やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ

忘れえぬ人々   國木田獨歩 (単行本「武藏野」版)

[やぶちゃん注:底本には明治三十四(一九〇一)年三月十一日民友社発行「武藏野」の、日本近代文学館による昭和五十三(一九七八)年復刻版を用い(私遺愛の同書表紙画像はこちら)、疑義のある部分(主に本文の表記出来ない漢字や読解不能な誤字・脱字とルビの衍字等)は学習研究社版「國木田獨歩全集」第二卷で補正したが、補正箇所は原則、注記していない。但し、全集がママで残した「圓錘形」などは訂していない。ルビは洩れなく復元したつもりである。なお、遠い昔に私が電子化したものとは底本が異なる。変体仮名及び約物・踊り字「〱」「〲」は総て正字化した。ルビに多く見られる「あほぐ」「たぐゐ」などの歴史的仮名遣の誤りはそのままとし、ママ注記は附していない。藪野直史【二〇一三年八月六日】]

   
忘 れ え ぬ 人 々

多摩川たまがは二子ふたごの渡をわたつて少しばかり行くと溝口みぞのくちといふ宿塲がある。其中程そのなかほどに龜屋といふ旅人宿はたごやがある。恰度ちやうど三月の初めの頃であつた、此日は大空おほぞらかき曇り北風強く吹いて、さなきだにさびしい此町が一段と物淋ものさびしい陰鬱いんうつな寒むさうな光景くさうけいを呈して居た。昨日降きのふふつた雪が未だのこつて居て、高低定かうていさだまらまらぬ茅屋根わらやねの南の軒先のきさきからは雨滴あまだれが風に吹かれて舞うてちて居る。草鞋わらじ足痕あしあとたまつた泥水にすらむさうなさゞなみが立つて居る。日がれると間もなく大概たいがいの店は戸をめてしまつた。くら一筋町ひとすぢまち寂然ひつそりとしてしまつた。旅人宿はたごやだけに龜屋の店の障子しやうじには燈火あかりあかしてたが、今宵こよひは客もあまりないとえて内もひつそりとして、をりをり雁頸がんくびふとさうな煙管きせるで火鉢のふちたゝく音がするばかりである。
突然だしぬけに障子をあけて一人ひとりの男がのつそりはいツて來た。長火鉢ながひばちよつかゝツて胸算用むなさんように餘念も無かつた主人あるじおどろひ此方こちらを向く暇もなく、廣い土間どま三歩みあしばかりに大股おほまたに歩いて、主人あるじの鼻先につゝたツた男は年頃としごろ三十にはだ二ツ三ツ足らざるべく、洋服やうふく脚絆きやはん草鞋わらじ旅裝なり鳥打帽とりうちばうをかぶり、右の手に蝙蝠傘かうもりたづさへ、左に小さな革包かばんもつそれわきだいて居た。
一晩厄介ひとばんやつかいになりたい。』
主人あるじはお客の風采みなりを視て居てなんとも言はない、其時奧そのときおくで手の鳴るおとがした。
六番ろくばんでお手が鳴るよ。』
へる樣な聲で主人あるじさけむだ。
何方どちらさまで御座います。』
主人あるじは火鉢によつかゝつたまゝで問ふた。きやくは肩をそびやかして一寸ちよつと顏をしがめたが、たちまち口のほとり微笑ほゝゑみをもらして、
ぼくか、ぼくは東京。』
『それで何方どちらへお越しで御座いますナ。』
『八王子へくのだ。』
と答へて客は其處そここし脚絆きやはんひもを解きにかゝつた。
旦那だんな、東京から八王子ならみちへんで御座いますねエ。』
主人あるじは不審さうに客の樣子やうす今更いまさらのやうにながめて、何かひたげなくちつきをした。客はが付いた。
『いやぼくは東京だが、今日けふ東京からたのじやアない、今日けふは晩くなつて川崎を出發たつて來たからこんなにれてしまつたのさ、一寸ちよつと湯をお呉れ。』
