畑耕一句集 蜘蛛うごく 附やぶちゃん注

やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇へ
HP 鬼火へ

畑耕一句集 蜘蛛うごく 附やぶちゃん注


[表紙・背・裏表紙]


[やぶちゃん注:まず、畑耕一の履歴を示す。
畑耕一(明治一九(一八八六)年~昭和三二(一九五七)年)
この生年については、過去の多くの記載が明治二九(一八九六)とするのは完全な誤りであることをここに明記しておく。これは平成二三(二〇一一)年、広島市立中央図書館石田浩子氏の『「畑耕一文学資料展」を開催して』によって明らかにされた驚天動地の新事実である。以下、主にそれを参照して事蹟を示す。
 広島生。小説家・評論家・劇作家・俳人にして新聞人・映画人・演劇人。幻想文学作家。
俳号、蜘盞子ちさんし。ペンネームは汝庵・多蛾谷素一など。東京日々新聞学芸部長(志賀直哉「暗夜行路」発表に関わるエピソードに登場)・松竹キネマ企画部長(笠智衆を始めとする多く俳優を育てる)国民新聞学芸部長・明治大学教授・日本大学講師など(講義は映画・演劇・ジャーナリズム論)。
 大正二(一九一三)年、『三田文学』の「怪談」で文壇デビュー、続けて同誌に「淵」(大正三(一九一四)年)「道頓堀」(大正五(一九一六)年)などの耽美的作品を発表、その後新聞・演劇・映画の実務を熟しながら批評・随筆・戯曲・小説・作詞といった多彩な文筆活動を行う。昭和三(一九二八)年ヒット曲「浅草行進曲」は彼の多蛾谷素一名義の作詞になる。昭和一五(一九四〇)年、全ての職を辞し、作家生活に入り、創作に専念する生活を選ぶ。この時、眼前の大東亜戦争の端緒たるものという認識のもと、日清戦争の銃後史を描いた「広島大本営」(昭和一八(一九四三)年)は、畑の作品中でも特異な代表作の一つとされる。戦後は児童文学や評伝などを書いたが、昭和三二(一九五七)年十月六日、広島赤十字病院で胃癌のため逝去した。享年七十一歳(今までは六十一と考えられていたのは驚くべき錯誤である)。先に掲げた石田浩子氏の論文によれば『畑が亡くなった日の毎日新聞には、「ベッドの上でいろいろ考えたことがあるので、こんど退院したら〝ヒロシマ〟という題で小説と随筆の中間のようなものを書きたいと思う」と、病床で語ったコラムが掲載された』とある。
 「別冊 幻想文学 日本幻想作家名鑑」(幻想文学出版局一九九一年刊)には、耕一は処女作である「怪談」で、『怪奇趣味に魅せられて内外の文献を読み漁る青年の姿を活写しているが、これは作者自身の自画像と考えてよいだろう。特に英文学方面の造詣には注目すべきものがあり』(これは石田氏の論にも詳しく、晩年に於いても、M・R・ジェームズ作品集の翻訳・出版に向けて精力を傾けていた事実が記されている)、『随筆集「ラクダのコブ」』(大正一五(一九二六)年)『所収の「新怪奇劇と映画」では、いちはやく映画における怪奇表現という問題に触れても』おり、『怪奇趣味のディレッタントとしての耕一の業績には改めて光があてられてしかるべきだろう』とある。
 出版社思文閣の資料などによれば、耕一は若き頃より詩文にも長じ、『明星』や『ホトトギス』などにも投稿、大正一五(一九二六)年、結社「十六夜会」(俳誌『藁筆』)で句作、後に俳誌『ゆく春』『海蝶』などに参加している(「怪談」のリンク先は私の注釈附電子テクスト)。
 本テクストはその彼の「畑耕一句集 蜘蛛うごく」(序文北原白秋)の完全テクスト化である。私の所持する昭和一六(一九四一)年二月一五日交蘭社発行の原本を底本とした(因みにこれは、今から十年程前、神田の田村書店の棚の隅に埃まみれになって押し込まれてあったものを、驚くべき安さで――確か三千円代であったと記憶する――入手したものである)。各句はやや多きな活字であるが、本ポイントと同じにした。各句の前書きも句よりポイント落ちであるが同ポイントとした。一部の語句に禁欲的に(これは私の嫌悪する歳時記的注記は極力避け、私にとってやや不明な語句やマニアックにディグしたい語句に限定したという意味である)私の注を附した。藪野直史【二〇一二年一二月七日】]


[扉:自筆墨句]


 寒牡丹
 とほき雲より眼を移す
      蜘盞子 (落款)


[やぶちゃん注:大谷碧雲居作(後掲「小記」参照)の落款は「耕」。裏の墨の滲みや後掲「小記の内容からみても、これは印刷ではなく、畑耕一の肉筆実印である。「蜘盞子」は畑耕一の俳号の一つ。「チセンシ」と読むか。「盞」は音「セン・サン」訓「うき」で、盃の意。]


[標題紙:装幀画にも「耕」の落款があるので畑耕一画である。牡丹の花であろう。下に装幀画部分を拡大したものを附しておく。]



[装幀画(拡大・補正)]


