やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇へ
鬼火へ
忘れえぬ人々 國木田獨歩 (単行本「武藏野」版)
[やぶちゃん注:底本には明治三十四(一九〇一)年三月十一日民友社発行「武藏野」の、日本近代文学館による昭和五十三(一九七八)年復刻版を用い(私遺愛の同書表紙画像はこちら)、疑義のある部分(主に本文の表記出来ない漢字や読解不能な誤字・脱字とルビの衍字等)は学習研究社版「國木田獨歩全集」第二卷で補正したが、補正箇所は原則、注記していない。但し、全集がママで残した「圓錘形」などは訂していない。ルビは洩れなく復元したつもりである。なお、遠い昔に私が電子化したものとは底本が異なる。変体仮名及び約物・踊り字「〱」「〲」は総て正字化した。ルビに多く見られる「仰ぐ」「類ゐ」などの歴史的仮名遣の誤りはそのままとし、ママ注記は附していない。藪野直史【二〇一三年八月六日】]
忘 れ え ぬ 人 々
多摩川の二子の渡をわたつて少しばかり行くと溝口といふ宿塲がある。其中程に龜屋といふ旅人宿がある。恰度三月の初めの頃であつた、此日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだに淋しい此町が一段と物淋しい陰鬱な寒むさうな光景を呈して居た。昨日降つた雪が未だ殘つて居て、高低定まらぬ茅屋根の南の軒先からは雨滴が風に吹かれて舞うて落ちて居る。草鞋の足痕に溜つた泥水にすら寒むさうな漣が立つて居る。日が暮れると間もなく大概の店は戸を閉めて了つた。闇い一筋町が寂然として了つた。旅人宿だけに龜屋の店の障子には燈火が明く射して居たが、今宵は客も餘りないと見えて内もひつそりとして、をりをり雁頸の太さうな煙管で火鉢の緣を敲く音がするばかりである。
突然に障子をあけて一人の男がのつそり入ツて來た。長火鉢に寄かゝツて胸算用に餘念も無かつた主人が驚て此方を向く暇もなく、廣い土間を三歩ばかりに大股に歩いて、主人の鼻先に突ツた男は年頃三十には未だ二ツ三ツ足らざるべく、洋服、脚絆、草鞋の旅裝で鳥打帽をかぶり、右の手に蝙蝠傘を携へ、左に小さな革包を持て其を脇に抱て居た。
『一晩厄介になりたい。』
主人はお客の風采を視て居て未だ何とも言はない、其時奧で手の鳴る音がした。
『六番でお手が鳴るよ。』
哮へる樣な聲で主人は叫むだ。
『何方さまで御座います。』
主人は火鉢に寄かゝつたまゝで問ふた。客は肩を聳かして一寸と顏をしがめたが、忽ち口の邊に微笑をもらして、
『僕か、僕は東京。』
『それで何方へお越しで御座いますナ。』
『八王子へ行くのだ。』
と答へて客は其處に腰を掛け脚絆の緒を解きにかゝつた。
『旦那、東京から八王子なら道が變で御座いますねエ。』
主人は不審さうに客の樣子を今更のやうに睇めて、何か言ひたげな口つきをした。客は直ぐ氣が付いた。
『いや僕は東京だが、今日東京から來たのじやアない、今日は晩くなつて川崎を出發て來たからこんなに暮れて了つたのさ、一寸と湯をお呉れ。』
『早くお湯を持て來ないか。ヘエ隨分今日はお寒かつたでしよう、八王子の方はまだまだ寒う御座います。』
といふ主人のことばはあいそが有つても一體の風つきは極めて無愛嬌である。年は六十ばかり、肥滿つた體軀の上に綿の多い半纏を着て居るので肩から直に太い頭が出て、幅の廣い福々しい顏の目眦が下がつて居る。それで何處かに氣懊しいところが見えて居る。しかし正直なお爺さんだなと客は直ぐに思つた。
客が足を洗ツて了ツて、未だ拭きゝ了ぬうち、主人は、
『七番へ御案内申しな!』