はやくお湯を持てないか。ヘエ隨分今日ずゐぶんけふはお寒かつたでしよう、八王子のはうはまだまださむう御座います。』
といふ主人あるじのことばはあいそヽヽヽつても一たいの風つきは極めて無愛嬌ぶあいきやうである。年は六十ばかり、肥滿ふとつた體軀からだの上に綿の多い半纏はんてんを着て居るのでかたから直にふとあたまが出て、幅の廣い福々ふくぶくしい顏の目眦まなじりがつて居る。それで何處どこかに氣懊きむづかしいところがえて居る。しかし正直なおやぢさんだなときやくぐに思つた。
客が足をあらツてしまツて、だ拭きゝ了ぬうち、主人あるじは、
『七番へ御案内申ごあんないまをしな!』
怒鳴どなツた。それぎりで客へは何の挨拶あいさつもしない、其後姿そのうしろすがた見送みおくりもしなかつた。眞黑まつくろな猫が廚房くりやはうからて、そツと主人あるじの高い膝の上にひ上がつてまるくなつた。主人あるじはこれをしつるのかないのか、ぢつとをふさいで居る。暫時しばらくすると、右の手が煙草箱たばこいれの方へうごいて其太そのふとい指が煙草たばこを丸めだした。
六番ろくばんさんのお浴場がすんだら七番しちばんのお客さんを御案内ごあんない申しな!』
ひざの猫が喫驚びつくりして飛下りた。
馬鹿ばか! 貴樣きさまに言つたのぢやないわ。』
猫は驚惶あわてゝ廚房くりやの方へけて往つてしまつた。柱時計はしらどけいがゆるやかに八時をつた。
『おばあさん、吉藏がむさうにして居るじやないか、はや被中爐あんかを入れてやつておかしな、可愛かわいさうに。』
主人あるじの聲の方がそうである。廚房くりやはうで、
『吉藏は此處こゝで本を復習さらつますじやないかね。』
お婆さんのこゑらしかつた。
『さうかな。吉藏うおよ、朝早あさはやく起きてお復習さらいな。お婆さん早く被中爐あんかを入れておやんな。』
いますぐれてやりますよ。』
勝手かつての方で下婢かひとお婆さんとかほ見合みあはしてくすくすとわらつた。店の方でおほきな欠伸あくびこゑがした。
自分じぶんが眠いのだよ。』
五十を五つ六つえたらしいちいさな老母ろうぼくすぶつた被中爐あんかに火を入れながらつぶいた。
店の障子しやうじが風に吹かれてがたがたするとおもふとパラパラと雨を吹きつけるおとかすかにした。
『もうみせの戸をせてきな。』と主人あるじ怒鳴どなつて、舌打をして、
『又たふつやあがつた。』
獨言ひとりごとのやうにつぶやいた。成程風なるほどかぜ大分強だいぶつよくなつて雨さへ降りだしたやうである。
春先はるさきとはいへ、寒い寒いみぞれまじりの風が廣い武藏野むさしのれにれて終夜よもすがら眞闇まつくら溝口みぞのくちの町の上を哮へくるつた。
七番の座敷ざしきでは十二時過ぎても洋燈らんぷ耿々かうかうかゞやいて居る。龜屋で起きて居る者といへば此座敷このざしき眞中まんなかで、差向かいではなして居る二人ふたりの客ばかりである。戸外そとは風雨の聲いかにもすさまじく、雨戸あまどが絶えずつて居た。
『此の模樣もやうでは明日あしたのお立は無理むりですぜ。』
一人ひとりが相手のかほを見て言つた。これは六番の客である。
『何に、別に用事ようじはないのだから明日一日位此處あしたいちにちくらゐこゝで暮らしてもいゝんです。』
