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鬼火へ

[やぶちゃん注:昭和十八(1943)年五月発行の『新潮』の「辻小説」欄に掲載されたもの。なお底本解題によれば、同五月号「辻小説」欄には、森山啓の「玉蜀黍」と高木卓の「日本町」と、合わせて三篇が掲載されている。後に、同年七月十八日八紘社杉山書店刊の『辻小説集』に収録されたが、この作品集は207篇の上記「辻小説」を収めたもので、「辻詩集」とともに、悪名高い国策文芸の集大成であった。底本は昭和五十三(1978)年筑摩書房刊の類聚版「太宰治全集」第六巻を用いた。]

赤心   太宰治

 建保元年癸酉。三月六日、丁未、天霽。この日、將軍家、御年二十二歳にして正二位に陞敍せられた事の知らせが京都からございまして、これすでに破格の榮譽、あまつさへその敍書に添へられ、かしこくも仙洞御所より、いよいよ忠君の誠を致すべし、との御親書さへ賜りました御氣配で、南面にお出ましのまま、深更まで御寢なさらず、はるかに西の、京の方の空を拜し、しきりに御落涙なさつて居られました。

 百ノ霹靂一時二落ツトモ、カクバカリ心ニ強ク響クマイ。

 と蒼ざめたお顏で、誰に言ふともなく低く呻かれるやうにおつしやつて、その夜、謹しみ愼しみお作りになられたお歌こそ

山ハサケ海ハアセナム世ナリトモ君ニフタ心ワガアラメヤモ     源  實 朝