篠原鳳作句集 やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇へ
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篠原鳳作句集
[やぶちゃん注:底本は筑摩書房「現代日本文学全集 巻九十一 現代俳句集」一九六七年刊の「篠原鳳作集」を用いた。]

 雲彦時代(昭和六年より同九年十月迄)

花葛や巖におかれし願狐

冬山や木の根岩根の願狐

濱木綿に流人の墓の小さゝよ

飲食のもの音もなき安居寺

うるはしき入水圖あり月照忌

夜々白く厠の月のありにけり

寄生木の影もはつきり冬木影

極月や榕樹のもとの古着市

麻衣がわりがわりと琉球女

天津日に舞ひよどみゐる鷹の群

 
クリスマス

漂泊の露人とクリスマスをいとなむ

ガチヤガチヤの鳴く夜を以てクリスマス

手づくりの蠟燭たてやクリスマス

聖誕祭かたゐは門にうづくまる

一堂にこもらふ息やクリスマス

マドロスに聖誕祭のちまたかな


 パナマ編み

   パナマ編みは濕氣を要し南洋にては月明の夜、

   沖繩にては洞窟にて編む。水の滴るくらがりにて

   パナマ編む男女あはれなり。

木洩れ日の徑をしくればパナマ編み

かんざしのぬけなんとしてパナマ編み

パナマ編む顏のゆがめる男女かな

筵戸をすこしかゝげてパナマ編み

岩窟にともりゐる灯はパナマ編み


 琉球風物詩 二十句

大空の春さきにけり椰子の花

椰子の花こぼるゝ土に伏し祈る

琉球のいろかは赤し椰子の花

炎帝につかへてメロン作りかな

よぢのぼる木肌つめたしマンゴ採り

龍舌蘭トンビャンの花刈るなかれ御墓守

笛吹けるおとがひほそきひひなかな

蛇味線に夜やり日やりのはだか哉

豚小屋に潮のとびくる野分かな

靑空に飽きて向日葵垂れにけり

向日葵の垂れしうなじは祈るかに

向日葵に暗き人波とほりゆく

くり舟の上の逢瀨は月のまへ

干ふんどしへんぽんとして午睡かな

煙よけの眼鏡ゆゝしや鰹焚き

颱風に倒れし芭蕉海にやる

秋燕を掌に拾ひ來ぬ蜑が子は

飛魚をながめあかざる涼みかな

サボテンの人を捕らんとはたがれる

サボテンの指のさきざき花垂れぬ

   *   *   *

月靑しかたき眠りのあぶれもの

月靑し寢顏あちむきこちむきに

夜もすがら噴水唄ふ芝生かな

なにはづの夜空はあかき外寢かな

天翔るハタハタのを掌にとらな

秋天に投げてハタハタ放ちけり

ハタハタの溺れてプール夏逝きぬ

颱風や守宮は常の壁を守り

颱風や守宮のまなこ澄める夜を

冬木影しづけき方へ車道みちわたる

冬木影戞々かつかつふんで學徒來る

冬木影解剖の部屋にさしてゐる

おでん食ふよ轟くガード頭の上

大空の風を裂きゐる冬木あり

冬木空時計のかほの白堊あり

冬木空大きくきざむ時計あり

氷上へひゞくばかりのピアノ彈く

雪晴のひかりあまねし製圖室

ふるぼけしセロ一丁の僕の冬

颱風をよろこぶ血あり我がうちに

靑麥の穗のするどさよ日は白く

麥秋の丘は炎帝たゝらふむ

トマトーの紅昏れて海昏れず

灼つ土にしづくたりつゝトマト食ふ

月靑く新聞紙かみをしとねのあぶれもの

ルンペンの寢に噴水の奏でけり

ルンペンの早きうまいに夜霧ふる

ルンペンに今宵のベンチありやなし

向日葵の照るにもおぢてみごもりぬ

枕邊に苺咲かせてみごもりぬ

夕立ゆだちのみけて向日葵とどまれる

向日葵は實となり實となり陽は老いぬ

向日葵と蝉のしらべに山羊生れぬ

向日葵の向きかはりゆく靑嶺あをねかな

向日葵の日を奪はんと雲走る

一碧の水平線へ籐寢椅子

波のりの白き疲れによこたはる

波のりの深き疲れにも白く

海燒の手足と我とひるねざめ


 海の旅 五句

滿天の星に旅ゆくマストあり

しんしんと肺碧きまで海のたび

幾日いくかはも靑うなばらの圓心に

船室に水平線のあらきシーソー

甲板と水平線とのあらきシーソー

   *   *   *

月のかげ塑像の線をながめゐる

月光のおもたからずや長き髮

そゝぎゐる月の光の音ありや




 鳳作時代(昭和九年十二月より同十一年九月迄)

