越びと 旋頭歌二十五首   芥川龍之介

やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇へ
鬼火へ

越びと 
旋頭歌二十五首   芥川龍之介

[やぶちゃん注:大正十四(一九二五
)年三月発行の雑誌『明星』に芥川龍之介名義で掲載。底本は岩波版旧全集を用いた。本頁はこの芥川龍之介の片山廣子への絶唱をそのまま綺麗に示しておくことを目的として作製した。本歌群への私の諸注釈は、「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」の該当部分を参照されたい。その他にも、
「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」には多様な龍之介と廣子のための装置が施してある。まずは私の電子テクストの、
片山廣子集 《昭和六(一九三一)年九月改造社刊行『現代短歌全集』第十九巻版》全へ
片山廣子歌集「野に住みて」 全 附やぶちゃん注
片山廣子歌集「野に住みて」抄――やぶちゃん琴線抄七十九首――へ
以上の「日中」歌群を中心とした、軽井沢での片山廣子の吟などを参照されたい――いや、寧ろ、この「越びと」という片山廣子への呼称は、彼女の処女歌集である
片山廣子歌集「翡翠」 全
に所収する「輕井澤にてよみける歌十四首」の巻頭歌、
空ちかき越路の山のみねの雪夕日に遠く見ればさびしき
に基づくものである以上、こちらも必読である。――いや、それ以外にも、廣子の芥川の死後の歌にも、いつか、ふと芥川の影がさしている――芥川龍之介の旋頭歌と片山廣子の和歌――それはこの二人の、遂に逢はざりし人の面影、永遠の恋愛者の相聞歌であると私は思う――]

 

越びと 旋頭歌二十五首   芥川龍之介

 

   一

 

あぶら火のひかりに見つつこころ悲しも、

み雪ふる越路のひとの年ほぎのふみ

 

むらぎものわがこころ知る人の戀しも。

み雪ふる越路のひとはわがこころ知る。

 

うつし身を歎けるふみの稀になりつつ、

み雪ふる越路のひとも老いむとすあはれ。

 

   二

 

うち日さす都を出でていく夜ねにけむ。

この山の硫黄の湯にもなれそめにけり。

 

みづからの體温るははかなかりけり、

靜かなる朝の小床をどこに目をつむりつつ。

 

何しかも寂しからむと庭をあゆみつ、

ひつそりと羊齒しだ卷葉まきばにさす朝日はや。

 

ゑましげに君と語らふ君がまな

ことわりにあらそひかねてわが目守まもりをり。

 

寂しさのきはまりけめやこころらがず、

この宿の石菖せきしやうの鉢に水やりにけり。

 

朝曇りすずしきみせに來よや君が子、

玉くしげ箱根細工をわが買ふらくに。

 

池のべに立てるかへでぞいのちかなしき。

幹に手をさやるすなはちをふるひけり。

 

腹立たし身と語れる醫者の笑顏ゑがほは。

馬じものいばひわらへる醫者の齒ぐきは。

 

うつけたるこころをもちてまちながめをり。

日ざかりの馬糞ばふんにひかる蝶のしづけさ。

 

うしろより立ち來る人を身に感じつつ、

電燈の暗き二階をつつしみくだる。

 

たまきはるわがうつし身ぞおのづからなる。

赤らひくはだへをわれのはずと言はめや。

 

君をあとに君がまなは出でて行きぬ。

たはやすく少女をとめごころとわれは見がたし。

 

ことにいふにたへめやこころしたに息づき、

君がをまともに見たり、鳶いろのを。

 

   三

 

秋づける夜を赤赤あかあかあまづたふ星、

東京にわが見る星のまうら寂しも。

 

わがあたま少しにぶりぬとひとりごといひ、

薄じめる蚊遣線香かやりせんこに火をつけてをり。

 

ひたぶるに昔くやしも、わがまかずして、

垂乳根たらちねの母となりけむ、昔くやしも。

 

たそがるる土手のしたべをか行きかく行き、

寂しさにわが摘みむしる曼珠沙華まんじゆしやげはや。

 

曇り夜のたどきも知らず歩みてやし。

火ともれる自動電話に人こもる見ゆ。

 

寢も足らぬ朝日に見つついく經にけむ。

風きほふ狹庭さにはのもみぢKみけらずや。

 

小夜さよふくる炬燵の上にあごをのせつつ、

つくづくと大書棚おほしよだな見るわれを思へよ。

 

今日けふもまたこころ落ちゐず黄昏たそがるるらむ。

向うなる大き冬樹ふゆきうらゆらぎをり。

 

かどのべの笹吹きすぐる夕風のおと

み雪ふる越路こしぢのひともあはれとは聞け。