[やぶちゃん注:以下は、2001年1月9日(火)~2001年1月25日(木)銀座「アートギャラリー環」で開かれた「志賀丈二個展」のパンフレットの叙述をもとにし、一部加筆した。志賀丈二氏とは、私の父である藪野豊昭の唯一無二の画友であり、日本でたった一人のシュールレアリストであると私の信じる「人」である。私のブログコメントも参照されたい。画家のスナップは父藪野豊昭の撮ったものである。]
●志賀丈二略歴
1931
6月25日 茨城県に生まれる(多賀郡磯原町大字大塚224)。
1935
父親は炭坑技師であったが、炭坑の生活が馴染めなかった母親は丈二と妹を連れて上京(品川の荏原小学校四年生まで)。
その後すぐ父親のもと、宮城県丸森へ疎開のため帰る。
中学、高校では絵画部、文学部に所属し高校一年生頃から独学で絵を本格的に描き始める。
中学生の時、ドイツ人と結婚していた母親の妹からもらった「PICASSO・54DESSINS」――昭和11年6月20日アトリエ社発行――の一冊に強い影響を受ける。
1951
宮城県角田高等学校卒業後、初めて上京し一年間江古田に間借りする。
8月1日 丸の内仲通り郵便局に入社。
神田・タケミヤ画廊にて瀧口修造と出会いの機を得る。
1952
千代田区大手町1-7(郵便局内の三豊間)に転居し、昭和32(1957)年まで住む。
この時に浮世絵シリーズ、鳥シリーズ、油彩作品生まれる。
友人作家を通して「黒のシリーズ」二冊のスケッチブックに目を通した瀧口修造は、その作品に衝撃を受ける。
1953
第6回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)に出品(「男の顔」F40、油彩)。
第1回ニッポン展(6/22~7/4)に出品(「あなたの顔の中の顔」、「女たち」、「黒い男」、「子と母」、「わかもの」のドローイング5点)。
1954
第7回日本アンデパンダン展に出品(「フジサン」P60、「ピストルと人物」M60、「サラリーマン」その後消滅)。
滝口修造の企画で神田・タケミヤ画廊にて(10/1~10/10)油彩作品の第1回個展を開催。
第2回ニッポン展に5点の油彩を出品するが、その後消滅。
1955
第7回読売日本アンデパンダン展(読売新聞社主催・3/1~3/17)に出品(「山脈」40号、油彩)。
1961
京橋・南天子画廊にて2回目の個展を開催(11/6~11/11)。
以後、1970~1980代は水彩による人物シリーズを精力的に描く。
1978
3月 神奈川県立博物館内郵便局に転勤。
1983
3月26日 病気の為、神奈川県立博物館内郵便局を退社(これを機に31年8ケ月勤めた郵便局を退職)。
1984
自宅の一階を「シュールレアリスムの影取美術館」として開館するが、制作時間をさかれるために二年程で閉館。
1998
名古屋市美術館にて「戦後日本のリアリズム・1945-1960」に出品(「男の顔」F40、油彩)。
2001
第3回個展(銀座・アートギャラリー環/企画)。
1950年代の未発表作品のドローイング(浮世絵シリーズ、鳥シリーズ、藁シリーズ)を二期に分けて展示。
2005
6月 肺気腫のため、永眠。
●作品収録本
○『コレクション瀧口修造4-余白に書く』みすず書房1993.10.22発行108ページ
○『コレクション瀧口修造7一美験工房・アンデパンダン』みすず書房1992.4.10発行47ページ
●作品コレクション
富山県立近代美術館 「子供」FlO、油彩、1954年
名古屋市美術館 「男の顔」F40、油彩、1953年
瀧口修造 「浮世絵シリーズ」、「黒のシリーズ」、1952年他