釈安珎
(「元亨釋書 卷第十九 願雜十之四 靈怪六 安珎」より)附やぶちゃん訳注
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[やぶちゃん注:これは元亨二(一三二二)年に臨済僧虎関師錬(こかんしれん 弘安元(一二七八)年~興国七・貞和二(一三四六)年:京都出身。東福寺・南禅寺住持。徳治三(一三〇七)年に鎌倉へ下向、建長寺の元渡来の名僧一山一寧に教え乞うたが、その際、本朝名僧の事績について尋ねられ、満足に応えられなかったことを契機として白河済北庵にて本「元亨釈書を著したとされる)によって書かれた、本邦初の仏教通史「元亨釈書」の「巻第十九」「願雑十之四 霊怪六」の「安珎」に載る道成寺伝承の一つである。恐らく現存する道成寺伝説の中で、初めて主人公の名を「安珎」(安珍)とする作品と思われる。
底本は常陸出身の僧大菴呑碩が佐渡吉井郷剛安寺に於いて永禄元(一五五八)年に書写した国立国会図書館デジタル化資料の「元亨釈書 三十巻[十一]」の該当箇所(サムネイル・ナンバー十八から二十相当)の画像によった。まず、
①視認した白文
を示し、次に底本にある朱点と、私の通読から適切と判断した箇所に、
②句読点及び会話記号などを施したもの
を示し、最後に、画像を視認しつつ、その訓点に従いながらも、私の自然流の、諸記号によって送り仮名を補った(底本には殆ど送り仮名がない)、
③やぶちゃん訓読文α
を示し、次に、そうした五月蠅い記号を排した上、私が正しいと判断した読みを補った、
④やぶちゃん訓読文β
を示し、この最後に簡単な語注を附した。そうして最後に、
⑤やぶちゃん勝手自在現代語訳
を附した。
①~④で使用した漢字は底本に最も近似するものを選んだが、正字体か略字体か迷うものは正字を選んだ(現在の新字に等しい略字が多く使用されている)。
私の訓読は、参考資料なしの全くの自己流である。『学術的に正しいとされる』訓読や訳を必要とされる方は、速やかにここを退場され、アカデミックな研究書に当たられるがよい。本作はHP開設七周年記念テクストとしてここに公開する。【二〇一二年六月二十六日】]
①白文(〔 〕は底本右にある傍注)
釈安珎居鞍馬寺与一比丘詣熊野山至牟娄郡宿村舍々主寡婦也出兩三婢※1二比〔丘乎〕珎有姿㒵中夜主婦潜至珎所通心緒初二比丘怪慰勞之密至此始覚珎曰我是緇服豈閨閤之徒乎寡居餘情溢于非類又可恥也婦人大恨傍珎不離珎不得已軟諭曰我自遠地赴熊野宿志畜來久神甚嫌淫穢者回不可皈途必來婦主姑待之女喜而皈曉更珎早前路著神祠即便反經婦家而不入急奔過主婦数皈程儲供膳傍門伺路過期不至適一僧過主婦問曰二比丘其物色熊野及途有相見乎對曰如婦言二比丘我親見而其沙門去此恐二日前也耳婦聞大怨瞋乃入室不出經宿為蛇長二丈餘出宅赴途奔馳而過路人噪亡相語曰如此大蛇何為取路人々相傳至珎所珎思女化忽馳入一寺々名道成告衆乞救衆胥議下大鐘置一堂納珎鐘裏堅閉堂戸已而大蛇入寺血目焔口甚可怖畏衆僧走散蛇赴堂戸不闢便以尾撃戸声如鐵石戸漸碎蛇入堂應時四戸皆開蛇乃蟠圍鐘挙尾敲鐘火焔迸散寺衆集者無爭奈何移時蛇去寺衆倒鐘見中不見珎又無骨只灰塵而已其鐘尚熟〔熱乎〕不可觸也 