二人ふたりとも顏をあかくしてはなさきを光らして居る。そばの膳の上には煖陶かんびんが三本つて居て、さかづきにはさけのこつて居る。二人ふたりとも心地こゝちよささうにからだをくつろげて、胡坐あぐらをかいて、火鉢ひばちを中にして煙草たばこを吹かして居る、六番の客は袍卷かいまきの袖から白いうでひぢまで出して卷煙草まきたばこの灰をおとしては、喫煙すつて居る。二人ふたりはなしぶりは極めて卒直そつちよくであるものゝ今宵初こよひはじめて此宿舍このやどで出合つて、何かの口緒いとぐちから、二口三口襖越ふすまごしのはなしがあつて、餘りのさびしさに六番のきやくから押しかけて來て、名刺の交換かうくわんむや、酒をめいじ、談話はなしに實が入て來るや、何時いつしか丁寧な言葉とぞんざいヽヽヽヽな言葉とを半混はんまぜ使つかうやうに成つたものに違いない。
七番の客の名刺めいしには大津辨二郎とある、べつに何の肩書かたがきもない。六番の客の名刺めいしには秋山松之助とあつて、これも肩書かたがきがない。
大津とは即ち日がれて着た洋服やうふくの男である。痩形やせがたなすらりとして色の白いところ相手あいての秋山とは丸でちがつて居る。秋山は二十五か六という年輩ねんぱいで、丸く肥滿こゑて赤ら顏で、眼元めもと愛嬌あいきやうがあつて、いつもにこにこしてるらしい。大津は無名むめい文學者ぶんがくしやで、秋山は無名の畫家で不思議ふしぎにも同種類の靑年せいねん此田舍このいなか旅宿はたごや落合おちあつたのであつた。
『もうようかねエ。隨分惡口ずゐぶんあくこうも言ひつくしたやうだ。』
 美術論びじゆつろんから文學論ぶんがくろんから宗教論しうけうろんまで二人ふたりは可なり勝手に饒舌しやべつて、現今いま文學者ぶんがくしや畫家ぐわかの大家を手ひどく批評ひゝやうして十一時が打つたのに氣が付かなかつたのである。
『まだいさ。どうせ明日あした駄目だめでしようから夜通よどほし話したつてかまはないさ。』
 畫家ぐわかの秋山はにこにこしながら言つた。
『しかし何時いくじでしよう。』
と大津はしてあつた時計とけいを見て、
『おやもう十一時過ぎだ。』
『どうせ徹夜てつやでさあ。』
秋山は一向平氣いつかうへいきである。盃を見つめて、
『しかし君がむけれやあてもいゝ。』
ねむくはちつともない、君がつかれて居るだらうとおもつてさ。僕は今日晩けふおそく川崎をたツて三里半りはんばかしのみちるいた丈けだから何ともないけれど。』
に僕だつてなんともないさ、君がるならこれをりてつて讀でようとおもふだけです。』
秋山は半紙はんし十枚ばかりの原稿げんかうらしいものを取上とりあげた。其表紙そのへうしには「忘れ人々ひとびと」とかいてある。
『それは眞實ほんと駄目だめですよ。つまりきみはうで言うと鉛筆えんぴつで書いたスケツチとおんなじことで、他人ひとにはわからないのだから。』
といつても大津は秋山の手から其原稿そのげんかうとらうとはなかつた。秋山は一まい枚開まいあけて見て所々讀ところどころよむで見て、
『スケツチにはスケツチけの面白味おもしろみがあるからこし拜見はいけんしたいねエ。』
『まア一寸して玉へ。』
と大津は秋山のから原稿げんかうとつて、處々ところどころあけてたが、二人ふたり暫無言しばらくむごんであつた。戸外そと風雨ふうゝこゑ此時今更このときいまさらのやうに二人ふたりの耳に入つた。大津は自分じぶんの書た原稿げんかうを見つめたまゝぢつとみみかたむけて夢心地ゆめごゝちになつた。
『こんなばんは君の領分りやうぶんだねエ。』
秋山のこゑは大津のみゝらないらしい。返事へんじもしないで居る。風雨ふうゝきいて居るのか、原稿げんかうを見て居るのか、とほ百里ひやくり彼方かなたひとおもつて居るのか、秋山はこゝろのうちで、大津のいまかほいま眼元めもとはわが領分りやうぶんだなと思つた。
