芥川龍之介「藪の中」へ
やぶちゃんのオリジナル授業ノート『「藪の中」殺人事件公判記録』へ
鬼火へ
高校生による「藪の中」殺人事件の一推理(copyright
2009 Yabtyan-osiego)
[やぶちゃん注:本年2008年、現在私の勤務している公立高校の文系三年生の現代文の授業で、久し振りに芥川龍之介「藪の中」を扱った。夏季休業前に「藪の中」を朗読後、入試を目前にした彼等に対して非情にも『「藪の中」殺人事件弁護側冒頭陳述』(「真相を述べているのは三人の中の誰かを推理し、その人物を弁護し、偽証している残りの二人に対する反対尋問を行え。三人全てが嘘をついていると考える場合は、三証言が偽証であることを立証し、真相を述べよ。」という小論文)の宿題を課した。多様な解釈が提示され久し振りに楽しめたが、その中でもR.H.という一人の男子生徒の長大なレポートには舌を巻いた(フロッピーによる提出)。以下はその全文である。一部の表記・表現を変更してあるが、基本的には原文のままと言ってよい。著作権はR.H.君に帰するが、既に本人の公開許諾を得ている(著作権クレジットは公開した本年にしてある)。一部の判断には疑義を持つ部分もあるが(現在の検事よろしく検非違使が現場検証したという見解や「手痛い」の語の解釈、征矢の本数への拘り、平安期では切腹という自害は決して一般的ではない点、前年の鳥部寺二女性殺人事件だけでも重罪が予想される多襄丸がこの事件で無罪放免されることを確信したという下り、心中願望を女性的発想とする点、私が救い難い悪女とイメージする真砂への一定の理解を示した好意的な真相部分等)、その帰結する推論の核心は私のものと共有出来るものである。マクロ的/ミクロ的視点を自在に総合させて分析している点、あらゆる可能性を洩れなく数え上げて堅実に検討している点、極めて素晴らしい推論となっている。真相の仮定もオリジナリティが感じられ、総合的に見て、私は今までも、そうして恐らく今後も、これ以上の高校生による『「藪の中」殺人事件』論を手にすることはないと考えている(断わっておくが、これは芥川龍之介作「藪の中」論ではない。あくまで『「藪の中」殺人事件』論である。勿論、この地平の彼方に自ずと「藪の中」論は生成してゆく筈である)。
ちなみに、今月、彼は社会学を学ぶ学徒となった。本作の公開をもって、彼の大学合格をも言祝ぐものである。なお生硬な表題『「藪の中」殺人事件を推理する』は、題名がないために私が仮に附したものであることを断わっておく。【2009年3月13日】]
「藪の中」殺人事件を推理する
R.H.生(copyright 2009 Yabtyan-osiego)
――いくつかの最低限必要な前置き――
この物語はほとんどの内容が作中人物の台詞であるため、厳密な意味で客観的事実と呼びうるものが非常に少ない。絶対的に事実だと断言できるのは各人の証言の頭の題名(「検非違使に問われたる木こりの物語」など)と、ところどころに見られるト書きと思しき( )内の注釈のみである。ただし、「(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです)」は多襄丸の台詞、あるいはそれに準ずるものである可能性が高いため、例外とする。
上記のような状況であるため、この物語を解釈する際にはいくつかの条件付けによる縛り――即ち、前提としての仮定を行わなければならない。ただしこれは、絶対に百パーセント間違いなく正しいとは言えないものの、極めて真実性が高いと判断できる事柄に限って行うこととする。以下にそれを示す。
@「検非違使は必ず真実に従う。即ち、検非違使の目から見て明らかに矛盾を来している証言については、野放しにされていることはない」
検非違使が事件にかかわっているような表現は一切認められないので、これは確かに公正な立場であると仮定していいだろう。
A「検非違使は現場を実際に捜査している」
検非違使は現在で言う警察の立場なのだから、当然と言えよう。遺体の回収にも、恐らく検非違使が向かったはずである。
B「霊媒だから、という理由で巫女の証言が軽んじられることはない。即ち、死霊の話は他の生きた証人たちのそれと、等しく価値あるものとして扱われなければならない」
当時は霊媒(巫女)や霊魂の存在は広く信じられていたし、もしかしたら本当に降霊が可能だったのかも知れない(勿論、わたし個人としては否定的な立場を取るが)。何より、それが全否定される、あるいは全く逆に無条件に信じられる(「霊はすでに現世にはいないのだから嘘をつく理由はない」という主張もあるが)とするには、物語の構成上、無理がある。
要するに、はなからそれが嘘だと分かっているなら、それ自体が存在する意味がなく、それが真実だと分かっているなら、多襄丸と女の証言は必要ないのである。かの文豪芥川がそんなことをするとは到底思えないし、何よりそんな考え方は面白くもなんともない。当然却下される。
C「死んだ人間の霊魂は現世にはない」
即ち、男の霊魂は巫女によって呼び出されるまで“あっちの世界”にあったのであって、“こっちの世界”にはなかったということである。「中有に迷って」「この闇の中」「中有の闇へ」などから読み解いても、そのようなニュアンスを受ける。つまるところ、前項BもこのCも、霊媒や霊魂に関する扱いを当時信じられていたものに基づいて解釈する、ということだ。これは至極真っ当なことと思われる。
D「全員が全員、てんで出鱈目を話していたり、全員が口裏を合わせていたり、というようなことは、ない」
あくまでこの物語は、ある一つの事件に関する証言の寄せ集めなのであって、無秩序な科白の継ぎ接ぎではない。そのような偶然の一致は到底考えられないし、それを許容すれば、それこそ物語としての意味は完全に消失する。いくら客観的事実はなく、全てが証言者の意志による嘘である可能性を孕んでいるからと言って、流石にこれはない。考えたところで何も始まらない、考えるだけ無駄という事態に至ってしまう。
E「『多襄丸の白状』の内、『わたしは昨日の昼少し過ぎ、あの夫婦に出会いました』から『男の命は取らずとも、女を手に入れることができたのです』までの部分の話の大まかな流れに関しては、無条件に多襄丸の証言を信ずるものとする」
ここに関しては、この多襄丸の証言以外に状況を語るものがない。前後の状況と照らし合わせても符丁が合うので、これについてはほぼ事実だと仮定したい。ただし、あくまでこれはアウト・ラインについてであり、ディテールについては疑問を差し挟む余地は十分ある。
夫婦に会い、騙して藪に連れ込み、男の方は杉の根元に縛り付け、口に笹の葉を詰め、女の方はその小刀をいなして手込めにした――ここで言うアウト・ラインとは、おおよそこのようなものを想定している。たとえば各人の服装だとか、細かな所作だとかについては鵜呑みにはできない。
なお、作中の人物の呼称がばらばらであるため、入れ替わりや別人の説も一応検討はしてみたが、どうも上手く状況と合致しない。そうした解釈が可能性としては考え得るとしても、私には机上の空論・テキストへの侵犯としか言いようがないと思われる。よって、以下の文中でも断りなく、各証言中の氏名とは異なる呼称を用いる場合がある(“盗人→多襄丸”など)。
まずは各人の証言から気になるところを拾ってみる。
――木こりの物語――
事件の第一発見者である木こりだが、その証言を鵜呑みにすることはできない。というのも、その証言中にはいくつか気になる点が見られるからだ。しかし、少なくとも、検非違使が現場に赴いた際には、現場は木こりの証言と同様の状態であったはずである(先の@Aより)。総合して考えると、木こりの証言による現場の状況は
A 木こりが発見したときからその状態である
B 木こりが発見したときにはそうではなかったが、木こりがそうした
――の二択であると言える。
「今朝いつものとおり、裏山の」
→木こりが現場に行くのは日課である。とすると昨日(事件当日)の午前中にも行ったと考えるのが妥当ではないか?
