紀州日高の女山伏をとり殺事(「古今辨惑實物語」より)
[やぶちゃん注:「古今弁惑実物語」は、浮世絵師として知られた北尾雪坑斎作・画になる怪談の謎解きと批評を骨子とした、所謂、『弁惑物』の読本で、宝暦四(一七五四)年の版行。道成寺が実は実録でそれも救い難い滑稽譚へと変じる異色作である。本作を愛読した芥川龍之介は、本作についての評論「案頭の書」の中で、『誰かこの殘酷なる現實主義者の諧謔に失笑一番せざるものあらん』と述べている。しかし私には、エンディングの洒落なんどよりも――その七日半日叩かれて、遂にへらへらになって蛇の如く這い出す鐘の中の主人公になってみると――これは一瞬にして焼かれて灰となるよりも――遙かに苛酷な、発狂必須の、地獄より地獄的な、永遠の修羅場――鐘の内も外も――であることに慄然とするのである――。底本は二〇〇三年国書刊行会刊の高田衛編「江戸怪異綺想文芸大系5 近世民間異聞怪談集成」所収のものを用いたが、私のポリシーに則り、正字に変えてある。ルビは底本中の読みの振れると思われるものに限ったが、原本読み及び編者ルビに関わらず、一部の読みを本文に出して読み易くした(出した結果としてルビを振っていないものもある)。踊り字「〱」「〲」は正字に直した。底本によって本文の誤りと推定される傍注のある箇所は、当該本文の直後に推定正字を〔 〕で示した。最後に私の簡単な注を附した。]
○紀州
紀州日高に何がしとかやいへる、
しかるに、あすか川の淵は瀨と成るよのならひにて、かの山伏はおじやれ女とまねき逢い、人はしらじと思ひしに、あくじ千里をかけまはる習ひ、主の女もれ聞きて
女つれの道はかどらず、「客僧とまれ」と主の女、髮をみだして、
□やぶちゃん注
・「せつき拂ひ」節季払い。借金を節季ごとに纏めて支払うこと。
・「いつしかわりなき中と成て」本話では前提から、山伏(僧としていない)はこの女と関係を持っていたものとしている。但し、修験道の山伏は古くから半聖半俗扱いであったので妻帯や肉体関係自体は特に問題がない。
・「おじやれ女」飯盛女。江戸期、街道筋の宿屋に居て、「おじゃれ」(いらっしゃい)と声を掛けて客引きをしたり、売春を行った下女。則ち、本話は女主人旅宿の使用人であった下女とも秘かに山伏は出来ていたという実録物スキャンダルの真相を暴露する。
・「心地もたゞならぬみのやうにおぼへ候へば」子が出来たように思われますので、の意である。文脈からは策略上の嘘と考えるのが穏当かも知れないが、彼女の精神状態を考えれば想像妊娠の可能性や、全くの事実であった可能性も排除は出来ない。
・「ぬし有る花にもあらざれば」若き身の、契った若い女のあるでなし、と、子飼いの「おじゃれ女」とのことを暗に揶揄している。山伏はここで平気を装っているが、明らかに「おじゃれ女」とのことが女に露顕したことを悟ったのであった。さればこその「あてどなしの缺落」となる。
・「あてどなしの缺落こそしどなけれ」の「しどなし」は、原義が、年少故にしっかりしていない、分別がないであるから、まず、山伏が若いイメージが形成され、行き場もない衝動的な駈落という、分別もなき幼稚さ、だらしなさよ、と筆者が批判するのである。
・「紋盡小もんの布子」種々の細かな紋柄を描いた布子(綿の入った胴着)。
・「絞襦袢のかたぬき」絞りを施した長襦袢の上半が肩からすっかりずり落ちて、下着の布子と、その下の肩肌も露わに見える状態を言うものと思われる。
・「わゝるこへ」は「わわく声」「わわくる声」の意で、カ行四段の自動詞「わわく」は、わめく、叫ぶの意、ラ行四段の自動詞「わわくる」ならば、騒ぎ乱れる、暴れるの意。これが形容詞化した「わわし」はやかましい、の意で、贅沢にすべての意を採ればよい。