やぶちゃんの電子テクスト:心朽窩旧館へ
鬼火へ


神々の微笑(『新小説』推定初出形) 附やぶちゃん注   芥川龍之介

[やぶちゃん注:大正十一(一九二二)年一月一日発行の『新小説』に掲載された後、作品集『春服』『報恩記』に所収されたが、その際、後半の一部が大きく削除されている。そこで本テクストは、芥川の切支丹物としては最重要な位置にあると私の思う本作について、人口に膾炙している全集版の「神神の微笑」ではなく、最初に読まれた原「神々の微笑」を可能な限り復元して電子テクスト化を行うこととした。底本は岩波版旧全集を用い、初出形についてはその後記のみならず、新全集のそれも参照した。一部の芥川の単行本化の際の改変については注記で示した。但し、ルビについてはパラルビを採用している新全集をも参考にしながら、読みの振れそうなものに限定して歴史的仮名遣で総ルビの底本に準拠しながら禁欲的に附した(削除部分については旧全集の「神神の微笑(別稿)」では「ゴア」以外にルビを附さない。新全集も同じであるので、私の判断でルビを附した)。主人公「オルガンティノ」の表記は旧全集「別稿」及び新全集「削除部分」の表記から、初出形では拗音「オルガンティノ」で統一されていたと思われることから、総て「オルガンティノ」で統一した。同様の理由で繰り返し記号「々」が初出誌で多用されていたと考えられることから(別稿及び削除部分には「時々」「高々」と使用されており、今の我々にはやや奇異な同字反復表記は見られない)、繰り返し記号「々」を他でも大々的に援用した。末尾に私の注を附した。以上により、このテクストは活字でもネットでも稀有な初出稿テクストとなったはずであり、芥川龍之介の執筆時の思いを最も明瞭に伝えるものとなるものである、と秘かに自負するものではある。【二〇一一年三月五日】]

神々の微笑

 ある春のゆふべ、Padre Organtino はたつた一人、長いアビト(法衣はふい)の裾を引きながら、南蠻寺なんばんじの庭を歩いてゐた。
 庭には松や檜の間に、薔薇だの、橄欖かんらんだの、月桂だの、西洋の植物が植ゑてあつた。殊に咲き始めた薔薇の花は、木々を幽かにする夕明りの中に、薄甘い匂を漂はせてゐた。それはこの庭の靜寂に、何か日本にほんとは思はれない、不可思議な魅力を添へるやうだつた。
 オルガンティノは寂しさうに、砂の赤い小徑を歩きながら、ぼんやり追憶に耽つてゐた。羅馬ローマの大本山、リスボアの港、羅面琴ラベイカおと巴旦杏はたんきやうの味、「御主おんあるじ、わがアニマ(靈魂)の鏡」の歌――さう云ふ思ひ出は何時のまにか、この紅毛の沙門しやもんの心へ、懷郷の悲しみを運んで來た。彼はその悲しみを拂ふ爲に、そつと泥宇須デウス(神)の御名みなを唱へた。が、悲しみは消えないばかりか、前よりは一層彼の胸へ、重苦しい空氣を擴げ出した。
 「この國の風景は美しい――。」
 オルガンティノは反省した。
 「この國の風景は美しい。氣候もまづ穏和である。土人は、――あの黄面わうめん小人こびとよりも、まだしも黑ん坊がましかも知れない。しかしこれも大體の氣質は、親しみ易い處がある。のみならず信徒も近頃では、何萬かを數へる程になつた。現にこの首府のまん中にも、かう云ふ寺院が聳えてゐる。して見れば此處に住んでゐるのは、たとひ愉快ではないにしても、不快にはならない筈ではないか? が、自分はどうかすると、憂鬱の底に沈む事がある。リスボアのまちへ歸りたい、この國を去りたいと思ふ事がある。これは懷郷の悲しみだけであらうか? いや、自分はリスボアでなくとも、この國を去る事が出來さへすれば、どんな土地へでも行きたいと思ふ。支那でも、沙室シヤムでも、印度でも、――つまり懷郷の悲しみは、自分の憂鬱の全部ではない。自分はただこの國から、一日も早く逃れたい氣がする。しかし――しかしこの國の風景は美しい。氣候もまづ温和である。……」
 オルガンティノは吐息をした。この時偶然彼の眼は、點々と木かげの苔に落ちた、仄白い櫻の花を捉へた。櫻! オルガンティノは驚いたやうに、薄暗い木立ちの間を見つめた。其處には四五本の棕櫚しゆろの中に、枝を垂らした絲櫻いとざくらが一本、夢のやうに花をけぶらせてゐた。
 「御主守らせ給へ!」
 オルガンティノは一瞬間、降魔かうまの十字を切らうとした。實際その瞬間彼の眼には、この夕闇に咲いた枝垂櫻しだれざくらが、それ程無氣味に見えたのだつた。無氣味に、――と云ふよりも寧ろこの櫻が、何故か彼を不安にする、日本そのもののやうに見えたのだつた。が、彼は刹那ののち、それが不思議でも何でもない、唯の櫻だつた事を發見すると、恥しさうに苦笑しながら、靜かに又もと來た小徑へ、力のない歩みを返して行つた。