数夕一耆宿夢二蛇來前一蛇曰我是前日鐘中比丘也一蛇婦也我為淫婦害已為其夫悪趣苦報不易救脱而我先身持妙法華未久遭此悪事微縁不虗尚為極因願我為寫壽量品我等二蛇定出苦道我等來寺願垂哀愍覚後大憐乃書壽量品又捨衣資修無遮會薦二蛇其夜耆宿又夢一僧一女合掌告曰我等因師慈惠僧生兜卒女生忉利語已上天
[やぶちゃん字注:「※1」=「餉」-「向」+「高」。
「忽馳入一寺々名道成」の「名」は底本「各」でおかしい。「禅文化研究所 黒豆データベース」の「元亨釈書」によって訂した。
「悪趣苦報」の「趣」は底本は「赴」であるが、「禅文化研究所 黒豆データベース」の配布している「元亨釈書」テクストによって訂した。]
②句読点及び会話記号附(傍注を採用し、「々」の一部を漢字に代えた)
釈安珎、居鞍馬寺。与一比丘詣熊野山。至牟娄郡宿村舍。舎主寡婦也。出兩三婢、※1二比丘。珎有姿㒵。中夜主婦、潜至珎所通心緒。初二比丘、怪慰勞之密、至此始覚。珎曰、「我是緇服。豈閨閤之徒乎」。寡居餘情溢于非類。又可恥也。婦人大恨、傍珎不離。珎不得已軟諭曰、「我自遠地赴熊野。宿志畜來久。神甚嫌淫穢。者回不可。皈途必來。婦主姑待之」。女喜而皈。曉更、珎早前路著神祠。即便反。經婦家而不入急奔過。主婦数皈程、儲供膳傍門伺路。過期不至。適一僧過。主婦問曰、「二比丘其物色、熊野及途有相見乎」。對曰、「如婦言二比丘我親見。而其沙門去此恐二日前也耳」。婦聞大怨瞋、乃入室不出。經宿為蛇。長二丈餘。出宅赴途、奔馳而過路。人噪亡。相語曰、「如此大蛇、何為取路。人々相傳至珎所。珎思女化、忽馳入一寺。寺名道成。告衆乞救。衆胥議下大鐘置一堂、納珎鐘裏、堅閉堂戸。已而大蛇入寺。血目焔口甚可怖畏。衆僧走散、蛇赴堂。戸不闢。便以尾撃戸。声如鐵石。戸漸碎、蛇入堂。應時四戸皆開。蛇乃蟠圍鐘、挙尾敲鐘。火焔迸散寺、衆集者無爭奈何。移時蛇去。寺衆倒鐘見中、不見珎、又無骨。只灰塵而已。其鐘尚熱不可觸也。数夕、一耆宿夢、二蛇來前。一蛇曰、「我是前日鐘中比丘也。一蛇婦也。我為淫婦害、已為其夫。悪趣苦報、不易救脱。而我先身持妙法華。未久遭此悪事。微縁不虗、尚為極因。願我為寫壽量品。我等二蛇、定出苦道。我等來寺。願垂哀愍」。覚後大憐、乃書壽量品、又捨衣資、修無遮會薦二蛇。其夜耆宿又夢、一僧一女、合掌告曰、「我等因師慈惠、僧生兜卒、女生忉利語已上天」。
[やぶちゃん字注:「※1」=「餉」-「向」+「高」。]
③やぶちゃん訓読文α(【 】で底本左の和訓の読み、〔 〕で私の読みを補った)
釈安珎、鞍馬寺に居〔す〕。一比丘と熊野山に詣ず。牟娄郡に至〔り〕村舍〔に〕宿〔す〕。舎主〔は〕寡婦なり。兩三