→また、木こりの住居は現場からそう遠くないところにあると思われる。わざわざ自宅から遠い仕事場に通うとも考えにくく、また「裏山」というのは、自宅が街(この場合は山科と仮定する)と山の間に位置するが故に出てくる言葉だと言える。
→これは自然に口を突いて出た言葉であり、信憑性は高いと考えてよい(プロの、あるいは天性の詐欺師であったとしたら話は別だが)。付近の住民や、切り落とした木の出荷先あたりに聞き込みをすれば容易に分かる事実なので、偽る必要はない。
「山科の駅路からは、四、五町ほど隔たって」
→事実のデータと受け取ってよいだろう。もとより、こんなところで嘘をつく必要性は、およそ考えられない。このようなデータの確認は無駄のように思えても必要不可欠である。
「さび烏帽子をかぶったまま、仰向けに倒れて」
→烏帽子は一度も脱げなかったのか? それとも一度脱げて、それから誰か(武弘自身を含む)が被せたのか、被ったのか? いずれにせよ、激しい立ち回りがあったとしたら脱げなかったとは考えづらい。そもそも、決闘をするにはすこぶる邪魔である。決闘とならば、武弘自身が外しはしなかったか?。
→仰向けということは、武弘は刺された際、後ろ向きに倒れた可能性が高い。無論、俯せで(あるいは他の向きで)倒れていたのを何者かが仰向けに直した可能性は否定できない。あくまで可能性ではある。
「死骸の周りの竹の落ち葉は、蘇芳にしみたようで」
→武弘が倒れていたのは竹の葉の積もった平地の上であり、杉の根元ではない。
→蘇芳は黒みがかった赤。血液が乾いた際の色だと思われる。
→血が滴っているのも、遺体の下の竹の落ち葉であり、杉の根元ではない。
→血痕に関しては修正がきかないので、武弘が刺された(凶器を抜かれた)のは竹の葉の積もった平地であり、杉の根元ではないと考えてよい。
「血はもう流れてはおりません。傷口も乾いておったようでございます」
→先の「蘇芳」と併せて、現場の血は乾いていたと思われる。これには最低でも三〜四時間が必要である。
「太刀か何かは見えなかったか? いえ、何もございません」
→現場には太刀も小刀もなかった。ただし、木こりによる隠蔽の可能性もある。
→この質問は「太刀か何か“凶器になり得るもの”は見えなかったか?」と解釈するのが普通である。ところがこの木こりはこの後、「いえ、何もございません。ただそのそばの杉の根がたに」と、縄や櫛についての証言を始めるのである。これは少々不自然ではないか?
「杉の根がたに縄が一筋」
→一筋というからには縄は一繋がり、即ち一本の状態だったに違いない。とりもなおさず、それは縄が一カ所しか切られていなかったことを意味する。これは検非違使も確認しているはずなので事実と見なせる。ただし、木こりが縄を常備している可能性は高いので、木こりによるすり替えの可能性が全くないとは言い切れないという点には留意したい。
→武弘を固く縛っていたものなら、ある程度の長さがあるはずで、それが丸まって無造作に落ちていたとすれば、遠目からそれが一筋であるとの判断は下せないであろう。木こりは縄に近付いて持ち上げたか、よく確認したものと考えられる。
→よく確認したものとすれば、特に言及がないため、縄に血は染みていなかったものと考えられる。
→縄は杉の根がた(遺体よりも有意に杉の根がたに近い位置)にあったのである。様々な証言と一致する。
「そうそう、縄の他にも櫛が落ちておりました」
→現場には男の刺殺死体が一つきりである。にもかかわらず小綺麗な女物の櫛が落ちている。味気ない縄と、そのような櫛と、どちらが場違いかと言えば、これは明らかに後者である。にもかかわらず、この思い出す順序は少々おかしい気がしなくもない。無論、検非違使に問い詰められ、狼狽動転していたことも考えられる。が、疑いを持って見るならば、本件に女が関わっている可能性を、卑小化させるような印象を与えようとしている節が感じられてならない。
「草や竹の落ち葉は、一面に踏み荒らされておりました」
→多襄丸と武弘の乱闘の跡か? それとも事件前に踏み荒らされていたのか?(だとしたら、昨日も現場となる場所近くを通ったであろうこの木こりは嘘をついていることになる) あるいは真砂を手込めにした際に激しい乱闘があったのか? 勿論、理由は分からないが、木こりが現場を故意に荒らしたという可能性もないとは言えない。
「あの男は殺される前に手痛い働きでも致したのに違いありません」
→藪の中に丸腰の男の死体が一つ。刺されたらしいのに凶器がない。とすれば殺人と考えるのは至極自然である。
→そもそもなぜ木こりはこのように断定的に言えるのか? そしてなぜ“手痛い”〔(損害や非難の程度が)甚だしいこと〕などという形容が出てきたのか? この表現ではあの男(=武弘)が誰かに何らかの被害を与えたことになる。武弘が加害者であるかのような口振りだ。単なる木こりの思い込みとしていいのだろうか? 「決闘」の様態を表現するのに“手痛い”という形容はあまりしっくりこないのだが(わたしだけだろうか?)。
「馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには入れないところでございます」
→木こりが来たときには馬はいなかった。他の数名の証言と併せて考えると、馬は多襄丸が奪っていったと考えて間違いなさそうである。
「なにしろ馬の通う路とは、藪一つ隔たって」
→馬は藪の外側に待たせざるを得ない。多襄丸の証言と一致する。
唯一の現場に関する証言だけに流石に挙げるべき点は多い。前述のAかBかの判断が肝要となる。
「死骸ははなだの水干に、(中略)べったり食いついておりましたっけ」
→この証言を見る限り、かなり冷静に死体を検分しているように見える。馬蠅云々というのは相当傷口に近付いたからこそ分かるものである。木こりという職種の人間が人の死に慣れているとは少々考えがたいのだが、果たしてどうか。
なお、特筆されていないことから、どうやら死体の口には笹の葉は詰まっていなかったものらしい。
――検非違使に問われたる旅法師の物語――
「あの死骸の男には、確かに昨日遇っております。昨日の、――さあ、昼頃でございましょう」
→時間に関して。他の証言との一致。
「場所は関山から山科へ、参ろうという途中でございます」
→場所に関して。他の証言との一致。
「あの男は馬に乗った女といっしょに、関山の方へ」
→男は徒歩、馬は一頭だったらしい。
→方向に関して。他の証言との一致。
「女はむしを垂れて」
→女の装束に関して。多襄丸の証言との一致。
「馬は月毛の、――確か法師髪の馬のようで」
→馬に関して。他の証言との一致。
「男は、――いえ、太刀も帯びておれば、弓矢も携えておりました。殊に黒い塗り箙へ」
→男の格好に関して。他の証言との一致。
「二十あまりの征矢」
→征矢は二十数本だったらしい。しかし、放免は十七本と言っている。減っているのだが、これは一体何を意味するのか?