と怒鳴ツた。それぎりで客へは何の挨拶もしない、其後姿を見送りもしなかつた。眞黑な猫が廚房の方から來て、そツと主人の高い膝の上に這ひ上がつて丸くなつた。主人はこれを知て居るのか居ないのか、ぢつと眼をふさいで居る。暫時すると、右の手が煙草箱の方へ動いて其太い指が煙草を丸めだした。
『六番さんのお浴場がすんだら七番のお客さんを御案内申しな!』
膝の猫が喫驚して飛下りた。
『馬鹿! 貴樣に言つたのぢやないわ。』
猫は驚惶てゝ廚房の方へ駈けて往つて了つた。柱時計がゆるやかに八時を打つた。
『お婆さん、吉藏が眠むさうにして居るじやないか、早く被中爐を入れてやつてお寢かしな、可愛さうに。』
主人の聲の方が眠そうである。廚房の方で、
『吉藏は此處で本を復習て居ますじやないかね。』
お婆さんの聲らしかつた。
『さうかな。吉藏最うお寢よ、朝早く起きてお復習いな。お婆さん早く被中爐を入れておやんな。』
『今すぐ入れてやりますよ。』
勝手の方で下婢とお婆さんと顏を見合はしてくすくすと笑つた。店の方で大きな欠伸の聲がした。
『自分が眠いのだよ。』
五十を五つ六つ越えたらしい小さな老母が煤ぶつた被中爐に火を入れながら呟いた。
店の障子が風に吹かれてがたがたすると思ふとパラパラと雨を吹きつける音が微かにした。
『もう店の戸を引き寄せて置きな。』と主人は怒鳴つて、舌打をして、
『又た降て來やあがつた。』
と獨言のやうにつぶやいた。成程風が大分強くなつて雨さへ降りだしたやうである。
春先とはいへ、寒い寒い霙まじりの風が廣い武藏野を荒れに荒れて終夜、眞闇な溝口の町の上を哮へ狂つた。
七番の座敷では十二時過ぎても未だ洋燈が耿々と輝いて居る。龜屋で起きて居る者といへば此座敷の眞中で、差向かいで話して居る二人の客ばかりである。戸外は風雨の聲いかにも凄まじく、雨戸が絶えず鳴つて居た。
『此の模樣では明日のお立は無理ですぜ。』
と一人が相手の顏を見て言つた。これは六番の客である。
『何に、別に用事はないのだから明日一日位此處で暮らしても可んです。』
二人とも顏を赤くして鼻の先を光らして居る。傍の膳の上には煖陶が三本乘つて居て、盃には酒が殘て居る。二人とも心地よささうに體をくつろげて、胡坐をかいて、火鉢を中にして煙草を吹かして居る、六番の客は袍卷の袖から白い腕を臂まで出して卷煙草の灰を落しては、喫煙て居る。二人の話しぶりは極めて卒直であるものゝ今宵初めて此宿舍で出合つて、何かの口緒から、二口三口襖越しの話があつて、餘りの淋しさに六番の客から押しかけて來て、名刺の交換が濟むや、酒を命じ、談話に實が入て來るや、何時しか丁寧な言葉とぞんざいな言葉とを半混に使うやうに成つたものに違いない。
七番の客の名刺には大津辨二郎とある、別に何の肩書もない。六番の客の名刺には秋山松之助とあつて、これも肩書がない。
大津とは即ち日が暮れて着た洋服の男である。痩形なすらりとして色の白い處は相手の秋山とは丸で違つて居る。秋山は二十五か六という年輩で、丸く肥滿て赤ら顏で、眼元に愛嬌があつて、いつもにこにこして居るらしい。大津は無名の文學者で、秋山は無名の畫家で不思議にも同種類の靑年が此田舍の旅宿で落合つたのであつた。
『もう寢ようかねエ。隨分惡口も言ひつくしたやうだ。』
美術論から文學論から宗教論まで二人は可なり勝手に饒舌つて、現今の文學者や畫家の大家を手ひどく批評して十一時が打つたのに氣が付かなかつたのである。
『まだ可いさ。どうせ明日は駄目でしようから夜通し話したつてかまはないさ。』
畫家の秋山はにこにこしながら言つた。
『しかし何時でしよう。』
と大津は投げ出してあつた時計を見て、
『おやもう十一時過ぎだ。』
『どうせ徹夜でさあ。』
秋山は一向平氣である。盃を見つめて、
『しかし君が眠むけれやあ寢てもいゝ。』
『眠くは少ともない、君が疲れて居るだらうと思つてさ。僕は今日晩く川崎を立て三里半ばかしの道を歩るいた丈けだから何ともないけれど。』