『君がこれをむよりか、僕が此題このだいはなしたはうさゝうだ。どうです、君はきますか。此原稿このげんかうはほんの大要あらましめておいたのだからむだつてわからないからねエ。』
ゆめからめたやうなつきをして大津はを秋山のはうてんじた。
詳細くはしはなしてかされるなら尚のことさ。』
と秋山が大津のると、大津のすこなみだにうるんでて、異樣ゐやうひかりはなつて居た。
『僕はなるべくくはしくはなすよ、面白おもしくないとおもつたら、遠慮ゑんりよなく注意ちういしてたまへ。そのかはり僕も遠慮ゑんりよなくはなすよ。なんだか僕のほうできいいてもらいたいやう心持こゝろもちつてたからめうじやあないか。』
秋山は火鉢ひばちすみをついで、鐵瓶てつびんなかめた煖陶かんびん突込つゝこんだ。
わすれ得ぬ人はかならずしもわすれてかなふまじき人にあらず、見玉みたまへ僕の此原稿このげんかう劈頭第一へきとうだいいちに書いてあるのは此句このくである。』
大津は、一寸と秋山のまへにその原稿げんかうしいだした。
『ね。それで僕は此句このく説明せつめいをしやうとおもふ。さうすればおのづから此文このぶん題意だいゝわかるだらうから。しかし君には大概たいがいわかつて居るとおもふけれど。』
『そんなことをはないで。ずんずんたまへよ。僕は世間せけん讀者どくしやつもりできいるから。失敬しつけいよこになつて聽くよ。』
秋山は煙草たばこくはえてよこになつた。みぎで頭をさゝへて大津のかほを見ながら眼元めもと微笑びせうたゝえて居る。
おやとかとか又は朋友知己ほういうちき其ほか自分じぶん世話せわになつた教師先輩けうしせんぱいごときは、つまり、たんわすれ得ぬひととのみはいへない。わすれてかなふまじき人といはなければならない。そこで此處こゝ恩愛おんあいちぎりもなければ義理もない、ほんのあか他人たにんであつて、本來ほんらいをいふとわすれてしまつたところで人情にんじやうをも義理ぎりをもかないで、しかつひに忘れてしまふことの出來ない人がある。世間一般せけんいつぱんものにさういふひとがあるとは言はないがすくなくとも僕にはる。おそらくは君にも有るだらう。』
秋山は默然だまつ首肯うなづいた。
『僕が十九のとしはる半頃なかごろ記憶きおくして居るが、すこ體軀からだ具合ぐあいわるいので暫時しばらく保養ほやうするで東京の學校がくかう退いて國へ歸へる、其歸途そのかへりみちのことであつた。大阪かられい瀨戸内通せとうちがよひの滊船きせんつて春海波平しゆんかいなみたひらかな内海うちうみかうするのであるが、ほとんど一昔ひとむかしまへのことであるから、僕の其時そのとき乘合のりあひの客がどんなひとであつたやら、船長せんちやうがどんな男であつたやら、茶菓ちやぐわはこ船奴ボオイかほがどんなであつたやら、そんなことはすこしもおぼへて居ない。多分たぶん僕に茶をいでれた客もあつたらうし、甲板かんぱんの上で色々いろいろはなしかけた人もあつたろうが、なんにも記憶きおくまつて居ない。
『たゞ其時そのとき健康けんかうおもはしくないからあまき浮きしないで物思にしづむで居たにちがいない。えず甲板かんぱんの上に出で將來ゆくすゑゆめゑがいては此世にける人の身のうへのことなどをおもひつゞけてゐたことだけは記憶してゐる。勿論若もちろんわかいものゝのくせで其れも不思議ふしぎはないが。其處そこで僕は、春の日ののどかなひかりあぶらのような海面かいめんほとんどさゞなみも立たぬ中を船の船首へさき心地こゝちよい音をさせてみづきつ進行しんかうするにつれて、かすみたなびく島々しまじまむかへては送り、右舷左舷うげんさげん景色けしきを眺めて居た。