見るべきものは少ないように思われる。事件に関わりが薄い(と思われる)第三者に証言させることで、前提(作品のリアリティ)を補強するのが芥川の目的か? ただ征矢に関してはいささか気に懸かる。単なる見間違い、数え間違いとしていいのだろうか。それで、こうした周辺的証言の不確かさを逆に際立たせようとしたのか?(だとしたら、前述の補強の役割も薄れることになるのだが)
――検非違使に問われたる放免の物語――
「もっともわたしがからめ取ったときには、馬から落ちたのでございましょう、粟田口の石橋の上に、うんうん唸っておりました」
→馬から落ちたのかは定かではないが、とにかく多襄丸は怪我はしていたらしい。
→多襄丸は粟田口の石橋の橋上で捕まった。
「時刻は昨夜の初更ごろ」
→多襄丸が捕まったのは昨夜(事件当日)の午後七時から九時頃。この点で、検非違使に嘘をつく必要性はなさそうではある。
「やはりこの紺の水干に、打ち出しの太刀をはいて(中略)弓矢の類さえ携えて」
→多襄丸の格好に関して。他の証言との一致。検非違使に引き渡された際にもこの格好であったと思われるので、事実と見なす。
「黒塗りの箙」
→男の持ち物に関して。他の証言との一致。
「鷹の羽の征矢が十七本」
→検非違使に引き渡された際にもこの数字には変わりがないと考えて間違いないので、多襄丸が男から奪って所持していた征矢の数は十七本だったのは事実とする。先の法師の話では矢は二十数本あったということなので、それを信じるならば、少なくとも四本、多くて七本ほど減っている計算になる。これは果たして何を意味するのか?
「馬もおっしゃるとおり、法師髪の月毛で」
→馬に関して。他の証言との一致。
多襄丸は捕まった際、真砂の所有物である小刀や武弘の所有物である太刀は持っていなかったらしい。これは検非違使も確認したであろうことなので、事実と見なす。
これもまた他の証言の補完のように思われるが、多襄丸の格好については貴重な証言である。また、やはり征矢については気になるところである。
彼は多襄丸に対して色々と思い入れがあるらしく、若干誇張の気が感じられなくもない。あるいは、ここで自身を多襄丸の逮捕者として殊更に表明することで検非違使に好印象を与え、罪を軽くして貰う(放免からの解放を早めてもらう)算段だろうか。いずれにせよ、どこか胡散臭い感があるのは否めない。
――検非違使に問われたる媼の物語――
「名は武弘、年は二十六歳」
→正しかろうがなかろうが関係ない。とりあえず便宜的に、この証言に従い、男の名は武弘としている。年齢についても同様。別に“漱石”でも“朔太郎”でも“ぷーたろう”でも一向に構わない。いや、文学的には構うかも知れない。
「娘の名は真砂、年は十九歳」
→上に同じく、女は真砂と定義。もちろん、“こいつの本当の名前は●●だ!”と主張するのは自由である。そして同時に文学的解釈論としては不毛でもある。
「勝ち気の女で」
→真砂の性格に関して。多襄丸の証言と一致。
「武弘は昨日娘といっしょに、若狭へたった」
→方向に関して。証言の一致。
「たとい草木を分けましても、娘の行方を」
→何だか死体を探してくれ、と言っているように聞こえるのは気のせいだろうか。
「婿ばかりか、娘までも……(あとは泣き入りてことばなし)」
→どうやら気のせいではなかったらしく、真砂も殺されたものと思っているようだ。演技でないとすれば。
真砂に関して色々言ってはいるが、このような公の場で「わたしの娘には過去に男が三十もいて」だとか「天下に類を見ない不細工なのですが」などと語るわけもなく、もちろん鵜呑みにはできない。
事件解明に直接役立ちそうなことは何も言っていないように見える。真砂が殺されたものと思い込んでいるのは若干気にはなるが、その前に放免が色々と言っているので(媼がそれを検非違使庁の庭に同座し聞いていた可能性は十分あるから)、恐らくそのせいだろう(かほどにこの放免、無神経な男である)。
――多襄丸の白状――
「多襄丸の白状」
→捕まった男は多襄丸であり、以下の証言も全て多襄丸のものである(絶対的な事実)。
「昨日の昼少し過ぎ、あの夫婦に出会いました」
→時間に関して。他の証言との一致。
「むしの垂絹が」
→女の格好に関して。旅法師の証言との一致。
「あの山科の駅路では」
→場所に関して。他の証言との一致。
「男も太刀をはいているだけに」
→男の格好に関して。他の証言との一致。
「いつの間に懐から出していたか、きらりと小刀を引き抜きました」
→小刀は懐にしまっていたらしい。従って、鞘も懐にあったはずである。手込めにされたときに服は脱ぐのではないか? 鞘は何処に行ってしまったのか? 持ち去る場合にも鞘がなければ困ると思うのだが?