稻妻のあをき翼ぞ玻璃打てる

稻妻のおほき翼ぞ嶺を打てる

闇涼し蒼き舞臺のまはる時

鐡骨に夜々の星座の形正し

紺靑の空と觸れゐて日向ぼこ

手に足に靑空染むと日向ぼこ

莨持つ指の冬陽をたのしめり

一碧の空に横たふ日向ぼこ

新刊と秋の空あり莨吹く

除夜たぬし警笛とほく更くるとき (ダンスホール)

廻轉椅子くるりくるりと除夜ふくる (理髮師)

年あけぬネオンサインのなきがらに

いぶせき陽落つとネオンはなかぞらに

氷雨する空へネオンの咲きのぼる

凍て空にネオンの塔は畫きやまず

晝深きネオンのからにしぐれゐる

凍て空にネオンの蛇のつるつると

くれなゐの頬のつめたさぞ唇づくる

そのゑくぼ吸ひもきえよと唇づくる

くちづくるときひたすらに眉長き

くちづくるとき汝が眉のまろきかな

樂澄めり椰子の端葉みづはは影かざし

樂きくと影繪の如き國にあり

デスマスク蒼くうかめり樂澄めば


 高層建設のうた 十句

蒼穹にまなこつかれて鋲打てる

一塊の光線ひかりとなりて働けり

鋲を打つ音日輪をくもらしぬ

鳴りひゞく鐡骨の上を脚わたる

鐡骨の影の碁盤をトロ走る

鐡はこぶ人の軆臭にほひのゆきかへる

たくましき光にめしひ鐡はこぶ

鐡骨の影切るつちに坐して食ふ

靑空ゆ下り來し顏が梅干うめはめり

疲れたる瞳に靑空の綾もゆる


 港の唄

起重機の豪音蒼穹そらをくづすべく

起重機の巨軀靑空を壓しめぐる

起重機にものませゐる人小さき

起重機の旋囘我も蒼穹もなく


 ルンペン晩餐圖

ルンペンとすだまと群れて犬裂ける

ルンペンの唇の微光ぞ闇に動く

ルンペンのうたげの空の星一つ

ルンペンを彼の犬の血のぬくめけむ

血ぬれたるルンペンの手が睡りゐる

   *   *   *

昇降機吸はれゆきたるあなにほふ

昇降機吸われし闇のむらさきに

昇降機うなじの線のこみあへる

昇降機脚にまつはる吾が子呂と


 海の旅 五句

   ―海を旅ゆくは夜々の我が夢なり―

旅ゆくと白き塑像の荷をつくり

白たへの塑像いだきて海の旅

口笛を吹けども鷗らざりき

し海の碧さに身を細り

碧空に鋭聲とごえつゞりてゆく鳥よ

   *   *   *

樂たのしゆるマンゴの香もありて

はやはねに眼のある蛾も來り

樂の音の瀧なしふるにゴム靑し

樂きけり白蛾はほそき肢に堪へ

サボテンの掌の向きむきに樂たのし

あじさゐの花よりたゆくみごもりぬ

身ごもりしうれひは唇をあをくせる

白粥の香も近づけず身ごもりし

身ごもりしうれひの髮はほそく結ふ

あじさゐのまりより侏儒よ驅けて出よ (薄暮の曲)