④やぶちゃん訓読文β(私の補った読みの〔 〕を総て外し、一部の難読字に私の解釈した読みを歴史的仮名遣でルビとして追加、読点を更に増やし、シークエンスに合わせて適宜、改行を加えた)
[やぶちゃん字注:「※1」=「餉」-「向」+「高」。]
「我は是れ
と。
寡が
婦人大いに恨み、珎の傍らを離れず。
珎、已むを得ず
「我、遠地より熊野に赴く。宿志、畜來して久し。神、甚だ
女、喜びて
「二比丘
と。
對へて曰く、
「婦の言ふがごとき二比丘、我親しく見ゆ。而るに其の沙門、此を去ること、恐らくは二日前なるのみ。」
と。
婦、聞きて大いに
人
相ひ語りて曰く、
「此くのごとき大蛇、
と。
人々相ひ傳ふ、
「珎が所に至らんとす。」
と。
珎、女の化したるかと思ひ、忽ち馳りて一寺に入る。
寺名は道成。
衆に告げ救ひを乞ふ。
已にして大蛇寺に入る。
血目焔口、甚だ怖畏すべし。
衆僧走り散じ、蛇、堂に赴く。
戸闢かず。
便ち尾を以て戸を撃つ。
声、鐵石のごとし。
戸漸く碎け、蛇堂に入る。
時に應じて、四戸、皆、開く。
蛇、乃ち鐘を
火焔、寺に
時移りて蛇去る。
寺衆、鐘を倒し中を見るに、珎見えず、又骨も無し。
只だ灰塵のみ。
其の鐘、尚、熱くして觸るべからざるなり。
数夕、一
一蛇曰く、
「我、是れ、前日の鐘中の比丘なり。一蛇は婦なり。我、淫婦に害せられて、已に其の夫と為る。悪趣・苦報、救脱すること易からず。而して我、先身、妙法華を持す。未だ久しからずして此の悪事に遭ふ。
と。
覚後、大いに憐れみて、乃ち壽量品を書し、又、衣資を捨て、
「我等、師の慈惠に因りて、僧は
と語り
■やぶちゃん注(但し、先行する各種道成寺テクストで注したものや現代語訳で事足りるものは省略した)
・「中夜」単に夜中の意味でも用いるが、本作が仏教説話であることを考えれば、六時の一つで、夜を三分した真ん中の時間(凡そ現在の午後一〇時から午前二時頃)に僧が行った勤行のことを指していると考えるのが自然である。即ち、この話柄では、横たわった安珎の寝床に侵入する女の映像は禁欲的に排されているのである。
・「緇服」原義は黒い服、墨染めの衣で僧衣。転じて僧を指す。
・「閨閤」は、寝室、特に女性の寝屋を言うから、ここでは象徴的に男女の交合を言う。
・「軟諭【いつはる】」は、優しく
・「皈」は「歸」の俗字。
・「二丈」約六メートル。
・「衆胥」本来は政体の諸機関の下級官吏を言う(現在の「官吏」というのは「官」と「吏」で別物であり、中国や朝鮮で庶民でありながらも役人の仕事をする者を「胥吏」と言い、正規の高等官僚を「官人」と呼んで、その両者を併せて「官人」の「官」と「胥吏」の「吏」で「官吏」という語が出来た)が、ここでは寺の衆僧の意である。
・「已にして大蛇寺に入る。……火焔、寺に迸散し、衆集は爭ひて奈何ともする無し。」この一〇ショットからなるシークエンスはこれ以前の道成寺説話の中でも群を抜いてリアルな特撮シーンである。円谷英二にこのシナリオで鐘巻のシーンを撮って貰いたかったと考えるのは……私だけであろうか?