      
言  葉
             
     北 原 白 秋

 蜘昧うごく。

 この一卷の中から感知されるものは、寧ろ本體そのものにあらずして、その動きの速度や投影の妖かしにある。
    壁 上 の 蜘 蛛 う ご く と き 大 い な る
 又、
    燈 を ま と も す ば や き 蜘 蛛 と し て 構 ふ
 この蜘蛛、おそらくは爛々と兩の眼を輝かしてゐやうが、人ならば洋風の一すばしこい身のこなし、細みといふものが、近代のスマートな都會生活者を思はせる。而も深夜向うむきに跼んで、酸素溶接でもしてゐさうである。
 私は句を作らないから押して云ふのは憚られるが、天爾速波といふリベツトの打ち方に些かの緩るみがありはしないか。しかしながら、その速度の投影のすばやさは、さながらシネマ風景のそれであつて、また人事は戲曲の一齣の個處々々を巧みに切りとつて映畫としてゐる。たとへ人事を主にしたものでなくとも、動物にまれ、植働にまれ、時候にまれ、天文・地理にまれ、いづれにしても主役たる人の詩情や體臭や擧作、隨時の心理の波動といふものが纏りついてゐないことはない。鮮やかな知性に加へて、江戸派を昭和の色に替へたやうな都雅性もあり、洒落、快笑、機才に混へたある種の不逞、禍を齎らさぬ程の微苦笑、轉身の巧智等々々、時としてポケツトの時計に香水の香も染ませ、齦のねばりも口に含ませてゐる。かと思ふと、ほのぼのとした新幽玄の匂もあり、俳趣らしい閑寂昧もある。本來の寫生ではないと云ひながら寫生もしてゐる。かう云つた種々相を通じて、成程と思はせるものは、それはやり畑耕一といふ今の人の句だといふことである。一と筋繩ではない。この蜘蛛の手八本で、ことごとくに動いてゐる。
 さてこの人、二十幾年かの昔に、「寶惠籠」といふ浪花風流の名調子で、その手だれは私を驚かしたが、右の後その一囃子だけで、ぱつたりと詩は止めで了つた。東都はお茶の水、晩涼の空の蒼みに白いアパートの稜線、その人の棲む四角の窓を仰ぎ見ては、なぞらへた 「煙突雀」の童謠を私から贈つたことも、また思ひ出はあの頃の夢になつた。
 句集を編むから序文を書けといふ君であるゆゑ書かしてはもらつた實を云へば、この白秋によく似てゐたといふ面ざしの人の忘れがたさに、それ、その蜘蛛の觸手が、すすつとすばやく動いたのである。
                大つごもりの前の五日
                       阿佐ヶ谷にて

[やぶちゃん注:「跼んで」は「かがんで」「しやがんで」のいずれにも読める。
「天爾速波」は「てにをは」と読む。
「齦」は「はぐき」(歯茎)と読む。
「寶惠籠」不詳。次の「小記」で、「學生時代」に書いた白秋に認められた「詩」であることは分かるが、私の所持している最新の畑耕一著作目録等にも所収しない。識者の御教授を乞うものである。
「煙突雀」昭和二(一九二七) 年五月発行の『赤い鳥』(十八巻五号)に載る白秋の童謡である。]

[やぶちゃん注:以下の「小記」は底本では有意にポイント落ちである。]

      小  記
 たつた一度、私は詩を作つたことがある。學生時代だつたが、それを北原白秋さんにみとめて頂いた。二十餘年を過ぎた今日も、北原さんはその題名をおぼえてゐてくださる。うれしい。俳句も詩である以上、この句集に序文を乞ふべき人は、私には北原さんを措いてほかにない。眼を病まれて不自由されるなかに北原さんは私の句を一つ一つ半紙に大書せしめられて、それを讀んで序文を書いてくださつた。なみなみならぬ御厚情である。
 挿入の肉筆に用ひた篆刻は、大谷碧雲居さんが、特にこの句集のために作つてくださつたものである。しかも一度は郵送の途中紛失したのを、更にまた刀をとられたのである。この御好意もなみなみのことではない。
 句集をまとめるにあたつては、友人林原耒井、篠原梵、八木繪馬三君が駈けつけて、二度までも眼をとほし、いろいろ助言を與へてくれた。古家榧夫君もなにかと心配してくれた。ありがたい。
 ――かうして、私の著書としては、句集は、むしろ「かりそめの緣」によつて成つたものながら、意外に本筋の形をそなへることができた。また考へてみれば、私の仲間「海蝶」の人々が、ものに飽き易い私を鞭撻してくれ、交蘭社飯尾さんの熱心な勸めがなければ、この句集はできなかつた筈である。どなたにも心から御禮を申します。(著者)

[やぶちゃん注:底本では標題「小記」はゴシック体。文中の繰り返し記号「〱」は正字化した。
「學生時代」大正七(一九一八)年かそれ以前に畑耕一は東京帝国大学英文科を卒業している(現在の知見では三十過ぎの卒業ということになる)から、謎の詩「寶惠籠」は大正七(一九一八)年七月以前か、それよりも前の数年前に書かれたものであることが分かる。
「大谷碧雲居」(明治一八(一八八五)年~昭和二七(一九五二)年)は俳人。本名、浩。東美校卒。東京美術学校洋画科卒業後、中外商業新報(現在の「日本経済新聞」の前身)に入社し、昭和一二(一九三七)年、取締役となる。俳句は明治末より渡辺水巴に師事、以来『曲水』の重鎮として後進の指導にあたり、水巴没後は『曲水』の主宰となった(以上は「吉備路文学館」の記載に拠った)。
「林原耒井」(はやしばららいせい 明治二〇(一八八七)年~昭和五〇(一九七五)年) は英文学者で俳人。本名、耕三。漱石直系門下生の最後の一人。法政大学・明治大学などの教授を勤め、俳句は臼田亜浪に師事した。著書に「漱石山房の人々」、句集「蜩」など(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠った)。
「篠原梵」(しのはらぼん 明治四三(一九一〇)年~昭和五〇(一九七五)年)は出版人で俳人。本名、敏之。『中央公論』編集部長から専務を経て、昭和四七(一九七二)年、中央公論事業出版社長。俳句は臼田亜浪に師事した。「石楠しゃくなげ」同人。句集に「皿」「年々去来の花」など(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠った)。
「八木繪馬」(明治四三(一九一〇)年~)俳人。本名、毅。「石楠」同人(各種データでは未だ存命されているようにあるが、疑問)。
「古家榧夫」(生没年確認出来ず)は翻訳家・俳人。『土上』『早稲田俳句』同人。『土上』では秋元不死男(当時の俳号は東京三)と並ぶ有力作家であった。本書が刊行された昭和一六(一九四一)年二月十五日の十日前の二月五日の新興俳句弾圧事件第四次検挙で逮捕されている。畑はそれをどう感じていたのだろう。気になる。
「海蝶」昭和一九(一九四四)年刊行の俳誌。詳細は不詳。
「交蘭社飯尾」本句集の出版元交蘭社社長飯尾謙蔵(末尾奥附参照)。]