『何に僕だつて何ともないさ、君が寢るならこれを借りて去つて讀で見ようと思ふだけです。』
秋山は半紙十枚ばかりの原稿らしいものを取上げた。其表紙には「忘れ得ぬ人々」と書てある。
『それは眞實に駄目ですよ。つまり君の方で言うと鉛筆で書いたスケツチと同じことで、他人にはわからないのだから。』
といつても大津は秋山の手から其原稿を取うとは爲なかつた。秋山は一枚二枚開けて見て所々讀むで見て、
『スケツチにはスケツチ丈けの面白味があるから少こし拜見したいねエ。』
『まア一寸借して見玉へ。』
と大津は秋山の手から原稿を取て、處々あけて見て居たが、二人は暫無言であつた。戸外の風雨の聲が此時今更らのやうに二人の耳に入つた。大津は自分の書た原稿を見つめたまゝぢつと耳を傾けて夢心地になつた。
『こんな晩は君の領分だねエ。』
秋山の聲は大津の耳に入らないらしい。返事もしないで居る。風雨の音を聞て居るのか、原稿を見て居るのか、將た遠く百里の彼方の人を憶つて居るのか、秋山は心のうちで、大津の今の顏、今の眼元はわが領分だなと思つた。
『君がこれを讀むよりか、僕が此題で話した方が可さゝうだ。どうです、君は聽きますか。此原稿はほんの大要を書き止めて置たのだから讀むだつて解らないからねエ。』
夢から寤めたやうな目つきをして大津は眼を秋山の方に轉じた。
『詳細く話して聞かされるなら尚のことさ。』
と秋山が大津の眼を見ると、大津の眼は少し涙にうるんで居て、異樣な光を放て居た。
『僕はなるべく詳しく話すよ、面白くないと思つたら、遠慮なく注意して呉れ玉へ。その代り僕も遠慮なく話すよ。なんだか僕のほうで聞いてもらいたい樣な心持に成つて來たから妙じやあないか。』
秋山は火鉢に炭をついで、鐵瓶の中へ冷めた煖陶を突込んだ。
『忘れ得ぬ人は必ずしも忘れて叶ふまじき人にあらず、見玉へ僕の此原稿の劈頭第一に書いてあるのは此句である。』
大津は、一寸と秋山の前にその原稿を差しいだした。
『ね。それで僕は先づ此句の説明をしやうと思ふ。さうすれば自から此文の題意が解るだらうから。しかし君には大概わかつて居ると思ふけれど。』
『そんなことを言はないで。ずんずん遣り玉へよ。僕は世間の讀者の積りで聽て居るから。失敬、横になつて聽くよ。』
秋山は煙草を啣えて横になつた。右の手で頭を支へて大津の顏を見ながら眼元に微笑を湛えて居る。
『親とか子とか又は朋友知己其ほか自分の世話になつた教師先輩の如きは、つまり、單に忘れ得ぬ人とのみはいへない。忘れて叶ふまじき人といはなければならない。そこで此處に恩愛の契もなければ義理もない、ほんの赤の他人であつて、本來をいふと忘れて了つたところで人情をも義理をも欠かないで、而も終に忘れて了ふことの出來ない人がある。世間一般の者にさういふ人があるとは言はないが少くとも僕には有る。恐らくは君にも有るだらう。』
秋山は默然て首肯いた。
『僕が十九の歳の春の半頃と記憶して居るが、少し體軀の具合が惡いので暫時らく保養する氣で東京の學校を退いて國へ歸へる、其歸途のことであつた。大阪から例の瀨戸内通ひの滊船に乘つて春海波平らかな内海を航するのであるが、殆んど一昔も前のことであるから、僕の其時の乘合の客がどんな人であつたやら、船長がどんな男であつたやら、茶菓を運ぶ船奴の顏がどんなであつたやら、そんなことは少しも憶へて居ない。多分僕に茶を注いで呉れた客もあつたらうし、甲板の上で色々と話しかけた人もあつたろうが、何にも記憶に止まつて居ない。