         ×

 三十分ののち、彼は南蠻寺の内陣に、泥宇須へ祈禱を捧げてゐた。其處には唯圓天井まるてんじやうから吊るされたランプがあるだけだつた。そのランプの光の中に、内陣を圍んだフレスコの壁には、サン・ミグエルが地獄の惡魔と、モオゼの屍骸を爭つてゐた。が、勇ましい大天使は勿論、たけり立つた惡魔さへも、今夜は朧げな光の加減か、妙にふだんよりは優美に見えた。それは又事によると、祭壇の前に捧げられた、水々しい薔薇や金雀花えにしだが、匂つてゐるせゐかも知れなかつた。彼はその祭壇のうしろに、ぢつと頭を垂れた儘、熱心にかう云ふ祈禱を凝らした。
 「南無大慈大悲の泥宇須如來! わたしはリスボアを船出した時から、一命はあなたに奉つて居ります。ですから、どんな難儀に遇つても、十字架の御威光を輝かせる爲には、一歩もひるまずに進んで參りました。これは勿論私一人の、能くする所ではございません。皆天地の御主、あなたの御惠おんめぐみでございます。が、この日本に住んでゐる内に、私はおひおひ私の使命が、どの位かたいかを知り始めました。この國には山にも森にも、あるひは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜んで居ります。さうしてそれが冥々の中に、私の使命を妨げて居ります。さもなければ私はこの頃のやうに、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまふ筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。が、兎に角その力は、丁度地下の泉のやうに、この國全體へ行き渡つて居ります。まづこの力を破らなければ、おお、南無大慈大悲の泥宇須如來! 邪宗に惑溺した日本人は波羅葦増はらいそ天界てんかい)の莊嚴しやうごんを拜する事も、永久にないかも存じません。私はその爲にこの何日か、煩悶に煩悶を重ねて參りました。どうかあなたの下部しもべ、オルガンティノに、勇氣と忍耐とを御授け下さい。――」
 その時ふとオルガンティノは、鷄の鳴き聲を聞いたやうに思つた。が、それには注意もせず、さらにかう祈禱の言葉を續けた。
 「私は使命を果す爲には、この國の山川やまかはに潜んでゐる力と、――多分は人間に見えない靈と、戰はなければなりません。あなたは昔紅海の底に、埃及エジプトの軍勢を御沈めになりました。この國の靈の力強い事は、埃及の軍勢に劣りますまい。どうかいにしへの豫言者のやうに、私もこの靈とのたたかひに、…………」
 祈禱の言葉は何時の間にか、彼のくちびるから消えてしまつた。今度は突然祭壇のあたりに、けたたましい鷄鳴が聞えたのだつた。オルガンティノは不審さうに、彼の周圍を眺めまはした。すると彼の眞後には、白々しろじろと尾を垂れた鷄が一羽、祭壇の上に胸を張つた儘、もう一度、夜でも明けたやうにときをつくつてゐるではないか?
 オルガンティノは飛び上るが早いか、アビトの兩腕を擴げながら、倉皇さうくわうとこの鳥を逐ひ出さうとした。が、二足三足ふたあしみあし踏み出したと思ふと、「御主」と、切れ切れに叫んだなり、茫然と其處へ立ちすくんでしまつた。この薄暗い内陣の中には、何時何處からはひつて來たか、無數の鷄が充滿してゐる、――それが或は空を飛んだり、或は其處此處を駈けまはつたり、殆ど彼の眼に見える限りは、鷄冠とさかの海にしてゐるのだつた。
 「御主、守らせ給へ!」
 彼は又十字を切らうとした。が、彼の手は不思議にも、萬力まんりきか何かに挾まれたやうに、一寸とは自由に動かなかつた。その内にだんだん内陣の中には、榾火ほたびの明りに似た赤光しやくくわうが、何處からとも知らず流れ出した。オルガンティノは喘ぎ喘ぎ、この光がさし始めると同時に、朦朧とあたりへ浮んで來た、人影があるのを發見した。
 人影は見る間に鮮かになつた。それはいづれも見慣れない、素朴な男女の一群ひとむれだつた。彼等は皆頸のまはりに、にぬいた玉を飾りながら、愉快さうに笑ひ興じてゐた。内陣に群がつた無數の鷄は、彼等の姿がはつきりすると、今までよりは一層高らかに、何羽も鬨をつくり合つた。と同時に内陣の壁は、――サン・ミグエルのゑがいた壁は、霧のやうによるへ呑まれてしまつた。その跡には、――
 日本の Bacchanalia は、呆氣あつけにとられたオルガンティノの前へ、蜃氣樓のやうに漂つて來た。彼は赤いかがり火影ほかげに、古代の服裝をした日本人たちが、互ひに酒を酌み交しながら、車座をつくつてゐるのを見た。そのまん中には女が一人、――日本ではまだ見た事のない、堂々とした體格の女が一人、大きな桶を伏せた上に、踊り狂つてゐるのを見た。桶の後ろには小山のやうに、これも亦逞しい男が一人、根こぎにしたらしい榊の枝に、玉だの鏡だのが下つたのを、悠然と押し立ててゐるのを見た。彼等のまはりには數百の鷄が、尾羽根や鷄冠をすり合せながら、絶えず嬉しさうに鳴いてゐるのを見た。そのまた向うには、――オルガンティノは、今更のやうに、彼の眼を疑はずにはゐられなかつた。――そのまた向うには夜霧の中に、岩屋の戸らしい一枚岩が、どつしりと聳えてゐるのだつた。
 桶の上にのつた女は、何時までも踊をやめなかつた。彼女の髮を卷いたつるは、ひらひらと空に飜つた。彼女の頸に垂れた玉は、何度も霰のやうに響き合つた。彼女の手にとつた小笹おざさの枝は、縱横に風を打ちまわつた。しかもその露はにした胸! 赤い篝火の光の中に、艷々つやつやと浮び出た二つの乳房ちぶさは、殆どオルガンティノの眼には、情慾そのものとしか思はれなかつた。彼は泥宇須を念じながら、一心に顏をそむけようとした。が、やはり彼の體は、どう云ふ神祕なのろひの力か、身動きさへ樂には出來なかつた。
 その内に突然沈默が、幻の男女たちの上へくだつた。桶の上に乘つた女も、もう一度正氣に返つたやうに、やつと狂はしい踊をやめた。いや、鳴き競つてゐた鷄さへ、この瞬間は頸を伸ばした儘、一度にひつそりとなつてしまつた。するとその沈默の中に、永久に美しい女の聲が、何處からか嚴かに傳はつて來た。
 「私が此處にこもつてゐれば、世界は暗闇になつた筈ではないか? それを神々は樂しさうに、笑ひ興じてゐると見える。」
 その聲が夜空に消えた時、桶の上にのつた女は、ちらりと一同を見渡しながら、意外な程しとやかに返事をした。
 「それはあなたにも立ちまさつた、新しい神がをられますから、喜び合つてをるのでございます。」
 その新しい神と云ふのは、泥宇須を指してゐるのかも知れない。――オルガンティノはちよいとのあひだ、さう云ふ氣もちに勵まされながら、この怪しい幻の變化に、やや興味のある眼を注いだ。
 沈默は少時しばらく破れなかつた。が、忽ち鷄の群が、一齊に鬨をつくつたと思ふと、向うに夜霧を堰き止めてゐた、岩屋の戸らしい一枚岩が、徐ろに左右へ開き出した。さうしてその裂け目からは、言句ごんくに絶した萬道ばんだう霞光かかくわうが、洪水のやうにみなぎり出した。
 オルガンティノは叫ばうとした。が、舌は動かなかつた。オルガンティノは逃げようとした。が、足も動かなかつた。彼は唯大光明の爲に、烈しく眩暈めまひが起るのを感じた。さうしてその光の中に、大勢の男女の歡喜する聲が、澎湃はうはいと天に昇るのを聞いた。
 「大日孁貴おほひるめむち! 大日孁貴! 大日孁貴!」
 「新しい神なぞはをりません。新しい神なぞはをりません。」
 「あなたに逆ふものは亡びます。」
 「御覽なさい。闇が消え失せるのを。」
 「見渡す限り、あなたの山、あなたの森、あなたの川、あなたの町、あなたの海です。」
 「新しい神なぞはをりません。だれも皆あなたの召使です。」
 「大日孁貴! 大日孁貴! 大日孁貴!」
 さう云ふ聲の湧き上る中に、冷汗になつたオルガンティノは、何か苦しさうに叫んだきりたうたう其處へ倒れてしまつた。………………
 そのも三更に近づいた頃、オルガンティノは失心の底から、やつと意識を恢復した。彼の耳には神々の聲が、未だに鳴り響いてゐるやうだつた。が、あたりを見廻すと、人音ひとおとも聞えない内陣には、圓天井のランプの光が、さつきの通り朦朧と壁畫を照らしてゐるばかりだつた。オルガンティノはうめき呻き、そろそろ祭壇のうしろを離れた。あの幻にどんな意味があるか、それは彼にはのみこめなかつた。しかしあの幻を見せたものが、泥宇須でない事だけは確かだつた。
 「この國の靈と戰ふのは、……」
 オルガンティノは歩きながら、思はずそつと獨り語を洩らした。
 「この國の靈と戰ふのは、思つたよりもつと困難らしい。勝つか、それとも又負けるか、――」
 するとその時彼の耳に、かう云ふ囁きを送るものがあつた。
 「負けですよ!」
 オルガンティノは氣味惡さうに、聲のした方を透かして見た。が、其處には不相變、仄暗い薔薇や金雀花の外に、人影らしいものも見えなかつた。