「気性の激しい女」
→真砂の性格に関して。媼の証言と一致。この時代に女が盗人(この時点ではどちらかというと強姦魔)に小刀を以て果敢に反撃し、盗賊が手こずるというのはなかなかにイレギュラーなケースだと思われるので、この一致により証言の信憑性がぐっと高まると言っていいだろう。
「わたしは男の縄を解いた上」
→木こりの証言に従うと、縄は一カ所しか切っていないことになる。解くのに時間がかかりそうだ。一方向を縦に一閃してしまった方が効率的ではないか?
「二十三合目に」
→決死の決闘の最中によく数えていたものである。相当余裕があったらしい。――のではもちろんなく、単に誇張か、あるいはこの決闘話自体が創作であるという匂いがする。
「今度はわたしの命です」
→武弘の証言「今度は俺の身の上だ」と同じ?
「太刀や弓矢を奪ったなり」
→男の格好、多襄丸の格好に関して。他の証言との一致。
「女の馬が、静かに草を食って」
→女は馬には乗らなかったらしいが、逃げようという女がなぜわざわざ逃げるための足を捨てるような真似をするのか。不自然である。
→多襄丸はこの馬に乗って山を下ったらしい。放免の証言とも一致する。
「太刀だけは手放して」
→小刀は手放していないらしい。しかし、捕まったときには持っていなかったのだから、この証言が正しければ、小刀は多襄丸が持っていったのではないことになる。
→征矢も手放してはいないらしい。
何やら検非違使や役人を馬鹿にしている。『どうせお前たちは悪党の俺の話なんてろくに聞きやしないだろ? だから俺がこんな偽証をしても、俺が前科持ちだってだけで、俺が犯人だと信じて疑わない。馬鹿なやつらだ』とでも言いたげな印象さえ受ける(これはただの私の感想ではある)。
――清水寺に来れる女の懺悔――
「その紺の水干を着た男は」
→多襄丸の格好に関して。他の証言との一致。
「あの盗人に奪われたのでしょう、太刀はもちろん弓矢さえも、藪の中には見当たりません」
→多襄丸に関して。他の証言との一致。
「口には笹の落ち葉が、いっぱいに詰まっていますから、声は少しも聞こえません」
→なぜ取り除いてやらないのか? 勝手に解釈して間違いだったら、などとは考えないのか。それこそ一大事だと思うのだが。大体、木こりの証言を見る限り、死体の口には笹の葉はなかったらしいのだが、この女の証言中にはこの後にも取り除いたような描写はない。矛盾である。
「死骸の縄を解き捨てました」
→殺してから縄を解いた、ということは即ち、殺したときには、武弘は杉の根元に縛られたままだったことを意味する。武弘が殺されたのは竹の葉の積もった平地の上であり、杉の根元ではないのだから、これはもう、壮大に事実と食い違う。
「小刀を喉に突き立てたり」
→これが事実なら、真砂の首には躊躇い傷が残っているはずである。検非違使がそれを見逃したとは思えないので、これは事実だと考えた方がいいかも知れない。
三つの自白のうちでは、最も信憑性が低く(というか、殺人のくだりに関しては、低いどころか皆無に等しい)、支離滅裂。真砂は手込めにされたせいもあり、精神的に良好だったとは言えないのかも知れないが、描写が細部にまで及んでいる以上、一定以上の理性はあったと考えられる。何もないところからここまでのストーリーを空想できるとは考えがたい。
――巫女の口を借りたる死霊の物語――
「盗人」
→武弘は多襄丸をこのように呼んでいる。確かに、多襄丸は太刀や弓矢を持ち去っているのだから、間違ってはいない。しかしどうだろう。多襄丸は武弘の妻たる真砂を手込めにしているのである。そのことと些細な泥棒、一体どちらが武弘の心に強く働きかけるかと言えば、明らかに前者だろう。つまり、武弘にしてみれば、多襄丸は“盗人”であるよりも“強姦魔”であるイメージの方が強いはずなのだ。それとも妻を寝取った、という意味での盗人なのだろうか。いずれにせよ、違和感を感じずにはいられない。そして、後述するが、この用語には重要な意味が隠されていると思う。
「妻はおれがためらううちに」
→なぜ躊躇ったのか? 「瞋恚に燃えなかったためしはない」と前述しているとおり、武弘はこの時点ではすでに真砂を憎んでいたのである。にもかかわらず、なぜ多襄丸の「殺すか?」という問いへの答えに躊躇ったのか。多襄丸の意外な行動への驚きが反応を鈍らせたのだ、と考えれば辻褄は合わなくもない。しかし、そのすぐ後に「おれはただ幻のように」「こうつぶやいたのを覚えている」「が、その声も気が付いてみれば、おれ自身の泣いている声だったではないか?」とあるように、武弘がこの時、現実を直視できていなかった可能性は高い。憎いのと殺したいのとでは話は別、ということか。
「(妻は)藪の奥へ走り出した」
→なぜ藪の奥へと逃げるのだろうか。普通は、馬がいて、町にも近い藪の外へと逃げようとするものではないか? 藪と真砂との直線上に多襄丸がいる、というような構図だったのだろうか。あるいは真砂は混乱していて正常な判断が下せなかったのか?