『たゞ其時は健康が思はしくないから餘り浮き浮きしないで物思に沈むで居たに違いない。絶えず甲板の上に出で將來の夢を描ては此世に於ける人の身の上のことなどを思ひつゞけてゐたことだけは記憶してゐる。勿論若いものゝの癖で其れも不思議はないが。其處で僕は、春の日の閑かな光が油のような海面に融け殆んど漣も立たぬ中を船の船首が心地よい音をさせて水を切て進行するにつれて、霞たなびく島々を迎へては送り、右舷左舷の景色を眺めて居た。菜の花と麥の靑葉とで錦を敷たやうな島々が丸で霞の奧に浮いてゐるやうに見える。そのうち船が或る小さな島を右舷に見て其磯から十町とは離れない處を通るので僕は欄に寄り何心なく其島を眺めてゐた。山の根がたの彼處此處に脊の低い松が小杜を作つてゐるばかりで、見たところ畑もなく家らしいものも見えない。寂として淋びしい磯の退潮の痕が日に輝つて、小さな波が水際を弄んでゐるらしく長い線が白刄のやうに光つては消えて居る。無人島でない事はその山よりも高い空で雲雀が啼てゐるのが微かに聞えるのでわかる。田畑ある島と知れけりあげ雲雀、これは僕の老父の句であるが、山の彼方には人家があるに相違ないと僕は思ふた。と見るうち退潮の痕の日に輝つてゐる處に一人の人がゐるのが目についた。たしかに男である、又た子供でもない。何か頻りに拾つては籠か桶かに入れてゐるらしい。二三歩あるいてはしやがみ、そして何か拾ろつてゐる。自分は此淋しい島かげの小さな磯を漁つてゐる此人を、ぢつと眺めてゐた。船が進むにつれて人影が黑い點のやうになつて了つた、そのうち磯も山も島全體が霞の彼方に消えて了つた。その後今日が日まで殆ど十年の間、僕は何度此島かげの顏も知らない此人を憶ひ起こしたらう。これが僕の『忘れ得ぬ人々』の一人である。
『その次は今から五年ばかり以前、正月元旦を父母の膝下で祝つて直ぐ九州旅行に出かけて、熊本から大分へと九州を横斷した時のことであつた。
『僕は朝早く弟と共に草鞋脚絆で元氣よく熊本を出發つた。其日は未だ日が高い中に立野といふ宿場まで歩いて其處に一泊した。次ぎの日の未だ登らないうち立野を立つて、兼ての願で、阿蘇山の白煙を目がけて霜を踏み棧橋を渡り、路を間違へたりして漸く日中時分に絶頂近くまで登り、噴火口に達したのは一時過ぎでもあツただらうか。熊本地方は温暖であるがうへに、風のない好く晴れた日だから、冬ながら六千尺の高山も左までは寒く感じない。高嶽の頂は噴火口から吐き出す水蒸氣が凝て白くなつて居たが其外は滿山ほとんど雪を見ないで、ただ枯草白く風にそよぎ、燒土の或は赤き或は黑きが舊噴火口の名殘を、彼處此處に止めて斷崕をなし、その荒涼たる光景は、筆も口も叶はない、之れを描くのは先づ君の領分だと思ふ。
『僕らは一度噴火口の緣まで登て、暫時くは凄まじい穴を覗き込んだり四方の大觀を恣にしたりしてゐたが、さすがに頂は風が寒くつて堪らないので、穴から少し下りると阿蘇神社がある其傍に小さな小屋があつて番茶位は呑ませて呉れる、其處へ逃げ込んで團飯を齧つて、元氣をつけて、又た噴火口まで登つた。
『其時は日がもう餘程傾いて肥後の平野を立籠めるてゐる霧靄が焦げて赤くなつて恰度其處に見える舊噴火口の斷崕と同じやうな色に染つた。圓錘形に聳えて高く群峰を拔く九重嶺の裾野の高原數里の枯草が一面に夕陽を帶び、空氣が水のやうに澄むでゐるので人馬の行くのも見えさうである。天地寥廓、而も足もとでは凄じい響をして白煙濛々と立騰り眞直ぐに空を衝き急に折れて高嶽を掠め天の一方に消えて了う。壯といはんか美といはんか慘といはん歟、僕等は默然たまゝ一言も出さないで暫時く石像のやうに立て居た。此時天地悠々の感、人間存在の不思議の念などが心の底から湧て來るのは自然のことだらうと思ふ。