         ×

 オルガンティノは翌日の夕も、南蠻寺の庭を歩いてゐた。しかし彼の碧眼には、何處か嬉しさうな色があつた。それは今日一日いちにちの内に、日本の侍が三四人、奉教人の列にはひつたからだつた。
 庭の橄欖や月桂は、ひつそりと夕闇に聳えてゐた。唯その沈默がみだされるのは、寺の鳩が軒へ歸るらしい、中空なかぞら羽音はおとより外はなかつた。薔薇の匂、砂の濕り、――一切は翼のある天使たちが、「人の女子おみなごの美しきを見て、」妻を求めに降つて來た、古代の日の暮のやうに平和だつた。
 「やはり十字架の御威光の前には、穢らはしい日本の靈の力も、勝利を占める事はむづかしいと見える。しかし昨夜ゆうべ見た幻は?――いや、あれは幻に過ぎない。惡魔はアントニオ上人にも、ああ云ふ幻を見せたではないか? その證據には今日になると、一度に何人かの信徒さへ出來た。やがてはこの國も至る所に、天主てんしゆ御寺みてらが建てられるであらう。」
 オルガンティノはさう思ひながら、砂の赤い小徑を歩いて行つた。すると誰か後から、そつと肩を打つものがあつた。彼はすぐに振り返つた。しかし後には夕明りが、徑を挾んだ篠懸すずかけの若葉に、うつすりと漂つてゐるだけだつた。
 「御主。守らせ給へ!」
 彼はかう呟いてから、徐ろにかしらをもとへ返した。と、彼のかたはらには、何時の間に其處へ忍び寄つたか、昨夜の幻に見えた通り、頸に玉を卷いた老人が一人、ぼんやり姿を煙らせた儘、徐ろに歩みを運んでゐた。
 「誰だ、お前は?」
 不意を打たれたオルガンティノは、思はず其處へ立ち止まつた。
 「私は、――誰でもかまひません。この國の靈の一人です。」
 老人は微笑を浮べながら、親切さうに返事をした。
 「まあ、御一緒に歩きませう。私はあなたと少時の間、御話しする爲に出て來たのです。」
 オルガンティノは十字を切つた。が、老人はそのしるしに、少しも恐怖を示さなかつた。
 「私は惡魔ではないのです。御覽なさい、この玉やこのけんを。地獄の炎に燒かれた物なら、こんなに淸淨ではゐない筈です。さあ、もう呪文なぞを唱へるのはおやめなさい。」
 オルガンティノはやむを得ず、不愉快さうに腕組をした儘、老人と一しよに歩き出した。
 「あなたは天主教を弘めに來てゐますね、――」
 老人は靜かに話し出した。
 「それも惡い事ではないかも知れません。しかし泥宇須もこの國へ來ては、きつと最後には負けてしまひますよ。」
 「泥宇須は全能の御主だから、泥宇須に、――」
 オルガンティノはかう云ひかけてから、ふと思ひついたやうに、何時もこの國の信徒に對する、叮嚀な口調を使ひ出した。
 「泥宇須に勝つものはない筈です。」
 「所が實際はあるのです。まあ、御聞きなさい。はるばるこの國へ渡つて來たのは、泥宇須ばかりではありません。孔子、孟子、老子、莊子、――その外支那からは哲人たちが、何人もこの國へ渡つて來ました。しかも當時はこの國が、まだ生まれたばかりだつたのです。支那の哲人たちは道の外にも、呉の國の絹だの秦の國のたまだの、いろいろな物を持つて來ました。いや、さう云ふ寶よりもたふとい、靈妙な文字さへ持つて來たのです。が、支那はその爲に、我々を征服出來たでせうか? たとへば文字を御覽なさい。文字は我々を征服する代りに、我々の爲に征服されました。私が昔知つてゐた土人に、柿の本の人麻呂と云ふ詩人があります。その男の作つた七夕の歌は、今でもこの國に殘つてゐますが、あれを讀んで御覽なさい。牽牛織女はあの中に見出す事は出來ません。あそこに歌はれた戀人同士は飽くまでも彦星と棚機津女たなばたつめとです。彼等の枕に響いたのは、丁度この國の川のやうに、淸い天の川の瀨音でした。支那の黄河や揚子江に似た、銀河の浪音ではなかつたのです。しかし私は歌の事より、文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記す爲に、支那の文字を使ひました。が、それは意味の爲より、發音の爲の文字だつたのです。しうと云ふ文字がはひつたのちも、「ふね」は常に「ふね」だつたのです。さもなければ我々の言葉は、支那語になつてゐたかも知れません。これは勿論人麻呂よりも、人麻呂の心を守つてゐた、我々この國の神の力です。のみならず支那の哲人たちは、書道をもこの國に傳へました。空海、道風だうふう佐理さり行成かうぜい――私は彼等のゐる所に、何時も人知れず行つてゐました。彼等が手本にしてゐたのは、皆支那人の墨蹟です。しかし彼等の筆先からは、次第に新しい美が生れました。彼等の文字は何時の間にか、王羲之わうぎしでもなければ 褚遂良ちよすいれうでもない、日本人の文字になり出したのです。しかし我々が勝つたのは、文字ばかりではありません。我々の息吹きは潮風のやうに、老儒の道さへも和げました。この國の土人に尋ねて御覽なさい。彼等は皆孟子の著書は、我々の怒に觸れ易い爲に、それを積んだ船があれば、必ず覆ると信じてゐます。科戸しなとの神はまだ一度も、そんな惡戲いたづらはしてゐません。が、さう云ふ信仰のうちにも、この國に住んでゐる我々の力は、朧げながら感じられる筈です。あなたはさう思ひませんか?」
 オルガンティノは茫然と、老人の顏を眺め返した。この國の歴史に疎い彼には、折角の相手の雄辯も、半分はわからずにしまつたのだつた。
 「支那の哲人たちののちに來たのは、印度の王子悉達多したあるたです。――」
 老人は言葉を續けながら、徑ばたの薔薇の花をむしると、嬉しさうにその匂を嗅いだ。が、薔薇はむしられた跡にも、ちゃんとその花が殘つてゐた。唯老人の手にある花は色や形は同じに見えても、何處か霧のやうに煙つてゐた。
 「佛陀の運命も同樣です。が、こんな事を一々御話しするのは、退屈を増すだけかも知れません。唯氣をつけて頂きたいのは、本地垂迹ほんぢすゐじやくの教の事です。あの教はこの國の土人に、大日孁貴おほひるめむちは大日如來と同じものだと思はせました。これは大日孁貴の勝でせうか? それとも大日如來の勝でせうか? 假りに現在この國の土人に、大日孁貴は知らないにしても、大日如來は知つてゐるものが、大勢あるとして御覽なさい。それでも彼等の夢に見える、大日如來の姿のうちには、印度佛いんどぶつの面影よりも、大日孁貴が窺はれはしないでせうか? 私は親鸞や日蓮と一しよに、沙羅雙樹さらさうじゆの花の陰も歩いてゐます。彼等が隨喜渇仰ずゐきかつかうした佛は、圓光のある黑人ではありません。優しい威嚴に充ち滿ちた上宮太子じやうぐうたいしなどの兄弟です。――が、そんな事を長々と御話しするのは、御約束の通りやめにしませう。つまり私が申上げたいのは、泥宇須のやうにこの國に來ても、勝つものはないと云ふ事なのです。」
 「まあ、御待ちなさい。御前さんはさう云はれるが、――」
 オルガンティノは口をさしはさんだ。
 「今日などは侍が二三人、一度に御教おんおしへに歸依しましたよ。」
 「それは何人でも歸依するでせう。唯歸依したと云ふ事だけならば、この國の土人は大部分悉達多の教へに歸依してゐます。しかし我々の力と云ふのは、破壞する力ではありません。造り變へる力なのです。」
 老人は薔薇の花を投げた。花は手を離れたと思ふと、忽ち夕明りに消えてしまつた。
 「成程造り變へる力ですか? しかしそれはお前さんたちに、限つた事ではないでせう。何處の國でも、――たとへば希臘ぎりしやの神々と云はれた、あの國にゐる惡魔でも、――」
 「大いなるパンは死にました。いや、パンも何時かは又よみかへるかも知れません。しかし我々はこの通り、まだ生きてゐるのです。」
 オルガンティノは珍しさうに、老人の顏へ横眼を使つた。
 「お前さんはパンを知つてゐるのですか?」
 「何、西國さいごくの大名の子たちが、西洋から持つて歸つたと云ふ、横文字の本にあつたのです。――それも今の話ですが、たとひこの造り變へる力が、我々だけに限らないでも、やはり油斷はなりませんよ。いや、寧ろ、それだけに、御氣をつけなさいと云ひたいのです。我々は古い神ですからね。あの希臘の神々のやうに、世界の夜明けを見た神ですからね。」
 「しかし泥宇須は勝つ筈です。」
 オルガンティノは剛情に、もう一度同じ事を云ひ放つた。が、老人はそれが聞えないやうに、かうゆつくり話し續けた。
 「私はつひ四五日前、西國の海邊に上陸した、希臘の船乘りに遇ひました。その男は神ではありません。唯の人間に過ぎないのです。私はその船乘と、月夜の岩の上に坐りながら、いろいろの話を聞いて來ました。目一つの神につかまつた話だの、人をぶたにする女神の話だの、聲の美しい人魚の話だの、――あなたはその男の名を知つてゐますか? その男は私に遇つた時から、この國の土人に變りました。今では百合若ゆりわかと名乘つてゐるさうです。ですからあなたも御氣をつけなさい。泥宇須も必ず勝つとは云はれません。天主教はいくら弘まつても、必ず勝つとは云はれません。」
 老人はだんだん小聲になつた。
 「事によると泥宇須自身も、この國の土人に變るでせう。支那や印度インドも變つたのです。西洋も變らなければなりません。我々は木々の中にもゐます。淺い水の流れにもゐます。薔薇の花を渡る風にもゐます。寺の壁に殘る夕明りにもゐます。何處にでも、又何時でもゐます。御氣をつけなさい。御氣をつけなさい。…………」
 その聲がとうとう絶えたと思ふと、老人の姿も夕闇の中へ、影が消えるやうに消えてしまつた。と同時に寺の塔からは、眉をひそめたオルガンティノの上へ、アヴエ・マリアの鐘が響き始めた。