「盗人は妻が逃げ去った後、太刀や弓矢を取り上げると」
→男の格好、多襄丸の格好に関して。証言の一致。
「一箇所だけおれの縄を切った」
→木こりの証言と一致している。多襄丸の側に立って考えると、逃走の時間稼ぎとしての意図がしっくりくる。一箇所しか切っていない方が、解くのには時間がかかるのである。
「今度はおれの身の上だ」
→多襄丸の証言中の心情とほぼ同一内容。証言中の多襄丸の一人称は“わたし”だが、これは喋っている状況も違えば相手も違うので、齟齬には値しない。
「盗人が藪の外へ、姿を隠して」
→多襄丸は藪の外へ逃げたらしい。
「忍び足に」
→これは“恐る恐る”という意味だろうか、それとも何か後ろ暗い気持ちから来る“ばれてはならない”という意味での忍び足だろうか。
当時は自害の際には切腹(もしくはそれに類した行為)したはずである。一般に切腹とは逆手に持った短刀で自ら腹を貫くものと考えられているが、実際には腹を刺したのち、そのまま脇腹まで切り裂くのが普通である。胸を貫いただけで、しかもその凶器をそのままにするというのには、自害の方法としては違和感を禁じ得ない。
全体的に、三人の当事者の中では最も真実らしい証言をしていると言える。しかし、これが全面的に真実かと言えば、恐らくそうではないだろう。上述のように、色々と気になる点はある。
多襄丸の証言前半とは随分と人物像が異なる気がする。他の二人の証言では、こんな、ある意味潔い性格には描かれていないのである。見栄を張っていると考えると見事に辻褄が合いそうだ(欲に心を奪われ、騙される、間抜けで見栄っ張りな男の完成)。
次に、非常に重要ないくつかのポイントから論理的に矛盾を導き出す。
――武弘の証言より、「抜き去られた小刀の問題」――
武弘は最後の段落で“何者かが胸から小刀を抜き去っていった”と供述している。
ここで思い出してもらいたいのが、武弘は死んでいる間“あっちの世界”にいるのであって“こっちの世界”にはいない、ということである。それはつまり、武弘には他の人間の証言を知る機会はなかったこと、現場の状況を知ることは叶わなかったことを意味する。
そしてもう一点。武弘は自らの証言が真実とされることを望んでいた、ということだ。そうでなければ、降霊で呼び出されたところで何も語る必要はない。彼は捜査がどのような状況なのかなど知り得なかったのだから、誰かを庇うため、という目的性も成立しない。あくまで彼は自らのために証言したのである。従って、偽証するにせよ、最大限真実らしく見えるように努力したはずだ。そうでなければわざわざ証言をする必然性がなくなってしまう。他人に嘘だと見破られるであろうことが判っている偽証など、価値はないのである。
さて、以上の二点を踏まえた上でこの“誰かが小刀を抜き去った”という証言についてもう一度考えてみよう。
武弘は何を思ってこの証言をしたのか? 彼のこの証言が嘘であるにせよ本当であるにせよ、確実に言えることは、彼はこの証言が“もっともらしい”と思っていた、ということである。言い換えれば、彼は
“小刀が抜き去られたことが真実らしい証言の条件だ”
つまり、
“小刀が現場には残されていない、という証言は真実と一致する”
と知っていたのである。
もし武弘が死んだときにはまだ小刀が現場に残されていたならば(そして彼がそれを知っていたならば)、彼は当然、何らの疑問も抱かずに“自分の死体とともに小刀は現場から発見された”と考えるだろう。“自分の死後、誰かが小刀を持ち去った”などというのは明らかにイレギュラーなケースであり、そんな予想は立てられようはずもないからだ。これは同様に、“小刀があるかどうか判らない、あるいは覚えていない”という場合にも当てはまる。その場合は“判らない”か“恐らくあっただろう”となるはずであり、たとえ持ち去られた可能性に思い至ったとしても、低い可能性の証言をわざわざするというのはおかしいのである。そして、小刀が現場に残されていたのを知っていたにもかかわらず“小刀は抜き去られた”などと証言をすることもありえない。絶対に嘘だと見破られるであろうことが分かっているような偽証は、するはずがないからである。現場にあったかなかったか判らない場合にも、現場にあることを知っていた場合にも、「抜き去られた」という証言は出てこない。つまり、この証言は“小刀が現場にない”ということを知っていなければ出てこないものなのである。
従って、
“武弘が死んだときには、すでに小刀は現場から持ち去られてなくなっていた”
言い換えれば、
“小刀が現場から持ち去られたのは、武弘が生きている間である”ということになる。
この観点に立って、もう一度、三人の証言を読み直してみよう。
真砂の証言では「夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました。(中略)死骸の縄を解き捨てました。(中略)小刀を喉に突き立てたり」とあるとおり、小刀を持ち去ったのは武弘の絶命後である。先の死体の位置や縄の件とも併せて、この女の殺害に関する証言はほとんど全く信用できないことがよく分かる。
多襄丸の証言では、そもそも小刀を持ち去ったのが誰なのかは明記されていないが、まず間違いなく武弘ではありえない(死んでいるのだから当たり前である)。真砂が持ち去ったとしたら、それは武弘と多襄丸が決闘をしている最中のことであり、武弘がそれに気付いたとは到底思えない。また多襄丸が持ち去ったとしたら、それは決闘後に太刀や弓矢とともに、といったところだろうが、武弘はその時にはすでに断末魔(もしくはすでに死んでいるか)であり、これまた多襄丸が小刀を拾ったことに気付いたとは思えない。木こりや第三の人物だとしたら、これはもう武弘が完全に絶命してから持ち去ったとしか考えられないので、論外である。以上より、多襄丸の証言に従うと、武弘が小刀が持ち去られたことを知り得る可能性はかなり低いことが分かる。従って、多襄丸の証言も、決闘殺人やその前の真砂とのやり取りに関する限り、信用には値しないと言えそうだ。
武弘の証言では、当然武弘は小刀が持ち去られたことには気付いている。誰かが、見えない手で抜いていったのである。これは、可能性としては否定できない。
――武弘の証言より、「持ち去られた太刀と弓矢の問題」――
二つ目のキー・ポイントである。
武弘はその証言中で『盗人は妻が逃げ去ったのち、太刀や弓矢を取り上げると、一箇所だけ縄を切った。「今度は俺の身の上だ。」――おれは盗人が藪の外へ、姿を隠してしまうときに、』と言っている。
これも小刀の論理と同様で、武弘は現場に太刀や弓矢が残されていないことを知っていたからこそ、このような証言をしたのに間違いない。つまり、武弘生前のうちに、太刀や弓矢は何者かに持ち去られた。放免の証言より、多襄丸は逮捕された際に「革を巻いた弓・黒塗りの箙・鷹の羽の征矢十七本」を身に付けていたのであり、旅法師の証言から、それは生前武弘が身に付けていたものだと断定できる。従って当然、それらの盗みを働いた“何者か”は多襄丸であると言える。
