橋本多佳子句集 藪野直史選 六十一句

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鬼火へ


橋本多佳子句集 藪野直史選 六十一句

[やぶちゃん注:底本は一九八九年立風書房刊「橋本多佳子全集」を用いたが、彼女は戦前から活動した作家であることから、私の特に俳句のテクスト化ポリシーに従い、戦前の句集「海燕」(昭和一六(一九四一)年交蘭社刊)と戦前の作品を含む「信濃」(昭和二二(一九四七)年白井書房刊)から選句したもの(具体的には冒頭から「いなびかり醫師くすしの背よりわがあびぬ」の句まで)は恣意的に漢字を正字化して示した。その後のものについても正字化したい欲求に駆られたが、西東三鬼でそれをやった際に、私自身の中でも戦後の作については旧字表記は無理があるようにも感じられたことから、今回は以上のような変則とすることにした(ブログでも同じ仕儀を採っている)。多佳子の本格的本オリジナル選句は今から十年ほど前に行ったものである。現在、私はブログ・カテゴリ「橋本多佳子」で全句電子化(一部にオリジナル補注を附す)を行っているのでそちらも見て戴けると恩幸これに過ぎたるはない。なお、この頁は私のブログの580000アクセス突破記念として作成した。【二〇一四年六月五日】]

  凩の白雲ひとつりてゆけり

  曼珠沙華身ぢかきものを燒くけぶり

  死にちかきに寄り月のるをいひぬ

  月光にいのち死にゆくひとと寢る

    
第二火口
  火噴くとき夏日を天に失へり

  ひとを送り野のいなずまにたれ立つ

  寂しければ雨降る蕗に燈を向くる

    
夫の忌に
  月光に一つの椅子を置きかふる

  菜殼火のけむりますぐに昏るるなり

  ひと日臥し卯の花腐し美しや

  いなびかり醫師くすしの背よりわがあびぬ

  凍蝶に指ふるゝまでちかづきぬ

  凍蝶も記憶の蝶も翅を欠き

  凍蝶をれて十指をさしあはす

  凍蝶のきりきりのぼる虚空かな

  雪はげし抱かれて息のつまりしこと

  雪はげしつまの手のほか知らず死す

  かじかみて脚抱き寝るか毛もの

  牡丹雪さはりしものにとゞまりぬ

  鶏しめる男に雪が殺到す

  河豚のわた喰べたる犬が海を見る

  初蝶や一途に吾に来るごとし

  夕焼けて牧師の耳朶の女めく

  春空に鞠とゞまるは落つるとき

  厚板の帯の黴より過去けぶる

  白桃に入れし刃先の種を割る

  罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき

  つま恋へば吾に死ねよと青葉木莬

  螢籠昏ければ揺り炎えたゝす

  熱砂ばかりもし青蜥蝪失なはゞ

  乳母車夏の怒濤によこむきに

  青蘆原をんなの一透きとほる

  百足虫のくだきし鋏まだ手にす

    
横山白虹氏と共に久女終焉の地を弔ふ、筑紫観音寺保養院にて
  万緑やわがぬかにある鉄格子

  鷺撃たる羽毛の散華遅れ降る

  鷺撃たれし雪天の虚のすぐ埋まり

  蠅化粧けはひあかざるをうしろより打つ

  匂ひ失せしをとめ滝よりつれもどる

  この雪嶺わが命終に顕ちて来よ

    
夫の忌日に
  木犀や記憶を死まで追ひつめる

  沼みどり瞳しぼつて恋の猫

    
切子燈籠
  山蛾食ひ切子ふたたびめいもどす

  火蛾捨身瀆れ瀆れて大切子

  摂理の罅走る雪溪滅びのとき

  この風にこの枯蘆に火かけなば

  晴れて到る人の訃シベリヤ高気圧

  垂直に崖下る猫恋果たし

  藤盗み足をぬらして森を出る

  漬梅と女の言葉壺に封ず

  わが寝屋の闇の一角白破魔矢

  籾殻の深きところでりんご触れ

    
三鬼氏を悼む
  眼にあまる万朶の桜生き残る

  わが寝屋に出でし百足虫は必殺す

  蜥蝪食ひ猫ねんごろに身を舐める

  指の間に枯葉の音す蜻蛉の翅

  蜂の巣をもやす殺生亦たのし

  猟銃音わが山何を失ひし

  氷塊の深部の傷が日を反す

  雪の日の浴身一指一趾愛し

  雪はげし書き遺すこと何ぞ多き