菜の花と麥の靑葉あをばとでにしきしいたやうな島々しまじまが丸でかすみおくに浮いてゐるやうにえる。そのうちふねが或るちいさなしま右舷うげんに見て其磯そのいそから十町とははなれない處をとほるので僕はらん何心なにげなく其島をながめてゐた。山の根がたの彼處此處かしここゝの低い松が小杜こもりつくつてゐるばかりで、たところはたもなくいへらしいものもえない。しんとしてびしい磯の退潮ひきしほの痕が日にひかつて、ちいさな波が水際みぎはもてあそんでゐるらしくながすぢ白刄しらはのやうにひかつてはえて居る。無人島むにんたうでない事はその山よりもたかい空で雲雀ひばりないてゐるのがかすかにきこえるのでわかる。田畑たばたある島と知れけりあげ雲雀ひばり、これは僕の老父おやぢであるが、やま彼方むかふには人家があるに相違さうゐないと僕はおもふた。とるうち退潮ひきしほの痕の日にひかつてゐる處に一人ひとりひとがゐるのがについた。たしかに男である、又た子供こどもでもない。なにしきりに拾つてはかごをけかに入れてゐるらしい。二三歩ふたあしみあしあるいてはしやがみヽヽヽヽ、そしてなにろつてゐる。自分は此淋このさびしいしまかげの小さな磯をあさつてゐる此人このひとを、ぢつと眺めてゐた。ふねすゝむにつれて人影ひとかげが黑いてんのやうになつてしまつた、そのうち磯も山も島全體しまぜんたいかすみ彼方かなたに消えてしまつた。その後今日ごけふが日までほとんど十年のあひだ、僕は何度此島なんどこのしまかげのかほも知らない此人このひとおもおここしたらう。これが僕の『わすれ得ぬ人々ひとびと』の一人ひとりである。
『その次はいまから五ねんばかり以前いぜん、正月元旦を父母ふぼ膝下ひざもといはつて直ぐ九州旅行りよかうかけて、熊本から大分へと九州を横斷わうだんした時のことであつた。
『僕は朝早あさはやく弟と共に草鞋脚絆わらじきやはん元氣げんきよく熊本を出發つた。其日は未だ日がたかい中に立野たてのといふ宿場しゆくばまであるいて其處そこに一泊した。次ぎの日ののぼらないうち立野を立つて、兼てのねがひで、阿蘇山あそさん白煙はくえんを目がけてしもを踏み棧橋さんばしわたり、路を間違まちがへたりしてやうや日中時分おひるじぶん絶頂近ぜつてうちかくまでのぼり、噴火口ふんくわこうたつしたのは一時ぎでもあツただらうか。熊本地方ちはう温暖おんだんであるがうへに、風のないれた日だから、ふゆながら六千尺の高山もまではさむかんじない。高嶽たかたけいたゞき噴火口ふんくわこうから吐き出す水蒸氣すゐじやうきこつて白くなつて居たが其外そのほかは滿山ほとんどゆきを見ないで、ただ枯草白かれくさしろく風にそよぎ、燒土やけつちの或は赤き或は黑きが舊噴火口きうふんくわこうの名殘を、彼處此處かしここゝに止めて斷崕だんがいをなし、その荒涼かうりやうたる光景くわうけいは、ふでも口もかなはない、之れをゑがくのはづ君の領分りやうぶんだと思ふ。
『僕らは一度噴火口いちどふんくわこうふちまで登て、暫時しばらくは凄まじい穴を覗き込んだり四方の大觀たいくわんほしいまゝにしたりしてゐたが、さすがにいたゞきは風が寒くつてたまらないので、あなからすこし下りると阿蘇神社あそじんじやがある其傍そのそばに小さな小屋こやがあつて番茶位ばんちやくらゐは呑ませて呉れる、其處そこへ逃げ込んで團飯むすびかぢつて、元氣げんきをつけて、又た噴火口ふんくわこうまで登つた。
