死体のにおいがうつって来そうだ。やつはすっかりくずれてしまった。その残骸から、何方と知れぬ蛆虫(うじむし)が、ぽろりぽろりところがり落ちる。ああなんてうじやうじやしてやがるんだ! きゃつが食い尽くされて、骨と軍服っきりになったら、今度は――おれの番なんだな。おれもあんなになるんだな。

 日が暮れる、一夜が明ける。変わりはない。日が高くなる。やはり同じだ。やがてその日も過ぎて行く。……

 

 

 

 やぶが揺らいで、ざわざわと鳴る。まるで小声で話をしているようだ。

 『そら死ぬぞ、そら死ぬぞ、死ぬんだぞ!』と一方の枝葉がささやく。『会えずになあ、会えずになあ、会えずになあ!』と、向かいのやぶがそれにこたえる。

 「会えずに行くとこだったぞ、こんなとこにいたんじゃなあ!」と、大きな声がその辺でした。

 おれはぶるぶるっとして、はっとわれに返ると、やぶかげから、ヤーコヴレフの優しい碧眼(へきがん)がじっとおれを見ている。隊の上等兵だ。

 「おい、シャベルだ」と彼は叫ぶ、「ここにも二つあるぞ、一つは敵のだ。」

 『シャベルはいらんよ、おれを埋めんでくれ、生きてるんだ!』と叫ぼうとするが、力ないうめきがかわき切ったくちびるを漏れるばかりだ。

 「やあ! こりゃあ生きとるらしいぞ? イヴァーノフの旦那じゃないか! おおいみんな、早く来い、旦那が生きとるぞお! 軍医殿を呼ぶんだ!」

 一分もたたぬうちに、口の中へは水、ヴォトカ、それからまだ何やらがつぎ込まれる。と思ううちに何の覚えもなくなった。

 

 

 

 調子よく揺れながら、担架は進んでゆく。その調子のいい揺れ具合が、おれをあやして寝かしつける。目がさめるかと思うと、またこんこんと眠り入る。傷は 繃帯(ほうたい)されたのでもう痛まない。何やらこう口では言えないうれしさが、総身をぞくぞくさせている。

 「止まれえ! おろせえ! 看護手、第四交代、前へ! 担架につけ! かかれ、担(にな)ええ!」

 号令をかけているのは、隊の看護班将校のピョートル・イヴァーヌィチだ。ひょろひょろと背の高い、すこぶる親切な男である。そののっぽさ加減と来たら、大の男が四人がかりで肩にかついでゆく担架の上から、おれが眼を返して見やっても、まばらひげのはえた頤(あご)の辺と肩先だけしか目にはいらない。

 「ピョートル・イヴァーヌィチ」とおれはささやく。

 「何かね、君?」

 ピョートル・イヴァーヌィチは上からおれをのぞき込む。

 「ピョートル・イヴァーヌィチ、軍医殿は何と言われました? もうだめなんでしょうか?」

 「なあんだ、イヴァーノフ、ばかを言いたまえ! 君は大丈夫だよ。骨は一本もやられちゃいないんだ。まったく運がよかったなあ! 骨も動脈も無事なんだよ。だがこの三昼夜半も、よくまた生きていられたもんだな? 何を食ってたんだね?」

 「別に何にも。」

 「で水は飲んだかね?」

 「トルコ兵の水筒です。ピョートル・イヴァーヌィチ、今は口がきけません。あとでまた……。」

 「そうともそうとも、ゆっくり寝たまえ、なあ君。」

 またこんこんと覚えがなくなる……。

 気がついてみると、師団の野戦病院だった。ぐるりには屏風のように医者の顔、看護婦の顔。

 まだそのほかに、見知り越しのペテルプルグの有名な教授の顔も見え、おれの脚のうえにかがみこんでおられる。その両手は血みどろだ。教授はおれの脚のところでしばらくごそごそやっていたが、やがておれの顔を見て、

 「まずおめでとう、君! 命はとりとめたよ。もっとも脚は一本ちょうだいしたがね、なあにそんなもの――何でもないさ。口はきけるかね?」

 口はきける。でおれはここに書いた一部始終を、みんなに話して聞かせる。

 

 

 

■訳者神西清氏による割注(私のテクスト注記に準じた表示法をとり、本文にはない文末の句点を補った)及びやぶちゃん注(私の注は新字・現代仮名遣とし、冒頭に「◎」を附して全体を〔 〕で括った)

 

〔◎山櫨子:バラ科ナシ亜科サンザシ属Crataegusの仲間の落葉灌木。サンザシCrataegus cuneataを見ると枝は分岐が多く、開いて拡がており、枝が変形した刺を有している。山査子。日本では漢方薬として古くから知られるが、ヨーロッパでも薬用、ハーブやリキュールの原料として馴染みのある木である。〕

〔◎『ウラー!』:“Ура”ロシア語で万歳の意味。突撃や戦勝時の雄叫びとしてよく聴かれる。〕

〔空々寂々:本来は仏教用語で、宇宙の一切は実体も本性も空なのであり、人間の卑小な思惟分別等は遥かに超えてしまっていることを言う。通常は、単にひっそりとして静まりかえっているさまや心が何ものにも囚われず自由なさまを言うが、ここでは後者の意味で自身の失神状態を指して言いつつ、戦場の無人の前者の謂いも合わせていよう。〕

〔◎からだなりと:「なりと」は限定した一部分を挙げて全体を示す助詞で、からだだけでも、の意。〕

〔◎いぶせい泥小屋:「いぶせい」は「いぶせき」のイ音便。不潔・醜悪で不快を感じる、厭わしい、の意。「泥小屋」とはアドベや日干しレンガの土造の家屋を言うのであろう。〕