「多襄丸は盗人なので、武弘は“自分の死後、こいつは俺の持ち物を盗っていくに違いない”と考えたかも知れないではないか」という反論もあるかも判らない。が、武弘が生きている間に多襄丸の強盗現場を目撃したのでなければ、武弘にとって多襄丸はただの強姦魔なのである。が、前述したとおり、武弘の多襄丸に対する呼称は「盗人」なのである。武弘は“多襄丸は単なる強姦魔ではなく盗人である”と知っていたのだ。武弘が生きている間に多襄丸が強盗行為を行わなかったなら、武弘には多襄丸が泥棒でもあるなどとは知る由もなかったはずなのである。ただの強姦魔で終りである。
さあ、そうなるとどうなるか。簡単に言うと、“多襄丸はまだ武弘が生きているうちに、彼の太刀や弓矢とを奪って藪の外へ出ている”ということになる。そうでなければ、先の証言も盗人という呼称も、辻褄が合わない。ただし、一度外へ出て太刀や弓矢をどこかに隠し、それからまた引き返してきた可能性までは否定できない。
多襄丸の証言では「わたしはあの男が倒れると同時に、(中略)今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり」とあるとおり、武弘が死ぬのが先であり、条件には満たない。偽証である。
真砂の証言では「あの盗賊に奪われたのでしょう、太刀はもちろん弓矢さえも、藪の中には見当たりません」とあるように、多襄丸が盗んでいった瞬間ははっきりとは書かれていないが、真砂を蹴倒してから真砂が太刀を探し始めるまでの間であることは間違いない。そしてその間、真砂と武弘は無言で目線だけのやりとりをしていたことになっているのだが、果たして武弘は多襄丸の強盗の様子を目撃していたのだろうか。二人は見つめ合っていたらしい印象を受けるので、若干怪しい嫌いはあるものの、武弘の視野を考えれば不自然ではない。
武弘の証言では、「盗人は妻が逃げ去ったのち、太刀や弓矢を取り上げると」とあるとおり、もちろん彼は多襄丸の盗み去る様子をしかと見届けている。
――太刀か小刀か? 「凶器の問題」――
そもそも凶器は一体なんなのか。非常に重要な問題である。多襄丸の太刀なのか、それとも真砂の小刀なのか。小刀は見つかっていないが、太刀は多襄丸が捕まった際に押収されているはずであり、いくら当時のレベルとはいえ、死体の傷口とその刃とを比べてみれば、凶器か否か程度の判断は付きそうなものである。が、作中ではそれについて全く触れられていない。これはどう解釈したものか。
ここで着目すべきは、降霊が行われているという事実である。これは即ち、生きているものの証言だけでは事件が解決できなかったことを示すに他ならない。もし多襄丸の太刀と死体の傷口が一致し、多襄丸の太刀が凶器だと断定されたなら、動かぬ証拠、その時点で事件は解決であり、わざわざ降霊などを行う必要はない。さらに言えば、真砂の証言も取り上げるに値しない。凶器が太刀でなかったからこそ、真砂の証言を取り上げることとなり、結果として事件が不可解なものとなったため、降霊を行うことになった――という流れだったのに違いない。
また、武弘が凶器として小刀を上げている点にも留意したい。武弘は例によって死後はあっちにいたわけなので、捜査の状況を知らない。凶器が断定されているかどうかも判らない。太刀なのに小刀だと証言した瞬間に証言全体の信憑性はゼロになる。とすれば、武弘は少なくとも小刀が持ち去られたことは知っており、もしかしたら太刀も持ち去られた(というより、多襄丸が盗み去った)ことを知っていたのかも知れない。両方ないのならどちらでも、と考えなかったとは言わないが、そのような確率に賭けること自体、武弘には無意味と言っていい。
上記二点から、凶器は小刀だったと断定しても構わないと思われる。
続いて、以上に挙げたような手掛かりからいくつかの推論を導き出す。
●木こりは犯行の瞬間、あるいはその前後を目撃したのではないか?
→“武弘が「手痛い働き」をしたのではないか”と証言したのは、実際にそのような光景を目撃したからではないか。普通、現場に争った跡があったとしても、必ずしも被害者が何か加害者的な行動をしたからだ、とは考えない。「手痛い働き」などという表現ではなく、“争った”、“抵抗した”といった言葉を使うのが自然である。
→「あの男は殺される前に手痛い働きでも致したのに違いありません」という言葉遣いは、その表現内容に確信を抱いているからにほかならず、武弘に対する非難をも込めているのではないか。
→「何しろ一刀とは申すものの」という証言も、隅々まで死体を検分したからというよりは、その瞬間を見ていたから、と考えた方がしっくりくる。
→櫛についての微妙な違和感も、女の存在を目撃していたからこそ、そしてそれに対して同情していたからこそ、隠そうとしたのではないか。
→普段からの仕事場なのだから、戻ってきたとしてもなんら不自然ではない。
●決闘などはなかったのではないか?
→上述の二つの論理(小刀の問題と太刀と弓矢の問題)から、決闘殺人及びその前後における多襄丸の証言は極めて疑わしいことが判明している。
→そもそも決闘殺人説に従うと、凶器は多襄丸の太刀ということになるが、それが有り得ないことはすでに証明した。
→烏帽子が脱げていないのは、激しいやり取りというものはなかったからではないか。
●木こりは、武弘が真砂に対して「手痛い働き」をするのを目撃したのではないか?
→上の推論から、木こりは真砂に対して同情的であり、武弘に対して非難的である。そのような光景を目撃したのなら心情的に一致する。
→上の推論と同様に、そうでなければ“手痛い働き”という言葉は出てこない。
●小刀はやはり真砂が持っているのではないか?
→鞘の問題。小刀を持ち去るにしても、どう考えても鞘がなくては非常に困る。鞘は真砂が持っていたとして間違いない。彼女が手込めにされた際に当然衣服は脱がされたはずなので、その際にどこかに放り出された可能性も高いが。
→躊躇い傷の問題。真砂は「小刀を喉に突き立てたり」した、と証言している。これは首に躊躇い傷が残っていることを検非違使が確かめた可能性が高い。そうでなければ、もっと突っ込まれるはずだからである。となると、真砂の自殺未遂に関しては真実である可能性が高く、そのためには真砂は刃物を持っていなければならない。多襄丸が武弘の太刀を盗んでいっている以上、現場に残されている可能性がある刃物は小刀だけなので、真砂は小刀を持っていたことになる。
●真砂は本当に自分が殺したと思っているのではないか?
→「(寂しき微笑)」「(突然激しきすすり泣き)」などは数少ない客観的描写である。もしこれが演技なら大した名女優である。
→躊躇い傷の件といい、殺害以降のくだりについては真実性を感じるのだが、果たしてどうか。
→「清水寺に来れる女の懺悔」は客観的事実としては、“証言”ではなく“懺悔”なのである。ここには真砂の本心が含まれていると考えられないだろうか。
●現場から一番初めに現場から退場したのは多襄丸ではないか?
→真砂、武弘の両名が、弓矢や太刀・箙の盗難について証言している。それを知っているのは、とりもなおさず、多襄丸が盗んでいく様子を目撃した(あるいはそれらの品物がなくなっているのを確認した)からに他ならない。
→後述するが、多襄丸は事件とは無関係な理由で偽証をしている可能性が高い。
→多襄丸の証言のみ、小刀についての言及がされていない。これは最初に退場したが故に知らなかったため、真砂が持ち去ったのか、死体にささったままなのか、はたまたそれ以外なのかの判断が付かなかったからではないか?
