定本芝不器男句集 やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇へ
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定本芝不器男句集


空の光りの湯の面にありぬ二月風呂

軒かげに春雪あそぶしづかかな

下萌のいたく踏まれて御開帳

巣鴉や春日に出ては翔ちもどり

畑打や影まねびゐる向ふ山

汽車見えてやがて失せたる田打かな

永き日のにはとり柵を越えにけり

椿落ちて虻鳴き出づる曇りかな

椿落ちて色うしなひぬたちどころ

白浪を一度かゝげぬ海霞

御燈のうへした暗し涅槃像

川淀や夕づきがたき楓の芽

さゝがにの壁に凝る夜や彌生盡

山燒くやひそめきいでし傍の山

春愁や草の柔毛のいちしるく

乞食のめをとあがるや花の山

三椏のはなやぎ咲けるうらゝかな

村の燈のまうへ山ある蛙かな

まながひに靑空落つる茅花かな

たはやすく晝月消えし茅花かな

人入つて門のこりたる暮春かな

町空のくらき氷雨や白魚賣

串竹にきしりてもげし目刺かな

針山も紅絹うつろへる供養かな

研ぎあげて干す鉞や雪解宿

春淺し小白き灰に燠つくり

草餅や野川にながす袂草

野霞のこぼす小雨や蓬摘

この奥に暮るゝ峽ある柳かな

まのあたり天降りし蝶や櫻草

山守のいこふ御墓や花ぐもり

前山の吹きどよみゐる霞かな

鳥の巣やそこらあたりの小竹の風

水流れきて流れゆく田打かな

石楠花にいづべの月や櫻狩

うまや路や鶯なける馬醉木山

うまや路の春惜しみぬる門邊かな

行春や宿場はづれの松の月

卒業の兄と來てゐる堤かな

うまや路や松のはろかに狂ひ凧

春の雷鯉は苔被て老いにけり

春雪や學期も末の苜蓿

奥津城に犬を葬る二月かな

蘗に杣が薪棚荒れにけり

古雪や花ざかりなる林檎園

早春や鶺鴒きたる林檎園

機窓や打たるゝ蝶のふためき來

飼屋の燈母屋の闇と更けゆきぬ

ふるさとや石垣齒朶に春の月

松籟にまどろむもある遍路かな

中二階くだりて炊ぐ遍路かな

鞦韆の月に散じぬ同窓會

森かけてうちかすみたる門邊かな

遍路宿泥しぶきたる行燈かな

風早の檜原となりぬ夕霞

畑打に沼の浮洲のあそぶなり

杉山の杉籬づくり花ぐもり

板橋や春もふけゆく水あかり

落椿獨木橋搖る子はしらず

白藤や搖りやみしかばうすみどり

麥車馬におくれて動き出づ

向日葵の蕋を見るとき海消えし

滝音の息づきのひまや蝉時雨

山が門や照れば遠退く秋の嶺呂

樺の中くしくも明き夕立かな

枯山を斷つ崩え跡や夕立雲

蓬生に土けぶり立つ夕立かな

山霧や黄土と匂ひて花あやめ

隠沼は椴に亡びぬ閑古鳥

虚國の尻無川や夏霞

郭公や國の眞洞は夕茜

風鈴の空は荒星ばかりかな

ころぶすや蜂腰なる夏瘦女

うまや路や麥の黑穗の踏まれたる

桑の實や馬車の通ひ路行きしかば

産土神に燈あがれる若葉かな

扇風機まはれる茶の間ぬけにけり

大雨となりゐし眞夜の蚊帳かな

南風の蟻吹きこぼす疊かな

南風や生れつ失せつ蟻の城

にごり江を鎖す水泡や雲の峰

井にとゞく釣瓶の音や夏木立

澤の邊に童と居りて蜘蛛合

朝ぼらけ水隠る螢飛びにけり

籬根をくゞりそめたり田植水

大雨に鏡も濡れし田植かな

月雲をいづれば燃ゆる蚊遣かな

桑原に登校舟つく出水かな

干かやに睡たき蛇の來りけり

泳ぎ女の葛隠るまで羞ぢらひぬ

さきだてる鵞鳥踏まじと歸省かな

岩水の朱きが湧けり餘花の宮

花うばらふたゝび堰にめぐり合ふ

山の蚊の縞あきらかや嗽

山靑しかへるでの花ちりみだり

楓のしゞの垂花いつかなし

苔の雨かへるでの花いづこゆか