『ところで尤も僕等の感を惹いたものは九重嶺と阿蘇山との間の一大窪地であつた。これは兼ねて世界最大の噴火口の舊跡と聞て居たが成程、九重嶺の高原が急に頽ち込んで居て數里に亘る絶壁が此窪地の西を廻つてゐるのが眼下によく見える。男體山麓の噴火口は明媚幽邃の中禪寺湖と變つてゐるが此大噴火口はいつしか五穀實る數千町歩の田園とかわつて村落幾個の樹林や麥畑が今しも斜陽靜かに輝いてゐる。僕等が其夜、疲れた足を蹈みのばして罪のない夢を結ぶを樂しむでいる宮地といふ宿驛も此窪地にあるのである。
『いつそのこと山上の小屋に一泊して噴火の夜の光景を見ようかといふ説も二人の間に出たが、先きが急がれるので愈々山を下ることに决めて宮地を指して下りた。下りは登りよりかずつと勾配が緩るやかで、山の尾や谷間の枯草の間を蛇のやうに蜿蜒つてゐる路を辿つて急ぐと、村に近づくに連れて枯草を着けた馬を幾個か逐こした。あたりを見ると彼處此處の山尾の小路をのどかな鈴の音夕陽を帶びて人馬幾個となく麓をさして歸りゆくのが數えられる、馬はどれも皆な枯草を着けてゐる。麓は直きそこに見えてゐても容易には村へ出ないので、日は暮れかゝるし僕等は大急ぎに急いで終いには走つて下りた。
『村に出た時は最早日が暮れて夕闇ほのぐらい頃であつた。村の夕暮のにぎはいは格別で、壯年男女は一日の仕事のしまいに忙がしく子供は薄暗い垣根の蔭や竈の火の見える軒先に集まつて笑つたり歌つたり泣いたりしてゐる。これは何處の田舍も同じことであるが、僕は荒涼たる阿蘇の草原から駈け下りて突然、この人寰に投じた時ほど、これらの光景に搏たれたことはない。二人は疲れた足を曳きずつて、日暮れて路遠きを感じながらも、懷かしいやうな心持ちで宮地を今宵の當に歩るいた。
『一村離れて林や畑の間を暫らく行くと日はとつぷり暮れて二人の影が明白と地上に印するやうになつた。振向いて西の空を仰ぐと阿蘇の分派の一峰の右に新月が此窪地一帶の村落を我物顏に澄むで蒼味がゝつた水のやうな光を放てゐる。二人は氣がついて直ぐ頭の上を仰ぐと、晝間は眞白に立ちのぼる噴煙が月の光を受て灰色に染まつて碧瑠璃の大空を衝て居るさまが、いかにも凄じく又た美しかつた。長さよりも幅の方が長い橋にさしかゝつたから、幸と其欄に倚つかゝつて疲れきつた足を休めながら二人は噴煙のさまの樣々に變化するを眺めたり、聞くともなしに村落の人語の遠くに聞こゆるを聞いたりしてゐた。すると二人が今來た道の方から空車らしい荷車の音が林などに反響して虛空に響き渡つて次第に近いて來るのが手に取るやうに聞こえだした。
『暫くすると朗な澄むだ聲で流して歩るく馬子唄が空車の音につれて漸々と近づいて來た。僕は噴煙を眺めたまゝで耳を傾けて、此聲の近づくのを待つともなしに待つてゐた。
『人影が見えたと思ふと「宮地やよいところじや阿蘇山ふもと」といふ俗謠を長く引いて丁度僕等が立てゐる橋の少し手前まで流して來た其俗謠の意と悲壯な聲とが甚麼に僕の情を動かしたらう。二十四五かと思はれる屈強な壯漢が手綱を牽いて、僕等の方を見向きもしないで通つてゆくのを僕はぢつと睇視めてゐた。夕月の光を背にしてゐたから其横顏も明毫とは知れなかつたが其逞しげな體軀の黑い輪廓が今も僕の目の底に殘つてゐる。
『僕は壯漢の後影をぢつと見送つて、そして阿蘇の噴煙を見あげた。『忘れ得ぬ人々』の一人は則ち此壯漢である。
『其次は四國の三津ケ濱に一泊して滊船便を待つた時のことであつた。夏の初めと記憶してゐるが僕は朝早く旅宿を出て滊船の來るのは午後と聞たので此港の濱や町を散歩した。奧に松山を控えてゐる丈け此港の繁盛は格別で、分けても朝は魚市が立つので魚市塲の近傍の雜沓は非常なものであつた。大空は名殘なく晴れて朝日麗らかに輝き、光るものには反射を與へ、色あるものには光を添へて雜沓の光景を更らに殷々しくしてゐた。叫ぶもの呼ぶもの、笑聲嬉々として此處に起れば、歡呼怒罵亂れて彼方に湧くという有樣で、賣るもの買ふもの、老若男女、何れも忙しさうに面白さうに嬉しさうに、駈けたり追つたりしてゐる。露店が並むで立食の客を待つてゐる。賣つてゐる品は言わずもがなで、喰つてる人は大概船頭船方の類にきまつてゐる。鯛や比良目や海鰻や章魚が、其處らに投げ出してある。腥い臭が人々の立騷ぐ袖や裾に煽られて鼻を打つ。