         ×

 その夜オルガンティノは蠟燭の光に、De Imitatione Christi を讀んでゐました。狹い南蠻寺の方丈は最後の晩餐の圖を描いた、色どりの拙いフレスコの外に、何もない一室だつた。しかしそれも机を据ゑた、高い窓のある壁とは、反対の側面になつてゐたから、たつた一つともつた蠟燭の光も、其處にへはかすかにしか當らなかつた。窓の外の木立の戰ぎ、彼の飜す頁の音、――彼を取り圍んだ靜かさは、ほとんど苦しい位だつた。
 春の夜は次第に更けて行つた。オルガンティノは机に倚りながら、時々さつき見た老人の姿が、心の底から浮び上るのを感じた。が、この紅毛の沙門の眼は、その度に一層撓みなく、細かい活字を追つて行つた。「忙はしければ惡魔來らず。努めて忙はしきをこひ願ふべし。」――彼はどうかすると、口の中にイエロニモ上人の金言さへ、呟かずにはゐられないのだつた。
 しかし何時か倦怠は、そつと彼の上へのしかかつて來た。彼は何時間かの讀書ののち、とうとう頰杖をついた儘、ぼんやり空想に耽り出した。
 「この國に住んでゐる靈と云ふのは、パンや半人半馬神と、少しも變らない惡魔であらうか? アントニオ上人の御傳記の中には、天主の御教に從つた半人半馬神の話がある。しかし今日遇つた老人は、天主の御教に從ふ所か、泥宇須さへ――そんな事はある筈がない。が、兎と角昨夜からの、怪しい幻の荒ましだけは、臥亞ゴアの本山へ知らせる事にしよう。東洋へ來てゐる自分たちの中でも、目のあたりにかう云ふ不思議を見たのは、多分は自分、――おや、又鷄が啼いてゐはしないか?」
 オルガンティノは身震ひをしながら、蠟燭の心をつまみ捨てた。すると光が明るくなつたせゐか、壁の耶蘇や弟子たちの顔が急に晴れ晴れとなつたやうに見た。
 「しかしこのフレスコを眺めてゐれば、惡魔の誘惑も恐ろしくはない。窓の前に座つた耶蘇様の御顏、その窓の外の無花果の、――おや、無花果ではなかつたかしら。」
 オルガンティノはもう一度、狼狽したややうに口を噤んだ。壁畫には彼の云つた通り、眞向になつた耶蘇の後に、細長い窓が描いてある、――その窓の外には今夜見ると、薄日の光を受けたらしい、鬱金櫻うこんざくらが咲いてゐるではないか? のみならず耶蘇その人の顏も、かしらをめぐつた圓光の中に、何か表情が變つたやうに見えた。彼は少時ためらつたのち、机の上の蠟燭を取ると、そつと壁へ歩み寄つた。さうして惡どい色彩の畫面へ、丹念に眼を通して見た。
 「どうも可笑しい。このペテロの顏などは、さつきの老人によく似てゐる。が、いくらこの國の靈でも、まさかかう云ふ耶蘇樣の御姿へ、――」
 今度の變化は急激だつた。彼れが顏を近づけるが早いか、そのペテロは微笑しながら、こちらへ皺だらけの顏を向けた。オルガンティノは我知らず、二足三足うしろへ下つた、と思ふと冷や汗が、一時に背中へ流れ出した。が壁の中の人物は、微笑を浮べたペテロの外に、誰一人睫毛も動かさなかつた。
 これに勇氣を得たオルガンティノは、もう一度壁に近よると、高々と蠟燭をさし上げながら、嚴かにペテロに聲をかけた。
 「天地の御主、泥宇須の御名によつてお前に問ふ。お前は一體何ものだ?」
 すると圓光を頂いた耶蘇は、突然御經にあるやうな答を吐いた。
 「彼は我影、我は彼が光なり。」
 オルガンティノは彼自身の言葉が、冒瀆ではなかつたかと思ひ出した。が、その途端にほほ笑んだペテロが、横合ひから耶蘇へ話かけた。
 ペテロ「主よ。如何にして自らを我等には顯し、世には顯し給はざるや?」
 耶蘇「人もし我を愛さば、我言葉を守らん。我來りてその人と共に住むべし。我誠に汝等に告げん。幼子よ。我なほ少時汝等と共にあり。汝等かならず我を尋ねん。されど我汝等を孤子こじとせず。又汝等に來らん。」
 ペテロ「主よ。何處へ行き給ふや?」
 耶蘇「我行く所へは汝今從ふ事能はず。されど心に憂ふる事勿れ。我行くは汝等をも、我居る所に居らしめんとてなり。少時せば世を我を見る事なし。されど汝等は我を見る我生くれば汝等も生きん。汝等安かれ。」
 十二人の弟子たち、「主よ。大日孁貴おほひるめむちよ。我等主と共にあらん。…………」
 この言葉がまだ止まらない内に、蠟燭は火の尾を引きながら、オルガンティノの手を離れた。彼はその刹那に耶蘇の顏が、美しい女に變つてゐるのを見た。「ホザナよ。ホザナよ。大日孁貴の名によりて來るものは幸なり。いと高き所にホザナよ。」――そんな鬨の聲が闇の中に、どつと擧がつたのを聞きながら。…………
 南蠻寺のパアドレ・オルガンティノは、――いや、オルガンティノに限つた事ではない。悠々とアビトの裾を引いた、鼻の高い紅毛人は、黄昏たそがれの光の漂つた、架空の月桂や薔薇のなかから、一双の屏風へ歸つて行つた。南蠻船入津なんばんせんにふしんの圖を描いた、三世紀以前のふる屏風へ。
 さやうなら。パアドレ・オルガンティノ! 君は今君の仲間と、日本の海邊を歩きながら、金泥の霞に旗を擧げた、大きい南蠻船を眺めてゐる。泥宇須デウスが勝つか、大日孁貴おほひるめむちが勝つか――それはまだ現在でも、容易に斷定は出來ないかも知れない。が、やがては我々の事業が、斷定を與ふべき問題である。君はその過去の海邊から、靜かに我々を見てゐ給へ。たとひ君は同じ屏風の、犬を曳いた甲比丹カピタンや、日傘をさしかけた黑ん坊の子供と、忘却のねむりに沈んでゐても、新たに水平へ現れた、我々の黑船の石火矢いしびやの音は、かならず古めかしい君等の夢を破る時があるに違ひない。それまでは、――さやうなら。パアドレ・オルガンティノ! さやうなら。南蠻寺のウルガン伴天連バテレン