   
作品目次

[やぶちゃん注:底本では部立の文字はそれぞれゴシック体。字配の一部を読み易く変更し、部立下のリーダとページ・ナンバーは省略した。]

人 事
   蓬萊 石鹸玉 春夢 春眠 春燈 雛 春愁 四月馬鹿
   春の風邪 切山椒 白魚汁 土用灸 蚊帳 晝寐
   扇風機 走馬燈 水泳 日傘 ハンモツク 箱釣
   香水 花氷 菊人形 嚔 日向ぼこ 暖爐 炭 火鉢
   榾 懷爐 夜業 寒の水 牡蠣舟 寒玉子 おでん
   酉の市 日記買ふ 忘年會 クリスマス

動 物
   猫の子 燕 雉子 春の雁 囀 諸子 櫻烏賊
   鰈 蜂 蝌蚪 蝙蝠 金魚 海月 蛇 蜥蜴 蟇
   守宮 蜘蛛 蛾 班猫 金龜子 夜光蟲 秋の猫
   啄木鳥 鵙 囮 秋刀魚 蜻蛉 蟷螂 秋の蠅 水鳥
   凍鶴 木兎 冬の蠅

植物
   木の芽 柳絮 苜蓿 春の芝 新樹 若菜 牡丹
   櫻の實 西瓜 蓮の花 向日葵 睡蓮 木の實 柘榴
   萩 萱 寒牡丹 冬薔薇 落葉 枯蓮

時候
   春曉 春の晝 暖か一 短夜 暑さ 立秋 秋 新涼
   今朝の秋 秋の夜 爽か 短日 冬暖 冬の夜 除夜
   大年

天文
   春の日 春の虹 春の星 春の霰 梅雨 日盛 驟雨
   夏の雨 雷 虹 秋の空 秋光 秋日和 秋の風
   良夜 秋の星 天の川 颱風 野分 秋の虹 霧
   冬麗ら 雪 吹雪 雪女郎 冬の雷 霰 空風

地 理
   春潮 春の泥 夏野 夏の海 土用波 秋の水 枯野
   枯山 冬の浪



     
人   事



   新春物臭し

蓬萊や蜜柑ひとつとねじパンと



天日のゆらりとくだりしやぼんだま



春一夢かのもの言はぬ人と會ふ



春夢昏昏斷崕なして壁懸る



浴槽まぶし春眠のにがき唾を吐く



春燈のあざむく影を投じたる



掌に置きて豆雛の眼の見る眼なる



内裹雛まさりて古りたまふ



燈ともせり燈ともしざまの雛揃ふ



雛の燈見えずかがよふ面輪あり



顏に紙世づかぬ雛と別れたる



春愁に指ひとつは鳴らざりき



春愁の人塔影を踏み去れり



春愁の人カステラにむせびゐる



花のなき食卓なりき萬愚節



四月馬鹿かく乾杯し終んぬる



わづかなる戀して春の風邪ひきぬ



舞の出を待つ人に置き切山椒



白魚汁澄むより漆にほひたる



土用灸そのほかのことなかりし日



わだつみのそこひなき蚊帳に寐落ちける



蚊帳あたらし蒼茫として夢來る



巨き手に魘はれぬ蚊帳は垂れてあり

[やぶちゃん注:「魘はれぬ」は「おそはれぬ」と読む。ラ行下一段活用の動詞「おそはれる」の未然形である「おそはれ」に、打消の助動詞「ぬ」が付いた形。「魘」は通常は、「うなされる」と読むことから分かるように、「おそはれる」は「悪夢を見てうなされる」「怖い夢に苦しめられる」の意。]



竹の葉のそよぐ一枚見て昼寐



   ある会議

否と立つわれにめぐり來扇風機



殺し場の幕が降りたる扇風機



走馬燈魚をゆがむる浪ゆけり



しらしらと朝風にあり走馬燈



走馬燈まはりはじめしひともどり



抱ける子の瞳の中の走馬燈



蹴る足を魍魎襲ふ泳ぎかな



泳ぐ子にひとひら日のひるがへる



うなぞこのたちまち昏き泳ぎかな



舷梯を高くためらふ日傘あり

[やぶちゃん注:「舷梯」は「げんてい」と読み、ふなばしご、タラップのこと。「タラツプ」と読んでも面白いが、畑がそのつもりならルビを振るはずである。]



日傘蒼く不敵に笑まふ眼を見たり



ハンモツクあなうら遠くねむり入る



ハンモツク雲の言葉を考ふる



箱釣に來て宮戸座の役者かな

[やぶちゃん注:「箱釣」 は「はこづり」で、祭礼や縁日などの露店で浅い水槽の中の鯉・鮒・金魚などを紙の杓子や切れやすいかぎなどで捕らせる、金魚掬いの類い。夏の季語。「宮戸座」現在の東京都台東区浅草三丁目、浅草公園裏にあった常設の芝居小屋。明治二〇(一八八七)年に吾妻座として開場、二九(一八九六)年、宮戸座と改称した。この座名は隅田川の古称「宮戸川」に因むとされる。山川金太郎が座主になってより隆盛、小芝居を代表する劇場となった。明治末期から大正にかけて全盛となって、主に歌舞伎芝居を上演していたが、新派の俳優による興行もあり、有名どころの俳優は宮戸座の舞台を踏まぬものはないとされたほど、四世沢村源之助・三世尾上多賀之丞など、多くの名優がここから巣立ってゆき、別名「出世小屋」と呼ばれた。大正一二(一九二三)年の関東大震災で焼失、同年一二月三一日には仮小屋で開場、昭和三(一九二八)年に再建復興したが、昭和一二(一九三七)年二月に廃座している。本句集公刊は昭和一六(一九四一)年、既に宮戸座は追憶の彼方となっている。]