→「多襄丸の白状」“白状”とありながらも“白状”でない点は、捕まえられ、自白という形での証言なのだから、その自白が虚偽であったとしても、なんら問題はない。
●武弘の縄を解いたのは多襄丸ではないか?
→一番初めに退場したと思しき多襄丸が“縄が解かれていた”という事実を知っているのは、彼が退場するときには解かれていたからではないか?
→縄を解く状況については、真砂の証言は当てにならない。残る多襄丸と武弘の証言では、解いたのは多襄丸である。
●多襄丸は検非違使をからかうために偽証をしたのではないか?
→「(皮肉なる微笑)」「(快活なる微笑)」「(昂然たる態度)」など、多襄丸の検非違使に対する態度は、如何にも木で鼻を括ったものである。盗人であり強姦魔であるはずの小悪党多襄丸が、殺人を犯した上にこのような態度がとれるのは不自然ではないか?
→多襄丸は“太刀で殺した”と証言しているが、これは真実でないことが証明済みである。もしかしたら多襄丸はこのことを知っていたのではないか? 死体の傷口と多襄丸の太刀とを比べれば、凶器が太刀でないことは一目瞭然である。多襄丸はそれが判っていたからこそ、自分が無罪放免されることを確信した上で偽証をしたのではないか?
→自分が前科持ちだという理由だけで犯人扱いする放免や、そもそもの国家権力たる検非違使に対する反発心は相当であったと推察される。
そして推測される真相である。
――真相――
――多襄丸は真砂を手込めにすると、武弘の太刀と弓矢、箙を奪い、彼を縛り付けた縄を一箇所だけ切って藪の外へ逃げた。彼が行こうとする際、真砂は彼に付いていきたい旨をそれとなく告げたが、彼はそのような面倒は避けた。女に対して情はあったが、養うとなると話は別、というわけだ。基本的には女たらしであり、一人の女を永遠に愛し続けるなどというのは、土台、彼の眼中にはないのである(あるいは、易々と強姦魔である自分に心を開くような女は信用できない、と考えたのかも知れない)。だから彼は武弘を放免した。その時、彼は呟く。「今度はおれの身の上だ」と――。多襄丸は藪を去る――。
――自由になった武弘は、あろうことか強姦魔に心を開くような素振りを見せた妻に激しい憤りをぶつける。罵るうちに頭に血が昇ってきた彼は、逆上して真砂に襲いかかってしまう。突き飛ばされて頭を打ったか、あるいは首を絞められでもしたのか、それは定かではないが、ともかくその時点で真砂は気を失う――。
――そこに現れたのが、木こりである。彼は自分の仕事場から戻る途中だった。彼は何やらただごとではない雰囲気を察すると、藪の中に身を潜め、じっと先の事態を窺っていた。男が女を罵るのを息をひそめて見ていると、男は次第に我を忘れたのか、なんと、気を失ったとおぼしい女に馬乗りになるではないか。目はぎらぎら光って、まるで狂人だ。彼は「これはまずい」と思うが早いか、草むらから飛び出して男に躍り掛かり、渾身の力で突き飛ばしたのだった。
男はやや俯せ気味に横を向いて倒れたまま、一向に起き上がらない。どうやら気を失ったものらしい。木こりは女の方を見る。こちらも気を失ってはいるものの、息はあるようだ。そこで木こりはもう一度男の方を向いた。そして見た。男の胸元に短刀の柄らしきものを。彼は近付いた。改めて彼は見た。確かに、小刀が胸に突き立っている。どうやら、突き飛ばされた拍子に、落ちていたものが運悪く刺さったらしい。
木こりは動転した。過失とはいえ、人を死なせてしまった。大変なことだ。――彼は恐ろしくなり、一目散に藪を走り出た。助けた真砂の存在も目に入らなかった――。
――木こりが藪から出ていったその直後、一連の騒ぎのせいもあったのか、真砂は目を覚ました。そして驚いた。先程まで自分罵っていた夫が、隣で死んでいる(ように見える)ではないか。彼女は気を失っていたものだから、木こりの存在など知る由もない。なんの疑いもなく、夢中に抗ううちに自分が殺してしまったものと思い込んでしまう。
彼女は泣いた。短い間ではあったが夫であった男の死に、そしてそれを殺してしまった自分の境遇に。やがて彼女はよろよろと夫の元にひざまずくと、一息に胸の小刀を引き抜いた。それまで栓の役割を果していた小刀が抜かれたため、胸と口から血が勢いよく溢れ出した。この時まで、いまだ辛うじて息のあった武弘は、ここで完全に絶命した。真砂は自分も死のうとその小刀を喉に突き立てたり、山の池に身を投げたりしてみたが、結局死ねなかった。疲れ切った心と身体のまま、彼女は清水寺に保護された――。
――それからしばらく後のことである。多襄丸は粟田口の橋の上でうずくまっていた。彼が唸っているその横では、月毛で法師髪の馬が一頭、至って呑気そうにすすきをはんでいる。彼は武弘の太刀だけはすでに売り払ってしまっていた。邪魔な上に、この身なり(武士にしてはみすぼらしい)で、太刀を二本も持っているのは不自然だし、思ったほどにはよい得物ではなかったからであった。彼が放免に捕らえられるのは、この直後である――。
――明朝。木こりはいつものように裏山の藪の中へと出かけた。彼は昨日家に戻ると、冷静になって状況を考え直した。そして出した結論は“このまま普通にしていれば、あの女があの男を殺したものと判断されるのではないか”というものだった。だから彼は、自分は何も知らないことにして、何食わぬ顔で仕事に出たのであった。
彼は藪の中の状況について二つの想定をしていた。一つは検非違使らが調査をしている光景、もう一つは未だ死体がぽつんと残されている可能性である。
――数刻の後、彼は現実は後者であることを知ることになる――。
この程度の立ち回りならさび烏帽子は脱げなくてもおかしくはない。また、地面も十分乱れ得るだろう。ただ、藪の中は相当に起伏があったものと思われるとはいえ、小刀が刃を上向きにして転がっており、その上そこに武弘が倒れ込むというのは、都合がよすぎる気がしなくもない。
武弘が聞いた泣き声とは、真砂のものであった。
真砂は小刀は清水寺に保護されるまでの間にどこかに紛失したらしい。池に身投げしたのだとするなら、その際に失ったと考えるのが妥当だろうか。
断末魔の武弘に“忍び寄る影”が忍び足だったのは、真砂の足取りがおぼつかなかったためである。