・「耆宿」「耆」は老、「宿」は旧の意で、学徳・経験のある老人。老大家。宿老。老師。
・「悪趣」悪行を重ねた人間が死後に「趣く」ところの六道の内の下層三界(地獄・餓鬼・畜生の三つ)を指す。
・「微かの縁も虗ならざれば、尚ほ極因と為る」ここは一見、例えば、「大日本国法華経験記」の「紀伊国牟婁郡の悪しき女」の『決定業の牽ひくところ、この惡緣に遇へり』に相当し、僅かの悪因縁であっても後世に影響を及ぼさぬものとてなく、まさにこの私の場合も、ストーカーの女に付き纏われ、その変じた蛇に焼き殺され、遂には自らも蛇となって、かの女の変じた蛇と夫婦になるという結果を生み出す遠い悪因縁が存在した、という意味に見える。しかし、素直に読むなら、寧ろ、直前の『而して我、先身、妙法華を持す。未だ久しからずして此の悪事に遭ふ』を受けていると言えはしまいか? 即ち、僅かの因縁であっても後に影響を及ぼさぬ無駄もなのとてはないとすれば、まさにこの私の場合も、僅かに法華経を学んだ過去がある、それだけでも蛇となった我とかの女は済度されるべき因縁を持つ、という解釈が可能ではなかろうか? 訳では、贅沢に両方を出した。
⑤やぶちゃん勝手自在現代語訳(「安珎」は「安珍」とし、多様な改行を加え、シークエンスごとに空行を設けた。先行作などを参考にしながら翻案した箇所もあるので注意されたい。生前の安珍は京都出身であるので京都弁染みた台詞を喋らせたが、最後の夢告のシーンでは既に幽冥界を異にしているので標準語を喋らせた。)
牟婁郡に辿り着くと、さる村の屋敷に宿をとった。
この屋敷の主人は寡婦であった。
三人ほどの下女が入れ替わり立ち代わり出て来ては、二人の僧を細やかに接待した。――一言、忘れていたが――安珍は美貌の青年僧である。……
その日の夜半、旅の疲れもあって老僧は早々に別所に休んで、安珍一人、中夜の勤行に勤しんでいたが、そこに誰かが秘かに忍んで来る。
それはかの女主人であった。
女主人は、安珍に思いの丈と肉の
しかし、安珍は言った。
「
しかし……女の居ずまいや風情……これは……最早、尋常では、ない。それは、もう……ここに申すも恥ずかしき……恐ろしいまでに艶めいたる……
しかし――断固として安珍は拒絶した。
これに女は……大いに恨んだる眼つきとなって、いっかな、安珍の傍らを離れようとしない。
安珍は、そこで、止むを得ず、優しい口調になって諭すように言った。
「……
これを聴いて、女は喜んで、安珍の言を入れると、その場は部屋を出て行った。……
翌朝、まだ真暗な暁の頃あい、安珍は連れの僧と道を急いで、熊野神社への参詣を済ませると、また早々に帰路をとった。が、かの寡婦の家には寄らず、その近くも走るようにして行き過ぎた。
かの女はと言えば、安珍の帰る日数を毎日数えに数え、帰参となろうという、その日、豪華な饗応の膳なども既に設けおき、
ところが……日暮れ近くになっても、姿形も、これ、見えぬ。
と、そこへ、たまたま熊野帰りと思しい一人の僧が通り過ぎた。
女が訊ねる。
「あの、もし――二人の僧侶にて、これこれの姿にて顔貌はかくかく、しかじかの僧衣を召された方々を――熊野にてか、若しくはその
すると、その僧が答える。
「貴女の言わるる如き二人の僧なら、拙者、よう存じて御座る。なれど、その僧らは、既に当地を去って……そうさな、恐らくはもう、二日ほども経って御座ろうかの。」
……。
これを聴いた女は、異様な怒りの形相となって怨み言を叫ぶと、そのまま室に走り入って、出て来ずなった。
……一夜が明ける……
……女は……
――二丈もあろうという――
――大蛇と化していた……
……そうして、そのまま……
――シュルシュル、シュルシュル!――
屋敷を出で、いっさんに屋敷の前の道に赴くや、
――シュルシュル、シュルシュル!――
奔馬の如く、街道を走り抜けて行く……。
――シュルシュル、シュルシュル!――
街道にては人々が大騒ぎして、我れ先に逃げだす……
――シュルシュル、シュルシュル!――
人々が互いに言い交わす声……
――シュルシュル、シュルシュル!――
「……あ! あ! あ、あん大蛇!……な、
「何や、知らんのかいな?」
「……し、知らんて、何を?」
「……あれは……もと、女人よ。」
「……てへぇ!?……」
「……愛する安珍がとこへ……行こうとして、おるんや、て……」
――シュルシュル、シュルシュル!――
――シュルシュル、シュルシュル!――
風聞は風、その噂も、蛇よりも
安珍は覚った。
『……かの女の……化したるか……』
と、老僧の手を取ると、丁度、近くにあった一寺に入る。
寺を道成寺と言う。
安珍は衆僧に経緯を告げ、取り急ぎ、救いを乞うた。
請けがった衆僧どもは談合の上、取り敢えず――寺の洪鐘を下ろし、一堂の内に置いて、その鐘の内に安珍を匿して――堅く、堂の戸を閉じおいた。――
――シュルシュル、シュルシュル!――
――既にして大蛇は寺に入る!