新涼の家こぼち焚く煙かな

新涼に山芋賣りの來りけり

りんだうや時たまゆれて松落葉

柿もぐや殊にもろ手の山落暉

摺り溜る籾掻くことや子供の手

新藁や永劫太き納屋の梁

蓑蟲の鳥啄ばまぬいのちかな

紅葉山の忽然生みし童女かな

夜長さを衝きあたり消えし婢かな

川蟹のしろきむくろや秋磧

泥濘におどろが影やきりぎりす

浸りゐて水馴れぬ葛やけさの秋

ふるさとを去ぬ日來向ふ芙蓉かな

渡燈のまざまざありし朝州かな

ひねもすの山垣曇り稻の花

稻原の吹きしらけゐる墓參かな

うちまもる母のまろ寐や法師蝉

脛立てて寢る母秋のかや越しに

[やぶちゃん注:「※」=「巾」+「厨」であるが、正しくは「幮 」である。]

ひやゝかや黍も爆ぜゐる夕まうけ

秋の夜やつづるほころび且つほぐれ

高樓の乙女ぞしらね小花火師

あなたなる夜雨の葛のあなたかな

秋ゆくと照りこぞりけり裏の山

薪積みしあとのひそ音や秋日和

秋晴やあえかの葛を馬の標

牧牛にながめられたる狹霧かな

つゆじもに冷えし通草も山路かな

あちこちの祠まつりや露の秋

わかものの妻問ひ更けぬ露の村

鮎落ちて水もめぐらぬ巖かな

籾磨や遠くなりゆく小夜嵐

はばかりてすがる十字架や夜半の秋

蜻蛉やいま起つ賤も夕日中

夕されば戸々の竃火や啄木鳥

ゆく秋を乙女さびせり坊が妻

落栗やなにかと言へばすぐ谺

墓の門に塵取かゝる盆會かな

よべの雨閾ぬらしぬ靈祭

石塊ののりし鳥居や法師蝉

窓の外にゐる山彦や夜學校

みじろぎにきしむ木椅子や秋日和

ふるさとの幾山垣やけさの秋

沈む日のたまゆら靑し落穗狩

溝川に古花ながす墓參かな

溝川に花篩ひけり墓詣

鵙來啼く榛にそこはか雕りにけり

つゆじもに冷えてはぬるむ通草かな

枯れつゝも草穗みのりぬ蝶の秋

學生の一泊行や露の秋

古町の路くさぐさや秋の暮

栗山の空谿ふかきところかな

鴉はや啞々とゐるなり菌狩

岨に向く片町古りぬ菊の秋

風ふけば蠅とだゆなり菊の宿

落鮎や空山崩えてよどみたり

坐礁船そのまゝ曉けぬ蜜柑山

蜜柑山警察船の着きにけり

桔梗や褥干すまの日南ぼこ

蝉時雨つくつく法師きこえそめぬ

蜻蛉や秀嶺の雲は常なけれ

秋の夜の影繪をうつす褥かな

銀杏にちりぢりの空暮れにけり

秋の日をとづる碧玉數しらず

かの窓のかの夜長星ひかりいづ

夜長星窓うつりしてきらびやか

野分してしづかにも熱いでにけり

鴨うてばとみに匂ひぬ水邊草

野路こゝにあつまる欅落葉かな

落葉すやこの頃燈す虚空藏

枯野行くや山浮き沈む路の涯

枝つゞきて靑空に入る枯木かな

枯木宿はたして犬に吠えられし

風立ちて星消え失せし枯木かな

水のめば葱のにほひや小料亭

冬ごもり未だにわれぬ松の瘤

日昃るやねむる山より街道ヘ

北風やあをぞらながら暮れはてて

炭出すやさし入る日すぢ汚しつつ

八つどきの助炭に日さす時雨かな

枯野はや暮るゝ蔀をおろしけり

凩や倒れざまにも三つ星座

桐の實の鳴りいでにけり冬構

凩に菊こそ映ゆれ田居邊り

大年やころほひわかぬ燠くづれ

大年やおのづからなる梁響

寒聲や高誦のまゝの朝ぼらけ

旭にあうてみだれ衣や寒ざらへ

古草のそめきぞめきや雪間谷

空洞木に生かしおく火や年木樵

ぬば玉の寢屋かいまみぬ嫁が君

繭玉に寢がての腕あげにけり

谷水を撒きてしづむるとんどかな

寒鴉己が影の上におりたちぬ

茶の花や畚の乳子に月あかり

梟の目じろぎいでぬ年木樵

燦爛と波荒るゝなり浮寢鳥

團欒にも倦みけん木菟をまねびけり

松過や織りかけ機の左右に風

筆始歌仙ひそめくけしきかな

一片のパセリ掃かるゝ暖爐かな

大舷の窓被ふある暖爐かな

ストーブや黑奴給仕の錢ボタン