香水や驟雨襲へる展望車

[やぶちゃん注:これは推測であるが、浅草六区にあった観覧車ではなかろうか? 以下、「元東京もやしっ子」氏の「探検コム」「本邦初の観覧車を見に行く」に詳しい解説と写真があり、以下の記載もその内容を参照させて戴いた。当初は明治四〇(一九〇七)年四月に上野で開催された東京勧業博覧会の目玉として建造されたもので、電動、高さ約三〇メートル、一つの観覧車に五人から一〇人程度の客を収容出来た。小栗虫太郎の「絶景万国博覧会」には当時の様子を描写して、
『そのように、可遊小式部の心中話が、その年の宵節句を全く湿やかなものにしてしまい、わけても光子は、それから杉江の胸にかたく寄り添って階段を下りて行ったのだった。然し、一日二日と過ぎて行くうちには、その夜の記憶も次第に薄らぎ行って、やがて月が変ると、その一日から大博覧会が上野に催された。その頃は当今と違い、視界を妨げる建物が何一つないのだから、低い入谷田圃からでも、壮大を極めた大博覧会の結構が見渡せるのだった。ほんのり色付いた桜の梢を雲のようにして、その上に寛永寺かんえいじあか葺屋根が積木のようになって重なり合い、またその背後には、回教サラセン風を真似た鋭い塔のさきや、西印度式の五輪塔でも思わすような、建物の上層がもくもくと聳え立っていた。そして、その遥か中空を、仁王立ちになって立ちはだかっているのが、当時日本では最初の大観覧車だったのだ。』(引用は青空文庫版を用いた)
但し、これ、「元東京もやしっ子」氏も指摘されている通り、当時、明治三四(一九〇一)年生まれの小栗は当時六歳であるから、実景の描写とは考えにくい。同時代批評としては、「元東京もやしっ子」氏が次に引用する夏目漱石の「虞美人草」で、主人公が師事した井上孤堂を、皮肉たっぷりに描写するのに観覧車がメタファーとして用いられているが、「虞美人草」の起稿は正に明治四〇年の六月四日で、脱稿は同八月三一日から九月二日の間であるから(ロンドンでの管見はあったかも知れないが)、恐らくはこの隠喩の観覧車のイメージは、アップ・トゥ・デイトに実見した、この観覧車と考えてよい。
さしわたし何十尺の円をえがいて、周囲に鉄の格子をめた箱をいくつとなくさげる。運命の玩弄児がんろうじはわれ先にとこの箱へ這入はいる。円は廻り出す。この箱にいるものが青空へ近く昇る時、あの箱にいるものは、すべてを吸い尽す大地へそろりそろりと落ちて行く。観覧車を発明したものは皮肉な哲学者である。
 英吉利式イギリスしきの頭は、この箱の中でこれから雲へ昇ろうとする。心細いひげに、世をび古りた記念のためと、大事に胡麻塩ごましおを振り懸けている先生は、あの箱の中でこれから暗い所へ落ちつこうとする。片々かたかたが一尺昇れば片々は一尺下がるように運命は出来上っている。
 昇るものは、昇りつつある自覚を抱いて、くだりつつ夜に行くものの前に鄭寧ていねいこうべを惜気もなく下げた。これを神の作れるアイロニーと云う。
「やあ、これは」と先生は機嫌が好い。運命の車で降りるものが、昇るものに出合うと自然に機嫌がよくなる。』
東京勧業博覧会閉幕後、この観覧車は浅草六区の南に移設されるが、明治四四(一九一一)年には解体され、後地には大正の浅草オペラの牙城となった活動写真館金龍館が建てられた。なお、引用元には福井優子「観覧車物語」に拠って、前年の明治三九(一九〇六)年の大阪に於ける日露戦争戦勝紀年博覧会場に建造された蒸気機関による「展望旋回車」を本邦観覧車の嚆矢とする旨の記載があるが、漱石はこの年、大阪に行った形跡はない。]



   ある晩餐會

花氷言葉をつなぎ燈をつなぐ



菊人形煌煌見あげおそろしき



土黝し菊人形のまたたかぬ

[やぶちゃん注:「黝し」は「くろし」と読む。本来は「あをぐろし」であり、青みを帯びた黒色をいう。]


嚔うつて冬木のなかへ日を落す

[やぶちゃん注:「嚔」は「くさめ」と読ませていよう。以下、同じ。くしゃみのこと。]



冬木一本應ふるものに嚔うつ



銀座の燈眼にもどりたる嚔かな



つつがなき嚔と知りぬまた嚔



日向ぼこ侏儒の心にしばしある



夜の薔薇石油暖爐に風起る



瓦斯暖爐ぽんともして戀ひわたる



   Ecce Homo 再讀

瓦斯暖爐眞赤死ぶときかなニイチエ

[やぶちゃん注:「Ecce Homo」は 「この人を見よ」でニーチェ(Friedrich Nietzsche  一八四四年~一九〇〇年)が発狂する一八八八年の前年一八八七年秋に書いた自伝。一九〇八年に妹エリーザベト・フェルスター=ニーチェが出版した。なぜ自身が賢いのかなど、皮肉を交えた自画自賛が綴られると同時に、「悲劇の誕生」や「ツァラトゥストラはかく語りき」など、それまでに出されたニーチェの著作を自ら総括している。題名のラテン語“Ecce homo”は「ヨハネによる福音書」の第一九章第五節から引用されたもの(以上はウィキの「この人を見よ」に拠った)。]



刈りたての髮のざわめき炭熾る

[やぶちゃん注:「熾る」は「おこる」と読む。]



活字みな匂うて來たる火鉢かな



榾煙くぐつて税吏歸ける

[やぶちゃん注:「榾」は「ほだ」「ほた」と読み、たきぎのこと。通常、囲炉裏や竈で焚く小枝や木切れなどを言うが、ここは焚き火であろう。]