其時そのときは日がもう餘程傾よほどかたむいて肥後の平野へいや立籠たてこめるてゐる霧靄もやが焦げて赤くなつて恰度其處ちやうどそこに見える舊噴火口きうふんくわこう斷崕だんがいと同じやうな色にそまつた。圓錘形えんすゐけいそびえて高く群峰ぐんほうを拔く九重嶺の裾野すその高原數里かうげんすうりの枯草が一面に夕陽せきやうを帶び、空氣くうきが水のやうにむでゐるので人馬じんばの行くのも見えさうである。天地寥廓てんちれうくわくしかも足もとではすさまじいひゞきをして白煙濛々はくえんもうもう立騰たちのぼり眞直ぐにそらきふれて高嶽たかたけを掠め天の一方に消えてしまう。さうといはんかといはんか慘といはん、僕等は默然だまつたまゝ一ごんも出さないで暫時しばらく石像のやうにたつて居た。此時天地悠々いういうかん人間存在にんげんそんざい不思議ふしぎの念などがこゝろの底からわいるのは自然しぜんのことだらうと思ふ。
『ところでもつと僕等ぼくらかんいたものは九重嶺と阿蘇山とのあひだ一大窪地いちだいくぼちであつた。これはねて世界最大せかいさいだい噴火口ふんくわこう舊跡きうせきと聞て居たが成程、九重嶺の高原かうげんが急におちち込んで居て數里にわた絶壁ぜつぺきが此窪地の西をめぐつてゐるのが眼下がんかによく見える。男體山麓なんたいさんろくの噴火口は明媚幽邃めいびいうすゐの中禪寺湖とかはつてゐるが此大噴火口このだいふんくわこうはいつしか五穀實ごこくみのる數千町歩の田園でんゑんとかわつて村落幾個の樹林じゆりんや麥畑が今しも斜陽靜しややうしづかに輝いてゐる。僕等ぼくらが其夜、つかれた足をみのばして罪のない夢を結ぶをたのしむでいる宮地みやぢといふ宿驛しゆくゑきも此窪地にあるのである。
『いつそのこと山上さんじやう小屋こやに一泊して噴火ふんくわの夜の光景くわうけいを見ようかといふせつも二人のあひだに出たが、先きがいそがれるので愈々山を下ることにめて宮地をしてりた。くだりはのぼりよりかずつと勾配こうばいるやかで、やまや谷間の枯草かれくさの間をへびのやうに蜿蜒うねつてゐる路を辿たどつていそぐと、村にちかづくに連れて枯草かれくさを着けたうまを幾個かおひこした。あたりをると彼處此處かしここゝ山尾やまのを小路こみちをのどかなすゞ音夕陽ねせきやうを帶びて人馬幾個じんばいくつとなくふもとをさして歸りゆくのが數えられる、うまはどれも皆な枯草かれくさを着けてゐる。麓はきそこにえてゐても容易には村へないので、れかゝるし僕等ぼくらは大急ぎに急いでしまいには走つて下りた。
むらに出た時は最早もう日が暮れて夕闇ゆふやみほのぐらいころであつた。村の夕暮のにぎはいヽヽヽヽ格別かくべつで、壯年男女さうねんなんによは一日の仕事しごとしまいヽヽヽいそがしく子供は薄暗うすぐら垣根かきねの蔭やかまどの火の見える軒先のきさきに集まつてわらつたり歌つたり泣いたりしてゐる。これは何處の田舍ゐなかも同じことであるが、僕は荒涼かうりやうたる阿蘇あそ草原さうげんから駈け下りて突然とつぜん、この人寰じんくわんに投じた時ほど、これらの光景くわうけいたれたことはない。二人はつかれた足を曳きずつて、日暮ひくれて路遠みちとほきを感じながらも、なつかしいやうな心持ちで宮地を今宵こよひあてるいた。
一村離ひとむらはなれて林やはたの間を暫らくくとはとつぷり暮れて二人のかげ明白はつきりと地上にいんするやうになつた。振向ふりむいて西のそらあほぐと阿蘇の分派ぶんぱの一ぽうの右に新月しんげつ此窪地このくぼち一帶の村落を我物顏わがものがほに澄むで蒼味あをみがゝつたみづのやうなひかりはなつてゐる。二人ふたりは氣がついてあたまの上をあほぐと、晝間ひるま眞白まつしろたちちのぼる噴煙ふんゑんが月の光を受て灰色はいゝろに染まつて碧瑠璃の大空おほぞらついて居るさまが、いかにもすさまじく又たうつくしかつた。長さよりもはゞはうながはしにさしかゝつたから、さひはひ其欄そのらんつかゝつてつかれきつた足をやすめながら二人ふたり噴煙ふんゑんのさまの樣々さまざまに變化するをながめたり、聞くともなしに村落そんらくの人語のとほくに聞こゆるを聞いたりしてゐた。すると二人ふたり今來いまきみちの方から空車からぐるまらしい荷車にぐるまの音がはやしなどに反響はんきやうして虛空こくうに響きわたつて次第にちかづいて來るのがに取るやうにこえだした。