僕は全くの旅客で、此土地には緣もゆかりも無い身だから、知る顏も無ければ見覺えの禿頭もない。其處で何となく此等の光景が異樣な感を起させて、世の樣を一段鮮かに眺めるやうな心地がした。僕は殆んど自己を忘れて此雜沓の中をぶらぶらと歩き、やゝ物靜かなる街の一端に出た。
『すると直ぐ僕の耳に入つたのは琵琶の音であつた。其處の店先に一人の琵琶僧が立つてゐた。歳の頃四十を五ツ六ツも越たらしく、幅の廣い四角な顏の丈の低い肥滿た漢子であつた。其顏の色、其眼の光は恰度悲しげな琵琶の音に相應しく、あの咽ぶやうな絲の音につれて謠ふ聲が沈むで濁つて淀むでゐた。巷の人は一人も此僧を顧みない、家々の者は誰も此琵琶に耳を傾ける風も見せない。朝日は輝く浮世は忙はしい。
『しかし僕はぢつと此琵琶僧を眺めて、其琵琶の音に耳を傾けた。此道幅の狹い軒端の揃はない、而も忙しさうな巷の光景が此琵琶僧と此琵琶の音とに調和しない樣で而も何處に深い約束があるやうに感じられた。あの嗚咽する琵琶の音が巷の軒から軒へと漂ふて勇ましげな賣聲や、かしましい鐵砧の音に雜ざつて、別に一道の淸泉が濁波の間を潜ぐつて流れるやうなのを聞いてゐると、嬉しさうな、浮き浮きした、面白ろさうな、忙しさうな顏つきをしてゐる巷の人々の心の底の絲が自然の調をかなでてゐるやうに思はれた、「忘れえぬ人々」の一人は、則ち此琵琶僧である。』
此處まで話して來て大津は靜かに其原稿を下に置て暫時く考へ込むでゐた。戸外の雨風の響は少しも衰へない。秋山は起き直つて、
『それから。』
『もう止そう、餘り更けるから。未だ幾らもある。北海道歌志内の鑛夫、大連灣頭の靑年漁夫、番匠川の瘤ある舟子など僕が一々此原稿にある丈けを詳はしく話すなら、夜が明けて了まうよ。兎に角、僕がなぜ此等の人々を忘るゝことが出來ないかといふ、それは憶ひ起すからである。なぜ僕が憶ひ起すだらうか。僕はそれを君に話してみたいがね。
『要するに僕は絶えず人生の問題に苦しむでゐながら又た自己將來の大望に壓せられて自分で苦しんでゐる不幸な男である
『そこで僕は今夜のやうな晩に獨り夜更て燈に向つてゐると此生の孤立を感じて堪え難いほどの哀情を催ふして來る。その時僕の主我の角がぼきり折れて了つて、何だか人懷かしくなつて來る。色々の古い事や友の上を考へだす。其時油然として僕の心に浮むで來るのは、則ち此等の人々である。さうでない、此等の人々を見た時の周圍の光景の裡に立つ此等の人々である。我れと他と何の相違があるか、皆な是れ此生を天の一方地の一角に享けて悠々たる行路を辿り、相携へて無窮の天に歸る者ではないか、といふやうな感が心の底から起つて來て我知らず涙が頰をつたうことがある。其時は實に我もなければ他もない、ただ誰れも彼れも懷かしくつて、偲ばれて來る、
『僕は其時ほど心の平穩を感ずることはない、其時ほど自由を感ずることはない、其時ほど名利競爭の俗念消えて總ての物に對する同情の念の深い時はない。
『僕はどうにかして此題目で僕の思ふ存分に書いてみたいと思ふてゐる。僕は天下必ず同感の士あることゝ信ずる。』
其後二年經過つた。
大津は故あつて東北の或地方に住つてゐた。溝口の旅宿で初めて遇つた秋山との交際は全く絶えた。恰度、大津が溝口に泊まつた時の時候であつたが、雨の降る晩のこと。大津は獨り机に向つて暝想に沈むでゐた。机の上には二年前秋山に示した原稿と同じの『忘れ得ぬ人々』が置いてあつて、其最後に書き加へてあつたのは『龜屋の主人』であつた。
『秋山』では無かつた。