□やぶちゃん注
・題名「神々の微笑」作品集『報恩記』で「神神の微笑」と改められ、以降、岩波版ではそれが正表記として通用することとなった。
・「Padre Organtino」Gnecchi‐Soldo Organtino(グネッキ・ソルディ・オルガンティノ イタリア語読み:ニェッキ・ソルディ・オルガンティーノ 一五三三(三〇年説もあり)年~慶長十四(一六〇九)年)日本の戦国末期に来日して布教を行ったイタリア人宣教師。カトリック司祭でイエズス会会員。通称日本名は宇留岸伴天連(ウルガンバテレン)。ウィキの「グネッキ・ソルディ・オルガンティノ」によれば、北イタリアのカスト・ディ・バルサビア生れ。二十二歳でイエズス会に入会、『ゴアの大神学校で教えた後で日本に派遣され』、元亀元(一五七〇)年六月に天草の志岐に上陸、ルイス・フロイスらと布教活動を行った。『人柄が良く、日本人が好きだった彼は「うるがんばてれん」と多くの日本人から慕われ』たとあり、凡そ三十年に渡って主に京都を拠点とし、最後は病のために長崎で七十六歳で没した。以下、ウィキの記載を引用して彼の生涯を俯瞰する。彼は天正四(一五七六)年、『京都に聖母被昇天教会いわゆる「南蛮寺」を』建立した(後注で詳述)。天正六(一五七八)年の『荒木村重の叛乱時(有岡城の戦い)には家臣と村重の間で板ばさみになった高山右近から去就について相談を受けた』りし、武士階級の信望も厚く、天正八(一五八〇)年『には安土で直接織田信長に願って与えられた土地にセミナリヨ』(神学校)『を建てた。オルガンティノはこのセミナリヨの院長として働いた。最初の入学者は右近の治める高槻の出身者たちであった。第一期生の中には後に殉教するパウロ三木もいた。しかしこのセミナリヨは信長が本能寺の変で横死した後で安土城が焼かれた時に放棄され』ている。天正十一(一五八三)年、『豊臣秀吉に謁見して新しいセミナリヨの土地を願い、大坂に与えられたが、結局、右近の支配する高槻に設置された』。天正十五(一五八七)年に秀吉による最初の禁教令及び宣教師追放が声明され、『京都の南蛮寺は打ち壊され、高山右近は明石の領地を捨てた。オルガンティノは右近とともに表向き棄教した小西行長の領地・小豆島に逃れ、そこから京都の信徒を指導した。翌年、右近が加賀に招かれると、オルガンティノは九州に向かった』。天正十九(一五九一)年の『天正遣欧少年使節の帰国後、彼らと共に秀吉に拝謁。前田玄以のとりなしによって再び京都在住をゆるされた』。慶長元年十二月十九日(グレゴリオ暦一五九七年二月五日)『日本二十六聖人の殉教に際して、京都で彼らの耳たぶが切り落とされると、それを大坂奉行の部下から受け取っている。オルガンティノは涙を流してそれらを押し頂いたという』。小学館「日本大百科全書」の記載中には、『日本人の優秀さを認め、日本文化への順応主義を唱え、布教長カブラルと対立した』ともある。本作を読む上で興味深い事実である。しかし、本作では話柄の展開上、冒頭からオルガンティノはある種のノスタルジアに捕われ、黄色人種への蔑視を内包させた憂愁を帯びた人物として造形されている。オルガンティノはしかし、作家としての芥川龍之介自身のカリカチャアとしても設定されており(その場合、本話の日本の神話の系譜は芥川が「ぼんやりとした不安」を感じていた第二次世界大戦の軍靴の音や神風・英霊にまで通底すると私は思う)、晩年のオルガンティノの心境を考えた時、必ずしも芥川のキャラクター変更に難があるとは言い難い。
・「アビト」habito。ポルトガル語で、カトリック聖職者の着る法服。
・「南蠻寺」広義には戦国末期に本邦に建てられたキリスト教の教会堂の一般呼称であるが、ここでは天正四(一五七六)年にイエズス会によって京都に建立された「都の南蛮寺」を指す固有名詞である。以下、ウィキの「南蛮寺」の「都の南蛮寺(1576年)」から引用する(一部の表記を変更、注記表示を省略した)。『都の南蛮寺建設の経緯は、ルイス・フロイスが』建立の翌年に『臼杵から発信した書簡に詳述されている』。『イエズス会が以前から京に建てていた教会堂が老朽化したため、一五七五年宣教師たちの協議の結果再建が決定した。当初は仏教の廃寺の建材を流用することが意図されたが、価格面で折り合いがつかず、新たに建てることとなった。オルガンティノが指揮を取った教会堂の建設に当たっては、高山図書(ずしょ、洗礼名ダリオ)をはじめとする畿内のキリシタン有力者の協力と寄進が寄せられ、寄進とイエズス会の出費をあわせた総工費は約三千クルザードに達し、当時日本に建てられた教会堂でも最大級の規模のものとなった。都の南蛮寺の正式名は「被昇天の聖母教会」であり、献堂ミサも会堂の落成に先立つ一五七六年八月十五日(聖母被昇天の祝日)に行われた。教会堂の所在地は中京区姥柳町(蛸薬師通室町西入ル)付近と推定される。その後一五八七年、豊臣秀吉による伴天連追放令後に破壊された。この教会堂は、狩野宗秀筆の扇面洛中洛外図六十一面中「都の南蛮寺図」によって、建物を特定した絵画資料が残る唯一の例である』とし、同図その他からの推測として以下、次の四項目が挙げられている。
一 木造瓦葺・三層楼閣風建物。
二 屋根最上層は入母屋造。一及び二層は寄棟造。
三 層の周縁には見晴らし用廊下と手摺を附す。
四 扇面図にはないが、同時期に描かれた南蛮屏風の本南蛮寺の描写では、屋根の上に十字架と思われるものが描きこまれている。
一層部分の構造については『上記のフロイスの書簡には以下のような記事が見られる』として、以下の三項目が挙げられている。
一 キリシタンの身分ある女性が畳百畳を寄進したこと。
二 京都の職人が高度な技術水準を保持していること。
三 「イタリア人のオルガンティーノ師の建築上の工夫」がなされたこと。
『以上のことから、日本人大工・職人の手による和風を基本としながら、ヨーロッパ特にイタリアの建築様式やキリスト教に関連するモチーフが加味されたものと推測される』とある。最後の三はオルガンティノの多才さが窺われる興味深い叙述である。同ウィキにはパブリック・ドメインのリスボン美術館蔵になる作者不詳「南蛮屏風」(部分)の画像がある。本話柄の背景の参照のために、以下にやや縮小して示しておく。



・「橄欖」双子葉植物綱ゴマノハグサ目モクセイ科オリーブ
Olea europaea。キリスト教ではノアの元へハトが運んだ枝とされ、周知の通り、平和や希望のシンボルである。
・「月桂」双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ゲッケイジュ
Laurus nobilis。但し、園芸関係の記載によれば、現在定説とされているゲッケイジュの渡来は明治三十八(一九〇五)年で、翌年、日露戦争戦勝記念樹として東郷平八郎元帥が日比谷公園に植樹して全国に知られるようになったとある。
・「リスボア」Lisboa。ポルトガル語。首都リスボン。
・「羅面琴ラベイカ」rabeca。ポルトガル語。 中世のスペイン・ポルトガルで用いられた弦楽器の一種。三弦または四弦からなるバイオリンの前身で、本邦には既に室町時代に渡来していた。
・「巴旦杏はたんきやう」諸注、これをバラ目バラ科サクラ属ヘントウ
Prunus dulcis、アーモンドのこととする。但し、芥川龍之介の中国行の一篇「雜信一束」の次の句、
   ひと籠の暑さ照りけり巴旦杏
での「巴旦杏」の使用法などから見て、ここでも芥川はバラ目バラ科サクラ属スモモ(トガリスモモ)
Prunus salicina の仲間で当時の本邦にはなかったスモモの類の意で「巴旦杏」を用いていると私は考えたい。
・「泥宇須デウス(神)」Deus。ラテン語。多神教の古代ローマでは神全般を示す語であったが、キリスト教の普及に伴って父なる唯一神の意となった(従って男性名詞)。ポルトガル語でも同じ。因みに、単行本化では表記を総て「泥烏須」と改めている。しかし禅僧からイエズス会士となった日本人ハビアンが棄教後に叙述した、元和六(一六二〇)年刊のキリシタン排撃の書は「破提宇子」(「はデウス」「はダイウス」と読む)と書くから、「デウス」の「ウ」に「宇」の字を当てるのは決して奇異ではない。芥川の改変の意図が奈辺にあったかは定かでない。
・「穏和」作品集『報恩記』で同じ台詞の末尾にある「温和」に改められた。
・「沙室シヤム」Siam。現在のタイ王国の旧称。
・「絲櫻」双子葉植物綱バラ亜綱バラ目バラ科サクラ属シダレザクラ
Cerasus spachiana f. spachiana。シノニム Prunus pendula f. pendula
・「サン・ミグエル」San Miguel。元はヘブライ語で大天使の名。ミカエル。キリスト教ではラファエル・ガブリエルと合わせて神に次ぐ力を備えた三大大天使の一人とされ、教えを守る軍兵の守護、更にはフランシスコ・ザビエルによってカトリック教会に於ける日本の守護聖人もかつてはミカエルであるとされた(後に既定者自身であるザビエルに変更された。以上の記載は主にウィキの「ミカエル」を参照した)。
・「波羅葦増はらいそ」paraíso。ポルトガル語(スペイン語も同じ)天国。楽園。パラダイス。この当て字は文禄・慶長年間にキリシタンの間で日本語化し定着したものと思われ、上田敏の「海潮音」の中の訳詩テオドオル・オオバネルの「故国」、北原白秋の「邪宗門」の中の「入日の壁」や木下杢太郎の戯曲「南蛮寺門前」などの近代作品にも見出せる。
・「彼等は皆頸のまはりに、緒にぬいた玉を飾りながら、愉快さうに笑ひ興じてゐた。内陣に群がつた無數の鷄は、彼等の姿がはつきりすると、今までよりは一層高らかに、何羽も鬨をつくり合つた。と同時に内陣の壁は、――サン・ミグエルの畫を描いた壁は、霧のやうに夜へ呑まれてしまつた。その跡には、――」の中間部「羽も鬨をつくり合つた。と同時に内陣の壁は」の部分、単行本では格助詞「と」が除去され、
「彼等は皆頸のまはりに、緒にぬいた玉を飾りながら、愉快さうに笑ひ興じてゐた。内陣に群がつた無數の鷄は、彼等の姿がはつきりすると、今までよりは一層高らかに、何羽も鬨をつくり合つた。同時に内陣の壁は、――サン・ミグエルの畫を描いた壁は、霧のやうに夜へ呑まれてしまつた。その跡には、――」
となっている。
・「Bacchanalia」は表記するなら「バッカネイリヤ」といった発音で、本来は古代ギリシャの酒の神である Bacchus バッカスを祀るための酒宴を伴うバッカス祭を意味する。そこから無礼講、放埓にして乱れたどんちゃん騒ぎの酒宴を言う。なお、バッカス(=ディオニュソス)自体が、元来は北方のトラキア地方の異神であり、ここでは日本神話のアマテラスオオミカミ(=大日孁貴)岩戸隠れに際し、神々が心理戦略として行った宴会とアメノウズメノミコトによる最初のストリップ・ショーというシチュエーションに対して用いられていることから、「日本の Bacchanalia 」という謂いは、比喩というよりも、この「神々の微笑」の主題とも関わって如何にもこの上なく本作に相応しい表現法であると私は思うのである。
・「萬道の霞光」は清代の文人文康の「児女英雄伝」に「霞光萬道」と現われる成句で、日の出や日の入りの際の燦爛たる光の美しさを謂う(そこから美人や宝物の輝くような美しさの形容としても用いられる)。
・「大日孁貴おほひるめむち」大日孁貴神 (おほ/おおひるめのむちのかみ)。アマテラスオオミカミ(天照大御神)の別名。一説に「おほひるめむち」の「おほ」は尊称、「むち」は「高貴なるもの」を、「ひるめ」は「日の女神」を表すとする。太陽信仰の人格化した日本の土着的な最古形の神の一人、原母(グレート・マザー)である。
・「三更」日暮れから夜明けまでの一夜を五等分した時刻名。現在の午後十一時頃から午前一時頃。
・『翼のある天使たちが、「人の女子おみなごの美しきを見て、」妻を求めに降つて來た』「旧約聖書」「創世記」第六章第二節にある記事(「日本聖書刊行会」新改訳より引用)。