懷爐ほこほこ漫畫シネマのよくうごく

[やぶちゃん注:サイト「KINO BALÁZS archives」(キノ・バラージュ アーカイヴ)の「日本漫画映画発達史」のページによれば、本邦で初めてアニメーションが公開されたのは明治末期で、フランス人のエミール・コールが制作した短編シリーズ「凸坊新画帖」を嚆矢とする。この人気に目をつけた天然色活動写真株式会社(通称・天活)が下川凹天おうてんなる人物に漫画映画を製作させ、「凸凹新画帖・わんぱく小僧の巻」を製作(大正六(一九一七)年)、これが日本最初の国産アニメーションといわれる(一部の記載が明瞭さを欠くが以上のように当該ページを私は読んだ)。その後、影絵映画「お蝶夫人の幻想」(昭和一五(一九四〇)年、傑作として名高い「くもとちゅうりっぷ」(昭和六(一九四一)年)、戦争のプロパガンダ映画でもあった「桃太郎の海鷲」(昭和七(一九四二)年)などが挙げられているが、本句集の刊行が昭和六年であることを考えると、前者のフランス版「凸坊新画帖」か国産「凸凹新画帖・わんばく小僧の巻」若しくはその模倣作の可能性が高いか。畑は後に松竹キネマ企画部長となっている。]



胃と錢のにほうて來たる懷爐かな



夜業人立ちあがらする地震ありぬ



渾身のあかるく寒の水啖ふ

[やぶちゃん注:「啖ふ」は「くらふ」と読む。「喰らう」である。]



寒の水地になげうつて飲みあます



寒の水のんどを落つて地の底へ



寒の水玻璃の底なる天遠し



寒の水あふり晴天われ叫ぶ



天井に手を牡蠣舟の座をさだむ



   一枚殘りし高麗皿(八句)

割りおとす落ちざま重し寒玉子



割おとす手に跳ねてよろし寒玉子



割りおとす寒玉子搖れまた搖れず



寒玉子皿の唐子の三つ隱す

[やぶちゃん注:「唐子」は「からこ」で、中国風の髪形や服装をした子供のことをいう。高麗皿に描かれた童子である。]


寒玉子鼓をうち唐子首浮かす



寒玉子なほ笛吹きて唐子どち



寒玉子あふれんとして唐子舞ふ



皿まろしもつともまろく寒玉子



   友言へり

俳句なんど輕蔑すべくおでん屋へ



酉の市夜の人なか郵便夫



いつはりの多からんとぞ日記買ふ



忘年會我を「彼」とし醉はしめぬ



星みどり聖誕祭の歌のぼる



     
動   物



猫の子の腹たてることおぼえける



つばくらめわれの瞳に遲れたる



をどり出て日のあるうちの燕



つばくらのしきりに朝の郵便局



人憎む眼につばくらのころび入る



雲雀聞いて靴の中なる石棄てて



手賀沼のこだまとあそぶ雉子かな

[やぶちゃん注:この「雉子」は「きぎす」と読んでいよう。]



日の奥も見らるる雉子の聲聞けり

[やぶちゃん注:こちらは「きじ」と読んでおく。]



びろうどの帽子の上の春の雁



囀にゆきゆきて人神のごとし



うつくしく芥にそだつ諸子かな

[やぶちゃん注:コイ目コイ科バルブス亜科タモロコ属ホンモロコ Gnathopogon caerulescens。元は琵琶湖固有種とされているが、現在は各地に分布する淡水魚。本種は日本産コイ科魚類の中でも特に美味と言われ、琵琶湖では周年漁獲されて京都市内の料亭などへ高値で取引されている。特に冬に獲れる「子持ちモロコ」は琵琶湖の名物とされ、大変に珍重される(以上はウィキの「モロコ」に拠った)。]



櫻烏賊ものうき墨を吐きにける

[やぶちゃん注:「櫻烏賊」は特定種を指すものではなく、桜の咲く時期に獲れるイカを言い、春の季語である。花見烏賊とも。富山県の西部新湊から氷見周辺では頭足綱鞘形亜綱十腕形上目ツツイカ目スルメイカ亜目アカイカ科スルメイカ亜科スルメイカ Todarodes pacificus の稚イカをハナミイカと呼称している(成イカは逆に旬としてナツイカと呼ばれる地域が多い)。]



ひとつき蝶ゐて蝶の群ひらく



われの眼に入り來て蝶のいそがしさ



干す傘の紙のささ鳴り蝶きたり



窓の會話白き蝶よりはじまれり



宙天にくつがへる時の大鳳蝶あげは



碧潭の日をくだりくる鳳蝶かな



蜂の巣のふたつならびて事しげき



蜂の聲とものしづかなる體温と



空たかくなりまさり蜂の戰へる



水甕に日はゆたかなり熊ン蜂



蝌蚪の水へ人もの言うて尿せる

[やぶちゃん注:「蝌蚪」は「かと」と音読みし、オタマジャクシのこと。「尿」は「すばり」と読んでいよう。]



唾吐けばつばをあらそひ蛙の子

[やぶちゃん注:「蛙の子」とあるが、前句との類型が認められ、このシチュエーションから言っても、これは子ガエルではなく、オタマジャクシであろう。]



蝙蝠の失するところに現はるる



蝙蝠のわれよりはやくたそがるる



金魚玉金魚まむかひわれを訪ふ

[やぶちゃん注:「金魚玉」金魚を買った際、桶などを持たない場合の持帰用に一緒に売られていたガラス製の容器。風鈴を逆さにしたような形ですぼんだ口の部分に引っ掛かる程度の竹ひごに紐を結び附けたもので、ぶら下げるようになっていた。]



差し水にゆるぎ金魚の相照らす



金魚燦爛わが耳二つよく聞ゆ



ざわざわといろこ映り來金魚玉

[やぶちゃん注:「いろこ」は「鱗」の古い表現。]



おほなみの畝ゆきて海月越えんとす

[やぶちゃん注:「畝」は「うね」。]



くちなはの耳さとき輪をほどきたる



くちなはの失せたる土の眼にうごく



くちなはを垂らし槐樹のそよぎゐ

[やぶちゃん注:マメ目マメ科マメ亜科エンジュ Styphonolobium japonicum。中国原産。]



蜥蜴うごく向日葵うごく蜘蛛うごく

[やぶちゃん注:本句集の題名は「蜘蛛うごく」である(但し、私の感触ではこの三番煎じ風の下五が元ではなく、この後に現れる『壁上の蜘蛛うごくとき大いなる』の中七部分が元に感じられる)。]