しばらくするとほがらかむだ聲でながしてるく馬子唄まごうた空車からぐるまの音につれて漸々ぜんぜんと近づいて來た。僕は噴煙ふんゑんを眺めたまゝでみゝかたむけて、此聲のちかづくのをつともなしにつてゐた。
人影ひとかげが見えたとおもふと「宮地みやぢやよいところじや阿蘇山あそさんふもと」といふ俗謠うたながく引いて丁度ちやうど僕等がたつてゐる橋の少し手前てまへまで流して來た其俗謠そのうたこゝろ悲壯ひさうな聲とが甚麼どんなに僕のこゝろうごかしたらう。二十四五かと思はれる屈強くつきやう壯漢わかもの手綱たづないて、僕等の方を見向みむきもしないでとほつてゆくのをぼくはぢつと睇視みつめてゐた。夕月ゆふづきの光をにしてゐたから其横顏そのよこがほ明毫はつきりとは知れなかつたが其逞そのたくましげな體軀からだくろ輪廓りんくわくが今も僕のそこに殘つてゐる。
『僕は壯漢わかもの後影うしろかげをぢつと見送みおくつて、そして阿蘇あそ噴煙ふんゑんあげた。『わすれ得ぬ人々ひとびと』の一人ひとりは則ち此壯漢このわかものである。
其次そのつぎ四國しこくの三津ケ濱に一泊ぱくして滊船便きせんびんを待つたときのことであつた。なつの初めと記憶きおくしてゐるが僕は朝早あさはや旅宿やどを出て滊船きせんの來るのは午後ごゞきいたので此港このみなとの濱や町を散歩さんぽした。おくに松山をひかえてゐるけ此港の繁盛はんじやう格別かくべつで、けても朝は魚市うをいちが立つので魚市塲うをいちばの近傍の雜沓ざつたふは非常なものであつた。大空おほぞら名殘なごりなくれて朝日麗あさひうららかにかゞやき、ひかるものには反射はんしやを與へ、いろあるものにはひかりへて雜沓の光景くわいけいを更らに殷々にぎにぎしくしてゐた。さけぶものぶもの、笑聲嬉々せうせいきゝとして此處こゝおこれば、歡呼怒罵亂くわんこどばみだれて彼方かしこくという有樣ありさまで、るものふもの、老若男女らうにやくなんによ、何れもいそがしさうに面白おもしろさうにうれしさうに、けたりつたりしてゐる。露店ろてんならむで立食たちぐひきやくを待つてゐる。つてゐるものは言わずもがなで、つてる人は大概船頭船方たいがいせんどうふなかたたぐゐにきまつてゐる。たひ比良目ひらめ海鰻あなご章魚たこが、其處そこらにしてある。なまぐさにほひが人々の立騷たちさはぐ袖やすそあほられてはなを打つ。
ぼくは全くの旅客りよかくで、此土地にはえんもゆかりもだから、かほければ見覺みおぼえの禿頭はげあたまもない。其處そこで何となく此等これら光景くわうけいが異樣なかんおこさせて、さまを一段鮮だんあざやかにながめるやうな心地こゝちがした。僕はほとんど自己おのれわすれて此雜沓のうちをぶらぶらと歩き、やゝ物靜ものしづかなるちまた一端はしに出た。
『するとぐ僕のみゝに入つたのは琵琶びはの音であつた。其處そこの店先に一人ひとりの琵琶僧がつてゐた。歳のころ四十を五ツ六ツもこゑたらしく、幅のひろい四角なかほたけの低い肥滿こえ漢子をとこであつた。其顏の色、其眼そのめの光は恰度悲ちやうどかなしげな琵琶の音に相應ふさはしく、あのむせぶやうな絲のにつれてうたふ聲がしづむでにごつてよどむでゐた。ちまたの人は一人も此僧を顧みない、家々の者はたれも此琵琶にみゝかたむける風も見せない。朝日は輝く浮世うきよはしい。