1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、
2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。
3 そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。(以下略)

・「アントニオ上人」Antonius(二五一年頃~三五六年)。聖アントニウス。キリスト教の修道士を創始したとされる聖人。エジプト生まれ。二十歳の頃、両親と死別後、財産を貧者に与え、砂漠に籠もって苦行の修道に入った(町での彼の辻説法に共感した者たちと共同生活を始めたのが修道院の原形となったとする)。後、再び荒野に身を置いて修行を続け、百五歳という長寿を全うしたという(以上はウィキの「大アントニオス」を参照した)。日本では本人の伝承よりも「聖アントニウスの誘惑」として知られる絵画群(ヒエロニムス・ボッス、グリューネヴァルト、ダリ等)で人口に膾炙する。
・「天主教」中国に於けるローマン・カトリック教会の漢訳語(Deusの音訳が「天主」)。但し、この語が本邦のカトリック教会内で用られるようになるのは明治・大正期であり、オルガンティノの時代には存在しない日本語である。
・「老子、」単行本所収時に、芥川は何故か削除している。
・「その男の作つた七夕の歌」万葉集第十巻には柿本人麻呂の七夕に関わる歌が「人麻呂歌集」からの引用として実に三十八首を所載している(但し、必ずしも人麻呂の歌とは言えないものも含まれている)。
・「彦星と棚機津女たなばたつめ」ここでアルタイルを言い換えているのは、中国の牽牛織女伝説での漢語としての「牽牛星」ではなく、あくまで和名としての「彦星」を強調してからであいる。後者は、織姫伝説とは全く別個に本邦に存在した古伝承として古事記に記されているものを指す。棚機は機織はたおり機(棚のような形状による)、そのはたで布を織る女性を棚機津女と言う。高天原でのスサノオノミコトの騒擾でも、このアマテラスオオミカミ直属の女性が機を織る屋にスサノオが馬の生革を投げ込んで秘所を(横糸を走らせる道具)で突いて死んでしまう(これが先の岩戸隠れの直接の原因である)。この話で分かるように伝承上、棚機津女は巫女みこなのであった。年ごとに村内から神女として棚機津女たなばたつめが選ばれて、七月七日を期して水辺に設えた機屋に籠って神の御衣おんぞを織り成す。それを受け取りに来る神は村落に豊穣を齎すのであった。中国の牽牛織女伝説が、この棚機津女その他と習合し、極めて日本的な七夕の風習が形成されたのである。
・「佐理」 藤原佐理ふじわらのすけまさ(天慶七(九四四)年~長徳四(九九八)年)。平安中期の卿にして書家。前掲の小野道風と後の藤原行成と合わせて三蹟とする。藤原北家小野宮流。太政大臣藤原実頼の孫。官位正三位参議。
・「行成」藤原行成ふじわらのゆきなり(天禄三(九七二)年~万寿四(一〇二八)年)。平安中期の公卿にして書家。藤原北家。官位は正二位権大納言。三蹟の一人、書道世尊寺流祖。
・「王羲之」(三〇三年~三六一年)東晋の政治家にして書家。中国や本邦の書道史に於いて書聖とされ、末子の王献之とともに「二王」(羲之大王・献之小王)又は「羲献」と称され、また、顔真卿がんしんけいと併せて中国書界の二大宗師とされる。名品「蘭亭序」は墨蹟蚯蚓たる私でさえ書写させられた。
・「褚遂良」(五九六年~六五八年)唐代の政治家にして書家。初唐の三大家(虞世南・欧陽詢・褚遂良)
の一人。太宗に仕え、後の高宗の教育にもあたって功あったが、武則天の立后に反対、左遷させられた。代表作「雁塔聖教序」は、これもやはり墨蹟蚯蚓たる私でさえ書写させられた。私は個人的に彼の書が好きである。
・「科戸しなどの神」シナツヒコノミコト。ウィキの「シナツヒコ」から引用すると、「古事記」で「志那都比古神」「日本書紀」で「級長津彦命」と出、後者ではイザナミが朝霧を吹き払ったその息から級長戸辺命シナトベノミコトまたの名級長津彦命という神が生まれたとし、風神と記している。「シナトベ」は神社の祭神として「志那戸辨命」などとも書かれる、とある。『神名の「シナ」は「息が長い」という意味である。古代人は、風は神の息から起きると考えていた。風は稲作に欠かせないものであるが、台風などの暴風は人に大きな被害をもたらす。そのため、各地で暴風を鎮めるために風の神が祀られるようになった』。『風の神であることから、航海安全の神ともされる』ともある。
・「悉達多したあるた」Siddhārthaサンスクリット語(梵語)。シッダールタ。「目的を成就せる者」の意で、 釈迦の俗名。
・「本地垂迹」仏教側からの本地垂迹説。日本神話の神というは、本来の根源的正身の姿(本地)である仏や菩薩が、衆生の教化きょうげや救済のために、たまたま姿を変えて見かけの形を現わした(垂迹)したものとする仏優位の神仏同体説からなる仏神習合。平安期から見られ、明治初期の廃仏毀釈によって急速に消滅した。江戸期には神道側から神道を優位とする逆本字垂迹説も現われた。
・「大日如來」サンスクリット語(梵語)Mahāvairocanaの漢訳語。摩訶毘盧遮那仏。宇宙と一体している汎神論的密教仏。光明が遍満して照らさぬところとてないという謂いで、遍照如来とも言う。仏教中の太陽信仰のシンボライズ化したもの。
・「沙羅双樹」釈迦入滅の時、涅槃の床にあったという、双子葉植物綱アオイ目フタバガキ科サラソウジュ
Shorea robusta の二本の木(実際には四辺に双樹を配して四双八本とする)。涅槃と同時に時じくの花を咲かせて枯れ、白色に変じたとされる。ヒンディー語で「サール」、「沙羅」はその音の漢訳。
・「上宮太子」聖徳太子のこと。
・「大いなるパンは死にました。いや、パンも何時かは又よみ返るかも知れません。しかし我々はこの通り、まだ生きてゐるのです。」単行本では、
「大いなるパンは死にました。いや、パンも何時かは又よみ返るかも知れません。しかし我々はこの通り、未だ生きてゐるのです。」
と「まだ」が「未だ」に改められた。「パン」Pan。ギリシア神話の牧羊神。山羊の脚と角、髭をもつ醜悪な半獣人の姿で、色欲旺盛にして音楽や舞踊を好む。
・「西國の大名の子たち」天正遣欧使節団のことであろう。天正十(一五八二)年ヴァリニャーニの企画により、九州のキリシタン大名であった大友宗麟・有馬晴信・大村純忠がローマ及びスペイン国王の元に遣わした使節。伊東マンショ・千々石ちぢわミゲルを正使、中浦ジュリアン・原マルチノが副使として教皇グレゴリウス十三世に謁見、天正十八(一五九〇)年に帰国したが、本邦では既に天正十六(一五八八)年に耶蘇教禁令が発布されており、使節団員はそれぞれ数奇な最期を遂げることとなった。但し、本話柄の時間設定はオルガンティノが京都で自由な布教活動を行っていた天正年間の前期としかとれず、天正遣欧使節団帰国とは時間的な齟齬が感じられる。
・「百合若ゆりわか」百合若大臣。幸若舞こうわかまい・説経節・浄瑠璃(近松門左衛門「百合若大臣野守鏡」等)や各地方伝承によって残された貴種流離譚の英雄。強力無双の百合若大臣が蒙古軍や鬼を退治するシチュエーション、無人島や山中に瀕死の状態で置き去られるも辛くも再起・蘇生、帰郷して悪臣を滅ぼしたり、貞節の妻と再会する大団円といった多彩多様なストーリーを持つ。ウィキの「百合若大臣」の「民俗学的見地」によれば、『坪内逍遙は、古代ギリシアの詩人・ホメロスが謡った叙事詩「オデュッセイア」が室町時代に日本に伝えられ、それが翻案されたものこそが「百合若大臣」であるとの説を発表した。オデュッセイアの英語での発音「ユリシーズ」と「百合」が似ていることや、主人公・オデュッセウスの留守を守る妻・ペネローペーが織物をして時間を稼ぎ、求婚者をかわす逸話が、百合若の妻の行いを思わせるからである。この説は支持される時期もあったがペネロープ型説話の分布は広く、偶然の一致として懐疑的な意見も多い』とある。本作のこの部分は、この逍遙の説を踏まえている。
・「その夜オルガンティノは蠟燭の光に、De Imitatione Christi を讀んでゐました。……」以下は、『「ホザナよ。ホザナよ。大日孁貴の名によりて來るものは幸なり。いと高き所にホザナよ。」――そんな鬨の聲が闇の中に、どつと擧がつたのを聞きながら。…………』までの部分が単行本化に際し、著者によって削除された。なお、新全集ではこの削除分について翻刻する際、四箇所を誤植として補正している。私はそれ以外に、冒頭部の敬体表現も補正すべきと考える(注記がないが旧全集は「ゐた」となっている)。それも加えたものを以下に示す。私の補正部は【 】☆を、新全集補正部には【 】★を附しておいた。ルビは両底本に従い、「ゴア」以外を排除した。