庭の閑繻子の蜥蜴と瑠璃の蜂

[やぶちゃん注:「閑」は「かん」で閑寂。トカゲの隠喩である「繻子」は「しゆす(しゅす)」と読み、繻子織りの織物のこと。経糸・緯糸が五本以上から構成されるもの。密度が高く地が厚く、柔軟性があって光沢が強い。「瑠璃」は「るり」で、本来は仏教用語。七宝の一。梵語“vairya”の漢音の音写である「吠瑠璃べいるり」の略。青色を基調とした宝石。赤・緑・紺・紫色などもあるとされ、ここではハチの隠喩としてその多彩な配色をのそれを想起した方がよい(瑠璃には紫色を帯びた濃い青色を言う瑠璃色という色名、また、宝石や顔料として西洋で古くから用いられてきた鉱物ラピスラズリ(「ラピス」はラテン語の「石」、「ラズリ」はペルシア語の「青」の意。藍青色を呈する数種の鉱物の混合体で、黄鉄鉱が混じっているために磨くと濃い青地に金色の斑点が輝き、別に青金石せいきんせきともいう)の別名でもあるが、これらだと遠目には濃い青にしか見えず、蜂のメタファーとしては今一つ不自然である)。この句、対象のメタファーが面白く効いた畑版『古池や』――閑寂幽邃を色彩で描いた佳品で、何より、声に出して詠んだ際に、その音の絢爛さが、逆に無音に近い情景の静謐さ(音があるとすればそれは蜂の羽音のみである)を引き出す。私はとても好きな句である。]



蟇日に眞夜中の眼を放つ



風ある燈守宮ますます指を張る



壁上の蜘蛛うごくとき大いなる

[やぶちゃん注:これが本句集「蜘蛛うごく」の本句であろう。]



壁に腹ゆさぶりて蜘蛛の影つくる



動きやすく蜘蛛ゐて壁のましろさよ



燈をまともすばやき蜘蛛として構ふ

[やぶちゃん注:「まとも」は「正面」「真面」で名詞・形容動詞。]「」の意で、真っ直ぐに向かい合うこと。真面目の意の「まとも」の原義。]



打たんとす蜘蛛黑し蜘蛛身をひろげ



蛾の影の躍る中なる春宮圖

[やぶちゃん注:「春宮圖」中国の春画、ポルノグラフィのこと。秘戯図・春宮画・春意等、多くの言い方がある。]



朝の蛾の白しと見れば生きてある



斑猫の起つとは光るさびしさよ

[やぶちゃん注:この「斑猫」は鞘翅(コウチュウ)目オサムシ亜目オサムシ上科ハンミョウ科ナミハンミョウ Cicindela japonica、所謂、ミチオシエである。人が近づくと一、二メートル程飛んで直ぐ着地するという行動を繰り返し、その過程で度々、後ろを振り返るような動作をする本種の習性をうまく詠み込んでいる。なお、「斑猫」全般については、私の「耳嚢 巻之五 毒蝶の事」の注で詳細を述べておいた。是非、参照されたい。]



柱鏡鳴らして落ちぬ金龜子

[やぶちゃん注:「金龜子」は「こがねむし」と読む。鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コガネムシ下目コガネムシ上科コガネムシ科スジコガネ亜科スジコガネ族スジコガネ亜族コガネムシ Mimela splendens、あの黄金虫である。]



櫓をあぐる雫にともし夜光蟲

[やぶちゃん注:「夜光蟲」は原生生物界渦鞭毛虫門(渦鞭毛植物門)ヤコウチュウ綱ヤコウチュウ目ヤコウチュウ科ヤコウチュウ Noctiluca scintillans。古くは植物プランクトンとされていたが、葉緑体を喪失している点で境界的な海洋性プランクトンである。「虫」と名づき、また、節足動物門甲殻亜門顎脚綱貝虫亜綱ミオドコパ上目ミオドコピダ目ウミホタル亜目ウミホタル科ウミホタル Vargula hilgendorfii と勘違いし、甲殻類の仲間と考えている人が多いように思われるので、特に注しておいた。]



滿潮に雨ひびき來て夜光蟲



秋の猫バケツの中にねむりけり



啄木鳥のいまし來しさまや風の中



啄木鳥の頸より上は夕燒けて



啄木鳥の見えざる上の啄木鳥見ゆ



啄木鳥の敲きはやめて去りにける



胃の底のきよらかに鵙を聞くことも



囮鳴けり見えざるものもひた鳴けり

[やぶちゃん注:「囮」野鳥を捕獲するためのオトリの鳥。縄張りを厳守するモズの習性を利用して捕獲するためのものか。]



天窓に日を笑はせて秋刀魚燒く



靑天を下り來るやんま射垜の兵

[やぶちゃん注:「射垜」は普通は「あづち(あずち)」と読む。和弓の弓場で的を掛けるために、土又は細かな川砂を土手のように固めた盛り土。単に「垜」とも、また「堋」「安土」とも書き、「あむつち」「南山なんざん」「的山まとやま」などとも呼ぶ。但し、この句は「せいてんを/おりくるやんま/いだのひやう」と読んでいるように私には思われる。また、この下五は弓場の実景というより(実景を想起しても構わないが)、素早く下降するオニヤンマを、的を掛けたに的に向かって飛ぶ矢に隠喩したもののようにも感ぜらるる。識者の御教授を乞う。]



蓮の葉に蜻蛉くづれてまた揃ふ

[やぶちゃん注:水辺の「蓮の葉」の搖れるところで蜻蛉が「くづれてまた揃ふ」というのは、私は彼らの交尾行動を指しているように読めるが、如何?]



とんぼうにすらりとゆけり刈る萱に



一瞬なる銀座風景大やんま

[やぶちゃん注:これはオニヤンマの巨大な複眼に映った幻想的な虹色の絢爛の景色に一瞬の銀座の夜景のような幻影を見た、という句ととるが、如何?]