〔◎やつはエジプト軍の服だった:エジプトは、オスマン帝国によってマムルーク朝が1516年に滅され、オスマン帝国の属州となった。19世紀になって、ムハンマド・アリー朝が半ば独立を獲得するも、19世紀後半には、スエズ運河建設の財政負担につけ込まれてイギリスの保護領国にされてしまう。しかし、この1878年当時は未だ名目上の宗主国はオスマン帝国であった。そのため、ここでエジプト軍の兵士が露土戦争のトルコ軍に従軍しているのである。なお、エジプトのオスマン帝国からの離脱は、第一次世界大戦によってイギリスがオスマン帝国と開戦した1914年を待たねばならず、さらにその独立は1922年、その後もイギリスの間接支配が長く続いた(以上のエジプトの近代史はウィキの「エジプト」の記載を参照した)。〕

〔◎総督(パシャ):“paşa”は、オスマン帝国の高官(首相・大臣・州知事)や将官級の軍人に与えられた称号である。参考にしたウィキの「パシャ」の記載には、『エジプト州知事など、パシャの称号をもつ州知事の官職を指してパシャと呼ぶこともある。』という付記があり、ここの注には最も相応しい。〕

・スタンブール:コンスタンチノープルのトルコ名。[やぶちゃん補注:イスタンブールに同じ。]

・ルシチューク:ブルガリヤの都市。ローム河とドナウ河の交流点にある。[やぶちゃん補注:現在のブルガリア共和国北部のルセ(ブルガリア語Pyce/トルコ語Rusçuk)ルーマニア国境近くにある。ここではトルコ語の「ルスチュク」のロシア語音訳を用いている。]

〔◎ピボディ=マルチニ式のライフル銃:実はこの露土戦争、小火器としてのコンバット・ライフルcombat rifles(歩兵用ライフル)史の中では正にエポック・メーキングなものであったらしい。銃火器のサイトの以下の記載等を参照すると、この露土戦争では、ロシア軍が単発式のボルトアクション・ライフルbolt-action rifleであるベルダンBerdanを使用したのに対して、トルコ軍はここに登場する単発のピーボディ=マルチーニ・ライフルPeabody-Martini rifleに加え、ウィンチェスター・ライフルWinchester rifleを採用していた。後者はレバーアクションlever-actionを持つ連発ライフルで、想像を絶する火力でロシア軍を圧倒し、敗北はしたもののロシア軍に甚大な被害を与えた、とある。この戦争以降、軍用ライフルの基本性能としての連発式、ボルト/レバー・アクション、ブリーチローダーbreech-loader(後装式。元込め銃。銃身の後部或は薬室から弾薬を装塡する形式又はそうした形式の銃の総称。銃身後部はブリーチ(銃尾)によって閉鎖される。19世紀の薬莢の発明により可能となった)が常識となったのだそうである。なお、ここで言うレバーアクションとは、銃機関下部(概ね銃床・引鉄付近)にあるレバーを引くことで薬室内の薬莢を排莢し、引いたレバーを戻すことで次弾を装填するタイプのライフルを指す。典型的なイメージは西部劇でよく見るタイプである。それ以前は単発式(中折れ式等の単発)だったために次弾装填が出来ず、近代戦に於いて連射性能の高いライフルの必要だったために出てきた銃と思われる。上記のウィンチェスター・ライフル等では44口径の弾頭を10発程度連射できる性能を有していたようであるが、銃の弾倉が現用ライフルのように外付け式ではなく、内蔵式となっており、軍用としては過渡期的な銃である。また、レバーアクション方式全体の欠陥としては、機構が複雑になってしまうことと、強力な弾頭に対応することが困難という弱点を有していた。対するボルトアクションは、レバーアクションと同様に単発式のライフルの連射性能を向上させるために、ボルト(遊底)を手動で前後に動かすことで、排莢動作と次弾装填を行えるようにしたライフルを言う。初期のボルトアクション・ライフルはレバーアクションと同じく内蔵式マガジンMagazine(弾倉)のタイプが多かったものの、後にクリップClipや外付けマガジンのものが開発され、外付けマガジンのものが主流となってゆく。クリップ式は、弾頭(薬莢)尾部のリムRimという部位に、クリップ(保弾子。弾をまとめて繋げる金属片)を装着して5~10発程度保持し、薬室側面に装着するタイプを言う。ボルトアクションはレバーアクションと異なり、弾頭の制約が殆んどなくなる強みがあった。現在でも軍警や競技用の狙撃ライフルの主流となっている(以上のレバー及びボルトアクションの叙述は、ここでその違いにこだわってしまった私の疑問に、厭わず答えてくれた教え子の教授による)。〕

・五十露里:ロシアの道程の単位。一露里は一〇六六メートルに当たる。

〔◎二間:一間は約1.8m。従って、ここでの主人公と遺体との距離は3.6~4mである。〕

・キシニョフ:当時南露ベッサラビヤ県の首都。[やぶちゃん補注:現在のモルドバ共和国の首都キシナウ(ルーマニア語Chişinău/モルドバ語Кишинэу/ロシア語Кишинёв)。当時はロシア帝国軍の拠点であった。]

〔◎不便(ふびん)がる:かわいそうに思うの意であり、最近は「不憫」と書くことが圧倒的で誤植のように思われるかもしれない(ワードの「ふびん」の漢字変換でさえ現われない)が、実は「不憫」が当て字であり、「不便」が正しい。〕

・旦那が生きとるぞお!:旦那=イヴァーノフは一兵卒ながら貴族の出であるからそう呼んだのである。