 その夜オルガンティノは蠟燭の光に、De Imitatione Christi を讀んで【ゐた】☆。狹い南蠻寺の方丈は最後の晩餐の圖を描いた、色どりの拙いフレスコの外に、何もない一室だつた。しかしそれも机を据ゑた、高い窓のある壁とは、反対の側面になつてゐたから、たつた一つともつた蠟燭の光も、其處にへはかすかにしか當らなかつた。窓の外の木立のぎ、彼の飜す頁の音、――彼を取り圍んだ靜かさは、殆苦しい位だつた。
 春の夜は次第に更けて行つた。オルガンティノは机に倚りながら、時々さつき見た老人の姿が、心の底から浮び上るのを感じた。が、この紅毛の沙門の眼は、その度に一層撓みなく、細かい活字を追つて行つた。「忙はしければ惡魔來らず。努めて忙はしきをこひ願ふべし。」――彼はどうかすると、口の中にイエロニモ上人の金言さへ、呟かずにはゐられないのだつた。
 しかし何時か倦怠は、そつと彼の上へのしかかつて來た。彼は何時間かの讀書の後、とうとう頰杖をついた儘、ぼんやり空想に耽り出した。
 「この國に住んでゐる靈と云ふのは、パンや半人半馬神と、少しも變らない惡魔であらうか? アントニオ上人の御傳記の中には、天主の御教に從つた半人半馬神の話がある。しかし今日遇つた老人は、天主の御教に從ふ所か、泥宇須さへ――そんな事はある筈がない。が、兔と角昨夜からの、怪しい幻の荒ましだけは、臥亞ゴアの本山へ知らせる事にしよう。東洋へ來てゐる自分たちの中でも、目のあたりにかう云ふ不思議を見たのは、多分は自分、――おや、又鷄が啼いてゐはしないか?」
 オルガンティノは身震ひをしながら、蠟燭の心をつまみ捨てた。すると光が明るくなつたせゐか、壁の耶蘇や弟子たちの顔が急に晴れ晴れとなつたやうに【見えた】★。
 「しかしこのフレスコを眺めてゐれば、惡魔の誘惑も恐ろしくはない。窓の前に座つた耶蘇様の御顏、その窓の外の無花果の、――おや、無花果ではなかつたかしら。」
 オルガンティノはもう一度、狼狽したややうに口を噤んだ。壁畫には彼の云つた通り、眞向になつた耶蘇の後に、細長い窓が描いてある、――その窓の外には今夜見ると、薄日の光を受けたらしい、鬱金櫻が咲いてゐるではないか? のみならず耶蘇その人の顏も、頭をめぐつた圓光の中に、何か表情が變つたやうに見えた。彼は時ためらつた後、机の上の蠟燭を取ると、そつと壁へ歩み寄つた。さうして惡どい色彩の畫面へ、丹念に眼を通して見た。
 「どうも可笑しい。このペテロの顏などは、さつきの老人によく似てゐる。が、いくらこの國の靈でも、まさかかう云ふ耶蘇樣の御姿へ、――」
 今度の變化は急激だつた。【彼】★が顏を近づけるが早いか、そのペテロは微笑しながら、こちらへ皺だらけの顏を向けた。オルガンティノは我知らず、二足三足後へ下つた、と思ふと冷や汗が、一時に背中へ流れ出した。が壁の中の人物は、微笑を浮べたペテロの外に、誰一人睫毛も動かさなかつた。
 これに勇氣を得たオルガンティノは、もう一度壁に近よると、高々と蠟燭をさし上げながら、嚴かにペテロに聲をかけた。
 「天地の御主、泥宇須の御名によつてお前に問ふ。お前は一體何ものだ?」
 すると圓光を頂いた耶蘇は、突然御經にあるやうな答を吐いた。
 「彼は我影、我は彼が光なり。」
 オルガンティノは彼自身の言葉が、冒瀆ではなかつたかと思ひ出した。が、その途端にほほ笑んだペテロが、横合ひから耶蘇へ話かけた。
 ペテロ「主よ。如何にして自らを我等には顯し、世には顯し給はざるや?」
 耶蘇「人もし我を愛さば、我言葉を守らん。我來りてその人と共に住むべし。我誠に汝等に告げん。幼子よ。我なほ少時汝等と共にあり。汝等必我を尋ねん。されど我汝等を孤子とせず。又汝等に來らん。」
 ペテロ「主よ。何處へ行き給ふや?」
 耶蘇「我行く所へは汝今從ふ事能はず。されど心に憂ふる事勿れ。我行くは汝等をも、我居る所に居らしめんとてなり。少時せば世【は】★我を見る事なし。されど汝等は我を見る【。】★我生くれば汝等も生きん。汝等安かれ。」
 十二人の弟子たち、「主よ。大日孁貴よ。我等主と共にあらん。…………」
 この言葉がまだ止まらない内に、蠟燭は火の尾を引きながら、オルガンティノの手を離れた。彼はその刹那に耶蘇の顏が、美しい女に變つてゐるのを見た。「ホザナよ。ホザナよ。大日孁貴の名によりて來るものは幸なり。いと高き所にホザナよ。」――そんな鬨の聲が闇の中に、どつと擧がつたのを聞きながら。…………

・「De Imitatione Christi」正し書名はImitatio Christi。ラテン語。邦訳すると「キリストに倣いて」の意(但し、この訳語は現代のもの)。中世ヨーロッパの修道士 Thomas a Kempis トマス・ア・ケンピスの著とされる、聖書に次いで多くのキリスト教徒に読まれている修養書。因みに夏目漱石はロンドン留学時、本書を熱心に読んでいる。芥川龍之介は「奉教人の死」の冒頭に本書からの次のような引用を行っている。
 善の道に立ち入りたらん人は、御教にこもる不可思議の甘味を覺ゆべし。
   ――(慶長譯 Imitatione Christi)――
岩波版新全集の神田由美子氏の注解によれば、「日本では『こんてむつすむんぢ』として一五九六年に天草で訳本が出版」されている旨、記載があり、この引用はそれである。一五九六年は慶長元年。この年の十二月十九日(グレゴリオ暦一五九七年二月五日)には長崎で二十六聖人が殉教した。
・「最後の晩餐の圖を描いた、色どりの拙いフレスコ」芥川がイメージしたのは、その窓のディスクリプションからレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵の構図に近いもの(但し、背後の窓はもっと大きく近い)であるようにも思われる。
・「イエロニモ上人の金言」「イエロニモ上人」はEusebius Sophronius Hieronymus 聖ヒエロニムス(三四〇年頃~四二〇年頃)のこと。聖人にして聖書学者。クロアチア出身。ローマやコンスタンチノープルなどで学び、荒野で修行後、ベツレヘムにて修道院を創設した。永くカトリックの正統訳聖書とされた「ウルガータ」訳聖書の訳者でもある。「忙はしければ惡魔來らず。努めて忙はしきをこひ願ふべし。」はかなり知られたヒエロニムスの名言であるらしい。ネット上にも見出せる。現代語訳するなら「常に仕事に打ち込んで忙しくしていれば悪魔がつけ入る隙はなくなってやっては来ぬ。ひたすら忙しく仕事をすることを冀うがよい。」という意。聖ヒエロニムスは禁欲・節制・勤勉を第一の徳目とした厳格な人物であった。
・「アントニオ上人の御傳記の中には、天主の御教に從つた半人半馬神の話がある」聖アントニウスは九十歳の折り、夢で天使から彼よりも勝れた隠者がいると告げられ、その百十三歳になるという隠遁者聖パウロスを訪ねる旅に出た。途中、Centaurus ケンタウルス(ギリシア神話の怪物。馬の首から上が人間の上半身となった「半人半馬」の邪神)とSatyrus サテュロス(ケンタウルスと同じくギリシア神話の「半人半馬」の邪神で、人間の胴体から下が獣の後足の怪物。パン神と同一視されたり、同体のバッカスの従者とされたりする)狼に導かれて聖パウロスの隠れ家に辿り着き、遂に逢うことが出来たという伝承に基づく(別れた直後、パウロスは天界へと昇天する)。
・「臥亞ゴアの本山」インド西部の交易都市。一五一〇年にビージャープル王国からポルトガルが接取、当用貿易の中継地・拠点地として栄え、首都リスボンと同格の扱いであった。当時ここには、イエズス会の東洋本部が置かれていたが、オルガンティノはそれを本山と呼んでいるのである。
・「鬱金櫻」バラ目バラ科サクラ属ウコン
Cerasus lannesiana 'Grandiflora'。通称ウコンザクラは桜の栽培品種の一つ。花の色が淡黄色で、数百ある桜の品種の内でも唯一の黄色花である。大輪の八重咲き。
・「ペテロ」十二使徒の筆頭使徒。通常の「最期の晩餐」ではキリストの右手(向かって左)に着座する(ダ・ヴィンチのそれでは異なり、女性化させたヨハネ、その横に裏切り者を刺さんとナイフを持ったペテロを配してある)。
・『ペテロ「主よ。如何にして自らを我等には顯し、世には顯し給はざるや?」』これは新約聖書「ヨハネによる福音書」の十四章二十二節に基づく。この前の十三章からこの十四章が正に「最期の晩餐」のシークエンスなのである。但し、これはペテロの台詞ではない。ヤコブの子ユダ(イエスを売ったイスカリオテのユダとは別人)の問いである。「最期の晩餐」の該当箇所を引用しておく(この後も芥川は本部分から多くを用いて台詞を再構成している。芥川が用いた台詞の前に★印を配して後ろを一行空けて際立たせておいた。底本は日本聖書協会の「口語 新約聖書」一九五四年刊)を用いた)。