蟷螂の身をまげ草の葉をまぐる



蟷螂のなほ疑うて風に攀づ

[やぶちゃん注:中七が上手い。これはしばしばカマキリが首を傾げるような動作をするのを受けたものである。]



   T大學齒科治療室
酒精燈の見えぬほむらと秋の蠅

[やぶちゃん注:個人的に非常に好きな句である。大学病院の薬品臭い、歯科治療室の古びた診療椅子――器具台の脇に燃える鬼火のようなアルコール・ランプ――その幽かな、ゆらぐことでしか分からぬ炎――秋の蠅……慄然とさせる幻想のモンタージュである。]



秋の蚊のよく見てゐれば刺しに來る



とほき空水鳥胸をまろくゆく



水鳥のあるひは觸れて並み連るる

[やぶちゃん注:「連るる」は「つるる」、ラ行下二段活用の「つる」の連体形。連なる。]



おなじことを水鳥搖るるかげひなた



水鳥の首をあつめて日は眞上



水鳥水ふりこぼす頸は黄に



水鳥の大き輪となり日を終る



丹頂の舞ふ身となりて凍てに入る



木兎呼ばふ夜をかたちなくわも歩む



わたませし夜より木兎に鳴かれたる

[やぶちゃん注:「わたませし」は「わたましせし」で、転居・引越をしたその日、という謂いである。明治期には普通の転居の謂いで用いられたらしいが、「徙」は本来、貴人の転居や神輿しんよの渡御を謂う尊敬語なので私にはやや違和感がある。]



冬の蠅疊を這うて壁がある

[やぶちゃん注:梶井基次郎「冬の蠅」の俳句インスパイアとして上手い。]



     
植  物



ましろなる空の前なる牡丹の芽



赤城大沼木の芽に落す雲とどろ



   懵然とあることは愉し(四句)
熱もてる口にあそばす柳絮かな

[やぶちゃん注:「懵然」は「ぼうぜん」と読み、心の昏いさま、無知なさまを言う。]



しづかなる瞳にもてる柳絮かな



ますぐなる日を得てのぼる柳絮かな



日のひかりさらに柳絮をゆかしむる



ポケツトの時計が聞ゆうまごやし



犬の乳房は八方へ搖れうまごやし



苜蓿わかき太白くだりて來

[やぶちゃん注:「苜蓿」は「うまごやし」。「太白」は金星で「わかき」は明けの明星のことを指しているか。]



春の芝犬と鎖を引きあうて



春の芝人に疲れて人あゆむ



銀行の中も新樹のあかるさに



いつぽんの新樹に炊ぎ人住めり



若葉の日みじろぐ胸を走り落つ



こめかみのしばしば昏し牡丹園



佇めば牡丹わづかに應へたる



蒼天に雷籠り來る牡丹かな



戀人はめんだうな人さくらんぼ



さくらんぼ舌に置くとき風まろし

[やぶちゃん注:両句ともに鈴木しづ子の句の中に忍ばせても分かるまい。]



西瓜うまし蚊が鳴いてゐるぼんのくぼ



蓮の花見えざる蟲の顏をうつ



向日葵のねむたげ雲は生きて來る



睡蓮の風に乘り入る蜘蛛黄なり



空ばかり見ゆる木の實の落ちて來る



こども等智慧の悲しみ木の實降る



飛び失する珠のくれなゐ柘榴割る



人寐ねて月けだかしや萩の上



   妻求むる男となりて
萱に佇ちもつとも遠き人思ふ



寒牡丹とほき雲より眼を移す



寒牡丹土よりあぐる風の見ゆ



寒牡丹かたひら搖れてすべて搖る



寒牡丹人影よぎる時ゆるる



冬薔薇掌にも掬へる日の光

[やぶちゃん注:「冬薔薇」は「ふゆさうび(ふゆそうび)」又は「ふゆしやうび(ふゆしょうび)」と音読している。次句も同じ。]



   拔齒手術の後に
舌になぶる齒の肉あまし冬薔薇



寐る耳にひろき空して落葉せる



まぼろしの舞ひのぼり落葉舞ひ落つる



日の面のにはかに巨き落葉かな



眞夜中のにはとり鳴いて落葉せる



水を抽く影のむらさき蓮枯るる

[やぶちゃん注:「抽く」は「ぬく」と読んでいよう。]



     
時  候



   をんな
春曉のことにちいさき誓ひなる



春晝の伽藍見あぐるものばかり



眼つぶれば曼荼羅うごく春の晝



暖かに牧夫の日記進みけり



猫のほと春あたたかに見いでける



短夜の水にちかづく蝶あらし



みじか夜の汐さき騷ぐ鴉かな



   文鎭を贈らる
水晶の仔馬の背ナの明易き



   十餘年教鞭をとりし二つの大學を辭す
教壇をくだり短夜を約したる



かもじ屋の燈ともして暑く住ひある



秋立つ日揮發油くさく人來たり



   ある女
頰に落ちし睫毛の影も秋ながら



   病臥
吸引器吹きをはりたる顏も秋



廻轉扉新凉の人われと押せり



新凉の松の葉見ゆることごとく



新凉の刎ね癖つけるブラインド



   アパートメント生活
窓窓の人のまじはり今朝の秋



   あたらしき鳥籠を買ふ
戛止と飛ぶ文鳥夫婦夜半の秋

[やぶちゃん注:「戛止と」は「かつし(かっし)と」と読ませているものと思われる。本来的には固い物がぶつかって立てる激しい音を表現するが、ここでは文鳥が新しい鳥籠の中で時に激しく羽ばたいて鳥籠の内側に当たる音を表現する。しかし、大きな音だからといって金属製ではなく、竹か木製のものをイメージした方が(事実はどうであったかは私には問題ではない)、中七下五の雰囲気が纏まる。その方が恰も江戸の情緒を添えて遙かによいと思うのである。]



海苔茶漬のんどをいて爽かに

[やぶちゃん注:「※」=「火」+「欣」。「※」は「焼く」「炙る」の意であるが、医学用語で「※腫・※衝」という語があって、これは「キンショウ」と読み、皮膚や筋肉の一部が腫れて熱を持ち、ずきずき痛むことを言う。熱い湯漬けが酒や油っこい食い物の後にカッと一皮むくように喉を「さわやかに」落ちてゆく瞬間を切り取って面白い。]