武弘の言う「誰かの泣く声」は真砂のものだったのだろう。このときすでに武弘が断末魔だったとすると納得がいく。
「殺してくれ」とこそ言わなかったものの、真砂が多襄丸になびいたことに関しては、武弘は真実に近い証言をしている。
「今度はおれの身の上だ」とは盗みと強姦に関する発言である。
真砂の証言中の武弘殺害の後のくだりは、おおむね真実に近い。気を失ったこと、自殺未遂を犯したこと、死体の傍らで涙したこと、などである。
――以上が真相だたとして、その各人の心情面を中心に細かな考察(=補足)――
武弘
自分が欲に目が眩んで盗人に騙され、難なく木に縛り付けられてしまった上、目の前で妻を手込めにされ、盗人に情けをかけられ(縄を解かれたことを武弘がそう解釈)、挙げ句の果てには、逆上して妻に襲いかかった、という武士として不名誉この上ない事実を隠したかった(こうして書き連ねると、全く、ろくでもない人間である)。
とにもかくにも真砂が恨めしいので、彼女のことは徹底的に悪女として証言した。
多襄丸に関しては、彼が真砂を捨てていった理由を“尻軽女の処遇を自分に任せた”のだと誤解したため(実際には、彼はあくまで利己的な視点から真砂を拒絶したのであり、武弘に情けをかけたわけではない)、また、真砂の悪女ぶりを際立たせるために、潔い男として証言した。
多襄丸を「盗人」と呼ぶのも多襄丸を悪者扱いしないためだと言える。
横からいきなり突き飛ばされたため、犯人が誰なのかは判らなかった。それどころか、真砂の反撃とさえ思っていたかも知れない(誰かに突き飛ばされたのを知っていたとしたら、当然それはまだあの場にいた可能性があると武弘が判断する唯一の第三者――多襄丸だと考えたはずである。にもかかわらず多襄丸を好漢として証言しているあたり、真砂の反撃と考えた方が頷ける気はする)。
多襄丸
真砂に情かは抱いていたものの、強姦魔に心を開くような女と一緒になることは躊躇われ、また、一人の女をずっと養い続けるというのも性に合わなかったため、真砂を連れていくことはしなかった。
武弘に関しては、女の夫で、欲に眼がくらみ騙された上に、とばっちりから殺されることになってしまった馬鹿で哀れな男、くらいにしか思っていない(二十三合斬り合った凄い男、というのはあくまで自分を誇張するために他ならない)。
多襄丸の検非違使に対する挑発的、挑戦的な態度は“自分が犯人でないことはすぐに明らかになる”という確信から来ていた。即ち、“太刀で殺した”という証言は、死体をあらためればその傷口から凶器が太刀では有り得ないことがすぐに判明し、従って自分の証言が真実ではないことは明白になる――多襄丸にはそれが判っていたのである。なぜなら彼は、現場から武弘の太刀を盗み去っているわけであり、現場に太刀がないことを知っていたからだ。それで木こりの証言を聞き、すぐに凶器は小刀だと踏んだのである。自分が前科持ちだというだけで犯人扱いする放免や検非違使に対する皮肉な反撃――それが多襄丸にこのような偽証をさせた理由である。
真砂
どうせ殺してしまったのなら(真砂は自分が夫を殺してしまったものと思い込んでいる)、と、より感動的な心中未遂にアレンジした(こう言うと差別的かも知れないが、愛する者との心中というのは女性的な発想のような気がする。今日でもその傾向は強いが、当時はさらに強いだろう)。
強姦魔に心を開いたこと、そしてそれが原因で夫に襲われたことなど、当然のごとく証言したくはない。
武弘が身動きできない状態であったことにしたかったため、証言には無視できない矛盾が数多く表れた(実際には、彼女には木こりの存在も、降霊で武弘が証言することも想像だにしていなかったため、自分の証言が無条件に信じられるだろう、と考えていたのかもしれない)。
一時とはいえ自分が好意を持った多襄丸が自首をしたと聞き、自分を庇っているものと思いこんだため、彼に関しては不利な証言をしなかった(好意を持っていたことを隠すために、有利な証言も控えたが)。のみならず、彼が自白をしたために証言に踏み切ったとも言える。その意味では証言の矛盾ぶりには捜査の攪乱という意味もあったのかも知れない。
武弘との視線のやりとりは実際に罵られたことのデフォルメに過ぎない。口に出して実際に罵られたのと、視線をそう解釈したのとでは、話は全く違う。前者では事実として武弘が真砂を憎んでいたことになるが、後者なら「実際にそんな風に思っていたかは判らない、お前の妄想に過ぎなかったのではないか」という周囲の解釈を得られる可能性があるのだ。口に笹の葉が詰まったままだったことにしたのはそうした理由からだと思われる。単に現実をねじ曲げることで自分を正当化しようとしただけで、真砂がそこまで計算していたかどうかは定かではないが。
木こり
多襄丸の存在は知らないため(真相はそのように設定した)、目前の二人が夫婦だとは思っていない。つまり、武弘を“女を襲う男=強姦魔”、真砂を“襲われる女=被害者”として錯誤していた可能性が高い。
そのため真砂には同情的であり、武弘には批判的である。従って、“手痛い働き”というのは、『武弘の真砂に対する』仕打ちを無意識に指してしまった言葉なのである。
そもそもが木こりの行動は正義であり、また、武弘が死んだのも偶然によるところが大きいため、ある程度時間が経った証言の席で、これくらいの冷静さを取り戻していても不思議ではない。
基本的にはある意味、自分が犯人であるため、下手に偽証はできない。その為、第一発見の際の証言はある程度、真実性が高いのである。女に同情的であるにもかかわらず、櫛について証言したのもそのためである。
「太刀か何かは見えなかったか」という質問に対する答えの不自然さも、彼がこのような形でかかわっていたのなら納得がいく。彼にとって小刀は“なくなった”のであって、事件の核心にいるにもかかわらず、“知らないこと”があるというのは不安だったのである。それで無意識のうちに話題を逸らしたのではないだろうか。
以上がわたしの結論である。減ってしまった征矢の行方以外については、おおむね説明づけられたのではないだろうか。
以上です。時間がないためろくに推敲もしていませんので、論理展開など読み辛い部分も多いかとは思います。矛盾や疑問から誤字・脱字、句法の誤りまで、何かあったらご指摘お願いします。
R.H. 2008.8/27