 珊瑚島

いもとあがをれば來鳴きぬ鴎等も

鴎等はかむ代の鳥かかく白き

碧玉のそらうつつばさかく白き

よるべなき聲は虚空に響かへり

吾妹子のいのちにひゞきさは鳴きそ

日輪をこぼるゝ蜂の芥子げしにあり

白芥子の妬心まひるの陽にこゞる

芥子咲けば碧き空さへ病みぬべし

ゆゑしらぬ病熱ねつは芥子よりくると思ふ

芥子燃えぬピアノの音のたぎつへに

わたの日を率てめぐりゐる花一つ

向日葵の黄に堪へがたく鷄つるむ

草灼くる匂みだして鷄つるむ

いちじくの實にぞのぞかれ鷄つるむ

わだつみの邊に向日葵の黄ぞ沸し

噴煙の吹きもたふれず鷹澄める

噴煙にいざよふ如き日のあはれ

噴煙を知らねば海豚群れ遊ぶ

噴煙の夜はあかければ鳴く千鳥

行く秋の噴煙そらにほしいまゝ


 燈臺守よ 五句

大空の一角にして白き部屋よ

浪音にあらがふいのち鬚髯ひげ白く

この椅子にぬくみ與へて老いにける

晝ふかき星も見ゆべし侘ぶるとき

波音にまろ寢の魂を洗はるゝ

   *   *   *

海神のいつくしき邊に巣ごもりぬ

れぬ眞日のにほひのかなしきを

海光のつよきに觸れて雛鳴けり

雛の眼に夜はしほざゐの響きけむ

雛の眼に海の碧さの映りゐる

月光のすだくにまろきひとのはだ

セロ彈けば月の光のうづたかし

月光のうづくに堪へず魚はねぬ


 時空

月光のこの一點に小さき存在われ

ひとひらの月光つきより小さき我と思ふ

一掬のこの月光の石となれ

めつむれば我が黑髮も月光となる

「考ふる葦」のうつしみ月光にあり

よきひげもチョークまみれのピエロ我 (自嘲)

晴れし日も四角な部屋にピエロ我

口笛を吹くもしかりてピエロ我

いかりては舌のかわきつピエロ我

採點簿いつもはなたずピエロ我

月光のどほりゆけば胎動を

泣きぼぐろしるけく妻よみごもりぬ

みごもりし瞳のぬくみ我をはなたず

をさなけく母となりゆく瞳のくもり

爪紅のうすれゆきつゝみごもりぬ


 喜多靑子を憶ふ

三角のグラスに靑子海を思ふ

耳たぶの血色ぞすきて瞑想す

咳き入りて咳き入りてのうつくしき

氷雨よりさみしき音の血がかよふ

半生をさゝへきし手の爪冷えぬ

詩に痩せてかさもなかりし白きから

風を追ひ霰を追ひて魂翔けぬ

   註 喜多靑子は日野草城門下の秀才たり

 映畫「家なき兒」 五句

靑麥の穗はかぎろへど母いづこ

陽炎にははのまなざしあるごとし

碧空に冬木しはぶくこともせず

餓ゑし瞳に雪の白さがふりやまぬ

母求めぬ雪のひかりにめしひつゝ

   *   *   *

罪業の血のうつくしさ炭火に垂らす (自己加虐)

ふつふつと血を吸ふ炭火さはやかに

自畫像の靑きいびつの夜ぞ更けぬ

 老父昇天 五句

   ―父八十二歳にして昇天す―

一握り雪をとりこよ食ぶと云ふ

稚き日の雪の降れゝば雪を食べ

神去りしまなぶたいまだやはらかに

雪天ゆきぞらにくろき柩とその子われ

黑髮も雪になびけてわれ泣かす

 ***

夕刊の鈴より都霧きりのわくごとき

吊革にさがれば父のなきおのれ

ほしいまゝおのれをなげく時もなく

「疲れたり故に我在り」と思う瞬間とき

我も亦ラッシュアワーのうたかたか

我が机ひかり憂ふる壁のもと

夜となれば神祕のすがめ灯る壁

くしけずる君が歎きのこもる壁

古き代のじ呪文の釘のきしむ壁

くらき壁夜々のまぼろし刻むべく


 赤ん坊 Ⅰ

にぎりしめにぎりしめし掌に何もなき

睡りゐるその掌のちさゝ吾がめづる

赤ん坊を泣かしておくべく靑きたゝみ

泣きじやくる赤ん坊薊の花になれ

赤ん坊のあうらまつかに泣きじやくる


 Ⅱ

太陽に襁褓かゝげて我が家とす (移轉)

赤ん坊を移しては掃く風の二間

指しやぶる音すきすきと白き蚊帳

目覺さめては涼風をける足まろし

太陽と赤ん坊のものひらりひらり


 Ⅲ

赤ん坊にゴム靴にほふ父歸る

かはほりは月夜の襁褓嗅ぎました

みどり子のにほひ月よりふと白し


 Ⅳ

指しやぶるのしづけさに蚊帳垂るる

吾子あこたのし涼風をけり母をけり

涼風のまろぶによろしつぶら吾が子

涙せで泣きじやくる子は誰のさが

蟻よバラを登りつめても陽が遠い

天地あめつちにす枯れ葵と我瘦せぬ (病中)

夏瘦せの胸のほくろとまろねする


篠原鳳作句集 完