短日の時計とまりて部屋ひろし



   水族館
短日のさかだち泳ぐ魚ばかり



冬ぬくし硝子の泡も影となる

[やぶちゃん注:これは旧来の粗製のガラス窓の板ガラスにしばしば含まれていた気泡のことを言っているものと思われる。私には、こんなことを言わずとも、すんなりと落ちるのだが、こういう注を附さねばならぬのも、最早、時代か。]



壺置けばぽこと音して冬ぬくし



   獨身生活
冬の夜鏡にふかくわれもゐたり



除夜の空わが靴音にわがありく



年の夜の眺めとなりぬ竈の火



大年の樞落せば響きたる

[やぶちゃん注:「大年」は「おほとし(おおとし)」又は「おほどし(おおどし)」と訓じて大晦日のこと。「樞」は「くるる」で、 戸締まりのために戸の棧から敷居に差し込む止め木(またはその仕掛け)のこと。ここは「大晦日」に「暮るる」も掛けていようが、「時候」の部立の掉尾を飾るに相応しい不思議に巧まずして出来たリアルな句柄で好感が持てる。]



     
天  文



バス愉し春の日をどり頤をどる



春の虹歌ひ時計のうたふ間を



蜘蛛あまた水面に飛びて春の虹



春の星銀座の上に空がある



肩うつて春の霰のそれきりに



あたらしき燈あり田園都市の梅雨



日盛や電柱たてる蓮の中



繰りおろす碇の泡も日の盛り



天井を忘れ驟雨の中に坐す



はらばへる疊のそとの夏の雨



いかづちのいまだ臭へる森の夕日



虹たてり雀の仕事まじめなり



秋天にぐわらりとあけて艙口ハツチの扉



   谷中にて
秋光に犬あり墓を嗅ぎゐたり

[やぶちゃん注:秀逸である。]



板橋は鴉が多き秋日和



草に斬られし血のうつくしや秋の風



とげ探るたなぞこ秋の風にあり



秋風やくちなは光るを垂らす



秋風をまつすぐに來て眉濃き人



唾吐けば良夜の運河唾ひびく



良夜行高浪捲いて底見する



秋の星わがまなぞこの底なしに



露ふかし銀河の底のくれなゐに



土の聲われにむらがり天の川



颱風や朝日あまねき洗面器



颱風や夜の湯漬飯うつくしく



みづうみの底あかりして野分なほ



土見れば土のさびしさ秋の虹



霧の燈を蝶のかろさに人ゆけり



マツチの火肩にあふれぬ霧の中



蠅の翅のうすくれなゐに冬うらら



酸き林檎に鼻よくとほり冬うらら



降る雪の竹見れば竹に降りしきる



わが佇てる眼の高みより雪降れり



鍵かけて夜の浴槽バスたのし雪降れり



諏訪の湖の雪ふりやみしオリオン座



おのおのに募る吹雪の酒場の夜



歩み連れてまむかふ吹雪聲あはす



自動車に手をあげてゐて吹雪かるる



雪女郎を天井たかく語りける

[やぶちゃん注:秀逸である。]



温室のみどりあかるし冬の雷



霰やんで螺蠃すがるは光投げかはす

[やぶちゃん注:「螺蠃」蠍座。]



突風に背をむけてゐて別れたる

[やぶちゃん注:「空風」「からかぜ」と読む。からっ風のこと。]


     
地  理



春潮は畫架の人より高かりき



   肩並めて佇める人に
君がうなじこの春潮は濃からずや



射的屋のはやらぬ燈なる春の泥



雲に犬を放ち夏野の人となる



鏡多き遊覧汽船夏の海



くろぐろと照る日をつらね土用波



秋の日のわたる音聞ゆなり



大日輪枯野のどこぞ猫鳴けり



落日遠しそれより遠く枯山あり



冬浪にまぢかく星の線正し



[やぶちゃん注:以下に奥付を示す。奥付裏には交蘭社刊のものと思われる水原秋櫻子・加藤楸邨・山口草堂・篠田悌二郎・橋本多佳子・瀧春一の句集や俳論書の価格と送料を附した広告が載るが省略した。
 価格の上の「停」は〇囲み。これは「価格等統制令」に基づくもの。昭和十四(一九三九)年一〇月に「価格等統制令」・「地代家賃統制令」・「賃銀臨時措置令」がそれぞれ施行されたが、「価格等統制令」では同年九月一八日現在における価格を最高価格として、一般商品価格・運送賃・加工賃などの諸価格をその定める基準以内に据え置くことを指示したもの(これを「九・一八停止価格」と言った)。その後、「暴利行為等取締令改正」(昭和十五(一九四〇)年六月より施行)によって価格表示規程を告示する義務が書籍雑誌にも適用されたが、その中で一般商品の内、九・一八価格停止令以前の製品には「○に停」、その後の新製品には「○に新」、協定価格品には「○に協」、公定価格品には「○に公」、許可価格品には「○に許」の価格符号表示が附されるようになった(以上は主に、「日本出版百年史年表」(日本書籍出版協会/編 日本書籍出版協会 一九六八年刊)に拠った栃木県立図書館レファレンス事例を参考にした)。
 【定價金壹圓二十錢】は太字。
 「不許複製」の上方に「畑」と捺印をした印紙貼付。
 氏名以外はポイント落ち。
 「――」線は実際には点線の波線。
 「發行所」と「交  蘭  社」はポイント増の太字。〔 〕で示した同住所は二行書き。]



昭和十六年二月十一日印刷
                停 【定價金壹圓二十錢】
昭和十六年二月十五日發行

               著作者  畑   耕 一
     不
     許          東京市小石川區江戸川町十八
     複         發行者  飯 尾 謙 藏
     製
                東京市神田區錦町三丁目二
               印刷所  菅 生 定 祥

    ――――――――――――――――

  發行所 〔東京市小石川區江戸川町十八〕 交  蘭  社
                      振替東京四〇二七九番
                      電話小石川五二〇一番

畑耕一句集 蜘蛛うごく 附やぶちゃん注 完