――シュルシュル、シュルシュル!――
――血の
――シュルシュル、シュルシュル!――
――
――シュルシュル、シュルシュル!――
――おそろしなんどと言ふばかりなし!
――シュルシュル、シュルシュル!――
――衆僧、蜘蛛の子を散らす如、走り回り、散り散りとなった!
――シュルシュル、シュルシュル!――
――大蛇、迷わず、堂へといっさんに走る!
――シュルシュル、シュルシュル!――
――戸は、開かぬ!
――シュルシュル、シュルシュル!――
――と!
――バン! バン! ババン!――
――大蛇、尾を以って、戸を撃つ!
――バン! バン! ババン!――
――その戸に当たる大蛇の尾が音、これ、鉄の塊りのぶち当たるが如くして!
――バン! バン! ババン!――
――グシャッ! バリンッツ!――
――戸は遂に碎け散る!
――シュルシュル、シュルシュル!――
――大蛇は堂に入る!
――シュルシュル、シュルシュル!――
――すると不思議なことに!
――同時に四面の戸が、皆、開いた!
――シュルシュル、シュルシュル!――
――大蛇は!
――シュルシュル、キュルキュル!――
――忽ち、鐘に、
――キュルキュル、ギュルギュル!――
――渾身の力を持って締め上ぐる!
――ギュルギュル、キキキキッ!――
――と!
――尾を高々と挙げた!
――ゴッツ!――
――鐘を!
――ゴッツ!――
――敲いた!
――ゴッツ!――
――途端!
――その口から!
――ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!――
――紅蓮の火焔が
――寺のあちこちに、飛び火する!
……衆僧どもは……柱や木立の蔭にて……ただただ怯え慄き……手を
……暫くして――大蛇は――去った。……
衆僧は皆して、鐘を倒し――中を――見た――
安珍の姿は――ない――
また、骨さえも――ない――
ただ埃のような――ひと摑みの――灰塵が――これ、あるばかり。
なお――以って――その鐘――熱く――素手にては、これ、触るること、出来ぬほどであった。……
さて、それから数日の後の夕べのこと、道成寺の一老師が――夢を見た。……
――老師の眼前には二匹の蛇が進んで参る。
――そうして――その一匹の蛇が語り出す。
「……我は、これ、過日の、鐘中にあった僧にて御座る。……もう一匹の蛇は、かの女にて御座る。我、淫らなるかの女に害せられた上……かくも既に蛇となって……その夫となって御座る。……三悪道にあって、悪業の因縁より受くる苦の報いから、救われ脱すること……これ、容易なことでは御座らぬ。……然るに我、生前、法華経を堅持して修業致いて御座った。……なれど、未だ修養の年月も久しからざれば、この悪事に相当致いた。……老師よ、仏法に『微かの縁も虚ならざれば、なお極因となる』と申しまする……それは……僅かの悪因縁であっても後世に及ばぬものとてなく、まさにこの我の如きも、かの女に付き纏われ、その変じた蛇に焼き殺され、遂には自らも蛇となって、かの女の変じた蛇と
――と――
そこで、老師は目覚めた。
その無遮会を終えた夜のこと、老師は、再び、夢を見た。……
――老師の眼前には一僧一女が進み出でて参る。
――そうして――合掌して、僧が告ぐ。
「――我等は、師のありがたいお慈恵によって――拙僧は兜率天に生まれ変わり、女は忉利天に転生致いて御座りまする。――」
と語り終えるや、二人の姿は――
――遙か虚空の彼方へと――
――上っていった――
釈安珎
(「元亨釋書 卷第十九 願雜十之四 靈怪六 安珎」より)
附やぶちゃん訳注
完