   ヨハネによる福音書 第十三章

1 過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
2 夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、
3 イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、
4夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
5 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
6 こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。
7 イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。
8 ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。
9 シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。
10 イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。
11 イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言われたのである。
12 こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。
13 あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。
14 しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。
15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。
16 よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。
17 もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。
18 あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖書は成就されなければならない。
19 そのことがまだ起らない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起ったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである。
20 よくよくあなたがたに言っておく。わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである」。
21 イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
22 弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。
23 弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
24 そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。
25 その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、
26 イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
27 この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。
28 席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
29 ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。
30 ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。
31 さて、彼が出て行くと、イエスは言われた、「今や人の子は栄光を受けた。神もまた彼によって栄光をお受けになった。
32 彼によって栄光をお受けになったのなら、神ご自身も彼に栄光をお授けになるであろう。すぐにもお授けになるであろう。

33 子たちよ、わたしはまだしばらく、あなたがたと一緒にいる。あなたがたはわたしを捜すだろうが、すでにユダヤ人たちに言ったとおり、今あなたがたにも言う、『あなたがたはわたしの行く所に来ることはできない』。


34 わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

35 互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。

36 シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。

37 ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。
38 イエスは答えられた、「わたしのために命を捨てると言うのか。よくよくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」。

   ヨハネによる福音書 第十四章


1 あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。

2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。

3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。

4 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。
5 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
7 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。
8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
10 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。
11 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
12 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。
13 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。
14 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。
15 もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。
16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。

19 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

20 その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
21 わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。

22 イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」。

23 イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。

24 わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。
25 これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。
26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
28 『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
29 今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。
30 わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。
31 しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

・『耶蘇「人もし我を愛さば、我言葉を守らん。我來りてその人と共に住むべし。我誠に汝等に告げん。幼子よ。我なほ少時汝等と共にあり。汝等必我を尋ねん。されど我汝等を孤子(こじ)とせず。又汝等に來らん。」』これはやはり「ヨハネによる福音書」の「最期の晩餐」パートでの三箇所のイエスの言葉を自由に組み合わせている。一前と後ろは前注に示した十四章二十三節と同十八節で、中間部に第十三章三十三節の後半をカットして挟み込んでいるため、やや意味が取りにくくなってしまっている。

(23)イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。(33)子たちよ、わたしはまだしばらく、あなたがたと一緒にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。(18)わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。

・『ペテロ「主よ。何處へ行き給ふや?」』同じく十三章三十六節の冒頭部。Quo vadis, Domine「クォ・ヴァディス?」として人口に膾炙する「主よ、何処(いずこ)へ?」である。

36 シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。

因みに、これへのイエスの答えは、

イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」。

であった。

・『耶蘇「我行く所へは汝今從ふ事能はず。されど心に憂ふる事勿れ。我行くは汝等をも、我居る所に居らしめんとてなり。少時せば世を我を見る事なし。されど汝等は我を見る我生くれば汝等も生きん。汝等安かれ。」』同じく前注の十四章三十六節の答えの部分及び十四章一節の冒頭、さらに三節及び十九節を巧みに接合した台詞である。但し、後掲するように「少時せば世を我を見る事なし」の部分、係助詞「は」とすべきところを格助詞の「を」で誤ったために一見難解に見えてしまう感がある。

(36)イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう。(1)あなたがたは、心を騒がせないがよい。(3)そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。(19)もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

・「ホザナよ。ホザナよ。大日孁貴の名によりて來るものは幸なり。いと高き所にホザナよ。」これは「マタイによる福音書」の二十一章九節を元にしている。新全集注解で神田由美子氏は『ホザナ(ホサナ)はヘブル語で神に救いを求める短い祈りの言葉』と解説され、同節について『「棕櫚の聖日」の記事の中で、群集が棕櫚の枝を振ってキリストを讃えた言葉』であり、『本文の表現はこれに基づいている』と述べられておられる。芥川が言及する「無花果」も登場するので、以下、同二十一章前半部を引用しておく(芥川が用いた台詞の前に★印を配して後ろを一行空けて際立たせておいた。底本は日本聖書協会の「口語 新約聖書」一九五四年刊)を用いた)。

   マタイによる福音書 二十一章

1 さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、
2 「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。
3 もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。
4 こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。
5 すなわち、
「シオンの娘に告げよ、
見よ、あなたの王がおいでになる、
柔和なおかたで、
ろばに乗って、
くびきを負うろばの子に乗って」。
6 弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、
7 ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。
8 群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。

9 そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、
「ダビデの子に、ホサナ。
主の御名によってきたる者に、祝福あれ。
いと高き所に、ホサナ」。

10 イエスがエルサレムにはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、「これは、いったい、どなただろう」と言った。
11 そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。
12 それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。
13 そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。
14 そのとき宮の庭で、盲人や足なえがみもとにきたので、彼らをおいやしになった。
15 しかし、祭司長、律法学者たちは、イエスがなされた不思議なわざを見、また宮の庭で「ダビデの子に、ホサナ」と叫んでいる子供たちを見て立腹し、
16 イエスに言った、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」。イエスは彼らに言われた、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」。
17 それから、イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこで夜を過ごされた。
18 朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。
19 そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
20 弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。
21 イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。
22 また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。

・「甲比丹カピタン」kapiteinオランダ語(ポルトガル語ではcapitão)。原義は(オランダ船・ポルトガル船の)船長。艦隊長。後の江戸時代には長崎のオランダ商館長を指した。定期的に江戸へ上り、将軍に拝謁、舶来品を献上した。
・「日傘をさしかけた黑ん坊の子供」これはかなり知られた南蛮人渡来図の一枚で、私も見たことがある。「阿蘭陀人及び黒人坊の図」はしばしば画題として選ばれ、丸山遊廓などの遊女も配して描かれた。
・「我々の黑船の石火矢いしびやの音」「石火矢」は江戸初期に西洋から伝来した大砲の和名。ここでは言わずもがな、作者芥川龍之介自身が楽屋落ちで出て来て(これは恐らくデウス・エクス・マキナのブラック・パロディである)、オルガンティノに話しかけている。従って、この「我々」は執筆当時の日本人であり、その「黑船」とは日本海軍の巨砲を備えた軍艦群――「ぼんやりとした不安」の中に幻視予言した、ジャーナリスト芥川の忌まわしい――巨砲巨艦主義の軍靴の音――第二次世界大戦への予感の影ではなかったか?――

「神々の微笑」やぶちゃん注 終