『しかし僕はぢつと此琵琶僧このびはそうを眺めて、其琵琶そのびはの音にみゝを傾けた。此道幅このみちはゞの狹い軒端のきばの揃はない、しかせはしさうなちまたの光景が此琵琶僧と此琵琶のとに調和しないやうで而も何處どこかに深い約束やくそくがあるやうに感じられた。あの嗚咽おえつする琵琶のが巷ののきから軒へとたゞよふて勇ましげな賣聲うりごゑや、かしましい鐵砧かなしきの音にざつて、別に一道だうの淸泉が濁波だくはの間をぐつて流れるやうなのをいてゐると、嬉しさうな、き浮きした、面白ろさうな、いそがしさうな顏つきをしてゐるちまたの人々のこゝろの底のいとが自然の調しらべをかなでてゐるやうに思はれた、「わすれえぬ人々」の一人ひとりは、則ち此琵琶僧である。』
此處こゝまで話してて大津はしづかに其原稿をしたに置て暫時しばらく考へむでゐた。戸外そとの雨風のひゞきは少しもおとろへない。秋山はおきき直つて、
『それから。』
『もうそう、餘りけるから。未だいくらもある。北海道歌志内うたしないの鑛夫、大連灣頭だいれんわんとうの靑年漁夫、番匠川のこぶある舟子ふなこなど僕が一々此原稿にあるけを詳はしくはなすなら、夜がけてまうよ。兎にかく、僕がなぜ此等これらの人々をわするゝことが出來ないかといふ、それはおもひ起すからである。なぜ僕がおもひ起すだらうか。ぼくはそれを君に話してみたいがね。
えうするに僕はえず人生の問題もんだいに苦しむでゐながら又た自己將來の大望たいまうに壓せられて自分じぶんで苦しんでゐる不幸ふしあはせな男である
『そこで僕は今夜こよひのやうな晩にひと夜更ふけともしびに向つてゐると此生このせいの孤立をかんじて堪えがたいほどの哀情をもよふして來る。その時僕ときぼくの主我のつのがぼきり折れてしまつて、何だか人懷ひとなつかしくなつて來る。色々いろいろの古いことや友のうへを考へだす。其時油然そのときゆぜんとして僕のこゝろに浮むでるのは、則ち此等これらの人々である。さうでない、此等これらの人々を見た時の周圍しゆうゐの光景のうちに立つ此等これらの人々である。れと他となんの相違があるか、皆なれ此生をてんの一方地の一かくに享けて悠々いういうたる行路を辿たどり、相携へて無窮むきうの天にかへる者ではないか、といふやうなかんが心のそこから起つてて我知らずなみだが頰をつたうことがある。其時そのときは實にわれもなければひともない、ただ誰れもれも懷かしくつて、しのばれて來る、
『僕は其時そのときほど心の平穩へいおんを感ずることはない、其時そのときほど自由をかんずることはない、其時ほど名利競爭めいりきやうさうの俗念消えてすべての物にたいする同情のねんの深いときはない。
『僕はどうにかして此題目このだいもくで僕のおもふ存分にいてみたいとおもふてゐる。僕は天下必てんかゝならず同感のあることゝ信ずる。』
其後二年經過つた。
大津はゆゑあつて東北の或地方あるちはうに住つてゐた。溝口の旅宿やどで初めてつた秋山との交際かうさいは全くえた。恰度、大津が溝口みぞのくちに泊まつたときの時候であつたが、あめの降るばんのこと。大津はひとり机にむかつて暝想にしづむでゐた。机の上には二年まへ秋山にしめした原稿とおなじの『忘れ得ぬ人々』がいてあつて、其最後そのさいごに書きくはへてあつたのは『龜屋かめや主人あるじ』であつた。
『秋山』では無かつた。